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2016年10月

2016年10月 8日 (土)

Gベクタリングコントロールを試してきました!

本日は独禁法とはまったく関係のない話題をひとつ。

いつもお世話になっている東京マツダ有明営業所の営業マンの方から、Gベクタリングコントロールの試乗会のご案内をいただき、本日(2016年10月8日)、乗ってまいりました。

Img_4177

ご存じないかたも多いと思うので少しだけ説明すると、Gベクタリングコントロール(GVC)というのは、カーブや車線変更のときにエンジンの出力をわずかに調整することによってタイヤにかかる荷重をコントロールして、車両の応答性や安定性を高めるという、いままでなかったマツダの画期的な技術です。

利点としては、

●思った通りに走れて、運転への自信が高まる。

●疲労の蓄積を抑制し、快適なドライブを楽しめる。

●安定したクルマの動きによって、安心感が高まる。

ということが謳われています。

発表されたときからとても気になっていた技術で、いつか試してみたいと思っていたのですが、当分クルマを買い替える予定もないし、遠慮していたのですが、ちょうど6カ月点検と重なる時期に試乗会があるというので、営業の方にお誘いいただいたという次第です。

試乗した感想は、想像をはるかに上回る効果で、衝撃を受けました。

試乗車は上の写真のアテンザのガソリン2.5リッターで、私の愛車も同じアテンザ(2.2リットルのディーゼル)なので、違いがよけいわかるのだと思うのですが、たとえば普通に車線変更したときに、愛車なら、

これくらいの横Gが頭にかかるだろうな、

これくらいハンドルを切って、これくらい戻すだろうな、

というのが体に染みついているわけですが、Gベクタリングコントロールつきの試乗車だと、

あきらかに横Gのかかり方がゆるやかだし、

ハンドルも、普段はやっているであろう微調整がほとんどいらなくて、行きたい方向にハンドルを切ったらそのままスパッと車線変更が終わる、

という感覚なのです。

試乗前にさんざんYouTubeでGベクタリングコントロールの動画を見ていたのですが、やっぱりこのすごさは乗ってみないとわからないと思いました。

動画で効果を伝えるためには、

曲がれないようなコーナーが曲がれた

カーブでも助手席の女性の首の傾きが少ない

雪上での車線変更でも車体の揺り戻しがない

といったような、見てわかりやすいものばかりになるのですが、実際乗ってみると、安定感が相当違うことがわかります。

そして、日々感じることができる良さは、きっとこういった、何気ない車線変更でクルマがとても安定して感じる、そのため安心感につながる、というところなのではないかと思いました。

カーブを60キロくらいで曲がったときも、愛車なら微妙なハンドルの微調整を当然するようなところが、一度行きたい方向に切ると、そのまま最後まで修正なしに曲がれてしまう感じです。

そのため安定感があるので、きっとコーナーを安心して速く曲がれるのだろうと感じました。

これなら、けっこうきついカーブのある首都高も緊張感なく走れそうです。

こう書くと、Gベクタリングコントロールなしのアテンザがふらふらした安定感のないクルマのような印象を与えてしまうかもしれませんが、もちろんそんなことはありません。

わたしはよく東京から大阪の実家までクルマで帰りますが、新東名などをはしっていると本当にビシッと安定していて、何の文句もありません。

でもGベクタリングコントロール付きなら、きっと車線変更のときの横Gのかかりかたなんかもはるかに少ないんだろうなと想像できました。

同乗者も酔いにくいと思います(営業マンの方もそうおっしゃってました)。

今の愛車も、自動追随式クルーズコントロール付きなので高速ではとても楽チンなのですが(初めて使ったときは、「これは今までの自動車とは別の乗り物だ」と思いました)、そのうえにGベクタリングコントロールが付いたら、無意識に行うハンドルの微調整も減って、ますます疲れなくなるのではないでしょうか(メーカーの説明にもそうあります)。

とにかく、今の愛車もディーゼルのパワーとなめらかさ、クルーズコントロールの便利さに感激しましたが、今回のGベクタリングコントロールは、それ以上の衝撃でした。

私は同じクルマを愛車にしているのでよけいに違いが感じられたのだと思うのですが、マツダに乗ったことのない方でも、気になる方はぜひ、試乗してみることをおすすめします。

この良さは実際に乗ってみないとわかりません。

YouTube動画ではカーブでのハンドル切れ角が少なくなる動画もありますが、それくらいどおってことないだろうと思いきや、体で感じる違いは相当なものです。

(あと、今の愛車との違いとしては、

愛車はディーゼルエンジンなので、試乗車より頭が重い、

愛車は17インチなのに対して試乗車は19インチ

というのが安定感やハンドリングに影響したのかな、とちょっと考えましたが、普通に車線変更しただけでそんなに違いがあるわけはないので、感じた違いはほぼ100%Gベクタリングコントロールの効果だろう、と思っています。)

もし4WD(マツダの呼び方ではAWD)で、Gベクタリングコントロール付きなら、無敵ではないでしょうか。

きっとどこまででも遠出できそうな気がします。

なぜエンジンの出力を制御するだけでこれだけ劇的な効果があるのか不思議で、ほとんど魔法のようですが、ともかく、特殊な状況ではなく普段乗りから効果を感じられる技術であることはまちがいないと思います。

似たような技術で思いつくのはビデオカメラの手ぶれ補正機能ですが、あれは素人的にも、こういうことができたらいいなあと思うし、仕組みも何となく想像できますが、Gベクタリングコントロールは、エンジンをちょっと制御するだけであんなに劇的に運転感覚が変わるなんて想像もできません。

開発者の方は、はじめからこんなすごいものを作ろうとして開発されたのか、それとも、作ったら思った以上にすごいものができてしまったのか、どちらなのか興味がわくところです。

わたしはあんまり物に対してこだわりがなく、最近で本当に良い買い物をしたなあと感じたのは、今の愛車のほかにはiPhone 4(←ちなみにいまだ現役)くらいですが、Gベクタリングコントロールにはそれを上回る感動がありました。

きっと、クルマの運転が苦手な人、不安な人ほど、効果を体験できるのではないでしょうか。

実は試乗前は、Gベクタリングコントロールの効き具合もさることながら、

「電子制御のクルマに慣れると、普通のクルマに戻ったときに、かえって運転が下手になってしまうんじゃないか」

というのが一番の不安でしたが、万が一そういうことがあったとしても、これだけ毎日の快適性に効果があるなら十分に納得できます。

その意味では、「ナビがあると道を覚えなくなる」という不安は的中しており、いまだにできるだけナビは使わないでおこうと努力しているのですが(タクシーで運転手さんがナビなしで裏道をすいすい行くと、得したと思うし、さすがプロと感心する)、Gベクタリングコントロールをオフにすることはありえないと思います。(※ちなみにオフスイッチはありません。)

デメリット(といえるのかはわかりませんが)としては、たとえばロードスターみたいなスポーツモデルにGベクタリングコントロールが欲しいか、といわれれば微妙なところですね。

もう20年以上前になりますが、初代の(ユーノス)ロードスター(NA)をちょこっと運転したときに、今までのどんなクルマとも違う運転感覚で、なんというか、ちょっとハンドルをきるだけでミズスマシのようにピピッと曲がる感じがしてとても新鮮で楽しかったのですが、あれにGベクタコントロールが欲しいかといわれれば、私ならたぶん要りません。

あの、クラっとくる感じが楽しいともいえるし、あのクルマを自分の腕で何ごともなかったようにスムーズに走らせるのが楽しい、ともいえ、いずれにせよ、Gベクタリングコントロールがあると、そういう楽しさがなくなってしまうような気がするのです。

ただ、これは実際につけて走ってみないとなんともいえないので、たとえば現行のロードスター(ND)につけてみたら、楽しいところはそのままに快適性と安全性だけ上がった、みたいな、それこそ魔法のようなことになるかもしれません。

と、いろいろ想像するととてもワクワクします。

少なくとも、背の高いCX-5あたりにつけたら、アテンザ以上に効果は劇的なのではないでしょうか。

おかげさまで、とてもわくわくした週末が過ごせました。東京マツダ有明営業所のみなさま、どうもありがとうございました。

最後にちょっと経済法ブログっぽい切り口から、もしGベクタリングコントロールが有料オプションだったらいくらまで支払うか(支払い意思額(willingness to pay)、あるいは留保価格(reservation price)はいくらか)を考えてみました。

もちろんこれは個人の価値観によります。ミクロ経済学の完全競争モデルでもこれは人によって違うことが当然の前提にされています。私が限界的消費者であるかどうかはまったくわかりません(そしてたぶん、限界的消費者ではないと思います)。それに、この手のアンケートをしても実際に顧客がそのとおり買ってくれるかは当てにならない、とどこかで読んだ気もします。

それでもあえて感想をいえば、私なら、30万円なら躊躇なく買います。

きっと40万円でも買うでしょう。

50万円なら相当迷いそうですが、

これだけ上質な走りになるようにショップに頼んでチューニングしたら100万円でもすまないだろう(というか、いくらお金をかけても不可能かもしれない)、

「これがアテンザ本来のシャシー性能です」(と今回の営業マンの方もおっしゃっていました)といわれたら、納得して買ってしまうかもしれない

(モータージャーナリストの国沢光宏さんも、ふつうのクルマは振動などのためにエンジンマウントを硬くできないところを、Gベクタリングコントロールはエンジンマウントを縮めてクルマの状態にテンションをかけるのだ、というようなことをおっしゃってて、妙に納得しました)

などなどいろいろ想像すると、私の支払い意思額はたぶん50万円ちょっと切るくらいのところにありそうです。

少なくとも、革張りシートと同じ値段でどちらかを選ばないといけないとしたら、Gベクタリングコントロールを選ぶでしょう。

(でも今回の試乗車のナッパレザーのシート(私の愛車はファブリック)は、しっとりしていてとても気持ち良かったです。革シートだとわかってたらジーンズ履いていかなかったのですが・・・関東マツダさん、ごめんなさい

そう考えると、Gベクタリングコントロールが全車標準というのは超お買い得だと思います。

それくらい、久々に工業製品に感動できました。

2016年10月 5日 (水)

テレビ局と検索エンジンと「業として」の有償性

平成27年11月版の下請法講習テキストp19に、

「Q16: 放送番組に使用する番組のタイトルCG,BGM等の音響データの作成は情報成果物作成委託に該当するとのことだが,これらについては,プロダクションの担当者が放送局に来て,ディレクターの指示のままに作業をする場合には,情報成果物作成委託には該当しないと考えてよいか。」

「A: 放送局がプロダクションに委託する業務の内容が,放送局においてディレクターの指示のままに作業をすることというものであれば,それは情報成果物作成委託でなく,放送局が専ら自ら用いる役務の委託であることから,本法の対象とはならない(情報成果物作成委託にも役務提供委託にも該当しない。)。

なお,それが労働者派遣法の対象となるような場合には,本法の対象とはならない。」

というQ&Aがあります。

この考え方自体、そんなこと言いきって大丈夫かという疑問がないではないのですが(指示のまま作業するといっても、プロダクションの担当者のスキルや専門性が反映されることがあるのではないか?)、今回それはひとまず措いて、設問の本筋とは違うところでちょっと疑問があります。

それは何かといえば、情報成果物作成委託の類型1は、

「情報成果物を業として提供している事業者が,その情報成果物の作成の行為の全部又は一部を他の事業者に委託する場合」

という場合ですが、下請法運用基準の役務提供委託に関する説明(第2-4(2))では、

「『業として行う提供の目的たる役務』のうち『業として行う提供』とは、

反復継続的に社会通念上事業の遂行とみることができる程度に行っている提供のことをいい、純粋に無償の提供であればこれに当たらない。」

と、有償でなければならないことが明記されています。

そうすると、放送局の放送は、地上波なら無償なのですから、タイトルCGを番組で使って視聴者に提供しても無償の提供なので、「業として」にあたらないのではないか?という疑問がわきます。

考えられる理屈としては、地上波放送でもテレビ局は広告主から収益を得ているのだから「純粋に無償」とはいえない、というのが考えられますが、心情的には理解できるものの、運用基準の説明では、

「業として行う提供の目的たる役務」

の説明として、

「純粋に無償の提供であればこれに当たらない」

といっているのですから、「提供」(←当然、視聴者への提供のことでしょう)が無償かどうかを問題にしているのであって、つまりは、提供の相手方からお金を採るかどうかを問題にしているのであって、提供の相手方からお金は取らないけれどほかの第三者からお金を取る場合を、

「有償の提供」

と解釈するのは、相当無理があるように思われます。

つまり「有償の提供」というのは、提供の相手方からお金を取らない提供のことではないのか、ということです。

無償の提供は業としての提供に当たらないことが表れているテキストのQ&Aとして、p18に、

「Q11: 景品の製造を委託した場合も本法の対象となるか。」

「A: いわゆる景品は,商品に添付されて提供される場合,有償で提供している商品の一部として提供がなされているため製造委託(類型1)に該当する。また,純粋に無償で提供している景品であっても,自家使用物品として当該景品を自社で業として製造している場合には,製造委託(類型4)に該当する。」

というのもあります。

でもこのQ11をみても、やはり景品提供の相手方から実質的にお金を取っている(本体商品の代金として取っている)から有償なのだ、とは読めても、まったく異なる第三者からお金を取っても有償と解釈するのだとは読めないと思います。

さらに言えば、

テレビ番組制作の取引に関する実態調査報告書

でも、

放送コンテンツの製作取引適正化に関するガイドライン

でも、テレビ局と番組制作会社との間の取引に下請法が適用されることは、当然の前提にされています。

(実態調査報告書のときに何か議論があったのか、ぜひ公取委の人に聞いてみたいところです。)

ですが、もし第三者からお金を取るのも有償の提供だとすると、たとえば、ある商店街が、町内のお祭りのときに、自己の店舗にお客さんを呼びこむために団扇(うちわ)を通行人にただで配ることを企画して下請に製造委託したときに、その団扇の費用の一部に充てるために、ある都市銀行の広告を団扇に載せて、その広告代をその都市銀行から徴収したら、その団扇の提供も「有償」の提供になってしまいそうな気がします。

それはいくらなんでも非常識でしょう。

(「非常識」といいましたが、もっと考えてみると、団扇代の一部に充てるくらいなら可愛らしいものですが、団扇代を超える広告料を都市銀行から取って商店街に利益が出たりすると、テレビ局とどこが違うのか、という気もしてきます。)

ですが他方で、民放の地上波放送が無料だからといって、「純粋に無償」だというのは、かなり引っかかるのも事実です。

(NHKなら問題なく有償なのでしょうけれど。)

民放の地上波放送を「純粋に無償の提供」というのは心情的に抵抗があるとしたら、では、インターネットの検索エンジンは「純粋に無償の提供」なのでしょうか?

われながら理屈ではうまく説明できませんが、インターネットの検索エンジンのほうがまだ、「純粋に無償の提供」というのに抵抗感はないような気がします。

いずれにせよ、テレビ局(NHKを除く)の放送をすべて「純粋に無償の提供」として、番組の一部を構成する映像や音声の下請がすべて下請法の対象外というのはさすがに受けいれがたい結論だと思いますので、結論としては、下請法の対象と解するのでしょう。

実際には、テレビ局は自分でもタイトルCGは作っているでしょうから、情報成果物作成委託の類型3(自家使用の情報成果物)に該当することが多いので、実際には問題ないのかもしれませんが、では自社で作っていないときにはテレビ局と制作会社の取引は下請法の対象外と割り切ってもいいのかというと、なかなかそういうわけにもいかないでしょう。

しかしそもそも、「業として」が有償のものに限るとは下請法には書いていないのですから、運用基準のほうを改正すべきではないでしょうか。

運用基準制定時は商品役務の提供の相手方以外からお金を取る(相手方からはお金を取らない)ビジネスはテレビやラジオくらいだったかもしれませんが、インターネット時代にはいろいろなビジネスが出てくるでしょうから、時代に合わない運用基準はこまめに改正すべきだと思います。

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