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2021年7月16日 (金)

ティム・ウー『巨大企業の呪い』(The Curse of Bigness)を読んで

バイデン米大統領の特別補佐官に任命されたティム・ウーの掲題の書籍を(原書で)読みました。

第二次大戦からの歴史を振り返りながら、ナチスへの批判ないし反省から欧州で生まれたオルド自由主義がシカゴ学派をはじめとする新自由主義(ネオ・リベラリズム)に置き換わったために、いかにイノベーションが阻害されてきたかが、コンパクト(※本文はコンパクトですが(原書では)脚注の参考文献がすごい量です。)かつ説得的に論じられており、とても勉強になりました。

印象に残ったことはいくつもあるのですが、たとえば、IBMがマイクロソフトのMS-DOSを採用する際に排他条件を付けなかったのは当時IBMが司法省から反トラスト法の調査を受けており、排他条件を付けると反トラスト法違反とされるのではないかとおそれたからだった、というのが積極的な競争法適用がいかにイノベーションを促進してきたかを示すものとして、とても興味深かったです。

もしIBMが排他条件を付けてMS-DOSをIBM製のパソコンにしか搭載できないようにしていたら、今のようなパソコンの時代や、インターネットの時代も来なかったでしょう。

反トラスト法の執行というのは、未来を書き換えてしまうことがよくわかります。

同書によると、同じくIBMがパソコンを発売するときに、ハードウェアとソフトウェアを別々に売ることにしたのも、反トラスト法調査が原因で、そのおかげでソフトウェア産業が生まれたということです。

有名なアルコア事件も、独占を解体することでイノベーションを促進する背後の意図があり、そのほかのスタンダードオイルやAT&Tやマイクロソフトなんかも同様で、そのおかげでどれだけイノベーションが促進されたかが鮮やかに描かれています。

ただ、マイクロソフトについては共和党のレーガン政権になってから同社の解体までには至らず中途半端に終わり、そのため、イノベーションが阻害された、とされています。

世界中の国がナショナルチャンピオンを育てようとしている時代にAT&Tなどを解体しようとするなんて、一見常識に反するようですが、結果的には、それがさまざまなイノベーションを生んだことは歴史が示している、というのが著者の主張です。

日本の財閥のことも紹介されていて、もちろん著者は財閥には批判的で、財閥はイノベーションを阻害し労働者を搾取していた、としています。

また、戦後の財閥解体は、結局朝鮮戦争と、日本を中ソの対抗軸にしようという米国政府の占領政策の変更によって中途半端におわった、とされています。

私は、同書で批判されているRobert BorkのAntitrust Paradoxも読みましたし、シカゴ学派やポストシカゴ学派のエレガントな経済学のモデルには強く惹かれるのですが、同書のいうように、結局大企業の独占によって貧富の差は拡大したし、イノベーションは阻害されたし、そのことは歴史が示しているじゃないか、といわれると、確かにそうかなと思います。

シカゴ学派は効率性が競争法の唯一の目的だといい、Antitrust Paradoxでボークはシャーマン法の立法過程がそれを裏付けている、というのですが、シカゴ学派に好意的な私でもこの部分はさすがに無理矢理だなあと思いましたが(川濵先生は「反トラストポピュリズムに関する覚え書き」という論文で、このようなボークの主張を、独占的高価格への批判についての片言隻句を寄せ集めたものだと評されていますが、まさにそんな感じです)、むしろ本書(『巨大企業の呪い』)のいうように、効率性が目的だなんてシャーマン法の立法過程ではまったく意図されておらず、大企業への力の集中が民主主義や個人の自己実現を脅かすのだという点を問題視してシャーマン法は立法されたのだ、というほうが史実に合っていると思います。

同書では、ブランダイス派の始祖(?)であるブランダイス判事にとって、人生の目的とは自己の人格を発展させることであり、同判事は理想的な民主主義とはそのような目的に適うものでなければならないと述べていた(原書46頁)、とされており、このような骨太な主張の前では、効率性を上げて大企業ばかりが儲かって結局個人の自由が奪われるような社会に何の意味があるだろう、という素朴な疑問が湧いてきます。

このあたり、経済学者の方はどのように考えているのかぜひうかがってみたいところです。

それから、この本を読んで思うのは、特に日本のような経済が成熟した国の経済的な面での未来を決めるのは経産省の産業政策ではなく公取委による競争政策なんだろうな、ということです。

(ちなみに個人的には、経済面ではない国の未来を決めるのは、文部科学省の教育行政だと思います。)

20年から30年くらい先のことは経産省の産業政策が大事かも知れませんが、50年後、100年後の国の姿を決めるのはむしろ競争政策なのではないか、ということです。

32歳のリナ・カーンをFTCの委員長に抜擢するような国なら、そういう思い切った政策も実際に可能なのかもしれません。

委員長が財務官僚の指定ポストになっている日本でそこまで思い切ったことができるのか(ちなみに同書はNTTは完全に分割すべきだったという立場です)、さだかではありませんが、競争政策が大事なのだということはこの本を読むとよく理解できます。

というわけで、この本はとくに公取職員の方々にお勧めです。使命の重要さに身震いすることでしょう。

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