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2026年4月

2026年4月11日 (土)

景品類提供主体性に関する緑本236頁の解説の解説

景品提供の主体について、緑本236頁では、

「⑴ 景品提供の主体の問題

景品提供企画において、経済上の利益を供与している者が誰であれ、いかなる商品の取引に付随し、いかなる商品の顧客誘引手段となっているかを考えれば、景品提供の主体(規制の対象者)が誰であるかを判定するのは困難ではない。

例えば、メーカーが小売業者を通じて販売している商品について、

①メーカーが出荷段階において商品の包装箱に景品類を封入しておく場合や、

②メーカーが小売業者にスピードくじを渡しておき、当該商品の購入者に対し小売業者の店舗で抽選して、当選者に小売業者の供給するその他の商品を景品類として提供する場合

はどうか。

①については、小売業者がメーカーの企画に全く参加せず、単に仕入れた包装箱の状態でそのまま販売している場合には、小売業者は、景品提供の主体であるとはいえないが、

②については、メーカーだけでなく、小売業者の取引にも付随して提供する経済上の利益となり、景品類に該当して、両社が景品提供の主体として規制対象になる可能性があるであろう。

上記①と②で結論が異なるのは、景品を提供する行為について小売業者の関与の度合いが異なるからである。

景品提供の主体を考えるに当たっては、いかなる商品の取引に付随し、いかなる商品の顧客の誘引手段となっているかということに加え、

その企画の立案

主商品の選定、

景品類の種類〔の決定〕、

〔景品類の〕額〔の決定〕、

〔企画の〕実施期間〔の決定〕、

〔企画の〕実施地域〔の決定〕、

売上予定の算定、

その企画の宣伝方法〔の決定〕

など)

を行ったのは誰か、

経費の負担は誰か

といって事情を総合的に見て判断する必要がある。」

とされています。

まず、この設例ではメーカーとその商品を販売する小売業者なので、商品提供主体性は当然に満たされることが前提とされていることに注意をする必要があります。

つまり、この緑本の解説を一般的に参考にするときには、別途商品提供主体性について考えないといけない、ということです。

次に、上記緑本解説の細かい内容を検討する前に、総論的な細かいことを1つ申し上げておくと、上記解説で、

「上記①と②で結論が異なるのは、景品を提供する行為について小売業者の関与の度合いが異なるからである。」

といっているのは大きな問題だと思います。

というのは、景品類について禁止または制限される行為は、「提供」(景表法4条)しかありません。

これは4条をみればあきらかです。

もし内閣総理大臣が景品類の「提供」に「関与」する行為まで禁止するとしたら、それは、4条の授権の範囲を超えた、違法な指定ということになります。

それは、正犯の処罰しか条文には規定されていないのに、幇助犯まで処罰するようなものでしょう。

それなのに、

「景品を提供する行為について小売業者の関与の度合い

なんて言い方をすると、「提供する行為」そのものを行っていなくても、「提供する行為」について「関与の度合い」が大きければ規制の対象となる、といっているように読めてしまいます。

でもそれはあきらかに4条の範囲を超えていて、規制の対象になるのは「提供する行為」そのもののはずです。

このように、緑本の解説は根本的なところで言葉の使い方を間違っている(控えめに言って、「ゆるい」)ので、ちゃんと「4条における『提供』とは」という問題の立て方をした場合に比べて、なんともゆるゆるの解釈になっています。

実際、上記緑本の解説は、通常の日本語の意味での「提供」よりも、かなり「提供」を広く解しているようにみえます。

それもこれも、「提供」自体はしていなくても、「提供」への「関与の度合い」が強ければ景品規制の対象となる、という考え方が根底にあるからだと思われます。

以上のような論理的難点を頭に入れておかないと、消費者庁の発想にはおそらくついていけないと思います(笑)。

そこで、「提供」自体はしていなくても提供への「関与の度合い」が強ければ提供主体になる、という発想に頭を染めながら中身の検討に入ると、まず、

「①については、小売業者がメーカーの企画に全く参加せず、単に仕入れた包装箱の状態でそのまま販売している場合には、小売業者は、景品提供の主体であるとはいえない」

というときの企画への「参加」というのが、どのような事実があれば「参加」になるのかよくわかりません。

(ここでも、条文上は、企画に「参加」しただけで景品類を「提供」したことになるというのは広すぎるのですが、ここでも提供への「関与の度合い」が強ければ「提供」になる、という発想で読めば、まあそういうことかとは理解できます。以下も、その理解で読んでいきましょう。)

①の包装箱封入のケースですら、小売業者が景品類提供主体とならないためには小売業者が「企画に全く参加(しない)」ことが要求されている(「場合には」)ことからすれば、包装箱封入のケースですら小売業者による企画への「参加」がありうる、というような、そういう意味での「参加」であると考えるほかないでしょう。

なので、この「参加」というのは、②のようなスピードくじを引かせる義務を負うとか、企画の実施のために必要な作業の役割分担をすることは必要ではなくて、協賛する(協賛者として名前を出す)とかでも、「参加」にあたりうる、というべきでしょう。

でも、何らかの関与があればそれだけで「参加」になるのかというと、そういうことでもないのでしょう。

「関与の度合い」しだい、というわけです。

たとえば、①の包装箱封入のケースで、メーカーが小売業者に、その企画を告知したPOPを店舗の目立つ場所に置いてもうらうよう依頼して、小売業者がただで置かせてあげたとしましょう。

それだけでは、私は「参加」にはあたらないと思います。(「関与の度合い」が、「参加」というには弱い。)

仮にPOP設置の場所代をメーカーが小売業者に支払っていたとしても、小売業者が「参加」したことにはならないでしょう。

むしろそのような場所代の支払は、メーカーが自己の負担で企画を行なっている根拠になり、小売業者の企画への「参加」を否定する事情というべきでしょう。

これに対して、小売業者がメーカーから企画について何も連絡を受けていなかった場合(両者に意思の連絡がない場合)には、小売業者は企画に「参加」したことにはならないのはあきらかでしょう。

むしろ、①の包装箱封入のケースでおそらく典型的に想定されているのは、メーカーと小売業者との間に企画について何ら意思の連絡がない場合ではないかと思われます。

そういう暗黙の前提を濃厚にイメージさせることができるからこそ、緑本が自信をもって、小売業者が提供者ではないと言っているのでしょう。

なお、「参加」するための契約書が不要であることは当然でしょう。

ここで、「参加」の言葉の意味を確認しておくと、広辞苑では、

「①なかまになること。行事・会合・団体などに加わること。『ふるって御ー下さい』『ー申込み』」

と、要は何かに「加わること」という、相変わらず当たり障りのない説明されているのに対して、新明解国語辞典では、

「団地・組織など、目的を持った集まりの一員と成り、行動を共にすること。『ボランティア活動にーする/ーを呼びかける/大衆ー・自由ー・ー者』」

というように、「一員と成り、行動を共にする」という、もう少し実質的な(それだけに、やや狭い)説明がなされています。

このように、「参加」という言葉の辞書的な意味だけでは答えは出ないのですが、それでも、「参加」(参じて加わる)という言葉には、共通の目的に向けて行動を共にするというニュアンスがあることは、確認しておくべきだと思います。

その一例として、小売業者がメーカーにPOPをただで置かせてあげたくらいでは「行動を共に」しているとはいえない、ということです。

と、ここまで書いてきて気が付いたのですが、結局「参加」というのは、そのあとの

「その企画の立案(主商品の選定、景品類の種類〔の決定〕、〔景品類の〕額〔の決定〕、〔企画の〕実施期間〔の決定〕、〔企画の〕実施地域〔の決定〕、売上予定の算定、その企画の宣伝方法〔の決定〕など)を行ったのは誰か、経費の負担は誰か」

というのを、最も一般的抽象的に言いかえているものだといっていいように思います。

こういう一般的、抽象的な言いかえというのは法律論では大事です。

役所の文書には往々にして考慮要素をいくつも上げて最後に「等」をつけてオープンエンドにする、というやり口が見られますが、抽象的であれ一般論を述べることはオープンエンドに枠がはまるので、とても大事なのです。

また、上記解説では、「小売業者がメーカーの企画に全く参加せず」だと小売業者は景品類の提供主体にならないとされていますが、逆に、何らかの意味で(少しでも)「参加」していれば景品類の提供主体になるということではない(上記解説は、そういった意味で「参加」という言葉を使っている)と読み取れます。

そういう意味で、企画への(ここでいう)「参加」は景品類提供主体性の要件ではなく、「全く参加せず」であることがセーフハーバーになるのだ、と解するべきでしょう(緑本の解説もそう読めます)。

ですので、企画に「全く参加せず」なら、当然に、「単に仕入れた包装箱の状態でそのまま販売している」ということになるはずなので、「単に仕入れた包装箱の状態でそのまま販売している」は、「全く参加せず」のコロラリーであり、独自の意味はないというべきでしょう。

つまり、「全く参加せず」だけで、セーフハーバーとしては十分で、さらに加えて「そのまま販売している」ことが必要だというわけではない、ということです。

たとえば小売業者が、キャンペーンの効果を増進しようとして、キャンペーンを告知するPOPを自作してお店に置いたとしても、「そのまま販売」でなくなるのかというと、そういうことはない(景品類提供主体にはならない)と思われます。

同様に、小売業者がキャンペーンの効果を増進しようとして、商品に「キャンペーン実施中!」みたいなシールを貼って販売しても、(厳密には、シールを貼っているので「そのまま販売」ではないともいえそうですが)景品類提供主体にはならないでしょう。

次に、

「②メーカーが小売業者にスピードくじを渡しておき、当該商品の購入者に対し小売業者の店舗で抽選して、当選者に小売業者の供給するその他の商品を景品類として提供する場合」

については、「スピードくじ」を実施するには小売業者が商品購入者に対してくじの箱を提示してくじを引かせるという積極的な作業が必要になる点が、たとえばメーカーにPOPの設置を許すという消極的なかかわりとは異なる、ということがポイントなのかなと思われます。

「店舗で抽選」というのも、小売業者がくじの実行をみずからの手で行なうから企画に「参加」しているとみられる要素になる、ということなのでしょう。

ただ、この②のスピードくじの例は、店頭でのスピードくじであるだけで小売業者が景品類提供主体になるといっているわけではなく、それに加えて「小売業者の供給するその他の商品」が景品類であることを要求しているように読めます。

ですが、この、景品が「小売業者の供給するその他の商品」であるというのは、さらにいろいろなパターンがありえるので、一概にこうだとはいいにくいところがあります。

たぶんこの部分の著者が想定しているのは、コンビニなんかでよくあるスピードくじなのかな、と一瞬思いましたが、コンビニのスピードくじはその店で700円以上買ったら引けるというものが多いので、メーカーが依頼者というより、コンビニ本部が依頼者なので、そもそもちょっと違うような気がしてきました。

そうすると、仮にメーカーが小売業者に依頼するスピードくじというものがあるとすると(よくよく考えると、あまり見たことがないような気がしてきました。。。)、問題になるのは、その景品類の原資は誰が負担するのか(メーカーか、小売業者か)ということと、景品類の選択は誰がするのか(顧客か、小売業者か、メーカーか)、の2点で、それによって場合分けがなされうるのでしょう。

最も典型的にありそうなのは、景品類の原資はメーカーが負担して、商品の選択は消費者が行なう(ただし金額の上限はメーカーが行なう)、というものでしょうか。

でも実は、ある意味で典型例と思われるこういうパターンだと、小売業者の関与はかなり薄いといわざるをえないように思われます。

そうすると、この典型例のパターンで、なぜ小売業者が景品類提供主体になるのかといえば、くじを引かせるという作業をしているからというだけ、ということになりそうです。

景品類が小売業者の他の商品であるということも、多少は関係するのかもしれませんが、原資も負担しないし選択もしないという前提では、景品類供給主体性を肯定する寄与度としては限定的、ということです。

なので、少なくとも緑本の解説は、スピードくじを引かせるという作業をすること自体が積極的な関与なのだ(消極的にメーカーにPOPを置かせてあげるというのとはちがうのだ)、と考えているのだろうと推測されます。

以上が、①の包装箱と②のスピードくじの事例の検討ですが、これを、そのあとの一般論の、

「その企画の立案(主商品の選定、景品類の種類〔の決定〕、〔景品類の〕額〔の決定〕、〔企画の〕実施期間〔の決定〕、〔企画の〕実施地域〔の決定〕、売上予定の算定、その企画の宣伝方法〔の決定〕など)を行ったのは誰か、経費の負担は誰か」

に照らして念のため検討すると、

「①〔メーカーが出荷段階において商品の包装箱に景品類を封入しておく場合〕については、小売業者がメーカーの企画に全く参加せず、単に仕入れた包装箱の状態でそのまま販売している場合には、小売業者は、景品提供の主体であるとはいえない」

ということではありますが、

「その企画の立案(主商品の選定、景品類の種類〔の決定〕、〔景品類の〕額〔の決定〕、〔企画の〕実施期間〔の決定〕、〔企画の〕実施地域〔の決定〕、売上予定の算定、その企画の宣伝方法〔の決定〕など)を行った」

のはメーカーであり、

「経費の負担」

もメーカーであることがすなわち、「小売業者がメーカーの企画に全く参加せず」ということなのだ、という整理なのでしょう。

次に、

「②メーカーが小売業者にスピードくじを渡しておき、当該商品の購入者に対し小売業者の店舗で抽選して、当選者に小売業者の供給するその他の商品を景品類として提供する場合」

については、絶対に小売業者が(も)景品類提供者になるのではなく、あくまでその「可能性がある」ということなので、まさに上記一般論に照らして検討することになると思われます。

まず、「主商品の選定」は、スピードくじの事例では、メーカーがするのがふつうでしょう。

こういう企画を小売業者がメーカーに提案するというのはちょっと考えにくいからです。

とはいえ、もし小売業者が主商品を選定してメーカーに提案した企画なら、それだけで小売業者が景品類提供者となる可能性がかなり高そうです。

次に、そもそも、

「景品類の種類〔の決定〕、〔景品類の〕額〔の決定〕、〔企画の〕実施期間〔の決定〕、〔企画の〕実施地域〔の決定〕、売上予定の算定、その企画の宣伝方法〔の決定〕など)」

は、異なる主体が決めるということはあまりないように思います。

つまり、これらの要素は、メーカーが単独で決めるならメーカーが全部決めるし、メーカーと小売業者が共同で決めるなら全部共同で決めるように思います。

ともあれ、これらの条件を小売業者が決めていれば、小売業者が景品類提供者となる可能性がかなり高いでしょう。

最後に、「経費の負担」についてですが、実は、企画の立案者が誰かというのは実務ではだいたいはっきりしていることが多いので、問題になるのはほぼこの経費の負担者についてです。

しかも、どちらかが全額負担するというのではなく、折半するとか、一部負担するとか、の場合が問題となります。

私は、少なくとも緑本の考え方を前提にするかぎり、景品類の調達コストを明示的に直接負担するような場合だと、たとえわずかな一部の負担でも、景品類提供者になることは避けられないのではないかと考えています。

少なくとも、経費の負担率が半分未満であれば景品類の提供主体でない、とかいうのはかなりはばかられます。

ですが、これも一般化がしにくいところがあり、たとえばスーパーが福引(あの、手で回してガラガラポンするやつですね)をする場合に、納入業者に納入商品を景品として現物支給(無償支給)してもらう、というケースでは、感覚的に、福引の主催者はスーパーであって納品業者ではないような気がします。

景品の経費は現物支給という形で納入業者が負担しているにもかかわらず、です。

ほかには、スーパーが福引をするときに納入業者に協賛金の支払を求めることがあるかもしれません。

優越的地位の濫用でよく問題になるパターンですね。

でも優越は忘れて景品規制だけを考えると、このような協賛金を出しているというだけで納入業者が景品類の提供主体だということは、あんまりないのではないかと思います。

協賛金を出しているだけの納入業者は、通常、このような景品類の提供をコントロールできる立場にないと思われるからです。

ここまで考えて、緑本の解説に不満があるのは、どうも消費者庁には、景品類の提供義務者は誰か、という民法的な発想がまったく見られないことです。

景品企画も民法上は立派な契約ですから、消費者には景品類引渡請求権があり、景品類提供者には景品類提供義務があります。

なので、誰が景品類提供者かを判断する場合には、誰が消費者に対して景品類提供義務を負うのかという点の考慮が不可欠であるように思うのです。

不当表示規制ではこういう権利義務関係というのは想定しにくいので、商品供給主体性とか、表示主体性といった、景表法の世界に閉じた議論しかできませんが、景品規制ではせっかく民法的な切り口が使えるのですから、これを使わない理由はないと思います。

この点に関連して、古川昌平『実務担当者のための景表法ガイドマップ』229頁が、上記緑本の考慮要素に加えて、

「(d)一般消費者からして誰が景品企画を実施していると見えるか、という観点も勘案されていると考えられる。」

と適切に指摘されていますが、外観上どう見えるかも実務的にはたしかに大事だと思います。

摘発リスクという点では、決定的だとすらいえるでしょう。

また、外観を重視するということは消費者の期待を保護するということであり、消費者保護法である景表法になじみやすいともいえます。

でも、外観で提供者が決まるというのはダイレクトにはつながらないはずで、根本的には、誰が景品類提供義務を負っているのか(消費者は誰に景品を請求できるのか)が考慮されるべきなのではないかと思います。

少なくとも、景品類引渡義務を負っていることが認定できたら、ほかのすべての事情はさておいて、ともかくそのような義務を負っている人は景品類の提供主体だといってよいように思います。(ほかにも提供者が併存することはあるにせよ。)

逆に、景品類提供義務を負っていないのに提供者だというのは、それなりに慎重に認定すべきではないかという気がします。

しかも、それで実務上問題が生じるようなケースは、あんがい少ないように思います。

消費者に提供義務を負っている人が、当然、景品類の内容や条件(主商品など)を決めているだろうからです。

自分の負う義務の内容を他人に決めさせるなんて、ふつうは怖くてできないでしょう。

そしてこのように民法的な発想で考えると、原資の負担はあんまり決定的でなくてもいいような気もしてきます。

というわけで、景表法だけの頭で考えているから企画の立案とか原資とか、そちらの方面ばかりが緑本では考慮されていますが、もっと民法的な発想があってよいのではないでしょうか。

2026年4月 2日 (木)

役務の「仕様、内容等」の指定とは

中小受託法上、役務の委託は当然「仕様、内容等」を指定しているので当然役務提供委託だといわれることが多いと思います。

製造委託の場合には「仕様、内容等」の指定にあたるのか(あたらなければたんなる売買)がたびたび議論されるのに対して、役務提供委託の場合にはそのようなことがありません。

実際、鎌田『下請法の実務』61頁では、

「下請法上の他の委託類型では、仕様、内容等を指定することが条件とされ、汎用品の購入は対象外としているが、役務提供委託においては、当然に役務の内容を指定して提供させることになるので、汎用品的な役務は想定しがたい。

例えば、貨物自動車運送業者に運送を委託する場合においても、何を、いつ、どこからどこまで運ぶのかを指定して依頼することになっているからである。」

とされています。

ですが、これはいくらなんでも言い過ぎだと思います。

例えば、観光地で遊覧船を、毎日10時と14時と16時の3回、決まったコースで運航している事業者がいるとします。

そして、旅行会社がパッケージツアーを消費者から応募して、そのコースの中に遊覧船の遊覧役務を入れて、遊覧船運航会社に役務の委託をしたとします。

この場合、旅行会社が遊覧船役務の「内容等」を指定していないことはあきらかでしょう。

遊覧船の運航時間やコースは遊覧船運航会社が決めているからです。

世の中にこのような定型的な役務はいくらでもあるでしょう。

というわけで、

「役務提供委託においては、当然に役務の内容を指定して提供させることになる

なんていうことはまったくなく、

「汎用品的な役務は想定しがたい。」

というのは、想像力の欠如というほかありません。

「貨物自動車運送業者に運送を委託する場合」みたいに、下請法で典型的に問題になっているケースだけを想定するから「想定しがたい」ということになってしまうのであって、典型例の外側を想定しないといけません。

それがリーガルマインドというものでしょう。

というわけで、上記鎌田著の解説はまちがいです。

さらに、上記鎌田著の見解は、公取委の公式見解とも異なります。

たとえば、「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律 (フリーランス・事業者間取引適正化等法) Q&A」の22番では、

「問22 企業が個人事業主などから車や空きスペースを借りるような取引(例:カーシェアリングやスペースシェアリング)は「業務委託」に該当するのでしょうか。

答 車や空きスペースなど、単に既にある物品等の貸出しを依頼することは、給付に係る仕様、内容等を指定して物品の製造、情報成果物の作成又は役務の提供を依頼していないため、本法上の「業務委託」に該当しません。」

とされています。

フリーランス法2条3項では、「業務委託」は、

「3 この法律において「業務委託」とは、次に掲げる行為をいう。

一 事業者がその事業のために他の事業者に物品の製造(加工を含む。)又は情報成果物の作成を委託すること。

二 事業者がその事業のために他の事業者に役務の提供を委託すること(他の事業者をして自らに役務の提供をさせることを含む。)。」

と定義されており、役務提供委託の定義規定である中小受託法2条4項の、

「4 この法律で「役務提供委託」とは、事業者が業として行う提供の目的たる役務の提供の行為の全部又は一部を他の事業者に委託すること(建設業(建設業法(昭和二十四年法律第百号)第二条第二項に規定する建設業をいう。以下この項において同じ。)を営む者が業として請け負う建設工事(同条第一項に規定する建設工事をいう。)の全部又は一部を他の建設業を営む者に請け負わせることを除く。)をいう。」

という規定と、「他の事業者に役務の提供を委託」という主要部分において同じ表現を使っているので、当然、中小受託法もフリーランス法と同じに解釈されるべきでしょう。

また、「「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律施行令(案)」等 に対する意見の概要及びそれに対する考え方 」(フリーランス法パブコメ)の1-2-37(21頁)では、

「事業者が個人から当該個人が保有する権利(肖像権等)や財産の利用権のライセンスを受け、一定の条件を達成した場合に当該ライセンスについての報酬を支払うことを合意する場合、特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律第 2 条第 3 項に該当するような「業務委託」がないことから、特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律の適用はないという理解でよいか。」

との質問に対して、「御理解のとおりです。」と回答されています。

下請法時代には注目されなかった役務が、フリーランス法の個人事業者ならありそうな話になって、中小受託法の解釈が精緻化するというのは、好ましい副作用だと思います。

ちなみに、このパブコメについては、長澤先生の『取引適正化法制の解説と分析』169頁では、

「知的財産権を利用しようとする事業者(ライセンシー)が知的財産権者(ライセンサー)から知的財産権の実施許諾(ライセンス)を受けることは、ライセンシーが、ライセンサーに対し、ライセンシーによる知的財産権の実施を許諾する(ライセンシーに対し差止請求を行わない)という不作為を依頼するものであるから、ライセンシーが、ライセンサーに対し、役務の内容等を指定して役務の提供を依頼するものとは認められず、役務提供の委託には該当しない。」

と解説されています。

長澤先生のおっしゃることもごもっともだとは思うのですが、細かいことをいうと、「不作為」であることが決定打になるかというとやや疑問で、たとえばライセンスであっても、その権利の範囲につては書籍出版はいいけれど電子化はだめだとか、いろいろ「内容」を指定することはできるような気もします。

少なくとも、前記鎌田著の「何を、いつ、どこからどこまで運ぶのかを指定」することが役務の内容等の指定だという考え方の反論にはなりにくいように思います。(許諾範囲の指定は「何を」の指定だ、といわれかねない。)

(ちなみに長澤先生は116頁注10で前記鎌田著の箇所を引用されているので、前記鎌田著に反論しなければいけないと思っているのは私が勝手に思っているだけで、長澤先生がそうだというわけではないことはお断りしておきます。)

では、ライセンスはなぜ役務提供委託ではないのか、不作為であることが理由でないとすると何が理由なのか、と考えると、1つには、前記パブコメと同じ発想で、ライセンスは「ありもの」を貸しているだけだから、ということが言えると思います。

つまり、カーシェアは、オーナーが「ありもの」のクルマを貸していて、ライセンスも特許権者が「ありもの」の権利を許諾するので、同じだ、ということです。

しかし、「ありものを貸す」というのがルールだとしてしまうと、「貸す」のとは違うタイプの役務がカバーできなくなります。

上述の遊覧船の例などは、「ありものを貸す」というのでは説明できないでしょう。

これを最も抽象的に言えば、発注者が内容等を指定しない、ということに尽きるのですが、もう少しブレークダウンすると、役務の内容を役務提供者(受注者)が決める、ということでしょう。

別にどちらが決めるのでなくても、国とか第三者が決めても、神様が決めてもいいのですが、具体的イメージを持つためには、役務提供者(受注者)が決める、といっておいておくのが便宜だし、それで大きな間違いはないと思います。

製造委託でも、物品の仕様を決めたは誰なのかが往々にして問題になりますが、それと同じですね。

そこで問題になるのは、役務の内容のどこまでを役務提供者(受注者)が決めれば役務提供でなくなるのか、です。

前述の鎌田著があげる運送の例では、

「何を、いつ、どこからどこまで運ぶのか」

を発注者が指定すると役務提供委託になるとされているので、「何を、いつ、どこからどこまで運ぶのか」は、それを発注者が指定したら役務提供委託になるところの役務の「内容等」ということになりそうです。

(ただし、「何を」「いつ」「どこからどこまで」のうちどれを指定したら「内容等」の指定になるのかは、鎌田著からはうかがえませんし、おそらくそれら全部を指定することが当然だという前提で書かれているでしょうから、こんなことが論点になるとは思ってもおられないと想像されます。)

しかし、これもそう単純な話ではありません。

たとえば前述の遊覧船の例で、旅行者が「私は4月2日の10時の便に乗る」としていできるとしても、それだけで「いつ」役務の提供を受けるのかを発注者(旅行会社)が指定できることになるのかというと、そんなことはないでしょう。

それはあくまで、遊覧船運航会社が用意しているメニューの中から旅行客(ないし旅行会社)が選んでいるだけで、それを役務の「内容」(いつ)を指定しているというのは、無理があると思います。

それに、遊覧船はその特定の旅行者が乗っていなくても運行されるわけです。

いわば、各旅行者は、遊覧船運航会社がすでに運航している「ありもの」の遊覧船に便乗(?)するだけなのです。

このように、役務提供者(受注者)がしつらえた「ありもの」の役務に便乗する、というのが、役務の委託が役務提供委託にあたらない典型的なケースではないかと思います。

さて、次の問題は、役務の内容のどこまでを発注者が指定したら役務提供委託になるのか、という点です。

前述のフリーランスQ&A22番の回答では、

「答 車や空きスペースなど、単に既にある物品等の貸出しを依頼することは、給付に係る仕様、内容等を指定して物品の製造、情報成果物の作成又は役務の提供を依頼していないため、本法上の「業務委託」に該当しません。」

とされ、「既にある物品等の貸出し」は「内容等」ではないといっているので、貸し出しの期間とか、その他の利用条件(例えばサーキット走行をしてはいけないとか)は、役務の「内容等」ではない、と考えている、ということになりそうです。

つまり、「既にある物品等」の貸出である、という大枠において決まっている(∵「物品」が「既にある」ものなので)役務であれば、その貸し出しの中身(貸出期間)や条件(サーキット走行ができないこと)は、「内容等」ではない、ということです。

ライセンスの場合に、ライセンスの期間を発注者(ライセンシー)が決めても、それで「内容等」の指定をしたことにはならないでしょう。

なので「ありものの貸し出し」の類型(知財ライセンスを含む。)は、ほぼ、中小受託法の対象外といってよさそうです。

たとえば個人事業者が運営する軽トラのレンタルサービスというのを考えると、軽トラを借りるのが事業者であっても、「ありものの貸し出し」なので、フリーランス法の適用はなさそうです。

中小受託法なら、軽トラをレンタルしたい消費者が、レンタル仲介業者(?)に注文して、レンタル仲介業者が軽トラレンタル業者に再発注する、という感じでしょうか。

では、遊覧船の例で、もし、10時、14時、16時の定期便ではなくて、営業時間中だったら旅行者が乗りたいときに乗れる、というのだったら、どうでしょうか?

こうなるとちょっと微妙ですが、直感的には、「お客さんが来たらいつでも運航する」というのが遊覧船運航会社の営業スタイルなら、お客さんが来た時に船を出しただけでお客さんが「いつ」役務提供を受けるかを指定したことになるというのは、かなり違和感があります。

それも、「ありもの」のサービスをお客さんは利用した、というのが実態に合っているような気がします。

随時船を出す遊覧船会社にとって、時間の指定なんて、どうでもいいことだからです。

お客さんにしたって、「いつ」を指定しているという発想ではなく、「今来たから船を出して」という感覚でしょう。

そんなのは、役務の内容等の指定とはいわないと思います。

これに対して、旅行会社が、遊覧船運航会社が普段運航しない特別なコースを、そのパッケージ旅行のために企画して遊覧船運航会社に発注したとしたら、「内容等」の指定にあたるかもしれません。

というふうにいろいろと考えていくと、役務提供委託にあたりそうでもあたらない例や、あたるかどうか微妙な例というのは、世の中にそれなりにたくさんあるように思います。

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