SNSコメント引用に関するステマガイドライン第2・2⑴キの注の解決?
前回、ステマガイドライン第2・2⑴キの、
「(注) ただし、上記キについては、
客観的な状況に基づき、事業者のウェブサイトの一部について第三者の自主的な意思による表示内容と認められる場合は、
当該ウェブサイトの一部のみをもって当該事業者の表示とされないことを示すものであって、
当該ウェブサイトの一部を含めたウェブサイト全体が当該事業者の表示とされることは当然にあり得る。
なお、この場合、当該ウェブサイト全体は、通常、当該事業者の表示であることが明らかであるといえる。」
という注の意味について考えてみて、結局結論が出ませんでした(汗)。
その後さらに考えてみて、きっとこういうことではないか、という仮説を思いつくに至りました。
ポイントは、注の文言は無視して、パブコメだけを頼りに解釈する、ということです。
おさらいすると、パブコメのコメント(質問)のほうでは、第三者のコメント欄が広告に当たらないとすると、コメントに虚偽の表示があっても優良誤認表示にならないことになって問題ではないか、という至極全うな指摘がされました。
これに対する消費者庁回答は何を言っているか意味不明で、注も意味不明なのですが、ともかく、このコメント(質問)で指摘された原案の問題点を糊塗するために、この注が挿入された、と読むのです。
そうすると、この注は何を言っているのかというと、優良・有利誤認表示を念頭に、
「客観的な状況に基づき、事業者のウェブサイトの一部について第三者の自主的な意思による表示内容と認められる場合」
であっても、優良・有利誤認表示との関係では、
「当該ウェブサイトの一部を含めたウェブサイト全体が当該事業者の表示とされることは当然にあり得る。」
ということを言っているのだ、と解釈すると、いちおう、パブコメの質問には答えていることになります。
「当然に」とあえて強調しているのは、
「このガイドラインはステマのガイドラインなので、優良誤認表示のことを考えているわけないじゃないか。そんな場合に優良誤認表示になるのは当然でしょ。」
という、立案担当者の心の叫びだとみるべきでしょう。
ここで、
「当該ウェブサイトの一部のみをもって当該事業者の表示とされないことを示すものであって、」
の部分が完全にすっ飛ばされていますが、この部分が何をしたかったのかというと、キを原案から維持したにもかかわらず、第三者のコメント欄(「事業者のウェブサイトの一部」)が優良誤認表示にならないことは矛盾しないのだ(矛盾すると思いますが・・・)というように無理矢理つなげたかったのだ、ということであろうと推測されます。
この、無理矢理つなげる感は、
「・・・の場合は、・・・ことを示すものであって、・・・が・・・とされることは当然にあり得る。」
という、接続語(?)だけをつなげて、「流れ」(?)を重視して読み直すと、雰囲気は伝わります。
繰り返しますが、この注は文字どおり読んでも理解できません。
その「心」を読み取るべきなのです。(なんというガイドラインでしょう!)
そして、最後の、
「なお、この場合、当該ウェブサイト全体は、通常、当該事業者の表示であることが明らかであるといえる。」
というのは、何を言いたいのかというと、
「この注で問題にしているのは優良誤認表示のことなので、ステマのPR表記の有無(=「当該事業者の表示であることが明らかである」かどうか)なんて、当たり前すぎて問題になりませんよ。」
ということなんだろう、と推測されます。
ここで、
「この場合」
というのが、どの場合なのかが問題となります。
(こそあど言葉って、とくに法律の文書を読むときは大事です。というより、そこに疑義を生まないように書くことが大事です。)
ふつうに読むと、一番ありそうなのは、
「当該ウェブサイトの一部を含めたウェブサイト全体が当該事業者の表示とされる〔場合〕」
ということでしょう。
でもそう読むと、
「当該ウェブサイトの一部を含めたウェブサイト全体が当該事業者の表示とされる場合、当該ウェブサイト全体は、通常、当該事業者の表示であることが明らかであるといえる。」
となりますが、これでは、その表示が「事業者の表示」(広告)である場合には通常「事業者の表示」(広告)であることが明らか、という意味になってしまい、そんなことを言ってしまうとそもそもステマ規制がなりたたなくなります。
表示該当性(表示主体性)と、判別困難性は、別の話です。
でも、これほど理屈の通らないガイドラインを読んでいると、もうそんな理屈をこねる気にもなりません。
そこでさらに、文言を無視して、とにかく立案担当者の心中を慮ると、「この場合」というのは、「優良・有利誤認表示を問題にする場合」という意味だと読むと、すっきりします(論理的にも解釈論的にも無茶苦茶なので、あくまで気分だけの、しかもちょびっとだけの、すっきり感ですが)。
表示主体性が認められて、かつ、広告判別困難性も認められて始めて成立するのがステマであり、表示主体性はほとんど問題にならず内容だけが問題になるのが優良・有利誤認表示であるとはいえ、論理的には、表示主体性はいずれでも問題になるものです。
それが、注の立案担当者の頭の中では、表示主体性が両者の共通要件だという発想が欠けていて、ステマと優良・有利誤認表示は別だ、と考えられているのだと推測されます。
ほんとうに、おそろしいことです。。。
というわけで、注を書き直すと、
「(注) ただし、上記キについては、
客観的な状況に基づき、事業者のウェブサイトの一部について第三者の自主的な意思による表示内容と認められる場合は、
当該ウェブサイトの一部はステマには該当しないのであって、
当該ウェブサイトの一部を含めたウェブサイト全体が優良・有利誤認表示とされることは当然にあり得る。
なお、優良・有利誤認表示を適用する場合、当該ウェブサイト全体が当該事業者の表示であることはあたりまえなので論点にもならないといえる。」
といったところでしょうか。
ステマだけが見える「ステマメガネ」と、優良・有利誤認表示だけが見える「優良・有利誤認表示メガネ」をかけ替えるイメージでしょうか。
そのバージョンで修正すると、
「(注) ただし、上記キについては、
客観的な状況に基づき、事業者のウェブサイトの一部について第三者の自主的な意思による表示内容と認められる場合は、
ステマメガネで見ると、当該ウェブサイトの一部は当該事業者の表示とされないことを示すものであって、
優良・有利誤認表示メガネで見ると、当該ウェブサイトの一部を含めたウェブサイト全体が当該事業者の表示とされることは当然にあり得る。
なお、優良・有利誤認表示メガネで見る場合、当該ウェブサイト全体は、通常、当該事業者の表示であることが明らかであるといえる。」
といったところでしょうか。
半分茶化しているようですが、こういうメガネのかけかえを無意識にしている(あるいは、無意識に色眼鏡で見ている)ことは、おうおうにしてありがちなので、注意しないといけません。
今回は、分かりにくい比喩で恐縮ですが、ユークリッド幾何学の前提で話を聞いていたら珍紛漢紛だったのが、ロバチェフスキー幾何学の前提での話だったことがわかった、というのに似た知的スリルを感じずにはおられません(松田克進『スピノザ学基礎論』p35参照)。もちろん、皮肉です。
(最後に余談ですが、この松田克進『スピノザ学基礎論』は、スピノザの『エチカ』がちょっとわかった気になる、というか、なぜわからないのかがわかる、秀逸な書籍です。ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』のようなガチガチに論理的な読み方をしていて上記(注)が理解できなかったのが、今回なんとかこういうことだろうと推測できたのは、同書のおかげです)。
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