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2016年12月

2016年12月28日 (水)

改正下請法運用基準の疑問点

改正下請法運用基準のなかで、5-2の、量産終了後の補給品に関する買いたたきの事例がおかしいんじゃないかということは11月22日の記事で書きましたが、もうひとつ気になる記述があります。

改正運用基準5-3(4)では、

「(4) 親事業者は,原材料費が高騰している状況において,

集中購買に参加できない下請事業者が従来の製品単価のままでは対応できないとして下請事業者の調達した材料費の増加分を製品単価へ反映するよう親事業者に求めたにもかかわらず,

下請事業者と十分な協議をすることなく,

材料費の価格変動は大手メーカーの支給材価格(集中購買価格)の変動と同じ動きにするという条件を一方的に押し付け,

単価を据え置くことにより,通常の対価を大幅に下回る下請代金の額を定めた。」

という例が買いたたきとされています。

しかし、これは競争というものを無視した、非常に問題のある設例だと思います。

このような行為が買いたたきになるなら、集中購買に参加できない中小企業に対してだけ、発注者は高い価格を設定してあげなければならなくなります。

しかし、集中購買に参加できる大企業も参加できない中小企業も同じ市場で競争しているはずであり、両者で区別しなければならない(中小企業に下駄をはかせなければならない)理由は見当たりません。

もし設問での発注者が、たまたま中小企業だけに発注していたとしても、潜在的にはいつでも大企業への発注に切り替えることはできるのですから、同じことです。

この設例が許されるとしたら、当該発注者にとっては、大企業に発注することが何らかの理由で不可能である、という場合だけでしょう。

価格競争力のない企業はたとえ中小企業であっても市場から消えていくのが競争というものであり、この設例は競争の基本を無視しています。

この設例でも、他の買いたたきの設例と同様に、最後のところで、

「通常の対価を大幅に下回る下請代金の額を定めた」

というしばりがかかっていますが、この設例に限って言えば、そもそも「通常の対価」として何をイメージしているのか、さっぱりわかりません。

(ところで、買いたたきの設例ですべて「通常の対価を大幅に下回る下請代金の額を定めた」という一節をこっそり入れて、形式的には法律違反の運用基準でないという体裁を繕いつつ、実は多くの企業がその部分は読み飛ばして「対価を据え置くだけで下請法違反になるんだ」と誤解するように仕向ける、というのは、実に小役人的で、たいへん姑息なやり方だと思います。)

もし「通常の対価」が、

集中購買に参加できない企業が供給できる通常の対価

のようなものをイメージしているとしたら、

集中購買に参加できない企業のみを供給者とする市場

を観念しているということであり、競争の実態を完全に無視しているといわざるをえません。

もしそうではなくて、「通常の価格」が、集中購買に参加できる企業もできない企業も含めた市場を観念しているなら、価格は安い方に収れんしていくでしょうから、集中購買に参加できる企業の水準まで下げることを要求したとしても買いたたきになるはずがありません。

このように、この設例はいったいどのような競争状況をイメージしているのか、まったく見えてきません。

きわめて特殊な前提(例えば前述のように何らかの事情でこの発注者は集中購買に参加している企業からは調達できない、など)を置けば、この設例が正しい場合もあるのかもしれませんが、そのような特殊な場合にしか成り立たない(つまり、実際には適用される場面のない)設例を運用基準に載せるというのは、誤解を招くことはなはだしいと思います。

いったい、この改正を担当した公取委の担当者は、競争というものが分かっているのでしょうか?

ところで、運用基準をこのように批判的に検討しておくことは、とても重要だと思います。

なぜなら、理論的に根拠が薄弱な運用基準は実際には発動されないからです。

そういう観点からみると、同じように羅列されている設例のなかで、どれが本当にやばそうで、どれがリップサービスなのか、濃淡がつけられます。

こんな運用基準が出てしまうのでは、企業の側にも、運用基準を見る目が必要になるでしょう。(運用基準というのは、誰が見ても正しく理解できるものでないといけないと思うのですが・・・)

公取委には、競争政策の担い手としての誇りを持った運用を期待したいと思います。

2016年12月27日 (火)

景品類と本体商品の境目

景表法2条3項では、景品類を、

「顧客を誘引するための手段として、その方法が直接的であるか間接的であるかを問わず、くじの方法によるかどうかを問わず、事業者が自己の供給する商品又は役務の取引(不動産に関する取引を含む。以下同じ。)に付随して相手方に提供する物品、金銭その他の経済上の利益であつて、内閣総理大臣が指定するものをいう。」

と定義しています。

内閣総理大臣の指定はほとんどしばりになっていないので、枝葉末節をはしょると、

「顧客を誘引するための手段として・・・事業者が自己の供給する商品又は役務の取引・・・に付随して相手方に提供する・・・経済上の利益」

です。

ぼーっとよむと何の変哲もない定義ですが、実は、これだけで何が景品類かを語りつくせているかというと、そういうわけでもありません。

よく問題になるわりに案外明確な答えがない(考えてみるとよくわからない)問題に、どこまでが本体商品でどこからが景品類か、という両者の境目に関する問題があります。

条文に即していえば、

本体商品=「自己の供給する商品」

景品類=「(本体商品の取引に付随して相手方に提供する)経済上の利益」

なのですが、どこまでが「商品」で、どこからがそれの取引に付随する「経済上の利益」なのかは、一義的にはあきらかではありません。

まず、景表法には、「商品」の定義はないので、広辞苑で「商品」をひくと、

「商売の品物。売買の目的物たる財貨」

と定義されています。

(ちなみに「役務」のほうは、広辞苑では、

「労働などによるつとめ」

と定義されていて、「商売」の要素がないのは、「役務」という日本語の限界ですね。当然景表法では、「役務」も「商品」とパラレルに、

「商売として提供される労働などによるつとめ」

という意味で使われている、と解されます。)

そこで、

「商品」と「景品類」

の区別は、

「売買の目的物たる財貨」と「売買の目的物たる財貨の取引に付随して提供される経済上の利益」

の区別、ということになります。

しかし、何が「(ほんらいの)売買の目的物」で、何が「付随する経済上の利益」なのかは、景表法の定義をどう眺めても出てこないといわざるをえません。

たとえば、ある衣料品店でカリスマ店員が、売り物の帽子に、ちょっとおしゃれなアクセントとして、バッジをつけて販売したとします。(値段は変わらないとします。)

この場合、「商品」は、「帽子」だけでしょうか、それとも、「帽子+バッジ」でしょうか。

この場合にはなんとなく、バッジも、「売買の目的物たる財貨」のような気がするので、きっと、「帽子+バッジ」で、「商品」なのでしょう。

なので、バッジは景品類ではなく、「帽子の価格の20%まで」なんていうしばりもかかってきません。

これに対して、よくコンビニなどで、ペットボトルのドリンクにミニカーがついていたりするのがありますが、あれは、

「ペットボトル」

が商品なのでしょうか、それとも、

「ペットボトル+ミニカー」

が商品なのでしょうか。

こちらはおそらく、「ペットボトル」が商品で、「ミニカー」がそれに付随する景品類、ということになるのでしょう。

では、帽子のケースとペットボトルのケースのちがいは何でしょう。

これを、売手の側の認識で区別する(売手が、「両者一体で一つの商品だ」と整理すれば全体で一つの商品とあつかう)のは、おそらく間違いでしょう。

そこは、景表法の定義には出てこないのですが、やはり景品規制の趣旨に遡って、消費者の選択をゆがめるかどうか、という観点から、何がほんらいの「商品」で、何が客寄せの「景品類」なのかを区別すべきでしょう。

その際に、消費者は、おまけで判断がゆがんでしまうような不合理な存在なのだ、という視点が重要です(合理的な主体なら、商品と景品類のトータルの価値を合理的に判断して価格と照らして買うかどうかを判断するので、判断がゆがめられず、景品規制の前提と合致しません。)

そうすると、帽子のケースでは、きっとふつうの消費者は、

帽子にめずらしいバッジがついているから判断がゆがめられて帽子を買ってしまう(←不合理な判断)、

というのではなく、

その帽子とバッジの組み合わせなりが全体としておしゃれなので買う(←合理的な判断)、

ということなのでしょう。

というわけで、「帽子+バッジ」で「商品」と判断されます。

「帽子+バッジ」で新たな一つの商品だ、という言い方をしてもかまいませんが、「一つの商品」かどうかは、商品の客観的な効用できまるわけではなく、あくまで世間なみに不合理な(おまけで判断がゆがんでしまう)消費者の目からみて一つに見えるかどうか、という視点が重要です。

この結論は、従来の帽子だけの値段と同じ値段で「帽子+バッジ」を販売しても、基本的には異ならないと思われます(もちろん、限界事例では、バッジ分の価格を上乗せした方が全体で「商品」だといいやすい、ということはあるかもしれませんが)。

これに対してペットボトルのケースでは、ミニカーにひかれるひとは、ミニカーのためにペットボトルの飲料の魅力が増すと考えているわけではなく、ペットボトルはそっちのけで、ミニカー自体にひかれているのでしょう。

(なかには、バッジ付の帽子をかっこいいと思うのと同じように、「ミニカーを眺めながらペットボトルのドリンクを飲むとおいしく感じる」というフェチな人がいるかもしれませんが、きっと少数派でしょう。)

というわけで、ペットボトルのケースでは、ペットボトルが「商品」で、ミニカーがそれに付随する「景品類」だと考えるほかないと思います。

そして、この結論は、ミニカー分の代金を上乗せ(ふつうはしませんが)して販売しても、基本的には変わらないと思います。

・・・と断言するのはちょっとためらわれますが、代金を上乗せしたことによって消費者のとらえ方が変わる(消費者が、おまけも含めて「商品」だと認識し、判断がゆがまなくなる)、という事情でもないかぎり、やはり単純に代金上乗せしたら常にOK(全体で1つの商品になる)、というのは無理じゃないかと思います。

このあたりを定義告示にしたがって説明すれば、

「帽子+バッジ」の「バッジ」は、

「正常な商慣習に照らして当該取引に係る商品〔=帽子〕に附属すると認められる経済上の利益〔=バッジ〕」

ということになります。

ただ、「附属」というのは、広辞苑によると、

「主たるものに付いていること」

という意味で、これだけではバッジもミニカーも区別できないので、やはりポイントは、

「正常な商慣習に照らして」

の部分なのでしょう。

つまり、ペットボトルにミニカーを付けることは、

「正常な商慣習に照らして当該取引に係る商品〔=ペットボトル〕に附属すると認められる経済上の利益」

とは認められない、ということです。

ただ、「正常な商慣習」というと非常に漠然としていて、判断の基準として心もとないので、ここでの実質的な基準は、消費者の判断をゆがめるかどうか、という点に求めるべきだと思うのです。

素直な文言解釈にしたがえば、「正常な商慣習」というのは、商慣習の中でさらに正常なもの、という意味であり(「商慣習」>「正常な商慣習」)、「商慣習」は、

「取引上の慣行。法としての性質を有するに至らないもの。」(広辞苑)

であり、「慣行」とは、

「従来からのならわしとして行われること」(広辞苑)

なので、たとえば、売り物の帽子にカリスマ店員がインスピレーションでシックなバッジを付けて売るような行為は、「正常」かどうか以前の問題として、そもそも「商慣習」といえるほど一般的な(従来からのならわしとして行われている)といえるか、といえば、きっといえないと思います。

なので、定義告示の「正常な商慣習に照らして」という基準はそれを眺めても事案の正しい解決にはつながらないと思われます。

ちなみに定義告示運用基準にしたがって説明しようとすると、この部分は、

「この「商品又は役務に附属すると認められる経済上の利益」に当たるか否かについては、当該商品又は役務の特徴、その経済上の利益の内容等を勘案し、公正な競争秩序の観点から判断する。」

という基準にしたがって判断することになりますが、

「当該商品又は役務の特徴、その経済上の利益の内容等」

というのも、焦点がまったく絞れてませんし、

「公正な競争秩序の観点から判断」

というのもよくわかりません(現在では、「一般消費者による自主的かつ合理的な選択を阻害するおそれの有無の観点から判断」とでも読みかえるのでしょうか?)。

しかも運用基準では、「商品又は役務に附属すると認められる経済上の利益」の説明はしていますが、少なくとも明示的には、「正常な商慣習に照らして」の説明が抜けています(あるいは、運用基準の「この」の部分が「正常な商慣習に照らして」を指しているのかもしれませんが、もしそうだとすると、「正常」とか「商慣習」を「公正な競争秩序」でまとめてしまっていて、かえって内容がぼやけてしまっているように思われます)。

ちなみに定義告示運用基準4(5)では、

「(5) ある取引において二つ以上の商品又は役務が提供される場合であっても、次のアからウまでのいずれかに該当するときは、原則として、「取引に附随」する提供に当たらない。ただし、懸賞により提供する場合(例 「○○が当たる」)及び取引の相手方に景品類であると認識されるような仕方で提供するような場合(例 「○○プレゼント」、「××を買えば○○が付いてくる」、「○○無料」)は、「取引に附随」する提供に当たる。

ア 商品又は役務を二つ以上組み合わせて販売していることが明らかな場合(例 「ハンバーガーとドリンクをセットで○○円」、「ゴルフのクラブ、バッグ等の用品一式で○○円」、美容院の「カット(シャンプー、ブロー付き)○○円」、しょう油とサラダ油の詰め合わせ)

イ 商品又は役務を二つ以上組み合わせて販売することが商慣習となっている場合(例 乗用車とスペアタイヤ)

ウ 商品又は役務が二つ以上組み合わされたことにより独自の機能、効用を持つ一つの商品又は役務になっている場合(例 玩菓、パック旅行)」

とされていますが、「明らか」(ア)とか、「商慣習」(イ)とか、「独自の機能」(ウ)とかいわれても、やっぱりあいまいですし、論理的には、この部分の記述は組み合わされる従たる物品も「商品」(=売買の目的物たる財貨)であることが前提にされているようにも読めるので、帽子のケースはウにあたりそうにみえつつも、そもそもバッジは「商品」(=売買の目的物たる財貨)ではないのでウに該当しない、という解釈すら可能であるように思われます。

(そこであげられている「ゴルフのクラブ」などの具体例をみると、ますます従たる物品も

「商品」(=売買の目的物たる財貨。つまり、「売り物」)

であることを想定している記述のようにみえてきます。)

やっぱり、法律で「商品」と「経済上の利益」という言葉を分けて使っているのに、運用基準で両者をごちゃまぜに使うのは、ちょっと問題があると思います。

とくに、ペットボトルのケースが、

「ア 商品又は役務を二つ以上組み合わせて販売していることが明らかな場合」

に入ってきそうなのは問題で(ペットボトルとミニカーを組み合わせて販売していることは、少なくとも物理的には明らかでしょう)、そうすると、ペットボトルのケースがアに該当しないというためにはやっぱりミニカーはおまけであって「商品」ではないと説明するほかないのではないでしょうか。

でもそんな解釈がとおるなら、運用基準4(5)は、今回検討した景品類と本体商品の境目の判断には何の役にもたたない(適用の前提を欠くため、空振り)、ということになります。(まさに、何が「商品」で、何が「付随する経済上の利益」なのかの区別が問題なので。)

(あるいは、半分以上冗談ですが、ペットボトルの肩にミニカーがぶら下がっていかにもおまけっぽくくっついていることをもって、

「取引の相手方に景品類であると認識されるような仕方で提供するような場合」

にあたる、とでも解釈するのでしょうか?)

ここまでいろいろ考えてみて、おまけに惹かれる消費者は、少なくとも主観的にはきわめて合理的なのではないか(判断がゆがんでいるとか消費者庁がいうのは大きなお世話ではないか)、結局、景品規制は(表示規制と異なり)公正な競争秩序の観点からしか説明できないのではないか、ということをふと思いつきましたが、大きなテーマになりそうなので、またの機会に考えてみたいと思います。

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