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2018年4月 9日 (月)

ブラウン管事件高裁判決について

独禁法の域外適用が問題になったブラウン管カルテル事件についての東京高裁平成28年4月13日判決〔MT映像ディスプレイ等〕は、
「自由競争秩序の維持は、供給者と需要者の双方が、それぞれ自由な判断により取引交渉をして意思決定をするという過程が、不当な行為により制限されないことが保証されることによって図られるものであり、自由競争秩序の維持を図る上で保護されるべき需要者の属性として重要なのは、意思決定者としての面と解せられる。」
という理屈で、意思決定者が日本国内にいれば日本の独禁法を適用できる、という立場に立っています。
 
この判決には私は反対です。
 
(審決が出るまえ、一時、わたしもブラウン管カルテル事件に関わっていたので、いろんな国の競争法弁護士に、「日本の公取は意思決定をした親会社が日本にあれば日本の独禁法を適用できるという考えらしい」といったら、みんなびっくりしていました。)
 
基本的には、小田切委員(当時)の審決での補足意見の分類にしたがえば、余剰獲得者の所持在地を基準にすべきだと考えています。
 
これら一連のブラウン管事件判決については、細かいことを言い出すときりがないのですが、ひとつ指摘したいのが、法学と経済学の発想のちがいです。
 
だいぶ以前に、このブログの「独禁法と経済学」という記事で書いたのですが、物の値段はどうきまるのかという点について、法律家は、
「価格は当事者の合意で決まる」
という発想なのに対して、経済学者は、
「価格は市場で決まる」
という発想が強いと思います。
 
法学部で法律を勉強すると、売買契約は当事者の合意により成立する、と教えられます。
 
どうして契約に拘束されるのかといえば、神様がそういったからでも王様が決めたからでもなくて、自由な意思でお互いが合意したから拘束されるのだという、近代市民法の私的自治の発想です。
 
これに対して経済学では、価格は利益を最大化しようとする市場参加者の意思決定の結果として決まる、というように考えます。
 
そして経済学でいうところの「意思決定」は、市場の状況を所与の前提として、利益最大化という規準にしたがって行われる、あくまで受け身のものです。
 
このような基本的な発想の違いが、法学と経済学が交錯するいろいろな場面で出てくるのですが、東京高裁判決もまさにそんな場面の一つに思われます。
 
でも競争法において意思決定の自由を究極的な保護法益として説明しようとすると、いろいろ不都合なことが起こります。
 
たとえば、売手間のカルテルによって買手の意思決定の自由が害されたという場合、暗に想定されているのは、カルテルがあると知っていたらそのような購入意思決定はしなかった、ということなのではないでしょうか。
 
でも極端な例として、売手が独禁法違反で摘発されるリスクをものともせず、カルテルをしていることを公言している場合はどうでしょう。
 
そのような場合でも、買手の意思決定の自由が侵害されているといえるのでしょうか?
 
わたしは、そのような場合の買手の被害を意思決定の侵害に求めるのは難しいと思います。
 
言えるとすれば、買手にはカルテルがない状態で決まる価格で商品を購入する権利があるのだという、まさに余剰獲得者としての視点しかないと思います。
 
もう一つ極端な例として、完全競争市場では、需要者は価格について何ら意思決定をする必要すらありません。
 
経済学では、そういう市場が最も望ましいと考えられていたりします。
 
そこには、意思決定の自由という発想はありません。
 
意思決定の自由を重視する東京高裁の立場は、法学部出身の私からすると、いかにも法律家的というか、それだけに、経済学的な発想がぜんぜんないんだなぁと思わざるを得ません。
 
これと正反対にあるのが、法と経済学で著名なポズナー判事のモトローラ事件における法廷意見で、国外に子会社を設立して現地法に従うのであれば競争法についても現地法に従うべきである、として、米国外で完成品に組み立てられて米国外に売られた商流について米国親会社の損害賠償請求を退けています(白石忠志「ブラウン管事件東京高裁3判決の検討」NBL1075号13頁)。
 
さすが、法律と経済学の両方に通じておられるポズナー判事だといわざるをえません。
 
経済学者である小田切委員があえて補足意見を書かれたのも、きっと、経済学的観点から違和感があったからであろうと推測します。
 
まあ、東京高裁の判断が最高裁でも支持されてしまったので、今となってはどうしようもないのですが、私の見るところでは、この問題は高度な哲学的問題でもなんでもなく、たんに、裁判所に「価格は市場で決まる」とか、余剰という経済学的な発想がなかった(経済学に無知であった)がために起こった誤審だったのではないか、と思っています。

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