景表法

2021年8月26日 (木)

景品提供期間中の値下げについての注意点

たとえば、小売業者が、1個1万円の商品を購入した人全員に景品類を提供する場合、提供できる景品類の価額はその2割の2000円です。

このことは、「一般消費者に対する景品類の提供に関する事項の制限」1項で、

「一般消費者に対して懸賞

(「懸賞による景品類の提供に関する事項の制限」(昭和五十二年公正取引委員会告示第三号)第一項に規定する懸賞をいう。)

によらないで提供する景品類の価額は、

景品類の提供に係る取引の価額の十分の二の金額

(当該金額が二百円未満の場合にあつては、二百円)

の範囲内であつて、正常な商慣習に照らして適当と認められる限度を超えてはならない。」

と定められており、さらに、「『一般消費者に対する景品類の提供に関する事項の制限』の運用基準」1項で、

「告示第一項の「景品類の提供に係る取引の価額」について

(1) 購入者を対象とし、購入額に応じて景品類を提供する場合は、当該購入額を「取引の価額」とする。

〔中略〕

(4) 景品類の限度額の算定に係る「取引の価額」は、

景品類の提供者が小売業者又はサービス業者である場合は対象商品又は役務の実際の取引価格を、

製造業者又は卸売業者である場合は景品類提供の実施地域における対象商品又は役務の通常の取引価格

基準とする。」

とされていることからわかります。

なのでもし、小売業者がこの景品キャンペーンの最中に、景品の対象であった商品を1万円から8000円に値下げしたとすると、提供できる景品額も1600円のものに差し替えないといけなくなります。

これは、上記引用のとおり、

購入額に応じて景品類を提供する場合は、当該購入額を「取引の価額」とする。」

とされていることと、

「(4) 景品類の限度額の算定に係る「取引の価額」は、

景品類の提供者が小売業者又はサービス業者である場合は対象商品又は役務の実際の取引価格を、

・・・基準とする。」

とされていることから、議論の余地がありません。

なので、もし限度額一杯(取引価額の2割)の景品類を提供している場合には、対象商品を値下げしてはいけません。

もし値下げするかもしれないなら、限度額に余裕を持って安めの景品類を付ける必要があります。

小売店が景品類を提供する場合は以上のとおりですが、メーカーの場合には、

「(4) 景品類の限度額の算定に係る「取引の価額」は、景品類の提供者が・・・製造業者・・・である場合は景品類提供の実施地域における対象商品又は役務の通常の取引価格を基準とする。」

とされていることから、「通常の取引価格」が基準となります。

これは、メーカーは小売価格をコントロールすることができないからです。(実際の取引価格は知りようがない。)

なので、メーカーであっても、自らインターネット販売している事業者は、ここでは小売業者と扱われます。(消費者に直接商品を販売しているのだから当然です。)

ただ、ネット通販しているメーカーを「小売業者」と呼ぶのは、ちょっと一般の語感とはズレるので、ほんとうは、「小売業者」ではなく、「消費者に直接商品を販売する者」などとしたほうが、不細工ですが正確だと思います。

ちなみに、メーカーが景品類を提供する場合、基準になるのは「通常の取引価格」なので、メーカー希望小売価格を当然に基準とすることはできません。

むしろ、メーカー希望小売価格よりも「通常の取引価格」のほうが安いことが多いのではないかと思われます。

ともあれ、メーカーが景品類を提供する場合、一部の安売り業者がとくに安く販売していたり、一部の(あるいは大部分の)小売業者がバーゲンをしていても、それは「通常の取引価格」にはカウントする必要はありません。

どうやってメーカーは「通常の取引価格」を知るのか、という問題はありますが、インターネットで調べても良いでしょうし、何軒かの小売店に電話で尋ねても良いでしょう。

この場合、「景品類提供の実施地域における」通常の取引価額なので、時期については明示されていないと読めなくもないですが、ふつうは、景品類提供キャンペーンの実施時期における「通常の取引価額」を意味すると解するのでしょう。

インターネットと実店舗で販売価格に差があって実店舗の方が高い場合は、基本的には(=実店舗がアリバイ作りのためのダミーであるというような例外的な場合を除いて)、実店舗での高いほうの価格を基準にしてよいと考えます。

「通常の取引価格」という言葉の意味からすれば、インターネットでの価格が「通常の取引価格」ではないとはさすがにいいにくいと思います。

つまり、「通常の取引価格」は、「異常でない取引価格」くらいに読んでおいて大きな間違いはないでしょう。

まとめると、

小売業者が景品類提供する場合は、実際の取引価額の2割まで

メーカーが(小売店を通じて)景品類を提供する場合は、「通常の取引価額」の2割まで

ということになります。

2021年8月 6日 (金)

アマゾン事件のアンケート調査の問題点

アマゾンの二重価格表示に関する措置命令取消訴訟一審判決(東京地裁令和元年11月15日)では、アマゾン側が、問題の二重価格表示を見せたグループと見せていないグループで、「購入したい」と答えた人の割合に統計上有意な差がないというアンケート調査を提出しました。

これに対して消費者庁側は、統計学的な観点からこのアンケート調査をさまざまに批判し、裁判所もおおむね消費者庁の主張に沿った判断をしてアンケート調査の有効性を否定しているのですが、そもそも法律的な観点からこのアンケート調査には問題があったのではないかと思われます。

というのは、このアンケートでは、要するに、問題の表示を見せて「購入したい」と思う人がどれだけ増えるかを調べているわけですが、有利誤認表示が成立するためには、

「商品又は役務の価格その他の取引条件について、実際のもの・・・よりも取引の相手方に著しく有利であると一般消費者に誤認される表示」(景表法5条2号)

であればよいので、買いたくない人に買いたいと思わせる必要はないからです。

つまり、表示を見てお得だと思って買ったけれど、実は、表示から理解されるほどにはお得ではなかった(なのでちょっと損した気にはなるけどやっぱり買った)、というのでも、有利誤認表示になります。

たとえば、2012年のコスモスイニシアに対する措置命令では、同社が販売していたマンションについて、鉄筋コンクリートの水セメント比が全て50%以下であるかのような表示をしていたのに、実際には、対象物件の鉄筋コンクリートのうち、外構の塀、花壇の基礎、土間など建物本体以外の部位の一部については、水セメント比が50%を超えるコンクリートが施工されていた、というので措置命令がなされています。

このマンションを買った人が、花壇の基礎の水セメント比率が実際どおりとわかっていたら買わなかったか、といえば、まずそんなことはないと思います。

中には補償を求める(減額交渉する)人もいるかもしれませんが、ほとんどの人はそれさえもしないでしょう。

つまり、買うか買わないかという意思決定に影響しない不当表示でも(あるいは、不当表示と購入意思決定の間に因果関係がなくても)、問題なく、不当表示になるのです。

ちょっと経済学的な説明をすると、「買うか買わないか」というのは、価格が支払意思額を超えるか超えないか、というレベルの問題ですが、不当表示は、不当表示により支払意思額を上げれば成立する、ということです。

つまり、不当表示の結果、

不当表示のない状態では支払意思額が価格を下回っていた人が、不当表示により支払意思額が価格を超えると、買わなかった人が買うことになりますし、

不当表示のない状態ですでに支払意思額が価格を上回っている人は、不当表示があってもなくても買うけれど不当表示になることに変わりはないし、

不当表示のない状態で支払意思額が価格を下回っていて、不当表示後の支払意思額が引き続き価格を下回っている人は、いずれにしても買わないけれど、こういう人との関係でも不当表示は成立しますので、

いずれにしも(支払意思額が上昇する限り、購入の意思決定に影響がなくても)不当表示は成立します。

景表法が競争法であった時代には、競合他社から不当に需要を奪うこと(競争をゆがめること)が不当表示の問題点だったので、競合他社から顧客を奪わない限り違法ではない、という議論も不可能ではなかったかもしれません。

しかし、今や景表法は消費者保護法ですから、条文どおり、「表示を見てお得だと思ったのに、表示から理解されるほどにはお得ではなかった(「実際のもの・・・よりも取引の相手方に著しく有利であると一般消費者に誤認」)という場合でも違反になることに異論の余地はないと思います(条文どおりなのであたりまえですが)。

アマゾンとしては、「購入したい」という人の割合くらいしかアンケートで測定できる設問がなかったのでこういうアンケートにならざるをえなかったのかもしれませんし、それを理解した上で、「購入したい人の割合が増えないなら、実際より有利と思う人の割合も増えないだろう」という論理を噛ませて、こういうアンケートにしたのかもしれません。

あるいは、たんに「3000円」という表示と「通常5000円のところ、3000円」という表示を見せたら、後者のほうがお得に見えるに決まっていて、どっちがお得に見えるかダイレクトに聞いたら負けるに決まっているから、購入したいかどうかを聞くことにしたのかもしれません(深読みのしすぎかもしれませんが)。

しかし、消費者庁が、統計学や社会調査上の批判はしながら(その中には妥当なものも、そうでないものもあります)、法律の執行官庁なのに、肝心の法律上の批判をしないのは、なんだかなぁ、という感じがします。

2021年8月 4日 (水)

アマゾン事件判決の表示主体性に関する判示とアフィリエイト

アマゾンの景表法違反についての措置命令取消請求訴訟一審判決(東京地裁令和元年11月15日判決)では、アマゾンの表示主体性について、

「ア 本件においては,原告が,

①本件ウェブサイトを運営していること及び

②自らも,本件ウェブサイト上で,商品を販売していること

の各事実は,いずれも当事者の間に争いがない。また,当事者の間に争いのない事実及び弁論の全趣旨によれば,原告は,

③本件ウェブサイト上に,いつ,何を,どこに,どのように表示をするのかという仕組みを自由に決定することができること,

④原告と出品者が同一の商品を販売している場合,当該商品の販売価格は,原告が販売するものは原告が使用するシステムが,出品者が販売するものは出品者が,それぞれ決定し,原告が使用するシステムがした総合評価の結果に従って,1つの販売者が設定した販売価格が商品詳細ページの中央部分に表示される仕組みを構築していること,

⑤原告が販売者となっている商品について,○A 誰も参考価格を入力していない場合には,当該商品の商品詳細ページには参考価格は表示されない,○B ■■■■という仕組みを構築していることの各事実も認められる。

イ その上で,

⑥本件5商品については,いずれも原告が販売者であり,その旨が本件5商品の商品詳細ページにも表示されていたこと(「この商品は,Amazon.co.jpが販売,発送します。」との表示がされていたこと。前提事実(3)ア(エ))

も併せ考慮すると,

本件においては,原告が,一定の場合に二重価格表示がされるように本件ウェブサイト上の表示の仕組みをあらかじめ構築し,当該仕組みに従って二重価格表示である本件各表示が実際に表示された本件5商品について,原告が,当該二重価格表示を前提とした表示の下で,自らを本件5商品の販売者として表示し,本件5商品を販売していたのであるから,

原告は,本件各表示について,表示内容の決定に関与した事業者といえるのであって,本件各表示の表示者は,原告であると認められる。」(公開版判決p82~83)

と判示されています。

短くまとめると、アマゾンは、

①本件ウェブサイトを運営している

②本件ウェブサイト上で商品を販売している

③本件ウェブサイト上に,いつ,何を,どこに,どのように表示をするのかという仕組みを自由に決定することができる

④販売価格が表示される仕組みを構築している

⑤〔「参考価格」の表示の仕組み〕

⑥本件5商品を販売しており,その旨が本件5商品の商品詳細ページに表示されていた

ことから、アマゾンは、

(A)二重価格表示の仕組みを構築し,

(B)当該仕組みに従って二重価格表示である本件各表示が表示された本件5商品について,当該二重価格表示を前提とした表示の下で,自らを本件5商品の販売者として表示し,本件5商品を販売していた

ので、

アマゾンは,本件各表示について,表示内容の決定に関与した事業者といえる

ということです。

ここで、③(仕組み決定権)と、④(仕組み構築)と⑤(「参考価格」の表示の仕組み)は、①(サイト運営)から必然的に帰結するので、論理的には余分(無意味)です。

あるいは、「あれば役に立つかもしれないけれど、必須ではない」というくらいの扱いです。

次に、②(商品販売)については、商品供給主体性の話なので、現在の景表法の標準的な解釈によれば表示主体性とは無関係であり、表示主体性の根拠として挙げるのは不適切だと思います。

もし、旧来型の、ベイクルーズ事件のような、商品に貼り付けるラベルの記載の表示主体性が問題になっている事案なのであれば、商品に添付されるラベルの内容を決定できるのは商品供給者であろうという推認がはたらくので、商品供給主体性が表示主体性に直結するということはありえますが、本件のように、ウェブサイトでの表示が問題になっている場合には、商品供給主体かどうかは、そのサイトにおける表示の表示主体性の問題とは、基本的に関係がないように思われます。

次に、⑥(販売主体性の表示)については、これも、商品供給主体が表示主体であるとの推認がはたらく商品添付のラベルのような事案であれば表示主体性の判断に関係するかもしれませんが、本件のような、ウェブサイトにおける表示の表示主体性が問題になっている事案においては、販売者が誰なのかと同様、販売主体を誰と表示しているのかということは、表示主体性の認定とは関係がないように思われます。

そもそも、アマゾン事件判決が依拠しているベイクルーズ事件判決の1つの特徴は、表示主体性は当該事業者が表示内容の決定に客観的事実として関与しているかどうかできまるのであって、表示主体を誰と表示しているのかは表示主体性の認定において考慮しない、という点にあります(明言はしていませんが)。

このように、ベイクルーズ事件判決に従えば、表示主体を誰と表示しているのかが表示主体性認定において考慮されない以上、それよりもさらに遠い、商品供給主体を誰と表示しているのかが考慮されるはずがないと思われます。

以上をまとめると、アマゾン事件判決は、①(サイト運営)だけで表示主体性が認められる、という判決であることがわかります。

「そんなことはないだろう。判決はアマゾンの仕組み構築などを重視しているじゃないか。」という反論があるかもしれませんが、そんなことはありません。

というのは、判決p87で、他のインターネットモールの事例(たぶん楽天)においては二重価格表示の仕組みを利用した出品者が表示主体とされているじゃないかと主張したのに対して、

「イ(ア) 原告は,他のインターネット上の小売業者に関する二重価格表示の事例(甲33)においては,当該小売業者が二重価格表示を可能とする仕組みを構築したにもかかわらず,当該仕組みを利用した出品者が表示主体であるとされているから,二重価格表示を表示する仕組みを構築したか否かは,表示主体性を判断するに当たって考慮される要素ではない旨主張する。

しかし,証拠(甲33)によれば,原告が指摘する事例においても,

消費者庁は,本件ウェブサイトと同様のウェブサイトを運営するインターネット上の小売業者〔たぶん楽天〕に対して景表法違反とならないための必要な措置を講じることを要請したという事実関係があったことが認められるにとどまるのであり,

消費者庁が,当該ウェブサイトにおける二重価格表示について,当該ウェブサイトを運営するインターネット上の小売業者が当該表示の表示者ではない旨を明らかにしたなどの事実関係が認められるものではないから,原告が指摘する事例は,原告の主張するところに沿うものとは認められない。」

と判示されているのです。

つまり、(たぶん)楽天の事案でも、消費者庁はサイト運営者が表示主体になると言っている(表示者にならないとは言っていない)、というのが判決の理解であるわけです(別途商品供給主体性の検討は必要)。

というわけで、アマゾン事件判決は、本音のところでは、①(サイト運営)の事実だけで表示主体性が認められる、と考えていると思われます。

そのほかの、二重価格表示がされる仕組みの構築などの点については、表示内容の決定への「関与」をより強める事情(納得感を強める事情)であるに過ぎない、というべきでしょう。

次に、アマゾン事件判決の考え方に従えば、アフィリエイトプログラムにおける表示主体はどのように判断されるでしょうか。

単純に考えれば、二重価格表示の仕組みを構築したアマゾンが表示主体となるのですから、アフィリエイトプログラムの仕組みを利用した広告主も表示主体となる、というのが穏当な結論でしょう。

ただ、ベイクルーズ事件判決の基準をアマゾン事件にまで適用するのは納得できますが、アフィリエイトプログラムにまで単純な論理に従って広げて良いのか(アフィリエイトはベイクルーズ事件判決の射程内か)は、疑問があります。

というのは、ベイクルーズ事件は、ズボンに付けたタッグと下げ札の表示が問題になった事件です。

この場合、誰が見ても、そのタッグと下げ札は供給主体(八木通商またはベイクルーズ)が付けたものであることがあきらかであり、その表示内容を商品供給主体が決定していることも、外形上ほぼ明らかです。

ベイクルーズ事件判決は、このような事実関係を当然に(暗黙に)前提としています。

外形上、その商品の広告(表示)であることが明らかだからこそ、「表示内容の決定に関与」という、ゆるい基準でも問題なかったといえます。

もう少し細かく見ると、ベイクルーズ判決は、

「上記の「他の事業者にその決定を委ねた事業者」とは,⾃⼰が表⽰内容を決定することができるにもかかわらず他の事業者に表⽰内容の決定を任せた事業者をいう」

と述べています。

この、「自己が表示内容を決定することができる」というのは、商品に付けるタッグや下げ札だからこそいえるものです。

さらに細かく言えば、もし八木通商がタッグも下げ札もないズボンをベイクルーズに販売し、ベイクルーズが自分でタッグと下げ札を付けて、そのタッグと下げ札に不当表示があった場合、八木通商が表示主体になるのか、というと、やや微妙です。

(実際の事件では、ベイクルーズがタッグと下げ札を付ける作業を八木通商に委託して八木通商自身が付けているので、八木通商は問題なく表示主体になりました。)

場合を分けて考えると、実際の事案のように、八木通商が原産国をイタリアとベイクルーズに説明していたとしても、八木通商は表示主体にはならないように思われます。

というのは、八木通商は表示物(表示内容ではなく)を作出していないからです。

ましてや、もし原産国とは関係のない表示についてベイクルーズがタッグと下げ札に不当表示をしたときは、八木通商は表示主体にならないでしょう。

これをベイクルーズ判決になぞらえて言えば、八木通商は、自己が引き渡したあとの商品については、「自己が表示内容を決定すること」ができない(表示内容決定権限がない)、ということになると思われます。

この「自己が表示内容を決定することができること」(表示内容決定権限)は、基本的には、取引界の実態に即して常識的に決められるべきものと思われます。

つまり、当事者間の契約は、一つの判断要素にはなるけれども、決定的な要素ではない、ということです。

たとえば、もし八木通商とベイクルーズとの間の契約書に、「ベイクルーズが商品にタッグを付けるときには、その内容について事前に八木通商の了解を得ること」というような、八木通商の表示内容決定権限を根拠づける条項が仮にあったとしても、それだけでは、八木通商が当然に表示主体になることはないと思います。

ベイクルーズが八木通商に無断で下げ札の内容を決定した場合は八木通商が表示主体にならないのは当然でしょう。

この場合まで、契約上表示内容決定権限があったからといって八木通商を表示主体とするのは、取引の常識に照らして厳しすぎます。

そして、ベイクルーズが下げ札の表示内容について事前に八木通商の了解を得ていたり、八木通商が表示内容を事実上知っていたりしても(お店に並んでいれば誰でも知り得ますし、インターネットで販売していたらネットで下げ札を見ることもあり得るでしょう)、やはり、八木通商を表示主体にすべきではないでしょう。

というのは、いったん引き渡した商品についてあとからどういう表示がなされるのかについてまで、いつまでも気を配らないといけないというのは、常識に照らしておかしいと思われるからです。

このように考えると、「自己が表示内容を決定することができること」(表示内容決定権限)については、アマゾン事件ではアマゾンに肯定されて然るべきでしょう。

商品が売られているのも、表示がされているのも、アマゾンが運営しているサイトですから、アマゾンが「表示内容を決定することができること」(表示内容決定権限があること)は、(仕組み構築の有無にかかわらず)明らかだからです。

いわば、アマゾンの表示は、商品についているタッグや下げ札に非常に近いです。

では、八木通商やベイクルーズがタッグや下げ札の表示内容を決定することができるというのと同じ意味において、アフィリエイトプログラムを利用する広告主がアフィリエイターの記事の内容を自ら決定することができると言えるのか、といえば、言えないと言わざるを得ないと思われます。

ここで問題は、「表示内容」と言うことの意味をどう考えるか、です。

1つの考え方は、「表示内容」は、不当表示に該当するかが問題になっている表示の内容である、という考え方です。

理由は、景表法は不当表示にしか関心がないのだから、不当表示の土俵だけで議論すればいい、ということです。

この考え方に従えば、不当表示に該当する表示内容について広告主に是正権限があれば、広告主が「表示内容を決定することができる」ことになります。

別の考え方としては、「表示内容」は、不当表示になるかどうかにかかわらず、文字どおり、表示内容全てを意味する、という考え方です。

この考え方は、「表示内容」という言葉の意味には忠実です。

そして、この考え方に従えば、広告主がアフィリエイターの記事のうち不当表示に該当する部分についてだけ是正を求めることができる(不当表示に該当しない限りアフィリエイターが自由に内容を決めてよい)、という場合には、広告主は「表示内容を決定することができる」ことにはならないと思われます。

そして実際には、広告主がアフィリエイターの記事の内容全般にわたって指示することができる、というようにはなっていません。

ということは、「⾃⼰が表⽰内容を決定することができる」というベイクルーズ判決の基準では、アフィリエイトにおいて広告主を表示主体とすることはできないのではないか(少なくとも、当然にできるとベイクルーズ判決を読むことは不適切ではないか)、ということです。

つまり、アフィリエイトにおいて広告主を表示主体とするためには、ベイクルーズ判決を一歩踏み越えないといけません。

ただ、ベイクルーズ判決自体が、

「「表⽰内容の決定に関与した事業者」とは,「⾃ら若しくは他の者と共同して積極的に表⽰の内容を決定した事業者」のみならず,「他の者の表⽰内容に関する説明に基づきその内容を定めた事業者」や「他の事業者にその決定を委ねた事業者」も含まれるものと解するのが相当である」

というように、あくまで「他の事業者にその決定を委ねた事業者」というのは例示であることを明らかにしていますので、「自己が表示内容〔の全部〕を決定することができる」というのが、「表示内容の決定に関与」の絶対の要件であるというわけではありません。

このように考えると、アフィリエイトの広告主を表示主体とするためには、ベイクルーズの3類型に加えて、第4類型を作るしかない(あるいは、作った方がいい)と思われます。

仕組みを構築したこと(私の読み方では、サイトを運営していること)で表示主体性を認めるアマゾン判決は、すでに第4類型に半歩踏み出しているのかもしれません。

というのは、確かにアマゾンの仕組みでは「参考価格」の入力画面があったので、二重価格表示がやりやすかった、という事情は認められますが、別に何の仕組みも作らないで各出品者が自由に表示できるサイトだってありうるわけで、その場合に二重価格表示が行われたときも、二重価格表示を可能とするサイト表示の仕組みを採用した(二重価格表示ができないようにはしなかった)と、言おうと思えば言えるわけです。

いわば白紙委任です。

とすると、やはり、実質的な意味での表示内容決定権限があったことが必要なのではないかと思われますし(アマゾン事件では肯定されるでしょう)、もう一つ、どの範囲の表示にまで事業者は責任を負うべきか(表示の責任範囲)という問題を正面から考えざるを得ないように思われます(アマゾン事件では自社サイトだったので、これも認定は容易でしょう)。

たとえば、八木通商は、商品を引き渡したあとにベイクルーズが付ける表示にまで責任を負うのか、という問題です(結論は否定すべきでしょう)。

この、表示の責任範囲ということを正面から捉えれば、アフィリエイトプログラムを利用する広告主は、自らお金を出してアフィリエイト広告を書かせているわけですから、アフィリエイト広告の内容に当然責任を負う、というべきでしょう。

インターネットにおいては、ベイクルーズ判決がいうような、消費者は商品に付された表示を信じるしかないという事情もないですし、インターネットの性質からしても、商品と表示の距離は責任範囲の判断において考慮する必要はないでしょう。

アマゾン事件でもアマゾンは、表示の数が多すぎて管理できないと反論して退けられていましたが、アフィリエイトでも事情は同じで、アフィリエイトサイトの数が多いから管理できないというのは、言い訳にはならないというべきでしょう。

強いてアマゾンとアフィリエイトの違いを探せば、アマゾンは自社サイトでの表示(それだけ責任範囲に入りやすそう)だったのに対して、アフィリエイトの場合は広告主からすれば見ず知らずのアフィリエイトサイトでの表示だった、という違いがありますが、これも取るに足りない違いだと思います。

2021年7月30日 (金)

T.Sコーポレーションに対する措置命令について

2021年3月3日、T.Sコーポレーションが、「BUBKA ZERO」という名称の育毛剤のアフィリエイト広告について、優良誤認で措置命令を受けました

この事例はアフィリエイト広告(アフィリエイターがアフィリエイトサイトに書いた日記風記事広告)そのものが広告主(メーカー等)の表示であるとして措置命令が初めてなされたものとして注目されています。

措置命令によると、T.Sコーポレーションの問題の行為は、

「⑶ T.Sコーポレーションは、本件商品の販売に関し、

ブログその他のウェブサイトの運営者(以下「アフィリエイター」という。)が当該ウェブサイトに当該アフィリエイター以外の者が供給する商品又は役務のバナー広告等を掲載し、一般消費者がバナー広告等を通じて広告主の商品又は役務を購入したり、購入の申込みを行ったりした場合など、あらかじめ定められた条件に従って、アフィリエイターに対して、広告主から成功報酬が支払われる「アフィリエイトプログラム」と称する広告手法を用いているところ、

T.Sコーポレーションは、アフィリエイトプログラムを実現するシステムをサービスとして提供する「アフィリエイトサービスプロバイダー」と称する事業者を通じて、本件商品に係る本件アフィリエイトサイト①及び本件アフィリエイトサイト②の表示内容を自ら決定している。」

と認定されています。

アフィリエイトプログラムでは、アフィリエイト広告の内容は基本的に各アフィリエイターが創意工夫を凝らして書くものなので、広告主であるT.Sコーポレーションがアフィリエイト記事広告の「表示内容を自ら決定している」というのは、アフィリエイトプログラムとしてはかなり異例だし、だからこそ本件はT.Sコーポレーション(広告主)に措置命令が出たのだな、というように一瞬見えますが、それは間違いです。

というのは、「表示内容を自ら決定している」というのは、措置命令の常套句であって、あまり深い意味はない(せいぜい、「その表示は名宛人の表示だ」というくらいの意味しかない)からです。

実際、「表示内容を自ら決定している」、「表示内容を自ら又は共同して決定している」といったキーワードで消費者庁のサイトを検索すると、措置命令がたくさんヒットします。

つまり、措置命令の「常套句」です。

別の言い方をすると、この「表示内容を自ら決定している」という言葉の意味は、ベイクルーズ判決の、「表示内容の決定に関与した事業者」の判断枠組である、

①自ら若しくは他の者と共同して積極的に表示の内容を決定した事業者

②他の者の表示内容に関する説明に基づきその内容を定めた事業者(=他の事業者が決定したあるいは決定する表示内容についてその事業者から説明を受けてこれを了承しその表示を自己の表⽰とすることを了承した事業者)

③他の事業者にその〔=表示内容の〕決定を委ねた事業者(=自己が表示内容を決定することができるにもかかわらず他の事業者に表示内容の決定を任せた事業者)

という枠組を意識して記述されたものでは必ずしもない、ということです。

T.Sコーポレーションの措置命令の、「表示内容を自ら決定している」に一番近いのは①(「・・・積極的に表示の内容を決定した事業者」)ですが、さすがにそれはないでしょうし、②もアフィリエイトでは考えられないので、あえてどれにあたるかと言えば③なのでしょうけれど、措置命令の記載は「委ねている」ではなく、「自ら決定している」なので、あまりベイクルーズ判決の枠組にこだわっていないとみるのが正しいでしょう。

「表示内容を自ら決定している」というのが、文字どおり名宛人が表示内容を決めているという意味ではないことをより積極的に裏付けているのがアマゾンに対する措置命令です。

アマゾンに対する措置命令では、アマゾンの違反行為として、

「⑶ア アマゾンジャパンは、本件ウェブサイトについて、実際の販売価格及び「参考価格」と称する価額を併記する仕組みを採用している。

当該仕組みにおいては、

実際の販売価格については、本件ウェブサイトを通じて一般消費者に商品を販売する自社を含む販売事業者(以下「出品者」という。)が本件ウェブサイトの商品情報登録画面中の「価格」欄に登録した価額が当該出品者の販売価格としてそれぞれ掲載される一方、

「参考価格」と称する価額については、後記イの方法により選定された一の価額が掲載される。

イ 本件ウェブサイトにおいて掲載される「参考価格」と称する価額には、

アマゾンジャパンが本件ウェブサイトの商品情報登録画面中の「参考価格」欄に価額の登録を行っている場合には、

他の出品者による登録の有無又は登録された価額にかかわらず、アマゾンジャパンが登録した価額が常に選定され、

アマゾンジャパンが価額の登録を行わない場合には、

他の出品者の中で最も顧客に信頼されると本件ウェブサイトのプログラムにより判定された出品者が登録した価額が選定される。

ウ アマゾンジャパンは、本件ウェブサイトを通じた商品の販売に際し、

当該商品の販売価格については自ら決定し、本件ウェブサイトに登録するとともに、

本件ウェブサイトの商品情報登録画面中の「参考価格」欄に登録する価額の決定及び登録については、当該商品の仕入先事業者に委ねている

エ アマゾンジャパンは、前記アないしウにより、本件ウェブサイトにおける本件5商品に係る表示内容を自ら決定している。」

という事実が認定されています。

このように、二重価格が表示される仕組みを採用した上で(ア、イ)、「参考価格」として表示される価格(の候補となる価格)の登録は仕入れ先事業者に委ねている(ウ)ことをもって、アマゾン自身が「表示内容を自ら決定している」(エ)と評価しているのです。

つまり、「表示内容を自ら決定している」というのは、文字どおり(なまの事実として)自ら決定しているという意味ではなくて、仕組みを利用して中身は委ねていることで自ら決定していることにあたるのだ、という法的評価の宣言なのです。

これとパラレルに考えると、T.Sコーポレーションの措置命令は、アフィリエイトプログラムの仕組みを用いていることで、広告主自身が表示内容を自ら決定していることになるのだ、という法的評価を宣言しているのだ、ということがわかります。

このように考えると、T.Sコーポレーションの事件は、広告主自身がアフィリエイターに代わってアフィリエイト広告の内容を考案するという特殊な事例についてアフィリエイト広告を広告主の表示だとしたのではなくて、およそアフィリエイトプログラムを使ったアフィリエイト広告は広告主自身の表示なのだ、とした事例であるといえます。

私は、広告主がお金を払って広告を書かせている以上広告主が責任を負うのは当たり前(なぜそうでないという意見が出てくるのか理解できない)だと思っていますので(お金を出して書かせている以上、自ら表示をした、と評価できるのも当たり前)、T.Sコーポレーションの措置命令の結論には100%賛成ですが、その書きぶりとして、「表示内容を自ら決定している」という常套句を使ったのは、ちょっと不親切だと思います。

これだと、アフィリエイトプログラムを使った広告主の中で、アフィリエイト広告の内容を自ら作成した広告主だけが責任を負うのだ、という誤解が生じかねないと思います。

ちゃんと、アマゾンの措置命令のように、「委ねている」ことをもって「表示内容を自ら決定している」と評価しているのだ、と書いた方がよかったと思います。

それを表現しようとしているのが、おそらく、

「T.Sコーポレーションは、アフィリエイトプログラムを実現するシステムをサービスとして提供する「アフィリエイトサービスプロバイダー」と称する事業者を通じて、本件商品に係る本件アフィリエイトサイト①及び本件アフィリエイトサイト②の表示内容を自ら決定している。」

の「「アフィリエイトサービスプロバイダー」と称する事業者を通じて」という表現なのでしょうけれど、これだと、アフィリエイトサービスプロバイダーに表示内容を伝えて、その内容どおりにアフィリエイターに記事を書かせた、という認定だと読まれかねません。

こういうのを、霞ヶ関文学ならぬ、「消費者庁文学」と呼ぶのかどうかわかりませんが、「表示内容を自ら決定している」という一見平易な表現を特別な意味に使うのは、国民に対して不親切であり、あまりよろしくないと思います。

この事件もいずれ担当官解説が「公正取引」に載るでしょうから、楽しみに待ちたいと思います。

2021年7月29日 (木)

ベイクルーズ判決とアフィリエイト広告

アフィリエイト広告(アフィリエイターが書く記事風広告)の表示主体が広告主(商品役務の供給者)なのか、という問題についてこれまでも言及され、今後も言及されることが多いと思われるベイクルーズ判決について、同判決を本当にアフィリエイトに適用するのが正しいのか、少し考えてみます。

ベイクルーズ事件の事実関係をベイクルーズと八木通商に対する排除命令書から抜粋すると、

「(3) ベイクルーズ

八木通商に対して,

ジー・ティー・アー社製ズボンを発注するに当たり,

輸入者としての八木通商の商号等が記載された家庭用品品質表示法に基づく品質表示タッグ及びベイクルーズの商号等が記載された下げ札の作成並びに商品への取付け委託しており,

八木通商

同品質表示タッグジー・ティー・アー社製ズボンのウエスト部分の裏側

同下げ札同ウエスト部分

それぞれ取り付けて,

ジー・ティー・アー社製ズボンベイクルーズ納入している。」

「(4) ベイクルーズ

前記(3)の品質表示タッグ及び下げ札が取り付けられたジー・ティー・アー社製ズボン

同社の小売店舗において⼀般消費者に販売している。」

という部分です。

ここで、(3)は、八木通商の違反行為であり、品質表示タッグ(八木通商の商号記載)と下げ札(ベイクルーズの商号記載)が同社の違反表示です。

(4)は、ベイクルーズの違反行為であり、同じく、品質表示タッグと下げ札が同社の違反表示です。

アフィリエイトを考える上で注意すべきは、ベイクルーズ事件は、このように商品に付された表示(品質表示タッグと下げ札)についての判断だ、ということです。

この点、アフィリエイトのように、商品自体はもちろんのこと、メーカー(広告主)のウェブサイトからも遠く離れたアフィリエイトサイトに表示される広告の場合に、ベイクルーズ判決をそのまま適用してよいのかは、要検討です。

次に、ベイクルーズ判決の規範部分ですが、少々長いですが大事なのでそのまま引用すると、まず同判決は景表法の趣旨について、

「景品表示法の目的は,商品及び役務の取引に関連する不当な景品類及び表示による顧客の誘引を防⽌することにより,公正な競争を確保し,もって⼀般消費者の利益を保護することにあり(同法1条),

このような目的を達成するために,景品表示法は,「事業者は,自己の供給する商品又は役務の取引について,次の各号に掲げる表示をしてはならない。」と規定して(同法4条1項柱書),事業者に対し,不当に顧客を誘引し公正な競争を阻害するおそれがある表示をすることを禁じており,

そして,その違反⾏為があった場合には,公正取引委員会は「当該事業者に対し,その行為の差止め若しくはその行為が再び行われることを防止するために必要な事項又はこれらの実施に関連する公示その他必要な事項を命ずることができる。その命令は,当該違反行為が既になくなっている場合においても,することができる。」と規定して(同法6条1項),一般消費者の誤認を排除する措置及び再発を防止する措置をとるよう命じる排除命令を事業者に対して発することができることとしている。」

としています。

公取委の時代なので「公正な競争」となっていますが、この部分はあまり解釈論上の差をもたらさないと考えられているので、無視してよいでしょう。

これに続けてベイクルーズ判決は、

「以上のような法の趣旨〔=一般消費者の利益保護〕に照らし,また,同法4条1項は不当表示を行った違反者に対して民事的・刑事的な非難を加えてその責任を問うたり刑罰を課したりするものではないことをも考慮して,

同法4条1項3号に該当する不当な表示を行った事業者(不当表示を行った者)の範囲について検討すると,

商品を購入しようとする一般消費者にとっては,

通常は,商品に付された表示という外形のみを信頼して情報を入手するしか方法はないのであるから,

そうとすれば,そのような⼀般消費者の信頼〔=商品に付された表示という外形の信頼〕を保護するためには,

「表示内容決定に関与した事業者」が法4条1項の「事業者」(不当表示を行った者)に当たるものと解すべきであり,

そして,「表示内容決定に関与した事業者」とは,

〔①〕「自ら若しくは他の者と共同して積極的に表示の内容決定した事業者」のみならず,

〔②〕「他の者の表示内容に関する説明に基づきその内容を定めた事業者」や

〔③〕「他の事業者にその〔=表示内容の〕決定を委ねた事業者」も含まれるものと解するのが相当である。

そして,上記の〔②〕「他の者の表⽰内容に関する説明に基づきその内容を定めた事業者」とは,

他の事業者が決定したあるいは決定する表示内容についてその事業者から説明を受けてこれを了承しその表示を自己の表⽰とすることを了承した事業者をいい,

また,上記の〔③〕「他の事業者にその〔=表示内容の〕決定をねた事業者」とは,

自己が表示内容を決定することができるにもかかわらず他の事業者に表示内容決定を任せた事業者をいうものと解せられる。」

としています。

さて、ここでも、ベイクルーズ判決は、一般消費者は「商品に付された表示という外形のみを信頼」するしかない、という点を強調しています。

これも、アフィリエイト広告とはずいぶんと違う想定です。

というのは、まず、表示の場所の問題として、アフィリエイト広告は、広告主のサイトとは離れたアフィリエイトサイトに表示されます。

また、表示の内容の問題として、アフィリエイト広告の特徴は、アフィリエイターが独自に作成する内容であることに本質的な意味がある、ということが挙げられます。

アフィリエイト広告では、アフィリエイターが、自ら使ってみた使用感などの感想や、使用経験に基づくランキングなどを投稿するわけですが、これは、本来的には、広告主がコントロールできることではありません。

むしろ、広告主自身が提供することができない情報を提供することで顧客を惹きつける点に、アフィリエイト広告の特徴があります。

広告主の提供する情報だけを見せるのであれば、アフィリエイト広告である必要はなく、バナー広告を別のサイト(アフィリエイトサイトでもよい)に貼り付ければよいだけの話です。

あと、これは病理的な現象としてですが、あたかも第三者によるレビューであるかのように見せる(広告主からの独立性を装う)という面もあります。

これらの、表示場所、表示内容(アフィリエイターの創造性)、広告主からの独立性の偽装、のいずれをとっても、商品に付された表示を前提に、「一般消費者は商品に付された表示を信頼するしかない」という想定とは、かけ離れていることがわかります。

上の引用部分ではあえて補足しましたが、

そのような⼀般消費者の信頼を保護するためには,

「表示内容決定に関与した事業者」が法4条1項の「事業者」(不当表示を行った者)に当たるものと解すべきであり,」

という部分の、

そのような⼀般消費者の信頼」

というのは、その直前の、

商品に付された表示という外形に対する一般消費者の信頼

のことであり、さらに言葉を足せば、

それを信じるしかないところの商品に付された表示という外形に対する一般消費者の信頼

ということでしょう。

このように見ていくと、ベイクルーズ判決の想定が、いかにアフィリエイト広告からかけ離れたものであるかがわかるでしょう。

まず、消費者が、アフィリエイト広告を「信じるしかない」ということはありえません。

消費者がアフィリエイト広告を目にすることになるのは、多くの場合、ある商品(たとえばカーオーディオに差し込んで使うのに適したUSBメモリ)を探すためにインターネットを検索する場合でしょう。

たとえば、「マツダコネクト」、「USB」、「おすすめ」なんていうキーワードで検索します。

またこれとは別に、いわゆるインフルエンサーのアフィリエイトサイトなどを日常的に見ている消費者は、そこでお勧めされる商品のリンクをクリックして商品を買う、ということもあるでしょう。

いずれの場合であっても、消費者は、商品を積極的に探索していることがわかります。

決して、アフィリエイト広告の内容を信じるしかない、という立場ではありません。

さらにいえば、ベイクルーズ判決は、広告主が問題の表示を「自己の表示とすること」を前提にしています(ベイクルーズ事件が品質タッグと下げ札をズボンの小売店の「自己の表示」であるとした事案なので、これは自然なことではあります)。

つまり、②「他の者の表示内容に関する説明に基づきその内容を定めた事業者」の説明として、

「他の事業者が決定したあるいは決定する表示内容についてその事業者から説明を受けてこれを了承しその表示を自己の表⽰とすることを了承した事業者」

と述べていますが、この「自己の表示とすること」は、当然のことながら、①と③でも前提とされていると考えられます(そう考えない理由が思い当たりません)。

そうすると、とくにアフィリエイトとの関係で問題になる、

③「他の事業者にその〔=表示内容の〕決定をねた事業者」

=「自己が表示内容を決定することができるにもかかわらず他の事業者に表示内容決定を任せた事業者」

についても、

「自己が自己の表示の表示内容を決定することができるにもかかわらず他の事業者に自己の表示の表示内容決定を任せた事業者」

というように補わなければならないのではないか(それがベイクルーズ判決の言っていることではないか)、という気がします。

ここで念のために述べておくと、ベイクルーズ事件では、品質タッグには八木通商の名前が入っており、下げ札にはベイクルーズの名前が入っていますが、品質タッグも下げ札も、ベイクルーズ(=自己)の表示、という扱いです。

品質タッグは八木通商(=自己)の表示で、下げ札はベイクルーズ(=自己)の表示、というのではありません。

このことは、同時に排除命令がなされたビームズやユナイテッドアローズでは、品質タッグにも下げ札にも八木通商の名前は出ていないにもかかわらず八木通商が違反者とされていることから明らかです。

つまり、「自己の表示とする」ということと、自己の名義を表示するということには、何の関係もありません。

さて、このように、「自己の名義を表示する」ことと「自己の表示とする」こととは何の関係もない、ということからすると、広告主の名義が表示されないアフィリエイト広告を広告主の「自己の表示」であるとしてもいいのではないか、という発想が自然に浮かぶと思います。

そして、そのような素朴な発想に素直に従えば、アフィリエイト広告は、広告主が内容の決定を含め自己(=広告主)の表示とすることをアフィリエイターに委ねた広告主自身の表示であると考えて差し支えない、という結論に結びつきそうです。

しかし、私の疑問は、既に述べたようにアフィリエイトのような形態をまったく想定していないベイクルーズ判決の文言を、妥当な解決が図れる(※妥当かどうかは意見が分かれるでしょうけれど)というだけの理由で、アフィリエイトにそのまま適用してよいものか、ということです。

私は、判決の規範や法令の条文は一人歩きするのが当然であり、その背景や趣旨に遡って文言とは反対の結論を導いたりするのは、できるだけやらないでおきたいと思っています。

きっと実務家にはそういう人が少なくないと思います。

というのは、文言を一人歩きさせないと、つまり、文言の趣旨背景にまでいちいち遡って判断しないといけないとなると、その分野の専門家しか正しい結論を導けなくなり、大変なことになるからです(専門家は儲かるかもしれませんが)。

そういう趣旨背景をいちいち読みなおさないと正しい判断ができない規範というのは、やっぱり規範としてできが悪いのであって、ベイクルーズ判決でいえば、「表示内容の決定を委ねた」というのは、ちょっと広すぎるのだと思います。

つまり、ベイクルーズ事件のような、商品にくっついた表示であり、イタリア産のズボンという趣味品で広くCMや雑誌で広告されるわけでもなく、ほかに情報を得る術もない、という商品と表示の関係なのであれば、「自分で決定できるのに他人に任せた」というので責任を負わせても問題ないでしょう。

でも、アフィリエイトは事情がまったく異なるので、「委ねた」というので責任を広告主に負わせてよいのか、ということを今一度考える必要があるように思うのです。

ベイクルーズ判決もいうように、排除命令(現在の措置命令)は刑事や民事の責任を問うものではありませんが、当時と異なり現在は課徴金もある、ということも考えないといけません。

(ただ、私は、課徴金がかかるという理由で表示主体性を狭く解するべきだとは考えていません。)

もしベイクルーズ判決の土俵でアフィリエイト広告を処理するなら、どのような場合に、表示内容の決定を「委ねた」といえるのか、を議論していく、ということになるのでしょう。

たとえば、アマゾン事件では、二重価格表示が表示される仕組み(比較対照価格が決まる仕組みも含む)をアマゾンが作っていたことが「委ねた」の要素として重視されていますが、では、アフィリエイトという仕組みを、そういうものだとわかりながら使っているというだけで、常に表示内容の決定を「委ねた」と言っていいのか、ということが問題になると思います。

私は、アフィリエイトの仕組みを知りながらそれを利用しているだけで「委ねた」にあたると考えていますが、なぜ、アフィリエイトならそのような解釈が許されるのか、考えてみないといけないと思っています。

たぶん、「委ねた」ということが本質的なのではなくて(そういう意味では「委ねた」というモノサシはややピンボケで)、表示作出にどれだけ加功したか、表示作出の駆動力(drive)になったか、が重要なのではないか、駆動力になっている場合には「委ねた」にあたる、というのでいいのではないか、とさしあたり考えています。

単に消極的に「丸投げ」したとか、「黙認」だけで「委ねた」というのは、ちょっと広すぎると思います。

そういう意味では、アフィリエイトは広告主が広告作成と掲載の対価としてお金を出しているので、完全にアウトだと思います。

将来いろいろな広告形態がでてきたときも、この、表示作出の駆動力になったか、で決める、というので、だいたい処理できるように思います。

駆動力(主にお金)がなければ、広告は世に出ないわけですから、合目的的な解釈でもあります。

あとは、広告内容作成と広告掲載の対価という形でお金を出すのか、販売価格と仕入価格の差額(マージン)という形でお金を出すのか(仕切売買の場合)、表示という狭い範囲ではなく販売促進活動一般という広い役務の対価としてお金を出すのか(委託販売の場合)、によって結論が違うのか同じなのかを詳細に考えていけばよいと思います。

また、現在の景表法は表示内容の虚偽にフォーカスした規制なので、ステマは「内容」の虚偽ではないので規制できない、というのが一般的な考え方でしょうから(私もそう思います)、「表示内容の決定を委ねた」という基準になっていますが、将来、表示主体を偽ることも不当表示なのだと法改正されたら、ベイクルーズ判決の基準は使えなくなりますし、アフィリエイトはまさに利害関係を隠すところにより大きな問題(あるいは独自の問題)があるので、あんまりベイクルーズの基準べったりだと、過去の議論に引きずられておかしな解釈が出てこないかも心配になります。

というわけで、アフィリエイトは考えないといけないことが盛りだくさんです。

2021年7月25日 (日)

アフィリエイターとテレビショッピングとの違い?

アフィリエイト広告について、西川編『景品表示法〔第6版〕』(緑本)p54では、

「アフィリエイト広告であっても、広告主〔=「広告される商品等を供給する事業者」〕の商品を販売するための広告であることに変わりはない。」

「広告主〔の〕・・・表示主体性についても・・・他の事業者に〔表示の内容〕の決定を委ねた場合等においては、表示内容の決定に関与しているものとして表示主体性が肯定される。」

と解説されています。

確かにアフィリエイト広告は、その仕組みや関係者の認識を含む実態からして広告主の商品等の広告というべきだと思うのですが、その判断基準として、(表示主体が他者に)表示内容の決定を委ねたことという漠然とした基準を用いると、表示主体が責任を負う表示の範囲が広くなりすぎるのではないかという気がします。

たとえば、ある掃除機メーカーが、テレビショッピングの会社に掃除機を売らせる場合、テレビショッピング番組での台詞や実演等の説明がメーカーの表示だということになってしまわないでしょうか。

実際にそういうことがあるのかどうかわかりませんが、分析の便宜上、アフィリエイトに近づけた想定にすると、テレビショッピング会社は、売れた掃除機の台数に応じてコミッションを受け取り、しかも、売買契約はメーカーと購入者との間に直接成立する、というのがわかりやすいかもしれません。

こういうケースだと、掃除機メーカーがテレビショッピング番組会社に「表示内容(例、テレビショッピング番組での台詞や実演)の決定を委ねた」ということで、表示内容(テレビショッピング番組での台詞や実演)には何ら具体的な指示や協議をしていない場合でも、表示内容の決定に関与しているものとして、掃除機メーカーがテレビショッピング番組での台詞や実演の表示主体になるのでしょうか?

上で引用した緑本の解説だと、

テレビショッピング番組であっても、広告主〔=「広告される商品等を供給する事業者」〕の商品を販売するための広告であることに変わりはない。」

といわれると確かにそのとおりなので、結論としては、

「〔テレビショッピングの〕広告主〔の〕・・・表示主体性についても・・・他の事業者に〔表示の内容〕の決定を委ねた場合等においては、表示内容の決定に関与しているものとして表示主体性が肯定される。」

なる、ということにならざるをえないような気がします。

でも、それってちょっと行き過ぎではないでしょうか。

アフィリエイトから少し遠ざけて、やや実態に近づけた想定としては、テレビショッピング番組会社は掃除機メーカーから掃除機を仕入れて、それを自己の番組で販売する、というパターンも考えられます。

しかし、上記のコミッションベースの委託販売の場合と、テレビショッピング番組会社による通常の買取の場合とで、掃除機メーカーの表示主体性に違いが出る、という理屈も立ちにくいように思われます。

そして、もしテレビショッピング番組での台詞や実演が掃除機メーカーの表示だ(∵掃除機メーカーがテレビショッピング会社に表示内容の決定を委ねているので)ということになると、スーパーのPOP表示や実演も、仕入れ先メーカーや卸の表示だ(∵仕入れ先はスーパーに表示内容の決定を委ねているので)、というところまで行ってしまうのではないでしょうか。

そうなると、商品を棚に並べただけではパッケージに不当表示があっても小売店は表示主体にならないのに、商品について小売店が行った表示(POP表示や実演)についてはメーカーは責任を負う、みたいなことになって、いかにもアンバランスなような気がします。

直感的には、

アフィリエイト広告は、広告内容に広告主が口を挟んでいようといまいと広告主の表示だ

けれど(この、「広告主の表示」における「の」がどういう意味なのかが実はとても重要なように思うのですが、ひとまず措きます。「広告主の表示」であって、「商品の表示」ではない、という点にも要注意です)、

テレビショッピング番組の台詞は、商品供給者(掃除機メーカー)が台詞の内容に口を挟んでいない限りテレビショッピング会社の表示だ

というのが何となく常識的な気がします。

この違いはどこからくるのでしょうか?

困ったときは条文です。

景表法2条4項は、「表示」を、

「顧客を誘引するための手段として、事業者が自己の供給する商品又は役務の内容又は取引条件その他これらの取引に関する事項について行う広告その他の表示であつて、内閣総理大臣が指定するもの」

と定義しています。

内閣総理大臣の指定は縛りになっていないので、表示は、

①誘引手段性

②供給主体性

③取引関連性

の3つからなる、といえます。

しかし、この3つの要素では、アフィリエイトとテレビショッピング番組を区別することはできなさそうです。

そこで、景表法5条柱書をみると、

「事業者は、自己の供給する商品又は役務の取引について、次の各号のいずれかに該当する表示をしてはならない。」

と規定されており、誰が「表示をし」たのか(表示主体性)の問題なのだ、ということが理解できます。

そして、緑本p55では、

「表示主体性が認められるか否かは、

過去から違反行為発生時点までの表示のやり方の状況、

当該表示の成立の経緯

表示についての経費の負担

表示の掲示・配布の状況など

の具体的事情を勘案して、「表示内容の決定に関与した事業者」に当たるか否かによって判断すべき」

とされています。

つまり、「表示内容の決定に関与した」かどうかは、文字どおり内容決定に関わったかどうかというだけではなくて、表示にまつわる様々な事情を総合的に考慮して決めるのだ、といっているようです。

でもよく考えてみると、これって、「表示内容の決定に関与した」という日本語の意味を超えていると思います。

たとえば、「表示のやり方」の決定に関与したのなら、まさに「表示内容の決定に関与した」ことになるのでしょうけれど、たぶんここで緑本がいいたいのはそういうことではなく、文字どおり、「やり方の状況」(たとえば、問題の表示がどのウェブサイトのどの部分にどのような形、見え方で表示されるのか、といった状況)を表示主体性の判断において考慮する、といいたいのだと思われます。

「表示の成立の経緯」というのは何を想定しているのかよくわかりませんが、表示の内容がどのように確定したのかの経緯において表示者が関与した事実という意味であれば、「表示内容の決定に関与した」そのものですが、それを超えることを想定しているように見えます(そうでないとあえて挙げるほどの事情ではないでしょう)。

「経費の負担」はかなり重要で、アフィリエイト広告に対して広告主が報酬を払う仕組みであった以上、広告主の表示主体性は当然に認められるべきだと思いますが、報酬の支払いを「表示内容決定への関与」と言っていいのか、言葉の問題として大いに疑問のありうるところです。

それに、今問題にしているアフィリエイターとテレビショッピングの区別として、この「経費の負担」の基準が使えるのかというと、これもなかなか微妙です。

アフィリエイト広告の場合は、前述のように、成功報酬型なので、広告主が表示についての経費を負担しているといいやすいでしょう。

これに対して、テレビショッピングの場合には、もし、掃除機メーカーがテレビショッピング会社に商品を販売するだけで番組作成のための経費を負担しないなら、確かに、表示についての経費を掃除機メーカーが負担しているとは言えず、テレビショッピング番組での台詞等は、掃除機メーカーの表示ではなく、テレビショッピング会社の表示である、ということになりそうです。

このように、経費負担を基準にするとアフィリエイトとテレビショッピングを常識的に区別することができそうですが、これを「表示内容の決定に関与した」に読み込むのは、やはりかなり無理がありそうです。

それに、もしテレビショッピングの場合に掃除機メーカーが番組放送の経費を負担していたら表示者になり、負担していなかったら表示者にならない、というのも、なんだかおかしな気がします。

掃除機メーカーからテレビショッピング会社への経済的利益の移転が、番組制作費用という名目でなされれば掃除機メーカーが表示者となり、通常より掃除機を安く仕入れることができる利益(値引き)という形でなされれば(掃除機メーカーは表示の経費は負担していないので)掃除機メーカーは表示者とはならない、というのも、ありうる解釈かもしれませんが、それなりの割り切りと合理的な説明が必要な気がします。

いずれにせよ、掃除機メーカーが番組制作費用を負担したら番組での台詞等の内容の決定に関与したことになり、掃除機を値引きで販売しただけなら台詞等の内容に決定に関与したことになる、というのは「関与」という日本語の意味からしてかなり無理な解釈だと思います。

「表示の掲示・配布の状況」については、むしろアフィリエイトの広告主のほうがテレビショッピングでの掃除機メーカーよりも「関与」が認められにくくなってしまいそうです。

というのは、アフィリエイトの場合、広告主とは無関係にみえるウェブサイトに表示が掲示されるのが通常であり、表示の掲示の状況からすると、広告主の広告っぽくないのに対して、テレビショッピング番組は(だれの広告かはさておき)誰がどう見てもその商品の広告だからです。

なので、ここでももし「表示の掲示・配布の状況」というのが、「表示の掲示・配布」の内容(どう掲示し、どう配布するか)の決定に関与したかどうかを考慮するという趣旨なら、場合によっては、表示内容の決定への関与そのものだということもありうるでしょう。

これに対して、ほんとうに、当該表示をどう掲示し、どう配布するかの決定だけに関与しただけなのだから表示内容の決定には関与していない、という場合もあるかもしれません。

ともあれ、緑本が挙げている「表示の掲示・配布の状況」というのは、文字どおり、表示がどのように掲示され、どのように配布されているのか、という客観的事実のことを意味しているのだと考えるのが、自然な読み方でしょう。

ここでも、掲示の状況だけをみれば、テレビショッピング番組のほうがいかにも宣伝っぽいので、掃除機メーカーの表示主体性は肯定される可能性がアフィリエイトの場合よりも高いように思われます。

ちなみに、興味があったので「もしもアフィリエイト」というアフィリエイトサービスプロバイダーのメディア(=アフィリエイトサイトのこと)登録ガイドラインを見てみたら、

「⾃然にアフィリエイトリンクに誘導するのではなく、アフィリエイトリンクをクリックするよう促す⾏為や表記」

は禁止事項とされていました。

たしかに、多くのアフィリエイト記事は、商品レビュー風の感想文であったり、類似商品のランキング形式であったりして、自然にアフィリエイトリンクに誘導する形のものが大半で、いかにも宣伝的なものとか、「ぜひこちをクリックして購入して下さい」といったような標記は、あまり見かけません。

もしそういう表記をしたら、このガイドラインに反するのでしょう。

つまり、善し悪しはひとまず措いて(ちなみに米国FTCのガイドラインでは、アフィリエイトは広告主との利害関係を明示せよとされています。)、日本では、アフィリエイトというのはむしろ広告主とは独立したように見せることが当然のこととされているみたいです。

このように考えると、「表示の掲示・配布の状況」という観点からは、アフィリエイトにおける広告主は、少なくともテレビショッピングにおける掃除機メーカーよりは、「関与」が認められにくい、ということになりそうです。

・・・というように、いろいろと考えてみると、表示の費用を負担している場合(アフィリエイト広告における広告主や、テレビショッピング番組制作費を負担している掃除機メーカー)には、表示内容の決定に関与していなくても、表示主体性が認められる、とするのが妥当な解釈のように思われます。

ただ、アフィリエイトのことを考えるといつも思うのですが、どうも、アフィリエイターは商品を販売していない(商品供給主体ではない)のでアフィリエイターに対しては措置命令が出せない、ということが、表示主体性の解釈をゆがめる原因になっているような気がします。

その例がここで議論したテレビショッピングの例で、たぶん、テレビショッピングの台詞等に不当表示があっても、よっぽどのことがない限り、掃除機メーカーの責任を問おうという発想にはならないのではないかと思われます。

なぜなら、テレビショッピング番組会社が商品を販売しているので、テレビショッピング会社に対して措置命令を出せるし、それで十分だからです。

これに対してアフィリエイトの場合には、アフィリエイターは商品を販売していないのでアフィリエイターには措置命令を出せない可能性が高いです。

(ただ、アフィリエイターも広告主と共同して商品を販売しているという構成も不可能ではないと思います。緑本p50では、金融商品販売代理店Aが金融商品販売業者Bの販売代理店となって金融商品選びについて消費者に無料でアドバイスをする場合、一般消費者と事業者A(販売代理店)との間に、金融商品の選び方のアドバイスという役務の「取引」が存在するとしているので、ここまでいえるなら、アフィリエイターも広告主と共同して商品を販売しているというところまであと一歩のような気がします。)

このように、アフィリエイターの責任を問えないので、広告主の責任を広く認める必要がある、という実務上の要請があるために、アフィリエイトにおいては表示主体性の認定がおおらかになりやすいように思います。

2021年7月23日 (金)

アフィリエイト・プログラムの表示主体と他の表示形態の比較

前回に引き続いて、アフィリエイト・プログラムの表示主体性について考えてみたいと思います。

(なお、「アフィリエイト広告」というと、すでにアフィリエイターの記事が広告主の広告であることを前提にしておりバイアスが入ると思ったので、「アフィリエイト・プログラム」、あるいは短く「アフィリエイト」と呼ぶことにします。)

アフィリエイト・プログラムにおいてアフィリエイターが書いた記事が広告主の広告なのか、というのは、一見するとあたりまえ(広告に決まってる)ようにも見えながら、なぜそう言えるのか考えてみると、なかなか難しいところがあります。

もし、ベイクルーズ判決の「表示内容の決定を委ねた」ので広告主が表示主体だ、と説明すると、いろいろ問題が出てきそうです。

たとえば、ネットで商品を買うと販売者から「ぜひレビューの記載をお願いします」というお願いメールが来たりします。

このお願いメールを受け取って、購入者が販売者のサイト(や販売者が出店するECサイト)のレビュー欄にレビューを書いたら、このレビューは販売者の広告になるのでしょうか?

当たり前ですが、ただのレビューのお願いなので、販売者からレビューアーへの謝礼等はないものとします(ふつう、ないでしょう)。

普通の人は、「そんなのレビューなんだから、広告のわけないじゃん」と思うように思いますし、私もそう思います。

でも、表示内容の決定を委ねたかどうか、という切り口だと、レビューとアフィリエイトは区別できないように思います。

むしろ、レビューのほうが、販売者のサイトに表示されるぶん、広告っぽい、とすらいえます。

ただこれには異論もありえて、レビューとして書かれているほうが販売者とは独立した人が記入していると認識される、ということもあるかもしれません。

実際、多くのECサイトでは、出品者自らが自己の商品についてレビューを書き込むことは禁止されているでしょうから(守られているかどうかはさておき)、「レビューは出品者とは独立した購入者が記入しているのだ」とみられやすい、ということはあるかもしれません。

それに対してアフィリエイターのサイトは、販売者のサイトとは完全に独立して見えますので、レビューよりもむしろ独立性は担保されていない(実際、アフィリエイトが認められているのだから、独立性の担保などあるはずがない)、とも言えます。

アマゾンの二重価格表示に関する東京地裁令和元年11月15日判決も、アマゾンが自社のサイトに、「いつ,何を,どこに,どのように表示をするのかという仕組みを自由に決定することができること」を、アマゾンが表示主体であることを裏付ける事情として重視しているように見えます。

同判決の要点は、具体的に決定していなくても「仕組み」を作れば表示主体だ、というところになるのですが、自己のサイトに「いつ,何を,どこに,どのように表示をするのか」を具体的に決定できるのであれば、表示主体性を認めるさらに強い根拠になりそうです。

・・・というように、いろいろと考えてみると、もしベイクルーズ判決の「表示内容の決定を委ねた」という基準でアフィリエイトは広告であってレビューは広告でないという結論を導こうとすると、

アフィリエイトは契約関係(広告主とアフィリエイトサービスプロバイダー(ASP)との契約と、ASPとアフィリエイターとの契約)があり、報酬も支払われるので「表示内容の決定を委ねた」にあたるが、

レビューは契約関係がなく、報酬も支払われず、たんなるお願いに過ぎないので、「表示内容の決定を委ねた」とはいえない、

と区別するのかな、と思います。

でも、契約関係と報酬の有無(さらに突き詰めれば、報酬の有無だけ)で、「委ねた」のか「お願い」なのか、を区別するというのは、「委ねた」という言葉の日本語の意味からして、ちょっと苦しいのではないかと思います。

「委ねた」は言葉の意味からして、報酬の有無とは関係ないはずなので、有償で委ねる場合と無償で委ねる場合があっておかしくないからです。

むしろ、「委ねた」とか「任せた」という言葉からは、無償でまかせた場合も当然含まれるし、むしろ有償の場合のほうが例外、というニュアンスすら感じます。

あとは、表示主体性とはまったく別の切り口として、アフィリエイトには取引を誘引する目的があるのに対して、レビューにはその目的はない(あくまでユーザーの立場からの客観的な情報提供が目的)、というところで区別することも考えられるかもしれません。

この考えだと、レビューを依頼するときに、たんに(正直に)「レビューを書いて下さい」というだけなら取引誘引目的があるけれども、「星5つのレビューをお願いします」とか「高評価のレビューをお願いします」だと、誘引目的がある、ということになるかも知れません。

と考えると、表示主体性については、「表示内容の決定を委ねる」という基準ではアフィリエイトとレビューは区別できない(する必要がない)けれど、取引誘引目的で区別できるので、それでいいのだ、というのも1つの考え方かな、と思います。

では次に、少し前に話題になった、女子アナのステマ疑惑はどうでしょうか。

ステマ(表示主体を偽る、ないしは隠す)自体は景表法違反とは言いにくい(商品の内容を偽っているわけでは必ずしもない)、というのが標準的な解釈だと思いますので、仮に、ステマで書いたブログ記事等に、商品役務の内容を優良と誤認させるような虚偽の内容が含まれていたとします。

このような女子アナのステマを販売者の「表示」だ、と一概にいうのは、私にはちょっとためらわれます。

もし販売店から女子アナに対して多額の報酬が支払われていれば販売店の「表示」だ、といっていいような気もしますが、もし報酬もなく、友達づきあいの中で依頼を受けたのでちょっとtweetしてあげた、という場合だと、さすがに販売店の「表示」だ、とはいいにくいように思います。

またアフィリエイトとの比較でいえば、アフィリエイトの場合にはどの記事がアフィリエイト・プログラムの対象になっているかは仕組み上明らか(対象記事には広告主サイトへのリンクがありクリックすると報酬が発生する)であるのに対して、ちょっとtweetしてあげる、というような場合だと、果たしてどのtweetが依頼の対象だったのか、よくわからないということもあり得ます。

表示内容のチェックという観点からも、アフィリエイトの場合は、手間さえ厭わなければ、アフィリエイトに紐付いたアフィリエイトサイトの内容さえチェックすればいいので、理屈の上では管理可能ですが、女子アナのステマの場合には、いつどこでtweetするかもわからないし、どのサイトかもたぶん特定しにくいでしょうし、内容の管理は大変だろうと思います(そもそも販売者も内容を管理するつもりなど、はなからないでしょう)。

・・・と考えると、アフィリエイトと女子アナのステマの違いは、アフィリエイトが広告前提のシステムである(関係者もそういうものとわかっている)のに対して、女子アナのステマはそのようなシステムがない、という違いが大きいように思われます。

これに対して、先ほどのレビューの依頼と女子アナのステマの違いは、レビューの場合、レビューアーの認識としては、販売者の販売促進に協力したいからという理由でレビューを書いているという意識はたぶん希薄なのでしょう。

つまり、気に入った商品だった場合は、この商品の良さをほかの人にも知ってほしいという気持ちで書くのでしょうし、気に入らなかった商品の場合は、他の人に同じ思いをしてほしくない(あるいは、もし買うとしても、商品の悪さも覚悟した上で買ってほしい)という気持ちで書くのでしょう。

いずれにせよ、販売者に協力したいという気持ちで書く人はあまりいないと思います。

これに対して、女子アナのステマは、たぶん、販売者に協力したい、という気持ちなのでしょう。(その理由が報酬であれ、友達づきあいであれ。)

結論としては、女子アナのステマはお店の広告(表示)であり、虚偽の内容があればお店が景表法違反に問われる、ということでよいと思います。

では次に、モータージャーナリストが自動車サイトに書く試乗記はどうでしょう。

もちろん、自動車サイトに普通に記事として載っている試乗記は、サイト運営者の企画として行われているので、自動車メーカーの広告ではありませんが、中には「特別企画」「特集」などと称して、そのメーカーがスポンサーになっているんだなぁと分かる形で試乗記が掲載されていたりします。

これは、やっぱりメーカーの広告(表示)でしょう。

こういう「特集」試乗記などを読むと、通常の試乗記に比べて試乗車をヨイショするものが多くてあまり参考にならないのですが、それを読んで買いたくなる人もいるでしょうから、誘引手段性もあるでしょう。

ここでは、自動車メーカーがサイトのスペースを買い取っている、という事情が表示該当性を認める上で重要なのではないかと思われます。

新聞広告で、広告スペースを広告主が買い取るようなものですね。

広告スペースを買い取った以上、広告主はその広告内容に関心を持つし、責任を持つのでしょう。

考えてみると、アフィリエイトの場合には、この、広告スペースを買い取る、という行為がありません。

むしろ、広告スペースはアフィリエイトサイトのスペースを無料で使わせてもらって、そのかわり売れた(あるいは自社サイトに来てくれた)ときだけお金を払う、ということなので、広告主には、「広告スペースをできるだけ有効に活用する」というインセンティブがはたらきません。

アフィリエイトは基本的に内容をアフィリエイターにまかせるところに意味がある(いちいち広告文言を考えなくていい)し、スペースはアフィリエイターのサイトのスペースなので、スペースの有効活用のインセンティブも、内容の監視のインセンティブも乏しいわけです。

スペースを買い取らなくていい(所有しなくていい)というのは、まさにプラットフォームビジネス(あるいは、シェア・エコノミー)的で、何かの本で、ホテルが新規開業するためには多額の投資が必要なのに対して、AirBnBは一切不動産を所有せずにホテルと競争できるし、しかも短期間で客室数を増やせるので、競争上有利なのは当たり前だ、みたいな話を読みましたが、スペースを買わなくていいというところが、アフィリエイトもちょっと似てますね。

また、単体ではほとんど広告価値がないようなサイトスペースをかき集めてマネタイズできるところにアフィリエイトの存在価値があるのでしょうし、反面、零細サイトの内容までいちいちチェックできないので不当表示が起きやすい、ということもあるのでしょう。

さて、話をウェブサイト上の試乗記に戻すと、通常の試乗記はやはりメーカーの広告(表示)ではないでしょう。

もしそのサイトにそのメーカーが広告を出してスポンサーになっていたりしても、だからといって、そのサイトの当該メーカーの自動車に関する試乗記がすべてそのメーカーの広告になるわけではありません。

では次に、アマゾンの二重価格表示の事件(前掲東京地裁)とアフィリエイトを比べたらどうでしょう。

まずアマゾンの判決では、アマゾンが二重価格を表示できる仕組みを構築したことが、アマゾンの表示主体性を肯定する上で決定的な事情となっています。

では、アフィリエイトも同じように考えて良いのでしょうか。

1つの考え方としては、

「広告主はアフィリエイトの仕組みをわかって利用しているのだから、自ら仕組みを構築したアマゾンと同じであり、表示主体として責任を負うのだ。」

という考え方です。

ただ、このように割り切るのはちょっと気が引けます。

というのは、アマゾンの事件では二重価格表示ができるような仕組みになっていて、それが不当な二重価格表示につながったという面があります。

たとえば、「参考価格」を記入するかどうかは出品者の任意なのですが、

「本件ウェブサイトの商品情報登録画面に参考価格を入力したのは,当該入力がないとセールを実施したときに割引率が表示されず,通常時より割引しているにもかかわらず,特に単価の安い文房具は,お得感が訴求できないためである」(公開版判決p96)

という出品者もおり、アマゾンの構築した仕組みが不当な二重価格表示につながっていた、という面があります。

このような事件でよく言われるのは、

「二重価格が表示できるようにする以上は内容に責任をもつべきであって、二重価格を表示させないような仕組みにできるにもかかわらずあえて表示される仕組みにしたのだから、内容には責任を持つべきだ」

ということですし、私もそう思います。

アマゾンは訴訟で、楽天(判決公開版では明示されていないですが、誰が見ても楽天です)の二重価格表示の事件では楽天に対しては要請にとどまったのに、アマゾンに対して措置命令はおかしいじゃないか、という主張をしています。

しかし、楽天市場のサイトでは、個々の出店者の店舗の表示内容・形式はかなり自由に出店者が決められ、楽天が二重価格を表示しろとかするなとか口を出せる感じではないので、出店者の二重価格表示を楽天の表示だというのは、かなり違和感があります。

(あと、楽天は商品供給主体ではないのに対してアマゾンの事件で問題になった商品はいずれもアマゾン自身が供給していたものである、という違いもありますが、それはひとまず措きます。)

なので、楽天には命令を出さずアマゾンには命令を出したという処理は妥当だと思うのですが(ただし判決は、楽天にも命令を出そうと思えば出せたのであって、出さなかっただけだ、といっています。判決p87)、そうすると、アフィリエイトはアマゾン型よりも楽天型に近いのではないか、という疑問が湧いてきます。

というのは、アフィリエイトの場合には、アフィリエイターが作成する記事には何のフォーマットもなく、どのようにでも書けるからです。

もちろん、判決は、

「いつ,何を,どこに,どのように表示をするのかという仕組みを自由に決定することができること」(p82)

がアマゾンの表示主体性を肯定する事情として考慮しているだけであり、

「いつ,何を,どこに,どのように表示をするのか」

を自由に決定できなければ表示主体にはならないのだ、とはいっていないのですが、もし同じ裁判所にアフィリエイトの不当表示の事件が係属したときに、

「いつ,何を,どこに,どのように表示をするのかを決定できなくても表示主体となることに支障はないのだ」

と判示したら、さすがに「どの口がいうねん」という突っ込みが入りそうです。

このように考えると、さすがにアフィリエイトにおいて、アフィリエイトという仕組みを分かりながら利用した以上、広告主はアフィリエイターの記事に全責任を負うのだ、と割り切るのはかなりはばかられます。

そこで、アマゾンで二重価格表示をする仕組みの構築が不当な二重価格につながったという事情がアマゾンの表示主体性を肯定する上で重視されたように、広告主の何らかの行為が不当表示の発生に寄与したのだといえる事情が、表示主体性を認めるために必要なのではないでしょうか。

たとえば、広告主がアフィリエイターに示す商品内容の基礎情報(たとえば原材料)に虚偽の事実があれば、広告主が責任を負うのは当然でしょう。

でも、広告主が訴求を依頼した部分(例、痩身効果)とぜんぜん違うところでアフィリエイト記事に不当表示があった場合(例、製法や原産地)は、その部分は広告主の表示ではない、といえるのではないでしょうか。

ベイクルーズ判決の「表示内容の決定を委ねた」という基準に照らせば、この「委ねた」部分が不当表示になったことが必要である、と絞りをかけるイメージです。

まあこのように絞りをかけても、広告主が訴求を依頼した部分ではないところでアフィリエイターが不当表示をするとはちょっと考えにくい(かりにあっても、事件化するほどのものにはならない)ので、結果的には、広告主がアフィリエイト記事の内容にはほぼ全責任を負うことになるのでしょう。

ただ、やはり一言いっておきたいのは、このような解釈をベイクルーズ判決から「論理的に」導くのは、やはり問題だろうと思います。

前回も書きましたが、ベイクルーズ判決は、その事例からも、判示内容からも、ベイクルーズが問題の表示を自己の表示とするつもりであったことは争いようのない事例(タグが商品にくっついていた)であったように思います。

これに対してアフィリエイトは、そもそも広告主が「自己の表示」と認識しているのかもかなり怪しく、むしろ、組織的な口コミ(「コミ」の主体は消費者ないしアフィリエイター)、くらいの認識なのではないかと思います。

それでも私は、アフィリエイトにおける広告主の責任は広く認めて然るべきだと思いますし、そのような解釈は現行法でも十分可能だと考えますが、その結論を、ぜんぜん違う地平で議論されていたベイクルーズから何の疑問もなく引っ張ってくるのは問題だ、と思うのです。

いわばベイクルーズ判決の基準を、同じ文言でも換骨奪胎して明確化するか、よりアフィリエイトの実態に即した基準を立てる必要があると思います。

「委ねた」という文言だけで押し通すのがあたりまえと考えてしまうと、商品販売者が購入者にレビューのお願いメールを送っただけで(あるいは、自己のサイトに「レビューをお願いします!」と表示しただけで)レビュー内容について販売者が責任を負わされかねません。

(なお、「レビューには販売者のコントロールが及ばないので、販売者の表示とはいえないのではないか」、という疑問もありえますが、レビューであっても内容が虚偽であれば販売者は自己に有利であれ不利であれECサイト運営者に申し出て訂正を求めることは可能でしょうから、コントロールは及んでいる、と考えておきます。)

2021年7月18日 (日)

アフィリエイト広告における表示主体

アフィリエイト・プログラムにおいて、商品役務提供者(いわゆる広告主)が、アフィリエイターの作成した記事(アフィリエイト広告)の表示主体になるのかが問題になり、消費者庁の「アフィリエイト広告等に関する検討会」でも議論されています。

この問題について西川編『景品表示法〔第6版〕』(緑本)p54では、

「広告主について、当該商品等の供給主体性が認められることは当然であるが、

表示主体性についても、

自らもしくは他の者と共同して積極的に表示の内容を決定した場合だけでなく、

他の事業者にその決定を委ねた場合等においては、

表示内容の決定に関与しているものとして表示主体性が肯定される。」

と説明されています。

しかし、(どのような場合に表示内容の決定を「委ねた」ことになると考えるか、にもよりますが、「委ねた」を常識的な意味で理解する限り)私はこの解説は問題があると思っています。

この、「その〔=表示内容の〕決定を委ねた場合」というのは、いうまでもなく、ベイクルーズ判決からきています。

同判決では、

「「表示内容の決定に関与した事業者」が法4条1項の「事業者」(不当表示を行った者)に当たるものと解すべきであり,

そして,「表示内容の決定に関与した事業者」とは,

「自ら若しくは他の者と共同して積極的に表示の内容を決定した事業者」

のみならず,

「他の者の表示内容に関する説明に基づきその内容を定めた事業者」

「他の事業者にその決定を委ねた事業者」

も含まれるものと解するのが相当である。

そして,上記の「他の者の表示内容に関する説明に基づきその内容を定めた事業者」とは,

他の事業者が決定したあるいは決定する表示内容についてその事業者から説明を受けてこれを了承し

その表示を自己の表示とすることを了承した事業者

をいい,

また,上記の「他の事業者にその決定を委ねた事業者」とは,

自己が表示内容を決定することができるにもかかわらず

他の事業者に表示内容の決定を任せた事業者

をいうものと解せられる。」

と判示しました。

そこで緑本は、アフィリエイト・プログラムにおいては、商品役務提供者(広告主)が、「他の事業者にその決定を委ねた事業者」にあたる場合には、商品役務提供者(広告主)の表示主体性が肯定される、としているのです。

しかしそもそも、ベイクルーズ判決は、アフィリエイト・プログラムのような、アフィリエイターが自分自身の表示として(記事風広告を)表示するようなケースを想定していないと思われます。

ベイクルーズ判決は、

①自ら若しくは他の者と共同して積極的に表示の内容を決定した事業者(=表示内容を自分で考えて決めた人)

②他の者の表示内容に関する説明に基づき表示の内容を定めた事業者(=表示内容の説明を受けて、自分で表示内容を決めた人)

③他の事業者に表示の内容の決定を委ねた事業者(=表示内容を他人に決定させた人)

の3つが表示主体になるとしています(厳密には、この3つは表示内容の決定の関与の例示なので、そのほかの関与形態もありえますが、ひとまず無視しておきます)。

緑本は、アフィリエイト・プログラムを使う商品役務提供事業者(広告主)は、

③他の事業者に表示の内容の決定を委ねた事業者

にあたるとしており、これはベイクルーズ判決によれば、

自己が表示内容を決定することができるにもかかわらず

他の事業者に表示内容の決定を任せた事業者

ということになります。

しかしながら、前述のとおり、ベイクルーズ判決は、アフィリエイト・プログラムのような場合を想定していません。

つまり、ベイクルーズ判決の①②③の基準はいずれも、商品役務提供者(広告主)が、問題となる表示を、自己の表示として表示することを当然の前提にしていると考えられます。

そのことは、基準②の具体的な説明のところで、

「他の事業者が決定したあるいは決定する表示内容についてその事業者から説明を受けてこれを了承し

その表示を自己の表示とすることを了承した事業者」

というところに偶然現れていますが、①③の基準でも、②と区別する理由はなく、「自己の表示とする」ことは当然の前提であると考えられます。

とくに、③の「他の事業者に表示の内容の決定を委ねた事業者」でも、表示は商品役務提供者(広告主)自身の表示であること(つまり、③は、「他の事業者に、広告主自身の表示の内容の決定を委ねた事業者、であること)が重要です。

アフィリエイト・プログラムでは、アフィリエイターが書く日記風記事は、アフィリエイター自身も自分が責任を持って作成した表示であると認識しているでしょうし、商品役務提供者(広告主)も、アフィリエイターの書く日記風記事を広告主自身の表示であるとは認識していないでしょうし、一般消費者も、アフィリエイターの書く日記風記事を広告主の表示であるとは認識していないでしょう(むしろ、アフィリエイターが広告主から報酬をもらっているという関係にあることすら、一般消費者は認識できないのが通常でしょう)。

というわけで、関係者のいずれの認識に照らしても、日記風記事をアフィリエイター自身の創作能力に基づき作成する通常のアフィリエイト広告においては、アフィリエイターが作成した日記風広告は商品役務提供者(広告主)の表示ではない、と考えざるを得ないと思われます。

もちろん、商品役務提供者(広告主)が、「こういう内容で書いてね」とアフィリエイターに指示して、その指示の内容が虚偽であり、その指示に従ってアフィリエイターが記事を書いたためにアフィリエイト広告(日記風記事)も不当表示になった、という場合には、アフィリエイターはいわば広告主の手足となって表示を作成しているだけですし、広告主もその記事は「自己の表示」という認識でしょうから、広告主が表示主体になるということでよいと思います。

しかしながら、世の中で今問題になっているアフィリエイト広告の大部分は、アフィリエイターが好き勝手やって広告主のチェックが及ばない、というパターンでしょうから、アフィリエイト広告(アフィリエイターの作成した日記風記事)を広告主自身の表示だというのは、とうてい無理があります。

もし、消費者庁が、「広告主は、(明示または黙示の契約あるいは条理(?)により)アフィリエイターの記事の内容をチェックできたのだから、表示内容の決定に『関与』しているのだ」というとすれば、「関与」の有無にだけ目が行っていて、その前提として、委ねるのは(アフィリエイターの広告内容の決定ではなく)広告主自身の表示の内容の決定でなければならないことを見落としていると言わざるを得ません。

このように、ベイクルーズ判決の③は、商品役務提供者(広告主)自身の表示の内容の決定を委ねている(より一般的には、表示内容の決定に「関与」している)という前提があるからこそ、「委ねる」、「関与」、の意味を緩やかに解しても常識的な結論に落ち着くのであり、この前提を外してしまうと、とんでもなく商品役務提供者の責任が広がってしまいます。

つまり、「自分の表示には責任を持て」ということです。

たとえば、メーカーが小売店を通じて商品を供給している場合に、もし、(メーカー自身の表示ではなく)小売店の表示(例、POP表示)の内容の決定を小売店に「委ねた」というだけで、メーカーが小売店の表示についてまで不当表示の責任を負わなければならないとしたら、責任範囲が広すぎます。

ここでの「委ねた」の意義は、ベイクルーズ判決によれば、

「自己が表示内容を決定することができるにもかかわらず他の事業者に表示内容の決定を任せた事業者」

なので、メーカーが小売店の表示内容を決定できる必要がありますが、緑本の、

「広告主〔の〕・・・表示主体性についても、・・・他の事業者にその決定を委ねた場合等においては、

表示内容の決定に関与しているものとして表示主体性が肯定される。」

という書きぶりからは、アフィリエイト・プログラムにおいては広告主がアフィリエイト広告の内容まで具体的に決定する権限を有していた(けれどアフィリエイターに任せた)場合にだけ「委ねた」にあたると考えている様子はうかがえません。

もし具体的な決定権限まで有していないと「委ねた」にあたらないとすると、アフィリエイト広告の内容はアフィリエイターが作成する通常のアフィリエイト・プログラムでは広告主の責任はまず認められないことになってしまいます。

むしろ、緑本の記載は、アフィリエイト広告の内容をチェックする権限すらなくてもいい(「委ねた」にあたりうる)、という意味であると解釈するほうが自然なくらいです(チェック権限には何ら触れていないので)。

かえって緑本p54では、

「この点、広告主がアフィリエイターに対して「虚偽・誇大な内容を記載しないこと」「関係法令を遵守すること」等の一般的・抽象的な指示文書等を交付していたとしても、そのことによって広告主の表示主体性が否定されることにはならない。」

とされており、このような指示文書を交付しているだけで実際にはチェックしていない場合やチェック権限が明確に定められていない場合でも、広告主の表示主体性は肯定されると読めます。

このように、「委ねた」を緩やかに解すると、つまり、

「自己が表示内容を決定することができるにもかかわらず他の事業者に表示内容の決定を任せた事業者」

の意味を緩やかに解すると、メーカーが小売店に「虚偽・誇大な表示をしないこと」という指示をしていただけで、メーカーの表示主体性が認められることになりかねません。

アフィリエイト・プログラムは、インターネット独特な広告手法ではありますが(アフィリエイト・プログラムの仕組みについては、消費者庁の検討会の事務局資料がわかりやすいです)、同じような構造はインターネット以外の、通常のメーカーと小売店の間でも生じるのですから、そこまで影響がおよぶことを考慮して議論しないといけません。

あるいは、メーカーが、(社員ではなく)外部の会社にプロモーション業務を委託したら(消費者への販売はメーカー自身が行う)、その委託先がメーカーの知らないところで不当表示をやっていた、というのがイメージとしては近いかも知れません。

それから、消費者庁の立場は、景表法では商品役務提供者しか不当表示の主体にはなれないことから、妥当な結論を導くために、多少無理筋でも商品役務提供者自身が表示をしていることにしてしまおう、という発想が透けて見えるように思えます(価値判断としては理解できなくはないですが)。

しかしながら、アフィリエイターの責任を追及できないからといって、商品役務提供者(広告主)の責任を広く認めようというのは、筋違いというか、発想が安直というか、少なくともいろいろなところで綻びが出てくるように思います。

たぶん、メーカーと小売店の場合に、小売店が自己の表示について不当表示を行ったからといって、「小売店の広告はメーカーの広告でもあるのだからメーカーも表示主体にすべきだ」という議論は起こらないでしょう。

これは、誰が考えてもこの場合は小売店の責任を問えば足りるからです。

でも、根本的な構造は小売店もアフィリエイトも同じだと思います。(とくに緑本の解説を前提にすると。)

まとめると、ベイクルーズ判決の①②③の基準は広告主自身の広告であることが前提であり(実際の事案がそうです)、広告主自身の広告とはいいがたいアフィリエイトの場合には、少なくとも直接的には適用されないと思われます。

適用されるとすれば、広告主がアフィリエイト広告の記載内容をアフィリエイターに指示して、アフィリエイターを自己の手足として使った場合くらいでしょう。

これなら、商品役務提供者が口コミサイトへのレビューを業者に委託する場合と同じように考えられます。

ですが、そこから、アフィリエイト広告(アフィリエイターが作成する記事風広告)が一般的に商品役務提供者自身の広告であるということまで導くのは相当無理があります。

(ところで、ここまで書いていて何ですが、緑本p54では、「広告される商品等を供給する事業者」を「広告主」と呼んでおり、私もその用例に従っているのですが、これだと、アフィリエイト広告(アフィリエイターが作成する記事風広告)の「主」のような印象を与えかねないので、あまりいい用語法ではないですね。業界で「広告主」と呼び習わされているので、業界の人にはわかりやすいのでしょうけれど。)

私の考えるところでは、表示行為というのは、表示内容の決定と、実際の表示行為(狭義の表示行為、あるいは、事実行為としての表示行為)からなります。

模式的に表せば、

広義の表示行為=表示内容の決定+狭義の表示行為

です。

ベイクルーズ判決が言っているのは、「表示内容の決定」に、広告主自身が頭をひねって考えて決める場合(①)と、他人の説明を聞いて自分で決める場合(②)と、他人に決めさせる場合(③)の3つがある、ということでしょう。

そして、表示は自己の表示(いわば表示の責任主体が自己であること)であることが前提となっている、というのは、この「表示内容の決定」が、「自己の表示の内容の決定」でなければならない、ということです。

これに対して、「狭義の表示行為」については、たとえば新聞等の媒体が行う場合には、「自己の表示の表示行為」ではないですが、「狭義の表示行為」にはあたる、と考えられます。

つまり、「狭義の表示行為」については、「自己の表示の表示行為」に限らない、ということです。

このように、表示内容の決定と、事実行為としての表示行為(狭義の表示行為)を分けて議論したほうが、混乱がなくていよいと思います。

そして、ベイクルーズ判決はあくまで商品役務提供者自身の表示(下げ札)であることには争いのない事案において、表示内容の決定が3パターンあるといっているだけであり、「他人であるアフィリエイターの表示行為について、商品役務提供者はどこまで責任を負うのか」という問題は、ベイクルーズ判決とは次元の異なる問題だと思います。

もちろん、隅々まで管理が及ばないことも含め、アフィリエイト・プログラムのそのような仕組みを知りながらアフィリエイト・プログラムを利用する以上、アフィリエイト・プログラム利用者(商品役務提供者)が全責任を負うべきだ、という議論はあってもおかしくないと思いますが、ベイクルーズ判決から論理必然に結論を導く緑本の解説は、やはり問題があると思います。

2021年5月 3日 (月)

オンラインセミナーのお知らせ

ビジネス・アンド・ロー主催のオンラインセミナー(録画)を配信させていただくことになりました。

「薬機法への課徴金導入とアフィリエイト広告規制強化に伴う実務ポイント ~景表法の課徴金制度を踏まえて」

https://businessandlaw.jp/seminar/k159231984/

税込12,100円

上記リンクにも書きましたが、プログラムの概要は、

「医薬品、医薬部外品、化粧品、健康食品等のヘルスケア関連商品の不当表示に関わる最近の動きとして注目されるものに、薬機法への課徴金制度導入(本年8月施行予定)とアフィリエイト広告に対する規制強化があります。

薬機法の課徴金制度は、景品表示法の課徴金制度を参考に設計されており、事例の蓄積のある景品表示法の運用を参照することで、その運用を的確に予測できます。

また、景表法においては、これまで事実上野放しであったアフィリエイト広告に対して、消費者庁が急激に取締りを活発化させており、実務上の対応が急務です。

本セミナーではこれらの問題について検討し、実務上の留意点を解説します。」

と、いった感じです。

医薬品等の虚偽誇大広告も、アフィリエイト広告も、「うちには関係ないな」という方も多いかと思いますが、中にはご関心のある方もいらっしゃるかと思い、このテーマにしました。

法的な観点からは、いずれもなかなか興味深いです。

ご関心のある方は、お申し込みいただけるとうれしいです。

2021年2月28日 (日)

将来価格ガイドラインのパブコメを読んで

「将来の販売価格を比較対照価格とするこ重価格表示に対する執行方針(案)」に関する御意見の概要及び御意見に対する考え方

を読んで気がついたことをメモしておきます。

最初に全体的な印象としては、今回のパブコメ回答を読んで、消費者庁はパブコメに対して正面から答える姿勢があって、これはたいへんすばらしいな、と思いました。

公取委と比べると、ずいぶん消費者庁は誠実だと思います。

景表法の課徴金ガイドラインがでたときのパブコメでも、公取委の木で鼻をくくったような回答に慣れていた身からすると、「消費者庁は役所なのにずいぶんちゃんと答えるんだなぁ」と感心したものですが、今回のパブコメで、課徴金のときのも別に担当者の個性が原因だったのではなく、役所としての体質の違いなのかな、と思い始めました。

とくに、公取委の個人情報優越ガイドラインのパブコメ回答なんて、(私もパブコメ出しましたが)ほんとうにひどかったです。

どうしてこういうことになるのか考えてみると、公取委は、独禁法という重い看板を背負ってしまってる上に、過去の膨大な(中には不合理な)蓄積がある中で、必ずしも一刀両断の回答ができない事情なんかもあって、さらに回答が一般化されやすいという独禁法の性質もあり、「変な回答したら企業に揚げ足をとられる」という気持ちが強いんじゃないか、と想像します。

それに対して消費者庁は、不当表示はやめましょうという、あまり関係者に異論のでにくい(あっても、胸を張って言いにくい雰囲気のある)景表法という法律をあつかっているので、正々堂々清々しい答えができるんじゃないか、と想像します。

さて前置きが長くなりましたが本題に入りますと、p1の

「「将来の販売価格を比較対照価格とする二重価格表示」とは、各事例にあるように「O月O日からは△円になります」と将来の販売価格を明示した場合に限るのか。「当店通常販売価格○○円、10月31日まで△△円」と表示したとき、消費者は、11月1日以降は通常販売価格である○○円に戻ると認識することから、このような場合も将来の販売価格を比較対照価格とするこ重価格表示になるのではないか」

という、いかにもありそうな質問に対して、

「御指摘のような表示は、一般的には過去の販売価格を比較対照価格とする二重価格表示と考えられますが、当該表示が行われている具体的な状況によっては、将来の販売価格を比較対照価格と暗示した二重価格表示でもあるとみられる可能性もあります。」

と回答されています。

要は、「通常」といえば、ふつうは過去の実績ある価格を指すだろう、ということです。

将来の価格なら、将来の価格とはっきり分かるように書きましょう。

そうしないと、過去の価格とみなされて、さかのぼる8週間の過半等(8週間ルール)をみたさないのでアウト、ということになってしまいます。

そもそもまだ売ってもいない将来価格を「通常価格」と呼んでいいのか、というp3で質問されていて、消費者庁は、

「本執行方針の第1に記載のとおり、商品やサービスの販売実績がない場合は、販売実績がある場合と比較して「通常価格」、「値下げ」、「プライスダウン」と表現するための確定した事実に乏しいと考えられますので、このような表現は消費者への適切な情報提供の観点から適当ではないと考えられます。」

と回答されています。

「適当ではない」というのが、悩みがよくでていますが、将来価格が「通常」だ、ということは論理的にはありうるわけで、「違反である」と言いきれないのは仕方ないのでしょうね。

p5で、将来価格を比較対照とする場合には、A過去価格が存在する場合と、B.存在しない場合があるがいずれにも本指針が適用されるのか、という質問に対して、いずれにも適用されると回答されています。これも、ひょっとしたら疑問が生じるかも知れない、大事なポイントです。

p9に、

「価格表示ガイドラインが「表示された将来の販売価格が十分な根拠のあるものでないとき」の例として挙げる「実際に販売することのない価格であるとき」に、「市場価格からみて相当高額であって売れそうにない」場合は含まれるか。」

という、たいへん鋭い質問がなされ、これを受けてガイドライン原案p2に、

「・・・比較対照価格とされた将来の販売価格が当該将来の販売価格での購入者がほとんど存在しないと考えられるほど高額であるなど一般的な価格ではない場合のように、比較対照価格の根拠を形式的に整える手段として当該価格で販売するものであるとみられるような場合には、「比較対照価格とされた将来の販売価格で販売する」とはみられないものである。」

という追記がなされました。

正面からこう聞かれたら消費者庁としてはこう答えざるを得ないだろうという、実に鋭い質問であり、消費者庁が上記追記をしたのも理解できなくはないのですが、理論的にはこれはけっこう難問です。

まず、極めて高額な将来価格(たとえば、「クリアホルダ1枚10万円」)であっても、現に比較対照として表示している以上、消費者には誤認はないのではないか、という疑問です。

これを不当表示というためには、

「その比較対照価格で購入する人がそれなりに存在するのだ(=「ほとんど存在しない」わけではない)」

と消費者が誤認したことが問題だ、といわざるをえなくなりますが、一見して極めて高額とわかる価格なら、わかっているので「誤認」はない、ということになりそうですし、一見して極めて高額とはわからない価格なら、現にその比較対照価格で販売している以上、結果的にほとんど売れなかったとしても、だからといって不当表示になるわけではない(∵表示に何も嘘はないので)と思われます。

事業者の立場からしても、これをいわれると、結果的に売れなかっただけで違反になりそうで、怖いものがあります。

ところでそもそも論ですが、私は、ガイドラインが違法か適法かの基準として採用している、

「合理的かつ確実に実施される販売計画」

というのが正しいのか、やや疑問に思っています。

というのは、「確実に実施される販売計画」であればいいのではないか、と思うのです。

せいぜい、「合理的に確実に実施される販売計画」でしょう。

販売計画の内容が合理的でないといけない理由が、正直、いまひとつわかりません。

ともあれ、極めて高額な将来価格がだめだというのは、そのような価格での販売計画は、「合理的・・・〔な〕販売計画」にあたらない、と説明することになるのでしょう。

結果的に、追加部分はガイドライン内の論理的整合性を保っているとはいえそうですが、私はそもそもなぜ「合理的」でなければならないのかよく理解できないので、やっぱり、極めて高い価格だとだめだという理由も、よく理解できません。

(この点は面白い問題なので、またゆっくり考えてみます。)

ほかにこの追加部分を正当化する理屈としては、極めて高額の比較対照価格を表示することで、その商品があたかもそれだけの価値があると消費者に誤認させるのだ、という理屈があるかも知れません。

でもこれも考えてみると、過去価格の二重価格表示の場合だって「その商品があたかもそれだけ(=過去価格)の価値がある」と消費者に誤認させるのがいけないわけで、過去価格の場合にはいくらそれが極めて高い価格であってほとんど買う人がいない場合であっても、実際にその価格で販売に供している以上は違反にはならないのに、将来価格の場合には実際に販売に供していても「極めて高額」というだけで違反になる、というのは、理屈に合わないような気がします。

というわけで、この追加部分は、鋭い質問を受けた消費者庁の背筋が伸びて、「なかなか鋭い。そのとおりだ!」と思ってしまい、それ以上の批判的検討をしなかった(しかも、一見それらしく見える指摘である上に、規制を強化する方向の追加なので抵抗感もなかった)、ということなのではないか、と思います。

なのでこの追加部分は私はまちがいだと思いますが、実務上は、あきらかに売れないと分かりながらべらぼうに高い将来価格を付けるのはやめるべきでしょう。

反対に言えば、そんなべらぼうな価格ではなくて結果的に売れなかった、というだけなら、違反にはならないというべきでしょう。

p10で、「一般的な場所とはいえない場所に商品を陳列する」場合の意味について、

「個別の事情にもよりますが、インターネット通販サイトにおいてセール価格で販売された商品が、セール期間経過後においても当該サイトで検索等を行うことにより、他の商品と同様に容易に購入可能であるようなものであれば、販売場所が一般的なものとはいえないという理由で「将来の販売価格で販売していない場合」とみられることは通常ないものと考えられます。」

と明確化されたのはよかったですね。結論も妥当だと思います。

たとえば、セール中はその商品をホームページのトップに掲載していたけれど、セール後はそのようにしなくても検索して普通に探せればOK、ということです。

p12の最後に、原案(注3)の、

「(注3)セール期間については、合理的かつ確実に実施される販売計画を有している事業者であれば、当然これを確定させており、将来の販売価格を比較対照価格とする二重価格表示の中で具体的なセールの期間や期限を示していると考えられる。したがって、事業者が、例えば「現在セール中にて300円、セール終了後は500円」といった、具体的なセールの期限を示さないで将来の販売価格を比較対照価格とする二重価格表示を行っている場合には、通常、そのこと自体により、合理的かつ確実に実施される販売計画を有していなかったことが推認される。」

という記載が問題ではないか、終了時期を明示するかどうかは事業者の自由とすべきではないか、というコメントがあり、「推認される」が、

「・・・強く疑われることから、具体的なセールの期間や期限を示すことが望ましい。

というように変更されました。

これは、「推認される」という、立証責任を意識した法律用語から「強く疑われる」という通常の日本語になったのと、「望ましい」というマイルドな表現になったことから、原案から緩くなったような印象もありますが、パブコメ回答を読むと、必ずしもそうではありません。

この回答は今回の回答中でも一番力の入っている回答なので引用すると、終期の表示を義務づけるべきではないとのコメントに対し、まず消費者庁は、

「セール期限が事業者内で決まっており、それを変更するつもりがないにもかかわらず、明示しないとする合理的な理由はないものと考えます。

また、セール期限が事業者内で一応存在していたとしても、それが明示されていない場合は、事業者がセール期間中に当該期限を恣意的な判断により変更しても、外部の者がそのことに気付くことは通常ないため、セール期限が明示されている場合と比較して、当初の販売計画をそのとおりに実施するよう事業者が自らを規律する仕組みが不十分になると言わざるを得ません。」

と述べています。

ここでいっていることは、まことにごもっともです。

その上で消費者庁は、

「そのため、セール期限が事業者内で存在していても、それが消費者に明示されていない場合は、当該期限のとおりセールが終了し、比較対照価格とされた将来の販売価格で販売が行われることを確実に担保する他の仕組みが存在すれば格別、一般的には、合理的かつ確実に実施される販売計画であると認められるための重要な要素を欠いている疑いが強いと考えられますので、この点がより明確になるよう以下のとおり修正しました。」

と言っているのです。

つまり、だめであることをよりはっきりさせた、ということです。

というわけで、原案から緩くなったというよりも、むしろ厳しくした、というのが消費者庁の意図のように思われます。

少なくとも、

「実際に終了時期は決めていないのだから、終了時期を表示しなくても事実と異なることはなく、不当表示とはならない。」

という主張は、「合理的かつ確実に実施される販売計画」の要件をみたさないので認められなさそうです。

もし終了時期を表示しない場合でも、内部的にはいつセールを終わらせるかは決定しておく必要があり、実際に、その時期に終了させる必要があるでしょう。

そうだとすると、事業者にとっても、終了時期を表示しないことのメリットというのがあまりなく(通常は、終了時期を明示したほうが煽る効果が生じやすい)、表示しないとそれだけで消費者庁から「強く」疑われるリスクがあることをふまえると、今後は、終了時期を明示しない将来価格の二重価格表示というのは、基本的に行われなくなるでしょう。

p19に、

「第2の2(2)イ(ア)にある「将来の販売価格で販売できない特段の事情が存在すると認められる事例」のA、B、D、E、F及び同(イ)の「将来の販売価格で販売できない特段の事情が存在するとは認められない事例」のIは、セール期間終了後に予告していた価格での販売自体をしなかった事例」

についてのコメントがあります。

たとえば、Iの事例というのは、

「I通信販売業者が、「エアコン ただ今限りのセール特価38,000円 8月以降48,000円」との表示を5月から開始していたところ、セール開始後の気温上昇による一般的な需要増の結果、売行きが増加して在庫が売り切れたが、追加仕入れをしなかったため、セール期間経過後の8月以降にエアコンを販売しなかったとき。」

というのが、「通常、将来の販売価格で販売できない特段の事情が存在するとは認められない」例としてあげられている、というものです。

私は、ここはパブコメのコメントのほうが正しくて、ガイドラインはまちがっていると思います。

というのは、

「エアコン ただ今限りのセール特価38,000円 8月以降48,000円」

がなぜ不当表示になりうるのかといえば、8月以降48,000円で販売されるからではなく、特価の38,000円では購入できなくなるからでしょう。

今ならお得だと思うからかったのに、別にお得でなかった、というわけで不当表示になるのです。

なので、「8月以降は48,000円になるんだ」と消費者に思わせておいて、たとえば実際には8月以降は10万円で売ったら、セール中に38,000円で買った消費者は、思っていた(8月以降は48,000円)よりも実はもっとお得だったと感じる(∵8月以降は10万円に値上がりしたので)のではないでしょうか?

そう考えると、8月以降に「販売しなかった」というのは、理屈の上では、8月以降は∞円で販売に供した、というのと同じですから、10万円で売ったのと同様、不当表示にはならないと思うのです。

もしこの事例が、実はもともと8月以降売る気がなかった、という事例なら、あるいは不当表示とするのにも合理性があるかもしれません。

ちょっと似たような事例で、ジュピターショップチャンネル株式会社に対する件(H31.3.29)で、テレビショッピングで「明日以降」の比較対照価格を表示していた場合に、

「実際には、本件2商品の各商品がセール企画終了後に販売される期間は2日間又は3日間のみであって、ごく短期間のみ「明日以降」と称する価額で販売するにすぎず、当該価額での販売実績もジュピターショップチャンネルにおいて実質的に問われないものであって、将来の販売価格として十分な根拠のあるものとは認められない。」

ということで不当表示になったことがありました。

これは2日とか3日という短期間であったというのが本質ではなく、仮に1か月販売していても本気で売る気がなかった場合は「販売実績も・・・実質的に問われない」ということでアウトだった可能性があります。

こういう例ならわかるのですが、ガイドラインのIのエアコンの例は、

「売行きが増加して在庫が売り切れたが、追加仕入れをしなかった」

ということなので、はじめから売る気がなかったわけではなさそうです(むしろセール中売れ行きが増加しなければセール後も売っていたであろうことをうかがわせる)。

もしこういう、表示した比較対照価格より高く売る(∞円で売るのを含む)ことを不当表示だと言い出すと、たとえば期間限定セールを延長した場合だけでなく、予定期限よりも早く終わらせた場合や、閉店セールを予定期限よりも早く終了した場合にまで不当表示になりかねず、影響が大きすぎます。

たしかに、期間限定セールを予告より早く終わらせると、「まだ間に合う」と思っていた消費者が買い損ねて(あるいは予定より高く買わされて)不利益を受ける、ということはあるかもしれませんが、二重価格表示はお得だと思わせて実はお得ではないというのがいけないのであって、こういう場合はなにも誤認していません。

なぜなら、取引時点では二重価格表示をそもそもしていないからです。

このような誤認は、「以前の表示を信じて購入しようとしたら、現在はその条件で購入できなかった」というだけであり、購入時点での「お得と思わせてお得でなかった」という誤認はないのです。

なので、ガイドラインの例は、売ると言った以上は売るべきだ、という意味では理解できますが、やはり、不当な二重価格表示として処理するのは無理があると思います。

p24に、2週間だけ売ったら値下げしてもいいのか、という質問がたくさん寄せられていますが、これに対して消費者庁は、

「一般的には、セール自体の期間にかかわらず、比較対照価格とされた将来の販売価格での販売が2週間以上継続されれば「ごく短期間」であったとは考えられませんが、本執行方針第2の1に記載のとおり、合理的かつ確実に実施される販売計画を有しているかどうかが問われることになります。将来の販売価格は、将来における需給状況等の不確定な事情に応じて変動し得るものですので、長期間のセールを実施した後に、比較対照価格とされた将来の販売価格で販売することができるかどうかの検討が必要となります。

なお、長期のセールを行った後に将来の販売価格での販売期間を2週間実施するということを何度も繰り返したことにより、そのことが消費者にも認識され、将来の販売価格で購入する消費者がほとんどいなくなっているような状況においては、当該将来の販売価格での販売が「比較対照価格の根拠を形式的に整える手段として」行われているとみられる可能性があることに注意する必要があります。

と回答しています。

ここで、

比較対照価格の根拠を形式的に整える手段として

というのは、ガイドラインp7の、

「・・・比較対照価格とされた将来の販売価格で販売する期間がごく短期間であったか否かは、そもそも当該将来の販売価格での販売が、比較対照価格の根拠を形式的に整える手段として行われていたものではないかなどにも留意しつつ、具体的な事例に照らして個別に判断されるが、一般的には、事業者が、セール期間経過後直ちに比較対照価格とされた将来の販売価格で販売を開始し、当該販売価格での販売を2週間以上継続した場合には、ごく短期間であったとは考えられない(注6)。」

にありますね。

つまり、2週間売れば、「一般的には」大丈夫だけれど、長期のセールをやって、2週間だけ値上げして、また長期のセールをやって、2週間だけ値上げして、ということを繰り返していると、さすがにだめだと言うことでしょう。

2週間というのだけみると結構短いなあ(こんなのでいいんだ)、と思われた方も多いと思いますが、やっぱり度が過ぎるとだめだということですね。

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