松村敏弘「優越的地位の濫用の経済分析」を読んで
日本経済法学会年報第27号(2006年)のp90に掲載されている標記論文を読みました。
短い論文ですが非常に勉強になりました。
要点を書き連ねると、まず、
経済学者によって本質的なのは「一定の類型の契約が強行法規的に禁止される」というルール自体の是非である
その理由が「優越的地位の濫用」であろうと「公序良俗違反」であろうと「信義則違反」であろうと、経済学者にとっては重要なことではない
というのがあります。
これは、いわれてみればそのとおりなのですが、法律家にとっては衝撃的ですね。
ひとことでいえば、
キーワードは「優越的地位の濫用」ではなく「強行法規」である(p92)
ということであり、
扱う問題は「特定の類型の契約を禁止すべきか、あるいは無効とすべきか」である。
その理由が「優越的地位の濫用」であるか否かは経済学者にとって関心外である
ということです。
つぎに
「ホールドアップ問題と強行法規」
の問題が論じられ、
伊藤元重=加賀見一彰(1998)「企業間取引と優越的地位の濫用」三輪芳明他編『会社法の経済学』
を引きながら、そこでのホールドアップの議論では、強行法規としての優越的地位濫用規制を正当化することはできず、せいぜい、任意法規としての優越的地位濫用規制(当事者が、「優越的地位濫用規制に基づき公取委が介入することを認める」という契約をした場合に限り、公取委は介入できる、というルール)を正当化しているに過ぎない、と看破されています。
詳しくは原文を参照いただければと思いますが、要は、
①優越規制による介入は、経済厚生を改善することもあれば、損ねることもある
②経済厚生を改善するなら、当事者には、「優越的地位濫用規制に基づき公取委が介入することを認める」という契約を締結する誘引がある
③経済厚生を損なうなら、当事者には、「優越的地位濫用規制に基づき公取委が介入することを認める」という契約を締結しない誘引がある
④よって、任意法規としての優越規制は常に強行法規としての優越規制よりも経済効率性を改善する(か、悪くとも同等である)→weaklyl dominateしている
ということです。
これは、
「強行法規」が一般に契約当事者の厚生を損なうという、経済理論ではしばしば用いられる一般的な原理(p96)
なのだそうです。
たしかに、
優越規制により経済効率性が改善することもあれば損なわれることもある
というのであれば、
優越規制を強行法規としたときには、経済効率性は改善することもあれば損なわれることもある
という結論が導かれるだけなので、ホールドアップを根拠に優越規制を強行法規とすることを正当化することはできなさそうです。
この論文では、前記伊藤他論文が、
「優越的地位の濫用規制」が経済効率性の観点から正当化できる可能性を示した論文と理解している者がいるようである。
がそれは間違いである、と指摘されており、わたしもその1人なので、目から鱗が落ちる思いでした。
ただ、松村論文では優越規制と下請法規制が同列に論じられているのですが、両者の違いの一つは、下請法は下請事業者が合意しても違反は違反である、という点が指摘できると思います。
つまり、純粋な意味での「強行法規」といえるのは、下請法だけなんではないか、そうすると、劣後者の同意により適用が排除される現在の優越規制は、実際には「任意法規としての優越規制」ということになり、実はホールドアップによる効率性改善の論証は伊藤他論文で成功しているのではないか、という気もします。
ただ、松村論文での「任意法規としての優越規制」(←この省略表現は私が勝手に名づけたものです)というのは、取引関係に入る前に事前に契約するという話のようなので、事後的に同意することで優越規制の排除を認める現在の規制とは同列には論じられないのかもしれません。
とくに、関係特殊的投資に起因するホールドアップ問題を論じているのに、事前の契約と事後の同意を(私の上記仮説のように)同列に扱うのは、やっぱりおかしな気がします。
ほかには、
強行法規によって経済効率性が改善する典型的な状況は「第三者効果」が存在している状況である(p96)
という指摘も、同論文で引かれている
Aghion and Bolton (1987), "Contract as a Barrier to Entry"
を読んだ者からするとなるほどと納得できますし、下請が無理をするのは自分が長期的利益を重視する良い下請であるというシグナリングなのだというモデルに関連して、
(シグナリングには費用が伴うので)シグナリングを抑制することは社会全体の経済効率性を改善する可能性がある(p98)
という指摘にも、とても納得感があります。
ほんとうに、経済学者の方というのは、いろいろな角度から、実に厳密な議論をされるのだなあと感心するばかりです。
法律家も負けてはいられません。
とくに優越的地位の濫用については、実務では非常に幼稚な議論が幅を利かせています。
たとえば、
加賀見一彰「『優越的地位の濫用』の濫用の規制:法・法学と経済学との相互対話を目指して」
という論文では、竹島前委員長の、
「安く売れば消費者は喜びますが、”納入業者いじめ”で安くすることは、競争のあり方としてはおかしいと思います。」
という発言を引きながら、
「『おかしいと思います』だけなら子供の論理である。『おかしい』『消費者のためにならない』ことを裏付けるメカニズムを明らかにし、さらに、実際に、規制がネットで社会的利益をもたらすことを定量的に示すべきであろう。」
と批判されています。(p216)
これが現状ですので、少しでも科学的な解釈論が勢いをつけてほしいと感じています。
実は松村先生には経済産業研究所(RIETI)の研究会でよくお目にかかるのですが、この論文を繰り返し熟読して、理解を深めたいと思います。
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