表示内容の決定に関与したかをステマの基準にすることの疑問
ステマガイドライン(「『一般消費者が事業者の表示であることを判別することが間難である表示』の運用基準」)では、ベイクルーズ事件に従って、事業者が表示「内容」の決定に関与した表示は「事業者の表示」である、という考え方が示されています。
しかし、この考え方には根本的な問題があると思います。
というのは、事業者が表示「内容」の決定にまったく関与していなくても、たとえばあるインフルエンサーが紹介するという事実だけで、そのインフルエンサーが支持(endorse)したものと捉えられる、ということがいくらでもあるように思われるからです。
私は以前、日本公認不正検査止協会さんから、セミナーをブログで告知してくれたら無料招待してもらえるというお知らせをいただいて告知したことがありました。
このときは、ステマみたいになるのがいやだったので、ちゃんとご招待いただいたことも書きました。
ですが、ブログの表示の「内容」については、協会さんからは一切指示がありませんでした(あるわけないですよね)。
もちろん、セミナーのタイトルと日時と申込方法くらいは書きましたが、それはいわば公知の事実であり、それを「表示」だとして、その「内容」の「決定」を云々すべきものではないように思います。
私のそのブログ記事をみてセミナーに申し込もうとした人がいたかどうかはわかりませんが(笑)、仮にいたとして、その人がどのように感じたかを想像すると、
「植村弁護士が(あるいは、たんに弁護士が、でもいいですが)紹介するのだから、きっと役に立つセミナーなのだろう。」
と思って申し込んだ可能性は否定できないように思います。
たんに情報を広めるというだけなら、誰に広めてもらってもいいはずですが、いちおう、私が選ばれた(?)ということは、誰が広めるのかにも協会さんには関心があったのだろうと想像します。
もし情報の拡散だけを目的にするなら、私なんかより、ガーシー元議員にでも頼んだ方が、よっぽど効果的でしょう。
というわけで、ステルスマーケティングでは、内容もさることながら、誰が(外形上)情報を提供しているかが、非常に重要なのではないか(少なくとも非常に重要な場合がある)、と思うのです。
それに、理論的に考えてみると、ステマというのは、ステマ告示で、
「事業者が自己の供給する商品又は役務の取引について行う表示であって、一般消費者が当該表示であることを判別することが困難であると認められるもの」
と定義されており、表示の「内容」には関知していません。
それにもかかわらず、表示の「内容」の決定に関与したことを、「事業者の表示」の要件とするのは、もともと無理があるといわざるをえません。
そもそもどうしてこういうことが起きるのかというと、ベイクルーズ事件の判示をそのままもってきたからです。
でも、ベイクルーズ事件では、外形上当該事業者(ベイクルーズ)の行った表示であることは明らかなタグがベイクルーズの表示になるかどうかが問題になったのであり、外形上他人(八木通商)が行った表示かどうかが問題になったのではありません。
(このあたりは、「ベイクルーズ判決とアフィリエイト広告」という記事に書きました。)
ベイクルーズ事件では、平たく言えば、「イタリア産」という表示の「内容」を誰が(実質的に)決めたのかが問題になったために、「表示『内容』の決定に関与した」かどうかが表示主体を決める、という基準になったのだと見るのが自然でしょう。
それなのに、その基準を、外形上第三者が作成したとみられる表示の表示主体を決める基準として使ったりしたら、ベイクルーズ事件の裁判官(さらにその前の公取委審判官)は、びっくりするのではないでしょうか。
(機会があったら是非鵜瀞先生にうかがってみたいものです。)
つまり、ステマはほんらい、ベイクルーズ事件が問題にしている場面(外形上の表示主体は明らかな場面)よりも前の場面(外形上の表示主体がそもそもわからないか、真の表示主体でない場面)を問題にすべきなのです。
内容自体や、内容の決定への関与を、問題にすべきではありません。
つまり、ベイクルーズ事件では、ズボンの原産国の表示という、まさに表示の「内容」が問題になったので、「内容」の決定に関与したかどうかを基準にするのは自然なことでしたが、ステマはそもそも内容にかかわらないので、「内容」を問題にする基礎がありません。
まあ、多くの場合、内容の決定への関与をしていれば、その事業者を表示主体とみるのが妥当でしょうし、それでほとんどの場合は問題なく処理できそうですから、目くじらを立てるほどのことではない(実務は回っていく)のでしょうけれど、理論的には、腰だめの議論だと言わざるを得ません。
少なくとも、ステマ規制でもれなく規制すべき者を規制するためには、ベイクルーズ事件が想定しているような表示の「内容」(「イタリア産」)だけでなく、もっと幅広いものが「内容」に含まれる(たとえば、特定のブログで告知するなどの表示態様も「内容」とみなす)と解釈しないといけないような気がします。
でも、もとの基準にしたがうようなふりをしながら言葉の意味を変えてしまうというのは、筋の良い法律論ではありません。
これは改めてきちんと書こうと思いますが、ステマガイドラインでは、第三者が自由な意思にもとづいて表示内容を決定したと客観的に認められるならステマではない、という基準を用いていますが、この第三者の「自由な意思」というのと、事業者の「表示内容の決定への関与」というのも、きれいに1対1で(あるいは裏表で)対応していないように思われます。
その根本的な原因は、表示「内容」の決定に関与したかどうかを基準にしたベイクルーズ判決に引きずられたからではないか、と私は睨んでいます。
« みずほ証券に対する注意について | トップページ | 公正取引委員会ウェブサイトの改悪について »
「景表法」カテゴリの記事
- チョコザップに対する措置命令について(2024.08.30)
- 差止請求の公表に関する消費者契約法施行規則28条の「相手方との間の協議が調ったと認められるもの」の解釈について(2024.08.24)
- 景表法の確約手続ガイドラインについて(2024.08.11)
コメント