経済法における法学と経済学の関係
ふと思いついたのですが、競争法における法学と経済学との関係は、饅頭における皮とあんこの関係に似ていると思います。
ここではもちろん、
法学=皮
経済学=あんこ
ということです。
どういうことかというと、経済学を知らずに経済法を語るのは、饅頭の皮だけ食べるようなものではないか、ということです。
もちろん、あんこだけでは売り物になりませんから(経済学だけでは現実の問題を解決できない)、皮も重要なのですが、やはり、饅頭のキモはあんこなのではないか、と思うのです。
少なくとも、あんことの相性を考えずに皮を作るのでは、おいしい饅頭はできないと思います。
皮を作るのにも熟練の職人技が必要でしょうから(ひょっとしたら、あんこ作りよりも高度な技術が必要かもしれません)、皮作りの職人があんこ作りの職人よりも格下だということは決してありませんが、優れた皮職人はあんことの相性を考えて皮を作るのでしょう。(本当の饅頭は1人の職人が作るのでしょうけれど、そこは物のたとえということで。)
実務のきわめて大きな部分を占めるカルテルでは経済学はほとんど関係ないので、皮だけ食べて生きている独禁法弁護士も世の中にはたくさんいることでしょう。
また日本の特殊事情として、優越的地位の濫用がきわめて大きな地位を占めており、優越的地位の濫用を経済学でまじめに分析したらそもそも違法とすべきではないのではないか(少なくともトイザらスのような事件を違反にするのは行き過ぎ)、といった立論につながるので、ここでも経済学は無視されているといえます。
そういった事情はあるのですが、それでも、カルテルと優越的地位の濫用をのぞいた分野(優越をのぞく不公正な取引方法が典型)では、経済学は饅頭におけるあんこと同じくらい重要だと思います。
もし基礎的な経済学の知見がないと、
けっきょく独禁法はケースバイケース
といったよくわからないアドバイスになったり、「おそれ」という文言だけにとらわれて、
不公正な取引方法では、違法にしようと思えば何でも違法にできる、
といった極端な議論にすらなりかねません。(実際、そうおっしゃっている独禁法弁護士の方もいらっしゃいます。)
あんこが嫌いな人は饅頭は食べないと思いますが、わたしが独禁法を仕事にしているのも、きっと経済学が好きだからなのだという気がしています(どうも独禁法をやっている人のなかには「自分は皮だけが好き」という人がけっこう多いような気がします)。
人によっては、
饅頭の皮というのは言い過ぎで、肉まんの皮くらいの価値はある、
とか、
(重量比ではわずかだけれど味にとっては決定的に重要な)ケンタッキーフライドチキンの衣くらいの価値がある、
という人もいるかもしれませんが、いずれにせよ、皮だけの肉まんや衣だけのケンタッキーフライドチキンが美味しくないことには変わりはないでしょう。
というわけで、独禁法を学ぶときには、あんこも好きになって、皮とあんこの両方を食べることをおすすめします。
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