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2016年5月

2016年5月31日 (火)

流取ガイドライン改正

5月27日、流通取引慣行ガイドラインの成案が公表されました

パブコメ2番はわたしのコメントです。

問題点ができるだけわかりやすいように工夫して書いたつもりなのですが、なんだかとっても公取が答えやすい質問に端折られてしまってやや不本意なのでbearing、原文を載せておきます。

【公取公表のパブコメ】

「本指針の『市場における有力な事業者』という記載については、『この目安を超えたのみで、その事業者の行為が違法とされるものではなく』とのただし書があるものの、『市場における有力な事業者』であることが、違法性を推定させるかのような印象を与える記載となっている。そのため、例えば、『20%を超えたからといってその事業者の行為の違法性が推定されるものではない』ことを明記するなど、20%という基準が、これを下回った場合に通常問題とはならないということのみを意味するという点を明確にすべきである。」

【原文】

「たんに「市場における有力な事業者」の市場シェアの数字を修正するだけでは不十分である。

本ガイドラインの「市場における有力な事業者」基準の最大の問題は、「市場における有力な事業者」でないことがセーフハーバーとして機能するだけでなく、「市場における有力な事業者」であることが、いわば違法性の推定根拠として機能するかのような印象を与える規定ぶりとなっていることである。

たしかに、「この目安を超えたのみで、その事業者の行為が違法とされるものではなく」との断り書きはあるが、「この目安〔=20%〕を超えたのみで」違法となるわけでないというのは、あまりに当然過ぎて規範としての意義が乏しいといわざるをえない。30%超でも、50%超でも、場合によっては100%でも、それ「のみで」違法とされるわけではないからである。

そこで、違法性を推定させるかのような印象を与える、

「市場における有力な事業者」

という表現自体を廃止し、20%というのはセーフハーバー(これを下回れば違法とならない)の意味しかないことを明らかにするとともに、たとえば、

「20%を超えたからといってその事業者の行為の違法性が推定されるものではない」

ことを明記するなど、20%の基準が片面的な意義しか有しないことを明確にすべきである。

つまり、

①20%以下→セーフ
②20%超→ニュートラル

であることを明確にすべきである。

現在の改正案では、

①20%以下→青信号
②20%超→黄信号(または赤信号)

という印象を与えてしまう懸念があると思われる。

また、20%がもっぱらセーフハーバーとしての機能しか有しないことを明らかにすることが、排他取引および非価格的垂直制限についてきわめて謙抑的な運用がなされている公取委の執行の実態にも合致するものであり、適切であると考える。」

(なお原文はテキスト形式なので強調はありません。)

何が問題なのか、分かってもらえなかったですかねぇ。

世の中で流通制限をする人で、独禁法が気になる人がまずまっさきに見るのが流取ガイドラインのはずです。

そして、そのうちかなりの人は弁護士に意見を求めたり、普段から独禁法を勉強したりしていないわけで、ガイドラインだけを見て結論を出す人もかなり多いんじゃないかと想像されます。

そういう、(言い方は悪いですが)「ズブの素人」にも誤解を与えないような書きぶりにすることが、ガイドラインとしてはとても大切なのではないかと思います。

そういう配慮を求めたくてコメントしたのですが、うまく伝わらなかったのか、あえて聞こえないふりをされてしまったのか、ともかくコメント自体が意図しない形ではしょられたので、少しばかり残念です。

流通慣行ガイドラインにダメそうだと書いてあることが実務ではぜんぜん問題視されていないということはよくあることで、「公正取引」とか「ジュリスト」とかを丹念に読めばそういうことも書いてあるのですが、弁護士ですら、独禁法になじみのない人はそこまでたどり着かず、基本書や公取の公表物くらいしかリサーチしないのです。

先日もある弁護士さんに、

「ガイドラインをみるとダメそうで、どの文献にも書いてないのに、先生のブログをみたら実務ではぜんぜん問題視されていないとわかって、とても役に立ちました。」

といわれ、残念ながらそうだろうな、と思いました。

弁護士さんですらこうですから、いわんや法律の非専門家においておや、です。

それと今回のパブコメ回答でおもしろかったのは、20%の根拠について、過去の審決で市場シェア30%を下回るものについて違法性ありとされたものがある(3番)、という回答です。

どの審決なんでしょうね。(ご存知の方がいたら教えてください。)

もし、昭和の時代の審決が根拠だったりしたら、公取は経済学などの進歩にもかかわらず30年近く何も学んでいないことになる(また、メーカーが流通を支配する時代から流通がメーカーを支配する時代になっている時代の変化を見ていないことになる)ので、まさかそんなことはないと思いますが、ちょっと気になるところです。

それと、パブコメんでこういう回答をすると、「30%未満でも違法」という一般論が独り歩きしそうで怖いです。

【追記】

さっそく、30%以下でも違法になった件について、情報をいただきました。

こちらの件のようです。

(株)サギサカに対する件」(平成12年5月16日勧告審決)

なかなか面白そうなので、そのうちこの件についてはじっくりコメントしたいと思います。

2016年5月26日 (木)

リニエンシーの公表について

公取委が、減免申請者をすべて公表することにしたそうです

どうしてこんなことにしちゃったんでしょうね。

「法運用の透明性等の観点から」という理由だそうですが、なんでも透明であればいいというものではないと思います。

一部に誤解があるのは、これまで申請者はほぼ例外なく自発的に公表してきた、と思われていることです。

でも実際、公表を希望しない例はあります。

公表しなくてもだいたい新聞で、「あそこがリニエンシーを申請したとみられる」というように書かれてしまうので、公表してもしなくても変わらないといえば変わらないのですが、

「各方面に迷惑をかけているのに、いまさら『良いことしました』とアピールするようで気恥ずかしい」

という心情も、日本人としては非常によく理解できる気がします。

それに、上場会社でなくて代表訴訟のリスクもなく、公共工事もやってなくて指名停止も気にしなくていい、という会社の場合には、公表することに目に見えるメリットはありません。

需要者(被害者)が多数のカルテルなら、「うちはクリーンになりました」とアピールする意味もあるかもしれませんが、特定少数の需要者に対するカルテルなら、公表するよりも、その需要者に直接おわびに行くのが筋なわけで、やはり公表するインセンティブがありません。

国際カルテルならクラスアクションのリスクもありますからなおさらです。

(ちなみに米国は申請の事実は秘密にしています。)

今回の方針変更で、ますますリニエンシーの申請が減りやしないか、ちょっと心配です。

公取委でどんな議論がなされたのか、とても気になります。(とくに「法運用の透明性等の観点から」の、「等」って、何なんでしょう?)

2016年5月24日 (火)

DCMダイキに対する転嫁法の勧告について

2015(平成27)年6月9日、DCMダイキが消費税転嫁法上の買いたたきをしたということで勧告を受けています

私は、この勧告は間違っているのではないかと思います。

事案は、こちらのポンチ絵を見ていただくのが分かりやすいですが、要は、免税業者である(と申告した)仕入先と、それ以外の仕入先とで、仕入れ価格に差をつけたのが買いたたきであるとされているようです。

条文とガイドラインを確認しましょう。

転嫁法3条で、買いたたきは、

「特定事業者は、平成二十六年四月一日以後に特定供給事業者から受ける商品又は役務の供給に関して、次に掲げる行為をしてはならない。

一 ・・・商品若しくは役務の対価の額を当該商品若しくは役務と同種若しくは類似の商品若しくは役務に対し通常支払われる対価に比し低く定めることにより、特定供給事業者による消費税の転嫁を拒むこと。」

と規定されています。

そして、ガイドラインでは、

「(2) 『同種若しくは類似の商品若しくは役務に対し通常支払われる対価』とは,

通常は,特定事業者と特定供給事業者との間で取引している商品又は役務の消費税率引上げ前の対価に消費税率引上げ分を上乗せした額をいう。」

とされています。

つまり、増税後は増税前の税込み価格に3%上乗せしなさいよ、ということです。

でもダイキの件は、増税前と増税後を比較して買いたたきだといっているのではありません。

免税業者である(と申告した)仕入先からの仕入れ価格が、それ以外の仕入先からの仕入れ価格よりも、8%安いのが買いたたきだ、といっているのです。

でもガイドラインは同じ特定供給事業者について増税前後を比べるという考え方ですから、どうひねってもダイキへの勧告のような考え方は出てきません。

たしかに、転嫁法3条の、

「通常支払われる対価」

という文言に照らせば、課税事業者に対して支払う仕入れ価格(ポンチ絵では8640円)が「通常支払われる対価」であり、それよりも安く定めれば買いたたきだ、という解釈も、文言解釈としてはあり得ないではありません。

(ただ逆に、免税事業者に対して支払う仕入れ価格のほうこそが通常支払われる対価なのだ、という議論も論理的には同じくらい成り立つのが、この解釈の難点といえば難点です。)

しかし、そもそも転嫁法の買いたたきは下請法の買いたたきをコピペしたために、規制趣旨からかけはなれた文言になってしまったので、そのすき間を埋めるために、文言からかけ離れたガイドラインができたのではないでしょうか?

そうなら、いくら文言からかけ離れていても、公取は、ガイドラインに忠実に解釈・運用すべきでしょう。

ずーっと文言上無理のあるガイドラインにしたがった解釈をとりながら、ガイドラインでは都合の悪い事案が出てきたらガイドラインは見て見ぬふりをする、というのでは、何のためのガイドラインかと言いたくなります。

たぶん公取に聞けば、「通常は」といっているので例外はありうる、という見解なのでしょう。

けれど、ダイキのケースは「通常」ではない例外としてすませられるようなレア・ケースではありません。

免税業者と非免税業者とを平等に扱わなければならないのか、という、きわめて根本的な問題です。

そして、それは増税にともなう円滑な消費税の転嫁という消費税転嫁法の目的とはまったくことなるものであり、とうていとりえない解釈です。

もし免税業者と非免税業者を平等に扱わないといけないとすると、それは、増税の有無にかかわらない、ということでしか論理的にはありえません。

つまり、免税事業者とそうでない事業者を、増税前は増税前で平等に、増税後は増税後で平等に、さらに、増税があってもなくても平等に、扱わなければならない、ということです。

そのような解釈は、くりかえしますが、消費税転嫁法の目的からは出てきません。

別の切り口からいえば、転嫁拒否行為は優越的地位の濫用の特則と位置付けられていますが、もし免税業者と非免税業者を平等に扱わないといけないとすると、それは、差別対価(独禁法2条9項2号・一般指定3項)や、不当な差別的取扱い(一般指定4項)の特則、ということになって、法的な位置づけもまったくことなってしまいます。

ちゃんとガイドラインどおりに運用するなら、ダイキのケースでも、それぞれの免税事業者について、2014年3月31日の仕入れ価格と4月1日の価格を比べて、3%上がっているかどうかを認定すべきでしょう。

そして、もしポンチ絵の想定例のような仕入れ価格の定め方をしていたのであれば、2014年3月31日から4月1日で、仕入れ価格は3%上げていなかったんだろうな、と想像されます。

しかし、ここで問題は、対象商品が日々値段の変わる野菜だった、ということです。

工業製品であれば、3月31日の価格に単純に3%足した価格が4月1日の適正価格といえるでしょう。

でも、野菜の場合はその議論はとても無理があります。

(むしろ、ガイドラインの「通常は」という文言は、日々値段の変わる商品では単純に3%上げればいいとはいえない、ということを意味しているように、私の目には見えます。)

なので、野菜のような商品で転嫁法が問題になることは、あまり考えられないはずなのです。

ですがダイキのケースでは、免税業者とそれ以外の差別的取扱い、という、別の切り口からおそらく事件が発覚したのでしょう。

そのため、増税前と増税後の差、という本来のポイントが素っ飛ばされてしまいました。

でも、そのような論理は本末転倒です。

日々値段の変わる野菜では買いたたきの認定は難しいのであれば、免税業者についても、課税業者についても、同様に、買いたたきの認定は難しいはずであり、両者の差をとらまえて買いたたきが認定できるはずがない(認定の難しさを素っ飛ばせるはずがない)はずなのです。

本件について別の見方をすると、

①課税事業者については、税込み小売価格の80%が仕入れ価格だった

のに対して、

②免税事業者については、税抜き小売価格の80%が仕入れ価格だった

ということであり、税込み価格を基準にして少し変形すると、

①課税事業者の仕入れ価格は、増税前も増税後も、税込み小売価格の80%だった、

のに対して、

②免税事業者の仕入れ価格は、

増税前は税込み小売価格の76.19%(=8000÷10500)

増税後は税込み小売価格の74.07%(=8000÷10800)

だった、

ということであり、これをダメだというのは、手数料率を据え置いたらダメだといっているのと同じ(本件では手数料率を下げていることになりますが、議論の本質は同じです)ことであり、それは取りえない論理です。

そのことは、「商社の口銭率と転嫁法」というタイトルで、以前もこのブログで書きました。

なぜなら、手数料率を据え置いても、(増税の余勢も借りて)販売価格を3%上げれば、手数料も3%上がるはずだからです。

公取委も、販売価格を上げられるのだから、手数料率を据え置くこと自体は買いたたきにならないと考えていることは、コカ・コーラウェストの件で、商品の販売価格に一定率を乗じて手数料単価を定める方法が違反とされていないことからも明らかです。

コカ・コーラウェストの担当者解説(公正取引781号56頁)でも、同事件での手数料には、

①販売価格に一定率を乗じて定める方法(類型①)

②販売価格に応じて異なる価格を定める方法(類型②)

③販売価格にかかわらず一定額に定める方法(類型③)

があったところ、

「これらの類型のうち、類型①及び類型②の方法により手数料単価を定めた設置場所提供事業者に対しては、

清涼飲料水等の販売価格を引き上げることによって手数料単価も引き上げられるものとなっているものの、

類型③の方法により手数料単価を定めた設置場所提供事業者の一部に対しては、販売価格を引き上げても消費税率の引上げ分が上乗せされないにもかかわらず、平成26年4月1日以後の手数料単価について、消費税率の引上げ分を上乗せせず、同年3月31日までの手数料単価と同額に定め、手数料単価に販売個数を乗じた額を販売手数料として支払っていた。」

とされており、類型①②は販売単価を上げることで手数料も上げられたのだから問題ない、という立場が明らかにされています。

ひょっとしたらダイキの件は、小売価格はダイキが一方的に決めていたのかもしれませんが(自販機の飲料価格は、けっこう設置者(オーナー)が決めています)、もしそうなら、それこそが問題の本質なのであって、課税業者と免税業者の差別を問題にするというのは、まったく議論の本筋から外れています。

しかも、ダイキのケースでは、免税業者について仕入れ料率が76.19%から74.07%に下がったことは、問題にするそぶりすら見られません。

このように、ダイキの勧告は論理的には矛盾に満ちたものと言わざるを得ないのです。

しょせん、転嫁法は、競争政策の本質とは無関係の「色モノ」ですから、あまり細かい解釈論をこねくり回しても詮無い気もしますが、転嫁法も法律なのですから、色モノは色モノなりに、きちんと論理的に説明できるような運用をすべきでしょう。

2016年5月23日 (月)

公取委は定員に見合った仕事をしているのか?

私も編集委員の1人をつとめる

『実務解説独占禁止法』(第一法規・加除式)

という書籍の質疑応答編のp10162に、

「公正取引委員会の事件処理件数および定員の推移」

という、興味深いデータが載っています。

(ちなみにこの本、今回紹介するような、ほかでは見られない記述がちりばめられていて、なかなか貴重だと思います。

たとえば下請法の減額の勧告基準について、

「減額分が1000万円を超えることが一つの勧告基準となっていると想定されます。」(p14583)

と、控えめな書き方ですが、ばっちり書いてあったりしますし、あとは、

「公取委と中企庁の〔下請法〕調査方法の相違点」(p14570)

なんていう、とても渋い設問もあります。)

この表では、①平4~平8、②平9~13、③平14~18、④平19~24、の4つの期間について、処理件数(法的措置件数)は、

①141件、②141件、③129件、④121件

公取委の定員(平均)は、

①507人、②558人、③673人、④786人

1人あたり処理件数は、

①0.278件、②0.253件、③0.192件、④0.154件

平4~8を「100」としたときの1人あたり処理件数は、

①100、②91、③69、④55

となっています。

つまり、定員は増えているのに処理件数は減っている、ということがわかります。

たぶん、最新の数字をとれば、もっと1人あたり処理件数は減るでしょう。

もちろん、正式事件だけが公取の仕事ではないですし、法的措置件数は事件数とは違うので(10社のカルテルが摘発されたら、事件数は1件だけれど、法的措置件数は10件)、処理件数が適切なベンチマークなのもかも議論はありうるのでしょうけれど、これだけ長期間にわたって減少傾向が明らかというのは、正直ショッキングです。

最近の公取は、消費税転嫁法とか、教科書問題とか、競争政策の本筋からすれば「色モノ」的な事件の執行ばかりが目立ちますが、それは数字にも表れているといえそうです。

一時期活発だった優越的地位の濫用も、当事者がほぼ例外なく審判で課徴金額を争うので公取も懲りたのか、正式事件がぱったりとなくなってしまいました。

(わたしに言わせれば優越的地位の濫用も色モノなので、事件が減るのはよいことですが、正式事件ではなく行政指導でお茶を濁そうとしているような気配も、なきにしもあらずです。)

やはり、正式事件が減っているというのは、定員に見合った仕事をしていないといわれても仕方ないのではないでしょうか?

昔ある会社の法務部の方と、最近公取の執行が少ないと雑談で話したら、

「公取が活発に活動することなんて、誰も望んでませんよ。」

といわれ、確かにそうだなぁ、と思いました(例外は独禁法弁護士と独禁法学者くらいか?苦笑)。

もちろん、定員を減らされたら困るから事件を増やすというのは本末転倒ですが、このままでは、公取委の活躍を望まない国民からも、

「公取にこんなにたくさん人はいるのか?」

「人手不足の消費者庁に回したほうがいいんじゃないか?」

という議論も出てくるのではないでしょうか。

公取委のみなさま、色モノばかりではなく、競争政策の本質にかかわるような事件の執行を、どうぞよろしくお願いいたします。

そうでないと、誇りをもって仕事をする優秀な人材が来なくなるのではないかと、他人事ながら心配しております。

2016年5月20日 (金)

村上『条解』の差別対価の記述

村上他編著『条解独占禁止法』(弘文堂)

の、差別対価(2条9項2号)のところの、「判審決例の展開」の部分(p138)をみると、

「これまで、本号が適用された事例は存在しない。」

と記載されていますが、これは、差別対価の事例がないという意味ではありません。

その少し上の、

「1 各項の歴史・趣旨および他の項との関係」

の最後にも、

「本号〔2条9項2号〕と一般指定3項との関係については、一般指定③―1参照。」

と書いてあるように、たとえば有名なザ・トーカイ事件などは、すべて一般指定3項のところに書いてあります。

(ただ、「一般指定③-1」(p187)をみても、まさに両項の「関係」についてしか書いておらず、事例は「3 判審決例の展開」に書いてあるのですが。)

2009(平成21)年改正で差別対価が法定の差別対価とそれ以外の差別対価に書き分けられたことを知らない人が、差別対価の事例を集めようと思ってp138のところだけみると、ぎょっとするかもしれません。

ご注意ください。

なお細かいことをいうと、

「これまで、本号が適用された事例は存在しない。」

という表現は、

①2条9項2号の適用が肯定された事例は存在しない

という意味なのか、それとも、

②2条9項2号が争点になって公取や裁判所が判断した事例は存在しない

という意味なのか、ちょっとはっきりしません。

たぶん、筆者の意図としては、②(判断された事例がない)なのだと思います。

というのは、もし①(適用肯定例がない)なら、争点になったけれど結論として適用が否定された事例がまったく載らないことになって、コンメンタールとしてまったく意味のない、片手落ちの情報となりますし、現に、一般指定3項のところには、同項の適用が争点となって結論として否定されたトーカイ事件も載っているからです。

とはいえ、

「これまで、本号が適用された事例は存在しない。」

という語義の解釈としては、むしろ①(適用肯定例がないだけ)とも読めます。

あるカテゴリーの事例が存在するかどうかというのは、きわめて重要な情報です。

「ない」ということを書くためには、継続的にその問題点をウォッチしているか、過去にさかのぼってしらみつぶしにリサーチするか、ともかくたいへんな労力を要するからです。

それだけに、権威あるコンメンタールに「存在しない」と書かれていることは、非常に重要な意味をもちます。

ですので、「存在しない」という記述をするときには、何が「存在しない」のか(=主語)を、これっぽっちも疑義が無いように、書いていただけると、余計なことに気をもまなくてすむので、とても助かるのにな、と思います。

もしここでの、

「これまで、本号が適用された事例は存在しない。」

ということの意味が、(私の期待どおり)

②2条9項2号が争点になって公取や裁判所が判断した事例は存在しない

という意味なら、およそ2条9項2号について争点になって裁判所なり公取委なりが何らかの判断をした事例は、公開されていない裁判例も含めて1件もない、という意味となり、少なくとも同書出版以前の事例は調べる必要がなくなりますので、(リサーチの労力を省くという点で)コンメンタールとして非常に価値のあることを言っていることになります。

コンメンタールというのはこういう使い方をされるものだということ、また、だからこそ、わずかな記述でもゆるがせにできないものであることが、ご理解いただけるのではないかと思います。

ちなみに、同書刊行後の事例では、

標準必須特許の侵害の第三者への告知が差し止められた事例――イメーション対ワンブルー事件――東京地判平成27・2・18

という、FRAND宣言に従ったロイヤルティの提示をライセンサーがしたといえるかが問題となった事例で、差別対価(2条9項2号)を原告(ライセンシー側)が主張した、ということがありました。

この事件では差別対価とは別の不競法の論点で決着がつきましたが、そういう場合は、きっと、

「本号が適用された事例」

にはカウントしないのだろうな、と思います。

(余談になりますが、FRANDのND,つまり、non-discriminatoryに違反して差別的なライセンスをしたら、独禁法2条9項2号または一般指定3項の差別対価になるのか、その場合の違法基準は非FRAND事件と同じなのか違うのか、というのは、面白い論点だと思います。)

2016年5月 7日 (土)

トリンコ判決の位置づけ

滝川敏明「競争者排除行為の違法認定基準(上)」(公正取引671号・2006年)

という論文に、Trinko判決の評価として、

「最高裁も、『短期的犠牲テスト』を単独行為全体に適用することを示唆する意見をTrinko判決において表明した。

Trinko判決において最高裁は、それまでの代表的単独行為判決であるAspen判決を再解釈して、アスペン(スキーゲレンデ会社)の取引拒絶(隣接ゲレンデ企業との共通リフト券発行の停止)の違法性は、アスペンが『短期的利益を犠牲にして、反競争的目的を達成する意欲を示した」(540U.S. 398, 409)ので、認められると表明した。」

「従前の解釈では、それまで継続していた取引をアスペンが合理的理由なく停止した『行為変化』に不当性を認める見方が一般的であった。

これに対し、Trinko判決の見方では、行為変化の事実ではなく、それまで取引(共通リフト券発行)によって利益をあげていた(自由意思により取引したのだから利益になる取引である)ものを、取引停止によって『短期的利益を放棄した』場合に排他行為の不当性が認められる。

この論理によると、新規取引をすべて拒絶する場合であっても、短期的犠牲をこうむる場合には違法性を推定させる。」(25~26頁)

と論じられています。

たしかにアスペン事件では行為が変化したことがポイントだというのはよくいわれることなので、ひょっとしたら上記引用部分の評価が一般的なのかもしれませんが、判決原文をよむと、「再解釈」というほどのものなのか、私は疑問に思います。

つまり、上記論文がのべている、Trinko事件判決でAspen判決に触れた該当部分は、

「The unilateral termination of a voluntary (and thus presumably profitable) course of dealing suggested a willingness to forsake short-term profits to achieve an anticompetitive end. Ibid

のことと思われます(409頁)。

Ibidはここではアスペン判決の610~611頁を指しているので、アスペン判決のその部分をみると、たしかに、いままで自発的にやっていた行為をやめたことが縷々述べられているのですが、最後に、

「Thus the evidence supports an inference that Ski Co. was not motivated by efficiency concerns and that it was willing to sacrifice short-run benefits and consumer goodwill in exchange for a perceived long-run impact on its smaller rival.」

と締めくくられています。

ここでの、「short-run benefits」と、トリンコ判決の「short-term profits」は同じものでしょう。

つまり、短期利益の犠牲というのはトリンコ判決が言い始めたものではなくて、アスペン判決ですでに言われていたのです。

たしかに、どこに力点を置くかという点では、アスペン判決は短期利益の犠牲に力点を置いているようにはみえないので、そこに力点を置いたという意味では、トリンコ判決はアスペン判決を「再解釈」したといえるのかもしれません。

しかし、わたしがこの論文でもっと気になるのは、なんだか不当性の理由(なぜその行為が悪いのか)と、不当性の基準(どの行為を違法とするのか)が、ごっちゃに議論されていようにみえるところです。

つまり、同論文でも「短期的犠牲テスト」と呼ばれている、排他行為全般に関するテストは、「テスト」というくらいですから、違法と適法を分ける基準として議論されているはずです。

これに対して上記引用部分で、

「これに対し、Trinko判決の見方では、行為変化の事実ではなく、それまで取引(共通リフト券発行)によって利益をあげていた(自由意思により取引したのだから利益になる取引である)ものを、取引停止によって『短期的利益を放棄した』場合に排他行為の不当性が認められる。」

と述べている部分は、「違法性」ではなく「不当性」という言葉を使っているせいかもしれませんが、そのような排他行為が悪い理由(非難の根拠)を述べているように、私には思われて仕方ないのです。

その前の導入部分の、

「従前の解釈では、それまで継続していた取引をアスペンが合理的理由なく停止した『行為変化』に不当性を認める見方が一般的であった。」

という問題意識(問題設定)をみても、その行為が悪い理由(非難の根拠)が議論の土俵のようにみえます。

たとえば、高速道路の制限速度が100キロなのは、それを超えると事故の可能性が高まるからです。(非難の根拠)

これに対して、制限速度100キロの高速道路で、違法かどうかの基準は「時速100キロ」です。

どうも、上記論文ではこの2つの区別が明確に意識されずに論じられているような気がしてなりません。

とくに排除行為の違法性基準の議論は、薄皮を一枚ずつ剥いていくような、あるいは、遺跡を発掘するときに地表をすこしずつ剥いでいくような、とても繊細な論理操作が必要なような気がしています。

(経済学者の方はこのあたりが数式でズバッと分かるんだろうな、と想像するととてもうらやましいです。)

なので、ちょっとした論理展開のほころびが、とんでもない間違いにつながるような気がするのです。

トリンコ判決の読み方は私の理解不足かもしれませんが、排除行為の考えかたについては、じっくりと考えてみたいと思います。

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