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2021年8月 4日 (水)

アマゾン事件判決の表示主体性に関する判示とアフィリエイト

アマゾンの景表法違反についての措置命令取消請求訴訟一審判決(東京地裁令和元年11月15日判決)では、アマゾンの表示主体性について、

「ア 本件においては,原告が,

①本件ウェブサイトを運営していること及び

②自らも,本件ウェブサイト上で,商品を販売していること

の各事実は,いずれも当事者の間に争いがない。また,当事者の間に争いのない事実及び弁論の全趣旨によれば,原告は,

③本件ウェブサイト上に,いつ,何を,どこに,どのように表示をするのかという仕組みを自由に決定することができること,

④原告と出品者が同一の商品を販売している場合,当該商品の販売価格は,原告が販売するものは原告が使用するシステムが,出品者が販売するものは出品者が,それぞれ決定し,原告が使用するシステムがした総合評価の結果に従って,1つの販売者が設定した販売価格が商品詳細ページの中央部分に表示される仕組みを構築していること,

⑤原告が販売者となっている商品について,○A 誰も参考価格を入力していない場合には,当該商品の商品詳細ページには参考価格は表示されない,○B ■■■■という仕組みを構築していることの各事実も認められる。

イ その上で,

⑥本件5商品については,いずれも原告が販売者であり,その旨が本件5商品の商品詳細ページにも表示されていたこと(「この商品は,Amazon.co.jpが販売,発送します。」との表示がされていたこと。前提事実(3)ア(エ))

も併せ考慮すると,

本件においては,原告が,一定の場合に二重価格表示がされるように本件ウェブサイト上の表示の仕組みをあらかじめ構築し,当該仕組みに従って二重価格表示である本件各表示が実際に表示された本件5商品について,原告が,当該二重価格表示を前提とした表示の下で,自らを本件5商品の販売者として表示し,本件5商品を販売していたのであるから,

原告は,本件各表示について,表示内容の決定に関与した事業者といえるのであって,本件各表示の表示者は,原告であると認められる。」(公開版判決p82~83)

と判示されています。

短くまとめると、アマゾンは、

①本件ウェブサイトを運営している

②本件ウェブサイト上で商品を販売している

③本件ウェブサイト上に,いつ,何を,どこに,どのように表示をするのかという仕組みを自由に決定することができる

④販売価格が表示される仕組みを構築している

⑤〔「参考価格」の表示の仕組み〕

⑥本件5商品を販売しており,その旨が本件5商品の商品詳細ページに表示されていた

ことから、アマゾンは、

(A)二重価格表示の仕組みを構築し,

(B)当該仕組みに従って二重価格表示である本件各表示が表示された本件5商品について,当該二重価格表示を前提とした表示の下で,自らを本件5商品の販売者として表示し,本件5商品を販売していた

ので、

アマゾンは,本件各表示について,表示内容の決定に関与した事業者といえる

ということです。

ここで、③(仕組み決定権)と、④(仕組み構築)と⑤(「参考価格」の表示の仕組み)は、①(サイト運営)から必然的に帰結するので、論理的には余分(無意味)です。

あるいは、「あれば役に立つかもしれないけれど、必須ではない」というくらいの扱いです。

次に、②(商品販売)については、商品供給主体性の話なので、現在の景表法の標準的な解釈によれば表示主体性とは無関係であり、表示主体性の根拠として挙げるのは不適切だと思います。

もし、旧来型の、ベイクルーズ事件のような、商品に貼り付けるラベルの記載の表示主体性が問題になっている事案なのであれば、商品に添付されるラベルの内容を決定できるのは商品供給者であろうという推認がはたらくので、商品供給主体性が表示主体性に直結するということはありえますが、本件のように、ウェブサイトでの表示が問題になっている場合には、商品供給主体かどうかは、そのサイトにおける表示の表示主体性の問題とは、基本的に関係がないように思われます。

次に、⑥(販売主体性の表示)については、これも、商品供給主体が表示主体であるとの推認がはたらく商品添付のラベルのような事案であれば表示主体性の判断に関係するかもしれませんが、本件のような、ウェブサイトにおける表示の表示主体性が問題になっている事案においては、販売者が誰なのかと同様、販売主体を誰と表示しているのかということは、表示主体性の認定とは関係がないように思われます。

そもそも、アマゾン事件判決が依拠しているベイクルーズ事件判決の1つの特徴は、表示主体性は当該事業者が表示内容の決定に客観的事実として関与しているかどうかできまるのであって、表示主体を誰と表示しているのかは表示主体性の認定において考慮しない、という点にあります(明言はしていませんが)。

このように、ベイクルーズ事件判決に従えば、表示主体を誰と表示しているのかが表示主体性認定において考慮されない以上、それよりもさらに遠い、商品供給主体を誰と表示しているのかが考慮されるはずがないと思われます。

以上をまとめると、アマゾン事件判決は、①(サイト運営)だけで表示主体性が認められる、という判決であることがわかります。

「そんなことはないだろう。判決はアマゾンの仕組み構築などを重視しているじゃないか。」という反論があるかもしれませんが、そんなことはありません。

というのは、判決p87で、他のインターネットモールの事例(たぶん楽天)においては二重価格表示の仕組みを利用した出品者が表示主体とされているじゃないかと主張したのに対して、

「イ(ア) 原告は,他のインターネット上の小売業者に関する二重価格表示の事例(甲33)においては,当該小売業者が二重価格表示を可能とする仕組みを構築したにもかかわらず,当該仕組みを利用した出品者が表示主体であるとされているから,二重価格表示を表示する仕組みを構築したか否かは,表示主体性を判断するに当たって考慮される要素ではない旨主張する。

しかし,証拠(甲33)によれば,原告が指摘する事例においても,

消費者庁は,本件ウェブサイトと同様のウェブサイトを運営するインターネット上の小売業者〔たぶん楽天〕に対して景表法違反とならないための必要な措置を講じることを要請したという事実関係があったことが認められるにとどまるのであり,

消費者庁が,当該ウェブサイトにおける二重価格表示について,当該ウェブサイトを運営するインターネット上の小売業者が当該表示の表示者ではない旨を明らかにしたなどの事実関係が認められるものではないから,原告が指摘する事例は,原告の主張するところに沿うものとは認められない。」

と判示されているのです。

つまり、(たぶん)楽天の事案でも、消費者庁はサイト運営者が表示主体になると言っている(表示者にならないとは言っていない)、というのが判決の理解であるわけです(別途商品供給主体性の検討は必要)。

というわけで、アマゾン事件判決は、本音のところでは、①(サイト運営)の事実だけで表示主体性が認められる、と考えていると思われます。

そのほかの、二重価格表示がされる仕組みの構築などの点については、表示内容の決定への「関与」をより強める事情(納得感を強める事情)であるに過ぎない、というべきでしょう。

次に、アマゾン事件判決の考え方に従えば、アフィリエイトプログラムにおける表示主体はどのように判断されるでしょうか。

単純に考えれば、二重価格表示の仕組みを構築したアマゾンが表示主体となるのですから、アフィリエイトプログラムの仕組みを利用した広告主も表示主体となる、というのが穏当な結論でしょう。

ただ、ベイクルーズ事件判決の基準をアマゾン事件にまで適用するのは納得できますが、アフィリエイトプログラムにまで単純な論理に従って広げて良いのか(アフィリエイトはベイクルーズ事件判決の射程内か)は、疑問があります。

というのは、ベイクルーズ事件は、ズボンに付けたタッグと下げ札の表示が問題になった事件です。

この場合、誰が見ても、そのタッグと下げ札は供給主体(八木通商またはベイクルーズ)が付けたものであることがあきらかであり、その表示内容を商品供給主体が決定していることも、外形上ほぼ明らかです。

ベイクルーズ事件判決は、このような事実関係を当然に(暗黙に)前提としています。

外形上、その商品の広告(表示)であることが明らかだからこそ、「表示内容の決定に関与」という、ゆるい基準でも問題なかったといえます。

もう少し細かく見ると、ベイクルーズ判決は、

「上記の「他の事業者にその決定を委ねた事業者」とは,⾃⼰が表⽰内容を決定することができるにもかかわらず他の事業者に表⽰内容の決定を任せた事業者をいう」

と述べています。

この、「自己が表示内容を決定することができる」というのは、商品に付けるタッグや下げ札だからこそいえるものです。

さらに細かく言えば、もし八木通商がタッグも下げ札もないズボンをベイクルーズに販売し、ベイクルーズが自分でタッグと下げ札を付けて、そのタッグと下げ札に不当表示があった場合、八木通商が表示主体になるのか、というと、やや微妙です。

(実際の事件では、ベイクルーズがタッグと下げ札を付ける作業を八木通商に委託して八木通商自身が付けているので、八木通商は問題なく表示主体になりました。)

場合を分けて考えると、実際の事案のように、八木通商が原産国をイタリアとベイクルーズに説明していたとしても、八木通商は表示主体にはならないように思われます。

というのは、八木通商は表示物(表示内容ではなく)を作出していないからです。

ましてや、もし原産国とは関係のない表示についてベイクルーズがタッグと下げ札に不当表示をしたときは、八木通商は表示主体にならないでしょう。

これをベイクルーズ判決になぞらえて言えば、八木通商は、自己が引き渡したあとの商品については、「自己が表示内容を決定すること」ができない(表示内容決定権限がない)、ということになると思われます。

この「自己が表示内容を決定することができること」(表示内容決定権限)は、基本的には、取引界の実態に即して常識的に決められるべきものと思われます。

つまり、当事者間の契約は、一つの判断要素にはなるけれども、決定的な要素ではない、ということです。

たとえば、もし八木通商とベイクルーズとの間の契約書に、「ベイクルーズが商品にタッグを付けるときには、その内容について事前に八木通商の了解を得ること」というような、八木通商の表示内容決定権限を根拠づける条項が仮にあったとしても、それだけでは、八木通商が当然に表示主体になることはないと思います。

ベイクルーズが八木通商に無断で下げ札の内容を決定した場合は八木通商が表示主体にならないのは当然でしょう。

この場合まで、契約上表示内容決定権限があったからといって八木通商を表示主体とするのは、取引の常識に照らして厳しすぎます。

そして、ベイクルーズが下げ札の表示内容について事前に八木通商の了解を得ていたり、八木通商が表示内容を事実上知っていたりしても(お店に並んでいれば誰でも知り得ますし、インターネットで販売していたらネットで下げ札を見ることもあり得るでしょう)、やはり、八木通商を表示主体にすべきではないでしょう。

というのは、いったん引き渡した商品についてあとからどういう表示がなされるのかについてまで、いつまでも気を配らないといけないというのは、常識に照らしておかしいと思われるからです。

このように考えると、「自己が表示内容を決定することができること」(表示内容決定権限)については、アマゾン事件ではアマゾンに肯定されて然るべきでしょう。

商品が売られているのも、表示がされているのも、アマゾンが運営しているサイトですから、アマゾンが「表示内容を決定することができること」(表示内容決定権限があること)は、(仕組み構築の有無にかかわらず)明らかだからです。

いわば、アマゾンの表示は、商品についているタッグや下げ札に非常に近いです。

では、八木通商やベイクルーズがタッグや下げ札の表示内容を決定することができるというのと同じ意味において、アフィリエイトプログラムを利用する広告主がアフィリエイターの記事の内容を自ら決定することができると言えるのか、といえば、言えないと言わざるを得ないと思われます。

ここで問題は、「表示内容」と言うことの意味をどう考えるか、です。

1つの考え方は、「表示内容」は、不当表示に該当するかが問題になっている表示の内容である、という考え方です。

理由は、景表法は不当表示にしか関心がないのだから、不当表示の土俵だけで議論すればいい、ということです。

この考え方に従えば、不当表示に該当する表示内容について広告主に是正権限があれば、広告主が「表示内容を決定することができる」ことになります。

別の考え方としては、「表示内容」は、不当表示になるかどうかにかかわらず、文字どおり、表示内容全てを意味する、という考え方です。

この考え方は、「表示内容」という言葉の意味には忠実です。

そして、この考え方に従えば、広告主がアフィリエイターの記事のうち不当表示に該当する部分についてだけ是正を求めることができる(不当表示に該当しない限りアフィリエイターが自由に内容を決めてよい)、という場合には、広告主は「表示内容を決定することができる」ことにはならないと思われます。

そして実際には、広告主がアフィリエイターの記事の内容全般にわたって指示することができる、というようにはなっていません。

ということは、「⾃⼰が表⽰内容を決定することができる」というベイクルーズ判決の基準では、アフィリエイトにおいて広告主を表示主体とすることはできないのではないか(少なくとも、当然にできるとベイクルーズ判決を読むことは不適切ではないか)、ということです。

つまり、アフィリエイトにおいて広告主を表示主体とするためには、ベイクルーズ判決を一歩踏み越えないといけません。

ただ、ベイクルーズ判決自体が、

「「表⽰内容の決定に関与した事業者」とは,「⾃ら若しくは他の者と共同して積極的に表⽰の内容を決定した事業者」のみならず,「他の者の表⽰内容に関する説明に基づきその内容を定めた事業者」や「他の事業者にその決定を委ねた事業者」も含まれるものと解するのが相当である」

というように、あくまで「他の事業者にその決定を委ねた事業者」というのは例示であることを明らかにしていますので、「自己が表示内容〔の全部〕を決定することができる」というのが、「表示内容の決定に関与」の絶対の要件であるというわけではありません。

このように考えると、アフィリエイトの広告主を表示主体とするためには、ベイクルーズの3類型に加えて、第4類型を作るしかない(あるいは、作った方がいい)と思われます。

仕組みを構築したこと(私の読み方では、サイトを運営していること)で表示主体性を認めるアマゾン判決は、すでに第4類型に半歩踏み出しているのかもしれません。

というのは、確かにアマゾンの仕組みでは「参考価格」の入力画面があったので、二重価格表示がやりやすかった、という事情は認められますが、別に何の仕組みも作らないで各出品者が自由に表示できるサイトだってありうるわけで、その場合に二重価格表示が行われたときも、二重価格表示を可能とするサイト表示の仕組みを採用した(二重価格表示ができないようにはしなかった)と、言おうと思えば言えるわけです。

いわば白紙委任です。

とすると、やはり、実質的な意味での表示内容決定権限があったことが必要なのではないかと思われますし(アマゾン事件では肯定されるでしょう)、もう一つ、どの範囲の表示にまで事業者は責任を負うべきか(表示の責任範囲)という問題を正面から考えざるを得ないように思われます(アマゾン事件では自社サイトだったので、これも認定は容易でしょう)。

たとえば、八木通商は、商品を引き渡したあとにベイクルーズが付ける表示にまで責任を負うのか、という問題です(結論は否定すべきでしょう)。

この、表示の責任範囲ということを正面から捉えれば、アフィリエイトプログラムを利用する広告主は、自らお金を出してアフィリエイト広告を書かせているわけですから、アフィリエイト広告の内容に当然責任を負う、というべきでしょう。

インターネットにおいては、ベイクルーズ判決がいうような、消費者は商品に付された表示を信じるしかないという事情もないですし、インターネットの性質からしても、商品と表示の距離は責任範囲の判断において考慮する必要はないでしょう。

アマゾン事件でもアマゾンは、表示の数が多すぎて管理できないと反論して退けられていましたが、アフィリエイトでも事情は同じで、アフィリエイトサイトの数が多いから管理できないというのは、言い訳にはならないというべきでしょう。

強いてアマゾンとアフィリエイトの違いを探せば、アマゾンは自社サイトでの表示(それだけ責任範囲に入りやすそう)だったのに対して、アフィリエイトの場合は広告主からすれば見ず知らずのアフィリエイトサイトでの表示だった、という違いがありますが、これも取るに足りない違いだと思います。

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