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2021年7月10日 (土)

巨大ITによる買収は認められるべきか?(Kill Zone)

巨大IT規制が話題になっていますが、

Raghuram Rajan, Sai Krishna Kamepalli & Luigi Zingales,

Kill Zone

(Becker Friedman Inst. Working Paper No. 2020-19), https://ssrn.com/abstract=3555915.

という論文を読みました。

かなり衝撃的な内容でした。

冒頭の要約(abstruct)に、

「We study why acquisitions of entrant firms by an incumbent can deter innovation and entry in the digital platform industry, where there are strong network externalities and some customers face switching costs.

A high probability of an acquisition induces some potential early adopters to wait for the entrant's product to be integrated into the incumbent's product instead of switching to the entrant.

Because of this, the incumbent is able to acquire the entrant for a lower price. Even if the incumbent platform does not undertake any traditional anti-competitive action, the reduction in prospective payoffs to entrants creates a “kill zone” in the space of startups, as described by venture capitalists, where entry is hard to finance.

The drop-off in venture capital investment in startups in sectors where Facebook and Google make major acquisitions suggests this is more than just a theoretical possibility.」

と書いてあるように、巨大ITによる買収を認めるには慎重でなければならない、という内容です。

オーソドックスな経済学では、スタートアップが巨大ITに買収されることを認めるのは必ずしも悪いことではない、といいます。

なぜなら、高額に買収されることを見越して活発な参入が起こり、ベンチャーキャピタルによるスタートアップへの投資も活発になるから、といわれます。

むしろ競争法を理由に買収を認めないと、参入が不活発になり、投資も起きない、といわれます。

つまり、既存の巨大ITにより買収されることが投資の出口戦略(exit strategy)になる、という理屈です。

でもこの論文は、ネットワーク効果が強いサービスでは、この理屈は成り立たない、といいます。

その理屈は、

→①もし新規参入プラットフォーム(PF)がすぐに巨大PFに買収されると予測すると、アプリ開発者は、開発コストをかけてまで新規参入PFに適合するアプリを開発しようとしない

→②アプリが開発されないので、消費者は新規参入PFに移行しない(間接ネットワーク効果)

→③消費者が新規参入PFに移行しないので、新規参入PFの価値は本来的価値よりも下がる

→④新規参入PFは、巨大PFに割安で買収されるほかなくなる

→⑤ベンチャーキャピタルは、巨大ITと競合する新規参入PFに投資しなくなる

というものです。

排除行為の場合も企業結合と理屈は基本的に同じで、強力な間接ネットワーク効果があるために、巨大ITがスタートアップをちょっと締め上げるだけで(たとえば、スイッチング費用を上昇させるような行動を採ることで)抜群の排除効果が生じる、とされます。

論文では、比較的単純な経済学のモデルを用いて上記の論理を説明し、同時に、スタートアップへの投資は減っていることを実際のデータを用いて裏付けています。

同論文のFigure 1では、ソーシャルメディア分野でのベンチャーキャピタル投資案件数が、FacebookによるWhatsAppの買収が認められた2104年にピークを迎え、投資額は2016年にピークを迎えていることが示されており、これは、同買収が認められたことの影響であるとされています。

2020年に公表された米国議会下院司法委員会の調査報告書でも、巨大ITと直接競合するスタートアップには投資しない、というベンチャーキャピタリストの証言が引用されています(p18ほか)。

昔ニューヨーク大学(NYU)に留学していたときにStern Business Schoolで受けたヤーマック教授の講義で、敵対的買収はターゲットの会社をその価値をより高く評価する者の手に渡らせるのでより効率的な経営が期待でき、社会的に望ましいのだ、という話を堂々とされていて、「さすが資本主義のアメリカ、映画の『ウォール街』のゴードン・ゲッコーそのものだな」と大いに感銘を受けたのを覚えていますが、オーソドックスな経済学が、巨大ITによる買収がスタートアップの出口戦略になるのだという議論も、これに似ています。

と同時に、敵対的買収が必ずしも企業価値向上につながらない(実際には、企業側の準備不足につけ込んで企業を恫喝するような濫用的買収者もいる)、という、理屈と実態は異なることがありうる、という点も、似ていると思います。

(なおヤーマック教授の名誉のためにも付け加えると、講義では、敵対的買収により企業価値が上がるようにみえるのは従業員などのステークホールダーとの暗黙の契約を破棄することにより価値がステークホールダーから買収者に移転しているだけで、価値が増えているわけではないのだ、といった議論など、敵対的買収が必ずしも社会的に望ましいわけではない、という議論もバランスよく紹介されていました。)

法律家の議論だと、「そういうこともあるかもね(でもないかもね)」といった感じで、どっちつかずの議論になることが多いのですが、このように、データと理論モデルに基づいた圧倒的説得力のある議論は、さすが経済学だなぁと思いました。

(ただし、同論文でも、巨大ITによる買収は全て禁止すべきだとはされていません。)

この論文の考え方はベンチャーキャピタリストの肌感覚とも合っているようで、そういうところも見事だし、それを経済モデルで理論的に裏付けているのも見事だと思います。

細かいことはさておき、巨大ITによる買収を考える際の基本的視座としては、これで決まりではないでしょうか。

巨大ITの規制を考える上では必読の論文だと思いました。一読をお勧めします。

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