不実証広告ガイドラインの専門家等の見解に関する記述(第3、2⑵ア)の矛盾について
不実証広告ガイドライン第3、2⑵アでは、
「ア 当該商品・サービス又は表示された効果、性能に関連する分野を専門として実務、研究、調査等を行う専門家、専門家団体又は専門機関(以下「専門家等」という。)による見解又は学術文献を
表示の裏付けとなる根拠として提出する場合、
その見解又は学術文献は、次のいずれかであれば、客観的に実証されたものと認められる。
① 専門家等が、専門的知見に基づいて当該商品・サービスの表示された効果、性能について客観的に評価した見解又は学術文献であって、当該専門分野において一般的に認められているもの
② 専門家等が、当該商品・サービスとは関わりなく、表示された効果、性能について客観的に評価した見解又は学術文献であって、当該専門分野において一般的に認められているもの」
と説明されています。
このうち、①はよいのですが、よくわからないのが②です。
②では、
「当該商品・サービスとは関わりなく」
とされています。
しかし、
「表示された効果、性能について」
評価するのに、
「当該商品・サービスとは関わりなく」
評価する、なんていうことは、論理的に不可能ではないかと思われます。
つまり、②は、
「② 専門家等が、当該商品・サービスとは関わりなく、表示された効果、性能について客観的に評価した見解又は学術文献であって、当該専門分野において一般的に認められているもの」
としていますが、これは、論理的には、
「② 専門家等が、当該商品・サービスとは関わりなく、〔当該商品・サービスについて〕表示された効果、性能について客観的に評価した見解又は学術文献であって、当該専門分野において一般的に認められているもの」
という意味であるはずです。
「表示」は、当該商品役務に関する表示であるはずで、それ以外には考えられないからです。
そうすると、
「〔当該商品・サービスについて〕表示された効果、性能」
について、
「当該商品・サービスとは関わりなく・・・客観的に評価」
する、ということで、まったくわけが分からないことになります。
この点について、立案担当者の解説書である、南部利之編著『改正景品表示法と運用指針』p67では、
「②の例としては、例えば、特定の成分を含有するという健康食品の表示について、当該特定の成分が、人体の構造又は機能に及ぼす影響について評価した見解や、
台所洗剤の表示について、当該洗剤に含まれる特定の成分が、河川の水質の汚染を防止する効果について評価した学術文献が挙げられる。」
と説明されています。
つまり、②は、
「② 専門家等が、当該商品・サービスとは関わりなく、当該商品に含まれた成分の効果、性能について客観的に評価した見解又は学術文献であって、当該専門分野において一般的に認められているもの」
という意味だ、ということのようです。
でも、これを②と比べると、「当該商品に含まれた成分の」という部分が追加されるのはまだ文言解釈として許されると思いますが、
「② 専門家等が、当該商品・サービスとは関わりなく、表示された効果、性能について客観的に評価した見解又は学術文献であって、当該専門分野において一般的に認められているもの」
の「表示された」という部分がなくなってしまっています。
これは、文言解釈として許されないでしょう。
無い文言を解釈で補ったり具体化することは許されますが、存在する文言を存在しないかのように解釈する(無視する)というのは、文字どおりの文言無視であり、許されるはずがありません。
そうすると、この「表示された」という部分を生かしつつ、立案担当者の意図を忖度すると、②は、
「② 専門家等が、当該商品・サービスとは関わりなく、当該商品に含まれた成分が有する〔当該商品・サービスについて〕表示された効果、性能について客観的に評価した見解又は学術文献であって、当該専門分野において一般的に認められているもの」
ということになりそうです。
しかし、これを正面から「客観的に実証されたもの」と認めるのは、別の意味で問題があります。
そのことは立案担当者の前掲解説書も認めていて、同じくp67では、
「ところで、②の場合について、提出された見解又は学術文献自体は、当該専門分野において一般的に認められているものであるとしても、
例えば、当該見解又は学術文献において客観的な評価の対象となった特定成分が、当該商品に含まれる成分とは同一ではないというケースや、
当該商品に含まれる程度の分量や当該商品を通じた摂取方法では、評価の対象となった当該特定成分の効果、性能は期待できないというようなケース
が想定される。
この場合には、当該見解又は学術論文は、当該商品・サービスの表示された効果、性能について客観的に実証された内容のものとは認められない。」
と解説されています。
これは、結論としては当然こうあるべきだとは思いますが、では、このような解釈が②から出てくるのか、というと、出てこないと言わざるを得ないのです。
このうち、「成分とは同一ではない」(いわば弾違い)については、②に該当しないということは、成分が同一であることは②の当然の前提であるとして、いわば「勿論解釈」として、認められてもいいと思います。
ですが、「分量」や「摂取方法」については、これを言い出すと、結局、対象商品に含まれる分量や、対象商品を用いた摂取方法で、表示どおりの効果があるということを言わなければならないことに限りなく近くなり、上記②の「当該商品・サービスとは関わりなく」という部分と矛盾せざるを得ないからです。
あるいは、少なくとも事業者としては②の証拠があったとしても、別途、その商品で摂取した場合に表示どおりの効果があることを示す資料を持っていないといけないことになります。
これでは、上記②はほとんど空文化したといわざるをえません。
さらにダメ押しですが、不実証広告ガイドライン第3、3では、
「3 表示された効果、性能と提出資料によって実証された内容が適切に対応していること
提出資料が表示の裏付けとなる合理的な根拠を示すものであると認められるためには、前記のように、提出資料が、それ自体として客観的に実証された内容のものであることに加え、表示された効果、性能が提出資料によって実証された内容と適切に対応していなければならない。
したがって、次の例のとおり、提出資料自体は客観的に実証された内容のものであっても、表示された効果、性能が提出資料によって実証された内容と適切に対応していなければ、当該資料は、当該表示の裏付けとなる合理的な根拠を示すものとは認められない。」
とされており、「成分の効果は実証されていても、当該商品に効果があるとまで実証されているとはいえないので、(商品について)表示された効果と提出資料によって実証された内容が対応していない」と言われる可能性がありますし、実際、言われると思われます。
というわけで、上記②は完全に無視するほかありません。
というより、成分が入っていることだけでなくその分量や摂取方法が大事だという一番大切なことがガイドラインに書かれて無くて解説書だけに書かれているのは、控えめに言って不親切、もっといえば、ガイドラインとして失格だと思います。(南さんには申し訳ないですが。)
以下、余談ですが、以上のような解釈論は、景表法のことを知らなくても、文章を論理的に読む力があれば、誰にでもできますし、誰がやっても同じ結論になると思います。
そのときに私が心がけている(拠り所にしている)のは、ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』で示した「意味の対象説」です。
これは、言葉(名、あるいは名辞)の意味とは、その言葉が指す対象のことである、という説です。
さらに、文章は、そのような名辞の配列により事態を表現するとされます。
いわゆる写像理論です。
(この写像理論のヒントは、フランスの法廷で交通事故を再現したミニチュアが使われたことにあったそうです。)
このような、「意味の対象説」と「写像理論」を頭に置きながら文章を読むと、文章を、読後感とか、文章の勢いとかいった、捉えどころの無い要素によって読むことがなくなり、ましてや直感で理解するなどということもなくなり、厳密な解釈が可能になると思われます。
法律は内閣法制局を通るので、国会で修正された部分を除けば、この「意味の対象説」と「写像理論」に基づいて読んでも破綻が見つかることはまず無いですが、公取委のガイドラインや告示には、まだまだこのレベルに達していないものが少なくありません。
例えば最近の消費者庁のステマガイドラインなんて、ひどいです(パブコメを経て若干ましになりましたが、特に原案はひどかったです)。
ウィトゲンシュタインは法学にも多大な影響を与えたようで、ハートの『法の概念』なんかもそうらしいですが、そこで参考にされているのは『哲学探究』以降の、いわゆる後期ウィトゲンシュタインです。
でも、私は、法律にかかわるすべての人は、まず、『論理哲学論考』の前期ウィトゲンシュタインに追いつくことをめざすべきなのではないかと思います。
私は専門にしているのは独禁法ですのでそれ以外の分野のことはよくわかりませんが、独禁法の分野だけでも、「この文章のこの言葉はいったい何(対象)を指しているのか」と問うだけて゛、その文章がナンセンスであることがわかることが多々あります。
論考(岩波文庫訳)では、
「語りうること以外は何も語らぬこと。
自然科学の命題以外は ーそれゆえ哲学とは関係のないこと以外はー 何も語らぬこと。
そして誰か形而上学的なことを語ろうとするひとがいれば、そのたびに、あなたはその 命題のこれこれの記号にいかなる意味も与え与えていないと指摘する。
これが、本来の正しい哲学の方法にほかならない。
この方法はそのひとを満足させないだろう。
彼は哲学を教えられている気がしないだろ う。
しかし、これこそが、唯一厳格に正しい方法なのである。」(6.53)
とされています。
これは哲学の方法について述べたものですが、形而上学的な議論がなされる哲学ですらそうなのですから、実用法学ではなおさらです。
論考もいうように、
「語り得ぬものについては、沈黙せねばならない。」(岩波訳7)
のです。
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