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2023年1月

2023年1月16日 (月)

セット販売であることが「明らかな場合」とは(定義告示運用基準4⑸ア)

セット販売が景品類の提供にあたらない場合について、定義告示運用基準4⑸では、

「(5) ある取引において二つ以上の商品又は役務が提供される場合であっても、次のアからウまでのいずれかに該当するときは、原則として、「取引に附随」する提供に当たらない。

ただし、懸賞により提供する場合(例 「○○が当たる」)及び取引の相手方に景品類であると認識されるような仕方で提供するような場合(例 「○○プレゼント」、「××を買えば○○が付いてくる」、「○○無料」)は、「取引に附随」する提供に当たる。

ア 商品又は役務を二つ以上組み合わせて販売していることが明らかな場合

(例 「ハンバーガーとドリンクをセットで○○円」、「ゴルフのクラブ、バッグ等の用品一式で○○円」、美容院の「カット(シャンプー、ブロー付き)○○円」、しょう油とサラダ油の詰め合わせ)

イ 商品又は役務を二つ以上組み合わせて販売することが商慣習となっている場合(例 乗用車とスペアタイヤ)

ウ 商品又は役務が二つ以上組み合わされたことにより独自の機能、効用を持つ一つの商品又は役務になっている場合(例 玩菓、パック旅行)」

と規定されています。

ここで、イとウが問題になることはあまりないのですが、アの限界は、よく問題になります。

では、

「ア 商品又は役務を二つ以上組み合わせて販売していることが明らかな場合」

とは、どういう意味でしょうか。

およそ「明らか」という言葉ほど意味が明らかでない言葉もないと思いますが(笑)、具体例として挙げられている、

「ハンバーガーとドリンクをセットで○○円」

「ゴルフのクラブ、バッグ等の用品一式で○○円」

「美容院の「カット(シャンプー、ブロー付き)○○円」」

「しょう油とサラダ油の詰め合わせ」

というものをみると、「セット」と謳えばおよそ何でもセット販売(「商品又は役務を二つ以上組み合わせて販売」)になる(=景品類にならない)わけではなさそうです。

もし「セット」と表示すれば何でもセット販売になるなら、4⑸のイとウをアとは別に規定する必要もないでしょう。

なので、アの「明らか」というのは、セットと表示すれば常にセット販売であることが明らかとなるというわけではなく、組み合わされる2つ以上の商品役務に何らかの関連性があることを要すると考えるべきでしょう。

ただ、そういう観点からみたときに、運用基準の具体例はいかにも狭すぎると思います。

これらの具体例は、いずれも、世の中でセット販売をすることが常識となっている、セットと言われて違和感のないものばかりです。

(そういう意味では、アとイの区別は明確ではありませんし、もっといえば、アとウの区別も明確ではありません。)

でも、そういうものだけがセット販売として許されるということになると、ちょっと風変わりなセット販売をやろうとした途端、景品類とみなされることになってしまいます。

これでは、クリエイティブなセット販売を考えようとする事業者の販売活動の自由を制限してしまうことになり、妥当ではありません。

たとえば、ジャガイモとにんじんとタマネギのセット(カレーセット)は、スーパーによくありますので、問題なくセット販売(景品類ではない)ですが、あまりセットで売られることがなさそうな、「ジャガイモと牛乳のセット」というのも、きちんとセット販売であることを表示していれば、セット販売であると言ってよいように思います。

「ジャガイモと牛乳のセット」が売られていたときに、「牛乳はジャガイモの景品類だ」とか、逆に、「ジャガイモが牛乳の景品類だ」とかいう必要はなく、セット販売と考えればよい、ということです。

あるいは、この「明らか」というのを、ハンバーガーとドリンクのセットのような、誰が見てもセットといえるものに限定すると、たとえば、インターネットと電気のセット販売(セット割)ですら、セット販売であることが「明らか」とは言えなくなって、インターネットの値引相当額が電気の景品類だ、などという結論になりかねません。

こういうふうにいろいろな例を頭の中で考えると、どうも、セット販売になるかどうかには、4つくらいの基準があるように思われます。

(なお、定義告示運用基準4⑸ただし書では、

「ただし、・・・取引の相手方に景品類であると認識されるような仕方で提供するような場合(例 「○○プレゼント」、「××を買えば○○が付いてくる」、「○○無料」)は、「取引に附随」する提供に当たる。」

とされているので、「おまけ」であるかのような表示をしないことは大前提です。)

1つめの基準は、景品類にあたる物品が市販品かどうか、です。

市販品なら、セット販売といいやすい方向に傾きそうですが、非売品の場合には、セット販売とはなかなか言いにくそうです。

2つめの基準は、組み合わされる商品相互の機能的関係性です。

この、商品相互の機能的関係性には、

①物品の性質上、明らかにセット販売と言えるもの(例、カレーセット)

②物品の性質上、景品類(おまけ)という印象を受けるもの

という両極端があり、①ならセット販売、②なら景品類となりやすく、その間にいろいろなバリエーションがある、ということかと思います。

3つめの基準は、セットの価格設定です。

もし、セットの価格が、単品を買ったときの合計額から多少減額した程度の価格なら、セット販売と言いやすいでしょう。

これに対して、商品Aと商品Bのセット販売価格が、商品A単体の販売価格と同じ(つまり商品Bがただで付いているように見える)場合には、商品Bは商品Aの景品類であるとみられる可能性が高いように思われます。

4つめの基準は、セットを構成する物品の価格比です。

たとえば、物品Aと物品Bのセットにおいて、物品Aと物品Bの市場価格が同じくらい(1:1くらい)の場合、両に主従の関係がないので、セット販売と認められやすそうです。

逆に、物品Bの市場価格が物品Aの市場価格の3割未満程度だと、両者に主従の関係があり、いかにも物品Bは物品Aの景品類っぽく見えます。

(前提として、総付です。懸賞なら、常に景品類になります。定義告示運用基準4⑸ただし書前段。)

景品類の何が問題なのかと言えば、ほんらいの取引内容でない利益で消費者の選択をゆがめるのが問題なわけです。

そして、構成物品間の価値の比に明確な主従関係がない場合には、消費者は、構成物品それぞれがほんらいの取引の対象であると認識しやすく、選択がゆがめられるおそれは小さいといえると思われます。

これら4つの基準と、表示の仕方で、

「ア 商品又は役務を二つ以上組み合わせて販売していることが明らかな場合」

にあたるかどうかを考えていけばよいと思います。

2023年1月13日 (金)

クロスライセンスを利用した市場の棲み分けについて

競争者2社が、お互いにブロックしあう関係(補完関係)にある特許権を有しているために自由な商品開発ができないときに、クロスライセンスをすることで解決することが考えられます。

たとえば、ある商品について、A社がa特許を持ち、B社がb特許を持っているものの、対象商品を作るためにはa特許もb特許も必要、というケースです。

(単純化のために、市場には、A社とB社の2社しかいないとします。)

ただクロスライセンスをするだけでそのあとはお互い自由に競争するのであれば何の問題もないのですが、クロスライセンスに付随して、たとえば商品分野や地理的分野を分けることで、市場の棲み分けをしたいということがありえます。

このような市場の棲み分けは独禁法上許されるのでしょうか?

結論としては許されると考えます。

まず、知財ガイドラインで該当する記述を探すと、競争者間のクロスライセンスについて、知的財産ガイドライン第3の2(「不当な取引制限の観点からの検討」)の(3)(「クロスライセンス」)のイでは、

「イ 〔クロスライセンスに〕関与する事業者が少数であっても、

それらの事業者が一定の製品市場において占める合算シェアが高い場合に、

当該製品の対価、数量、供給先等について共同で取り決める行為や他の事業者へのライセンスを行わないことを共同で取り決める行為は、

・・・当該製品の取引分野における競争を実質的に制限する場合には、不当な取引制限に該当する。」

とされており、競争者間のクロスライセンスは不当な取引制限に該当し得るとされています。

ガイドラインでは、「対価、数量、供給先等」を共同で取り決めることが対象ですが、商品分野を棲み分けることも同じに考えて良いでしょう。

問題は、どのような場合に「競争を実質的に制限する」ことになるのか、です。

ここで、「競争を実質的に制限する」かどうかは、a特許とb特許があることを前提に、クロスライセンスをしなかった場合に比べて、より競争を実質的に制限することになるかどうかで判断すべきでしょう。

a特許もb特許もない場合を基準にしたら、市場の棲み分けが、そのような棲み分けがない場合に比べて競争を制限するのは当たり前で、それは妥当とは思われません。

つまり、a特許とb特許がお互いにブロックしあっているということは、A社とB社がお互いに自己の特許権を行使すれば、いずれも商品を販売することはできないことになるわけで、それと比べれば、商品分野を棲み分けしつつもまだ商品が世に出た方がよっぽど競争促進的である、という理屈です。

この理屈は、現状ではA社とB社が、事実上市場に商品を出していても(つまり、お互いに特許を行使せず黙認していても)同じです。

このような、黙認して自由に競争しているように見えても、そのような現状を基準にして市場の棲み分けがより競争を制限すると判断するのは、誤りだと思います。

というのは、事実上の黙認は事実上の黙認に過ぎないわけであって、ほんらいは特許を行使できるわけですから、事実上の黙認に基づく競争は本来あるべき競争ではない(競争法上保護されるべき競争ではない)と考えられるからです。

この問題に関して、旧特許ライセンスガイドラインの解説書である山木編『Q&A特許ライセンスと独占禁止法』のクロスライセンスに関する解説に説明があり、そのp127では、

「・・・相互に補完する関係にある特許等について実施されるライセンスであって,

もともと競争関係がみられないような事業者間で行われる場合には,

競争制限的に利用されることは少ないと思われる」

と解説されています。

まず、この「もともと競争関係がみられない」という意味は、上述のように、事実上競争していても実際には(お互いに特許を行使すれば)競争できない場合(保護に値する競争がない場合)も含まれると考えるべきでしょう。

つまり、A社とB社が、お互いに黙認しあって、A社がα商品を作り、B社がβ商品を作って市場で競合していても、A社とB社との間には、「元々競争関係がみられない」と考えるべきです。

実は、旧ガイドラインでは、クロスライセンスに附随する制限が違法になる具体例(現行ガイドラインでは削除)がありました。

その具体例では、

「<例> 事業者が,次のように,特許製品の販売地域等を分割する行為を行い,これにより市場における競争を実質的に制限すること。

○A製品の製法()の特許を有し, A製品の製造販売を行っているa社

A製品の別の製法()の特許を有し, A製品の製造販売を行っているb社が,

当該特許につき非独占的なクロスライセンス契約を締結し,

今後は,当該A製品の販売地域について,

新規ユーザーについては,a社は東日本,b社は西日本のユーザーにのみ販売すること

を取り決めるような場合

○B製品の製法()の特許を有し,B製品の製造販売を行っているc社

B製品の別の製法()の特許を有し,B製品の製造販売を行っているd社が,

当該特許につき非独占的なクロスライセンス契約を締結し,

今後は,一般品はc社が,特殊品はd社が製造販売を行うことを取り決めるような場合」

という例が、独禁法上問題がある例として挙げられていました。

ところが、これら2つの例を見てみると、いずれの例も、どちらの当事者の製法特許でも製造できる例です。

つまり、1つめの例では、a社が製法甲の特許を、b社が製法乙の特許を持っているわけですが、商品は製法甲でも乙でも作れる例です。

なので、a社が製法甲で製造することは何の問題もないし、b社が製法乙で製造することも何の問題もないのです。

よって、a社とb社は、「もともと競争関係がみられないような事業者」ではない、ということになり、このような制限が違法になるのは当たり前です。

2つめの例も同じです。

つまり、旧ガイドラインの、独禁法違反の具体例は、(ガイドラインに明記こそされていないものの中身を読めば)お互いにブロックする関係にある特許権を持っている例ではない、ということです。

それを裏から説明する形で、上記山木は、もともと競争関係にない場合(相手の特許を侵害しなければ競争できない場合を含む)には、クロスライセンスに伴う制限が反競争的に使われることは少ないと解説していることがわかります。

さらに注目すべきは、旧ガイドラインの2つの具体例は、各社が自己の特許権だけで製品を製造できている事例であることがわかります。

それにもかかわらず地理的範囲や製品分野を制限するということは、これら2つの具体例は、単にライセンスを受けた特許を使用した製造販売だけでなく、割り当てを受けた市場以外でのおよそ一切の製造を相互に禁止することを当然の前提にしている具体例であると考えられます。

例えば、2つめの具体例(c社特許、d社特許を有し、c社がB製品の一般品d社がB製品の特殊品を製造する場合)について説明すれば、この具体例における合意は、

c社は、d社の丁特許を使用するかどうかにかかわらず(丙特許によっても)、特殊品は一切製造せず、

d社は、c社の丙特許を使用するかどうかにかかわらず(丁特許によっても)、一般品は一切製造しない

という合意であると考えられます。

つまり、この2つめの事例は、厳密に言えば、

ライセンスを受ける特許(c社にとっての丁特許、およびd社にとっての丙特許)の使用方法に関する制限(例えば、「c社は、d社からライセンスを受けた丁特許を用いてB製品の特殊品を製造してはならない。」)

でもなければ、

ライセンスをする特許(c社にとっての丙特許、およびd社にとっての丁特許)の区分許諾(例えば、「d社は、B製品の一般品製造のために、丁特許をc社に許諾する。」)

でもなく、特許使用の有無にかかわらず指定された製品以外は一切製造販売しないという内容のクロスライセンス

(例えば、「c社は、B製品の特殊品を製造してはならず、d社は、B製品の一般品を製造してはならない。」)

であることを当然の前提にしているように思われます。

そして、このように、ライセンス対象特許とは無関係の製造まで一切禁止することは、特許権の行使とは認められず、独禁法違反になりうるのは当然であるように思われます。

契約書をドラフトしたり読んだりしたりするときに注意ですが、制限(例えば、西日本の顧客には売らない)の対象になっているのがどの商品なのか、ということで競争制限効果に決定的な違いが出ます。

案外、そういう基本的なことを見落としている(問題意識に上がっていない)例が見られます。

というわけで、旧ガイドラインの具体例は、そもそも、ライセンス対象特許の利用制限ではなく、特許とは無関係の製造販売をも禁じる例なのです。

これを逆に言えば、ライセンス対象特許の利用制限(区分許諾)は、そもそも特許権者はライセンスしない自由があることからすれば、区分的にでも特許されるだけまだ何も許諾されないよりまし(競争促進的)、ということができます。

それにしても、現行ガイドラインで旧ガイドラインの具体例を消してしまったのは、とても不親切だったと思います。

そして、山木編は、あいかわらず、かゆいところに手が届く解説がされていて、いまだに実務で大変重宝します。

新旧の流通取引ガイドラインの解説書を比べてもわかりますが、むかしのほうが公取委の職員の方は、思ったことを自由に、そして理論的にも深く、学術的に、書いていたように思います。

ガイドラインからとても大事な具体例がなくなってしまったり、30年くらい前と比べると、公取委はほんとうに木で鼻をくくったようなことしか言わなくなって、本当に残念だと思います。

公取委の職員の方々には、もうちょっと、先輩を見習って欲しいです。

2023年1月 5日 (木)

本当のコンプライアンス

最近の公取委の優越的地位濫用緊急調査で社名を公表された企業の反応を見ても思うのですが、良いことと悪いことを自分の頭で考えて判断できること、そして、もし公取委が間違っていると思うなら正々堂々とそれを主張できることが、本当のコンプライアンスの大前提ではないでしょうか。

お上に言われたからきっと悪いことなんだ、といって何も考えずに、いわば筋肉反射的に、「再発防止に取り組みます。」というのでは、本当のコンプライアンスとは言えないと思います。

悪いことだと人に言われたから謝る、というだけでは、何も考えていないのと同じです。

何も考えない企業は、事案が少し変われば、将来もまた似たようなことを繰り返すだけです。

「ほんとうは悪いと思っていなくても、お上に悪いことだと言われたらとりあえず謝っとくのが大人の対応なのだ(何を青臭いことを言ってるんだ)」という、面従腹背を是とする企業もあるのかもしれませんが、企業としてプレスリリースを出すということは、対外的なメッセージになるだけではなくて、中で働く従業員に対しても、強いメッセージになります。

従業員が、「うちの会社は、悪いと思っていなくても、とりあえず謝っとく会社なのだ。」と思うのと、「うちの会社は筋を通す会社なのだ。」と思うのとで、どちらがコンプライアンスが浸透するのかといえば、明らかに後者でしょう。

昔、公取委の新しいガイドラインが出たときにとある法律雑誌から解説記事の執筆依頼があって、批判的な記事を書いたところ、公取委に勤務経験のあった弁護士さんから、「先生、新しいガイドラインが出たときには、ひとまず褒めておくのがお作法ですよ。」と言われてびっくりしたことがあります。

そんな提灯記事は、社会的害悪(ゴミ)でしょう。

役所から指摘を受けたらとりあえず謝っとくとか、新しいガイドラインがでたらとりあえず褒めておくとか、思考停止もいいところだと思います。

企業も結局は人ですから、たとえば役所からの指摘に対してどのように反応するのかも、そのときの社長や法務部長の個人的資質にかかってくることも大いにあるでしょう。

とくに法律問題については社長は普通詳しくないですから、法務部の役割が大事です。

私が相談を受ける企業の中にも、「トップの方針なので」とおっしゃる法務の方がいて、多くの場合は法律をきちんとまもるという方向なので(お金をかけて弁護士に相談にくるのだから当然ですね)結構なことなのですが、中には、トップの方針を理由に必要以上に法律に縛られるようなことを目指そうとされることもあります。

そのような場合に、きちんとリスク分析をして、保守的にこうしようと合理的に決めているならよいのですが、ただ単に「トップの決定だから。」というのでは、法務部として大丈夫かな、と思ってしまいます。

サラリーマンは上司に逆らえないものなのかもしれませんが(ただし、そういう話をしたら「私はそんなことはありません。」とおっしゃった法務部員の方もいらっしゃいましたので一概にはいえません)、この点、企業内弁護士が増えてきたのは良いことです。

ピーター・ドラッカーも『新しい現実』などの著書で、知識労働者は専門知識によって移動の自由を手に入れた、と喝破しています。

最後は辞めてやるという気概がないと、筋を通すことはできないと思います。

たとえお上に指摘を受けても、本当に悪いことなのか自分で考えたり法務部に聞いてみたりすることが、トップマネジメントには必要だと思います。

また、骨太の法務人材を集めたり、法務部が物を言いやすい組織を作ることも大事でしょう。

そして根本的には、物の善悪を自分の頭で考える、ということが大事でしょう。

法律なんて、所詮、きちんと説明を受ければ誰にだって理解できるものです。

法律のしんどいのは、全体を体系的かつ理論的に理解することであって、特定の論点についてきちんと説明してもらっても理解できないということは稀だと思います。(結論に納得できない、ということは、立場の違いなので仕方ありませんが、理屈は理解できます。)

誰でも理解できるものでないと、民主主義社会における法律として成り立ちません。

(私がブログのサブタイトルで「誰にでも納得できる独禁法を目指します。」と謳っているのも、そういう願いを込めています。)

「AIがこう言っているから」というのは、法律の世界では絶対に成り立ちません。

この点は、科学技術や経済学と違います。

経営トップは、納得のいかないことがあれば、とことん法務部に説明させるべきなのです。

そして、法務部は、弁護士の言うことに納得できなかったら、とことん、弁護士に理屈を説明させるべきなのです。

そのようにして、法律問題については、誰だって、自分の頭で考えて自分で結論を出すことができるのです。

人に言われたからやめる、という人は、言われなければやめないでしょう。

これでは、本当のコンプライアンスとは言えません。

最近の公取委の優越的地位の濫用の運用は、理屈も何もあったものではないので、とくにこのようなことを感じるのかもしれませんが、今回述べたことは、べつに独禁法に限らず、すべてのコンプライアンスにあてはまることだと思います。

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