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2020年8月

2020年8月27日 (木)

会社法A2Zに寄稿しました

第一法規の法律専門誌「会社法A2Z」に、

「今こそ気をつけたい! 下請法違反 -コロナ禍での留意点ー」

という論文を寄稿しました。

タイトルどおり、コロナで取引が急減した場合に起こりそうな下請法の問題について分析しています。

独禁法の場合には、震災などがあると突然解釈が甘くなるQ&Aが公取委から公表されたりするのですが、下請法の場合には、むしろきびしめになっているのではないかという印象があります。

公取委の書面調査に対応中の親事業者の方々もいらっしゃると思いますが、参考にしていただけると幸いです。

2020年8月18日 (火)

他の法律分野との協働について

調べ物で『新版注釈民法(3)』p162の90条のところ〔森田修執筆部分〕を読んでたら、

「公正競争阻害性には①自由競争減殺、②競争手段の不公正、③競争基盤の侵害という3つの契機が存在するとされている」

「②の契機は、実質的な競争制限がどの程度生じているかを直接問題とせずに、当該行為の不公正さそのものを問題とするものであり、価格維持行為などがこれに含まれる。」

と書いてあって、ひっくり返りそうになりました。

ふつう、②の競争手段の不公正といえば、ぎまん的顧客誘引とかで、価格維持行為(再販売価格拘束など)は①ですよね。

注釈民法で引用されている独禁研報告書でも、②の例としては、

①ぎまん的取引

②不当な利益提供による顧客誘引

③抱き合わせ販売

④取引強制

⑤競争者に対する取引妨害・内部干渉

があげられています。

というわけで、単純な誤解といえばそれまでなのかもしれませんが、これが天下の注釈民法で、しかも経済法学会年報に「独禁法違反行為の私法上の効力(試論)」といった論考も寄せられている森田先生ですから、たんなる誤解ですませられないように思います。

つまり何が言いたいのかというと、独禁法の用語って、部外者にはとてもわかりにくいんじゃないかと思います。

それはたんに言葉のわかりにくさだけではなくって、競争という、得体の知れないもの、あるいは、あまり法律的でないものをあつかっているからなんではないか、と思います。

(アメリカには、競争法は法律なのか、政策なのか、という議論があるらしいです。)

基礎的なミクロ経済学がわかればすっきりわかるのですが、逆にミクロ経済学を知らないと、いつまでももやもやしたままです。

しかも、かつては大半の人が、そして今でもそれなりに多くの人が、経済学を知らずに独禁法を語っていたので、独禁法の内部でも議論が噛み合わないことがめずらしくありません。

公正競争阻害性の3分類だって、独禁研報告書当時の通説に正田説を継ぎ足すという「大人の事情」でそうなっただけの分類なので、とてもいびつで、なにか深い思索があってこうなったというわけではありません。

しかもそれを公取委の研究会の報告書で発表すると、それがあたかも定説であるかのようなとらえられかたをするので困ったものです。

これは別に公取委を責めているわけでも、競争法の研究者の方々をけなしているわけでもないのですが、独禁法の特徴として、公取委という絶対的な執行官庁があり、しかも、社会的に重要な独禁法という法律をあつかっていたわりに歴史的には存在感がうすく、そのために研究者の層も他の分野に比べればうすい(しかもかつては公取OBが幅をきかせていた)、という弊害がもろに出ているように思うのです。

これが民法や刑法だったら、我妻先生とか団藤先生とか、泣く子も黙る大学者の先生がいらっしゃいますし、反面、お役所のほうには民法を執行する役所とか、刑法を執行する役所とかいうものはありません。(検察庁は訴追機関に過ぎないので、検察庁の解釈が公権的解釈だなんて誰もいいません。)

金商法とか保険法は監督官庁はありますが、商法学者の層が厚いので、金融庁の見解がすべて、みたいなことはたぶんありません。

話がそれてしまいましたが、言いたいのは、独禁法の概念というのは非常にわかりにくく、門外漢には誤解されがちだ、ということを、独禁法に携わる者は強く意識しないといけないのではないか、ということです。

そうしないと、民法と独禁法の協働なんておぼつかないと思います。

むかし、公正取引委員会の委員になられた検察官の方が、委員になって独禁法の条文を読んでみて、「条文を読んでなにがいいたいのかわからなかったのははじめてだ」とおっしゃった、というエピソードがあります。

検察官といえば、司法試験にも合格しているばりばりの法律実務家ですから、その人が、条文を読んで意味がわからない、というのは異常なことです。

でも、それは非常によく理解できます。

独禁法の概念は、ふつうの法律(とくに、あらゆる法律の基礎といっていい民法)とはだいぶちがうからです。

それにひょっとしたら、独禁法の研究者や実務家の中には、心の中で、

「独禁法を条文を読んで理解しようなんて、そもそも間違っている」

とひそかに思っているひとが、かなりいるんじゃないか、と思います。

(わたしはそれには強く異議を申し立てたくって、このブログのサブタイトルに「独禁法も法律です」と入れているのは、そのような、独禁法も一人前の、条文解釈からスタートする法律になってほしい、という思いが込められています。)

だから独禁法にたずさわる人は、門外漢にもわかるような言葉で話すように気をつけないといけないと思います。

それから、なんでも公取委の発表文ありきで議論すると、他分野との交流はままならないと思います。

注釈民法を読んで、公正競争阻害性の3分類がいい例だと思いました。

せまいサークルで議論しているだけなら、「自分たちさえわかればそれでいい」ということなのかもしれませんが、専門外の人たちに説明するときにはそうはいかないでしょう。

きちんと理論的に詰めないと、理解してもらえないに決まっています。

学説のつぎはぎの3分類説を採用するくらいなら、我妻説みたいな一本筋のとおった見解をとったほうが、よっぽど理解されやすいと思います。

司法試験科目だったせいもありますが、民法や刑法の議論が「理解できない」といった経験は、少なくとも弁護士になってからはわたしはありません。

税法も、細かいけれど概念やものの考え方自体がわからないということはありませんし、特許法はむずかしいのは技術の部分で、法律の部分は基本的に民法が土台ですので、わからないことはありません。

少なくとも、物の考え方や、議論の筋は理解できます。

でも、(独禁法をやっていながら言うのもなんですが)独禁法は門外漢にはわからないだろうなぁと、今でも思います。

今回の注釈民法の記述を見て、あらためてそのことを思い出しました。

というわけで、独禁法にかかわる人は、門外漢にも通じるような、わかりやすく、かつ、鍛え抜かれた議論を展開するよう心がけないといけないと思います。

2020年8月12日 (水)

「直接の利益」とは

優越的地位の濫用で問題になる「直接の利益」ですが、ガイドラインには、たとえば協賛金について、

「取引上の地位が相手方に優越している事業者が,取引の相手方に対し,協賛金等の名目による金銭の負担を要請する場合であって,・・・

当該取引の相手方が得る直接の利益(注9)等を勘案して合理的であると認められる範囲を超えた負担となり,

当該取引の相手方に不利益を与えることとなる場合(注10)には,

正常な商慣習に照らして不当に不利益を与えることとなり,優越的地位の濫用として問題となる。」(第4-2(1)協賛金等の負担の要請)

「『直接の利益』とは,

例えば,広告に取引の相手方の納入する商品を掲載するため,広告を作成・配布する費用の一部を協賛金として負担させることが,取引の相手方にとってその納入する商品の販売促進につながる場合など

実際に生じる利益をいい,

協賛金を負担することにより将来の取引が有利になるというような間接的な利益を含まない。」(注9)

などと説明がされていますが、なにが「直接の」利益で、なにがそうでないのか、いまひとつよくわかりません。

そこで最近の審決などをみながら、「直接の利益」の意味について整理しておきます。

まず、ガイドラインでは、「直接の利益」は、すべての濫用行為の類型で問題になるわけではなく、基本的には、協賛金と従業員派遣(経済上の利益の提供要請)、それから返品だけです。

そのほかの、購入・利用強制、経済上の利益の提供要請(協賛金と従業員派遣を除く。金型や知財の提供など)、受領拒否、支払遅延、減額、その他の行為類型には出てきません。

これは理論的になにか深い理由があってのことではなく、世の中で協賛金と従業員派遣と返品の場合には、取引相手方(濫用を受ける人)に「直接の利益」があるので正当な理由ありとなることが類型的に多い、ということなんだろうと思われます。

(白石先生の「優越的地位濫用ガイドラインについて」(公正取引724号15頁)の解説もご覧下さい。)

じっさい、協賛金と従業員派遣と返品以外でも「直接の利益」が問題になることはあり、たとえば、トイザらス審決では、減額(審決では「減額⑪」)が、納入業者(H)の担当者からトイザらスに、

「忘れておりまして申し訳ないですが,[ブランド名]旧品について⼀括補填を⼊れさせていただきます。

プラス100円補填しますので,売価変更して売り切りをお願いします。(希望[⾦額]円前後)」

と申し入れた事実が認定され、減額を原資とした値引きにより旧商品を売り切ることができたので「直接の利益」あり、と判断されています。

こういうように、減額した分の使途が値引き原資であることが決まっている場合には、協賛金と同じようなものですから、「直接の利益」の有無が決め手になることも十分あるのでしょう。

これに対して、購入・利用強制、金型や知財の無償提供、受領拒否、その他の行為類型については、「直接の利益」が正当な理由としてしっくりくる場合が考えにくい、ということだろうと思います。

たとえば原材料の購入強制の場合には、製品の品質保持のためといったほうが直接的で、これを「製品の品質を保持できることが取引相手方にとっての『直接の利益』だ」といっていえないことはないですが、かなりまわりくどいです。

金型や知財の無償提供も、通常これらは完全な召し上げなので、「直接の利益」がある場合というのが想定しにくいです。

受領拒否も、要は取引をなかったことにするということですから、「直接の利益」はふつうないでしょう。

このように、「直接の利益」が関係する行為類型と、関係しない(あるいは、ほかのもっと直接的な基準のほうが適切な)行為類型があるのであり、なんでもかんでも「直接の利益」がなきゃ濫用だ、ということにはなりません。

たとえば、ショッピングモール運営者が出店者に対して出店料を引き上げるのが濫用になるかどうかを考えるときに(こんなのが濫用になるわけないのですが、わかりやすさ優先の極端な物のたとえとしてお読み下さい)、

「出店料を上げても出店者の売上が上がるわけではないので、『直接の利益』がないから濫用だ」

とか、

「出店料の増額分でモールの改装をするとか約束するのでないかぎり、『直接の利益』がないから濫用だ」

とかいうのは、さすがに無茶でしょう。

あるいは、コンビニの本部がフランチャイジーに対して収納代行サービスの提供を義務づけることが濫用かどうかを判断するときに、

「収納代行サービスをしたからといって売上が伸びるわけではないので『直接の利益』がないから濫用だ(本部は売上が伸びることを立証しろ)」

というのも、かなりひね曲がった議論のように思います。

あるいは、メインバンクが融資先に対する金利の引き上げをすることが濫用になるかを判断するときに、

「金利を上げたからといって融資先の売上が増えるわけではないので、『直接の利益』がないから濫用だ」

というのも、かなり無茶な議論だと思います。

このように、「直接の利益」という要素がしっくりくる類型と、しっくりこない類型があることは、よく理解すべきだと思います。

そうしないと、なんでもかんでも「直接の利益」がないからだめ、という上記のような議論になりがちです。

じっさい、山陽マルナカ審決の審査官は、濫用行為一般について、

「濫⽤⾏為に該当するか否か・・・の判断に際しては,⾃由かつ⾃主的な判断で応じたか否かという相⼿⽅の認識のみならず,要請等の目的・動機・内容,要請等に応じさせた経緯・態様,要請等に応じたことにより相⼿⽅が受ける直接の利益⼜は不利益の程度等の諸事情を考慮する必要がある。」

と、あたかも「直接の利益」が濫用行為一般の判断要素であるかのような主張をしています。

まあ、取り締まる側はとにかくたくさんの要素をあげて、”総合衡量のガラガラポン”で「はい濫用」というのが楽ですから、こういう主張をしたくなるのでしょうけれど、もう少しきちんと理屈を考えないといけません。

(ちなみに山陽マルナカの審決は、上記のような審査官の主張には乗らず、行為類型ごとに基準を示して判断しています。)

おおまかにいって、「直接の利益」の有無にもとづいて判断するのに適する類型は、取引相手方が濫用者に対して、本体取引とは別のところで、なんらかの取引外利益(協賛金とか、従業員派遣とか)を提供するタイプの類型なのでしょうね。

そういうタイプは、

「取引相手方が提供する取引外利益」>「取引相手方が受ける直接の利益」・・・濫用

なのか、

「取引相手方が提供する取引外利益」<「取引相手方が受ける直接の利益」・・・濫用でない

なのか、という判断になじみやすいのでしょう。

以上は、直接の利益が向いている類型とそうでない類型がある、というお話でした。

つぎに、なにが「直接の」にあたるのかが問題です。

これが実はかなり難問で、ガイドラインには冒頭に引用した程度のことしか書いてなくて、なかなか判断に迷うところです。

きっと公取も、「『直接の』は『直接の』という意味だ」というくらいの説明しかできないのではないか、と想像します。

ガイドラインでは、

「将来の取引が有利になるというような間接的な利益を含まない」

としかいっておらず、公取の立場からするとおそらく「こんなのだめに決まってるだろう」というつもりであろうと思われるのに対して、通常の商売人の発想からすると「こんなのOKに決まってるだろう(将来の取引を考慮しないでいったいどうやってビジネスするんだ??)」となる、といった具合の、両者に接点のない、救いようのない説明しかされていません。

しかもこの説明は、仮に公取の立場にたっても、その限界がどの辺にあるのかがよくわからないからやっかいです。

というのは、ガイドラインのパブコメ回答では、

「協賛金等(従業員等の派遣)が,

①協賛金等の負担によって得ることとなる直接の利益の範囲内ではないが,取引の相手方の自由意思によって提供される場合・・・優越的地位の濫用の問題となるかについて,公正取引委員会の見解を明記すべきである。

特に,上記①については,例えば,ある大口取引先との取引を新規に開拓したいと考えている事業者が,当該大口取引先との取引開拓のために,自己が得る直接の利益よりも重い負担を進んで申し出ることは実際上も見られるところであり,

このような取引に関してまで課徴金を課して制限することは相当でないと考える。」

という質問に対して、公取委は、

「①に係る御指摘の大口取引先の新規開拓のケースについては,「新規開拓」が「直接の利益」になるものであり,

事業者が何らかの負担を自ら進んで行おうという場合には,通常,企業経営上の判断として「新規取引によって得られる直接の利益」等を勘案して合理的と認められる範囲で行うものであると考えます。」

という、しごくまっとうな回答をしているのです。

でも少し考えればわかりますが、「新規開拓」って、まさに、「将来の取引」そのものじゃないんですかね?

なので、「新規開拓」が「直接の利益」なら、「将来の取引」も「直接の利益」でしょう。

(ちなみにこの部分は、優越的地位の説明部分ではなく、濫用の説明部分です。なので、新規取引か継続取引か、というのは判断に影響しません。)

もちろん、新規開拓される側が開拓されることを約束するはずもなく、この点は、濫用者が将来の取引を約束しないのと、何も変わりません。

という具合に、「将来の取引」という言葉では表しきれない、過去の事例から積み上がってきた「澱(おり)」のようなもの(=長年取引をして従属関係にある、今は苦しくても将来の不安から濫用者にしたがわなければならない、かわいそうな中小企業)が前提になっているのです。

それに対して新規開拓の場合には、これからますますビジネスを拡大していこうという、生きのいい企業をイメージしているのでしょう。

こういう、言外の「澱」や「イメージ」で判断しているのが、現状のガイドラインと実務の実態です。

なので、いくら「直接の」という言葉をこねくりまわしても答えが出ないのはあたりまえです。

そこで過去の事例から「直接の」の意味を探るしかないのですが、たとえばラルズ審決では、

「53社の中に本件従業員等派遣に応じることが今後の被審⼈との取引量,取引額の増加につながると考えた者がいたとしても,

被審⼈は本件従業員等派遣を受けるに当たり納⼊業者に対して⾒返りを約束していなかったこと・・・からすると,

これは客観的裏付けのない当該納⼊業者の⼀⽅的な期待にすぎず,

本件従業員等派遣による直接の利益に当たるものとはいえない。」

と判断されています。

これをみると、見返りを約束していれば、その見返りは「直接の利益」になるといえそうです。

この、見返りを約束していれば「直接の利益」だという考えは、山陽マルナカ審決でも同様に、

「被審⼈の要請により派遣された納⼊業者の従業員等が⾏う作業は,接客を含め当該納⼊業者が被審⼈に納⼊する商品と他の納⼊業者が被審⼈に納⼊する商品とで区別なく⾏われたものであって,・・・

被審⼈は,納⼊業者から本件従業員等派遣を受けるに当たり,当該納⼊業者から購⼊する商品を増やす等の⾒返りを約束するものではなかったものであり,

従業員等派遣例外事由の②〔=②従業員等が⾃社の納⼊商品のみの販売業務に従事するものなどであって,従業員等の派遣による相⼿⽅の負担が従業員等の派遣を通じて相⼿⽅が得ることとなる直接の利益等を勘案して合理的な範囲内のものであり,相⼿⽅の同意の上で⾏われる場合は,不利益⾏為には当たらない〕には該当しない。」

と判断されています。

次に、ラルズ審決では、

「仮に,新規開店及び改装開店並びに創業祭によって納⼊業者の売上げが増加する可能性があるとしても,

それは新規開店や改装開店⾃体及びその際のオープンセール,創業祭⾃体に集客効果があるためであり,

納⼊業者が本件協賛⾦を提供したことによるものではないから,

本件協賛⾦の提供を通じて納⼊業者が得ることとなる直接の利益とは認められない。」

と判断されました。

納入業者の協賛金を原資としてセールをしたなら、セールによる売上増は、セールの直接的効果であるとともに、協賛金の直接的効果といってもよさそうなものですが、公取委によれば、そうではない、ということなのでしょう。

でもガイドライン注9では、

「「直接の利益」とは,例えば,広告に取引の相手方の納入する商品を掲載するため,広告を作成・配布する費用の一部を協賛金として負担させることが,取引の相手方にとってその納入する商品の販売促進につながる場合など実際に生じる利益をい(う)」

と説明されており、さすがに、

「仮に,広告によって納⼊業者の売上げが増加する可能性があるとしても,

それは広告⾃体に集客効果があるためであり,

納⼊業者が本件協賛⾦を提供したことによるものではないから,

本件協賛⾦の提供を通じて納⼊業者が得ることとなる直接の利益とは認められない。」

なんてことはいっていません。

でも、広告もセールも、本質的には同じなんじゃないでしょうか?

もし違いがあるとすれば、広告の場合は協賛金と広告の対応関係が強固であるのに対して、セールの場合は、スーパーの側がいろいろ企画したりして、協賛金との関係が希薄だ、ということかもしれませんが、それを言い出すと、企画から人からお金から、セールの負担をぜんぶ納入業者に負わせた方が直接性が強固になって濫用になりにくい、なんていうとんでもないことになってしまいます。

また、ガイドラインの広告の例も、広告費全額を取引相手方に負担させる場合に限る趣旨ではもちろんなく、一部負担も含む趣旨でしょう。

そうすると、ますます、セールとの違いがわからなくなります。

というわけで、ラルズ審決のこの部分の説明は理屈としてはおかしい(もっときちんとした説明を考えるべき)のですが、実務はこういうもんだということも理解しておかないといけません。

最後に、「直接の利益」はどの程度確実なものでなければいけないのか、という点については、上で引用したガイドラインでは、広告費を負担させることは「直接の利益」だといっているので、確実に売上が伸びる(厳密には、広告費以上に利益が増える)ことまでは要求されていないことがわかります。

広告をしたからといって確実に売上が伸びる(厳密には、広告費以上に利益が増える)とはいえないからです。

でも実務では、過去の広告でどの程度売上が伸びたのかは、公取がおおいに気にしそうなところですから、いちおうきちんと説明できておいたほうがいいと思います。

スーパーの新聞チラシとか、ありきたりな広告ならそんなに気にする必要はないのかもしれませんが、ちょっと毛色の変わったキャンペーンや販売施策をしようという場合には、いろいろと聞かれるかもしれません。

以上、いろいろと検討しましたが、やっぱり「直接の利益」というのはその限界がかなりあいまいであり、ガイドラインだけでは片付かない問題であるように思われます。

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