外国独禁法

2024年4月21日 (日)

公正取引に米国反トラスト法コンプライアンスについて寄稿しました。

公正取引882号(2024年4月号)の、「企業におけるコンプライアンス」という特集に、

「米国反トラスト法におけるコンプライアンス・プログラム ~アップル電子書籍カルテル事件モニター報告書の検討を通じて~」

という論文を寄稿しました。

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原稿執筆依頼は米国反トラスト法のコンプライアンスについて書いて欲しいということだったので、「公取委のコンプライアンス・ガイド(「実効的な独占禁止法コンプライアンスプログラムの整備・運用のためのガイド-カルテル・談合への対応を中心として-」)が出たので特集を組むんだろうなぁ」と思いを巡らしながら、どういう切り口で書こうかいろいろと考えたのですが、「米国」という括りでテーマを絞るのがなかなか大変でした。

理論的にも、実務的にも、(日本でもEUでもなく)「米国」独自のコンプライアンスというものがあるわけではありません。

もちろん、競争法の実体法や手続法は各国違うのですが、では米国についてロビンソン・パットマン法について書くのも何か違うなと思いました。

米国の特色を出すなら、リニエンシーや秘匿特権などの手続面に絞って書くということも考えましたが、たぶんこの特集でそれは期待されていないだろうなぁと考えました。

論文の冒頭サマリーにも、

「競争法遵守プログラムに、国による本質的な違いはない。あるのはトリビア的な違いに過ぎず、本誌において主題的に論じるに値しない。そこで本稿では、米国企業による米国反トラスト法遵守プログラムの具体例を示すべく、電子書籍カルテル事件の連邦地裁判決によりアップルに設置が命じられた社外モニターがその報告書で明らかにした同社の反トラスト法遵守プログラム(社外モニターの提言を含む。)の内容を紹介することにする。」

と、率直に書きました。

というわけで今回は、米国企業の反トラスト法コンプライアンスプログラムの詳細が明らかにされている希有な例ということで、アップルの電子書籍事件社外モニター報告書に依拠して、同社のコンプライアンスプログラムの内容を紹介することにしたわけです。

今回、4通のモニター報告書を読んでみましたが、これがなかなか面白いです。

(ちなみにこの社外モニターについては当時、報酬が高すぎるとアップルが裁判所に解任を求め、モニターの最初の2週間の報酬が138,432ドル(!)だったと報じられたり、なかなか曰く付きではあります。)

とくに、モニターとアップル代理人との間のやりとりが、コンプライアンスプログラムとして何をどこまですべきなのかについて、立場によってさまざまな考え方がありうることを示していて、大変興味深かったです。

読まれた方は、報告書を要約しただけなのかとがっかりされるかも知れませんが、全部で500頁近くある4通の報告書を要約するのはけっこう大変でしたし、参考になりそうなところはだいたい拾ったつもりですから、じっくり読んでいただければそれなりに参考になることがあるのではないかと思います。

これを読んで興味を持たれた方はぜひ、報告書の原文も参照していただければと思います。

報告書原文に当たりやすいように、論文には報告書のページ数を逐一記載しておきました。

それから、引用するにも文字数がきつかったり(ギリギリ詰めて6頁に収めました)、ボツにしたりしたので、論文には引用しませんでしたが、執筆過程で参考になった文献を以下に挙げておきます。

最初に、American Bar Associationの、

『Antitrust Compliance: Perspectives and Resources for Corporate Counselors, Second Edition』

は、プログラムの作り方など大変実務的で、日本企業にも参考になることが多かったです。

理論的な整理としては、『The Oxford Handbook of Strategy Implementation』の第7章の、

Sokol, Antitrust Compliance

が、大変詳細かつ網羅的に反トラスト法コンプライアンスを整理しており、とても参考になりました。

末尾の参考文献リストは極めて網羅的です。

この論文もそうですが、アメリカの(というか、英語の)論文を読むと、そもそも企業にコストをかけてコンプライアンスプログラムを導入させることの合理性にまで遡って議論がなされていて、判で押したように「コンプライアンスプログラムは大事!」と叫ぶのより、よほど理知的な議論がなされていて、たとえばコストベネフィットを考えずリニエンシーや確約制度を景表法に導入してしまう日本の現状と比べて、彼我の議論の厚みの差を感じました。

米国企業の反トラスト法プログラムの具体例については、

Howard Bergman and D. Daniel Sokol, The Air Cargo Cartel: Lessons for Compliance

が、エアカーゴ事件の実例を内部者の証言を交えつつ詳細に紹介していて、とても貴重な資料だと思いました。

今回の論文執筆にも参考にしようかと一瞬考えましたが、検討対象がルフトハンザで米国企業ではなかったので(笑)、やめました。

同じくSokol教授の、

CARTELS, CORPORATE COMPLIANCE, AND WHAT PRACTITIONERS REALLY THINK ABOUT ENFORCEMENT

は、反トラスト法弁護士に反トラスト法の執行についてどう思うかをアンケートで尋ねた結果をまとめたもので、「へぇ~、こんな研究手法もあるんだ」と感心するとともに、実務家の本音が垣間見られて興味深かったです。

あとは、公取委ガイドにも引用されている、

OECD, "Competition Compliance Programmes"(2021)

が、なかなかよくまとまっていました。

公取委ガイドを読んでしっくりこなかったところをこちらで確認すると腑に落ちたりします(苦笑)。

2024年4月15日 (月)

ABA Antitrust Spring Meeting 2024 に行ってきました。

先週4月10日(火)から12日(金)にワシントンDCで行われたAmerican Bar AssociationのAntitrust Spring Meetingに行ってきました。

今回一番印象深かったのは3日目のAntitrust Markets Critical to Decocracyというセッションでした。

パネリストは、

ミシガン大学のDaniel Crane教授と、

私も反トラスト法を教わったNew York UniversityのHarry First教授と、

元FTC委員(共和党)のChristine Wilson氏と、

Columbia Center of Sustainable Investmentsという機関のDenise Hearn氏

で(モデレーターはHenry Su氏)した。

Crane教授は、「Antimonopoly and American Democracy」という書籍の編者でもあられます。

内容は、民主主義のためには市場が競争的であることがいかに重要かを説くものでした。

米国反トラスト法も、それを受け継いだ日本の独禁法も、社会の民主化を目指すことを目的の1つにしていたということはよく言われることですが、それを戦後ドイツ(Crane教授)と日本(First教授)の歴史の裏付けに基づき説得力のある議論を展開し、それでいながら、もちろん競争法のできることには限界があることを認め、実に迫力に満ちたセッションでした。

Hearn氏(女性)は、比較的お若い方でしたが、さまざまな文献からのフレーズを議論の中で縦横無尽に、かつ極めて的確に引用され、実によく勉強されていて、頭のよい方だと思いました。

出る前からこのセッションは外せないと思っていたのですが(First教授が出ることは事前発表されておらず、当日その場で知りました)、実に、期待を上回るものでした。

最後のQ&Aで質問者の1人が「自分が出たセッションの中でこのセッションが最高だった。」と激賞されていましたが、全くそのとおりで、私の中では、今回のみならず、これまで出てきたSpring Meetingのすべての中で最高でした。

(それに比べると、本来ハイライトであるはずのEnforcers' Roundtableは、いまいちでした😖)

やっぱりこういうのは本を読むだけではなく、生の議論を聞くに限ります。

自分の仕事がどれくらい世の中の役に立っているのかは誰しも気になるところではないかと思います。

最近はbull shit job(クソどうでもいい仕事)という言葉がはやっていて、さすがに独禁法弁護士が「クソどうでもいい仕事」とは思いませんが、それでも、過去の経験を切り売りするような仕事に果たしてどれだけの社会的意味があるのか、それはお金は生んでも価値を生んでいないのではないか(まさに「クソどうでもいい仕事」のように)、など疑問を感じることは時々あります。

そう考えると、自分のやっている競争法という仕事が、民主主義に貢献できるかもしれないと実感できたことは、私にとって大きなモチベーションとなりました。

とくに最近は巨大デジタルプラットフォームやAIの規制が競争法では大きなテーマで、今回のSpring Meetingでも多くのセッションで取り上げられていましたが、経済的な厚生という狭い価値ではなく民主主義という大きな価値にかかわるものであると考えると、日本のプラットフォーム規制法も、またぜんぜん違った見え方がするのではないでしょうか。

経済法をまじめにやると経済学を勉強しないといけなかったり、景表法の不実証広告規制をまじめにやると統計学を勉強しないといけなかったりと、やらないといけないことが増えるのは大変であるとともに楽しくもあるのですが、今回あらたに、民主主義と競争法が私の勉強のテーマに加わりました。

あともう1つ面白かったのが、初日の、DO NON-COMPETES CAUSE MORE HARM THAN GOOD? というセッションでした。

このセッションでは、経済学者のEvan P. STARR氏(University of Maryland, Robert H. Smith School of Business)が、競業避止義務がいかに競争に悪影響を与えるかを、ご自身のものを含め数々の実証研究を引きながら、実に説得的に論じられていたのが印象的でした。

そのほかのパネリストはみなロイヤーで、競業避止義務は必要な場合もあるので合理の原則にすべきだとか、実際、競業避止義務がないことで困ったケースがあったというエピソードばかりで、やっぱり法律家ってどこの国でもこの程度のことしか言えないんだなぁと感じ、逆にあらためて、経済法における経済学のツールとしての有用性、強力さに感銘を受けました。

経済学の強力さは、何も計量経済学のようなデータの問題だけではなくて、今回のStarr氏の反論の中心も、

①競業避止義務がった場合となかった場合で給与が上がったとか下がったとか言っても無意味であり、causationとcorelationを混同してはいけない、

②比べるべきは、秘密保持義務と目的外利用禁止義務があって競業避止義務はない場合と、競業避止義務がある場合、なのであり、競業避止義務がある場合とない場合を比べても意味がない、

という、実に理路整然としたものでした。

これを聞いて思い出したのが、かつてとある勉強会でクレジットカードの手数料の議論をしていたときに、ある弁護士さんが、

「自分はクレジットカードのポイントでファーストクラスにアップグレードしたりして大きなメリットを得ているので、多少手数料が高くても気にならないし、こういうサービスがなくなるならむしろ手数料の規制には反対だ。」

というような発言をされていたことでした。

私は、これを聞いて、「ああこの人分かってないかぁ」と思いました。

というのは、理屈の上では、手数料が高い現状と、低い(あるいは、ない)場合(but for)を比べないといけないんですね。

そして、数々の経済学の研究が指摘するのは、手数料が高いために小売価格が高止まりしているのではないか、という点なわけです。

つまり、カードでポイントをたくさん稼いでいる人も、実は、but forの状態に比べて高い価格でたくさん買い物をすることで、ポイント原資以上を負担しているのではないか、ということなのです。

少なくともご自身はそうであっても、このようにbut forを想定して、世の中で損をする人と得をする人のどちらが多いのか、を考えないといけないわけです。

でも、これがふつうの法律家の限界なのでしょうね。

競業避止義務については、かつて読んだ「Against Intellectual Monopoly」という本に、退職後の競業避止義務がイノベーションにとっていかに有害であるか、ということが書いてありました。

同書では、シリコンバレーがあれだけ栄えたのは競業避止義務が州法で禁止されているからだ、ということでした。

それ以来、私は競業避止義務に批判的なのですが、今回のセッションはそれに経済学的な裏付けがあるということがわかり、その意味でも実に有益でした。

それから、ウクライナ支持の私はいつも黄色と青のウクライナカラーのネクタイをしているのですが、Enforcers' Roundtableのときにウクライナ人の女性の弁護士が、それをみて声をかけてくれて、実に嬉しかったです。

がんばれ、ウクライナ!

2022年11月 9日 (水)

ネオ・ブランダイス学派の問題点

FTC委員長のリナ・カーンをはじめとするネオ・ブランダイス学派の問題点は、ホーベンカンプ教授も

Is Antitrust's Consumer Welfare Principle Imperiled?

で指摘されているとおり、同学派が重視すべきとする価値は消費者余剰とトレード・オフの関係がある、ということです。

つまり、値段が上がる、ということですね。

もう1つの問題点だと私が思うのが、「目に見えるものしか見ない」という点です。

2021/6/27付日経新聞「米FTC委員長に就任 リナ・カーン氏 対巨大IT、「弱者の立場」で」

という記事には、

「〔カーン氏は〕若さもあり主流派から批判も受けたが「理論ではなく現場の調査で得た証拠が私に⾃信と勇気を与えた」と語る。」

とあります。

でも、経済学におけるトレード・オフというのは、目に見えにくいものが少なくありません。

シカゴ学派の経済学者のミルトン・フリードマンの

「Capitalism and Freedom」

という本を読むと、そのことを実感します。

例えばフリードマンは、最低賃金規制に反対ですが、その理由として、最低賃金以下で働きたいと思う労働者の働く権利を奪う、ということを述べています。

同書では、最低賃金以外にも、教育や差別、所得の再分配などさまざまなテーマが取り上げられていますが、共通するのが、この、見えないトレード・オフを見落としてはいけない、という点です。

こういう、目に見えない不利益というのは、「言われてみれば確かにそうだよね」というものばかりです。(目に見えないのだから当然です。)

そのようなものに気づくには、理論、もっといえば、知性が必要です。

そういう観点からみると、

「理論ではなく現場の調査で得た証拠が私に⾃信と勇気を与えた」

というカーン氏のコメントは、私には、反知性主義的に見えます。

それから、現在の反トラスト法の消費者余剰基準が短期的な価格への影響しかみていないというネオ・ブランダイス学派の批判に対しては、

KONSTANTIN MEDVEDOVSKY, HIPSTER ANTITRUST – A BRIEF FLING OR SOMETHING MORE?

という小論で、水平合併ガイドラインには短期的影響のみをみるなどとは書かれていないし、実際、実務では長期的な影響が詳細に調査されている、という反論がなされており、そのとおりなんだろうと思います。

短期的な価格への影響しか見ないというのであれば、私も問題だと思いますが、実際には長期的影響も見ているわけですし、短期か長期かというのは、消費者余剰基準とは関係のない問題です。

つまり、消費者余剰基準のもとで長期的な消費者余剰を見ることは、充分可能です。

なので、短期的な影響しか見ないという批判はそもそも事実(実務)にも、理論にも基づかない批判であり、文字どおりの「的外れ」だと思います。

日本では、独禁法実務にかかわる人たちの大半は「消費者余剰」というミクロ経済学の概念をおそらく知らないので、シカゴかポスト・シカゴかネオ・ブランダイスか、という議論の入り口にすら立てていないのが実情ですが、こういうまともな議論ができるアメリカは、そのあたりの素地がきっと共有されているのでしょう。

うらやましい限りです。

2018年4月14日 (土)

ABA Spring Meeting 2018

今年ひさしぶりにAmerican Bar AssociationのAntitrust Spring MeetingでワシントンDCに来ており、本日全日程が終了しました。
 
やはりアメリカに来るといろんな人に会えて楽しいですね。
 
ランチのときに、FTCの若い女性の職員の方と隣になって話をきいたら、1-800Contactの事件を担当したと聞いて、大いに盛り上がりました。
 
この事件は、1-800Contactというコンタクトレンズのネット販売業者が競合他社と合意して、検索連動型広告のインターネット検索キーワードの入札で談合した、という事件です。
 
当事者の反論としては、商号など一定のキーワードを守ることはフリーライドや消費者の混乱を防ぐために必要だ、ということだったのですが、FTCには認められませんでした。
 
「FTCは、典型的なカルテルばかり扱うDOJよりもinnovativeな事件が多いよね。」というと(本音です)、満足されていました。
 
それと、この事件を見てから疑問だったのですが、
 「日本でAmazonとかのキーワードでGoogleで検索するとほかの会社の広告はでないんだけど、これってAmazonがカルテルしてたり、すごい高い値段でキーワードを買い取ってるのかな?」
という質問すると、
「関連性の低いウェブサイトは表示されないプログラムになっているのよ」
と教えていただきました。なるほど。
 
そのほかには、今話題のフェイスブックのCEOのザッカーバーグの代理人をしている事務所の話が聞けたり(国会での証言はうまくいったと満足そうでした)、マリンホース事件で個人を代理していた弁護士さんに会えておもしろかったです。
 
詳しい内容はもちろんここでは控えますが、カルテルなんかするもんじゃないなぁと改めて思いました。
 
それから、一部では話題なのですが、ビタミンカルテルで中国企業が中国政府に命じられて価格協定をしていた場合に、米国反トラスト法が適用されるのかという争点で近々最高裁で(確か)弁論が開かれるのですが、その中国企業の弁護士さん(アメリカ人)のお話も聞けておもしろかったです(とくに受任の経緯とか、予想される争点とか)。
 
この事件は米国が国際礼状(comity)をどれくらい重視するのか注目されている事件です。今後も注目していきたいとおもいます。
 
あとアメリカ人との雑談の話題としてはエンジェルスの大谷選手の話題が「鉄板」でしたね。
 
アメリカでも大きな話題みたいです。
 
さて最終日午前はまず、FTCの競争局、消費者保護局、経済局の局長のセッションに出てきました。
 
とても興味深かったのは、最近は経済局が消費者保護問題を扱うことが増えているということでした。
 
消費者保護法なんて合理的で客観的な経済学と最も縁遠い法律だと思っていたのですが、そうでもない時代なんですね。
 
それをはじめとして、FTCでは競争法と消費者保護法の一体的運用がなされていることに強い感銘を受けました。
 
こういうFTCや、欧州委員会がデータ保護やプライバシーの問題を扱っているのをみるにつけ、日本の公取も消費者庁と一緒になればいいのにと、改めて感じました。
 
以前は公取が景表法を取り戻すという意味で消費者庁を吸収合併できればいいなと考えていましたが、最近の消費者庁の活躍ぶりや職員数の増加に照らすと、逆に消費者庁が公取を吸収して、オーストラリアの競争消費者委員会(ACCC)のようになる手もあるかもしれません。
 
さて午前最後はSpring MeetingのハイライトのEnforcers' Roundtableに出てきました。
 
予想どおりといいますか、欧州委員会のベステアーさんが光ってましたね。
 
デジタルマーケットで消費者が力を取り戻すこと(power balance)の重要性を訴えており、強い意志を感じました。
 
インターネットを通じて取引が行われる時代になると、消費者問題も競争法も、インターネットという共通のインフラを通じて考えざるを得ない、ということなのだと理解しました。
 
ここでも、競争法と消費者保護法の一体的運用の重要性を感じました。
 
データ保護が欧州であれだけ重視されているのも、そういう背景がきっとあるのでしょうね。
 
ベステアーさんについては、友人の英国の競争法弁護士は批判していましたが、カリスマ性はあるなぁと感じました。
 
新聞によると、ベステアーさんはチームにシナモンロール(さすがヨーロッパ、おしゃれですね)を焼いてあげたりするそうです。
 
きっと部下の心をつかむのもお上手なのでしょう。
 
そのほかも勉強になることがたくさんあったのであとでゆっくり復習したいと思います。
 
なおDOJのデルラヒムさんによると、たしかにカルテルの摘発件数は減っているけれどリニエンシーの申請件数は減っていないということなので、そのうち件数は上向くのではないかと思われます。
 
ほかのセッションでは、Chairs Showcaseで、最近退官したPosner判事の業績を振り返っていたのですが、一人であれだけの業績を残すって(しかも判決を書きながら)すごいなと思います。
 
でもそのセッションでも触れられていて要注意なのが、ポズナー判事が70年代の若いころに書いたものは2000年ころに書いたもので説が変わっていたりする、ということです。
 
知り合いの弁護士でポズナー判事が担当した事件を担当した人がいて、地裁ではビジネスを理解しない判事にとんでもない判決を出されて負けたけれど、控訴審のポズナー判事はビジネスをとてもよく理解していてひっくり返してもらった、と言っていました。
 
頭のよい人はビジネスの飲み込みも早いのでしょうか。
 
それと、競争法をやっている者の立場からいうと、競争法を学ぶとビジネスの実態も(少なくともずぶずぶの弁護士よりは)よく理解できる、ということもあるかもしれません。
 
私も通ったNYUのフォックス教授がパネリストの1人でしたが、フォックス教授によると反トラスト法はポズナー判事の業績のほんの一部に過ぎないらしいです。
 
きっと、競争法の狭い世界にとどまらないところも、広い視野をもつために役立ったんだろうと想像します。
 
というわけで、すごい人なんだと改めて思いました(ABAで取り上げられるのもめったにないことでしょう)。
 
良いきっかけですから、ポズナー判事の本や論文を改めて読んでみたいと思います。
 
久しぶりのDCですが、ずいぶんと変わりましたね。
 
再開発が進んで街が安全になり、わたしが2001年にサマースクールで来た時には立ち寄りがたかったチャイナタウンのあたりも、夜でも大勢の人が出歩いていて、見違えるようです。
 
何人かのDCの弁護士さんに聞きましたが、やはり最近の大規模な再開発の影響は大きいみたいです。
 
その関係か、Shearman SterlingやWeil GotshalやArnold Porterなど、大手事務所のDCオフィスの移転が相次いでいるみたいです。
 
それから、アメリカ軍がシリアの爆撃を開始したというニュースが流れてきました。
 
アサド政権が化学兵器を使用したことが確認できたからというのがトランプ大統領の攻撃の理由だそうですが、自国が攻撃されてもいないのに先制攻撃するというのは、60年以上も専守防衛でいる日本の感覚からすると、理解できません。
 
今ホテルでCNNをつけています。
 
ブッシュ大統領がイラクを空爆した時もちょうどニューオーリンズを旅行中でホテルでCNNを見ていたなぁと思い出しました。
 
安倍首相は日本を戦争ができる国にしたいみたいですが、日本はアメリカのようにはなってほしくないなと思います。
 
(最近、
矢部 宏治 著 『日本はなぜ戦争ができる国になったのか』
という本を読みましたが、前著の、
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』
とともに、全国民必読の書(大げさではなく)と思いました。
 
でも全国民に読ませるのは無理なので、小学校は無理でも、中学校くらいでこの内容を教えたらいいのに、と思います(中学校での前川前次官の講演にまで介入する文科省の態度では到底むりでしょうけれど)。
 
法律家の身としては、やはり司法というのは大事なんだなぁと、責任の重さを感じました。
 
司法試験受験時代にさらっと勉強した砂川事件最高裁判決も、最高裁がこんな売国奴のようなことをしたのかと知らされると、控えめに言って同判決は司法の汚点だと思います。
 
とくに砂川事件について詳しく知りたい方は、
吉田 敏浩ほか著『検証・法治国家崩壊:砂川裁判と日米密約交渉』
がおすすめで、こちらは全法曹必読です。)
 
トランプべったりの安倍さんのことですから(というか、これは安倍さんに限ったことではなく日本政府はいつもそうですが)、きっと爆撃を支持する声明が政府から出るんでしょうね。
 
でも今回は少し、考えてからのほうがいいんじゃないでしょうか。
 
DCから、そんなことを思いました。

2016年5月 7日 (土)

トリンコ判決の位置づけ

滝川敏明「競争者排除行為の違法認定基準(上)」(公正取引671号・2006年)

という論文に、Trinko判決の評価として、

「最高裁も、『短期的犠牲テスト』を単独行為全体に適用することを示唆する意見をTrinko判決において表明した。

Trinko判決において最高裁は、それまでの代表的単独行為判決であるAspen判決を再解釈して、アスペン(スキーゲレンデ会社)の取引拒絶(隣接ゲレンデ企業との共通リフト券発行の停止)の違法性は、アスペンが『短期的利益を犠牲にして、反競争的目的を達成する意欲を示した」(540U.S. 398, 409)ので、認められると表明した。」

「従前の解釈では、それまで継続していた取引をアスペンが合理的理由なく停止した『行為変化』に不当性を認める見方が一般的であった。

これに対し、Trinko判決の見方では、行為変化の事実ではなく、それまで取引(共通リフト券発行)によって利益をあげていた(自由意思により取引したのだから利益になる取引である)ものを、取引停止によって『短期的利益を放棄した』場合に排他行為の不当性が認められる。

この論理によると、新規取引をすべて拒絶する場合であっても、短期的犠牲をこうむる場合には違法性を推定させる。」(25~26頁)

と論じられています。

たしかにアスペン事件では行為が変化したことがポイントだというのはよくいわれることなので、ひょっとしたら上記引用部分の評価が一般的なのかもしれませんが、判決原文をよむと、「再解釈」というほどのものなのか、私は疑問に思います。

つまり、上記論文がのべている、Trinko事件判決でAspen判決に触れた該当部分は、

「The unilateral termination of a voluntary (and thus presumably profitable) course of dealing suggested a willingness to forsake short-term profits to achieve an anticompetitive end. Ibid

のことと思われます(409頁)。

Ibidはここではアスペン判決の610~611頁を指しているので、アスペン判決のその部分をみると、たしかに、いままで自発的にやっていた行為をやめたことが縷々述べられているのですが、最後に、

「Thus the evidence supports an inference that Ski Co. was not motivated by efficiency concerns and that it was willing to sacrifice short-run benefits and consumer goodwill in exchange for a perceived long-run impact on its smaller rival.」

と締めくくられています。

ここでの、「short-run benefits」と、トリンコ判決の「short-term profits」は同じものでしょう。

つまり、短期利益の犠牲というのはトリンコ判決が言い始めたものではなくて、アスペン判決ですでに言われていたのです。

たしかに、どこに力点を置くかという点では、アスペン判決は短期利益の犠牲に力点を置いているようにはみえないので、そこに力点を置いたという意味では、トリンコ判決はアスペン判決を「再解釈」したといえるのかもしれません。

しかし、わたしがこの論文でもっと気になるのは、なんだか不当性の理由(なぜその行為が悪いのか)と、不当性の基準(どの行為を違法とするのか)が、ごっちゃに議論されていようにみえるところです。

つまり、同論文でも「短期的犠牲テスト」と呼ばれている、排他行為全般に関するテストは、「テスト」というくらいですから、違法と適法を分ける基準として議論されているはずです。

これに対して上記引用部分で、

「これに対し、Trinko判決の見方では、行為変化の事実ではなく、それまで取引(共通リフト券発行)によって利益をあげていた(自由意思により取引したのだから利益になる取引である)ものを、取引停止によって『短期的利益を放棄した』場合に排他行為の不当性が認められる。」

と述べている部分は、「違法性」ではなく「不当性」という言葉を使っているせいかもしれませんが、そのような排他行為が悪い理由(非難の根拠)を述べているように、私には思われて仕方ないのです。

その前の導入部分の、

「従前の解釈では、それまで継続していた取引をアスペンが合理的理由なく停止した『行為変化』に不当性を認める見方が一般的であった。」

という問題意識(問題設定)をみても、その行為が悪い理由(非難の根拠)が議論の土俵のようにみえます。

たとえば、高速道路の制限速度が100キロなのは、それを超えると事故の可能性が高まるからです。(非難の根拠)

これに対して、制限速度100キロの高速道路で、違法かどうかの基準は「時速100キロ」です。

どうも、上記論文ではこの2つの区別が明確に意識されずに論じられているような気がしてなりません。

とくに排除行為の違法性基準の議論は、薄皮を一枚ずつ剥いていくような、あるいは、遺跡を発掘するときに地表をすこしずつ剥いでいくような、とても繊細な論理操作が必要なような気がしています。

(経済学者の方はこのあたりが数式でズバッと分かるんだろうな、と想像するととてもうらやましいです。)

なので、ちょっとした論理展開のほころびが、とんでもない間違いにつながるような気がするのです。

トリンコ判決の読み方は私の理解不足かもしれませんが、排除行為の考えかたについては、じっくりと考えてみたいと思います。

2016年3月24日 (木)

【お知らせ】米国・EU等海外競争法講座

一昨年、昨年に引き続き、公益財団法人公正取引協会において、

「米国・EU等海外競争法講座」

の米国反トラスト法(応用編)を担当させていただくことになりました。

場所は港区赤坂の公正取引協会です。

5月からはじまる、全5回のシリーズです。

私の担当する米国応用編では、カルテルはもちろんなのですが、昨年も意外に企業結合に関するご質問が多く、みなさん、届出の要否(一度規則を読めばわかりますが、極めて複雑です)や、届出不要だけれども市場シェアが高くなる案件について、どうしようか悩まれているのだなあと実感しました。

今年も限られた時間ではありますが、実務のエッセンスをお伝えしたいと思います。

ご興味のある方は是非こちらの申し込み要領に従って、お申込みください。

2015年12月18日 (金)

Yates Memoについて

今年の9月9日に、司法副長官から反トラスト局長を含め各局長にあてて出されたメモ(Yatesメモ)が話題になっています。

内容は、企業犯罪では個人の責任を積極的に追及していく、という方針を表明したものです。

元々、反トラスト局は、ハードコアカルテルの場合に個人の責任を追及するのに積極的だったので、このメモで何がどう変わるということもないのだと思うのですが、1つ注目されるのは、同メモの6つのポイントうち4つめで、

特段の事情ないし司法省で承認されたポリシーによるのでない限り、司法省は、企業と司法取引をするときには、個人を免責することはしない

とされていることです。

この、「司法省で承認されたポリシー」(departmental approved policy)というのに、リニエンシーポリシーが含まれることは同メモに明記されているのですが、反トラスト局のカーブアウトについては、明記されていないのでよくわかりません。

(カーブアウトというのは、特定の個人、典型的には違反の張本人を、免責の対象から除外(carve out)して、他の従業員・元従業員はまとめて会社との司法取引で免責する、という反トラスト局独自のポリシーです。)

でも、カーブアウトでも責任追及されるべき人は免責されないので、司法取引で明示的に免責対象に含められた人だけ免責される(カーブ・イン)と原則と例外が逆になるだけなので、(実質を問題にしていると思われる)Yatesメモにはカーブアウトポリシーは引っかからないのだろうと思います。

Arnold & Porterのウェブサイトの記事にも、カーブアウトはdepartmental approved policyに含まれるので今後も変わらないだろう、という論評がなされています。

2015年5月 7日 (木)

日豪独禁協定に関する日経記事(4月30日)と公取発表について

4月30日の日経朝刊に、

「公取委、豪当局と協定 証拠資料など相互提供 」

という見出しで、

「公正取引委員会は29日、オーストラリア競争・消費者委員会(ACCC)との間で、独占禁止法違反事件の証拠を共有できる協力協定を結んだ。調査で入手した電子メールや文書を交換することで情報収集機能を高め、国際的なカルテルの摘発増加につなげる。」

と書いてありました。

日米や日EUの協定でも、証拠の交換まではできないので、「思い切ったことをするもんだなぁ」と思うとともに、「どうしてオーストラリアなんだろう?(ICNの年次大会がシドニーであったので、そのお土産か?)」、などと変な勘繰りもしたりしました。

(従来の協定で証拠の交換ができないことは、同記事でも、「公取委が証拠共有まで踏み込んだ協定を結ぶのは初めてで、世界でも米豪間など数例にとどまる。」と書いてあります。)

ところが公取委のホームページをみて、ちょっと意味が分からなくなりました。

「概要」のところで、関連部分では、

「イ 各競争当局は,審査過程において違反被疑事業者等から入手した情報の共有を検討。」

となっていて、あくまで、(将来の課題として?)「検討」するだけであるかのように読めます。

「あれ?」と思って、協定の英語の正文のサブパラグラフ4.3をみると、

「Each competition authority will, where practicable and to the extent consistent with the laws and regulations of its country, give due consideration to sharing information obtained during the course of an investigation.

Each competition authority retains full discretion when deciding whether to share such information or not. The terms of use and disclosure of such information will be decided in writing on a case-by-case basis」

となっており、審査の過程で得た情報(つまり証拠)を共有することについて「適切に考慮する」(give due consideration)となっています。

しかも、「will」なので、(英文契約でwillとshallをどう使い分けるのかという論点はありますが)基本的には考慮義務があるといってよいと思います。

ところが公取委の仮訳では、

「各競争当局は、実行可能な場合で、かつ、自国の法令によって許容される限りにおいて、審査過程において入手した情報を共有することについて相応の検討をする

各競争当局は、当該情報を共有するか否かを決定するに際し、完全な裁量を保持する。当該情報の使用及び開示の条件は、場合によっては書面で決定される。」

と、されています。

これが先の「イ」の、「共有を検討」の出どころなのですね。

でも、「give due considration」というのは、義務とまではいえないけれど十分に考慮する、ということを表す常套句なので、お互いに裁量はあるにせよ、実際に相当程度の証拠の共有が行われる趣旨であろうと読み取れます。

それを、「相応の検討」と翻訳するのは、誤訳とはいいませんが、あまり適切な訳とはいえないと思います。

たとえば、政府の英訳法令データベースで、森林病害虫等防除法(暫定版)の7条の2(防除実施基準)(Pest Control Implementation Standards)をみると、

「第七条の二 農林水産大臣は、薬剤による防除が自然環境及び生活環境の保全に適切な考慮を払いつつ安全かつ適正に行われることを確保するため、森林病害虫等の薬剤による防除の実施に関する基準(以下「防除実施基準」という。)を定めなければならない。」

というのを、

「Article 7-2 (1) In order to ensure that control through pesticide application is implemented safely and properly, while appropriately giving consideration to conservation of the natural and living environment, the Minister of Agriculture, Forestry and Fisheries shall set standards concerning implementation of control of Forest Pests, etc. through pesticide application (hereinafter referred to as "Pest Control Implementation Standards").」

と英訳しています。

appropriateはdueと同じ意味なので、やはり日豪協定の「give due consideration」は、「適切な考慮を払う」と訳すべきでしょう。

しかも公取委の仮訳だと、「will」が訳出されていません。これは法令の翻訳として、ちょっと問題だと思います。

法令データベースで「相応の検討」で検索してもヒットしないので、「相応の検討」という用語は日本の法令では用いられていないものと思われます。

一般論としては、「検討する」を「consider」と訳すのは、かまわないと思います。

たとえば信託法附則4項では、

「前項の別に法律で定める日については、受益者の定めのない信託のうち学術、技芸、慈善、祭祀、宗教その他公益を目的とする信託に係る見直しの状況その他の事情を踏まえて検討するものとし、その結果に基づいて定めるものとする。」

というのを、

「The date specified separately by law set forth in the preceding paragraph shall be considered in light of the status of the review of trusts with no provisions on their beneficiaries which are created for academic activities, art, charity, worship, religion, or other public interest, as well as other circumstances concerned, and shall be determined based on such consideration.」

と英訳しています。

ですが、逆に、「consider」を「検討する」と訳してよい場合は、かなり限られると思われます。

少なくとも日豪協定4.3条においては、適切ではありません。

「検討する」という日本語から浮かぶ英語としては、むしろ、「study」とか、「investigate」とかではないでしょうか。

なお、証拠の共有を念頭においた条文として面白いものとして、日豪協定パラグラフ4.1では、

「Each competition authority will endeavour to render assistance to the other competition authority in the other’s enforcement activities to the extent consistent with the laws and regulations of the country of the assisting competition authority and the important interests of the assisting competition authority, and within its reasonably available resources.

Such assistance may include supporting the other competition authority in the application for approval of a separate governmental body of the country of the assisting competition authority if such approval is required to obtain information or evidence from enterprises or individuals of the country of the assisting competition authority.」

というのがあって、公取委の仮訳では、

「一方の競争当局は、自国の法令及び自己の重要な利益に適合する限り、かつ、自己の合理的に利用可能な資源の範囲内で、他方の競争当局に対してその執行活動について支援を提供するよう努力する。

そのような支援には、他方の競争当局が、支援を提供する競争当局の国内の企業又は個人から情報又は証拠を入手する際に、当該国の別の政府機関から同意を得ることが必要な場合において、当該政府機関から同意を得るための申請に係る支援が含まれ得る。」

とされています。

つまり、証拠の提供に自国の他の政府機関の承認が必要なら、その承認申請もする、ということですね。

2015年4月 3日 (金)

EUの企業結合届出基準

EUの企業結合の届出基準をまとめておきます。

届出が必要な場合(「共同体規模」(Community dimension)を満たす場合)は、以下の通りです(企業結合規則1条2項)。

①〔企業結合に参加する〕すべての関係企業(undertakings concerned)〔グループ単位。以下同じ〕の全世界総(aggregate)売上を合算した(combined)額が50億ユーロ超であり、

((a) the combined aggregate worldwide turnover of all the undertakings concerned is more than EUR 5000 million;)

かつ、

②関係企業の少なくとも2つの企業の域内における総売上が、それぞれ2億5000万ユーロ超であること。

((b) the aggregate Community-wide turnover of each of at least two of the undertakings concerned is more than EUR 250 million,)

ただし、関係企業のいずれもが、その共同体内売上合計額の3分の2超を、同一の1国内で上げている場合を除く

(unless each of the undertakings concerned achieves more than two-thirds of its aggregate Community-wide turnover within one and the same Member State.)

さらに、以上の要件を満たさない場合でも、以下の要件を満たす場合には、届出が必要です(企業結合規則1条3項。つまり、届出基準が2段構えになっています)。

すべての関係企業の全世界の総売上を合算した額が、25億ユーロ超であり、

((a) the combined aggregate worldwide turnover of all the undertakings concerned is more than EUR 2500 million;)

かつ、

②少なくとも〔任意の〕つの加盟国のそれぞれにおいて、すべての関係企業の総売上を合算した(combined)額が、1億ユーロ超であり、

((b) in each of at least three Member States, the combined aggregate turnover of all the undertakings concerned is more than EUR 100 million;)

かつ、

③②の少なくとも当該カ国のそれぞれにおいて、関係企業の少なくとも〔任意の〕つのそれぞれ(each of at least two)の総売上が2500万ユーロ超であり、

((c) in each of at least three Member States included for the purpose of point (b), the aggregate turnover of each of at least two of the undertakings concerned is more than EUR 25 million; )

かつ、

④関係企業のうち少なくとも〔任意の〕つの共同体内における総売上が、それぞれ1億ユーロ超であること。

((d) the aggregate Community-wide turnover of each of at least two of the undertakings concerned is more than EUR 100 million,)

ただし、関係企業のいずれもが、その域内売上合計額の3分の2超を、同一の1国内で上げている場合を除く

(unless each of the undertakings concerned achieves more than two-thirds of its aggregate Community-wide turnover within one and the same Member State)

原文を読むと、

combined(合算)というのは、複数の当事企業(グループ)の売上を合算する場合に用いられており、

aggregate(総)というのは、同一当事企業(グループ)の総売上の意味で用いられている

ということが分かります。

以上を、枝葉の部分を端折って、しかも通常の2者間の結合を前提にざっくり要約すれば、

① 2当事者の世界売上合算額が、まとめて50億ユーロ超、

かつ、

② 2当事者の域内売上が、2社いずれも、2億5000万ユーロ超、

または、

① 2当事者の世界売上合計額が、まとめて25億ユーロ超、

かつ、

〔②、③省略〕

④ 2当事者の域内売上が、2社いずれも、1億ユーロ超、

の場合に、基本的に届出を要することになります。

2015年1月11日 (日)

ハブアンドスポークに関する英国の判例

池田毅「直接の連絡によらない『非典型カルテル』の近時の発展と求められるコンプライアンス」(NBL1039号36頁)で紹介されていた、ハブアンドスポークに関する英国の裁判例が、なかなかよく練られていて興味深いので、ちょっと検討してみます。

CAT 31, Case No. 1188/1/1/11 Tesco Stores Ltd. etc v. OFT (20 Dec. 2012)

同判決では、

B (supplier)

↗       ↘

A (retailer)          C (retailer)

と価格情報が伝達されたという事実関係のもとでハブアンドスポークのカルテルが成立する十分条件として、次の5つを挙げています(57段落)。

(a) retailer A discloses to supplier B its future pricing intentions;

(b) A may be taken to intend that B will make use of that information to influence market conditions by passing that information to other retailers (of whom C is, or may be, one);

(c) B does, in fact, pass that information to C;

(d) C may be taken to know the circumstances in which the information was disclosed by A to B; and

(e) C does, in fact, use the information in determining its own future pricing intentions.

さて前記論文では、

① 小売店AがサプライヤーBに将来の価格の意向を伝達した。

② Aは、Bが、その情報を他の小売店に伝えることによって、市場の状況に影響を与えようとするであろうことを意図していた。

③ Bが実際に当該情報を別の小売店Cに伝達した。

④ Cは、AがBに情報を開示したという状況を認識していた。

⑤ Cが実際に当該情報を自己の将来価格の意向を決定するのに用いた。

と翻訳されていますので、これを取っ掛かりに検討してみましょう。

まず最初に細かいことですが、同論文では、

「CATは過去の先例と同様に、以下の要件が満たされる場合に違法な協調行為になるとの規範を示した。」

とされていますが、厳密にいえば、同判決57段落では、

「The parties agreed that, if the propositions set out by Lloyd LJ at paragraph 141 of Toys and Kits (set out in full at paragraph 67 below) were met, that would be sufficient to establish an infringement of the Chapter I prohibition.」

といっています。

つまり、「要件」というよりも、「十分条件」なのですね。(つまり、以上の5つの事実が満たされれば必ず違法だけれど、それ以外にも違法になる場合がある、ということです。)

たとえば判決353段落では、AやCの主観的要件が、もっと程度の低いもので足りるのかについては、先例は意図的に明言していないのだ、と述べています(つまり、5つの事実を満たさない場合にでも違法になり得るということです。)

日本の法律で「要件」という場合には、必要十分条件の意味で使うことが多いですし、通常の日本語としても、

「以下の要件が満たされる場合に違法な協調行為になる」

といえば、

「以下の要件が満たされない場合に違法な協調行為にならない

んだな、と理解しがちなので、前記論文の「以下の要件が満たされる場合には」という記述には若干の注意が必要です。

さて、上に引用した前記論文の翻訳は、だいたいそのとおりなのですが、判決のこの部分は縦の関係の情報伝達がカルテルになるか否かを分ける基準として練りに練られた上でドラフトされているので、実は読み込むにはかなりの集中力が必要です。

まず、①はとくに問題ないでしょう。

問題は次の

② Aは、Bが、その情報を他の小売店に伝えることによって、市場の状況に影響を与えようとするであろうことを意図していた。

です。

原文の(b)では、

(b) A may be taken to intend that B will make use of that information to influence market conditions by passing that information to other retailers (of whom C is, or may be, one);

となっていて、直訳すると、

Bが当該情報を他の小売店ら(Cがそのうちの1つであるか、あるいは、1つであり得る)に伝えることによって市場の諸条件に影響を与えるために利用するであろうことを、Aが意図しているとみなされ得る

となります。

まず、前記論文翻訳の「与えようとする」というのは、「try to influence」的なニュアンスがありますが、原文は端的に、「Bが・・・与えるためにその情報を利用する」となっており、直接的です。

もっと根本的なことをいえば、原文では「B will make use of...」となっていて、この「will」というのは、英語のニュアンスでは、ほぼ確実にそうするであろうという感じで、mayと明確に対置されます。

実は判決の71段落ではこの点がまさに争点になっていて、Aの将来価格の意図がCに伝達される「かもしれない」(might)ことを予期していたこと(foresight)だけでもAの主観的要件としては十分であるというOFTの主張が裁判所により排斥されています。

なので、伝達されるであろう(would)と、伝達されるかもしれない(might)というのでは意味が異なるわけで、「与えようとするであろう」では、この辺りがあいまいになってしまいます。

それから、「may be taken to」(~とみなされ得る)というのもけっこうポイントで、(Aが)現に意図していた場合に限られない、という含みがあります。つまり、「意図していた」というのより幅広くカルテルの成立が認められることになります。

この点も判決では明確に意識されていて、66段落では、先例を引用しながら、Aの主観的要件は、

「retailer A may be taken to have intended, or actually foresaw, that its future intentions would be conveyed to its competitor, retainer C」

であると述べられていて、実際に予期していた場合以外に、「意図していたとみなされ得る」場合があると考えられていることがわかります。

次の③はよいでしょう。

問題は次の、

④ Cは、AがBに情報を開示したという状況を認識していた。

です。

「情報を開示したという状況」って何かと思って原文をみたら、

(d) C may be taken to know the circumstances in which the information was disclosed by A to B;

なんですね。

直訳すると、

当該情報がAからBに開示された状況をCが知っているとみなされ得る(こと)

ですね。

「may be taken」(みなされ得る)は、前述のとおりです。

そして、前記論文の「Cは、AがBに情報を開示したという状況を認識していた」というのでは、AからBへの情報開示があったことをCが知っていればこの要件は満たされそうに見えますが、その状況(the circumstances)を知ってないといけないのですね。

ただ、状況の詳細まで知らないといけないわけではもちろんないでしょうから、結果的には、

「④’ Cは、AがBに当該情報を開示したことを認識している」

でも良さそうなものです。

そうだとしたら、前記論文の翻訳も、細かい文法的なことはさておいて、結論的には大過ないということになるのでしょう。

しかし、私はこの部分を、

「④’ Cは、AがBに当該情報を開示したことを認識している」

と解釈するのは問題だと思います。

ポイントは、

(d) C may be taken to know the circumstances in which the information was disclosed by A to B;

の中の、

「the circumstances」

です。

「circumstance」をOxford Advanced Lerners' Dictionaryで調べると、

「the conditions and facts that are connected with and affect a situation, an event or an action.」

(ある状況、出来事または行為に関係し、かつ影響を与える諸条件および諸事実)

と説明されています。

そして、今の文脈で大事なのは、

the circumstances in which the information was disclosed by A to B」

の「the circumstances」に、AがBに価格情報を伝えたという外形上の事実(要件(a))のみならず、開示したときの意図(要件(b))も含まれるのか、という問題です。

実質論からいえば、これは明らかに含まれるべきです。

なぜなら、CがAの意図を知らない場合にカルテルが成立するというのは、どう考えても無理だからです。

そして、circumstancesの、

「ある状況、出来事または行為に関係し、かつ影響を与える諸条件および諸事実

という意味からすれば、その「諸条件および諸事実」に、Aの意図が含まれないと考えるのは、言葉の意味からして無理でしょう。

というのは、主観的意図が何かの「条件」になることはいくらでもありますし、主観的意図も「事実」であることには変わらないからです。

実際、判決の85段落では、

「The key point is, in our view, that C must be shown to have appreciated the basis on which A provided the information to B, so that A, B and C can all be regarded as parties to a concerted practice.」

(当裁判所の見解によれば、キーポイントは、A、BおよびCが協調行為の当事者とみなされ得るためには、Aが当該情報をBに提供した理由をCが理解していたことが示されなければならない、ということである。)

と判示されており、Aの意図をCが理解していることが要件(d)のcircumstancesに読み込まれていることが明らかです。

というわけで、前記論文の、

④ Cは、AがBに情報を開示したという状況を認識していた。

という翻訳では、あたかも開示したという事実を認識していたと読める点で、問題があるわけです。

まして、

「④’ Cは、AがBに当該情報を開示したことを認識している」

と省略してしまうのは、もっと問題です。これでは開示という客観的事実を認識していたとしか読めません。

やっぱり日本語に直すなら、

当該情報がAからBに開示された状況をCが知っている(とみなされ得ること)

というのしかなく、その「状況」の中に、Aの開示の意図や理由も含まれると読んでもらうことを期待するしかないでしょう(「状況」に意図が含まれるというのは、そんなに不自然な解釈ではないでしょう)。

ところで(d)の要件で

(d) C may be taken to know the circumstances in which the information was disclosed by A to B;

と、情報の開示者がAであることをCが認識している必要があると思われること、いいかえれば、

C may be taken to know the circumstances in which the information was disclosed by a competitor [of C] to B;

では足りない、というのは結構重要なポイントではないかと思います。(深読みかもしれませんが。)

というのは、ハブアンドスポークのような間接的な情報のやり取りでは、情報の受領者が情報の発信者を特定できていることがぜひとも必要だと思われるからです。

あと興味深いのは、

(b) A may be taken to intend that B will make use of that information to influence market conditions by passing that information to other retailers (of whom C is, or may be, one);

の要件で、(Cへの情報伝達により)市場の諸条件に影響を与えるために当該情報を利用する主体はBである、と読めることですね。

この点について判決をよく読むと、

「The next limb of an infringement is that supplier B must be shown, as a matter of fact, to have transmitted retailer A’s future pricing intentions to retailer C.」

とされていて(75段落)、Bが市場競争に影響を与えるために情報を意図的に利用したことなどはまったく想定されておらず、たんに客観的に、「伝達」(transmit)したかどうかだけが問題にされているように見えるところもあります。

Bが藁人形でもAとCにカルテルが成立することは何ら問題ないわけですから、この判決の解釈で基本的には正しいのでしょう。

一見、AとCのカルテル成立の要件としてBの主体的関与が必要であるかのように見えますが、そうではありません。外国語って、やっぱり難しいですね。

ただし、Bの立場というのは、要件事実としてはさておき、事実認定の上での間接事実としては通常とても重要で、BがCに情報を伝達する何らかのインセンティブを有しない場合にはAとCの間のカルテルも否定されることが多いでしょう。

というのは、BがCに正確な情報を伝達するのにはそれなりにコストがかかるはずですし、何の理由もなくBがそのような伝達に協力することは通常考えにくいからです。(BがCと価格交渉するためには、Aの価格をあえて不正確にブラフで伝えることもあるので、通常の価格交渉があるだけの状況では、Bに十分な情報伝達のインセンティブがあるとはいいにくいと思います。)このあたりの考慮は判決の237段落にも表れています。

そういうことを考えると、

(b) A may be taken to intend that B will make use of...

と、あえて情報利用の主体としてBを登場させていることは、このあたりのBの立場の重要性を意識しているのかもしれません。

また、別の観点から見ると、

"... B will make use of that information to influence market conditions"

といっているのは、市場の諸条件に反競争的な影響を与えることが当然に含意されているとみることもできます。

なので、本件はハブが上に来ているので成り立ちませんが、ハブが下に来ている場合だと、たとえばBがAから伝達を受けた情報をCに伝えたけれど、それはCから値引きを引き出すためだった、というような場合ならこの要件を満たさないことになりそうです。

被害者になる需要者たるハブが競争制限目的で自分の首を絞めるようなことは通常そもそもないはずですが、官製談合とかだと現実的な想定なので、競わせるための情報伝達が官製談合だと言われないためにはこの要件は役立つかもしれません。

その他にも、Bが競争制限以外の目的でCに伝達するのであれば、この要件を満たさないということになりそうです。

そういうことも考えると、この部分は実に奥行きが深いことを言っているのかもしれません。

ともあれ、判決の英語というのは、冠詞とか助動詞とか、ちょっとしたところに実は深い意味が込められていて、わかりやすく誤解のないように翻訳するのは実はけっこう大変です。(紙面の制限もありますし。)

私もパワポのときとかは、けっこうはっしょってしまったりもします。

論文を書くときも、想定読者によって厳密さのレベル感を変えることもあるかもしれません(笑)。

なので、やっぱり法律の英語は、原文に当たるのが一番なのですね。

別の見方をすると、正確を期すなら逐語訳をするのが最も無難なわけで、わかりやすさを重視してはしょるのは、実はそちらのほうがずいぶん手間がかかりますし、気も遣います。

なので、上記論文の執筆者の名誉のために申し上げれば、きっと執筆者の方はわかりやすさを重視されたのだと思います。

なお蛇足ですが、同論文では、

「CATが用いた規範の下では必ずしも双方向の情報の授受が違法認定に必要となるわけではないと解される。」

との「見解」が示されており、それは正しいのですが、この点は判決の第70段落に、

「We note also that in Toys and Kits, Lloyd LJ said that a finding of an infringement would be all the stronger where there is reciprocity, in the sense that C, having already received A’s future pricing intentions, discloses to supplier B its future pricing intentions in circumstances where C may be taken to intend that B will make use of that information to influence market conditions by passing that information to (amongst others) A, and B does so (paragraph 141). This, however, is not a necessary ingredient of an infringement.」

と、明示的に判断が示されています。

さて、以上を振り返って同判決の規範がハブアンドスポークの規範として適切でしょうか。

例えば、小売店がメーカーに働きかけて行う再販売価格維持とハブアンドスポークのカルテルを区別できるのでしょうか。

判決では、

(a) retailer A discloses to supplier B its future pricing intentions;

ということなので、再販の場合はBからAに小売価格を伝えるので向きが逆だ、というので区別するのでしょうか?

でも実際には、どっちが決めた価格なのか、微妙なこともあるのではないでしょうか。

ただ、結論の妥当性からさかのぼって考えると、この(a)の事実には、CではなくAが小売価格を決定することを当然の前提としているということを読み込む必要がありそうです。

もしそうだとすると、もっとも何気なさそうな(a)の事実が、実はこの規範の中で最も(あるいは案外)重要、ということになりそうです。

次の、

(b) A may be taken to intend that B will make use of that information to influence market conditions by passing that information to other retailers (of whom C is, or may be, one);

は、(a)を前提としないとそもそも成り立たないので、これ単体では検討してもあまり意味がありませんが、それでも(b)だけ単体でみた場合、再販の場合はまさにBが反競争的目的で他の小売店に価格情報を伝えるので、(b)の要件では再販とハブアンドスポークは区別できなさそうです。

次の、

(c) B does, in fact, pass that information to C;

も、やっぱり再販と区別できませんね。

次の、

(d) C may be taken to know the circumstances in which the information was disclosed by A to B;

は、再販と区別するのに役立ちそうですが、それでも、AとBが協議してAの小売価格を決めたような場合には、そのような状況も「the circumstances」に該当すると解するのであれば、再販と区別するのは難しそうです。

なお上述のように、「by A」の部分に着目して、Cが漠然と「他の小売店もこの価格に従うんだな」と認識しているのでは足りない、と考えると、再販と区別する重要な基準になりそうです。

「でも、再販の場合でも小売店にお互いの顔が見えているようなケースもあるのではないか。」といわれると確かにそうなのですが、再販は小売店多数の場合を想定していて、ハブアンドスポークは小売店が比較的少数であることを想定していることが多いのかもしれません。

最後の、

(e) C does, in fact, use the information in determining its own future pricing intentions.

も、再販の場合にはCはBに言われた小売価格に従うだけであって自ら「determine」していないのだ、と解釈すれば、再販と区別する基準になりそうです。

目の前にいかにもハブアンドスポークっぽい事実がある場合にそれをカルテルだといえるというだけでは規範として不適切で、ハブアンドスポークっぽくない(たとえば再販の)事例をカルテルにしてしまわない規範でもある必要があるわけです。

そういうことを考えてみると、英国の判例の基準は、細かいことを言い出すときりがないけれど、大きなところでは、やっぱりうまく練られているんだなあ、という気もします。

今回、この判例をやや詳しく検討するきっかけを与えていただいた各方面の方々と、前記論文とのご縁に感謝したいと思います。

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