« 2025年9月 | トップページ

2025年10月

2025年10月14日 (火)

牡蛎販売イベントでの二重価格表示に対する措置命令について

2025年10月10日に、消費者庁は、LH株式会社に対して、二重価格表示で措置命令を出しました

消費者庁リリースによると、違反事実は、

「例えば、令和7年2月22日から同年5月13日までの間、「出張カキ小屋 牡蠣奉行」と称するウェブサイト(以下「本件ウェブサイト」という。)の「出張カキ小屋『牡蠣奉行』inメガセンタートライアル店2025年3月7日~30日開催」と称するページに掲載したチラシにおいて、「旬の東北のカキを特別価格でご提供!!」、「復興支援価格!!」及び「宮城県産 カキ一盛り(約1kg) ※焼きガキ用 通常価格1,320円(税込)→880円(税込)」と表示するなど、別表2「表示期間」欄記載の期間に、同表「表示媒体・表示箇所」欄記載の表示媒体・表示箇所において、同表「表示内容」欄記載のとおり表示することにより、

あたかも、「通常価格」と称する価額は、「出張カキ小屋 牡蠣奉行」と称するイベントにおいて本件料理について通常提供している価格であり、実際の提供価格が当該通常提供している価格に比して安いかのように表示していた。」

のに、実際には、

「遅くとも令和6年9月13日以降に開催した「出張カキ小屋 牡蠣奉行」と称するイベントにおいては

本件料理を880円又は660円で提供しており、「通常価格」と称する価額で提供した実績はなかった。

ということです。

この事件では、「「通常価格」と称する価額で提供した実績はなかった。」ということなので、二重価格表示の事例でよくみられる、「最近相当期間にわたって提供された実績のないものであった」(例、2024年12月17日デザインワードに対する措置命令)という認定にはなっていません。

それ自体は当然といえば当然なのですが、そこで気になるのが、この種の短期イベントで8週間ルールが適用されるのか、ということです。

この事件で問題になったイベントは、「2025年3月7日~30日開催」という、短期間のイベントであったことからすると、さすがに8週間ルールはその適用の前提を欠くように思われます。

かといって、命令に「「通常価格」と称する価額で提供した実績はなかった。」と書いてあるからと言って、その反対に、実績が(少しでも)あれば不当な二重価格表示にならないのかというと、そんなこともないでしょう。(当該事案において、実績がなかったので実績がないと認定しているだけであって、実績が少しでもあればOKとい意味ではないでしょう。)

でもそうすると、どれくらいの実績があればOKだったのかが、よくわかりません。

命令では、「令和6年9月13日以降に開催した「出張カキ小屋 牡蠣奉行」と称するイベントにおいて」実績がなかった認定されているので、同種の過去のイベントでの実績が問題になるような書きぶりに見えますが、イベントという売り方の性質上、消費者は、個々のイベントを別々のものと認識するように思われます。

そうだとすると、「通常価格」と言ったからといって、過去の同名称のイベントでの実績があった価格であるとは認識しないようにも思われ、そうすると、消費者庁の認定はおかしい気もします。

さらに言えば、「通常価格」が過去の同名称イベントの実績だと認識されないのであれば、はたして本件が有利誤認表示といえるものだったのか、根本的な疑問が生じます。

本件ではたまたま同名称イベントで実績がまったくなかったので、こういう粗い認定でも文面上あきらかにおかしいと見えるような命令にはなっていませんが、若干なりとも実績があったら、8週間ルールがない前提では、どのように判断するのか、興味深いものがあります。

仮に消費者庁が、8週間ルールの適用を念頭に本件を摘発していたとしたら(それもありえそうな話ですが)、それはおかしいと思います。

というのは、「2025年3月7日~30日開催」という表示だけで、2025年3月6日以前には価格云々以前の問題として、そもそも販売されていないことがほぼ明らかだからです。

もう1つ気になるのは、本件が確約になっていないことです。

日経新聞の10月11日の記事によれば、

「同社の担当者は取材に「市場の相場などと比較して表示していたが、不勉強だった。指摘を真摯に受け止め、再発防止を図る」とコメントした。」

とのことです。

もし「通常価格」が市場の相場だったとしたら、実質的には、ぜんぜん実害はないように思います。

そもそも消費者は、この種の短期イベントで、過去の同名称イベントでの価格での実績を気にしているとは考えにくいからです。

市場の相場よりも安ければ、それで十分でしょう。

少なくとも、確約1号案件のcaname(2025年2月26日確約認定)の、期間限定で入会金を値引きするかのように表示していたほうが、ずっと悪質だと思います。

措置命令になると課徴金も出るわけですし、その差は大きいと思います。

確約は建前からすると消費者庁の側から当事者に打診するものなので、仮に当事者が言ってこなくても、「確約がありますよ」くらいは、行ってあげても良かったのではないでしょうか。

代理人が付いていなかったらなおさら教えてあげるべきでしょうし、代理人が確約というものを知らなかったとしても、やっぱり、教えてあげるのが親切というものでしょう。

この事件で確約にならないというのが、どうも納得がいきません。

(ひよっとしたら、確約を申請するのが手間だとか、弁護士費用がよけいに掛かるとかいう理由で、かつ、課徴金も大したことないという判断で、あえてなりゆきにまかせたのかもしれません。それくらいしか、確約にならない理由が思い当たりません。)

あと、この種の短期イベントのような、典型的な小売店での販売でなく、8週間ルールの適用があるのか(ないとしたらどのようなルールが適用されるのか)よくわからない事例において、どう対応したらいいのかというと、要は、比較対照価格がどういう価格なのかを注記しておけばよいのです。

価格表示ガイドラインp6では、

「過去の販売価格を比較対照価格とする二重価格表示を行う場合に、同一の商品について最近相当期間にわたって販売されていた価格とはいえない価格を比較対照価格に用いるときは、

当該価格がいつの時点でどの程度の期間販売されていた価格であるか等その内容を正確に表示しない限り

一般消費者に販売価格が安いとの誤認を与え、不当表示に該当するおそれがある」

とされており、逆に言えば、比較対照価格が「当該価格がいつの時点でどの程度の期間販売されていた価格であるか等その内容を正確に表示」していれば、有利誤認表示にはならない、ということです。

ですので、本件でも、「通常価格」のところに、「市場の相場を当社で調べた価格」などと表示しておけばよかったのです。

必ずしも、同名称のイベントでの実績が要求されるわけではありません。

というか、むしろ原則は、比較対照価格の「内容を正確に表示」することであり、8週間ルールはそのような表示がない場合にはじめて問題になるものであることを忘れてはいけません。

2025年10月 7日 (火)

中小受託法5条2項4号の協議拒否に対する勧告についての予想

来年1月1日に施行される中小受託法5条2項4号では、

「中小受託事業者の給付に関する費用の変動その他の事情が生じた場合において、中小受託事業者が製造委託等代金の額に関する協議
を求めたにもかかわらず、当該協議に応じず、又は当該協議において中小受託事業者の求めた事項について必要な説明若しくは情報の
提供をせず、一方的に製造委託等代金の額を決定すること。」

により中小受託事業者の利益を不当に害してはいけないとされています。

ちょっと気になるのが、実際、この条項違反として勧告を出すしたら、ちょっと面倒なことにならないか、ということです。

というのは、勧告を出すときは、通常、違反行為の相手方である下請事業者が特定されます。

ということは、協議拒否についても、相手方を特定することが予想されます。

そうすると、「中小受託事業者が製造委託等代金の額に関する協議を求めた」ことの立証も、公取委がしないといけないことになります(条文に書いてあるのだから、当たり前です)。

でも、この、「協議を求めた」ことの立証って、けっこう大変ではないでしょうか。

というのは、代金減額とかだと、「ナントカ協力金」みたいな形で下請代金からの減額がされていたら、それだけで公取委は違反を認定できます。

でも、この「協議を求めた」という事実は、下請事業者の側から積極的に言ってもらわないと、公取委にもわからないのではないでしょうか。

書面調査や立入検査で「協議を求めた」ことが判明することもあるのかもしれませんが、他の違反行為と異なり、3条書面や5条書類からは、協議を求められた事実が出てくるとは思えません。

しかも、公取委が勧告を打とうとして、下請事業者に「あなたは値上げの協議を求めましたか?」と尋ねても、親事業者に気兼ねして、なかなか協議の申し出の証拠を出してくれないのではないか、ということも懸念されます。

さらに、最初から勧告を狙って協議を申し入れる下請事業者はいないでしょうから、協議の申し入れの証拠がちゃんと残っているのかも、微妙だと思います。

この点、中小受託法運用基準案第4・9⑶では、

「なお、「協議を求めた」とは、書面か口頭かを問わず、明示的に協議を求める場合のほか、協議を希望する意図が客観的に認められる場合をいう。」

とされていますが、「明示的に協議を求め」た証拠が残っていればいいですが、「協議を希望する意図が客観的に認められる」というのは、どうやって認定するのでしょう?

しかも、この「協議を希望する意図が客観的に認められる」というので勧告を出すとしたら、親事業者によっては、事実認定を争うのではいでしょうか。

ここで、ふと気が付きましたが、「協議を希望する意図が客観的に認められる」というだけで「協議を求めた」と認定するのは、さすがに無理ではないでしょうか。

「協議を希望する意図」なんて、あくまで意図なのですから、下請事業者の内心のことです。

「協議を求めた」というためには、その意図が親事業者に対して表出される必要があることはあきらかでしょう。

(パブコメしとけばよかったと後悔。だれかしていることを望みます。)

まあ所詮、勧告は裁判で争えませんから、公取委がどんな無茶な事実認定をしても親事業者は争いようがないので、公取委はやろうと思えば何でもできるのですが、公取委にも良心があるでしょうから、さすがにそこまでえげつないことはしないのではないかとも思われます。

というわけで、「協議を求めた」ことの立証はそれなりに大変かもしれず、被害者がせいぜい1社とか、2,3社にとどまる、ということになるのではないかと予想されます。

ただ、この協議拒否は、減額分の返金とか金銭的な実害の回復ではなく、もともと牽制的な効果を期待しているだけですから(そもそも協議拒否しただけで金銭的な実害があるともいえません)、被害者1社でも、公取委にとってはぜんぜんかまわないのかもしれません。

次に気になるのは、勧告の主文はどうなるのか、ということです。

この点、勧告に関する中小受託法10条では、

「(勧告)

第十条 公正取引委員会は、第五条の規定に違反する行為があると認めるときは、

当該行為をした委託事業者(委託事業者が合併により消滅した場合にあつては合併後存続し、又は合併により設立された法人、委託事業者の分割により当該行為に係る事業の全部又は一部の承継があつた場合にあつては当該事業の全部又は一部を承継した法人、委託事業者の当該行為に係る事業の全部又は一部の譲渡があつた場合にあつては当該事業の全部又は一部を譲り受けた事業者。次項及び次条において「違反委託事業者」という。)に対し、

速やかにその中小受託事業者の給付を受領し、その製造委託等代金若しくはその減じた額若しくは第六条の規定による遅延利息を支払い、その給付に係る物を再び引き取り、その製造委託等代金の額を引き上げ、若しくはその購入させた物を引き取るべきこと若しくはその不利益な取扱いをやめるべきこと又はその中小受託事業者の利益を保護するための措置をとるべきことその他必要な措置をとるべきことを勧告するものとする。

2 公正取引委員会は、第五条の規定に違反する行為が既になくなつている場合においても、特に必要があると認めるときは、違反委託事
業者に対し、当該行為が既になくなつている旨の周知措置その他当該行為が排除されたことを確保するために必要な措置をとるべきことを勧告することができる。」

と規定されていますが、ご覧のとおり、協議拒否を念頭においた勧告内容になっていません。

しいて言えば、「その中小受託事業者の利益を保護するための措置をとるべきこと」の部分が該当しそうですが、何も具体的なことは書いてありません。

そこでおそらく、「親事業者は、中小受託事業者から求めのあった製造委託等代金の額に関する協議に応じること。」みたいな主文になるのかな、と予想されます。

そこでまた違反事実の立証の話に戻ってしまいますが、もし親事業者が「ちゃんと協議には応じた」と反論したら、どうするのでしょう?

この点については、ガイドライン案の第4・9⑶では、

「(3) 「中小受託事業者が製造委託等代金の額に関する協議を求めたにもかかわらず、当該協議に応じず」とは、

中小受託事業者からの協議の求めを明示的に拒む場合のほか、

例えば、協議の求めを無視したり、協議の実施を繰り返し先延ばしにしたりして、協議の実施を困難にさせる場合を含む。」

とされていますが、これを素直に読む限り、「無視」も「先延ばし」もせず、ともかく協議の席についたり、協議のメールのやり取りを繰り返していれば、「協議に応じず」とは認定されないことになります。

(まあそれで下請事業者の保護として十分なのかは疑問もありますが、条文には忠実な解釈なので、しかたないでしょう。)

2025年4月18日の衆議院経済産業委員会の議事録を見ると、向井参事官が、

「この協議に応じない一方的な代金決定というものは、実質的な協議を行わずに価格を決定することをいいまして、協議の求めを拒む、無視する、又は繰り返し先延ばしにしたりして協議に応じずに価格を決定をするということや、形式的な協議のみで必要な説明などを行わずに価格を決定する、そういうものが考えられるわけでございます。」

という答弁をされているので、「形式的な協議のみで必要な説明などを行わず」というのも加わっていますが、何をもって「形式的」な協議というのか、どれだけ説明していれば「必要な説明」といえるのか(たとえば、親事業者が、「その値段ではうちの利益が出ない」という説明は「必要な説明」なのか)、といったことが、延々と問題になると思われます。

そうすると、明らかに形だけの、アリバイ作りのための協議であれば、「形式的な協議のみで必要な説明などを行わず」で拾えそうですが、それでもなお、「協議の実施を困難にさせる」と認定するのは、なかなか難しいように思います。

そもそも取引の実態を知らない公取委が、当事者の協議の経過を見て、これは実質的な協議だ、これはアリバイ作りの「形式的」な協議だ、「必要な説明」をしていない、なんて、判断できるのでしょうか?

そのような判断をできるためには、下請事業者がかなり積極的に協力しないと難しいように思われますが、それはまた、下請事業者にとってハードルが高いかもしれません。

というわけで、「協議に応じず」の認定も、なかなかハードルが高いのではないかと思われます。

と、このように考えていくと、いちおう中小受託法の内容を知って対応を考えている親事業者の場合は、この協議拒否についてはいかようにでも対応できそうであり、現実的には、そもそも下請法が改正されれて協議義務が入ったことを知らなかった、という場合が、まずはターゲットになりそうな気もします。

逆に言えば、法改正をきちんと社内で周知しておくことが重要、ということでしょう。

おそらく協議拒否の勧告が出るのは今から1年後くらいではないかと思われますが、今から首を長くして待っておきたいと思います。

2025年10月 6日 (月)

NBL2025年9月号(1297号)の中小受託法上の一括決済方式に関する向井審議官のインタビューQ9について

掲題のインタビューのQ9において、一括決済方式等で下請事業者が割引を受ける必要があるものは金銭による支払と同等の経済上の効果を生じさせるとはいえないと改正下請法ガイドラインで規定されていることに関して、インタビュアーの長澤先生が、

「改正法の国会審議においては、『手数料分を発注者が負担をする』 ことによって、違反とはならない余地があるように答弁がなされておりました。このご答弁と先ほどの解釈〔注・割引を要する一括決済方式はそれだけで違法であるとの解釈〕との関係は、どのように理解すればよろしいでしょうか?」

と質問されたのに対して、 向井審議官が、

「本規定の趣旨は、国会でもご審議いただいたとおり、支払期日に、受注者の負担なく、代金の満額を現金で受領できるようにするものであり、本規定の趣旨に従い、当委員会で運用していく上での考え方を改めて検討した結果、今回の運用法準(案)をお示しするに至りました。」

と回答されています。

意訳すると、

「国会ではああいう答弁をしたけれど、あとでよく考えたらまずかったので、国会答弁とは違う解釈に変えた。」

ということのようです。

長澤先生は上品なのでそういう言い方はされていませんが、私に言わせれば、これはあんまりにもひどいんじゃないでしょうか?

(まあ、素直に開き直っているという意味では、見苦しい言い訳をするよりは潔くてよいとは思いますが。)

この論点については以前もこのブログで書きましたので、向井審議官の国会答弁等の背景についてはそちらをご覧いただければと思いますが、向井審議官の問題の答弁の個所は、

「今後、電子債権とかファクタリングでもし払うということになりますと、支払期日に満額が得られるような満期を設定するとか、場合によってはその手数料分を発注者が負担をするというような取引になるというふうに考えておるところでございます。」

という部分です。

これだけはっきり答弁していながら、運用基準では真逆のことを書いて、いったいどう(言い訳)するんだろうと思っていたら、こういうことなんだそうです。

向井審議官は、「国会でもご審議いただいたとおり」とおっしゃいますが、その審議は審議官ご自身の答弁を前提になされていたわけです。

なので、「国会でもご審議いただいたとおり」というのは、何の言い訳にもなりません。

国会答弁と正反対のことを役所がやるなんて、私は聞いたことがありません。

国会での政府答弁解釈を裁判所が覆した例としては、映画の著作物に関する著作権の延長の有無が問題となったシェーン事件判決(最高裁平成19年12月18日判決)が有名ですが、法令解釈は裁判所の専権ですから(憲法76条1項)、これはあたりまえのことです。

これに対して、法律を誠実に執行すべき内閣(憲法73条1号)のもとで行政をおこなう行政機関が、国会答弁と異なる運用基準を定めるなんて、国権の最高機関(憲法41条)である国会を、あまりに軽視しすぎではないでしょうか?

この問題は、日本国家のガバナンスの根幹にかかわる重大な問題だと思います。決して看過してはなりません。

公取委は、中小受託法ガイドライン成案では、一括決済方式に関する上記解釈を撤回すべきです。

最後になりますが、このQ9を質問していただいた長澤先生には感謝の意を表しますとともに、それに回答して雑誌に掲載することに同意いただいた向井審議官にも、その半分くらいは、感謝しております。

2025年10月 5日 (日)

SNSコメント引用に関するステマガイドライン第2・2⑴キの注の解決?

前回、ステマガイドライン第2・2⑴キの、

「(注) ただし、上記キについては、

客観的な状況に基づき、事業者のウェブサイトの一部について第三者の自主的な意思による表示内容と認められる場合は、

当該ウェブサイトの一部のみをもって当該事業者の表示とされないことを示すものであって、

当該ウェブサイトの一部を含めたウェブサイト全体が当該事業者の表示とされることは当然にあり得る。

なお、この場合、当該ウェブサイト全体は、通常、当該事業者の表示であることが明らかであるといえる。」

という注の意味について考えてみて、結局結論が出ませんでした(汗)。

その後さらに考えてみて、きっとこういうことではないか、という仮説を思いつくに至りました。

ポイントは、注の文言は無視して、パブコメだけを頼りに解釈する、ということです。

おさらいすると、パブコメのコメント(質問)のほうでは、第三者のコメント欄が広告に当たらないとすると、コメントに虚偽の表示があっても優良誤認表示にならないことになって問題ではないか、という至極全うな指摘がされました。

これに対する消費者庁回答は何を言っているか意味不明で、注も意味不明なのですが、ともかく、このコメント(質問)で指摘された原案の問題点を糊塗するために、この注が挿入された、と読むのです。

そうすると、この注は何を言っているのかというと、優良・有利誤認表示を念頭に、

「客観的な状況に基づき、事業者のウェブサイトの一部について第三者の自主的な意思による表示内容と認められる場合」

であっても、優良・有利誤認表示との関係では

「当該ウェブサイトの一部を含めたウェブサイト全体が当該事業者の表示とされることは当然にあり得る。」

ということを言っているのだ、と解釈すると、いちおう、パブコメの質問には答えていることになります。

「当然に」とあえて強調しているのは、

「このガイドラインはステマのガイドラインなので、優良誤認表示のことを考えているわけないじゃないか。そんな場合に優良誤認表示になるのは当然でしょ。」

という、立案担当者の心の叫びだとみるべきでしょう。

ここで、

「当該ウェブサイトの一部のみをもって当該事業者の表示とされないことを示すものであって、」

の部分が完全にすっ飛ばされていますが、この部分が何をしたかったのかというと、キを原案から維持したにもかかわらず、第三者のコメント欄(「事業者のウェブサイトの一部」)が優良誤認表示にならないことは矛盾しないのだ(矛盾すると思いますが・・・)というように無理矢理つなげたかったのだ、ということであろうと推測されます。

この、無理矢理つなげる感は、

「・・・の場合は、・・・ことを示すものであって、・・・が・・・とされることは当然にあり得る。」

という、接続語(?)だけをつなげて、「流れ」(?)を重視して読み直すと、雰囲気は伝わります。

繰り返しますが、この注は文字どおり読んでも理解できません。

その「心」を読み取るべきなのです。(なんというガイドラインでしょう!)

そして、最後の、

「なお、この場合、当該ウェブサイト全体は、通常、当該事業者の表示であることが明らかであるといえる。」

というのは、何を言いたいのかというと、

「この注で問題にしているのは優良誤認表示のことなので、ステマのPR表記の有無(=「当該事業者の表示であることが明らかである」かどうか)なんて、当たり前すぎて問題になりませんよ。」

ということなんだろう、と推測されます。

ここで、

「この場合」

というのが、どの場合なのかが問題となります。

(こそあど言葉って、とくに法律の文書を読むときは大事です。というより、そこに疑義を生まないように書くことが大事です。)

ふつうに読むと、一番ありそうなのは、

「当該ウェブサイトの一部を含めたウェブサイト全体が当該事業者の表示とされる〔場合〕」

ということでしょう。

でもそう読むと、

「当該ウェブサイトの一部を含めたウェブサイト全体が当該事業者の表示とされる場合、当該ウェブサイト全体は、通常、当該事業者の表示であることが明らかであるといえる。」

となりますが、これでは、その表示が「事業者の表示」(広告)である場合には通常「事業者の表示」(広告)であることが明らか、という意味になってしまい、そんなことを言ってしまうとそもそもステマ規制がなりたたなくなります。

表示該当性(表示主体性)と、判別困難性は、別の話です。

でも、これほど理屈の通らないガイドラインを読んでいると、もうそんな理屈をこねる気にもなりません。

そこでさらに、文言を無視して、とにかく立案担当者の心中を慮ると、「この場合」というのは、「優良・有利誤認表示を問題にする場合」という意味だと読むと、すっきりします(論理的にも解釈論的にも無茶苦茶なので、あくまで気分だけの、しかもちょびっとだけの、すっきり感ですが)。

表示主体性が認められて、かつ、広告判別困難性も認められて始めて成立するのがステマであり、表示主体性はほとんど問題にならず内容だけが問題になるのが優良・有利誤認表示であるとはいえ、論理的には、表示主体性はいずれでも問題になるものです。

それが、注の立案担当者の頭の中では、表示主体性が両者の共通要件だという発想が欠けていて、ステマと優良・有利誤認表示は別だ、と考えられているのだと推測されます。

ほんとうに、おそろしいことです。。。

というわけで、注を書き直すと、

「(注) ただし、上記キについては、

客観的な状況に基づき、事業者のウェブサイトの一部について第三者の自主的な意思による表示内容と認められる場合は、

当該ウェブサイトの一部はステマには該当しないのであって、

当該ウェブサイトの一部を含めたウェブサイト全体が優良・有利誤認表示とされることは当然にあり得る。

なお、優良・有利誤認表示を適用する場合、当該ウェブサイト全体が当該事業者の表示であることはあたりまえなので論点にもならないといえる。」

といったところでしょうか。

ステマだけが見える「ステマメガネ」と、優良・有利誤認表示だけが見える「優良・有利誤認表示メガネ」をかけ替えるイメージでしょうか。

そのバージョンで修正すると、

「(注) ただし、上記キについては、

客観的な状況に基づき、事業者のウェブサイトの一部について第三者の自主的な意思による表示内容と認められる場合は、

ステマメガネで見ると、当該ウェブサイトの一部当該事業者の表示とされないことを示すものであって、

優良・有利誤認表示メガネで見ると、当該ウェブサイトの一部を含めたウェブサイト全体が当該事業者の表示とされることは当然にあり得る。

なお、優良・有利誤認表示メガネで見る場合、当該ウェブサイト全体は、通常、当該事業者の表示であることが明らかであるといえる。」

といったところでしょうか。

半分茶化しているようですが、こういうメガネのかけかえを無意識にしている(あるいは、無意識に色眼鏡で見ている)ことは、おうおうにしてありがちなので、注意しないといけません。

今回は、分かりにくい比喩で恐縮ですが、ユークリッド幾何学の前提で話を聞いていたら珍紛漢紛だったのが、ロバチェフスキー幾何学の前提での話だったことがわかった、というのに似た知的スリルを感じずにはおられません(松田克進『スピノザ学基礎論』p35参照)。もちろん、皮肉です。

(最後に余談ですが、この松田克進『スピノザ学基礎論』は、スピノザの『エチカ』がちょっとわかった気になる、というか、なぜわからないのかがわかる、秀逸な書籍です。ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』のようなガチガチに論理的な読み方をしていて上記(注)が理解できなかったのが、今回なんとかこういうことだろうと推測できたのは、同書のおかげです)。

2025年10月 2日 (木)

SNS自社サイト引用に関するステマガイドラインの記述について

ステマガイドライン第2・2⑴キ(p6)では、

「キ 事業者が自社のウェブサイトの一部において、第三者が行う表示を利用する場合であっても、

当該第三者の表示を恣意的に抽出すること

(例えば、第三者のSNSの投稿から事業者の評判を向上させる意見のみを抽出しているにもかかわらず、

そのことが一般消費者に判別困難な方法で表示すること。)

なく、

また、当該第三者の表示内容に変更を加えること

(例えば、第三者のSNSの投稿には

事業者の商品等の良い点、悪い点の両方が記載しであるにもかかわらず、

その一方のみの意見を取り上げ、

もう一方の意見がないかのように表示すること。)

なく、そのまま引用する場合。」

が、

「事業者が第三者の表示に関与したとしても、客観的な状況に基づき、第三者の自主的な意思による表示内容と認められるものであれば、事業者の表示には当たらない。」

ことの例としてあげられています。

そして、キの(注)では、

「(注) ただし、上記キについては、

客観的な状況に基づき、

事業者のウェブサイトの一部について第三者の自主的な意思による表示内容と認められる場合は、

当該ウェブサイトの一部のみをもって当該事業者の表示とされないことを示すものであって、

当該ウェブサイトの一部を含めたウェブサイト全体が当該事業者の表示とされることは当然にあり得る。

なお、この場合、当該ウェブサイト全体は、通常、当該事業者の表示であることが明らかであるといえる。」

とされていますが、この注は何回読んでも意味がわかりません(苦笑)。

そこで、その謎を解こうというのが、今回のお題です。

まず、直感的にわかりやすくするために、上記(注)において、

「当該事業者の表示」→「当該事業者の広告」、

「当該ウェブサイトの一部」→「『SNSで話題』欄」、

と置き換えると、上記注は、

「(注) ただし、上記キについては、

客観的な状況に基づき、

『SNSで話題』欄について第三者の自主的な意思による表示内容と認められる場合は、

『SNSで話題』欄のみをもって当該事業者の広告とされないことを示すものであって、

『SNSで話題』欄を含めたウェブサイト全体が当該事業者の広告とされることは当然にあり得る。

なお、この場合、当該ウェブサイト全体は、通常、当該事業者の広告であることが明らかであるといえる。」

となります。

まず、上記(注)がわかりにくい理由は、

「(注) ただし、上記キについては、

客観的な状況に基づき、

事業者のウェブサイトの一部について第三者の自主的な意思による表示内容と認められる場合は、

当該ウェブサイトの一部のみをもって当該事業者の表示とされないことを示すものであって・・・」

という部分に主語がないからでしょう。

「表示とされ」という受動態を用いていることからすると、その前に主語があってもよさそうなものですが、それが(明示的には)ないのです。

日本語の文章の主語は、ふつう、助詞「は」または「が」(ときどき「も」)の前にあります。

お役所の公文書なら、なおさらです。

でも、上記引用部分の「表示され」より前の部分には、「は」も「が」も「も」もありません。

そこで、「のみをもって」が助詞「は」「が」「も」の代わりを担っているのではないかと疑われます。

そして、ガイドラインパブコメ104番(p67)回答では、

「御指摘については、事業者が第三者の表示をそのまま加工することなく利用する場合に限って、

当該第三者の表示の箇所についてのみ

『第三者の自主的な意思による表示と客観的に認められる場合』〔=非広告〕

となることを記載したものです。

そのため、当該箇所以外の事業者のウェフサイトの表示について、当該事業者の表示主体性が否定されるものではありません。

ただし、御指摘について、文意を明確化するために修正いたします。」

とされており、「当該第三者の表示の箇所についてのみ(≒が)」「第三者の自主的な意思による表示と客観的に認められる場合」であるとの説明がされていて、「当該第三者の表示の箇所」が、「・・・認められる」の主語であろうことがわかります。

「について」を助詞「は」「が」の代わりに用いて主語を作ることは、インフォーマルな日本語としては許されるレベルかと思いますが、いずれにせよこれも、ゆるい日本語の書き方だと思います。

そして、ガイドラインの起草者が、このようなゆるい日本語を使う人であることを想定すると、「のみをもって」を「が」の代わりに使うかもしれない、ということも、十分想定されるように思われます。

これを踏まえて上記注(言いかえ版)を書き換えると、

「(注) ただし、上記キについては、

客観的な状況に基づき、

『SNSで話題』欄第三者の自主的な意思による表示内容と認められる場合は、

『SNSで話題』欄当該事業者の広告とされないことを示すものであって、

『SNSで話題』欄を含めたウェブサイト全体が当該事業者の広告とされることは当然にあり得る。

なお、この場合、当該ウェブサイト全体は、通常、当該事業者の広告であることが明らかであるといえる。」

となります。

これでだいぶすっきりしたように思いますが、それでも何がいいたいのか、(これだけでは、ある意味当たり前すぎて)よくわかりません。

そこでやはりパブコメに戻ってみると、コメント104番は、

「第2の2(1)ア(力)〔注・原案では、「第2・2⑴キ」は、「第2・2⑴ア(カ)」でした。〕

「事業者が自社のウェブサイトにおいて、第三者が行う表示を利用する場合であっても、

当該表示を恣意的に抽出(略)せず、

また、第ー者の表示内容に変更を加えること(略)なく、

そのまま引用する(略)場合」

には、当該事業者が「表示の肉容の決定に関与した」とは言えないとのことです。

その場合に、当該ウェブサイト上で、当該事業者の供給する商品について、第三者が、一般消費者に著しく優良であると誤認される表示や著しく有利であると誤認される表示をした場合にも、当該事業者は「表示の内容の決定に関与した」とは言えず、優良誤認表示や有利誤認表示をしているとは判断されないのでしょうか。

仮に優良誤認表示や有利誤認表示に該当する可能性がある場合は、追記してはいかがでしょうか。おとり広告運用基準でも、おとり広告該当性のみならず有利誤認表示該当性について触れられていますし、形式的には可能と考えますがいかがでしょうか。」

というコメントでした。

要は、「第三者のコメントをありのまま自社サイトに引用するのが広告にあたらないとすると、そのコメントに優良誤認の内容が含まれていても事業者は責任を負わないことになり、不当ではないか。」というコメントです。

あきらかにプロの手によると思われる、きわめて鋭い指摘です。

そこで、上記(注)がこのようなコメント(第三者のコメントの引用であっても内容が虚偽であれば優良誤認になるべきというコメント)に対する対応であるとすると、上記(注)は、第三者のコメントの引用の内容が虚偽であれば優良誤認表示になる、という趣旨だ、と読むのが自然でしょう。

(ただし、パブコメ回答者が104番のコメントを正しく理解できていて、かつ、コメントに正面から答えようとしたことを前提とします。)

そういう目線でもう一度104番の、

「御指摘については、事業者が第三者の表示をそのまま加工することなく利用する場合に限って、

当該第三者の表示の箇所についてのみ

『第三者の自主的な意思による表示と客観的に認められる場合』〔=非広告〕

となることを配載したものです。

そのため、当該箇所以外の事業者のウェフサイトの表示について、当該事業者の表示主体性が否定されるものではありません。

ただし、御指摘について、文意を明確化するために修正いたします。」

という回答を読みでみたのですが、やっぱり、この回答自体が104番のコメントの疑問に答えていません。

というか、104番のコメントを理解していません。

というのは104番のコメントは、前述のとおり、「第三者のコメントをありのまま自社サイトに引用するのが広告にあたらないとすると、そのコメントに優良誤認の内容が含まれていても事業者は責任を負わないことになり、不当ではないか。」というものです。

これに対して、

「当該第三者の表示の箇所についてのみ

『第三者の自主的な意思による表示と客観的に認められる場合』〔=非広告〕

となることを配載したものです。」

と答えてしまったのでは、

「当該第三者の表示の箇所についてのみ、非広告となることを配載したものです。」

ということになってしまい、「当該第三者の表示の箇所」(=「SNSで話題」欄)は広告ではない、つまり、優良誤認表示にならない、ということを正面から認めてしまったことになるからです。

さすがに消費者庁も、そんなばかな解釈は採らないと思いますが、それでも、パブコメ104番回答は、そのようにしか読めません。

では、104番回答はパブコメ質問をどのように理解してキの修正と(注)の追加をしたのでしょうか。

そのカギは、キの修正箇所を見るとわかります。

キの原案は、

(カ) 事業者が自社のウェブサイトの一部において、第三者が行う表示を利用する場合であっても、

当該第三者の表示を恣意的に抽出すること

(例えば、第三者のSNSの投稿から事業者の評判を向上させる意見のみを抽出しているにもかかわらず、

そのことが一般消費者に判別困難な方法で表示すること。)

なくせず

また、当該第三者の表示内容に変更を加えること

(例えば、第三者のSN Sの投稿には事業者の商品等の良い点、悪い点の両方が記載しであるにもかかわらず、

その一方のみの意見を取り上げ、もう一方の意見がないかのように表示すること。)

なく、そのまま引用する

(例えば、第三者の表示であることが判別できる方法で表示する。)

場合。」

というものでした。

ちょっとわかりにくいですが、太線が原案オリジナル部分(つまり成案では消された部分)、見え消しが成案追加部分(原案にはなかった部分)です。

そうすると、原案から成案への実質的な変更は、冒頭の「事業者が自社のウェブサイトの一部」のところの、「の一部」を追加しただけだ、ということがわかります。

(「(例えば、第三者の表示であることが判別できる方法で表示する。)」は、あくまで例示なので、論理的にはあってもなくてもいいので、本質的な変更ではありません。)

そこから逆算すると、消費者庁回答は、104番コメントを、キが、「事業者のウェブサイトの全部」について表示主体性を否定しているように読めるのではないかというコメントだと理解(誤解)して、そのような疑義(以下「一部・全部問題」といいます。)を解消するために、「自社のウェブサイトの一部」という文言を追加したもだろうと推測できます。

そのような理解に立てば、(注)(改変版)の、

「(注) ただし、上記キについては、・・・

『SNSで話題』欄が第三者の自主的な意思による表示内容と認められる場合は、

『SNSで話題』欄は当該事業者の広告とされないことを示すものであって、

『SNSで話題』欄を含めたウェブサイト全体が当該事業者の広告とされることは当然にあり得る。

なお、この場合、当該ウェブサイト全体は、通常、当該事業者の広告であることが明らかであるといえる。」

というのも、たんにこの「一部・全部問題」に対応しただけ(104番のコメントには対応していない)だということがわかります。

しかも、そもそも、

「『SNSで話題』欄は当該事業者の広告とされない」・・・①

というのと、

「『SNSで話題』欄を含めたウェブサイト全体が当該事業者の広告とされることは当然にあり得る。」・・・②

というのと、

「この場合、当該ウェブサイト全体は、通常、当該事業者の広告であることが明らかであるといえる。」・・・③

との関係も、よくわかりません。

一見すると、①と②は広告該当性、③は認識困難性のことを言っているように見えます。

でも、そうすると、①(「SNSで話題欄」は広告非該当)と②(ウェブサイト全体は広告該当の可能性あり)というのが、矛盾しているようにみえます。

これを矛盾なく説明するとすれば、「ウェブサイト全体」というのを、

「広義のウェブサイト全体(『SNSで話題』欄を含む。)」

「狭義のウェブサイト全体(『SNSで話題』欄を含まない。)」

の2とおりに理解して、

①(「SNSで話題欄」は広告非該当)では狭義のウェブサイトを想定し、

②(ウェブサイト全体は広告該当の可能性あり)では広義のウェブサイトを想定している、

という解釈が思い浮かびますが、結局、「SNSで話題」欄が広告に該当しない(①)と言い切っているわけですから、②とは両立しないように思われます。

しかも、

「この場合、当該ウェブサイト全体は、通常、当該事業者の広告であることが明らかであるといえる。」・・・③

というのが、これを文字どおりに読むと、「SNSで話題」欄には、「PR」表記は不要、ということになってしまいかねません。

なぜなら、「当該事業者の広告であることが明らか」である場合は、「PR」表記がなくても認識困難性の要件をみたさず、ステマにならないからです。

ただし、104番のコメントの質問の問題意識に③が答えているものだとすると、③が言いたいのは、「SNSで話題」欄に虚偽の内容があれば優良誤認表示が成立するのはあきらか(なぜなら、当該ウェブサイト全体が「当該事業者の広告であることが明らか」なので)、ということなのかな、という気もします。

でもそのような読み方は、控えめに言って③とまったく合致していません。

というわけで、キの(注)は、どのように考えてみても理解不能です。

以上のとおり、本日のミッションは失敗に終わりました(苦笑)。

こんな失敗記事をブログに載せてどうするんだという気もしますが、ほかの人が同じ轍を踏まないようにする、という意義はあるように思われます。

実務的な意義としては、キの注にはこういうわけのわからんことが書いてあるだけだということを踏まえて、無視するほかないと割り切るべき、ということでしょう。

少なくとも、

「この場合、当該ウェブサイト全体は、通常、当該事業者の広告であることが明らかであるといえる。」・・・③

というのを真に受けて、インフルエンサーにお金を払って書いてもらった記事を自社サイトに転載しない(転載するときは「PR」と表記する)、という対応が必要と思われます。

(真に受けない、というのは要するに、無視する、ということです。)

あるいは、キを文字どおりに受け取って、第三者のコメントを自社サイトにそのまま転載した場合には「事業者の表示には当たらない」のだから優良誤認表示にはあたらないのだ(だから内容のチェックは不要なのだ)などと、間違っても考えてはならない、ということだと思います。

« 2025年9月 | トップページ

フォト
無料ブログはココログ