« 消費税のインボイス制度非登録事業者に対する値下げ要求と下請法 | トップページ | アフィリエイト・プログラムの表示主体と他の表示形態の比較 »

2021年7月18日 (日)

アフィリエイト広告における表示主体

アフィリエイト・プログラムにおいて、商品役務提供者(いわゆる広告主)が、アフィリエイターの作成した記事(アフィリエイト広告)の表示主体になるのかが問題になり、消費者庁の「アフィリエイト広告等に関する検討会」でも議論されています。

この問題について西川編『景品表示法〔第6版〕』(緑本)p54では、

「広告主について、当該商品等の供給主体性が認められることは当然であるが、

表示主体性についても、

自らもしくは他の者と共同して積極的に表示の内容を決定した場合だけでなく、

他の事業者にその決定を委ねた場合等においては、

表示内容の決定に関与しているものとして表示主体性が肯定される。」

と説明されています。

しかし、(どのような場合に表示内容の決定を「委ねた」ことになると考えるか、にもよりますが、「委ねた」を常識的な意味で理解する限り)私はこの解説は問題があると思っています。

この、「その〔=表示内容の〕決定を委ねた場合」というのは、いうまでもなく、ベイクルーズ判決からきています。

同判決では、

「「表示内容の決定に関与した事業者」が法4条1項の「事業者」(不当表示を行った者)に当たるものと解すべきであり,

そして,「表示内容の決定に関与した事業者」とは,

「自ら若しくは他の者と共同して積極的に表示の内容を決定した事業者」

のみならず,

「他の者の表示内容に関する説明に基づきその内容を定めた事業者」

「他の事業者にその決定を委ねた事業者」

も含まれるものと解するのが相当である。

そして,上記の「他の者の表示内容に関する説明に基づきその内容を定めた事業者」とは,

他の事業者が決定したあるいは決定する表示内容についてその事業者から説明を受けてこれを了承し

その表示を自己の表示とすることを了承した事業者

をいい,

また,上記の「他の事業者にその決定を委ねた事業者」とは,

自己が表示内容を決定することができるにもかかわらず

他の事業者に表示内容の決定を任せた事業者

をいうものと解せられる。」

と判示しました。

そこで緑本は、アフィリエイト・プログラムにおいては、商品役務提供者(広告主)が、「他の事業者にその決定を委ねた事業者」にあたる場合には、商品役務提供者(広告主)の表示主体性が肯定される、としているのです。

しかしそもそも、ベイクルーズ判決は、アフィリエイト・プログラムのような、アフィリエイターが自分自身の表示として(記事風広告を)表示するようなケースを想定していないと思われます。

ベイクルーズ判決は、

①自ら若しくは他の者と共同して積極的に表示の内容を決定した事業者(=表示内容を自分で考えて決めた人)

②他の者の表示内容に関する説明に基づき表示の内容を定めた事業者(=表示内容の説明を受けて、自分で表示内容を決めた人)

③他の事業者に表示の内容の決定を委ねた事業者(=表示内容を他人に決定させた人)

の3つが表示主体になるとしています(厳密には、この3つは表示内容の決定の関与の例示なので、そのほかの関与形態もありえますが、ひとまず無視しておきます)。

緑本は、アフィリエイト・プログラムを使う商品役務提供事業者(広告主)は、

③他の事業者に表示の内容の決定を委ねた事業者

にあたるとしており、これはベイクルーズ判決によれば、

自己が表示内容を決定することができるにもかかわらず

他の事業者に表示内容の決定を任せた事業者

ということになります。

しかしながら、前述のとおり、ベイクルーズ判決は、アフィリエイト・プログラムのような場合を想定していません。

つまり、ベイクルーズ判決の①②③の基準はいずれも、商品役務提供者(広告主)が、問題となる表示を、自己の表示として表示することを当然の前提にしていると考えられます。

そのことは、基準②の具体的な説明のところで、

「他の事業者が決定したあるいは決定する表示内容についてその事業者から説明を受けてこれを了承し

その表示を自己の表示とすることを了承した事業者」

というところに偶然現れていますが、①③の基準でも、②と区別する理由はなく、「自己の表示とする」ことは当然の前提であると考えられます。

とくに、③の「他の事業者に表示の内容の決定を委ねた事業者」でも、表示は商品役務提供者(広告主)自身の表示であること(つまり、③は、「他の事業者に、広告主自身の表示の内容の決定を委ねた事業者、であること)が重要です。

アフィリエイト・プログラムでは、アフィリエイターが書く日記風記事は、アフィリエイター自身も自分が責任を持って作成した表示であると認識しているでしょうし、商品役務提供者(広告主)も、アフィリエイターの書く日記風記事を広告主自身の表示であるとは認識していないでしょうし、一般消費者も、アフィリエイターの書く日記風記事を広告主の表示であるとは認識していないでしょう(むしろ、アフィリエイターが広告主から報酬をもらっているという関係にあることすら、一般消費者は認識できないのが通常でしょう)。

というわけで、関係者のいずれの認識に照らしても、日記風記事をアフィリエイター自身の創作能力に基づき作成する通常のアフィリエイト広告においては、アフィリエイターが作成した日記風広告は商品役務提供者(広告主)の表示ではない、と考えざるを得ないと思われます。

もちろん、商品役務提供者(広告主)が、「こういう内容で書いてね」とアフィリエイターに指示して、その指示の内容が虚偽であり、その指示に従ってアフィリエイターが記事を書いたためにアフィリエイト広告(日記風記事)も不当表示になった、という場合には、アフィリエイターはいわば広告主の手足となって表示を作成しているだけですし、広告主もその記事は「自己の表示」という認識でしょうから、広告主が表示主体になるということでよいと思います。

しかしながら、世の中で今問題になっているアフィリエイト広告の大部分は、アフィリエイターが好き勝手やって広告主のチェックが及ばない、というパターンでしょうから、アフィリエイト広告(アフィリエイターの作成した日記風記事)を広告主自身の表示だというのは、とうてい無理があります。

もし、消費者庁が、「広告主は、(明示または黙示の契約あるいは条理(?)により)アフィリエイターの記事の内容をチェックできたのだから、表示内容の決定に『関与』しているのだ」というとすれば、「関与」の有無にだけ目が行っていて、その前提として、委ねるのは(アフィリエイターの広告内容の決定ではなく)広告主自身の表示の内容の決定でなければならないことを見落としていると言わざるを得ません。

このように、ベイクルーズ判決の③は、商品役務提供者(広告主)自身の表示の内容の決定を委ねている(より一般的には、表示内容の決定に「関与」している)という前提があるからこそ、「委ねる」、「関与」、の意味を緩やかに解しても常識的な結論に落ち着くのであり、この前提を外してしまうと、とんでもなく商品役務提供者の責任が広がってしまいます。

つまり、「自分の表示には責任を持て」ということです。

たとえば、メーカーが小売店を通じて商品を供給している場合に、もし、(メーカー自身の表示ではなく)小売店の表示(例、POP表示)の内容の決定を小売店に「委ねた」というだけで、メーカーが小売店の表示についてまで不当表示の責任を負わなければならないとしたら、責任範囲が広すぎます。

ここでの「委ねた」の意義は、ベイクルーズ判決によれば、

「自己が表示内容を決定することができるにもかかわらず他の事業者に表示内容の決定を任せた事業者」

なので、メーカーが小売店の表示内容を決定できる必要がありますが、緑本の、

「広告主〔の〕・・・表示主体性についても、・・・他の事業者にその決定を委ねた場合等においては、

表示内容の決定に関与しているものとして表示主体性が肯定される。」

という書きぶりからは、アフィリエイト・プログラムにおいては広告主がアフィリエイト広告の内容まで具体的に決定する権限を有していた(けれどアフィリエイターに任せた)場合にだけ「委ねた」にあたると考えている様子はうかがえません。

もし具体的な決定権限まで有していないと「委ねた」にあたらないとすると、アフィリエイト広告の内容はアフィリエイターが作成する通常のアフィリエイト・プログラムでは広告主の責任はまず認められないことになってしまいます。

むしろ、緑本の記載は、アフィリエイト広告の内容をチェックする権限すらなくてもいい(「委ねた」にあたりうる)、という意味であると解釈するほうが自然なくらいです(チェック権限には何ら触れていないので)。

かえって緑本p54では、

「この点、広告主がアフィリエイターに対して「虚偽・誇大な内容を記載しないこと」「関係法令を遵守すること」等の一般的・抽象的な指示文書等を交付していたとしても、そのことによって広告主の表示主体性が否定されることにはならない。」

とされており、このような指示文書を交付しているだけで実際にはチェックしていない場合やチェック権限が明確に定められていない場合でも、広告主の表示主体性は肯定されると読めます。

このように、「委ねた」を緩やかに解すると、つまり、

「自己が表示内容を決定することができるにもかかわらず他の事業者に表示内容の決定を任せた事業者」

の意味を緩やかに解すると、メーカーが小売店に「虚偽・誇大な表示をしないこと」という指示をしていただけで、メーカーの表示主体性が認められることになりかねません。

アフィリエイト・プログラムは、インターネット独特な広告手法ではありますが(アフィリエイト・プログラムの仕組みについては、消費者庁の検討会の事務局資料がわかりやすいです)、同じような構造はインターネット以外の、通常のメーカーと小売店の間でも生じるのですから、そこまで影響がおよぶことを考慮して議論しないといけません。

あるいは、メーカーが、(社員ではなく)外部の会社にプロモーション業務を委託したら(消費者への販売はメーカー自身が行う)、その委託先がメーカーの知らないところで不当表示をやっていた、というのがイメージとしては近いかも知れません。

それから、消費者庁の立場は、景表法では商品役務提供者しか不当表示の主体にはなれないことから、妥当な結論を導くために、多少無理筋でも商品役務提供者自身が表示をしていることにしてしまおう、という発想が透けて見えるように思えます(価値判断としては理解できなくはないですが)。

しかしながら、アフィリエイターの責任を追及できないからといって、商品役務提供者(広告主)の責任を広く認めようというのは、筋違いというか、発想が安直というか、少なくともいろいろなところで綻びが出てくるように思います。

たぶん、メーカーと小売店の場合に、小売店が自己の表示について不当表示を行ったからといって、「小売店の広告はメーカーの広告でもあるのだからメーカーも表示主体にすべきだ」という議論は起こらないでしょう。

これは、誰が考えてもこの場合は小売店の責任を問えば足りるからです。

でも、根本的な構造は小売店もアフィリエイトも同じだと思います。(とくに緑本の解説を前提にすると。)

まとめると、ベイクルーズ判決の①②③の基準は広告主自身の広告であることが前提であり(実際の事案がそうです)、広告主自身の広告とはいいがたいアフィリエイトの場合には、少なくとも直接的には適用されないと思われます。

適用されるとすれば、広告主がアフィリエイト広告の記載内容をアフィリエイターに指示して、アフィリエイターを自己の手足として使った場合くらいでしょう。

これなら、商品役務提供者が口コミサイトへのレビューを業者に委託する場合と同じように考えられます。

ですが、そこから、アフィリエイト広告(アフィリエイターが作成する記事風広告)が一般的に商品役務提供者自身の広告であるということまで導くのは相当無理があります。

(ところで、ここまで書いていて何ですが、緑本p54では、「広告される商品等を供給する事業者」を「広告主」と呼んでおり、私もその用例に従っているのですが、これだと、アフィリエイト広告(アフィリエイターが作成する記事風広告)の「主」のような印象を与えかねないので、あまりいい用語法ではないですね。業界で「広告主」と呼び習わされているので、業界の人にはわかりやすいのでしょうけれど。)

私の考えるところでは、表示行為というのは、表示内容の決定と、実際の表示行為(狭義の表示行為、あるいは、事実行為としての表示行為)からなります。

模式的に表せば、

広義の表示行為=表示内容の決定+狭義の表示行為

です。

ベイクルーズ判決が言っているのは、「表示内容の決定」に、広告主自身が頭をひねって考えて決める場合(①)と、他人の説明を聞いて自分で決める場合(②)と、他人に決めさせる場合(③)の3つがある、ということでしょう。

そして、表示は自己の表示(いわば表示の責任主体が自己であること)であることが前提となっている、というのは、この「表示内容の決定」が、「自己の表示の内容の決定」でなければならない、ということです。

これに対して、「狭義の表示行為」については、たとえば新聞等の媒体が行う場合には、「自己の表示の表示行為」ではないですが、「狭義の表示行為」にはあたる、と考えられます。

つまり、「狭義の表示行為」については、「自己の表示の表示行為」に限らない、ということです。

このように、表示内容の決定と、事実行為としての表示行為(狭義の表示行為)を分けて議論したほうが、混乱がなくていよいと思います。

そして、ベイクルーズ判決はあくまで商品役務提供者自身の表示(下げ札)であることには争いのない事案において、表示内容の決定が3パターンあるといっているだけであり、「他人であるアフィリエイターの表示行為について、商品役務提供者はどこまで責任を負うのか」という問題は、ベイクルーズ判決とは次元の異なる問題だと思います。

もちろん、隅々まで管理が及ばないことも含め、アフィリエイト・プログラムのそのような仕組みを知りながらアフィリエイト・プログラムを利用する以上、アフィリエイト・プログラム利用者(商品役務提供者)が全責任を負うべきだ、という議論はあってもおかしくないと思いますが、ベイクルーズ判決から論理必然に結論を導く緑本の解説は、やはり問題があると思います。

« 消費税のインボイス制度非登録事業者に対する値下げ要求と下請法 | トップページ | アフィリエイト・プログラムの表示主体と他の表示形態の比較 »

景表法」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 消費税のインボイス制度非登録事業者に対する値下げ要求と下請法 | トップページ | アフィリエイト・プログラムの表示主体と他の表示形態の比較 »

フォト
無料ブログはココログ