届出不要の企業結合実行後に問題解消措置が採られた事例(エムスリーによる日本アルトマークの株式取得)
医師向け医薬品情報提供プラットフォーム最大手(シェア75%)のエムスリーが、事実上の標準である医師データベース(DB)の提供事業者である日本アルトマークの株式100%をNTTドコモから取得(2019年4月1日)したことに対して、公正取引委員会が、株式取得実行後に審査をおこない、2019年10月24日、問題解消措置が命じられました。(正確には、当事者が申し出た問題解消措置を公取委が受け容れました)。
医薬品情報提供プラットフォーム(川下)を提供するには、インプットとして医師データベース(川上)が必要で(プラットフォームを通じて製薬会社が医師に医薬品情報を提供するために、アルトマークの医師DBが必要)、垂直的結合の事例です。
いままで公取委が届出不要の企業結合について審査した事例は、少なくとも公表事例ではなかったので、たいへん意義があります。
独禁法10条1項では、
「会社は、他の会社の株式を取得し、又は所有することにより、一定の取引分野における競争を実質的に制限することとなる場合には、当該株式を取得し、又は所有してはならず、及び不公正な取引方法により他の会社の株式を取得し、又は所有してはならない。」
とされ、競争を実質的に制限するかぎり届出が必要であろうとなかろうと株式取得はしてはいけないことになっています。(届出要件は10条2項)
つまり、企業結合に届出が必要かという手続上の問題と、企業結合が独禁法上禁止されるかという実体法上の問題は、まったく関係ないのです。
とはいえ、届出不要な小さい案件までいちいち公取委が審査することはないだろう、というような、漠然とした実務感覚があり、実際、いままで届出不要の案件が審査されたことはありませんでした。
これが今回、審査された意義はとても大きいと思います。
届出不要の案件でも、問題がある可能性があるものは、公取委に任意に事前相談に行くようにしたほうがよいかもしれません。(もちろん、弁護士の意見書ですませるのも、内容次第ではありだと思いますが。)
弁護士としても、届出不要の案件でも審査を受ける可能性が現実的にあるのだということをアドバイスする必要があります。
また、実行後の案件を審査したことも注目です。
届出不要のため届出がされていないので、公取委が排除措置命令を出すのに時間的な期限はないので、法的には可能なことをしたまでともいえますが、実行ずみの案件でもためらうことなく審査に踏み切ったことは、注目されます。
ヤフーとラインの統合がプラットフォームの企業結合の試金石になるとか、難しい審査になりそうだとかいう人もいるみたいですが、グーグルやフェイスブックという巨人がいる中でこれが止められたり条件がつく可能性はほぼ皆無であり(ビジネスの数が多くて1個1個調べるのがたいへんだということは、あると思います)、エムスリーの件のほうがよっぽど(法律的には)重要だと思います。
内容も全体的になかなかおもしろいですが、ちょっとよくわからないのが、アルトマーク(川上DB)を通じて競合プラットフォームの情報がエムスリーに流れるおそれについて、
「また,日本アルトマークは,MDBの提供に際し,医薬品情報提供プラットフォーム運営事業者との間で秘密保持契約を締結しているが,
本契約自体を当事会社に有利に変更することが可能であることや,
エムスリーが同社の役員若しくは従業員を日本アルトマークに出向させる又は日本アルトマークの役員若しくは従業員と兼任させることによって当該役員若しくは従業員が他の医薬品情報提供プラットフォーム運営事業者に係る秘密情報を入手し,それを利用する形でエムスリーが営む医薬品情報提供プラットフォーム運営事業の業務の中で競争に影響を与えるような判断・決定をすること
は可能である。」
と述べている部分です(p10)。
まず、前半の、「本契約〔=アルトマークと競合プラットフォーム間の秘密保持契約〕自体を当事会社に有利に変更することが可能」というのは、どういう意味なのでしょうね?
この結合があっても、アルトマークが競合プラットフォームとの秘密保持契約をゆるく変更することとかは、当然にはできないはずです。
(アルトマークとエムスリーとの契約は、どうにでも変更できるのでしょうけれど。)
アルトマークのDBが事実上の標準だから取引相手方であるプラットフォームは不利な変更も引き受けざるを得ない、ということなのですかね。よくわかりません。
守秘義務契約については普通、たとえば、最近出た業務提携報告書にも引用されている、
「スターアライアンス加盟航空会社8社における情報共有について」(平成23年10月21日)
で、
「8社のうち複数社は,サービス会社に職員を派遣しているが,
各航空会社とサービス会社との間の契約において守秘義務条項が設けられている。
また,サービス会社と出向者との間の契約においても守秘義務条項が設けられており,
サービス会社が収集した8社それぞれの情報は,8社に還流しないようにするとしている。」
というように、守秘義務契約(ここでは、法人間と、法人・個人間)があれば競争制限は回避できるという前提で判断されることが多いように思われ、守秘義務契約では変更される可能性があるから不十分であるかのようなことをいうのは珍しいと思います。
ただ、この点は、情報の性質や市場の競争状況しだいで、もれたら本当に困る情報と競争状況の場合には、手厚い措置が求められる、ということなのでしょう。
また後半も、よくわかりません。
これは前半(契約変更)とは別建てで書いてあるので、契約が生きている前提だと思われますが、それでも、契約は法人間なので従業員は拘束されない(よって、秘密保持契約があっても情報は漏れる)、といっているようにみえます。
でもそれって、通常の実務感覚とはかなりずれているように思います。
もちろん、きわめて機密性の高い情報をあつかう場合に、情報に触れる従業員個人から秘密保持契約書をとることはありますが、ここでは、そういうことを言っているのではなさそうです。
もしそういうことを言っているなら、従業員から秘密保持契約書をとれば秘密は漏れないのでOK、という結論になるはずです。
むしろ実務的には、漏れたかどうかが外部からはわからないことのほうが問題だと思います。
製造ノウハウとかは、製品をみればまだノウハウがもれたかわかりそうですが、プラットフォームの秘密情報がもれたかどうかって、どういう秘密情報なのかにもよりますが、外からはなかなかわからないのではないかと思います。
もしそうだとすると、秘密保持契約を結んでいても不十分で、そもそも結合をみとめない、という結論になってしまいますが、公取委もそこまではいっていません。
あともう一つ、実務的な問題は、はたしてこのプラットフォームの秘密情報というのは、競争法上(問題解消措置を付けてまで)保護に値するといえるのかどうかが、情報の内容次第であって、あんがい一律には決められないことです。
この点、公取の発表文では、
「他の医薬品情報提供プラットフォーム運営事業者に係る秘密情報を入手し,それを利用する形でエムスリーが営む医薬品情報提供プラットフォーム運営事業の業務の中で競争に影響を与えるような判断・決定をする」
というふうに、ばくぜんと書いていますが、そのような「競争に影響を与えるような判断・決定」に使えるような情報のやりとりがなされているのかが、具体的な情報の内容をみないとわかりません。
このあたりが実際の審査ではもっと突っ込んで調べられた可能性はありますが(もちろん、当事会社があまり争わなかった可能性もあります)、ともあれ、発表文では秘密情報の保護の必要性についてあまり公取委が頓着している感じがしないのは、保護されたい側の競合プラットフォームにしてみれば、ありがたいことかもしれません。
反面、ほんとうに漏れたら困るような情報がやりとりされているのであれば、秘密保持契約があっても結合そのものを認めるべきではない、ということになりますが、そこまで漏れて困る情報は外には出さないでしょう(結合があってもなくても、もれる可能性はあるわけですし)。
もちろん世の中には、取引するためには出したくなくても出さざるをえないという情報もあり(たとえば印刷会社に重要事項公表のための印刷を依頼する場合)、そのような場合であれば結合自体をみとめない、という選択肢もありうるでしょう。
もう一つ、今回は、「競争が実質的に制限されることとなる。」(p12)と断言していることが注目されます。
通常の案件では、競争が実質的に制限されることの「懸念を当事会社に伝えた」とかいう書きぶりになっているので、ずいぶん思い切った書き方をしたものだと思います。
実行後の案件だから将来予測が不要なため現在形で書いているだけなのかもしれませんが、それでも「懸念」といって別におかしくないような気がします。
そもそも命令ではなく、当事者からの任意の申し出なわけですから、排除措置命令の要件(10条1項)を満たしていると断定しなくてもよかったはずです。
というわけで、この部分には、わたしは強いメッセージを感じます。