« アフィリエイト広告における表示主体 | トップページ | アフィリエイターとテレビショッピングとの違い? »

2021年7月23日 (金)

アフィリエイト・プログラムの表示主体と他の表示形態の比較

前回に引き続いて、アフィリエイト・プログラムの表示主体性について考えてみたいと思います。

(なお、「アフィリエイト広告」というと、すでにアフィリエイターの記事が広告主の広告であることを前提にしておりバイアスが入ると思ったので、「アフィリエイト・プログラム」、あるいは短く「アフィリエイト」と呼ぶことにします。)

アフィリエイト・プログラムにおいてアフィリエイターが書いた記事が広告主の広告なのか、というのは、一見するとあたりまえ(広告に決まってる)ようにも見えながら、なぜそう言えるのか考えてみると、なかなか難しいところがあります。

もし、ベイクルーズ判決の「表示内容の決定を委ねた」ので広告主が表示主体だ、と説明すると、いろいろ問題が出てきそうです。

たとえば、ネットで商品を買うと販売者から「ぜひレビューの記載をお願いします」というお願いメールが来たりします。

このお願いメールを受け取って、購入者が販売者のサイト(や販売者が出店するECサイト)のレビュー欄にレビューを書いたら、このレビューは販売者の広告になるのでしょうか?

当たり前ですが、ただのレビューのお願いなので、販売者からレビューアーへの謝礼等はないものとします(ふつう、ないでしょう)。

普通の人は、「そんなのレビューなんだから、広告のわけないじゃん」と思うように思いますし、私もそう思います。

でも、表示内容の決定を委ねたかどうか、という切り口だと、レビューとアフィリエイトは区別できないように思います。

むしろ、レビューのほうが、販売者のサイトに表示されるぶん、広告っぽい、とすらいえます。

ただこれには異論もありえて、レビューとして書かれているほうが販売者とは独立した人が記入していると認識される、ということもあるかもしれません。

実際、多くのECサイトでは、出品者自らが自己の商品についてレビューを書き込むことは禁止されているでしょうから(守られているかどうかはさておき)、「レビューは出品者とは独立した購入者が記入しているのだ」とみられやすい、ということはあるかもしれません。

それに対してアフィリエイターのサイトは、販売者のサイトとは完全に独立して見えますので、レビューよりもむしろ独立性は担保されていない(実際、アフィリエイトが認められているのだから、独立性の担保などあるはずがない)、とも言えます。

アマゾンの二重価格表示に関する東京地裁令和元年11月15日判決も、アマゾンが自社のサイトに、「いつ,何を,どこに,どのように表示をするのかという仕組みを自由に決定することができること」を、アマゾンが表示主体であることを裏付ける事情として重視しているように見えます。

同判決の要点は、具体的に決定していなくても「仕組み」を作れば表示主体だ、というところになるのですが、自己のサイトに「いつ,何を,どこに,どのように表示をするのか」を具体的に決定できるのであれば、表示主体性を認めるさらに強い根拠になりそうです。

・・・というように、いろいろと考えてみると、もしベイクルーズ判決の「表示内容の決定を委ねた」という基準でアフィリエイトは広告であってレビューは広告でないという結論を導こうとすると、

アフィリエイトは契約関係(広告主とアフィリエイトサービスプロバイダー(ASP)との契約と、ASPとアフィリエイターとの契約)があり、報酬も支払われるので「表示内容の決定を委ねた」にあたるが、

レビューは契約関係がなく、報酬も支払われず、たんなるお願いに過ぎないので、「表示内容の決定を委ねた」とはいえない、

と区別するのかな、と思います。

でも、契約関係と報酬の有無(さらに突き詰めれば、報酬の有無だけ)で、「委ねた」のか「お願い」なのか、を区別するというのは、「委ねた」という言葉の日本語の意味からして、ちょっと苦しいのではないかと思います。

「委ねた」は言葉の意味からして、報酬の有無とは関係ないはずなので、有償で委ねる場合と無償で委ねる場合があっておかしくないからです。

むしろ、「委ねた」とか「任せた」という言葉からは、無償でまかせた場合も当然含まれるし、むしろ有償の場合のほうが例外、というニュアンスすら感じます。

あとは、表示主体性とはまったく別の切り口として、アフィリエイトには取引を誘引する目的があるのに対して、レビューにはその目的はない(あくまでユーザーの立場からの客観的な情報提供が目的)、というところで区別することも考えられるかもしれません。

この考えだと、レビューを依頼するときに、たんに(正直に)「レビューを書いて下さい」というだけなら取引誘引目的があるけれども、「星5つのレビューをお願いします」とか「高評価のレビューをお願いします」だと、誘引目的がある、ということになるかも知れません。

と考えると、表示主体性については、「表示内容の決定を委ねる」という基準ではアフィリエイトとレビューは区別できない(する必要がない)けれど、取引誘引目的で区別できるので、それでいいのだ、というのも1つの考え方かな、と思います。

では次に、少し前に話題になった、女子アナのステマ疑惑はどうでしょうか。

ステマ(表示主体を偽る、ないしは隠す)自体は景表法違反とは言いにくい(商品の内容を偽っているわけでは必ずしもない)、というのが標準的な解釈だと思いますので、仮に、ステマで書いたブログ記事等に、商品役務の内容を優良と誤認させるような虚偽の内容が含まれていたとします。

このような女子アナのステマを販売者の「表示」だ、と一概にいうのは、私にはちょっとためらわれます。

もし販売店から女子アナに対して多額の報酬が支払われていれば販売店の「表示」だ、といっていいような気もしますが、もし報酬もなく、友達づきあいの中で依頼を受けたのでちょっとtweetしてあげた、という場合だと、さすがに販売店の「表示」だ、とはいいにくいように思います。

またアフィリエイトとの比較でいえば、アフィリエイトの場合にはどの記事がアフィリエイト・プログラムの対象になっているかは仕組み上明らか(対象記事には広告主サイトへのリンクがありクリックすると報酬が発生する)であるのに対して、ちょっとtweetしてあげる、というような場合だと、果たしてどのtweetが依頼の対象だったのか、よくわからないということもあり得ます。

表示内容のチェックという観点からも、アフィリエイトの場合は、手間さえ厭わなければ、アフィリエイトに紐付いたアフィリエイトサイトの内容さえチェックすればいいので、理屈の上では管理可能ですが、女子アナのステマの場合には、いつどこでtweetするかもわからないし、どのサイトかもたぶん特定しにくいでしょうし、内容の管理は大変だろうと思います(そもそも販売者も内容を管理するつもりなど、はなからないでしょう)。

・・・と考えると、アフィリエイトと女子アナのステマの違いは、アフィリエイトが広告前提のシステムである(関係者もそういうものとわかっている)のに対して、女子アナのステマはそのようなシステムがない、という違いが大きいように思われます。

これに対して、先ほどのレビューの依頼と女子アナのステマの違いは、レビューの場合、レビューアーの認識としては、販売者の販売促進に協力したいからという理由でレビューを書いているという意識はたぶん希薄なのでしょう。

つまり、気に入った商品だった場合は、この商品の良さをほかの人にも知ってほしいという気持ちで書くのでしょうし、気に入らなかった商品の場合は、他の人に同じ思いをしてほしくない(あるいは、もし買うとしても、商品の悪さも覚悟した上で買ってほしい)という気持ちで書くのでしょう。

いずれにせよ、販売者に協力したいという気持ちで書く人はあまりいないと思います。

これに対して、女子アナのステマは、たぶん、販売者に協力したい、という気持ちなのでしょう。(その理由が報酬であれ、友達づきあいであれ。)

結論としては、女子アナのステマはお店の広告(表示)であり、虚偽の内容があればお店が景表法違反に問われる、ということでよいと思います。

では次に、モータージャーナリストが自動車サイトに書く試乗記はどうでしょう。

もちろん、自動車サイトに普通に記事として載っている試乗記は、サイト運営者の企画として行われているので、自動車メーカーの広告ではありませんが、中には「特別企画」「特集」などと称して、そのメーカーがスポンサーになっているんだなぁと分かる形で試乗記が掲載されていたりします。

これは、やっぱりメーカーの広告(表示)でしょう。

こういう「特集」試乗記などを読むと、通常の試乗記に比べて試乗車をヨイショするものが多くてあまり参考にならないのですが、それを読んで買いたくなる人もいるでしょうから、誘引手段性もあるでしょう。

ここでは、自動車メーカーがサイトのスペースを買い取っている、という事情が表示該当性を認める上で重要なのではないかと思われます。

新聞広告で、広告スペースを広告主が買い取るようなものですね。

広告スペースを買い取った以上、広告主はその広告内容に関心を持つし、責任を持つのでしょう。

考えてみると、アフィリエイトの場合には、この、広告スペースを買い取る、という行為がありません。

むしろ、広告スペースはアフィリエイトサイトのスペースを無料で使わせてもらって、そのかわり売れた(あるいは自社サイトに来てくれた)ときだけお金を払う、ということなので、広告主には、「広告スペースをできるだけ有効に活用する」というインセンティブがはたらきません。

アフィリエイトは基本的に内容をアフィリエイターにまかせるところに意味がある(いちいち広告文言を考えなくていい)し、スペースはアフィリエイターのサイトのスペースなので、スペースの有効活用のインセンティブも、内容の監視のインセンティブも乏しいわけです。

スペースを買い取らなくていい(所有しなくていい)というのは、まさにプラットフォームビジネス(あるいは、シェア・エコノミー)的で、何かの本で、ホテルが新規開業するためには多額の投資が必要なのに対して、AirBnBは一切不動産を所有せずにホテルと競争できるし、しかも短期間で客室数を増やせるので、競争上有利なのは当たり前だ、みたいな話を読みましたが、スペースを買わなくていいというところが、アフィリエイトもちょっと似てますね。

また、単体ではほとんど広告価値がないようなサイトスペースをかき集めてマネタイズできるところにアフィリエイトの存在価値があるのでしょうし、反面、零細サイトの内容までいちいちチェックできないので不当表示が起きやすい、ということもあるのでしょう。

さて、話をウェブサイト上の試乗記に戻すと、通常の試乗記はやはりメーカーの広告(表示)ではないでしょう。

もしそのサイトにそのメーカーが広告を出してスポンサーになっていたりしても、だからといって、そのサイトの当該メーカーの自動車に関する試乗記がすべてそのメーカーの広告になるわけではありません。

では次に、アマゾンの二重価格表示の事件(前掲東京地裁)とアフィリエイトを比べたらどうでしょう。

まずアマゾンの判決では、アマゾンが二重価格を表示できる仕組みを構築したことが、アマゾンの表示主体性を肯定する上で決定的な事情となっています。

では、アフィリエイトも同じように考えて良いのでしょうか。

1つの考え方としては、

「広告主はアフィリエイトの仕組みをわかって利用しているのだから、自ら仕組みを構築したアマゾンと同じであり、表示主体として責任を負うのだ。」

という考え方です。

ただ、このように割り切るのはちょっと気が引けます。

というのは、アマゾンの事件では二重価格表示ができるような仕組みになっていて、それが不当な二重価格表示につながったという面があります。

たとえば、「参考価格」を記入するかどうかは出品者の任意なのですが、

「本件ウェブサイトの商品情報登録画面に参考価格を入力したのは,当該入力がないとセールを実施したときに割引率が表示されず,通常時より割引しているにもかかわらず,特に単価の安い文房具は,お得感が訴求できないためである」(公開版判決p96)

という出品者もおり、アマゾンの構築した仕組みが不当な二重価格表示につながっていた、という面があります。

このような事件でよく言われるのは、

「二重価格が表示できるようにする以上は内容に責任をもつべきであって、二重価格を表示させないような仕組みにできるにもかかわらずあえて表示される仕組みにしたのだから、内容には責任を持つべきだ」

ということですし、私もそう思います。

アマゾンは訴訟で、楽天(判決公開版では明示されていないですが、誰が見ても楽天です)の二重価格表示の事件では楽天に対しては要請にとどまったのに、アマゾンに対して措置命令はおかしいじゃないか、という主張をしています。

しかし、楽天市場のサイトでは、個々の出店者の店舗の表示内容・形式はかなり自由に出店者が決められ、楽天が二重価格を表示しろとかするなとか口を出せる感じではないので、出店者の二重価格表示を楽天の表示だというのは、かなり違和感があります。

(あと、楽天は商品供給主体ではないのに対してアマゾンの事件で問題になった商品はいずれもアマゾン自身が供給していたものである、という違いもありますが、それはひとまず措きます。)

なので、楽天には命令を出さずアマゾンには命令を出したという処理は妥当だと思うのですが(ただし判決は、楽天にも命令を出そうと思えば出せたのであって、出さなかっただけだ、といっています。判決p87)、そうすると、アフィリエイトはアマゾン型よりも楽天型に近いのではないか、という疑問が湧いてきます。

というのは、アフィリエイトの場合には、アフィリエイターが作成する記事には何のフォーマットもなく、どのようにでも書けるからです。

もちろん、判決は、

「いつ,何を,どこに,どのように表示をするのかという仕組みを自由に決定することができること」(p82)

がアマゾンの表示主体性を肯定する事情として考慮しているだけであり、

「いつ,何を,どこに,どのように表示をするのか」

を自由に決定できなければ表示主体にはならないのだ、とはいっていないのですが、もし同じ裁判所にアフィリエイトの不当表示の事件が係属したときに、

「いつ,何を,どこに,どのように表示をするのかを決定できなくても表示主体となることに支障はないのだ」

と判示したら、さすがに「どの口がいうねん」という突っ込みが入りそうです。

このように考えると、さすがにアフィリエイトにおいて、アフィリエイトという仕組みを分かりながら利用した以上、広告主はアフィリエイターの記事に全責任を負うのだ、と割り切るのはかなりはばかられます。

そこで、アマゾンで二重価格表示をする仕組みの構築が不当な二重価格につながったという事情がアマゾンの表示主体性を肯定する上で重視されたように、広告主の何らかの行為が不当表示の発生に寄与したのだといえる事情が、表示主体性を認めるために必要なのではないでしょうか。

たとえば、広告主がアフィリエイターに示す商品内容の基礎情報(たとえば原材料)に虚偽の事実があれば、広告主が責任を負うのは当然でしょう。

でも、広告主が訴求を依頼した部分(例、痩身効果)とぜんぜん違うところでアフィリエイト記事に不当表示があった場合(例、製法や原産地)は、その部分は広告主の表示ではない、といえるのではないでしょうか。

ベイクルーズ判決の「表示内容の決定を委ねた」という基準に照らせば、この「委ねた」部分が不当表示になったことが必要である、と絞りをかけるイメージです。

まあこのように絞りをかけても、広告主が訴求を依頼した部分ではないところでアフィリエイターが不当表示をするとはちょっと考えにくい(かりにあっても、事件化するほどのものにはならない)ので、結果的には、広告主がアフィリエイト記事の内容にはほぼ全責任を負うことになるのでしょう。

ただ、やはり一言いっておきたいのは、このような解釈をベイクルーズ判決から「論理的に」導くのは、やはり問題だろうと思います。

前回も書きましたが、ベイクルーズ判決は、その事例からも、判示内容からも、ベイクルーズが問題の表示を自己の表示とするつもりであったことは争いようのない事例(タグが商品にくっついていた)であったように思います。

これに対してアフィリエイトは、そもそも広告主が「自己の表示」と認識しているのかもかなり怪しく、むしろ、組織的な口コミ(「コミ」の主体は消費者ないしアフィリエイター)、くらいの認識なのではないかと思います。

それでも私は、アフィリエイトにおける広告主の責任は広く認めて然るべきだと思いますし、そのような解釈は現行法でも十分可能だと考えますが、その結論を、ぜんぜん違う地平で議論されていたベイクルーズから何の疑問もなく引っ張ってくるのは問題だ、と思うのです。

いわばベイクルーズ判決の基準を、同じ文言でも換骨奪胎して明確化するか、よりアフィリエイトの実態に即した基準を立てる必要があると思います。

「委ねた」という文言だけで押し通すのがあたりまえと考えてしまうと、商品販売者が購入者にレビューのお願いメールを送っただけで(あるいは、自己のサイトに「レビューをお願いします!」と表示しただけで)レビュー内容について販売者が責任を負わされかねません。

(なお、「レビューには販売者のコントロールが及ばないので、販売者の表示とはいえないのではないか」、という疑問もありえますが、レビューであっても内容が虚偽であれば販売者は自己に有利であれ不利であれECサイト運営者に申し出て訂正を求めることは可能でしょうから、コントロールは及んでいる、と考えておきます。)

« アフィリエイト広告における表示主体 | トップページ | アフィリエイターとテレビショッピングとの違い? »

景表法」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« アフィリエイト広告における表示主体 | トップページ | アフィリエイターとテレビショッピングとの違い? »

フォト
無料ブログはココログ