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2017年3月

2017年3月31日 (金)

先着順が総付景品である理由

景品を先着順であげるのは、消費者庁の運用基準では、総付景品であるとされています。

このことは懸賞運用基準3項で、

「来店又は申込みの先着順によって定めることは、「懸賞」に該当しない(「一般消費
者に対する景品類の提供に関する事項の制限」その他の告示の規制を受けることがある。)。」

というように明記されています。

明記されてしまっているので結論は動かしようがないのですが、その理由については消費者庁のQ&Aで、

「Q46

商品の購入者や来店者に対し、先着で景品類を提供することは、懸賞に当たるのでしょうか。それとも総付景品の提供に当たるのでしょうか。」

という質問に対して、

「A

来店又は申し込みの先着順によって景品提供の相手方を定めることは、偶然性や優劣で選ぶことには当たらないことから、懸賞には該当しません。したがって、原則として、商品の購入者や来店者に対し、先着で景品類を提供することは、総付景品の提供に該当します。」

というように説明されています。

しかし、先着順は偶然性や優劣ではないというこの説明はおかしいと思います。

(なおここでの「偶然性や優劣」というのは、懸賞告示の1項の、

「一 くじその他偶然性を利用して定める方法

二 特定の行為の優劣又は正誤によつて定める方法」

を受けています。)

なぜなら、

「先着10名様に賞品を差し上げます」

というのと、

「100m走のタイムで上位10名に賞品を差し上げます」(→明らかに「優劣」)

というのと、本質的には何の違いもないからです。

まるで消費者庁は、

「かけっこが速いのは身体的能力の問題なので『優劣』だが、お店に来るのが早いかどうかは能力の問題ではないので『優劣』ではない」

あるいは、

「かけっこが速いかどうかは個人の能力に左右されるが、来店順位は客観的な条件なので『優劣』ではない」

と考えているみたいですが、お店に来るのが早いかどうかだって、立派な「優劣」だと思います。

「優劣」というのは、何か社会通念上の積極または消極的な価値評価を受けるものであることを前提にしているような響きもありますが、そんなところで「優劣」と、価値評価を伴わないたんなる序列(?)を区別できるはずがありません。

もし、価値評価を伴わないたんなる序列を「優劣」に含まないとすると、逆に懸賞に該当すべきものまで大幅に総付になってしまいます。

もともと懸賞告示1項2号の「優劣又は正誤」というのは、以前は偶然性だけだったのが、それだと、「作文を送って優秀なものに賞品を差し上げます」というようないわゆる優等懸賞が脱法的に行われるようになったので、それを規制するために追加されたものです。

なのでもともと「優劣」なんて、社会的に優れているかどうかなんてどうでもよくて、たんなる偶然性にひと手間加えただけのものでよかったわけです。

さらにQ&Aでは続けて、

「しかしながら、例えば、ウェブサイト、電話、ファクシミリ、郵便等による商品等の購入の申込順に商品を提供する場合等に、商品等の購入者が、申込時点において景品類の提供を受けることができるかどうかを知ることができないのであれば、偶然性によって景品類の提供の相手方が決定されることに等しいと考えられますので、この提供の方法は懸賞とみなされることがあります。」

と回答していますが、これも前段の回答と矛盾します。

というのは、前段では、

「来店又は申し込みの先着順によって景品提供の相手方を定めることは、偶然性や優劣で選ぶことには当たらない」

と、先着順が定義上、偶然性や優劣には該当しないといっているのですから、それが購入申し込み時点で順位がわからないというだけで「偶然性や優劣」に該当することになるというのは論理が破たんしています。

まあここは善意に解釈して、前段と後段は併せて読むんだと、つまり、

「先着順は、

購入申し込み時に順位がわかる場合(通常はこちらでしょう)には『偶然性や優劣』ではないので総付

だけれど、

購入申し込み時に順位がわからない場合には『偶然性』によるので懸賞だ」

と読むのかもしれません。

しかしこれも問題です。

なぜなら、これだと来店者に景品をあげる場合など、取引を条件としない景品提供の場合をうまく説明できないからです。

(ちなみにQ&Aの設問では、「来店者」に対して先着順(つまり来店順)で景品をあげる場合も想定しています。)

もし「購入申し込み時に順位がわかっているなら総付」というのを、来店者に対して景品をあげる場合にまで適用すると、明らかに不都合です。

なぜなら、来店者に景品をあげる場合は、お店に来てもらえばお店としては目的達成なわけですから、もし購入申し込み時(正確には申込前)に順位がわかっているかどうかを基準にすると、景品の目的を達成した時点(来店時)では順位がわかっていなくても、来店後、(未来永劫到来しない)申し込み時(正確には、申込前)に順位がわかっていれば、総付だということになってしまうからです。

(なお来店者に提供する経済的利益に取引付随性が認められるのは基本的には小売店が提供する場合に限られますので、小売店を想定してください)

ひょっとしたらQ&Aの「(購入の)申込時点」で順位がわかるかどうかを基準にするというのは、来店者に景品を提供する場合には、「来店時」(正確には、来店前)に順位がわかるかどうかを基準にすると読み替えるのかもしれません。

でもそうすると、来店時(正確には、来店前)に順位がわかることなんて普通ないでしょうから(事前に電話で順位を問い合わせてから来店する人がいるかもしれませんが、それでも、来店時には順位が変わってしまっているかもしれません)、来店者に景品をあげる場合には途端にほぼ100%懸賞となり、前段の、

「来店・・・の先着順によって景品提供の相手方を定めることは、偶然性や優劣で選ぶことには当たらない」

という原則論が適用される場合がほぼない、ということになってしまいます。

ちなみに真渕編著『景品表示法〔第4版〕』(緑本)p191では、

「購入者の一部に先着順で景品類を提供する場合において、購入者が自己の順位をあらかじめ(注・購入前に)知ることができないようなものについては、購入者にとっては『偶然性を利用して定める方法』となるのであり、懸賞に該当することになる。」

と説明されています。

つまり、消費者にわかるかわからないかだけを基準に懸賞か総付かを区別する、ということです。

これはこれで一つの割り切りで、私もこの結論は(理屈はさておき)正しいと思いますが、でもそうすると、Q&Aの、先着順は(定義上)偶然性や優劣にはあたらないという説明とは異なることになります。

それに、緑本の説明でもやはり、(購入者ではなく)来店者に先着順で景品をあげる場合には、どう考えるのかはっきりしません。

話を元に戻してQ&Aについてですが、もし後段のように、

消費者が購入申し込み時(前)に順位がわからないなら懸賞(わかると総付)だ

というルールを一般的に適用すると、たとえば、懸賞運用基準2(3)で懸賞(優劣又は正誤)の例としてあげられている、

「パズル、クイズ等の解答を募集し、その正誤によって定める方法」

の企画を商品パッケージに告知する場合、商品購入は景品提供の条件ではない(場合もある)ので、購入申し込み時が永久に到来しないことになり、永久の未来の先の時点までのどこかの時点では正解はわかるでしょうから、ほとんど常に総付だ、ということになりかねません。

けっきょく、「購入申し込み時に景品がもらえることがわかっていれば総付だ(わからなければ懸賞だ)」というルールは、

先着順を総付と説明するために無理やりひねり出されたルールに過ぎない

と割り切るか、もう少し広く、

購入を条件とする景品提供の場合に限って適用されるルールだ(購入を条件とせずに取引付随性が認められる、来店者に提供する場合やパッケージに告知される場合には適用されない)、

ととらえるほかないのではないか、という気がします。

実は先着順が総付である理由については、青林書院の法律相談シリーズの、

加藤他編『景品表示法の法律相談』

の29頁(内田清人執筆部分)で、(ちょっと長いですが引用すると)

「『先着順』が懸賞にならないのは、例えば、景品の数に限りがあり、商品を購入してくれた方に提供したいが全員には行き渡らない例をイメージすると分かりやすいと思います。

この例は、景品が100個なら100名までは順次提供可能、50個しかなければ50個で終わりになるというように、『景品のある限り購入者全員に提供する』方法、つまり景品数は少ないけれども、提供する方法は『懸賞によらない』ものであるとみることができます。

これらは結果において「先着100名様」「先着50名様」に景品提供するパターンと同じことです。

他方、景品の数が500個、1000個、さらには10億個と増えても、景品数に応じて枠が増えるだけで、『景品のある限り購入者全員に提供する』方法であることには変わりはありません。

つまり、どれだけ大量に景品を用意しても、なくなり次第終了となるのは等しく当てはまりますから、総付景品は、提供数の違いはあっても全てが『先着〇名様』に景品を提供する方法ということができるのです。

少し違和感はありますが、先着順を『懸賞』に当たると考えると、総付景品として規制する対象が存在しないことになってしまうという整理なのでしょう。」

と説明されています。

私は、これは非常に説得力のある説明だと思います。

とくに景品規制でわからなくなったときには、極端に振ってみる(先着10億人とか、1兆円相当の景品とか)、というのは私もよくやる手ですが、そうすると問題の本質がみえてくることが多いです。

たしかに、「先着3名様」と、「先着10億名様」が消費者の目からみて同じなのか(先着3名なら急ぐけれど10億名なら急ぐ必要はない、と感じるのではないか。そこにはやはり差があるのではないか)、という疑問はあるのですが、運用基準が先着順を総付だと言い切ってしまっているのをうまく説明するには、このように説明するのが最も説得力があると思います。

(ちなみにこの本については以前雑誌「公正取引」で書評を書かせていただいたののですが、とても論理的に書かれており、景表法がよく理解できます。)

それを、「先着順は優劣や偶然ではない」とか、「先着順は客観的な条件だ」とか説明しようとするから、いろいろなところで矛盾が出てくるわけです。

客観的な条件か優劣かで区別するのは無理です。区別できない場合がいくらでもあるからです。

たとえば、

①「100m走で上位10名にプレゼント」→懸賞

②「100m走で12秒切った人にもれなくプレゼント」→たぶん懸賞(?)

③「ダイエットで半年以内にマイナス5キロ達成した人にプレゼント」→たぶん懸賞(?)

④「女性に限って、プレゼント」→総付

⑤「浴衣を着てきた人にプレゼント」→たぶん総付

⑥「ピコ太郎の『ペンパイナッポーアッポーペン』の物まねをしてくれた人にプレゼント」→たぶん総付(ちょっと練習したら私でもできそうなので?)

⑦「自動車購入者にカーナビプレゼント」→総付(消費者庁Q&AのQ60。お金さえ出せばクルマは買えるので?)

⑧「ポケモンGOでラプラスをゲットした人にプレゼント」→たぶん懸賞

⑨「入場時にキスしてくれたカップルにプレゼント」→たぶん総付(?)

⑩「バク転してくれた人にプレゼント」→たぶん懸賞(私には一生できそうもないので)

などは、不確実かどうかで決めると上のように(微妙なケースはあるものの)決められますが、客観的な条件かどうかでは決まらないか、全部客観的な条件だと言おうと思えばいえてしまうのではないでしょうか。

たとえば、100mで12秒切るのは客観的な条件のようにみえます。だけど自分が12秒切れるかどうかは必ずしもわからないので、客観的条件ではない、とでも考えるのでしょうか。でもそれって、消費者の目から見て不確実かどうか、という基準そのものです。

あくまで、「消費者一般の目からみて不確実かどうか」で決めるべきでしょう。

そういう基準でいくと、来店順に景品をあげる場合には、来店前に順位がわかることは通常ないでしょうから、基本的には懸賞と考えるのが、ほんらいは正しいのでしょう。

それを運用基準が総付だと言ってしまったものですから、これを総付だと説明するのに苦慮するわけです。

そのなかで、前記書籍の説明は、無理な結論を何とか理屈で説明しようとする試みとして、たいへん優れていると思います。

なお、消費者にとって不確実かどうかできめるとして、次に、いつの時点で不確実性の有無を判断するのかという問題があります。

私は基本的に、消費者が企画を知ったときを基準にすべきだと考えているのですが、すでにとても長くなってきたので、またの機会に考えてみたいと思います。

2017年3月17日 (金)

競争法フォーラムで発表しました。

昨日(3月16日)、競争法フォーラムで、

「プラットフォームビジネスと最恵国待遇条項(MFN)」

というタイトルで発表をさせていただきました。

ご参考までにレジュメを貼り付けておきます。

「170316jclfmfn.pptx」をダウンロード

今まで発表した中ではおそらくRIETI(独立行政法人経済産業研究所)での発表に次ぐくらいのプロの集まりだったので、かなり気合が入りましたcoldsweats01

限られた時間でお伝えしきれなかったことも多かったのですが、発表の中で紹介した、

Boik, A., and Corts, K., 2016, “The Effects of Platform Most-Favored-Nation Clauses on Competition and Entry,” Journal of Law and Economics, vol. 59: 105-134.

という論文は、なかなか読みごたえがあります。

とくに、プラットフォームにおいてMFNがどのように価格や参入に影響を及ぼすのかという論理の筋道を(主に数式ですが)追っていくと、「なるほど」と納得することしきりです。

たとえば、

2つのプラットフォームがMFNを採用した場合のプラットフォームの均衡利潤は、総需要が十分に非弾力的(具体的には、需要をqi=a-bpi+dpjと置いたときに、d>b/2)な場合には、MFNがない場合の均衡利潤より大きい

というところなどは、法律家みたいに「諸般の事情を考慮する」とか「ケースバイケースで判断する」とか適当なことをいわないで、明確な線が(理論上ではありますが)引けてしまうところに、経済学の凄味を感じます。

経済モデルの中にはかなりきつい前提をおいて、「そんなこと実際にどれだけあるのかわからない」というようなものも少なくないですが、このモデルは非常に単純で、かつ、結構有意味な答えが出る点が秀逸だと思います。

正直、自分の能力の限界で全部の論理を終えないところもあるのですが、それでも、簡単な微分と非協力ゲームの基礎を知っていれば8割がたは理解できます。

プラットフォームとMFNについて関心のある方は、ご一読をお勧めします。

数式を一行一行追うごとに、

「なるほど、そういうことか!」

と納得すること請け合いです。

2017年3月16日 (木)

ドイツ証券に対する警告について

3月15日、ドイツ証券に対して、欧州国債の取引に関する不当な取引制限(カルテル)の疑いで警告がなされました

気になったのは、本日(3月16日)の日経朝刊で、

「公取委は実際に受注を分け合ったのは数回だったことなどから明確な独禁法違反とは認定せず、行政指導の警告にとどめた。」

とされていることです。

しかし、ハードコアカルテルについて、数回だけだったから警告というのはいかがなものでしょうか。

アメリカだったら一発で刑務所行きの可能性もあるのに、なんとも甘いといわざるをえません。

ひょっとしたら、外部からはうかがい知れないけれど誰の目から見ても「これで排除措置命令はないんじゃない?」という事情があるのかもしれませんが、公取委の公表文だけみても、なぜ警告にとどまったのか、理由がまったくわかりませんし、報道からも、それはわかりません。

また日経記事によると、

「同じ顧客から複数銘柄の見積もり依頼があった場合、両社が分け合って受注できるように調整していた」

ところ、

「実際に受注を分け合ったのは数回だった」

ということで警告にとどまった、ということらしいのですが、これだとまるで実際に分け合った取引だけが違反のように見えてしまいます。

法的にはそうではなくて、

ドイツ証券:「お前のとこ、○○(クライアント名)から例の件、見積もり依頼あった?」

シティ:「ないよ。」

ドイツ証券:「あっそ。」

というのでも、立派なカルテルです。

きっと課徴金の対象にもなるでしょう。

そのあたり、誤解のないようにしたいものです。

万が一公取委が、ドイツ証券とシティの市場シェアが低いから競争の実質的制限の立証に不安を覚えていたために今回の警告になったのだとしたら、それも大きな問題です。

というのは、たとえ市場シェアが低くても、情報交換の結果両社で均等に割り振ることができたこと自体が、需要者がすべての証券会社に見積もりをとっているわけではないことをうかがわせ、市場シェアの低い会社でもそのような市場の不完全性を利用してカルテルを行うことは十分にありうるからです。

また、カルテルの課徴金は義務的であり公取委に裁量はないことが建前ですが、けっきょく、正式処分をしないことで課徴金も課さずに済んでしまうというのも、なんとなく釈然としないものがあります。

ここでの国債の取引がどれくらいの額だったのかわかりませんが、もし売上の10%の課徴金がかかったら(しかも前述のように、実際に分け合った案件だけでなく情報交換した案件も対象になるとしたら)、けっこうな額になったのではないでしょうか。

それに、警告ですませると、被害者が損害賠償請求をするのにも支障が出てきます。

きちんと調査をやっていれば当然被害者にも事情を聴いているでしょうから、被害者が被害者となっていることすら知らない、ということはきっとないのでしょうけれど、排除措置命令が出ていれば事実上違反の事実が推定されるので、それがないというのは被害者にはつらいものがあります。

日経によれば両社のコメントも、ドイツ証券が、

「警告を受ける以前から既に再発防止策を実施済みだ」

シティグループ証券が、

「警告を受けていないのでコメントする立場にない」

という、なんとも素っ気ないコメントです。

日本企業なら、

「警告を受けたのは遺憾」

とかなんとか、それなりの反省の色を示すのがお約束ですし、仮に「注意」どまりや、何もなしに調査が終わっても、調査を受けただけでまともな日本企業なら過剰反応ともいえるほどにコンプライアンス徹底に取り組むものですが、さすが外資系、そのあたりはとてもドライです。

別に注目を浴びるのが公取委の仕事ではないのでかまわないのですが、ドイツ証券とシティグループが日本の公取委から排除措置命令を受けたらそれなりに海外メディアでも取り上げられたでしょう。

注目されないだけならかまわないのですが、もし、

「日本ではちょっとくらいならカルテルをやっても警告どまり」

なんていう誤ったとらえ方を海外でされたら、よろしくないことだと思います。

それに今回はまだ「警告」なので公表されましたが、日経記事によると、

「シティグループ証券は再発防止策が十分だとして警告は見送った」

ということなので、これまでもハードコアカルテルで警告を逃れた、ひいてはまったく公表されることなく終わった、という案件もあるのではないか?ということが疑われます。

また弁護士的には、シティはどのような再発防止策だったので「十分」と認められたのか、また反対に、なぜドイツ証券は十分と認められなかったのか、というところも、今後のコンプライアンス促進の観点から、明らかにしてほしいところです。

ちなみに去年の5月25日から、リニエンシーの適用事業者は全件公表されることになりましたが、警告どまりだと課徴金納付命令も出ず、リニエンシーが「適用」されることもないので、誰が申請したかも公表されないことになるのですね。

このように、本件の処理にはいろいろと考えさせられるものがあります。

2017年3月10日 (金)

ドイツ証券に対する警告に関する報道について

昨日(3月9日)の日経夕刊に、

「ドイツ証券に警告へ 公取委 欧州国債 利回り調整か」

という記事が出ていました。

驚いたのがその中での「警告」にする理由で、

「この2社の担当者はインターネット上のチャットで〔欧州国債の利回りなどを〕協議していたという。公取委は組織的な行為とは言えないことなども踏まえ、警告が妥当と判断したとみられる。」

とされていたことです。

組織的な行為とはいえないから警告、というのは、どういうことなんでしょうか。

独禁法(なかでも排除措置命令)の目的は公正かつ自由な競争の確保であり、組織的かどうかは本質的ではありません。

日本の独禁法は基本的に企業を名宛人にした行政措置なので、従業員が業務上行った違反行為は当然(あるいはほぼ当然)に企業の行為とみなさないと、排除措置命令が出せない場合が出てきてしまいます。

行政処分という制度を取る以上、従業員の行為は企業の行為とみなす、というのでないと、筋がとおりません。

おそらく、同じく行政処分だけである欧州でも、そういう考え方だろうと思います。

もし欧州の弁護士に、

「日本では、組織的な行為ではない場合には、ハードコアカルテルが警告どまりになる(ことがある)」

といったら、きっと、「なにそれ?」という顔をされると思います。

個人の刑事責任を追及する米国のような制度であれば、企業のまったく知らないところで従業員が違法行為をしていた場合には企業は訴追を免れる、ということはありえます。

反トラスト法ではそういう例は聞いたことがありませんが、米国の外国公務員贈賄(FCPA)では、従業員に対してコンプライアンス教育をしっかりやっていたのに従業員が無視して贈賄をしたというケースで、モルガンスタンレーが法人訴追を免れた、というケースがあります。

日本の刑法の一般論としても、両罰規定があれば必ず法人も起訴されるわけではなく、組織的な関与がなければ起訴されない、ということは普通にあります。

このように、個人や法人の責任を追及することに主眼がある刑事法の場合には、組織的関与がなければ法人は訴追しないというのは、非常に納得感があります。

これに対して排除措置命令は競争回復が目的なわけですから、組織的関与があるかどうかは本来問題とすべきではないのです。

もし組織的関与がない場合には法人には排除措置命令を出さない(出せない)という制度をとるのであれば、個人に対する排除措置命令を導入しないとつじつまが合いません。

ハードコアカルテルは発覚しにくいですから、ほんらい、一罰百戒的に正式処分を打つべきです。

もうすでになくなっている行為だから警告にとどめる(今回の警告の理由がそうかはわかりませんが)、というのも、ハードコアカルテルの場合には妥当ではありません。

今回の件が欧米で摘発されているLIBORやデリバティブなどの金融商品関連の事件とどういう関係にあるのかはよくわかりませんが、少なくとも、海外ではどんどん正式事件として摘発されている(競争法か、市場に対する詐欺罪かは、ともかく)のに、日本では警告どまりというのも、国際的な観点からは見劣りがします。

うがった見方をすれば、外資系企業だから甘い処分ですませたのではないか、とすら疑われてしまいます。

公取委にはあまり英語ができる職員がいませんから、外国企業に対して及び腰になるというのは想像ができます。

かつて知り合いの外国の弁護士が、日本の公取委の幹部の方が海外の会議で配布した資料というのをくれたことがあって、その中での犯則事件についての説明で、

「日本では外国企業を刑事訴追することはない」

と堂々と書いてあるのをみてひっくり返りそうになったことがあります。

「検察庁を巻き込むのは大変だし、ホンネはそうなんだろうけど、何も国際会議で言うことないのに」と思いました。

やっぱり、外国の会社に対して弱腰だとみられるのは、とてもよろしくないと思います。

日経の記事によれば警告に落ちた主な理由は組織的関与の欠如だったようですが(それ自体、妥当な理由でないことは前述のとおりです)、なぜ排除措置命令ではなく警告なのかという理由はふつう警告書には書かれませんし、報道発表でも、ふつうはそのような理由の説明はありません。

しかし、今回のようなケースは警告にとどめた理由の説明が強く求められると思います。

そうでないと、

組織的関与がないと警告どまりになるのでは?

とか、

公取委は外国企業に弱腰なのでは?

という、疑心暗鬼を招きます。

毎年恒例の雑誌「公正取引」の座談会で話題になりそうなテーマではありますが、あれも、建前上は公取委の方のコメントは個人的見解なので、やはりプレスリリースなりで正式に説明してほしいところです。

でもそれはきっと難しいでしょうから、事務総長定例会見でどなたか記者の方が質問していただけないでしょうか

最近の公取は、景表法では富山の家具屋さんの二重価格表示に措置命令を出すのに(3月8日布屋商店に対する措置命令)、ハードコアカルテルが警告というのは、いかにもバランスが悪い。

今年に入ってから、下請法(2月23日ニッド、3月2日プレナス、3月7日あらた)とか、消費税転嫁法(2月22日スーパーホテル、3月9日帝国データバンク)については正式処分が相次いでいますが、本丸の独禁法がこれではさみしいかぎりです。

ちょっと、リソースの振り分け方がおかしいんじゃないでしょうか。

2017年3月 8日 (水)

流通取引慣行ガイドライン改正に関する3月6日日経朝刊記事について

3月6日(月)日経朝刊法務面に、流通取引慣行ガイドライン改正に関する記事が載っていました。

でもこの記事にはいろいろと問題があります。

まず、

「独禁法は・・・正当な理由なく供給先を選別することなどを公正な競争を阻害する『不公正な取引方法』として禁じている。」

というのは、控えめにいって誤解を招きます。

正当な理由がなければ供給先を選別できないなんてことを言い出したら、取引相手の選択の自由と真っ向から衝突してしまいます。

そんなことはありえません。

記事の「図」では、取引先による横流しを

「原則として禁止できない」

とされていますが、これもかなり誤解を招きます。

実際には、横流しの禁止は問題ない場合のほうが多いです。(たとえば市場シェア25%のセーフハーバーにみたない場合)

それどころか、横流しを一切禁止する(つまり消費者にしか売ってはいけないとする)ことすら、問題ない場合の方が多いくらいです。

というわけで、

「実は例外的に、販路を制限できる場合もある。」

として資生堂事件最高裁判決にふれるのも、かなり誤解を招きます。

というのは、同事件は同記事ものべるように対面販売の義務付けが問題になった事例であり、これが(唯一とはいわないまでも)「例外的」に販路を制限できる場合だとすると、対面販売の義務付けのような販売方法の制限ではない制限の場合(たとえば卸売販売を一切禁じるとか、再販売先を指定する一店一帳合制)には、「原則」にもどって原則として禁止されることになってしまいます。

資生堂事件で突如「それなりの合理的な理由」という基準が出てきたようにみえるのは、他の態様の制限とのバランスからも、価格への影響など何らかの反競争的効果があることを前提にした基準であるとみるか、当事者が販売方法の制限の妥当性だけを争ったからそういう判示になったとみるべきです。

なので、資生堂事件の基準をあたかも販路制限一般に適用がある例外であるかのようにいうのは、とても誤解を招きます。

選択的流通制について、

「現行の指針でも『選択的流通』という例外規定があり、①品質の保守(ママ)②適切な使用の確保③消費者利益の確保---の観点から合理的理由があれば、一定基準を満たした流通業者だけに自社商品の取り扱いを認め、他の業者への転売を禁止することが認められている。」

と紹介しているのも問題です。

というのは、もちろん①②③の要件を満たせば転売禁止できるのですが、仮に満たさなくても、取引先制限一般の基準(価格が維持されるおそれ)をクリアすれば問題ないからです。

つまり、選択的流通と取引先制限は二重のスクリーニングになっています。

このように、この記事にはいろいろ問題があるのですが、それがまさに独禁法のわかりにくさであり、流通取引慣行ガイドラインのわかりにくさ、ということなのだと思います。

このような誤解を解くために私はこのブログやいろいろな講演で情報発信をしているのですが、私ごときの情報発信ではいかんともしがたいものがあります。

独禁法が門外漢にわかりにくいのは法律の性質上あるていど仕方がない(文言が抽象的で肝心の考え方はどこにも書いていない)のかもしれませんが、ガイドラインがわかりにくいというのはそれ自体問題だと思います。

だって法律解釈をわかりやすく示すのがガイドラインというものでしょう。

ひとつこの記事をフォローすると、なにもガイドラインをこのように解釈するのは日経だけの話ではなくて、きっと世の中の多くのところでそのように考えられていることの反映ではないか、と思います。

もしそういう間違いを犯すのが弁護士に相談しないためである場合には、「弁護士に相談してくださいね」ということなのですが、困ったことに、独禁法に関しては弁護士のなかにも間違ったアドバイスをする人が多いと思われるのです(セカンドオピニオンをする経験上そう思います)。

というわけで、新しいガイドラインは、

独禁法の体系を理解している人には誤解なく理解できる

というようなものではなくて、

独禁法の門外漢がガイドラインだけをみても、まずは大きな誤解をしない

というものを目指してほしいです。

2017年3月 7日 (火)

不実証広告規制ガイドラインの10・15モードの記載についての疑問

不実証広告ガイドライン第3-2では、提出資料が

「客観的に実証された内容のもの」

に該当するのは

① 試験・調査によって得られた結果

② 専門家、専門家団体若しくは専門機関の見解又は学術文献

のいずれかの場合であるとされ、さらに、(1)アでは、①について、

「試験・調査によって得られた結果を表示の裏付けとなる根拠として提出する場合、当該試験・調査の方法は、表示された商品・サービスの効果、性能に関連する学術界又は産業界において一般的に認められた方法又は関連分野の専門家多数が認める方法によって実施する必要がある。」

としたうえで、その例として、

「自動車の燃費効率試験の実施方法について、10・15モード法によって実施したもの。」

というものが挙げられています。

しかしこの例は、ガイドラインに載せるのはあまりふさわしくないと私は思います。

というのは、10・15(じゅう・じゅうご)モードと実際の燃費にはけっこうなかい離があるからです。

とくにハイブリッド車については、10・15モードでは電池をフル充電して試験してよいことになっているため、実際の燃費と10・15モードとの間に大きなかい離があるものもあるようです。

つまり電池容量を大きくすれば理論的にはいくらでも10・15モードはよくできるわけです。

なので、むしろ10・15モードで計測した燃費については、10・15モード燃費であることを明記しないと優良誤認表示になる可能性さえある、といえると思います。

少なくとも実際の表示では、10・15モードであることを明記したうえで、

「実際の燃費は使用状況により異なります。」

という断り書きまであるのが常ですので、実際に事件になることは今後もないでしょう。

また細かい解釈論を述べれば、

10・15モードが実燃費と違うことはドライバーにとっては常識なので誤認はない

とか、

10・15モードで表示することが社会的な慣習になっている、

とか、いろいろ反論もありえます。

ですが、ではそれがガイドラインに典型例として載せる例として適切か、といえばそうではないでしょう。

もしガイドラインを文字通り受け取るなら、

「実際の燃費は使用状況により異なります。」

というような表示はまったくナンセンスな記載、ということになるでしょうが(だってガイドラインが典型的にOKな場合と言っているのですから)、そんなふうに考えている関係者はまずいないでしょう。

実際、先日の三菱自動車の燃費偽装事件の消費者庁の命令をみると、実燃費より良い燃費を表示していたことが問題とされたのではなく、10・15モードで計測したように表示しながら10・15モードで定められた方法で計測していなかったことが問題とされています。

もしガイドラインを文字通り受け取るなら、そのような認定は本質を外している(本質は表示通りの「性能」があるかどうかであって、政府の定めた方法によるかどうかは関係ないはず)だからです。

(ただ、命令の考え方としては、

「実燃費とのかい離を問題にするとそのかい離が『著しく優良』であるほど大きいことを認定しないといけなくて大変なので、手堅く『10・15モードと表示しながら10・15モードではなかった』というところで違反を認定した」

という実務的な配慮があったのかもしれません。)

ともかく以上のような理由で、10・15モードはこのガイドラインにのせる典型例としては、ふさわしくないと思います。

ほかの例でも、JISを基準にすればいいとか、ちょっとお上の基準を重視しすぎに思われます。

「JIS基準で測れば良好な性能は出ないけれど、実際に近い使用状況で測れば良好な性能がでる」ということも、場合によってはあるのではないでしょうか。

政府のガイドラインなので政府の基準を重視するというのは役人のメンタリティとしてはやむを得ないのかもしれませんが、景表法の誤認は一般消費者を基準とすべきことからすると、お上の基準が絶対であるかのようなガイドラインは好ましくないと思います。

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