役務提供委託と自己使用役務の境界についてはさまざまな議論がされていて、中小受託法テキストの具体例をみても「どうして?」と思うことが少なくなく、ご相談も多いところです。
でも私は、錯綜した論点ほど条文に帰ってシンプルに解釈すべきだと考えています。
そこで、役務提供委託の定義規定である中小受託法2条4項をみると、
「この法律で「役務提供委託」とは、
事業者が業として行う提供の目的たる役務の提供の行為の全部又は一部を他の事業者に委託すること
(建設業
(建設業法(昭和二十四年法律第百号)第二条第二項に規定する建設業をいう。
以下この項において同じ。)
を営む者が業として請け負う建設工事
(同条第一項に規定する建設工事をいう。)
の全部又は一部を
他の建設業を営む者に請け負わせることを除く。)
をいう。」
と規定されています。
役務提供委託の限界を、ここでいう「役務の提供の行為」の解釈として考えよう、ということです。
(なので、このブログのいつものスタンスですが、公取委の解釈が常に正しいことを前提にはしません。)
これに対して、中小受託法テキストでは、役務提供委託の限界の問題は「自己使用役務なら役務提供委託にあたらない」という理屈で説明されています。
いわば、「他者提供役務・自己使用役務二分論」です。
つまり、テキストp15では、
「「(業として行う)提供の目的たる役務」とは、
事業者が他者に提供する役務のことであり、
事業者が自ら用いる役務は含まれない
(自ら用いる役務について他の事業者に委託することは、本法上の「役務提供委託」には該当しない。)。
他の事業者に役務の提供を委託する場合に、
その役務が他者に提供する役務の全部又は一部であるか、又は自ら用いる役務であるかは、
取引当事者間の契約や取引慣行に基づき判断する。」
とされています。
でも私は、この「他者提供役務・自己使用役務二分論」には条文上の根拠もないし、論理的でもないし、さらにいえば、中小受託法テキスト自体の具体例すら統一的に説明できていないと思います。
まず公取委の少なくとも伝統的な考え方の前提には、役務提供委託で受託者(C)から役務の提供を受けるのは発注者(B)であって発注者の顧客(A)ではない、という考え方がありました。
このことについては、公取委と厚労省のフリーランス法解説本(『フリーランス・事業者間取引適正化等法』)44頁でも、
「下請法における役務提供委託の場合には、下請負という取引の性質上、役務の提供を受けるのは親事業者と契約した元の発注者〔=顧客A〕であり、親事業者〔=B〕ではな(い)」
というように説明されていました。
この伝統的な考え方を裏付けるように、令和6年版の下請法テキストp14の役務提供委託の図は、下のようになっていました。

この図を見るとわかるように、下請事業者が顧客Aに提供する役務の矢印は、下請事業者から、親事業者を通り越して、顧客に直接提供されるものである、というように考えられていました。
ところが、取適法テキストp15では、以下のような図になりました。

この図をみると、中小受託者(C)の矢印は、委託事業者(B)にも届いていますし、顧客Aにも届いています。
しかも地味なことですが、下請法テキストでは下請事業者Cから顧客Aへの矢印は親事業者Bを素通りしていたのが、中小受託法テキストでは中小受託者Cから顧客Aに直接届く一番右の矢印も委託事業者Bを通るようにかき改められました。
この地味な図の変更をどう解釈するかは、図であるだけに、なかなかの難問ですが、少なくとも現在の公取委は、役務提供委託における受託者の役務が下請事業者Cから顧客Aに直接提供されるのだという考え方をあらため、下請事業者Cから顧客Aに提供される場合もあくまで発注者Bをとおして提供されているのだという考えを採っていると思われます(一番右の矢印)。
さらにいえば、現在の公取委は、役務提供委託における受託者Cの役務は、委託事業者Bに対して提供されるものであってもかまわない、と解釈しているであろうことが読み取れます(右から二番目の矢印)。
この解釈(というか、考え方)の変更は、妥当なものだと思います。
というのは、前記フリーランス本のように、「役務の提供を受けるのは親事業者と契約した元の発注者〔=顧客A〕であり、親事業者〔=B〕ではな(い)」というように、役務の提供を受けるのが誰かなんて、一義的には決まらないからです。
受託者Cが荷物を顧客Aの自宅に届けたからといって、役務の提供を受けたのが顧客Aだといえるとはかぎりません。
発注者Bが荷物の配達を顧客Aから受託していたら、受託者Cから役務の提供を受けたのは(自分Bの荷物を運んでもらった)発注者Bである、といってもぜんぜんおかしくありません。
まさか、受託者Cが内心で顧客Aのために荷物を運んでいると思っていれば役務の提供を受けたのは顧客Aで、内心で発注者Bのために荷物を運んでいると思っていれば役務の提供を受けたのは発注者Bだ、なんてことはないでしょうが、役務の提供を受けたのは誰かと問うと、役務を提供した受託者Cが(内心で)誰のために役務を提供したのかということにまで立ち入らないと答えが決まらないことも少なくないように思われます。
さらにいえば、役務提供委託の限界を決めるという本稿の目的のためには、「役務の提供を受ける」のが誰かなんて、詮索する必要はありません。
というのは、条文上はあくまで、「事業者が業として行う提供の目的たる役務の提供の行為」が受託者Cに委託されているかどうで役務提供委託該当性の有無が決まるのであって、誰が「役務の提供を受ける」かは、条文の要件には出てこないからです。
つまり、誰が「役務の提供を受ける」かは、役務提供委託の成否には無関係です。
この解釈変更により、他者提供役務・自己使用役務二分論も、ゆらいでいるといえると思います。
左から2本目の矢印で、発注者にとどく役務(発注者に提供される役務)も役務提供委託の対象になることが示されていると言えるからです。
ここで、
「役務の提供を受ける」
における目的語は
「役務の提供」
であるのに対して、
「事業者が業として行う提供の目的たる役務の提供の行為の全部又は一部を他の事業者に委託する」
における目的語は、
「役務の提供の行為」(「の全部又は一部」は、おまけ)
である、という違いを見落としてはいけません。
(条文を読むときは常に、主語を表わす助詞の「は」や、目的語を表す助詞の「を」の直前の言葉に、細心の注意を払いましょう。)
法律の議論の混乱は多くの場合、主語や目的語に、似てはいるけれど異なるレベルの概念(「役務の提供」と「役務の提供の行為」)を、あたかも同レベルの概念であるかのように無造作に並べて比較することから生じますが、これもその例です。
つまり、「役務の提供」が誰に対して(誰のために)行なわれているのかを詮索しても、役務提供委託該当性は判断できず、あくまで「提供の行為」が委託されているのかどうかを判定しなければならないのです。
条文にはない、「役務の提供を受ける」という概念を持ち出したところが、つまづきの始まりであったように思います。
というわけで、上記の中小受託法テキストの新しい図では、「役務の提供を受ける」のは誰かということは役務提供委託該当性の判断に無関係であるという公取委の考え方が示されているといえ、評価できる変更だと思います。
(最近このブログでも触れることが多いですが、最近の公取委の中小受託法の運用はむちゃくちゃなので、こういうポジティブな動きがあると、ほっとします。)
もう少し掘り下げると、役務提供委託該当性の判断にあたっては、誰が受益者であるか(「役務の提供を受ける」)を詮索する必要はなく、受託者Cに「役務の提供の行為」が委託されているかどうかだけを見ればいい、ということです。
そこで最初の問題点に戻って、「役務の提供の行為」とは何かを検討するのですが、その前提として、「役務」とは何かを検討します。
この点について、中小受託法テキスト15頁では、
「役務とは、運送、ビルメンテナンス、情報処理等、いわゆるサービス全般である」
とされています。
これではよくわからないので、有斐閣の『法律用語辞典』を見ると、「役務」とは、
「英語のserviceに当たる語で、他人のために行う種々の労務又は便益の提供をいう。」
と定義され、役務とはサービス(service)であるという点で同じです。
これだけでは解決の糸口がないので、役務の「提供の行為」のほうに注目したほうがいいと思います。
つまり、「役務」は労務や便益の提供という、やや抽象的な概念ですが、「役務の提供の行為」のほうは、行為という、もう少し具体的な概念だといえそうです。
ここで再び有斐閣『法律用語辞典』をみると、「行為」とは、
「人間の意思に基づく身体の動又は静をいう。」
と定義されています。
「静」まで入れると議論が抽象的になるので、さしあたり、具体的にイメージしやすい「身体の動」を考えておけばよいでしょう。
ここまで来て、あらためて役務提供委託の定義(中小受託法2条4項)を見てみると、「役務提供委託」とは、
「事業者〔=発注者B〕が業として行う〔顧客Aへの〕提供の目的たる役務の提供の行為の全部又は一部を他の事業者〔=受託者C〕に委託すること」
と定義されています。
ここで、「行為」は何の行為か(行為の内容)と問うと、「事業者〔=発注者B〕が業として行う〔顧客Aへの〕提供の目的たる役務の提供の行為」だ、というのが答えになります。
そして、そのような意味での「行為」(の全部または一部)を、受託者Cに委託するのが、役務提供委託だ、ということになります。
なので、受託者Cが発注者Bから受託して行なう「行為」は、当該「行為」(=受託者Cの身体の動静)自体が顧客Aに提供される役務の提供になっていると評価できるものである必要があると考えられます。
逆に言えば、受託者Cの「行為」(=受託者Cの身体の動静)が、何らかの意味で顧客Aに便益をあたえているというだけでは足りませんし、発注者Bの顧客Aに対する義務の履行に役立っているというだけでも足りません。
あくまで、受託者Cの「行為」(身体の動静)そのものが、顧客Aに対する役務の提供の行為(の全部または一部)である必要があります。
そういう観点から中小受託法テキストp15以下の例をみてみると、まず「(役務提供委託に該当する例)」としてあげられている、
「○ 貨物利用運送事業者が、請け負った貨物運送のうちの一部を他の運送事業者に委託すること。」
については、他の運送事業者Cが受託する行為は、貨物を運ぶという他の運送業者Cの「身体の動」であり、かつ、そのCの身体の動はBがAに業として提供する役務の「提供の行為」の一部を構成するので、たしかに役務提供委託にあたります。
次に、同じく「(役務提供委託に該当する例)」としてあげられている、
「○ ビルメンテナンス業者が、請け負うメンテナンスの一部たるビルの清掃を清掃業者に委託すること。」
は、 清掃業者Cがビルメンテナンス業者から受託する行為は、清掃というCの「身体の動」です。
そして、この例では、「メンテナンス」のなかに、ビルの掃除も含まれているのでしょう。
そうであれば、このCの身体の動(清掃行為)は、ビルメンテナンス業者Bが顧客(ビルのオーナー?)Aに業として提供する役務の「提供の行為」の一部を構成するので、確かに役務提供委託にあたるといってよさそうです。
次に、同じく「(役務提供委託に該当する例)」としてあげられている、
「○ 広告会社が、広告主から請け負った商品の総合的な販売促進業務の一部の行為である商品の店頭配布をイベント会社に委託すること。」
は、イベント会社Cが広告会社Bから受託する行為は、商品の店頭配布というイベント会社Cの「身体の動」であるといえます。
ここで気になるのは、「商品の総合的な販売促進業務」という部分です。
広告業界に知見のある方ならわかると思いますが、広告主が広告会社に総合的なプロモーションを一定の予算の範囲内で委託し、広告会社がテレビやネットや雑誌などさまざまな媒体を効率的に組み合わせえて最大限の広告効果を得ようとすることがあります。
「商品の総合的な販売促進業務」というのは、そういうものを想起させます。
そうすると、この設例での広告会社Bにも、そのような意味でのかなりの裁量があるような気がします。
そうすると、そもそも広告主Aは広告会社Bに対して具体的に商品店頭配布を委託していない可能性があります。
少なくとも広告主Aと広告会社Bとの間の契約書には、商品店頭配布について何の定めもない可能性があります。
でも、そういう裁量が広告会社Bにあるからといって、役務委託該当性は否定されないというのが、中小受託法テキストの考え方なのでしょう。
つまり、イベント会社Cの商品の店頭配布という「身体の動」が、広告会社Bが広告主Aに対して業として提供する「役務の提供の行為」であれば、役務提供委託にあたる、ということでしょう。
そしてこの設例では、まさに、イベント会社Cの商品の店頭配布という「身体の動」は、広告会社Bが広告主Aに対して業として提供する「役務の提供の行為」そのものである(広告主が具体的に「商品の総合的な販売促進業務」の中身を指定していたかどうかにかかわらず)、という判断なのだと思います。
次に、同じく「(役務提供委託に該当する例)」としてあげられている、
「○ ソフトウェアを販売する事業者が、当該ソフトウェアの顧客サポートサービスを他の事業者に委託すること。」
では、サポート業者Cが受託する行為は、ソフトウェアのサポートサービスという、Cの「身体の動」です。
そして、このCの「身体の動」は、ソフトウェア販売業者Bがその顧客Bに対して提供している顧客サポートサービスの「提供の行為」そのものです。
よって、この例も、Cが受託したCの行為(身体の動)が、BがAに業として提供する役務の提供の行為の一部であるという基準で説明できます。
次に、中小受託法テキスト16頁に「(自ら用いる役務の委託に該当し、役務提供委託に該当しない例)」としてあげている1つめの、
「○ ホテル業者が、ベッドメイキングをリネンサプライ業者に委託すること。」
は、 リネンサプライ業者Cが受託した行為は、ベッドメイキングというCの「身体の動」です。
では、かかるCの身体の動は、ホテルBが宿泊客Aに対して業として提供する役務の提供の行為の一部だといえるでしょうか。
いえない、というのが公取委の考え方だということになります。
なぜいえないのか、というと、ホテルBが宿泊客Aに対して業として提供する役務は、ホテルの一室に宿泊客Aを宿泊させるという役務です。
これに対して、CがBから受託したベッドメイキングというCの「身体の動」(行為)は、BがAに提供する宿泊サービスの提供の行為の一部とは言えない、ということです。
別の言い方をすれば、宿泊サービスを提供する行為の提供を宿泊客Aに対して行なうことができるのはホテルBだけであって、リネンサプライ業者Cはどうがんばっても宿泊サービスを提供する行為の一部ですら提供することはできない、ということです。
短く言えば、ベッドメイキングは宿泊サービス提供行為の一部ではない、ということですが、ここまで短くすると「宿泊をさせるサービスを提供する行為は、部屋を空けることから、部屋の掃除、ベッドメイク、タオルの交換とか、もろもろの行為の束でできているのではないか」という反論が起きそうなので、上述のとおり、「リネンサプライ業者Cはどうがんばっても宿泊サービスを提供する行為の一部ですら提供することはできないから」と整理しておくのが、条文に忠実でよいと思います。
次の「(自ら用いる役務の委託に該当し、役務提供委託に該当しない例)」の、
「○ 工作機械メーカーが、自社工場の清掃作業の一部を清掃業者に委託すること。」
では、清掃業者Cが工作機械メーカーBから受託したのは、清掃作業というCの「身体の動」(行為)であるといえます。
では工作機械メーカーBが顧客Aに対して業として提供している役務は何なのかといえば、そんな役務はない、ということでしょう。
BがAにしているのは工作機械の販売ないしその一歩手前の製造だ、というのが設例の前提でしょう。
というわけで、この例ではそもそもBが業としてAに提供する役務がないので、役務提供委託にあたるはずがありません。
次の「(自ら用いる役務の委託に該当し、役務提供委託に該当しない例)」の例は、
「○ カルチャーセンターを営む事業者が、開催する教養講座の講義を個人事業者である講師に委託すること。
です。
ここでは、講師CがカルチャーセンターBから受託したのは、教養講座の講義をすることという、Cの身体の動(行為)です。
ではBが業として受講生Aに提供する役務は何かといえば、教養講座を開いて来てもらう、というサービスです。
そうすると、「教養講座の講義をするというCの身体の動(行為)」はBがAに業として提供する教養講座開設役務の一部だと言ってもよさそうに思いますが、そうではないというのが中小受託法テキストの考え方ということになります。
その理屈を考えると、教養講座の開設というのは、教養講座のテーマを決めたり、会場を決めて借りたり、その会場への受講生の入室および滞在を許したり、会場にモニターやマイクや座席や演台を準備したり(会場設営)、オンラインの教養講座であればZOOMの設定をしたり、受講生用の講義資料を印刷したり、という一切のサービスからなります。
これに対して講師Cの講演するという身体の(口の?)動(行為)は、教養講座を企画運営するBの行為の一部ではない、ということなのでしょう。
ホテルの宿泊に対するベッドメイキングのようなものだ、ということでしょうか。
こういう細かい事を言い出すときりがないのですが、教養講座では部屋代や機材代のほうが講師への謝礼よりもはるかに高額だということはいくらでもあると思います。
そう考えると、講師の役割はベッドメイキング程度だといっても、大きな間違いはないように思います。
あるいは、公取委が持っている教養講座のイメージが、たぶん講座主催者のほうに重みがあって(たとえば朝日カルチャーセンターとか、有名どころで)、講師は著名人ではない(ベンゴシウエムラコウヤとか)、というような感じだったのかもしれません。
これが、登壇者が五木寛之とか堺正章とかのイメージだったら、ひょっとしたら違う結論になっていたかもしれません(でもそんな教養講座(?)はごく一部ですから、著名人でないイメージのほうが正しいと思います)。
逆に言うと、教養講座の開設者Bが、別の会社Cに、会場の設営から当日の運営から講師の手配から一切合切を委託すれば、役務提供委託にあたります。
以前受けた質問で、自治体(A)から自社(B)が、地域おこしイベントの運営を受託したが、そのイベントのトークショーへの登壇を芸能人(C)に委託するのは役務提供委託か、というのがありました。
これは自治体Aが主催するイベントなので、その一切合切をイベント会社Bに委託すれば、役務提供委託っぽいですが、自治体は資本金要件をみたさないので親事業者にはなれません。
なので、自治体Aからイベント会社Bへの発注が(自治体Aの上にさらにイベント参加者がいるにせよ)役務提供委託にあたらないことはあきらかなのですが、ではトークショーへの登壇依頼はどうなのか、という問題です。
結論としては、役務提供委託にはあたりません。
理由は、教養講座の講師が役務提供委託に当たらないのと同じです。
最後の「(自ら用いる役務の委託に該当し、役務提供委託に該当しない例)」は、
「○ プロダクションが、自社で主催するコンサートの歌唱を個人事業者である歌手に委託すること。」
では、歌手CがプロダクションBから受託する「身体の動」(行為)は、歌唱(歌うこと)です。
ではこのようなCの身体の動が、Bが業としてファンAに提供する役務の提供の行為の一部なのかというと、違う、というのが中小受託法テキストの考え方だということになります。
その理由は教養講座と同じで、コンサートを主催するためには、会場を借りたり、照明機材や音響機材を持ち込んだり、当日ファンを会場に誘導したり、歌手を呼んだり、とさまざまな行為からなるので、歌唱とコンサート開催・運営・提供は別物であり、Cの歌唱という身体の動(行為)は、Bが業としてファンAに提供する役務(コンサートの開催行為)の提供の行為の一部とはいえない、ということなのでしょう。
これらの微妙な判断の背景には、役務提供委託を広げると際限がなくなるので謙抑的に解釈している、ということがあるかもしれません。
たとえば、コンサートでの歌唱が役務提供委託にあたるとすると、プロ野球の球団が選手にプレーさせるのも役務提供委託なのか?という疑問が沸いてきますが、そのような問題が際限なく生じるのを防ぐため、役務提供委託はせまめに解釈するので良いと思います。
以上の、
CがBから受託するCの行為が、Bが業としてAに提供する役務の提供の行為の一部か、
という基準を、少し別の角度から敷衍すると、
CがBから受託するCの行為
が、
Bが業としてAに提供する役務の提供の行為
の「一部」といえるためには、前者と後者が同レベルの概念である必要がある、ということです。
異なるレベルの概念について、全部だとか、一部だとかいうことは、なりたたないからです。
クジラが魚類であるというのは「偽」ですが、ナンセンスではありません。
これに対して、(数字の)2が魚類である、というのは、真偽以前の問題として、ナンセンスです。
「Bが業としてAに提供する役務の提供の行為」と「CがBから受託するCの行為」が全体と一部の関係にあるといえるためにも、両者が同レベルの概念(たとえば生物であること)が必要であると思います。
あるいは、「同じ視点から記述して有意味である」という意味における共通点が必要だ、といってもいいかもしれません。
世の中には、AとBのどちらが主体的に役務の内容を決めているかが関係するのではないか(Aが決めているほうが役務の再委託、つまり役務提供委託になりやすい)、とか、Aが役務の内容を具体的に指定できる必要があるとか、さまざまな見解があります。
公取委が内心そのように考えている可能性は大いにありますし、それで中小受託法テキストと整合的な説明ができることが多いのも確かなのですが、私は、条文にない要件があるのではと公取委の内心を忖度するよりも、できるだけ条文の文言にもとづいて分析するほうが、議論の共通の土台があってよいと考えています。
ここまで考えてみてあらためてテキストの図を見直して気づいたのですが、令和6年下請法テキストではAからBへの「委託」という下向きの矢印があったのが、中小受託法テキストではなくなっています!
これが何を意味するのかというと、公取委は、役務提供委託が成立するためにはAからBへの「委託」は必要ではない、というように見解をあらためた、ということです。
これは条文に忠実な解釈で、中小受託法2条4項では、
「この法律で「役務提供委託」とは、
事業者が業として行う提供の目的たる役務の提供の行為の全部又は一部を他の事業者に委託すること」
とされていて、AからBへの「委託」など、どこにもありません。
あるのは、BがAに対して役務の「提供」が必要だ、というだけです。
これが、中小受託法テキストの図では、右から2番目のBからAへの上向きの矢印で「提供」とされている部分です。
さらに、下請法テキストの図では、AからBへの矢印が「委託」、BからCへの矢印が「再委託」とされていたのに、中小受託法ではBからCへの矢印は「委託」になっています。
従前は、この下請法テキストの図のせいもあり、また、役務提供委託は役務の再委託だ、というスローガン(?)のもと、
「BからCへの委託が再委託というからには、AからBへの発注も「委託」だろう。」
という暗黙の了解があったように思います。
でも、条文には、AからBへの発注が仕様や内容等の指定をともなう「委託」でなければならないという根拠はどこにもないのです。
前述の、AとBのどちらが主体的に役務の内容を決めているかを重視する見解も、Aに対するBへの発注は「委託」のはずだ、という前提というか、先入観のもとに、出てきたのではないかと想像されます。
ですが今や、本家本元の中小受託法テキストが見解を変えてしまいました。
というわけで、誰が主体的に役務の内容を決めたかを重視する見解は、前提を失ったともいえそうです。
こんな地味なところに気が付いて図を修正するなんて、先例にとらわれずちゃんと条文を読む人が公取委にもいたのかと、うれしくなります。
公取委、ナイスです!
久しぶりにほめることができて、なんだか清々しい気分です。
(私も公取委をけなしたくてけなしているわけではありませんので。)