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2021年8月17日 (火)

「新ブランダイス学派」について

最近新聞などで、「新ブランダイス学派」という言葉をみることが増えました。

東大の大橋先生の著書、

『競争政策の経済学 人口減少・デジタル化・産業政策』

の17頁には、

「競争当局に対してさらなる競争政策の執行強化を望む声が高まるなか、シャーマン法の成立当初の精神に立ち戻り、巨大企業の存在それ自体を民主主義への危機と捉えて排除すべきとする『新ブランダイス学派』と呼ばれる考え方も登場しており、そうした見方が一定の支持を集める事態にもなっている。」

と紹介されています。

反トラスト法の○○学派といえば、ハーバード学派とシカゴ学派とポストシカゴ学派が思いつきますが、この3つはいずれも主として経済学の土俵での立場の違いであるのに対して、新ブランダイス学派は純粋に法的ないし政治的な土俵での運動なのだと思います。

つまり、相撲を取る土俵、あるいは、問題を分析する視角が違います。

ということは、ハーバード学派とシカゴ学派とポストシカゴ学派との間では、経済学という土俵において、どちらが優れているという議論が成り立ちますが、新ブランダイス学派については、そういう比較はちょっと成り立たないように思います。

ということは、新ブランダイス学派の時代になったからといって、シカゴ学派やポストシカゴ学派がいらなくなるというわけではない、ということです。

もっとストレートにいえば、経済学の重要性はいささかも失われないであろう、ということです。

競争法が実現しようとする利益にはいろいろなレベルがあって、新ブランダイス学派が重視するのは、民主主義と社会的な富の偏在の解消でしょう。

これに対して経済学が重視するのは、基本的には効率性です。

そして、巨大ITなど、新ブランダイス学派が問題視するのはまさに民主主義の脅威と格差の問題でしょう。

でも、それらの問題は巨大ITくらいになってはじめて問題になり得るのであって、競争法の圧倒的多数を占める事件においては、依然として、効率性(余剰の最大化)が重要な目標であることに変わりはありません。

日本の優越的地位の濫用では地方の一スーパーが違反者になるので、「民主主義」とか、社会的な「富の偏在」とはまったく関係がありません。

日本では、大阪の八尾空港での給油業務のような、ガソリンスタンド1基分にも満たないような「市場」での排除まで「私的独占」として公取委が命令を出すので、「大きいことは悪いことだ」という新ブランダイス学派の考え方とはまったく違います。

なので、日本では新ブランダイス学派の考え方が影響する余地はない(実務はそれよりはるかに低いレベルで違法にしている)のですが、なかには、経済学が苦手な人の中からは、「これからは日本の独禁法でも経済学の占める地位は限定される(あるいは、なくなる)べきだ」という意見や、そこまではっきりいわなくてもそういう雰囲気が出てこないとも限りません。

ですが、繰り返しますが、競争法において経済学の重要性はいささかも失われるべきではありません。

むしろ今まで以上に重要になるといってもよいと思います。

というのは、経済学を知らない法律家が「大きいことは悪いことだ」というと、本当に気分だけになってしまい、客観的なモノサシがないので、とても危険です。

「Curse of Bigness」というのはティム・ウー教授くらいの経済学もわかっているひとがいうから説得力があるのであって、余剰分析の基本すら知らないような人が同じことを言ったら、たんなるポピュリズムになってしまいます。

下手をしたら、CEOがビル・クリントンみたいに人に好かれるタイプか、リチャード・ニクソンみたいに嫌われるタイプかで事件の結論が代わってしまう、ということもありえるでしょう(まあ人間のやることですから、経済学を使っても同じことになるかもしれませんが)。

私自身は、GoogleがYouTubeを買収したときも、果たしてこれを許して良いんだろうかという気持ち悪さを感じましたが、同時に、全然市場で競合関係にないので経済学的視点からは問題があることになるはずもないだろうな、とも思いました。

ですが、経済学が根底にあるから客観的な議論ができるのであって、もし、えもいわれぬ気持ち悪さだけで判断していたら、もやは法律ではありません。

(最近は、ようやく、ビッグデータやプラットフォームをよりどころにした広告市場や取引先の搾取という視点が提供されるようになりました。)

それに、繰り返しますが、地方スーパーや八尾空港などのレベルの事件は、新ブランダイス学派は歯牙にも掛けません。

というわけで、日本の独禁法実務の圧倒的多数においては新ブランダイス学派は無関係ですし(反トラスト法ではこれこそが本流)、新ブランダイス学派が関心を示すような巨大ITの事件でも、やはり経済学は重要だと思います。

むしろ、新ブランダイス学派の主張をサポートするような経済学の議論とかモデルが早く出てこないかなと期待しています。

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