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2021年8月12日 (木)

ライセンス商品の価格拘束は当然に違法か?

知財ガイドライン第4の3(3)(販売価格・再販売価格の制限)では、

「ライセンサーがライセンシーに対し、ライセンス技術を用いた製品に関し、販売価格・・・を制限する行為は、ライセンシー・・・の事業活動の最も基本となる競争手段に制約を加えるものであり、競争を減殺することが明らかであるから、原則として不公正な取引方法に該当する(一般指定第12項)。」

と定められています。

「競争を減殺することが明らか」とまで言われてしまうと、ライセンス商品の価格拘束は例外なく違法になってしまうような印象を受けますが、実際にはそんなことはありません。

(なお、「競争を減殺することが明らか」であれば、論理的には、例外なく違法、となりそうなものなので、「原則として不公正な取引方法に該当する」というのは、いかにも中途半端な気がしますが(正当化事由を意図しているのでしょうか?)、その点は今回措きます。)

というのは、旧ガイドライン(特許・ノウハウライセンス契約に関する独占禁止法上の指針)に関する公正取引委員会職員による解説書である山木編著『Q&A特許ライセンスと独占禁止法』259頁では、ライセンサーによるライセンシーの特許製品販売価格の制限について、

「実施料を確保するという理由で本制限〔注・製品価格の制限〕が直ちに正当化されるものでないことは明らかであり、

特に、マルティプル・ライセンス契約〔注・複数のライセンシーに対するライセンス契約〕の場合において、

複数のライセンシーに対して本制限が課される場合には、ライセンシー間の価格競争が減殺される効果が大きい。」

とした上で、

「非独占のライセンス契約であって、当該ライセンス地域内でライセンサーがライセンシーと並行して特許製品を製造、販売しているような場合には、

ライセンサーがライセンシーの最低販売価格を制限しておかないと、そもそもライセンスをするインセンティブが減殺される場合もあり得ると考えられる。」

「このような場合に、独占禁止法上問題ないものとできるかどうかは、競争秩序に及ぼす影響をみて、個別具体的に検討されなければならない。

本制限が許容し得る場合として考えられるのは、上記のような一対一のライセンスであってライセンサー自身による同一地域内での実施を理由とする場合であり、かかる制限がなければライセンスをするインセンティブが減殺されるような場合に限られるものと思われる。

また、製品差別化が容易な製品であれば、販売価格を制限する正当化事由があるとは考えがたいところである。」

と解説されているのです。

これは理論に裏付けられた、すごくまともな解説だと思います。

まず、そもそも再販売価格拘束が違法である根拠(≒ライセンサーによるライセンシーの商品の販売価格の拘束がいほうである根拠)は、小売店間のブランド内競争が制限されるからです。

なので、小売店が1社の場合にはそのようなブランド内競争制限がもともとありえないので、再販売価格拘束は実質的な違法性を欠きます。

ですが公取委の「公式見解」(タテマエ)は、小売店が1社でも再販売価格拘束は原則違法だ、ということになっています。

それは理屈としておかしいんじゃないか、ということを、だいぶ以前に、上記解説書を引用しながら、このブログでも書いたところです(「相手方が1社の再販売価格拘束」)。

というわけで、ホンネのところでは、相手方1社の再販なんて公取委は取り締まるつもりはさらさらないし、ライセンシー1社の価格拘束についてはなおさらです。

ライセンス商品の価格を拘束しないとライセンサー自身の商品と価格競争になってしまい、そもそもライセンスのインセンティブが失われてしまう、というのがポイントです。

ライセンサーが商品を販売していない場合には、そういうことは起きませんし、そもそも商品価格を拘束するインセンティブがありません。

あるとすれば、ロイヤルティを売上の一定率と定めている場合には、価格が下がりすぎるとロイヤルティも減ってしまう、というのがありそうですが、実はこれはたいしたことはありません。

というのは、極端な場合として、特許が技術市場で独占的地位にあり、ライセンシーも商品市場で独占的地位なる場合を考えると、ライセンシーには独占価格よりも価格を下げるインセンティブはないからです。

あるいは、売上の一定率ではなく、定額でライセンス料を受け取ればいいだけの話です。

そうすれば二重限界化の問題も避けられて、社会的にも効率的だといえます。

ただ、これは、需要に不確実性がある場合などはうまくいかない(確実な売上が見込めないのに定額のライセンス料を支払うことをライセンシーが嫌うために、リスク中立的であれば成立する効率的なライセンスが成立しない)こともあるので、場合によっては難しい問題です。

ところで、1つの見方としては、「ライセンサーも商品を供給できるならライセンスがなくてもライセンサー自身が販売すればいいのだから、価格の制限を認めてまでライセンスのインセンティブを確保する必要はないのではないか?」というのが考えられます。

しかし、世の中そんなに単純ではありません。

仮にライセンサー自身に供給能力があっても、さまざまな制約(生産能力、販売網、ブランドイメージ、商品差別化、他の補完技術等)のために、他社にライセンス(も)したい、という場合は、実際にあります。

制約の代表例は、地理的差別化でしょう。

コンビニやピザ屋のフランチャイズをイメージすればわかるように、全国的な店舗網をライセンサーが自力で開発するのは大変です。

(なお知財ガイドラインは特許やノウハウのライセンスに関するものですが、商標のライセンスでも理屈は同じです。)

それが、ライセンシー候補者が広く全国に散らばっていると(地理的に差別化されていると)、ライセンスにより効率的に販売網を拡大できます。

そういうインセンティブを確保する必要があるかどうかの1つの物差しが、ライセンスをすることで市場への商品供給数量(売上ではありません)が増えるのかどうか、です。

もしライセンスで商品供給数量が増えるなら、そのライセンスは効率的である可能性が高く、そのインセンティブを確保する必要性も高いといえます。

次に、「一対一」という点も重要です。

というのは、ライセンシーが複数だと、ライセンシー間の競争確保にも配慮する必要があるからです。

ですがそれでも、ではライセンシーが複数なら絶対に価格拘束できないのかというと微妙なところで、たとえばもともとライセンシーが地理的に差別化されているような市場なら、ライセンシーは実質的には競争していない(それぞれ別市場)ともいえ、程度問題です。

複数ライセンシーにライセンスしたほうがライセンサーの収入(ロイヤルティ収入)が上がるのかどうかはそれこそケースバイケースで、1社で十分な販路を持つライセンサーならほかにライセンスをする必要はないでしょうし、ライセンシー同士を競わせた方がよい(それによりブランド間競争を活発化させたほうがよい)と考えれば、複数ライセンシーにライセンスすることになるでしょう。

といったような判断を、「一対一」の場合にはする必要がないわけです。

ライセンサー自身が商品も販売している場合には、ライセンシーにより売上を奪われてしまうことも考慮するでしょう(まあ、ロイヤルティ率を上げれば、商品売上げの目減りは相殺されるので、そのあたりを考慮してロイヤルティ率を決めるのでしょう)。

このようにいろいろ考えて、身内の間での喰い合いは避けつつ、新規需要の開拓(必ずしも競合他社から需要を奪うことに限られない)をするにはどうするのが最適かを考えながら、ロイヤルティ率や、販売価格や、販売地域、販売先を合意するのでしょう。

そして、商品市場(川下市場)での競争がある程度活発である限り、これらの制限が競争を制限することはあまり考えられません。

なので、価格の制限だけを悪者にする必要もないのですが、公取委実務では「価格は最も重要な競争手段」ということで、別格の扱いを受けています。

それ自体は理論的根拠もあるので必ずしも間違いではないのですが、一切例外を認めないというのは硬直的であり、そもそも価格拘束の何が問題なのかを理解していないからこそ平気で言える意見なのだと思います。

というわけで、昔の公取委の職員の方々は、こういうふうに、本当に知りたい大事なことをわりとストレートに書いてくれていたので助かります。

最近の解説書や解説記事は、どうも、タテマエが多くて、実務上は判断がブラックボックス化している印象があります。

なので、いつまでたっても古い文献が手放せない、という、笑えない状態になっています。

とある研究者の方にお聞きしたところ、昔は、公取委の職員の方々も学者が主催する勉強会などに積極的に参加されていたそうで、それが、最近の若い職員の方々はそういうのがすっかりなくなった、ということです。

個々人が勉強していないことが原因なのか、組織の締め付けが原因なのかはわかりませんが、どうも、書く人の個性が最近は失われているようにも思われます。

ただ、これも公取委の職員の方の名誉のために申し上げると、人によってかなり違いがあって、担当官解説一つ取っても、「さすがだなぁ」と思える人と、「これ、ほとんど前の記事のコピペじゃん」という人がいます。

いち読者の立場から申し上げると、やっぱり、説得力のある踏み込んだ文章を書かれる方は尊敬しますし、実際の事件で当たっても問題の本質が見えていてやっぱりさすがだと畏敬の念を持って接するのに対して、タテマエだけの人だと、「この人はタテマエしか言わない人だ」という目で見てしまいますし、ものの見方も表面的であるように思います。

というわけで、みなさんお立場はおありかと思いますが(担当官解説を踏み込んで書けるか書けないかは、チェックする上司の個性により大きく異なる、という話を聞いたことがあります)、自分のためにも社会のためにも、やっぱりよく考えて書いた方がいいと思います。

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