独禁法と経済学

2023年10月29日 (日)

プライス・コストマージン(市場支配力)と弾力性と市場シェアの関係

Posner, Market Power in Antitrust Cases

のAppendixより、

εid=εmd/Si+εjs(1ーSi)/Si

の導出をメモしておきます。

(ただし、

εid:企業iの残余需要の弾力性

εmd:市場の需要の弾力性

Si:企業iの市場シェア

εjs:競合(企業j)の供給の弾力性)

企業iが直面する残余需要量をQid、市場の需要量をQmd、競合他社の供給量をQjsと置くと、

Qid=QmdーQjs  ・・・①

①式を価格(P)で偏微分すると、

∂Qid/∂P=∂Qmd/∂Pー∂Qjs/∂P ・・・②

となります。

次に、②式の両辺に、ー(P/Qid)を掛けると、

ー(∂Qid/Qid)/(∂P/P)=ー(P/∂P)×(∂Qmd/Qid)+(P/∂P)×(∂Qjs/Qid)

=ー(∂Qmd/∂P)×(P/Qid)+(∂Qjs/∂P)×(P/Qid) ・・・③

となります。

そして、企業iの残余需要の弾力性εidは、

εid=ー(∂Qid/∂P)×(P/Qid)

で定義されるので、③式は、

εid=ー(∂Qmd/∂P)×(P/Qid)+(∂Qjs/∂P)×(P/Qid) ・・・④

と変形できます。

④式の右辺第1項にQmd/Qmd、第2項にQjs/Qjsを掛けて、

εid=ー(∂Qmd/∂P)×(P/Qid)×Qmd/Qmd+(∂Qjs/∂P)×(P/Qid)Qjs/Qjs

=ー(∂Qmd/Qmd)/(∂P/P)×Qmd/Qid+(∂Qjs/Qjs)/(∂P/P)×Qjs/Qid

=εmd/Si+εjs(1ーSi)/Si. 

[∵Qjs=Qm×(1-Si),Qid=Qm×Si]

2022年10月 5日 (水)

インテル事件欧州委決定(2009年)の必要シェアの公式について(その2)

昨日の続きですが、掲題決定にはもう1つ、HP向けのrequired share(競争者が最低限獲得しなければならない需要者の購入量に占めるシェア)の公式として、

S=R/{(ASP-AAC)・V} ・・・①

というのも載っています(¶1196)。

記号の意味は、

S: required share

R:リベートの金額

ASP:average sales price, (独占者の)平均価格(リベート支払い前の)

AAC:average avoidable cost, (競争者の)平均回避可能費用

V:リベートを獲得するために需要者が購入しなければならない数量(個)

です。

これも証明してみましょう。

需要者がV個全部を独占者から買うときの支払額は、

ASP×VーR ・・・②

です。

需要者は、独占者から全部購入すればこの②の価格ですむわけですから、一部を競争者から購入するとしても、総額は、②の価格に抑えたいはずです。

ということは、

ASP・V(1-S)+AAC・VS≦ASP・VーR ・・・③

となります。

左辺の第1項が独占企業への支払額、第2項が競争者への支払額、右辺は全部独占企業から購入したときの支払額です。

③を変形すると、

AAC・VSーASP・V・S≦ーR ・・・④

となり、左右に-1/Vをかけて右辺をSでくくると、

S・(ASPーAAC)≧R/V ・・・⑤

となり、両辺をASPーAACで割ると、

S≧R/{(ASPーAAC)・V} ・・・⑥

となり、①(S=R/{(ASP-AAC)・V})が証明できました。

2022年10月 4日 (火)

インテル事件欧州委決定(2009年)の必要シェアの公式について

インテル事件欧州委決定¶1157では、同等に効率的な競争者が獲得する必要のあるシェア(必要シェア, required share)の算定式として、

S=rα/{1-r(1-α)-AAC/ASP} ・・・①

という公式が示されています。

ここで、

S:必要シェア

r:リベート率(売上100万円で20万のリベートならr=0.2)

α:条件を満たさない場合に失われるリベートの割合(全部失われるならα=1)

AAC:average avoidable cost.ここでは同等に効率的な競争者の販売価格

ASP:average sales price.独占企業の(リベートを引く前の)平均価格

です。

この式の導き方を簡単にメモしておきます。

まず簡単にするために、前述の式で、α=1とすると、

S=r/{1-AAC/ASP} ・・・②

となります。

これを導いてみましょう。

まず、需要者の需要量をV(個)と仮置きします。

このV(個)全部を独占企業から購入した場合の代金は、

ASP×V×(1-r) ・・・③

となります。

需要者は、全部を独占企業から購入してもこの金額で足りるので、競争者から一部を購入するとしても、トータルの支出額は③以下に抑えたいはずです。

そして、一部(Sとします。0≦S≦1)競争者から買う場合の代金総額は、

独占企業への支払額+競争者への支払額=ASP×V×(1-S)+AAC×V×S ・・・④

となります。

ここで、③≧④でなければならないので、

ASP×V×(1-r)≧ASP×V×(1-S)+AAC×V×S ・・・⑤

となります。

両辺をVで割ると、

ASP×(1-r)≧ASP(1-S)+AAC×S=ASP-ASP×S+AAC×S ・・・⑥

となり、変形すると、

S(ASPーAAC)≧ASPーASP(1-r)=ASP×r ・・・⑦

となり、さらに変形すると、

S≧(ASP×r)/(ASP-AAC)=r/(1-AAC/ASP)・・・⑧

となり、②(S=r/{1-AAC/ASP})が証明できました。

2022年2月13日 (日)

シェアが高いと市場支配力を持ちやすい本当の理由

独禁法では、市場シェアが高い当事者は市場支配力を持ちやすく、同じ行為をしてもシェアの低い者より競争を制限しやすいとされることが多いです。

でも、どうしてシェアが高いと市場支配力を持ちやすいのでしょうか。

「そんなのあたりまえじゃん」という反応が返ってきそうですが、こういう基本的なことこそ、よく考えてみる必要があると思います。

私が思うに、市場シェアが高い企業が競争を制限しやすいのは、自分以外の事業者の市場シェアが低いからだと思います。

市場支配力というのは、

「事業者が、その意思で,ある程度自由に,価格,品質,数量,その他各般の条件を左右することによって,市場を支配することができる状態」

のことですが、「その他各般の条件を左右する・・・ことができる状態」というのは、要するに、他の事業者から競争圧力を受けていない、ということです。

ということは、市場支配力があるかどうかは、他の事業者から競争圧力を受けているかどうかにかかっているわけです。

(なお、需要者の力が強いから価格を上げられないという場合もありますが、細かいことを言い出すときりがないので割愛します。)

そして、他の事業者から競争圧力を受けるかどうかは、他の事業者が十分効率的な供給余力を持っているかどうかにかかっています。

そして、供給余力は通常、市場シェアと比例関係ないし相関関係があります。

経験則上、市場シェアの小さな企業が大きな企業よりたくさんの供給余力を持っているということは、少なくとも中長期的には、あまりないからです。

(合理的なビジネス判断をすればそうなるのはあたりまえのことです。)

というわけで、理論的には、市場支配力は行為者の市場シェアが高いから生じるのではなく、行為者以外の合算市場シェアが低いからだと考えるべきです。

こう考えることによって、行為者の市場シェアを、隣接市場からの競争圧力や、輸入圧力と統一的に、他社から競争圧力として把握することができます。

このように考えずに、行為者の高いシェアだけに着目すると、「大きいから悪いのだ」といった誤った理解や、「市場シェアの大きな事業者が排除行為を行えば直ちに一定の取引分野における競争が実質的に制限されるのだ」といったような、とんちんかんな議論につながります。

大きいから何となく市場関係者に無理難題を聞かせられそうで、それが市場支配力だ、と漠然とイメージしている人が少なくないと思います。

たとえていえば、市場支配力を持つ事業者がバズーカ砲を持っていて、競争者はピストルだけで、太刀打ちできない、というイメージでしょうか。

ですが、それは市場支配力の誤ったイメージだと思います

これは経済学を知っていれば常識なのですが、市場支配力の行使は競争水準より生産数量を減らすことで行使されるのです。

なので、強大な生産能力で他社を圧倒する、というイメージは市場支配力の本質を外しています。

また、行為者の市場シェアをSとすると、行為者の独占利潤率(ラーナー指数)は、

L = S÷{εd+εs×(1-S)}

ただし、εd:市場の需要弾力、εs:行為者以外の供給の弾力性

と表されますが(Posner, Market Power in Antitrust Cases)、分子のSは最大でも1ですからたかが知れていますが、分母の1-Sはいくらでもゼロに近づけますし、1-Sがゼロに近づくと競争者の供給余力も多くの場合ゼロに近づくので、εsもゼロに近づくことになり、ラーナー指数は限りなく需要の弾力性の逆数に近づくことになり、1-Sの効果のほうがSの効果よりもずっと大きいことがわかります。

また、単純化のために2つの弾力性をいずれも1とすると、

L=S/(1-S)=1/(1-S)-1

となり、やはり1-Sの効果が大きく見えます。

つまり、ラーナー指数の式の形自体が、行為者の市場シェアよりも行為者以外の市場シェアのほうが市場支配力の本質であることを表しているといえると思います。

もちろん、Sが非常に小さいレベルであれば、そのおかげでLの分子はゼロに近づき、分母にかかわらずLがゼロに近づくので、Sの効果が大きいのですが、市場支配力の有無が問題になる場合というのは通常Sは大きいので、そうすると、やはり、1-Sがゼロに近づく効果のほうが大きいといえると思います。

ちなみに、行為者自身が供給余力を持っていることは、市場支配力にとって本質的ではありません。

というのは、市場支配力というのは、競争水準よりも生産量を減らすことで価格を上げる力だからです。

なので、行為者が市場支配力を持つためには、供給余力を持っている必要はありません。

もし行為者の供給余力が市場支配力の形成・維持・強化に意味があるとすれば、2つの場合でしょう。

1つめは、市場環境が変わって、需要が拡大したりした場合に、迅速に生産量を拡大して最適な(?)独占利潤を獲得できる、という場合でしょう。

2つめは、競争者が安値で顧客を奪取しにきたときには報復で安値販売することで、価格競争を思いとどまらせる場合でしょう。

これは、不当廉売まではいかない安値販売により競争者をdisciplineするシナリオです。

ですが、おそらくこのシナリオでは、競争者を退出させるまでに至らないと過去の高価格均衡に戻ることはたぶん理論的にはなくて、新たな安値均衡になってしまう可能性が高そうな気がします。

ですので、行為者自身の供給余力は市場支配力の本質とは関係がなく、供給余力が市場シェアに比例すると考えるなら、行為者の市場シェアもやはり市場支配力の本質とは関係がない(競争者の市場シェアあるいは供給余力が本質である)、といえそうです。

2021年8月20日 (金)

反競争効果の発生機序について

タイトルは堅いですが、今日は軽い話です。

独禁法の世界、とくに、排除型私的独占などでは、反競争効果の発生機序、ということをよく言います。

これは意訳すると、英語の theory of harm とだいたい同じことを言っています。

つまり、反競争効果の発生のメカニズム、ということです。

でもこれが大事だと言っても、なかなかうまく理解してもらえません。

そこで、譬えでを使って、競争法ではこんなことを考えているのだ、ということを示してみたいと思います。

コロナがはやり始めた頃、ネットショッピングが伸びるのか停滞するのか、という議論がありました。

つまり、コロナで経済全体が縮む中で、巣ごもり消費は増えるだろうけれど、正味でどちらなのだ、という議論です。

これをメカニズムに分解すると、

①コロナ→景気停滞→消費全般の低迷(マイナスの効果)

②コロナ→外出しなくなる→巣ごもり消費の増加(プラスの効果)

の2つがあるわけです。

結果的には、②の圧勝でした。

最近では、「オリンピックでコロナ感染は増えたのか、減ったのか」という議論があります。

ここには、

①オリンピックの開催→「オリンピックやって良いんだ」という国民の気の緩み→人手の増加→コロナの増加(プラスの効果)

②オリンピックの開催→みんなうちでテレビをみる(現に視聴率は高い)→人手の減少→コロナの減少(マイナスの効果)

の2つがあるわけです。(もちろん、ほかのルートもあるかもしれません。)

これらはいずれも、コロナ増加・減少のメカニズム(機序)だといえます。

別の譬えで、高血圧の薬(降圧剤)には、大きく分けて、

①カルシウム拮抗薬:血管へのカルシウムイオンを減らし、血管を広げて血圧を下げる)

②ARB(アンジオテンシンⅡ受容体拮抗薬):アンジオテンシン(血圧に関係するホルモン)の作用を抑えて血圧を下げる

③ACE阻害薬(アンジオテンシン変換酵素阻害薬):アンジオテンシンを減らして血圧を下げる

④利尿薬:腎臓から塩分と水を出すことによって血圧を下げる

⑤β遮断薬:交感神経の心臓への作用を抑え、血圧を下げる

があり、血圧を下げるメカニズムにも、血管を広げるものから、ホルモンに作用するものから、血中水分と塩分を減らすものから、心臓の作用を抑えるものまで、いろいろです。

これらは同じ降圧剤ですが、作用機序(メカニズム)が違います。

競争法では、この「メカニズム」というのが、非常に大切です。

というのは、このメカニズムが理解できていないと、外形上同じように見える行為だというだけで、まったく反競争効果がない(むしろ競争促進的な)行為を、反競争的な行為だと、間違って判断してしまうからです。

反競争性の発生機序というと、純粋法律畑の方からは、「因果関係のことですか?」と聞かれたりします。

それは間違いではないのですが、競争法では、反競争効果の発生機序という場合、原因と結果だけのたんなる因果関係(降圧剤を投与→血圧が下がる)ではなく、作用するステップ(降圧剤を投与→血管が広がる→血圧が下がる)が、強く意識されています。

例えば、既存の独占メーカーが流通業者と排他条件付取引をしたために新規参入メーカーが流通網にアクセスできないという場合、

排他条件付取引→新規参入者の流通費用の上昇(新規販路開拓、効率的な流通業者の囲い込み)→新規参入者の競争的価格設定が困難→価格が安定

というメカニズムが考えられます。(ライバル費用の引き上げ)

企業結合の、単独効果、強調効果、といのも、反競争効果の発生メカニズムのことです。

ゲーム理論を使った経済学のモデルでは、競争の前提(例、排他条件の存在)が変わると、一次的にどのプレイヤー(買手)の行動がどう変わって、それが別のプレイヤー(売手)の行動にどう影響があって、最終的な市場均衡では価格が上がるのか下がるのか、ということを、各プレイヤーの行動を数式化して(利得関数)、ステップ・バイ・ステップでみていきます。

そういう頭があると、反競争効果のメカニズムというものを、強く意識するようになります。

そして、その感覚は、多くの場合、ビジネスの現実にぴったり合います。

ここがすごいところで、反競争効果の発生メカニズムを理解していないと、とくにビジネスの素人は、「だって、拘束を受けた側が嫌がっているじゃないか」とか、「こんなこといったらドキッとするじゃないか」というだけで、反競争的という判断をしてしまいかねません。

もちろん、被拘束者が嫌がっていても競争促進的なこともあれば、好んでいても競争阻害的であることもあるわけです。

反競争効果発生機序の意味が分かっていない人は、下手をすると、新規参入者の残余需要を増やす行為を排除行為と言い出しかねません。

このように、反競争効果の発生機序を理解することは非常に重要なのですが、実務では、まだまだ浸透していないみたいです。

今日の記事で少しでもイメージをつかんでもらえたらと思います。

 

 

2021年8月17日 (火)

「新ブランダイス学派」について

最近新聞などで、「新ブランダイス学派」という言葉をみることが増えました。

東大の大橋先生の著書、

『競争政策の経済学 人口減少・デジタル化・産業政策』

の17頁には、

「競争当局に対してさらなる競争政策の執行強化を望む声が高まるなか、シャーマン法の成立当初の精神に立ち戻り、巨大企業の存在それ自体を民主主義への危機と捉えて排除すべきとする『新ブランダイス学派』と呼ばれる考え方も登場しており、そうした見方が一定の支持を集める事態にもなっている。」

と紹介されています。

反トラスト法の○○学派といえば、ハーバード学派とシカゴ学派とポストシカゴ学派が思いつきますが、この3つはいずれも主として経済学の土俵での立場の違いであるのに対して、新ブランダイス学派は純粋に法的ないし政治的な土俵での運動なのだと思います。

つまり、相撲を取る土俵、あるいは、問題を分析する視角が違います。

ということは、ハーバード学派とシカゴ学派とポストシカゴ学派との間では、経済学という土俵において、どちらが優れているという議論が成り立ちますが、新ブランダイス学派については、そういう比較はちょっと成り立たないように思います。

ということは、新ブランダイス学派の時代になったからといって、シカゴ学派やポストシカゴ学派がいらなくなるというわけではない、ということです。

もっとストレートにいえば、経済学の重要性はいささかも失われないであろう、ということです。

競争法が実現しようとする利益にはいろいろなレベルがあって、新ブランダイス学派が重視するのは、民主主義と社会的な富の偏在の解消でしょう。

これに対して経済学が重視するのは、基本的には効率性です。

そして、巨大ITなど、新ブランダイス学派が問題視するのはまさに民主主義の脅威と格差の問題でしょう。

でも、それらの問題は巨大ITくらいになってはじめて問題になり得るのであって、競争法の圧倒的多数を占める事件においては、依然として、効率性(余剰の最大化)が重要な目標であることに変わりはありません。

日本の優越的地位の濫用では地方の一スーパーが違反者になるので、「民主主義」とか、社会的な「富の偏在」とはまったく関係がありません。

日本では、大阪の八尾空港での給油業務のような、ガソリンスタンド1基分にも満たないような「市場」での排除まで「私的独占」として公取委が命令を出すので、「大きいことは悪いことだ」という新ブランダイス学派の考え方とはまったく違います。

なので、日本では新ブランダイス学派の考え方が影響する余地はない(実務はそれよりはるかに低いレベルで違法にしている)のですが、なかには、経済学が苦手な人の中からは、「これからは日本の独禁法でも経済学の占める地位は限定される(あるいは、なくなる)べきだ」という意見や、そこまではっきりいわなくてもそういう雰囲気が出てこないとも限りません。

ですが、繰り返しますが、競争法において経済学の重要性はいささかも失われるべきではありません。

むしろ今まで以上に重要になるといってもよいと思います。

というのは、経済学を知らない法律家が「大きいことは悪いことだ」というと、本当に気分だけになってしまい、客観的なモノサシがないので、とても危険です。

「Curse of Bigness」というのはティム・ウー教授くらいの経済学もわかっているひとがいうから説得力があるのであって、余剰分析の基本すら知らないような人が同じことを言ったら、たんなるポピュリズムになってしまいます。

下手をしたら、CEOがビル・クリントンみたいに人に好かれるタイプか、リチャード・ニクソンみたいに嫌われるタイプかで事件の結論が代わってしまう、ということもありえるでしょう(まあ人間のやることですから、経済学を使っても同じことになるかもしれませんが)。

私自身は、GoogleがYouTubeを買収したときも、果たしてこれを許して良いんだろうかという気持ち悪さを感じましたが、同時に、全然市場で競合関係にないので経済学的視点からは問題があることになるはずもないだろうな、とも思いました。

ですが、経済学が根底にあるから客観的な議論ができるのであって、もし、えもいわれぬ気持ち悪さだけで判断していたら、もやは法律ではありません。

(最近は、ようやく、ビッグデータやプラットフォームをよりどころにした広告市場や取引先の搾取という視点が提供されるようになりました。)

それに、繰り返しますが、地方スーパーや八尾空港などのレベルの事件は、新ブランダイス学派は歯牙にも掛けません。

というわけで、日本の独禁法実務の圧倒的多数においては新ブランダイス学派は無関係ですし(反トラスト法ではこれこそが本流)、新ブランダイス学派が関心を示すような巨大ITの事件でも、やはり経済学は重要だと思います。

むしろ、新ブランダイス学派の主張をサポートするような経済学の議論とかモデルが早く出てこないかなと期待しています。

2021年7月10日 (土)

巨大ITによる買収は認められるべきか?(Kill Zone)

巨大IT規制が話題になっていますが、

Raghuram Rajan, Sai Krishna Kamepalli & Luigi Zingales,

Kill Zone

(Becker Friedman Inst. Working Paper No. 2020-19), https://ssrn.com/abstract=3555915.

という論文を読みました。

かなり衝撃的な内容でした。

冒頭の要約(abstruct)に、

「We study why acquisitions of entrant firms by an incumbent can deter innovation and entry in the digital platform industry, where there are strong network externalities and some customers face switching costs.

A high probability of an acquisition induces some potential early adopters to wait for the entrant's product to be integrated into the incumbent's product instead of switching to the entrant.

Because of this, the incumbent is able to acquire the entrant for a lower price. Even if the incumbent platform does not undertake any traditional anti-competitive action, the reduction in prospective payoffs to entrants creates a “kill zone” in the space of startups, as described by venture capitalists, where entry is hard to finance.

The drop-off in venture capital investment in startups in sectors where Facebook and Google make major acquisitions suggests this is more than just a theoretical possibility.」

と書いてあるように、巨大ITによる買収を認めるには慎重でなければならない、という内容です。

オーソドックスな経済学では、スタートアップが巨大ITに買収されることを認めるのは必ずしも悪いことではない、といいます。

なぜなら、高額に買収されることを見越して活発な参入が起こり、ベンチャーキャピタルによるスタートアップへの投資も活発になるから、といわれます。

むしろ競争法を理由に買収を認めないと、参入が不活発になり、投資も起きない、といわれます。

つまり、既存の巨大ITにより買収されることが投資の出口戦略(exit strategy)になる、という理屈です。

でもこの論文は、ネットワーク効果が強いサービスでは、この理屈は成り立たない、といいます。

その理屈は、

→①もし新規参入プラットフォーム(PF)がすぐに巨大PFに買収されると予測すると、アプリ開発者は、開発コストをかけてまで新規参入PFに適合するアプリを開発しようとしない

→②アプリが開発されないので、消費者は新規参入PFに移行しない(間接ネットワーク効果)

→③消費者が新規参入PFに移行しないので、新規参入PFの価値は本来的価値よりも下がる

→④新規参入PFは、巨大PFに割安で買収されるほかなくなる

→⑤ベンチャーキャピタルは、巨大ITと競合する新規参入PFに投資しなくなる

というものです。

排除行為の場合も企業結合と理屈は基本的に同じで、強力な間接ネットワーク効果があるために、巨大ITがスタートアップをちょっと締め上げるだけで(たとえば、スイッチング費用を上昇させるような行動を採ることで)抜群の排除効果が生じる、とされます。

論文では、比較的単純な経済学のモデルを用いて上記の論理を説明し、同時に、スタートアップへの投資は減っていることを実際のデータを用いて裏付けています。

同論文のFigure 1では、ソーシャルメディア分野でのベンチャーキャピタル投資案件数が、FacebookによるWhatsAppの買収が認められた2104年にピークを迎え、投資額は2016年にピークを迎えていることが示されており、これは、同買収が認められたことの影響であるとされています。

2020年に公表された米国議会下院司法委員会の調査報告書でも、巨大ITと直接競合するスタートアップには投資しない、というベンチャーキャピタリストの証言が引用されています(p18ほか)。

昔ニューヨーク大学(NYU)に留学していたときにStern Business Schoolで受けたヤーマック教授の講義で、敵対的買収はターゲットの会社をその価値をより高く評価する者の手に渡らせるのでより効率的な経営が期待でき、社会的に望ましいのだ、という話を堂々とされていて、「さすが資本主義のアメリカ、映画の『ウォール街』のゴードン・ゲッコーそのものだな」と大いに感銘を受けたのを覚えていますが、オーソドックスな経済学が、巨大ITによる買収がスタートアップの出口戦略になるのだという議論も、これに似ています。

と同時に、敵対的買収が必ずしも企業価値向上につながらない(実際には、企業側の準備不足につけ込んで企業を恫喝するような濫用的買収者もいる)、という、理屈と実態は異なることがありうる、という点も、似ていると思います。

(なおヤーマック教授の名誉のためにも付け加えると、講義では、敵対的買収により企業価値が上がるようにみえるのは従業員などのステークホールダーとの暗黙の契約を破棄することにより価値がステークホールダーから買収者に移転しているだけで、価値が増えているわけではないのだ、といった議論など、敵対的買収が必ずしも社会的に望ましいわけではない、という議論もバランスよく紹介されていました。)

法律家の議論だと、「そういうこともあるかもね(でもないかもね)」といった感じで、どっちつかずの議論になることが多いのですが、このように、データと理論モデルに基づいた圧倒的説得力のある議論は、さすが経済学だなぁと思いました。

(ただし、同論文でも、巨大ITによる買収は全て禁止すべきだとはされていません。)

この論文の考え方はベンチャーキャピタリストの肌感覚とも合っているようで、そういうところも見事だし、それを経済モデルで理論的に裏付けているのも見事だと思います。

細かいことはさておき、巨大ITによる買収を考える際の基本的視座としては、これで決まりではないでしょうか。

巨大ITの規制を考える上では必読の論文だと思いました。一読をお勧めします。

2020年1月17日 (金)

経済学における「費用」の概念について

経済学における「費用」の概念は、われわれ法律家をふくむ一般人の目からみるとかなり変わったものなので、独禁法実務においてもこの点をしっかり抑えておかないと混乱が生じかねません。

一番大事なのは、経済学の費用は機会費用(opportunity cost. 生産に必要な財を当該生産の次に利益の大きな生産に用いた場合の利益の差)であるということでしょう。

たとえば経済学の教科書を読んで最初にびっくりするのが、完全競争のもとでは利益はゼロになる、という話です。

「利益がゼロでいったいだれが生産するのだ」と思うのですが、ここでいう「利益」は、収入と費用の差であるところ、この費用が機会費用を意味するので、「利益がゼロ」というのは、通常の言葉でいえば、費用に見合った正常な利益が出る(けどそれ以上は出ない)、ということなんですね。

もうひとつの重要な点は、経済学の費用は基本的に実質値(real value)で考えるべき、ということです。

名目値(nominal value)と実質値(real value)というのは、たとえばリンゴ1個200円、ミカン1個100円の経済で、リンゴの名目価格は200円ですが、実質価格はミカン2個、というようなイメージです。

つまり、名目は金額で、実質はある基準となる量(ミカン1個)の何倍か、で考えます。

この違いが、企業結合の効率性の抗弁で生きてきたりします。

同じようなことがいろいろなところで書かれていますが、たとえば、

John E. Kwoka, Jr. & Frederick R. Warren-Boulton, Efficiencies, Failing Firms, and Alternatives to Merger: A Policy Synthesis, 31 Antitrust Bull. 431 (1986)

という論文のp433では、

To be given any weight in evaluating the competitive effects of a merger, cost savings must be (in economic terms) "real" rather than "pecuniary" and must be uniquely attributable to the merger in question. Since these conditions are generally understood, only a brief discussion on each is presented.

"Real" cost savings allow the firm to produce more or higher-quality output from the same amount of inputs, and may arise in a number of ways. For example, mergers may reduce transportation costs as the consolidated firm routes materials among geographically closer, but previously separate, plants. Similarly, a merger may permit plants of the two constituent firms each to rationalize their product mix and lengthen production runs. Resources may also be conserved through merger if superior managerial techniques or superior production techniques are transferred between the firms. Indeed, almost any nonproduction area-marketing, distribution, research, etc.-may achieve efficiencies. Conventional plant-level scale economies, however, are perhaps least likely to be improved by merger, since generally little can be done to merger production at existing, separate facilities.

By contrast, "pecuniary" cost savings are reductions in a firm's costs that do not represent real resource savings. Examples of a pecuniary cost saving would be tax gains from a merger or lower inframarginal input costs due simply to enhanced bargaining power against suppliers. Lower input costs can even be associated with reductions in social welfare if a merger creates or enhances monopsony power against competitive suppliers. In this case, reduced input purchases by the merged firm drive down input prices, but the reduction in input costs is not due to a reduction in the amount of inputs used to produce the same amount of output. Indeed, while profits increase as input purchases and prices fall, output falls and social welfare declines.

と説明されています。

(引用部分の「pecuniary cost savings」というのが、名目値による費用削減を意味しています。)

つまり、企業結合における効率性の抗弁での費用削減にいうところの「費用」というのは、同一の生産をより少ない量の投入財で行うことができるようになることを意味するのであり、たんに合併により価格交渉力が増して安く購入できるようになった(だけれども、同一量の生産に必要な原材料の数量は変わらない)、というのは効率性(=費用の削減)とは評価すべきではない、ということです。

このあたりは公取委の相談事例(企業結合も、それ以外も)をみても、あまり明確に意識されているとはいいがたく、むしろまったく意識していないのではないかと疑われますが、経済学的には大事なのは実質値であることは理論的にはあきらかなので、誤解のないようにしておくべきだと思います。

2018年4月 9日 (月)

ブラウン管事件高裁判決について

独禁法の域外適用が問題になったブラウン管カルテル事件についての東京高裁平成28年4月13日判決〔MT映像ディスプレイ等〕は、
「自由競争秩序の維持は、供給者と需要者の双方が、それぞれ自由な判断により取引交渉をして意思決定をするという過程が、不当な行為により制限されないことが保証されることによって図られるものであり、自由競争秩序の維持を図る上で保護されるべき需要者の属性として重要なのは、意思決定者としての面と解せられる。」
という理屈で、意思決定者が日本国内にいれば日本の独禁法を適用できる、という立場に立っています。
 
この判決には私は反対です。
 
(審決が出るまえ、一時、わたしもブラウン管カルテル事件に関わっていたので、いろんな国の競争法弁護士に、「日本の公取は意思決定をした親会社が日本にあれば日本の独禁法を適用できるという考えらしい」といったら、みんなびっくりしていました。)
 
基本的には、小田切委員(当時)の審決での補足意見の分類にしたがえば、余剰獲得者の所持在地を基準にすべきだと考えています。
 
これら一連のブラウン管事件判決については、細かいことを言い出すときりがないのですが、ひとつ指摘したいのが、法学と経済学の発想のちがいです。
 
だいぶ以前に、このブログの「独禁法と経済学」という記事で書いたのですが、物の値段はどうきまるのかという点について、法律家は、
「価格は当事者の合意で決まる」
という発想なのに対して、経済学者は、
「価格は市場で決まる」
という発想が強いと思います。
 
法学部で法律を勉強すると、売買契約は当事者の合意により成立する、と教えられます。
 
どうして契約に拘束されるのかといえば、神様がそういったからでも王様が決めたからでもなくて、自由な意思でお互いが合意したから拘束されるのだという、近代市民法の私的自治の発想です。
 
これに対して経済学では、価格は利益を最大化しようとする市場参加者の意思決定の結果として決まる、というように考えます。
 
そして経済学でいうところの「意思決定」は、市場の状況を所与の前提として、利益最大化という規準にしたがって行われる、あくまで受け身のものです。
 
このような基本的な発想の違いが、法学と経済学が交錯するいろいろな場面で出てくるのですが、東京高裁判決もまさにそんな場面の一つに思われます。
 
でも競争法において意思決定の自由を究極的な保護法益として説明しようとすると、いろいろ不都合なことが起こります。
 
たとえば、売手間のカルテルによって買手の意思決定の自由が害されたという場合、暗に想定されているのは、カルテルがあると知っていたらそのような購入意思決定はしなかった、ということなのではないでしょうか。
 
でも極端な例として、売手が独禁法違反で摘発されるリスクをものともせず、カルテルをしていることを公言している場合はどうでしょう。
 
そのような場合でも、買手の意思決定の自由が侵害されているといえるのでしょうか?
 
わたしは、そのような場合の買手の被害を意思決定の侵害に求めるのは難しいと思います。
 
言えるとすれば、買手にはカルテルがない状態で決まる価格で商品を購入する権利があるのだという、まさに余剰獲得者としての視点しかないと思います。
 
もう一つ極端な例として、完全競争市場では、需要者は価格について何ら意思決定をする必要すらありません。
 
経済学では、そういう市場が最も望ましいと考えられていたりします。
 
そこには、意思決定の自由という発想はありません。
 
意思決定の自由を重視する東京高裁の立場は、法学部出身の私からすると、いかにも法律家的というか、それだけに、経済学的な発想がぜんぜんないんだなぁと思わざるを得ません。
 
これと正反対にあるのが、法と経済学で著名なポズナー判事のモトローラ事件における法廷意見で、国外に子会社を設立して現地法に従うのであれば競争法についても現地法に従うべきである、として、米国外で完成品に組み立てられて米国外に売られた商流について米国親会社の損害賠償請求を退けています(白石忠志「ブラウン管事件東京高裁3判決の検討」NBL1075号13頁)。
 
さすが、法律と経済学の両方に通じておられるポズナー判事だといわざるをえません。
 
経済学者である小田切委員があえて補足意見を書かれたのも、きっと、経済学的観点から違和感があったからであろうと推測します。
 
まあ、東京高裁の判断が最高裁でも支持されてしまったので、今となってはどうしようもないのですが、私の見るところでは、この問題は高度な哲学的問題でもなんでもなく、たんに、裁判所に「価格は市場で決まる」とか、余剰という経済学的な発想がなかった(経済学に無知であった)がために起こった誤審だったのではないか、と思っています。

2017年4月21日 (金)

セット販売(バンドルディスカウント)について

昨日の競争法フォーラムの勉強会でセット販売がテーマだったので、前から読みたいと思っていた、ハーバード大学のEiner Elhauge(アイナー・エルハーギ)教授の

TYING, BUNDLED DISCOUNTS, AND THE DEATH OF THE SINGLE MONOPOLY PROFIT THEORY (2009)

という論文を読んで予習してみました。

 

Elhauge教授らしい、相変わらず切れ味鋭い論説で、私もバンドルディスカウントに対する考え方を改めたい、と思いました(宗旨替え)。

 

要点をまとめると、抱き合わせおよびバンドルディスカウントの効果には、

①商品内価格差別(Intra-Product Price Discrimination)

 

②商品間価格差別(Inter-Product Price Discrimination)

 

③個別消費者余剰の搾取(Extracting Individual Consumer Surplus)

(①~③は、いくらかの市場支配力があれば生じるので「支配力効果」(power effects)と総称)

④従たる商品市場の市場支配力増加(Increased Tied Market Power)

 

⑤主たる商品市場の市場支配力増加(Increased Tying Market Power)

(④、⑤は、従たる商品市場の相当程度のシェアの排除を要するので「シェア排除効果」(foreclosure share effects)と総称)

があるとされます。

 

そして、シカゴ学派の抱き合わせに関する「独占の梃子の否定論」(single monopoly profit theory)は、

①需要者は主たる商品に対する従たる商品の使用量を変えないこと、

 

②主たる商品と従たる商品の需要に強い正の相関性があること、

 

③主たる商品の使用量が変わらないこと、

 

④従たる商品市場の競争の程度が固定されていること、

 

⑤主たる商品市場の競争力の程度が固定されていること、

の5つすべてを前提にしてはじめて成り立つが、実際には、これらの条件がすべて成り立つことはまれであり(というより、そのうち1つでも成り立つ場合も多くない)、しかも前記5つの効果は重畳的に生じるので、バンドルディスカウントはきわめて強い排除効果を持ちうる(なので、抱き合わせを当然違法ないし当然違法類似の法理で処理する米国判例法は正しい)、とされます。

 

すなわち、

①需要者が主たる商品に対する従たる商品の使用量を変えると、商品内価格差別が生じる、

 

②主たる商品と従たる商品の需要に強い正の相関性がないと、商品間価格差別が生じる

 

③需要者が主たる商品の使用量を変える場合(たとえば、2台目、3台目のプリンターを会う場合)には、個別消費者余剰が搾取される、

 

④従たる商品市場の競争の程度が変わる前提だと、従たる商品市場の市場支配力が強化される、

 

⑤主たる商品市場の競争力の程度が変わる前提だと、主たる商品市場の市場支配力が強化される、

とされます。

 

この論文のすごいところの一つは、これまでの経済学の議論を、難しい数式を一切使わずに、単純な数値例を使うことで、きわめてわかりやすく説明しているところです。

 

たとえば、②の商品間価格差別については、

201人の需要者がいて、

 

その支払意思額が、商品A(コストはゼロ)について、0ドル、1ドル・・・200ドルと1ドルきざみであり、

 

逆に商品B(コストはゼロ)については、200ドル、199ドル・・・0ドルだとすると、

 

抱き合わせがないと商品AとBをそれぞれ100ドルにするのが利益最大化になる(それぞれ101人の需要者が購入して利益は20,200ドル)が、

 

抱き合わせをするとバンドルで200ドルにするのが利益最大化になる(201人全員がバンドルを購入し、利益は40200ドル)、

ということが示されます。

 

つまり、商品Aと商品Bへの支払意欲に相関関係がないと(上の例では、商品Aを高く評価する需要者ほど商品Bは低く評価するという負の相関関係があると)、バンドルによって消費者余剰を搾取できる、ということです。

 

いわば、セット(バンドル)の購入者について、セットでは定額としながら、商品Aと商品Bを個別に(実質的に)みれば、実質的には、個々の需要者ごとに異なる価格を設定している(だけどバンドルでは同じ額)、という理屈です(なので、商品間価格差別)。

 

またこの論文は、反トラスト法では総余剰基準ではなく消費者余剰基準を採用すべきだと強く主張します。

 

私などは、基本的にシカゴ学派からスタートしていますから、完全価格差別は総余剰を増やすので効率的だという議論がしっくりくるのですが、この論文は、その考えが甘いことをよくわからせてくれます。

 

完全価格差別が効率的だと言ってのけられるのは、「しょせん完全価格差別なんてめったに起こるものではないんだから目くじら立てることはないでしょ」という甘えがきっとあるのだろうと思います。(私はありました。)

 

でも、セット割引というのは世の中にいくらでもあるので、そんな悠長なことは言ってられません。

 

やはり、ほんとうにシビアな問題が起こっているところで、「本当にそんな、木で鼻をくくったような議論をしていていいの?」ということを、真剣に考える必要があるんだなぁと、いまさらながら考えさせられました。

 

(ただこの点については逆に、シビアな問題が生じるからこそ、「総余剰基準が正しいんだ」という議論が強まる可能性もあります。)

 

同論文によると、バンドルディスカウントを不当廉売のようにコストベースで考えるのは間違いで、コスト割れでなくても反競争的な場合は、上記5つの効果を考慮すればいくらでもある、とされます。

 

また、「ディスカウント」という言葉が値引であるかのような誤解を生むのであって、実際には、バンドルディスカウントというのは、アンバンドル価格とバンドル価格との差額であるにすぎないんだ、ともいいます(しごくもっともです)。

 

そのうえで、問題にすべきはバンドルあるいは従たる商品の実質価格がコストを下回るかどうかではなく、アンバンドル価格が、抱き合わせがなければついたであろう価格(but-for price.「ナカリセバ価格」)を上回ることなのだ、といいます。

 

したがって、(公取のバンドルディスカウントに関する検討会報告書でも採用された)Distribution Attributionテストはまちがいだ、それだと、反競争的な行為が合法になって過小規制だ、とはっきりいいます。

 

公取委の報告書についてはまたの機会に検討するとして、ともあれ、この論文は非常に説得力があります。

 

同報告書で、

「※注13 本報告書はこのような排除効果に焦点を当てるものではあるが,あるバンドル・ディスカウントが排除効果までは生じない場合であっても,バンドル・ディスカウントを介した価格差別によって消費者厚生が低下する可能性がある点も問題として捉えるべきであるとの指摘も存在することに注意が必要ではある。」

というのが、上記①~③の支配力効果(排除を前提としない効果)のことと思われます。

 

でも実際にこの論文を読むと、こんな簡単に脚注で触れて済むような問題ではないことがとてもよく理解できます。

 

というわけで、公取委は排除効果を中心に考えて、しかもDistribution Attribution(DA)テストを採用しているので、この論文ほどセット販売に厳しい立場をとることは考えられませんが、この論文をよむと、セット販売が大きな反競争性をもちうるということがわかります。

 

しかも、電気とかガスはだれでも購入するので、その広がりがとても大きくなります。

 

ほかにも、

「同等に効率的な競争者テスト」(排除者と同等に効率的な競争者でも排除されてしまうときには違法とする考え)は、まさにその行為があるために競争者が同等に効率的になれないときには過少規制になる

とか、

「抱き合わせは支払意思額の高い需要者から低い需要者に取引を移転させるので消費者余剰が減少し非効率的だ」

とか、排除行為に関する議論が頭の中でとてもきれいに整理できる記述が盛りだくさんです。

 

もちろん、実際の市場の競争や需要曲線をみないと反競争効果が生じるかどうかはわからないし、効率性を促進することもありうるので、理屈だけですべてのが片付くわけではないのですが(この論文も、バンドルディスカウントが当然違法といっているわけではなく、あくまで合理の原則で判断すべきと言っているだけです)、価格差別(メーターリング)は総余剰を増やす、というシカゴ流の単純な発想ではいけないんだ、ということはよくわかります。

 

私はかつて、川濱教授の再販の論文をよんで再販については宗旨替えした(シカゴ流の原則合法ないしは合理の原則から、ほぼ当然違法)のですが、それに匹敵するくらいの衝撃のある論文でした。

 

セット販売反対派も賛成派も、この論文を読めば何が問題か、よく理解できることでしょう。

 

そういった意味で、どちらの立場であっても、関係者は必読(という陳腐な決まり文句は好きではないですが、本当に)です。

 

たとえば、電気は最初の一単位と最後の一単位に対する支払意思額がかなり違いそう(電気がないとさすがに困るけど、最後の一単位を減らすのはたいして苦痛ではない)なので、③の個別消費者余剰の搾取効果はありそうだな、とかいった具合です。

 

ほかには、電気とガソリンのセット販売の場合、クルマにたくさん乗る人は家にあまりいない、など、個々の需要者ごとに支払意思額が異なりそうなので、②の商品間価格差別効果はけっこう生じそうだな、といったことが思いつきます(競争法フォーラムで出た質問をヒントに思いつきました)。

 

だけど、本当にそう言えるかどうかは、まさに事実認定の問題で、まったく逆の結論が正しいかもしれません。

 

それでも、どこに目をつけるべきか、ポイントは見えてきます。

 

ほかには、バンドル値引きの額(つまり、アンバンドル価格とバンドル価格の差)の大きさ自体は、反競争効果にとって決定的ではない(額が小さくても十分反競争的でありうる)といったこともこの論文では言われていて、けっこう衝撃的です。

 

(ざっくりいうと、バンドルがない場合の主たる商品の消費者余剰が従たる商品の消費者余剰に比べて十分大きければ、バンドル値引きの額が小さくても反競争効果が生じうる、とされます。)

 

さらに視点を変えると、公取委がDAテストのようなかなり甘い基準を採用しており、セット販売が事実上野放しの状態であることを前提にすれば、事業者としては、どの商品とどの商品をバンドルすれば利益が上がりそうかを予測してビジネスに生かすことができるかもしれません。

 

(さらに余談ですが、独禁法をやってると、こういう、ビジネスの目の付け所(=独占利潤の獲得方法)というのが見えてきたりします。最近では、アップルペイのビジネスモデルなんか、「そこに目を付けたかあ」と感心してしまいます。)

 

そういうわけで、この論文の立論に理屈で反論するのは非常に難しいのではないか、という気がします。

 

(この論文では、反対説に対する周到な反論も展開されていて、それがこれでもかというくらい説得力があります。)

 

ただこの論文も万全ではありません(この論文ですべての問題が解決できるわけではない)。

 

一番の問題は、アンバンドル価格が「ナカリセバ価格」を超えたらだめだといっても、では「ナカリセバ価格」をどうやって算定するのか、ということだと思います。

 

この論文では、会社の内部文書を調べたり、経済分析を使えばわかる、といっていますが、「本当にそうかなぁ」という気も正直します。

 

そういうわけで、ますます独禁法解釈に経済学が必須になってきそうです。

 

ついでにいうと、この論文のすごいところとして、見事に法学と経済学の橋渡しをしているところがあげられます。

 

たとえば、アンバンドル価格が「ナカリセバ価格」を超えたらだめだというなら、たんなる単品の高価格設定もだめだというのか、という批判に対しても、「バンドル規制は高価格設定を規制しているのではなくて、バンドルにともなう制限を問題にしているのだ」という、説得力のある反論がされています。

 

「判例はこの効果を問題視したんだ」、という経済理論に基づいた解説も見事です。

 

経済学の論文のような数式はいっさい使わず、数値例(とグラフ)だけで問題のエッセンスを伝える、という手法は、誰でもできそうで、実は経済学が心底わかっていないと怖くてできない手法なのでしょう。

 

こんな手法も、日本でまねをする法学研究者の方が出てこないかなぁと期待したりします。(私にはとうてい無理です。)

 

経済法学畑に経済モデルの数式を読んで理解できる人がとくに日本では少ないことを考えると、この、数式を使わずエッセンスを伝えるという手法はきわめて有効だと思います。

 

日本でも、セット販売に関する議論がさらに深まることを期待したいと思います。

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