独禁法と経済学

2020年1月17日 (金)

経済学における「費用」の概念について

経済学における「費用」の概念は、われわれ法律家をふくむ一般人の目からみるとかなり変わったものなので、独禁法実務においてもこの点をしっかり抑えておかないと混乱が生じかねません。

一番大事なのは、経済学の費用は機会費用(opportunity cost. 生産に必要な財を当該生産の次に利益の大きな生産に用いた場合の利益の差)であるということでしょう。

たとえば経済学の教科書を読んで最初にびっくりするのが、完全競争のもとでは利益はゼロになる、という話です。

「利益がゼロでいったいだれが生産するのだ」と思うのですが、ここでいう「利益」は、収入と費用の差であるところ、この費用が機会費用を意味するので、「利益がゼロ」というのは、通常の言葉でいえば、費用に見合った正常な利益が出る(けどそれ以上は出ない)、ということなんですね。

もうひとつの重要な点は、経済学の費用は基本的に実質値(real value)で考えるべき、ということです。

名目値(nominal value)と実質値(real value)というのは、たとえばリンゴ1個200円、ミカン1個100円の経済で、リンゴの名目価格は200円ですが、実質価格はミカン2個、というようなイメージです。

つまり、名目は金額で、実質はある基準となる量(ミカン1個)の何倍か、で考えます。

この違いが、企業結合の効率性の抗弁で生きてきたりします。

同じようなことがいろいろなところで書かれていますが、たとえば、

John E. Kwoka, Jr. & Frederick R. Warren-Boulton, Efficiencies, Failing Firms, and Alternatives to Merger: A Policy Synthesis, 31 Antitrust Bull. 431 (1986)

という論文のp433では、

To be given any weight in evaluating the competitive effects of a merger, cost savings must be (in economic terms) "real" rather than "pecuniary" and must be uniquely attributable to the merger in question. Since these conditions are generally understood, only a brief discussion on each is presented.

"Real" cost savings allow the firm to produce more or higher-quality output from the same amount of inputs, and may arise in a number of ways. For example, mergers may reduce transportation costs as the consolidated firm routes materials among geographically closer, but previously separate, plants. Similarly, a merger may permit plants of the two constituent firms each to rationalize their product mix and lengthen production runs. Resources may also be conserved through merger if superior managerial techniques or superior production techniques are transferred between the firms. Indeed, almost any nonproduction area-marketing, distribution, research, etc.-may achieve efficiencies. Conventional plant-level scale economies, however, are perhaps least likely to be improved by merger, since generally little can be done to merger production at existing, separate facilities.

By contrast, "pecuniary" cost savings are reductions in a firm's costs that do not represent real resource savings. Examples of a pecuniary cost saving would be tax gains from a merger or lower inframarginal input costs due simply to enhanced bargaining power against suppliers. Lower input costs can even be associated with reductions in social welfare if a merger creates or enhances monopsony power against competitive suppliers. In this case, reduced input purchases by the merged firm drive down input prices, but the reduction in input costs is not due to a reduction in the amount of inputs used to produce the same amount of output. Indeed, while profits increase as input purchases and prices fall, output falls and social welfare declines.

と説明されています。

(引用部分の「pecuniary cost savings」というのが、名目値による費用削減を意味しています。)

つまり、企業結合における効率性の抗弁での費用削減にいうところの「費用」というのは、同一の生産をより少ない量の投入財で行うことができるようになることを意味するのであり、たんに合併により価格交渉力が増して安く購入できるようになった(だけれども、同一量の生産に必要な原材料の数量は変わらない)、というのは効率性(=費用の削減)とは評価すべきではない、ということです。

このあたりは公取委の相談事例(企業結合も、それ以外も)をみても、あまり明確に意識されているとはいいがたく、むしろまったく意識していないのではないかと疑われますが、経済学的には大事なのは実質値であることは理論的にはあきらかなので、誤解のないようにしておくべきだと思います。

2018年4月 9日 (月)

ブラウン管事件高裁判決について

独禁法の域外適用が問題になったブラウン管カルテル事件についての東京高裁平成28年4月13日判決〔MT映像ディスプレイ等〕は、
「自由競争秩序の維持は、供給者と需要者の双方が、それぞれ自由な判断により取引交渉をして意思決定をするという過程が、不当な行為により制限されないことが保証されることによって図られるものであり、自由競争秩序の維持を図る上で保護されるべき需要者の属性として重要なのは、意思決定者としての面と解せられる。」
という理屈で、意思決定者が日本国内にいれば日本の独禁法を適用できる、という立場に立っています。
 
この判決には私は反対です。
 
(審決が出るまえ、一時、わたしもブラウン管カルテル事件に関わっていたので、いろんな国の競争法弁護士に、「日本の公取は意思決定をした親会社が日本にあれば日本の独禁法を適用できるという考えらしい」といったら、みんなびっくりしていました。)
 
基本的には、小田切委員(当時)の審決での補足意見の分類にしたがえば、余剰獲得者の所持在地を基準にすべきだと考えています。
 
これら一連のブラウン管事件判決については、細かいことを言い出すときりがないのですが、ひとつ指摘したいのが、法学と経済学の発想のちがいです。
 
だいぶ以前に、このブログの「独禁法と経済学」という記事で書いたのですが、物の値段はどうきまるのかという点について、法律家は、
「価格は当事者の合意で決まる」
という発想なのに対して、経済学者は、
「価格は市場で決まる」
という発想が強いと思います。
 
法学部で法律を勉強すると、売買契約は当事者の合意により成立する、と教えられます。
 
どうして契約に拘束されるのかといえば、神様がそういったからでも王様が決めたからでもなくて、自由な意思でお互いが合意したから拘束されるのだという、近代市民法の私的自治の発想です。
 
これに対して経済学では、価格は利益を最大化しようとする市場参加者の意思決定の結果として決まる、というように考えます。
 
そして経済学でいうところの「意思決定」は、市場の状況を所与の前提として、利益最大化という規準にしたがって行われる、あくまで受け身のものです。
 
このような基本的な発想の違いが、法学と経済学が交錯するいろいろな場面で出てくるのですが、東京高裁判決もまさにそんな場面の一つに思われます。
 
でも競争法において意思決定の自由を究極的な保護法益として説明しようとすると、いろいろ不都合なことが起こります。
 
たとえば、売手間のカルテルによって買手の意思決定の自由が害されたという場合、暗に想定されているのは、カルテルがあると知っていたらそのような購入意思決定はしなかった、ということなのではないでしょうか。
 
でも極端な例として、売手が独禁法違反で摘発されるリスクをものともせず、カルテルをしていることを公言している場合はどうでしょう。
 
そのような場合でも、買手の意思決定の自由が侵害されているといえるのでしょうか?
 
わたしは、そのような場合の買手の被害を意思決定の侵害に求めるのは難しいと思います。
 
言えるとすれば、買手にはカルテルがない状態で決まる価格で商品を購入する権利があるのだという、まさに余剰獲得者としての視点しかないと思います。
 
もう一つ極端な例として、完全競争市場では、需要者は価格について何ら意思決定をする必要すらありません。
 
経済学では、そういう市場が最も望ましいと考えられていたりします。
 
そこには、意思決定の自由という発想はありません。
 
意思決定の自由を重視する東京高裁の立場は、法学部出身の私からすると、いかにも法律家的というか、それだけに、経済学的な発想がぜんぜんないんだなぁと思わざるを得ません。
 
これと正反対にあるのが、法と経済学で著名なポズナー判事のモトローラ事件における法廷意見で、国外に子会社を設立して現地法に従うのであれば競争法についても現地法に従うべきである、として、米国外で完成品に組み立てられて米国外に売られた商流について米国親会社の損害賠償請求を退けています(白石忠志「ブラウン管事件東京高裁3判決の検討」NBL1075号13頁)。
 
さすが、法律と経済学の両方に通じておられるポズナー判事だといわざるをえません。
 
経済学者である小田切委員があえて補足意見を書かれたのも、きっと、経済学的観点から違和感があったからであろうと推測します。
 
まあ、東京高裁の判断が最高裁でも支持されてしまったので、今となってはどうしようもないのですが、私の見るところでは、この問題は高度な哲学的問題でもなんでもなく、たんに、裁判所に「価格は市場で決まる」とか、余剰という経済学的な発想がなかった(経済学に無知であった)がために起こった誤審だったのではないか、と思っています。

2017年4月21日 (金)

セット販売(バンドルディスカウント)について

昨日の競争法フォーラムの勉強会でセット販売がテーマだったので、前から読みたいと思っていた、ハーバード大学のEiner Elhauge(アイナー・エルハーギ)教授の

TYING, BUNDLED DISCOUNTS, AND THE DEATH OF THE SINGLE MONOPOLY PROFIT THEORY (2009)

という論文を読んで予習してみました。

 

Elhauge教授らしい、相変わらず切れ味鋭い論説で、私もバンドルディスカウントに対する考え方を改めたい、と思いました(宗旨替え)。

 

要点をまとめると、抱き合わせおよびバンドルディスカウントの効果には、

①商品内価格差別(Intra-Product Price Discrimination)

 

②商品間価格差別(Inter-Product Price Discrimination)

 

③個別消費者余剰の搾取(Extracting Individual Consumer Surplus)

(①~③は、いくらかの市場支配力があれば生じるので「支配力効果」(power effects)と総称)

④従たる商品市場の市場支配力増加(Increased Tied Market Power)

 

⑤主たる商品市場の市場支配力増加(Increased Tying Market Power)

(④、⑤は、従たる商品市場の相当程度のシェアの排除を要するので「シェア排除効果」(foreclosure share effects)と総称)

があるとされます。

 

そして、シカゴ学派の抱き合わせに関する「独占の梃子の否定論」(single monopoly profit theory)は、

①需要者は主たる商品に対する従たる商品の使用量を変えないこと、

 

②主たる商品と従たる商品の需要に強い正の相関性があること、

 

③主たる商品の使用量が変わらないこと、

 

④従たる商品市場の競争の程度が固定されていること、

 

⑤主たる商品市場の競争力の程度が固定されていること、

の5つすべてを前提にしてはじめて成り立つが、実際には、これらの条件がすべて成り立つことはまれであり(というより、そのうち1つでも成り立つ場合も多くない)、しかも前記5つの効果は重畳的に生じるので、バンドルディスカウントはきわめて強い排除効果を持ちうる(なので、抱き合わせを当然違法ないし当然違法類似の法理で処理する米国判例法は正しい)、とされます。

 

すなわち、

①需要者が主たる商品に対する従たる商品の使用量を変えると、商品内価格差別が生じる、

 

②主たる商品と従たる商品の需要に強い正の相関性がないと、商品間価格差別が生じる

 

③需要者が主たる商品の使用量を変える場合(たとえば、2台目、3台目のプリンターを会う場合)には、個別消費者余剰が搾取される、

 

④従たる商品市場の競争の程度が変わる前提だと、従たる商品市場の市場支配力が強化される、

 

⑤主たる商品市場の競争力の程度が変わる前提だと、主たる商品市場の市場支配力が強化される、

とされます。

 

この論文のすごいところの一つは、これまでの経済学の議論を、難しい数式を一切使わずに、単純な数値例を使うことで、きわめてわかりやすく説明しているところです。

 

たとえば、②の商品間価格差別については、

201人の需要者がいて、

 

その支払意思額が、商品A(コストはゼロ)について、0ドル、1ドル・・・200ドルと1ドルきざみであり、

 

逆に商品B(コストはゼロ)については、200ドル、199ドル・・・0ドルだとすると、

 

抱き合わせがないと商品AとBをそれぞれ100ドルにするのが利益最大化になる(それぞれ101人の需要者が購入して利益は20,200ドル)が、

 

抱き合わせをするとバンドルで200ドルにするのが利益最大化になる(201人全員がバンドルを購入し、利益は40200ドル)、

ということが示されます。

 

つまり、商品Aと商品Bへの支払意欲に相関関係がないと(上の例では、商品Aを高く評価する需要者ほど商品Bは低く評価するという負の相関関係があると)、バンドルによって消費者余剰を搾取できる、ということです。

 

いわば、セット(バンドル)の購入者について、セットでは定額としながら、商品Aと商品Bを個別に(実質的に)みれば、実質的には、個々の需要者ごとに異なる価格を設定している(だけどバンドルでは同じ額)、という理屈です(なので、商品間価格差別)。

 

またこの論文は、反トラスト法では総余剰基準ではなく消費者余剰基準を採用すべきだと強く主張します。

 

私などは、基本的にシカゴ学派からスタートしていますから、完全価格差別は総余剰を増やすので効率的だという議論がしっくりくるのですが、この論文は、その考えが甘いことをよくわからせてくれます。

 

完全価格差別が効率的だと言ってのけられるのは、「しょせん完全価格差別なんてめったに起こるものではないんだから目くじら立てることはないでしょ」という甘えがきっとあるのだろうと思います。(私はありました。)

 

でも、セット割引というのは世の中にいくらでもあるので、そんな悠長なことは言ってられません。

 

やはり、ほんとうにシビアな問題が起こっているところで、「本当にそんな、木で鼻をくくったような議論をしていていいの?」ということを、真剣に考える必要があるんだなぁと、いまさらながら考えさせられました。

 

(ただこの点については逆に、シビアな問題が生じるからこそ、「総余剰基準が正しいんだ」という議論が強まる可能性もあります。)

 

同論文によると、バンドルディスカウントを不当廉売のようにコストベースで考えるのは間違いで、コスト割れでなくても反競争的な場合は、上記5つの効果を考慮すればいくらでもある、とされます。

 

また、「ディスカウント」という言葉が値引であるかのような誤解を生むのであって、実際には、バンドルディスカウントというのは、アンバンドル価格とバンドル価格との差額であるにすぎないんだ、ともいいます(しごくもっともです)。

 

そのうえで、問題にすべきはバンドルあるいは従たる商品の実質価格がコストを下回るかどうかではなく、アンバンドル価格が、抱き合わせがなければついたであろう価格(but-for price.「ナカリセバ価格」)を上回ることなのだ、といいます。

 

したがって、(公取のバンドルディスカウントに関する検討会報告書でも採用された)Distribution Attributionテストはまちがいだ、それだと、反競争的な行為が合法になって過小規制だ、とはっきりいいます。

 

公取委の報告書についてはまたの機会に検討するとして、ともあれ、この論文は非常に説得力があります。

 

同報告書で、

「※注13 本報告書はこのような排除効果に焦点を当てるものではあるが,あるバンドル・ディスカウントが排除効果までは生じない場合であっても,バンドル・ディスカウントを介した価格差別によって消費者厚生が低下する可能性がある点も問題として捉えるべきであるとの指摘も存在することに注意が必要ではある。」

というのが、上記①~③の支配力効果(排除を前提としない効果)のことと思われます。

 

でも実際にこの論文を読むと、こんな簡単に脚注で触れて済むような問題ではないことがとてもよく理解できます。

 

というわけで、公取委は排除効果を中心に考えて、しかもDistribution Attribution(DA)テストを採用しているので、この論文ほどセット販売に厳しい立場をとることは考えられませんが、この論文をよむと、セット販売が大きな反競争性をもちうるということがわかります。

 

しかも、電気とかガスはだれでも購入するので、その広がりがとても大きくなります。

 

ほかにも、

「同等に効率的な競争者テスト」(排除者と同等に効率的な競争者でも排除されてしまうときには違法とする考え)は、まさにその行為があるために競争者が同等に効率的になれないときには過少規制になる

とか、

「抱き合わせは支払意思額の高い需要者から低い需要者に取引を移転させるので消費者余剰が減少し非効率的だ」

とか、排除行為に関する議論が頭の中でとてもきれいに整理できる記述が盛りだくさんです。

 

もちろん、実際の市場の競争や需要曲線をみないと反競争効果が生じるかどうかはわからないし、効率性を促進することもありうるので、理屈だけですべてのが片付くわけではないのですが(この論文も、バンドルディスカウントが当然違法といっているわけではなく、あくまで合理の原則で判断すべきと言っているだけです)、価格差別(メーターリング)は総余剰を増やす、というシカゴ流の単純な発想ではいけないんだ、ということはよくわかります。

 

私はかつて、川濱教授の再販の論文をよんで再販については宗旨替えした(シカゴ流の原則合法ないしは合理の原則から、ほぼ当然違法)のですが、それに匹敵するくらいの衝撃のある論文でした。

 

セット販売反対派も賛成派も、この論文を読めば何が問題か、よく理解できることでしょう。

 

そういった意味で、どちらの立場であっても、関係者は必読(という陳腐な決まり文句は好きではないですが、本当に)です。

 

たとえば、電気は最初の一単位と最後の一単位に対する支払意思額がかなり違いそう(電気がないとさすがに困るけど、最後の一単位を減らすのはたいして苦痛ではない)なので、③の個別消費者余剰の搾取効果はありそうだな、とかいった具合です。

 

ほかには、電気とガソリンのセット販売の場合、クルマにたくさん乗る人は家にあまりいない、など、個々の需要者ごとに支払意思額が異なりそうなので、②の商品間価格差別効果はけっこう生じそうだな、といったことが思いつきます(競争法フォーラムで出た質問をヒントに思いつきました)。

 

だけど、本当にそう言えるかどうかは、まさに事実認定の問題で、まったく逆の結論が正しいかもしれません。

 

それでも、どこに目をつけるべきか、ポイントは見えてきます。

 

ほかには、バンドル値引きの額(つまり、アンバンドル価格とバンドル価格の差)の大きさ自体は、反競争効果にとって決定的ではない(額が小さくても十分反競争的でありうる)といったこともこの論文では言われていて、けっこう衝撃的です。

 

(ざっくりいうと、バンドルがない場合の主たる商品の消費者余剰が従たる商品の消費者余剰に比べて十分大きければ、バンドル値引きの額が小さくても反競争効果が生じうる、とされます。)

 

さらに視点を変えると、公取委がDAテストのようなかなり甘い基準を採用しており、セット販売が事実上野放しの状態であることを前提にすれば、事業者としては、どの商品とどの商品をバンドルすれば利益が上がりそうかを予測してビジネスに生かすことができるかもしれません。

 

(さらに余談ですが、独禁法をやってると、こういう、ビジネスの目の付け所(=独占利潤の獲得方法)というのが見えてきたりします。最近では、アップルペイのビジネスモデルなんか、「そこに目を付けたかあ」と感心してしまいます。)

 

そういうわけで、この論文の立論に理屈で反論するのは非常に難しいのではないか、という気がします。

 

(この論文では、反対説に対する周到な反論も展開されていて、それがこれでもかというくらい説得力があります。)

 

ただこの論文も万全ではありません(この論文ですべての問題が解決できるわけではない)。

 

一番の問題は、アンバンドル価格が「ナカリセバ価格」を超えたらだめだといっても、では「ナカリセバ価格」をどうやって算定するのか、ということだと思います。

 

この論文では、会社の内部文書を調べたり、経済分析を使えばわかる、といっていますが、「本当にそうかなぁ」という気も正直します。

 

そういうわけで、ますます独禁法解釈に経済学が必須になってきそうです。

 

ついでにいうと、この論文のすごいところとして、見事に法学と経済学の橋渡しをしているところがあげられます。

 

たとえば、アンバンドル価格が「ナカリセバ価格」を超えたらだめだというなら、たんなる単品の高価格設定もだめだというのか、という批判に対しても、「バンドル規制は高価格設定を規制しているのではなくて、バンドルにともなう制限を問題にしているのだ」という、説得力のある反論がされています。

 

「判例はこの効果を問題視したんだ」、という経済理論に基づいた解説も見事です。

 

経済学の論文のような数式はいっさい使わず、数値例(とグラフ)だけで問題のエッセンスを伝える、という手法は、誰でもできそうで、実は経済学が心底わかっていないと怖くてできない手法なのでしょう。

 

こんな手法も、日本でまねをする法学研究者の方が出てこないかなぁと期待したりします。(私にはとうてい無理です。)

 

経済法学畑に経済モデルの数式を読んで理解できる人がとくに日本では少ないことを考えると、この、数式を使わずエッセンスを伝えるという手法はきわめて有効だと思います。

 

日本でも、セット販売に関する議論がさらに深まることを期待したいと思います。

2017年1月18日 (水)

ウィンターモデルの均衡条件の導出

柳川・川濱編『競争の戦略と政策』にも紹介されている垂直制限の経済モデルに、「ウィンターモデル」というものがあります。

このモデルは、同一ブランド内の小売店で買いまわる需要者に対してはサービス競争よりも価格競争のほうが有効なため、ブランド間競争が存在するとサービスが過小に提供されてしまうことを示すモデルです。

そしてこのモデルでは、再販拘束がサービスの過小供給への対策として有効であるとされます。

この結論だけでも独禁法弁護士にとってはとても魅力的なのですが、柳川・川濱p247では、モデルのキーポイントである、

「卸価格の操作だけでサービス水準を最適化するには、製造業者と小売業者の価格弾力性の比がサービス弾力性の比に等しいという特殊な条件がある場合に限られる。」

という部分について、

「この条件とその導出の詳細に関してはWinter [1993]を参照されたい。」(注2)

とされていて、やっぱり納得感をもって理解するためにはきちんとモデルを理解する必要があると思いましたので、

Winter, R. A. [1993], "Vertical Control and Price versus Nonprice Competition," Quartely Journal of Economics, 108, p.p. 61-76

にしたがって、この条件を導出しておきます。(この論文はネットで購入可能です。)

一見複雑に見えますが、ほとんどは四則計算で理解可能(ほんの一部、高校レベルのかんたんな微分が必要)です。

前提として、メーカーと、小売店1、小売店2がいる単純な状況を想定し、

c:メーカーの限界費用

w:卸売価格

S1:小売店1のサービス提供費用

S2:小売店2のサービス提供費用

P1:小売店1の小売価格

P2:小売店2の小売価格

s:ある消費者の小売店1からの距離

1-s:ある消費者の小売店2からの距離(小売店1と2の距離は1)

T(S1):小売店1内での探索時間

T(S2):小売店2内での探索時間

R:需要者の留保価格

θ:需要者の時間の機会費用

と置き、需要者は小売店1と2の間およびθの最大値と最小値の間の空間に均等に分散していると仮定します。

すると、当該商品を買うか買わないかぎりぎりの需要者が位置する境界線は、

P1+sθ+T(S1)θ=R

で表され、小売店1と2の境界にいる需要者が位置する境界線は、

P1+sθ+T(S1)θ=P2+(1-s)θ+T(S2)θ

と表されます。

(sθはその需要者の小売店1までの移動コスト、T(S1)θは小売店1内での探索コスト、です。右辺も同様に考えれば理解できます。)

さらに、小売店1の利潤は、

π1(P1,S1;P2,S2)=(P1-w)・q(P1,S1;P2,S2)-S1

と表されます。

((P1-w)は小売店1のマージン、qは小売店1の販売数、S1は、小売店のサービス支出です。)

またメーカーと小売店1,2の結合利潤は、

Π(P1,S1;P2,S2)

=(P1-c)・q(P1,S1;P2,S2)+(P2-c)・q(P2,S2;P1,S1)-S1-S2

と表されます。

以上を前提に、小売価格の小売店利潤への影響を小売店1についてみると(小売店2についても対称)、

∂π1/∂P1

=∂Π/∂P1-(w-c)∂q1/∂P1-(P2-c)∂q2/∂P1

(-(w-c)∂q1/∂P1は、価格の垂直的外部性、-(P2-c)∂q2/∂P1は、価格の水平的外部性であることがわかります。)

となり、サービスの小売店1への影響は、

∂π1/∂S1=∂Π/∂S1-(w-c)∂q1/∂S1-(P2-c)∂q2/∂S1

となります。

ここで、価格の水平的外部性と垂直的外部性が打ち消しあうときに卸売価格は最適(w*)となるので、

-(w-c)∂q1/∂P1-(P2-c)∂q2/∂P1=0

となり、ここから、

w*=c-(P*-c)(∂q2/∂P1)/(∂q1/∂P1)・・・①

が導かれます。

同様に、最適サービス量(S*)の条件は、サービスの垂直的外部性と水平的外部性が打ち消しあうことなので、

-(w-c)∂q1/∂S1-(P2-c)∂q2/∂S1=0

です。

そして、①より、

-(∂q1/∂P1)/(∂q2/∂P1)= (P2-c)/(w-c) ・・・①’

②より、

-(∂q1/∂S1)/(∂q2/∂P1)= (P2-c)/(w-c) ・・・②’

なので、最適価格と最適サービスが提供される条件は、

(∂q1/∂P1)/(∂q2/∂P1)= (∂q1/∂S1)/(∂q2/∂P1)・・・③

となります。

ここで、柳川・川濱の、

「卸価格の操作だけでサービス水準を最適化するには、製造業者と小売業者の価格弾力性の比がサービス弾力性の比に等しいという特殊な条件がある場合に限られる。」

といっているのは、メーカーが単純な従量制卸売価格(w)を設定するだけで(つまり二部料金制を用いずに)小売店の最適なサービス支出(S*)を誘導できるのは、

ξPr/ ξPM= ξSr/ξSM

の場合に限られる、ということです。

(ここでは、

ξPr:価格の小売店需要に対する弾力性

ξPM:価格の市場(メーカー)需要に対する弾力性

ξSr :サービスの小売店需要に対する弾力性

ξSM:サービスの市場(メーカー)需要に対する弾力性

です。)

しかし実際には、小売店間境界上の需要者が商品境界上の需要者よりも時間コストが低い(店舗間を探し回ることを厭わない)ため、

ξPr/ ξPM > ξSr/ξSM

となる、というのがウィンターの帰結です。

つまり、小売店は価格競争を重視し過ぎている(ブランド内競争における価格競争重視がブランド間競争におけるよりも著しい)、ということです。

さて、前述のとおり今回のテーマである、

ξPr/ ξPM= ξSr/ξSM

を、以下で導出しておきます。

まず定義より、

価格の小売店需要に対する弾力性( ξPr )=(P1/q1)(∂p1/∂P1)

価格の市場需要に対する弾力性(ξPM)=(P1/Q)(∂Q/∂P1)

サービスの小売店需要に対する弾力性(ξSr )= (S1/q1)(∂q1/∂S1)

サービスの市場需要に対する弾力性(ξSM)= (S1/Q)(∂Q/∂S1)

です。

ここで、あたりまえですが、

Q=q1+q2

であることがポイントです。

そこで、③がなりたつときにξPr/ ξPMを変形していくと、

ξPr/ ξPM

={(P1/q1)(∂q1/∂P1)}/{(P1/Q)(∂Q/∂P1)}

=(Q/q1){(∂q1/∂P1)/(∂Q/∂P1)}

=(Q/q1) [(∂q1/∂P1)/{(∂q1/∂P1)+(∂q2/∂P1)}] 

(∵ Q=q1+q2より、(∂Q/∂P1)=(∂q1/∂P1)+(∂q2/∂P1))

=(Q/q1)[1/{1+(∂q2/∂P1)/(∂q1/∂P1)}]

=(Q/q1) [1/{1+(∂q2/∂S1)/(∂q1/∂S1)}]  (③より)

=(Q/q1)[(∂q1/∂S1)/{(∂q1/∂S1)+(∂q2/∂S1)}]

=(Q/q1){(∂q1/∂S1)/(∂Q/∂S1)}

=ξSr/ξSM

となり、ξPr/ ξPM とξSr/ξSMが等しいことが導かれます。

これで、

「卸価格の操作だけでサービス水準を最適化するには、製造業者と小売業者の価格弾力性の比がサービス弾力性の比に等しいという特殊な条件がある場合に限られる。」

とうことが正しいことが分かります。

2016年11月 9日 (水)

経済法における法学と経済学の関係

ふと思いついたのですが、競争法における法学と経済学との関係は、饅頭における皮とあんこの関係に似ていると思います。

ここではもちろん、

法学=皮

経済学=あんこ

ということです。

どういうことかというと、経済学を知らずに経済法を語るのは、饅頭の皮だけ食べるようなものではないか、ということです。

もちろん、あんこだけでは売り物になりませんから(経済学だけでは現実の問題を解決できない)、皮も重要なのですが、やはり、饅頭のキモはあんこなのではないか、と思うのです。

少なくとも、あんことの相性を考えずに皮を作るのでは、おいしい饅頭はできないと思います。

皮を作るのにも熟練の職人技が必要でしょうから(ひょっとしたら、あんこ作りよりも高度な技術が必要かもしれません)、皮作りの職人があんこ作りの職人よりも格下だということは決してありませんが、優れた皮職人はあんことの相性を考えて皮を作るのでしょう。(本当の饅頭は1人の職人が作るのでしょうけれど、そこは物のたとえということで。)

実務のきわめて大きな部分を占めるカルテルでは経済学はほとんど関係ないので、皮だけ食べて生きている独禁法弁護士も世の中にはたくさんいることでしょう。

また日本の特殊事情として、優越的地位の濫用がきわめて大きな地位を占めており、優越的地位の濫用を経済学でまじめに分析したらそもそも違法とすべきではないのではないか(少なくともトイザらスのような事件を違反にするのは行き過ぎ)、といった立論につながるので、ここでも経済学は無視されているといえます。

そういった事情はあるのですが、それでも、カルテルと優越的地位の濫用をのぞいた分野(優越をのぞく不公正な取引方法が典型)では、経済学は饅頭におけるあんこと同じくらい重要だと思います。

もし基礎的な経済学の知見がないと、

けっきょく独禁法はケースバイケース

といったよくわからないアドバイスになったり、「おそれ」という文言だけにとらわれて、

不公正な取引方法では、違法にしようと思えば何でも違法にできる、

といった極端な議論にすらなりかねません。(実際、そうおっしゃっている独禁法弁護士の方もいらっしゃいます。)

あんこが嫌いな人は饅頭は食べないと思いますが、わたしが独禁法を仕事にしているのも、きっと経済学が好きだからなのだという気がしています(どうも独禁法をやっている人のなかには「自分は皮だけが好き」という人がけっこう多いような気がします)。

人によっては、

饅頭の皮というのは言い過ぎで、肉まんの皮くらいの価値はある、

とか、

(重量比ではわずかだけれど味にとっては決定的に重要な)ケンタッキーフライドチキンの衣くらいの価値がある、

という人もいるかもしれませんが、いずれにせよ、皮だけの肉まんや衣だけのケンタッキーフライドチキンが美味しくないことには変わりはないでしょう。

というわけで、独禁法を学ぶときには、あんこも好きになって、皮とあんこの両方を食べることをおすすめします。

2016年9月22日 (木)

ブランド内競争と小売サービスの関係

ブランド内競争が小売サービスに及ぼす影響について

Tirole, "The Theory of Industrial Organization" p 182 

のモデルに従って、整理しておきます。

前提として、小売レベルは完全競争(ブランド内競争が活発)であり、

需要関数: q=D(p,s) 〔pは価格、sはサービス量〕

消費者余剰: S(p,s)

サービス1単位あたりのコスト: Φ(s)

とすると、メーカーと小売店が統合された垂直統合企業が得る利益は、

[p-c-Φ(s)]D(p,s) ・・・①

となります。

そこで、垂直統合企業が利益を最大化するサービス量の条件は、①をsで偏微分して0とすると、

-Φ’(s)D(p,s)+[p-c-Φ(s)]・∂D/∂s=0

であり、整理すると、

[p-c-Φ(s)]・∂D/∂s=Φ’(s)D(p,s)・・・②

となります。

次に、メーカーと小売店が別々の企業である場合(垂直分離企業)に、どれだけサービスが提供されるかについて考えてみます。

消費者は、完全競争の下では最適な価格とサービス量のミックスを提供する小売から購入する(できる)ので、前述のように小売レベルでの完全競争を前提とすると、小売レベルでの完全競争は、「消費者厚生を最大化する価格とサービス量のミックス」と置き換えることが可能です。

(ただし、小売に損が出てはいけませんので、

p=pw+Φ(s) [ただし、pwは卸売価格]

という条件がつきます。)

小売レベルの完全競争は、消費者余剰、すなわち、

S(p,s)[⇔S(pw+Φ(s),s)]・・・③

を最大化します。

(つまり、p=pw+Φ(s)という制約条件のもとでの消費者余剰の最大化問題です。)

次に、消費者余剰Sを最大化するサービス量(s)の条件を求めます。

ここで、S(p,s)をsで偏微分したくなりますが、

p=pw+Φ(s)

という制約条件があるためにpとsは相互に独立ではないので、sで単純に偏微分することはできません。

そこで、ラグランジュ乗数法を用いて、

Z=S(p,s)+λ(pw-p+Φ(s))

と置き、λとpとsで偏微分して、

∂Z/∂λ=pw-p+Φ(s)=0・・・④

∂Z/∂p=∂S/∂p-λ=0・・・⑤

∂Z/∂s=∂S/∂s+λΦ’(s)=0・・・⑥

が、消費者余剰Sを最大化するためのサービス量(s)の条件となります。

これを解くと、

∂S/∂s=-λΦ’(s) 〔⑥より〕

=-∂S/∂p・Φ’(s) 〔⑤より、λ=∂S/∂p〕

=D・Φ’(s) 〔∂S/∂p=-D(総需要を価格で(偏)微分すると需要関数となる)より〕

となり、結局、

∂S/∂s=D・Φ’(s)・・・⑦

が、メーカーと小売店が別々の企業で、かつ、小売レベルで十分な競争がある場合の、サービス提供量となります。

整理すると、垂直統合企業のサービス提供量は、

[p-c-Φ(s)]・∂D/∂s=Φ’(s)D・・・②

となり、垂直分離企業(かつブランド内競争あり)のサービス提供量は、

∂S/∂s=Φ’(s)D・・・⑦

となります。

ここで、②も⑦も、右辺は、需要量に限界サービスコストを乗じたもの、つまり、全需要者に対して追加で1単位サービスを提供した場合の費用であることがわかります。

これに対して、②(ブランド内競争なし)と⑦(ブランド内競争あり)の左辺を比べると、②(ブランド内競争なし)の場合には、サービスを一単位増やした場合の需要量の増加(∂D/∂s)に、マージン([p-c-Φ(s)])を乗じたものであることがわかります。

つまり、②(ブランド内競争なし)の場合には、垂直統合企業は、サービスを1単位増やした場合の費用増(Φ’(s)D)が、サービスを1単位増やした場合の増加利益に等しくなるように、サービス量を決定します(独占企業の行動の特徴です)。

これに対して、⑦(ブランド内競争あり)の左辺は、サービスを1単位増やした場合の消費者余剰の増加分(∂S/∂s)であることがわかります。

つまり、⑦(ブランド内競争あり)の垂直分離企業は、サービスを1単位増やした場合の費用増(Φ’(s)D)が、サービスを1単位増やした場合の消費者余剰の増加分(∂S/∂s)に等しくなるように、サービス量を決定します(ソーシャルプランナーの行動の特徴です)。

別の言い方をすれば、

垂直統合企業(≒独占企業)は、限界的需要者に対する影響だけをみてサービス量を決定し、

垂直分離企業(≒ソーシャルプランナー)は、限界的需要者のみならず、それ以外の需要者(inframarginal consumers)への影響をもみて(つまり、平均的需要者への影響をみて)サービス量を決定する、

ということです。

別の見方をすれば、小売業者間の競争がメーカーに負の外部性を与える(垂直的外部性)、つまり、ブランド内競争があると、小売業者がメーカーの望むレベルの小売サービスを提供しない、ということです。

(なお、ここで言っているのは、あくまで垂直的外部性(小売が競争のために限界的需要者だけをみて小売サービスを提供してしまうことによるメーカーへの外部性)のことであって、水平的外部性(いわゆるフリーライダー問題)とはまったく別の問題です。)

小売レベルの競争がある場合に独占企業の目からみてサービス提供量が過小になるか過大になるかは場合によりますが、単純にいえば、

限界的需要者が平均的需要者よりも小売サービスを高く評価している場合には、小売レベルの競争があると独占に比べて小売サービスの提供が過大になり、

限界的需要者が平均的需要者よりも小売サービスを低く評価している場合には、小売レベルの競争があると独占に比べて小売サービスの提供が過小になる、

という関係があります。

しかし、総余剰の観点からは、競争がいいのか独占がいいのかは、一概にはいえません。

上の分析は、メーカーが設定する卸売価格(pw)を所与のものとして分析していますが、pwは、垂直統合企業(=独占企業)における仮想的卸売価格(fictitious wholesale price)を超えるかもしれないからです。

(ここで、垂直統合企業における仮想的卸売価格は、pm-Φ(sm)と定義されます。〔pmは独占価格、smは独占企業が提供するサービス量〕)

「一概にはいえません」というと、暗闇に放り出されたようでフラストレーションがたまるので

A. Michael Spence, "Monopoly, quality, and regulation" (1975)

に従って、結論だけ簡単に述べると、抽象的には、

①限界的消費者によるサービスに対する評価と平均的消費者によるサービスに対する評価と、

②独占企業が産出量を削減する程度

の2つの要素次第であり、より具体的には、

供給量が増えるにしたがってサービスへの評価が下がっていく場合(∂P/∂q・∂s<0)には、

独占による産出量削減が少ないと、サービスの供給が(社会的な最適量に比べて)過小となり、

独占による産出量削減が多いと、サービスの供給が過大となり、

供給量が増えるにしたがってサービスへの評価が上がっていく場合(∂P/∂q・∂s>0)には、

独占による産出量削減が少ないと、サービスの供給が過小となり、

独占による産出量削減が多いと、サービスの供給が過大となる、

というように整理されます。

これくらい複雑になるととても法執行の指針にはなりそうもありませんが、理屈の上では何が正しいのか答えが出てしまう、というのは経済学のすごいところだと思います。

法学の観点からいえるのは、メーカーがブランド内競争を制限することにより小売サービスをより最適に提供できるかもしれない、ということくらいでしょう。

2016年4月 8日 (金)

加賀見一彰「優越的地位の濫用規制」の濫用の規制:法・法学と経済学との相互対話を目指して」を読んで

掲題の論文が非常におもしろかったので、要点を記しておきます。

同論文ではセブン-イレブン事件(そういえば鈴木会長が辞任されましたね。)を中心に優越的地位の濫用規制の問題点を論じていますが、まず、同事件の排除措置命令はフランチャイズガイドラインを無視していると批判されています。

つまり、フランチャイズガイドラインでは、見切り販売の制限について、

「(見切り販売の制限)

 ○ 廃棄ロス原価を含む売上総利益がロイヤルティの算定の基準となる場合において、本部が加盟者に対して、正当な理由がないのに、品質が急速に低下する商品等の見切り販売を制限し、売れ残りとして廃棄することを余儀なくさせること(注4)。

(注4) コンビニエンスストアのフランチャイズ契約においては、売上総利益をロイヤルティの算定の基準としていることが多く、その大半は、廃棄ロス原価を売上原価に算入せず、その結果、廃棄ロス原価が売上総利益に含まれる方式を採用している。この方式の下では、加盟者が商品を廃棄する場合には、加盟者は、廃棄ロス原価を負担するほか、廃棄ロス原価を含む売上総利益に基づくロイヤルティも負担することとなり、廃棄ロス原価が売上原価に算入され、売上総利益に含まれない方式に比べて、不利益が大きくなりやすい。」

が優越的地位の濫用にあたるとされており、見切り販売の制限が優越的地位の濫用にあたるのは、

「廃棄ロス原価を含む売上総利益がロイヤルティの算定の基準となる場合」

であることが前提とされているところ、最高裁平成19年6月11日判決で、

「本件条項所定の『売上商品原価』は、実際に売り上げた商品の原価を意味し、廃棄ロス原価及び棚卸ロス原価を含まないものと解するのが相当である。」

と認定されて、この前提が成り立たないことが明らかにされた、にもかかわらず、ガイドラインに明示されていることに明らかに該当しない行為を濫用とするのはガイドラインの無視だ、と批判されています。

まったくもっともな批判だと思います。

たしかにガイドラインでは、

例えば、次のような行為等により、正常な商慣習に照らして不当に不利益を与える場合には、本部の取引方法が独占禁止法第二条第九項第五号(優越的地位の濫用)に該当する。」

というふうに、例示ではあるのですが、見切り販売という具体的な行為について具体的な前提を置いて違反だといっている以上、その具体的な前提に該当しない場合には違反ではないと考えるのは当然でしょう。

まあ、公取委のガイドラインなんて所詮この程度のもの、ということかもしれません。

同論文ではそのほか、

①取引外部への影響(例、消費者は濫用により利益を受けること)を考慮しなければ濫用の問題性を認定できないはずである。

②規制対象となる行為の選択・分析が断片的・一面的であり、全体的・総合的な意味や効果を理解できない。

③なぜ特定の行為や仕組みが導入され、どのように機能するのかという視点がなければ、それらの行為や仕組みを評価知ることもできない。

などと批判されています。

①については、竹島前委員長の、

「安く売れれば消費者は喜びますが、”納入業者いじめ”で安くすることは、競争の在り方としてはおかしいと思います。」

「納入業者の足元を見て、不当な値引きや協賛金を要求し、それを値引きの原資の一部にするのは、長い目で見て決して消費者のためにならない。隙あらば利益を搾り取ろうという行為は見過ごせません。」

という発言を引きながら、

「『おかしいと思います』だけなら子供の論理である。

『おかしい』『消費者のためにならない』ことを裏付けるメカニズムを明らかにし、さらに、実際に、規制がネットで社会的利益をもたらすことを定量的に示すべきであろう。」

と、厳しく批判されています。

こちらも、まことにごもっともな批判だと思います。

『おかしいと思います』だけなら子供の論理である」という部分は、たしかに、

「おかしいもん!」

というのは駄々をこねる子供がよく言うので、説明は不要ですね(笑)。

これに対して、

「『おかしい』『消費者のためにならない』ことを裏付けるメカニズムを明らかにし」

というのは、法律家にはなかなか理解できないかもしれません。

私も経済学を勉強して分かってきたのですが、経済学では、一定のルールなど、外生的な(exogenous)要因を所与の前提(assumption)として、利益最大化行動をとるプレイヤーの行動を分析し、その結果どのような市場均衡状態がもたらされるのか、という分析をするので、この「メカニズム」という発想が非常にしっくりきます。

そこで、所与の前提(ルールなど)が変わると市場の結果がどうかわるのか、というメカニズム(因果の流れ、ともいえます)をあきらかにせよ、というのです。

正直言って、法律家は結果しかみないし、ルールがプレイヤーの将来の行動にどのような影響を与えるかという発想に乏しいので(あるいは、そのような発想があっても、分析するツールをもたないので)、「メカニズムを明らかに」というのは、なかなか理解できないのだろうと思います。

その次の、

「規制がネット〔正味〕で社会的利益をもたらすことを定量的に示す」

というのは、経済学の社会厚生(social welfare)あるいは総余剰(total surplus)のことを言っているのは明らかであり、これも法律家にはなかなか理解できない概念です。

このように、この論文を読むと、法律家と経済学者の「相互対話」が進まない理由が、はからずも明らかになります(苦笑)。

最近は公取でも企業結合の分野などで経済分析が用いられるようになったので、経済学が露骨に無視されることは減ったと思いますが、それでも、優越的地位の濫用や下請法の運用においては、経済学は完全に無視されていると思います。

経済学を知ってて意図的に採用しないという判断をするならまだいいのですが、要するに、経済学を知らない、というレベルです。

法律家はもっと経済学の知見に謙虚に耳を傾けるべきだと思います。

 

ちなみに、私なりに①(取引外部への影響)を別の切り口からいえば、

優越的地位濫用規制により消費者の負担で納入業者を保護する

というのは、

高関税をかけて消費者の負担で国内農家を保護する

というのと、構造的には同じわけです。

違いがあるとすれば、

優越的地位の場合には、「濫用は不当だ」という、公正・正義に裏付けられた規制根拠がある(少なくとも公取はあると信じている)

のに対して、

関税の場合には、自由競争の結果をゆがめるものなので(国内農家の保護以外に)規制根拠がない、

という違いがあり、だからこそ競争政策上も優越的地位の濫用には正当性があるが関税にはない、ということになるのでしょうけれど、ほんとうにそのような違いがあるのか(優越的地位の濫用もたんなる中小企業保護ではないか)は、十分に吟味する必要がある問題であり、簡単には答えは出ないでしょう。

少なくとも、「公取が濫用と考えたものが濫用だ」というようなルールでは、規制を正当化するのは難しいでしょう。

さらに同論文では、セブンーイレブンの反論が非常に合理的だったのに公取も独禁法学者もマスコミもまともに取り上げなかった、と憂慮されています。

いずれも非常に説得力があります。

どうして独禁法学者や実務家は、こういったまともな議論をしないのでしょうか。

優越的地位の濫用は弱い者いじめだから、弱い者いじめをする者を擁護すると非難されることをおそれているのでしょうか。

私も依頼者にアドバイスするときは、「公取の規制の現状はこうだから」という話にならざるを得ないのですが、決して現状追認にとどまってはならないと思います。

(ちなみに同論文では、公取の運用に懸念を表明する当事務所の長澤弁護士の座談会での発言がかなり詳細に引用されています。)

私も、おかしいことはおかしいと、主張していきたいと思います(もちろん、「子供の論理」にならないように、きちんと理屈も説明していこうと思います

2016年4月 5日 (火)

松村敏弘「優越的地位の濫用の経済分析」を読んで

日本経済法学会年報第27号(2006年)のp90に掲載されている標記論文を読みました。

短い論文ですが非常に勉強になりました。

要点を書き連ねると、まず、

経済学者によって本質的なのは「一定の類型の契約が強行法規的に禁止される」というルール自体の是非である

その理由が「優越的地位の濫用」であろうと「公序良俗違反」であろうと「信義則違反」であろうと、経済学者にとっては重要なことではない

というのがあります。

これは、いわれてみればそのとおりなのですが、法律家にとっては衝撃的ですね。

ひとことでいえば、

キーワードは「優越的地位の濫用」ではなく「強行法規」である(p92)

ということであり、

扱う問題は「特定の類型の契約を禁止すべきか、あるいは無効とすべきか」である。

その理由が「優越的地位の濫用」であるか否かは経済学者にとって関心外である

ということです。

つぎに

「ホールドアップ問題と強行法規」

の問題が論じられ、

伊藤元重=加賀見一彰(1998)「企業間取引と優越的地位の濫用」三輪芳明他編『会社法の経済学』

を引きながら、そこでのホールドアップの議論では、強行法規としての優越的地位濫用規制を正当化することはできず、せいぜい、任意法規としての優越的地位濫用規制(当事者が、「優越的地位濫用規制に基づき公取委が介入することを認める」という契約をした場合に限り、公取委は介入できる、というルール)を正当化しているに過ぎない、と看破されています。

詳しくは原文を参照いただければと思いますが、要は、

①優越規制による介入は、経済厚生を改善することもあれば、損ねることもある

②経済厚生を改善するなら、当事者には、「優越的地位濫用規制に基づき公取委が介入することを認める」という契約を締結する誘引がある

③経済厚生を損なうなら、当事者には、「優越的地位濫用規制に基づき公取委が介入することを認める」という契約を締結しない誘引がある

④よって、任意法規としての優越規制は常に強行法規としての優越規制よりも経済効率性を改善する(か、悪くとも同等である)→weaklyl dominateしている

ということです。

これは、

「強行法規」が一般に契約当事者の厚生を損なうという、経済理論ではしばしば用いられる一般的な原理(p96)

なのだそうです。

たしかに、

優越規制により経済効率性が改善することもあれば損なわれることもある

というのであれば、

優越規制を強行法規としたときには、経済効率性は改善することもあれば損なわれることもある

という結論が導かれるだけなので、ホールドアップを根拠に優越規制を強行法規とすることを正当化することはできなさそうです。

この論文では、前記伊藤他論文が、

「優越的地位の濫用規制」が経済効率性の観点から正当化できる可能性を示した論文と理解している者がいるようである。

がそれは間違いである、と指摘されており、わたしもその1人なので、目から鱗が落ちる思いでした。

ただ、松村論文では優越規制と下請法規制が同列に論じられているのですが、両者の違いの一つは、下請法は下請事業者が合意しても違反は違反である、という点が指摘できると思います。

つまり、純粋な意味での「強行法規」といえるのは、下請法だけなんではないか、そうすると、劣後者の同意により適用が排除される現在の優越規制は、実際には「任意法規としての優越規制」ということになり、実はホールドアップによる効率性改善の論証は伊藤他論文で成功しているのではないか、という気もします。

ただ、松村論文での「任意法規としての優越規制」(←この省略表現は私が勝手に名づけたものです)というのは、取引関係に入る前に事前に契約するという話のようなので、事後的に同意することで優越規制の排除を認める現在の規制とは同列には論じられないのかもしれません。

とくに、関係特殊的投資に起因するホールドアップ問題を論じているのに、事前の契約と事後の同意を(私の上記仮説のように)同列に扱うのは、やっぱりおかしな気がします。

ほかには、

強行法規によって経済効率性が改善する典型的な状況は「第三者効果」が存在している状況である(p96)

という指摘も、同論文で引かれている

Aghion and Bolton (1987), "Contract as a Barrier to Entry"

を読んだ者からするとなるほどと納得できますし、下請が無理をするのは自分が長期的利益を重視する良い下請であるというシグナリングなのだというモデルに関連して、

(シグナリングには費用が伴うので)シグナリングを抑制することは社会全体の経済効率性を改善する可能性がある(p98)

という指摘にも、とても納得感があります。

ほんとうに、経済学者の方というのは、いろいろな角度から、実に厳密な議論をされるのだなあと感心するばかりです。

法律家も負けてはいられません。

とくに優越的地位の濫用については、実務では非常に幼稚な議論が幅を利かせています。

たとえば、

加賀見一彰「『優越的地位の濫用』の濫用の規制:法・法学と経済学との相互対話を目指して」

という論文では、竹島前委員長の、

「安く売れば消費者は喜びますが、”納入業者いじめ”で安くすることは、競争のあり方としてはおかしいと思います。」

という発言を引きながら、

「『おかしいと思います』だけなら子供の論理である。『おかしい』『消費者のためにならない』ことを裏付けるメカニズムを明らかにし、さらに、実際に、規制がネットで社会的利益をもたらすことを定量的に示すべきであろう。」

と批判されています。(p216)

これが現状ですので、少しでも科学的な解釈論が勢いをつけてほしいと感じています。

実は松村先生には経済産業研究所(RIETI)の研究会でよくお目にかかるのですが、この論文を繰り返し熟読して、理解を深めたいと思います。

2015年9月21日 (月)

消費者の利益になるカルテル

カルテルは常に消費者を害すると思われがちですが、経済学では一定の条件の下でカルテルにより消費者が利益を受けることがあることが知られています。

これを簡単なモデルで表している、

Michael D. Whinston "Lectures on Antitrust Ecomonics" p17

に従って、紹介しておきます。

前提として、需要関数を

x(p)=2-p

限界費用を

mc=1

参入費用を

ec=1/16

と置き、もし、2社目が参入してきたらベルトラン競争(価格による競争。商品差別化のない限り価格は限界費用まで下がる)をする、と仮定します。

この場合、もし2社参入すると価格が1まで下がり、利益が出なくて参入費用が回収できないので、参入するのは1社に限られます。

そして、1社だけが参入すると、その独占価格は、

pm=3/2

となります。

(この計算は単純です。まず、需要関数が

x(p)=2-p ⇔ p=2-x

なので、独占企業の総収入関数(TR)は、

TR=x(p)・p

⇔ TR=x・(2-x)=2・x-x^2

となります。この総収入関数を数量xで微分して限界収入関数(MR)を求めると、

MR=2-2x

となります。

独占企業(に限りませんが)が利益を最大化するときの生産数量では、限界収入と限界費用が等しくなので、

MR=MC ⇔ 2-2x=1 ⇔ x=1/2

となります。

これを、p=2-x に代入すると、

pm=3/2

となります。)

このとき独占企業の独占利潤(πm)は、

πm=x・(p-mc)-ec=1/2・(3/2-1)-1/16=3/16

となり、消費者余剰(CS)は、1/8となります。

(消費者余剰の計算は、グラフを描けば二辺が0.5の二等辺三角形の面積なので1/となるのですが、少し数学的にいえば、需要関数x(p)=2-pを価格についてpm(=3/2)から切片2まで積分して、

CS=[2p-1/2・p^2]={4-2}-{3-9/8}=1/8

となります。)

つまり、カルテルができないために独占となったときの独占利潤は3/16、消費者余剰は1/8、総余剰は5/16となります。

では、カルテルを許して価格を5/4とした場合はどうでしょうか。

(ここで価格を5/4としたのは、完全に独占価格の3/2(=6/4)まで上げることはできないけれどベルトラン価格(=1)よりは高い、というくらいの意味です。それから、後述のように、この価格だと参入が起きる、というのがポイントです。)

この場合、2社の総利潤(参入費用控除前)を計算してみましょう。

価格は5/4なので、数量は2社で

x(p)2-p=2-5/4=3/4

となります。よって2社の総利潤(参入費用控除前)は、マージンに数量をかけて、

(5/4-1)×3/4=3/16

となります。1社の利益(参入費用控除前)はその半分で、3/32となります。

3/32の利益が保証されるなら、参入費用ec=1/16よりも大きいので、参入が起きます。この、利益を保証して参入を促す、というのがポイントです。

この場合、2社の生産者余剰は、3/16-2・ec=3/16-2/16=1/16となります。(独占企業の3/16よりは、当然ながら小さいです。)

そして、消費者余剰は9/32となり(一辺が3/4の二等辺三角形の面積です)、独占の場合の1/8(=4/32)よりも、ずいぶんと大きくなっています。

さらに、総余剰は、消費者余剰と生産者余剰の合計なので、9/32+2/32=11/32となり、独占の場合の5/16(=10/32)よりも、わずかですが大きくなっています。

つまり、ある程度カルテルを許して参入コストを回収できるような価格を保証することで、かえって消費者が利益を受け、社会全体としてもそれが望ましいということがある、ということです。

(ちなみに、もう少し一般的に、複占価格をpdと置くと、生産者余剰(πd)は、

πd=(pd-1)(2-pd)=-pd^2+3pd-2

で、消費者余剰(CS)は、

CS=(2-pd)^2×1/2=1/2pd^2-2pd+2

なので、総余剰(TS)は、

TS=πd+CS=-1/2pd^2+pd

となります。

なお総余剰の導関数(TS')は、

TS'=-pd+1

なので、TSは、pd=1で最大値(=0.5)をとる、下に開いた2次関数となります。

そして、総余剰が独占の場合の5/16に等しいpdを求めると、

-1/2pd^2+pd=5/16

を解くことになり、

pd=(16+(16^2-4・8・5)^0.5)÷16≒1.612

となります。

つまり、

1<pd<1.612

の範囲内に価格がおさまるときには、複占下の総余剰が独占下のそれよりも改善することになります。)

カルテルは常に悪だという単純な発想しかない法律家にとっては、示唆に富む内容ではないかと思います。

2015年2月12日 (木)

排他取引の経済分析

標題のテーマで弁護士会の勉強会で発表しましたので、スライドを貼り付けておきます。

「niben.pdf」をダウンロード

今回の発表で、Michael D. Whinston, “Lectures on Antitrust Economics, Chapter 4” (2008) を読んでみましたが、いろいろ学ぶところが多かったです。

この本(の4章)は、数学的に難しいところはほとんどなく(微分積分はほとんど出てきません。ほとんど足し算と引き算だけです)、「Lecture」の名に相応しい、直感的な説明をしてくれているので、理解しやすく(でも難しいですが)、とてもお薦めです。

中でも、排他取引の正当化理由としての関係特殊的投資の保護が、どのような場合に理由があって、どのような場合に理由がないのか、というのは、なるほど、と思いました。

売手2人、買手1人のモデルを前提に要約すると、

①ある投資が、買手が他の取引先と取引する価値に影響を与えないものである場合には、排他取引によって当該投資が促進されることはない(∵そのような投資は当事者の決裂利得(disagreement payoff)に影響を与えないので)

②売手が行うある投資が、買手が他の売手と取引する価値も上げるものである場合には、排他契約を締結することで投資が促進される(∵そのような投資はフリーライドのおそれがあり、当事者の決裂利得に影響を与えるので)

③売手が行うある投資が、買手が他の売手と取引する価値を下げるもの(買手の特定の売手に対する忠誠度を上げるような投資)である場合には、排他契約を締結することで投資が抑制される(∵排他契約のないときのほうが、買手の決裂利得が上がり、逆に、売手の交渉力は下がってしまうので)

ということです。

非効率的な既存事業者が効率的な既存事業者を排他契約で排除することはできないというシカゴ学派の主張は、排他契約の外部性を考慮していないなど、ポストシカゴ学派からの反論がいろいろとありますが、ポストシカゴ学派の反論も、排他契約の外部性を考慮して初めて成り立つ話なので、要は、具体的事案においてどちらの方がより妥当しそうかを見極めるのが大事で、どちらが一方的に正しいというものではありません。

ポストシカゴの議論が成り立つのは、かなり市場支配力のある既存事業者がいる場合でなければ成り立たないのではないかという気がしますし、そうすると、市場シェア10%で有力な事業者になり得るという流通取引慣行ガイドラインの定めは、いかにも現実に即していないといえそうです。

あと、今回の発表では、時間の関係と難し過ぎるので取り上げられなかったですが、

①契約に関与する当事者(例、メーカーと小売)間の競争により利益を受ける部外者(例、消費者)が存在する場合、他者排除の可能性がある(例えば、 メーカーと小売間の契約に関与しない最終消費者は、小売間の競争の利益を受ける)

②契約関与者の合計余剰は、部外者が享受する競争を減殺することで増加し、関与者全員の合計余剰を最大化する多当事者間契約(multi-party agreement)により、かかる競争を減殺が可能となり、この場合、他者排除の可能性がある(例えば、メーカーと複数小売の合計余剰は、小売間の競争を制限して小売価格を引上げることで増加する)

③多当事者間契約が締結不能だと、契約関与者間に生じる外部性のために、単純な(非排他的な)契約では合計余剰の最大化ができない可能性がある。この場合、外部性を除去するために排他契約が締結される可能性がある

というWhinston [1990]の議論が、面白かったです。

参考までに、Whinston p156のモデル(Hart-Tirole [1990])は、こんな感じです(楕円内が契約関与者)。

Hart_tirole_1990page001
私は、「独禁法を理解するためには経済学を知る必要がある」とアメリカの教科書に書いてあったことを真に受けて、独禁法の専門家になるためには経済学の理解が必要だと信じて、留学中にコツコツ経済学と産業組織論の勉強をしていたのですが、日本に戻ってみると、経済学の議論が独禁法の法律実務で取り上げられることは、ほとんどありません。

(ところが、独禁法に詳しい法律家は、経済学を知らなくても、経済モデルに対する非常に鋭い指摘をできるようになるのが、面白いところです。)

いわゆる経済分析が企業結合などで用いられる機会が増えていますが、誤解を恐れずにいえば、あれは、ここでいう経済学ではなくて、どちらかというと統計学(計量経済学)です。

でも、独禁法が経済学から得られるメリットというのはたくさんあります。

少なくとも、頭が非常にクリアーになるし、その業界での競争の本質を見抜いて、それを言葉に表す能力は確実に上がります

(反面、経済原則を無視した法律家の議論は、ますます理解困難になります。苦笑)

これからも、地道にコツコツ、独禁法実務に経済学の考え方を広げていけるよう、努力したいと思います。

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