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2016年4月

2016年4月24日 (日)

流取ガイドラインの誤字

公取委のホームページに掲載されている流通取引慣行ガイドラインでは、第2部のセーフハーバーについては、

「(注4)『市場における有力なメーカー』と認められるかどうかについては、当該市場におけるシェアが10%以上、又はその順位が上位3位以内であることが一応の目安となる。」

と数字表記なのに、第1部では、

「(注7) 『市場における有力な事業者』と認められるかどうかについては、当該市場(行為の対象となる商品と機能・効用が同様であり、地理的条件、取引先との関係等から相互に競争関係にある商品の市場)におけるシェアが一〇%以上又はその順位が上位位以内であることが一応の目安となる。」

というように漢数字表記になっています。

(さらに細かいことを言うと、第2部では「%」が全角なのに、第1部では半角です。)

おなじく第3部も漢数字表記のようです。

PDF版は正しくいずれも数字表記のようですので、今回のセーフハーバー改正のついでに、ホームページも直しておかれたらよいと思います。

また、こういうことがあるので、みなさん、コピペして使うときはPDF版を使いましょう。

2016年4月21日 (木)

非係争条項と不争条項の混乱

「非係争条項」(non-assert clause, non-assertion clause)

と、

「不争条項」(no-contest clause, no-challenge clause)

は、本当にまぎらわしいですよね。

「非係争条項」というのは、ライセンシーが、自己の知的財産権をライセンサーに対して行使しない合意です。問題になっているのは、ライセンシーの知財権の扱いです。実質的には、ライセンシーからライセンサーに対する(クロス)ライセンスです。

これに対して「不争条項」というのは、ライセンシーが、ライセンサーの特許権の無効を主張しない合意です。問題になっているのは、ライセンサーの知財権です。

私は、non-assertionを「非係争」訳したのは、誤訳ではないかと考えています。

英語でassertといえば、

to make other people recognize your right or authority to do so

他の人々に、そのようにする自分の権利または権限を認識させること

という意味なので(Oxford Advanced Learner's Dictionary)、ひらたくいえば、権利を主張するとか、権利を行使するとか、そういう意味です。

これがどうして「係争」と翻訳されたのか、私には理解できません。

そこで、非係争条項(NAP条項)は、直訳すれば、

「特許不主張条項」

あるいは、もう少し意味をくみ取って、

「特許不行使条項」

と訳すのが良いと思います。

この混乱はかなり深刻で、たとえば、

野木村忠邦「NAP(特許非係争)条項と日本・米国・EUの独占禁止法」国際商事法務32巻9号1176頁(2004年)

という論文では、冒頭からいきなり、

「特許ライセンス契約中に、ライセンス対象製品について、ライセンシーは特許侵害を理由にライセンサーまたはライセンサーの指定する者に対して訴訟等を提起しないことを義務付ける条項〔非係争義務: Obligation not to challenge patent validity (No Assertion of Patent Clause)、以下NAP条項と略記〕を挿入することは第二次大戦前から行われており・・・」

という具合に、

Obligation not to challenge patent validity 

→特許の有効性に異議を申し立てない義務(不争義務)

No Assertion of Patent Clause (NAP)

→非係争(あるいは、特許不行使)条項

を、いっしょくたにされています。

そのため、中身も間違っていて、

「NAP条項は、米国ではこれまでいくつかの下級審判決において独占禁止法上合法とされている」

として引用されている、

Panther Pumps & Equip. Co. v. Hydrocraft, Inc. 468 F.2d 225, 232 (7th Cir. 1972)

は、実際には、不争条項(no-challenge or no-contest clause)の事例です。

念のため同判決の関係箇所を引用すると、

「We hold that the “no contest” clause in the LEMCO license, though unenforceable under Lear, does not constitute the kind of “misuse” of the patent which forecloses recovery of damages from an unlicensed infringer.」

とされています。

そのあとにも、

「なお、最高裁判決Lear v. Adkins, Inc., 395 U.S. 653 (1969)では、NAP条項は公序(Public Policy)に反し、強行できない(unenforceable)とされているが、これは契約法上のものであって独占禁止法上の判断でない。」

とされていますが、このLear事件もNAPではなく、どちらかというと不争条項に関する事案です。

(「どちらかというと」というのは、この事件では明示的な不争条項があったわけではなく(原審の事実関係をみると、むしろ、契約上はライセンシーが特許の無効を主張して契約解除できるとされていたようです)、たんに、「ライセンシー禁反言の法理」(ライセンシーは、ライセンスを受ける利益を享受しながら特許の無効を主張することはできない、という法理)を否定したにすぎないからです。

この意味でも、同論文の上記引用箇所は不正確です。)

まあ、同論文は最初の定義で非係争条項(わたしの用語では「特許不行使条項」)と不争条項をあわせて「非係争条項」と「定義」しているので、論理的には間違いではないのかもしれませんが、誤解を招くことは確かです。

ほかにも、

「知的財産制度と競争政策の関係の在り方に関する調査研究報告書」

という報告書では、米国の事業会社へのアンケートの回答ではありますが、

「【 米国事業会社】

当社はNAP 条項にはあまり依拠しないし、契約で入れることもない。どんな訴訟であっても訴訟を起こした場合はライセンス契約が無効になるような広範なNAP 条項は、米国最高裁によって違反と認定されているはずである。」

という記述があり(p92)、

「訴訟を起こした場合はライセンス契約が無効になる」

という言いぶりからすると、これは、ライセンサーの特許権が無効であるとして訴訟を起こした場合、つまり、不争条項(no challenge clause)の問題と勘違いしているのではないかと疑われます。(「米国最高裁」というのは、Lear事件判決のことではないかと推測されます。)

NAP条項で「訴訟を起こす」とすれば、ライセンシーがNAP条項の無効(独禁法違反?)を主張して自己の特許権をライセンサーに対して行使する(損害賠償・差止を求める)、という場合くらいしか思いつきませんが、そんなことがそうあるとも思えません。

へんな翻訳をすると混乱のもとになるという典型例ですね(ひょっとしたらアメリカでも混乱しているのかもしれませんが)。

やっぱり、外国法のリサーチをするときには原文にあたらないといけないという思いをあらためて強くしました。

2016年4月20日 (水)

【ご紹介】著作権裁定制度に関する文化庁動画

本日は独禁法の話題ではないですが、著作権法上の裁定制度に関する文化庁のyoutubeビデオをご紹介させていただきます。

「著作権者不明の場合の裁定制度~みつからないときの詩~」

著作権の裁定制度というのは、著作物を利用したいけれど著作権者がわからないときに、文化庁長官の裁定を受けて、通常の使用料相当額を供託して適法に利用することができる制度です。

40秒あたりから、文化庁長官と審議官がラップを歌いながら踊るところが、なかなか秀逸で、堅いお役所のイメージを見事に壊してくれますhappy01

【2016年7月4日追記】

今朝の日経朝刊法務面にこの動画が紹介されていましたね。

同記事によると、

「4月、動画共有サイトのユーチューブで公開された動画が、関係者の話題を呼んだ。」

のだそうです。

まだの方は、この機会にぜひご覧ください!

2016年4月15日 (金)

虚偽の相見積もりの告知と詐欺罪

メーカーが顧客に対して見積もりを出すと、

「おたくのライバルのA社は、もっと安い△△円を提示してきているよ。もっと安くならないの?」

といわれることが、よくあると思います。

このような、ライバルの相見積もりを聞くと、あまりに安くて信じられない、ということもあるでしょう。

でも、だからといって、当該ライバルに「本当にそんな安い見積もりを出したの?」と尋ねたら、カルテルになる可能性があるので、絶対にやってはいけません。

ここまでは、ふつうの独禁法の話です。

これと関連して、よく疑問を持たれるのが、もし顧客が、ありもしない格安の相見積の価格をでっちあげて、うそをついていたら、民法上の不法行為や刑法上の詐欺罪にならないのか?(顧客の側からみれば、「こんな嘘をついて、不法行為責任や詐欺罪に問われないか」)ということです。

このようなうそをついたら、もちろん、不法行為や詐欺罪になります。

発注者側が優越的地位に立っていようといまいと、関係ありません。

詐欺罪の条文だけ、念のためにみておくと、

「(詐欺)

第二百四十六条   人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。 」

ということなので、相見積もりについてうそをついて商品役務を安く納入させることも、「人を欺いて財物を交付させ」にあたります。

事件にならないのは、ばれてないからか、ばれても訴訟にまでならない、というだけの理由でしょう。

駆け引きとはいえ、うそはいけません。

「この程度の駆け引きは社会的に許容される競争の範囲内だ」なんていう理屈も成り立たないでしょう。

具体的な(ウソの)金額はいわず、抽象的に、

「ライバルのA社は、おたくよりもっと安いよ(おたくはもっと安くならないの?)」

というのも、実際にはもっと安いライバルがいないのであれば、同じくダメだと思います。

若干微妙なのは、ライバルA社の見積もりは、いろいろと前提条件が付いた見積もりなのに、その条件には触れず、結論の価格だけを伝えて値引きを引き出す、というような場合でしょうか。

程度問題ですが、このような場合は、当該価格自体はうそではないので、不法行為や詐欺にはならないのでしょうね。

それこそ、許される駆け引きの範囲内だと思います。

なお、メーカーが顧客からライバルの相見積もりを聞いていいいのか(ライバルとの情報交換としてカルテルのおそれはないか)、というのもよく聞かれますが、このような相見積もりの文脈であれば、通常は問題ないでしょう。

顧客自身もわかってやっているので、「ハブ・アンド・スポーク型のカルテル」といわれてしまうことはないでしょう。

逆にこれができないことになると、顧客がメーカー同士を競わせることができなくなって、かえって競争が阻害されてしまいます。

2016年4月14日 (木)

教科書問題続報(読売新聞の誤報)

読売新聞のネット記事(読売新聞 4月14日(木)7時6分配信)で、

「教科書会社による教員らへの謝礼問題で、独占禁止法違反(不公正な取引方法)の疑いで22社に対する事情聴取を始めた公正取引委員会は13日、各社が会計上、どのような名目で謝礼を支出していたかなどについて調査に着手した。

違反を認定するには、交際費として支出されたのか、それとも裏金として処理されたのかなどが焦点となるためだ。公取委は、各社に提出させた資料などを基に教科書営業の実態解明を目指す。

教科書会社が教員らに謝礼を渡した行為は、独禁法上、顧客に金品を渡して自身との取引を勧誘する『不当な顧客誘引』に当たる可能性がある。公取委の告示によると、『金品を渡す』とは、『正常な商慣習に照らして不当な利益』を相手に与えることを指している。」

というのがありました。

でもこれは誤解です。

会計上裏金か交際費かなんて、独禁法違反に関係あるはずがありません。

不当な顧客誘引の「不当な利益」かどうかは、需要者の選択をゆがめるかどうかがポイントなのであって、渡す側の帳簿に裏金と計上されていようと、交際費と計上されていようと、需要者の選択に影響があるはずがありません。

事件の背景や、再発のおそれなどを知る間接事実としては、多少は意味があるかもしれませんが(それでもわたしはほとんど意味はないと思いますが)、会計上の名目が「焦点となる」なんて、まったくの誤解です。

万が一、公取が本当に、裏金か交際費かが焦点だと考えているとしたら(読売新聞も根拠があって書いているのでしょうから、あながち、あり得ない想定ではありません)、本当に、公取は競争法を分かっていないといわざるをえません。

あるいは、日本の「独禁法」は、世界でいうところの「競争法」とは別物だ、ということなのかもしれません。

最後のほうの、

「教科書会社が教員らに謝礼を渡した行為は、独禁法上、顧客に金品を渡して自身との取引を勧誘する『不当な顧客誘引』に当たる可能性がある。」

というのも、私はそう考えるべきではないというのは先日書いたとおりです。

(まあ、「可能性がある」といわれれば、なんでも「可能性はある(ないとはいえない)」のが独禁法なので、「論理的には間違いではないけれど、著しく誤解を招き不適切」というレベルの問題かもしれませんが。)

一番最後の、

「公取委の告示によると、『金品を渡す』とは、『正常な商慣習に照らして不当な利益』を相手に与えることを指している。」

というのにいたっては、いったいなにをどう誤解したのかすら、理解できません。

これではまるで、公取委の告示に、「金品を渡す」ということの定義が書いてあるかのように読めます。

もちろんそんなことはなくて、一般指定9項(不当な顧客誘引)に書いてあるのは、

「正常な商慣習に照らして不当な利益をもつて、競争者の顧客を自己と取引するように誘引すること。」

ということです。

つまり、

「正常な商慣習に照らして不当な利益」

を相手に与えることこそが、違反要件そのものなのです。

なので、金品を渡すことが「正常な商慣習に照らして不当な利益」に該当するかどうかが問題なのであって、もし最後の文章が意味を持つとしたら、

「公取委の告示によると、『正常な商慣習に照らして不当な利益』を相手に与えることは不公正な取引方法とされており、『金品を渡す』ことは、『正常な商慣習に照らして不当な利益』を与えることに該当しうる。」

ということでしょう。

いずれにせよ、金品をわたしただけで違反になりうるという教科書特殊指定は2006年に廃止されたわけですし、「金品を渡す」ことが「正常な商慣習に照らして不当な利益」とイコールであるかのような記載は、まちがいだと思います。(それ以前に、最後の文章は日本語として意味がよく分かりません。)

こういう社会を騒がせる事件が起きると、普段独禁法に触れない人(世の中の99.9%はそうですがcoldsweats01)が、誤解に基づいて、突如としていろいろなことを言い始めます。

そうして、誤解に基づく報道によって世論ができあがり、専門家の意見は無視されます。

じつに恐ろしいことです。

公取が調査しているのは事実なのでしょうから、それを報道するのはもちろん新聞の仕事ですから、それはけっこうなことなのですが、こういう明らかな誤報は、やめていただきたいと思います。

だいぶ以前、牛脂注入肉が景表法違反だと問題になったときも、最初は違反だという報道一辺倒でしたが(というより、違反であることが前提で、それが争点になるとすら意識していない)、私もだいぶこのブログなどで、景表法違反ではないという情報発信をし、新聞記者さんにもいろいろお話しして、記事にもしていただきました。

今回も専門家として、微力ですが情報発信していこうと思います。

2016年4月12日 (火)

教科書謝礼問題で公取委が調査するとの報道について

教科書会社が公立小中学校の教員らに検定中の教科書を見せ謝礼を渡していた問題で、独禁法違反(不当な利益による顧客誘引)の疑いで公取委が調査を開始する、と報じられています。

これにはびっくりしました。

不当な利益による顧客誘引(一般指定9項)というのは、

「正常な商慣習に照らして不当な利益をもつて、競争者の顧客を自己と取引するように誘引すること」

というものです。

この特別法として景表法があることからも分かるように(一般指定9項の「顧客」は事業者に限られていないので、一般消費者も文言上は含みます。)、もともと、この規定は、取引対象商品の品質や価格という本来の競争手段ではないところで競争することで、顧客の合理的な選択が損なわれる、というのが規制の趣旨です。

典型的には、景表法と同様、需要者の射幸心をあおるような利益が「不当な利益」であると考えられていて、だからこそ、たとえば『論点体系独占禁止法』では、

「需要者の射幸心とは異なる発想で本項〔注・一般指定9項〕を適用することはあり得るか」

という問題の立て方がされたりします(白石先生執筆部分)。

わたしも、そういうものだと理解しており、だからこそ、証券会社の損失補てん事件が不当な利益による顧客誘引とされた(最高裁平成12年7月7日・野村證券損失補てん株主代表訴訟事件)のは、かなり異質な印象を持っていました。

でもそれでも、損失補てん事件は、本来投資家が投資判断のリスクを負うべきという、資本市場の大原則に反していたので、まだ、競争をゆがめるという側面があったということはいえると思います。

(それでも、「資本市場の大原則」に違反すると、「証券会社が投資家を奪い合う投資仲介サービス市場」での競争が阻害されると論理必然にはいえないのではないか、という問題は残るのですが。)

でも、今回の教科書の問題は、競争をゆがめたというようなものでしょうか?

これは、たんなる賄賂なのではないでしょうか?

こんなものまで不当な利益による顧客誘引に該当するとされてしまったのでは、商業賄賂(民間の賄賂)全般が独禁法違反になってしまわないでしょうか?

(あたりまえですが、不当な利益による顧客誘引は、顧客が公務員である場合に限りません。)

もし商業賄賂全般が公取委の執行対象になるとしたら、これはとんでもないことです。

優越的地位の濫用とか、消費税転嫁法とか、最近の公取は本来の競争政策とは関係のないことばかりに熱心ですが、まさか、不当な利益による顧客誘引でくるとは思いませんでした。

でも、こんなことばかりしていると、競争法の執行当局としての存在意義が疑われると思います。

(その点、消費税転嫁阻害表示をまったく執行しない消費者庁は、「消費者に害のある行為だけ取り締まる」、という本分をわきまえており、たいへんすばらしいと思います。

あるいは、消費者庁は(公取と違って)本来の仕事以外のことをするほど暇ではないのかもしれませんbleah

公取委は、ほかにやるべきことはいくらでもあるはずです。公取委は、自らの存在理由を真剣に問うてみるべきでしょう。

ちなみに、もし今回の事件が、「謝礼の支払いが業界全体に蔓延していたので独禁法上の問題になる」という発想をする人がいたら、それは間違いです。

今回の事件が独禁法違反になるなら、1社がやっても独禁法違反になるはずです。

それは、景表法が1社だけでも違反になることを見れば明らかです。(業界でまとめて摘発されることもありますが。)

極端にいえば、全競争者が同じような謝礼を払っていれば競争への影響はプラス・マイナスでゼロ、ということすらありうるくらいです。不当な利益による顧客誘引が、

「1社なら独禁法違反にならないけれど、みんなやってるから違反になる」

という理屈はありえません。

それに、今回の事件は、2006(平成18)年に廃止された、

「教科書業における特定の不公正な取引方法」(教科書特殊指定)

の1項とそっくりです。

同特殊指定1項では、

「小学校、中学校、高等学校及びこれらに準ずる学校において使用する教科書(以下「教科書」という。)の発行または販売を業とする者が、

直接であると間接であるとを問わず、

教科書を使用するものまたは教科書の選択に関与するもの(以下「使用者または選択関係者」という。)に対し、

自己または特定の者の発行する教科書の使用または選択を勧誘する手段として

金銭、物品、きょう応その他これらに類似する経済上の利益を供与し、または供与することを申し出ること。〔以下省略〕」

とされています。

とすると、廃止された特殊指定と同じ行為を一般指定で取り締まる、ということになってしまいます。

これは問題ではないでしょうか。

いったい何のための特殊指定の廃止だったのか、という気がします。

なお、公取委の「特殊指定の見直しに関するQ&A」では、

「問10 特殊指定を廃止すると,その行為は自由に行えるようになるのですか?

答10 答は,ノーです。というのは,『特殊指定』と『一般指定』は重複関係にあるので,要するに,特殊指定で規定されている行為については,まず,『特殊指定』が適用されるという関係にあります。したがって,そこで規定されていない行為には,当然に『一般指定』が適用されることになります。これは,『特殊指定』が廃止された場合であっても同じことです。」

とされています。

(ちなみにこのQ&Aは、新聞特殊指定を廃止しようとしたのに果たせなかった公取委の新聞業界に対する恨みつらみが全面に出ており、「よくこんなもの公表したなぁ」と感心します。)

しかし、このQ&Aは、論理的にまちがいです。

というのは、

「『特殊指定』と『一般指定』は重複関係にある」

という前提が間違っています。

正しくは、

「『特殊指定』と『一般指定』は、重複関係にある場合もあるし、ない場合もある」

です。

一般指定も特殊指定も、根拠は独禁法2条9項6号です。

それ以上の縛りはありません。

まして、「特殊指定」と「一般指定」が重複関係にある必要があるなんて、どうやったって独禁法2条9項6号からは出てきませんし、実際、特殊指定の中には、一般指定該当しないものもいくらでもあります(ありました)。新聞特殊指定なんかが典型例でしょう。

こういう、

「『特殊指定』と『一般指定』は重複関係にある」

なんていうことを平気で言ってのける公取も公取ですが、ともかく、特殊指定に違反したら常に一般指定にも違反する、ということは決してありません。

なので、特殊指定を廃止したから、いままでできなかったことができなくなる、ということは、確実にあります。(そうでなければ、特殊指定の意味もないし、廃止する意味もない、ということになってしまいます。)

素直に考えれば、教科書特殊指定が廃止されたのだから、教科書特殊指定1項に該当する行為は、一般指定に該当しない限り、やってもかまわない、ということに当然なるでしょう。

それにもかかわらず、今回の教科書問題のように、廃止された特殊指定に該当する(かどうかはわかりませんが、少なくとも該当しそうに見える)行為を一般指定で摘発するというのは、いかにもバランスを失していると思われます。

逆にいえば、今回のケースが一般指定で取り締まれるなら、教科書特殊指定はいったい何のためにあったのか?と思われるわけです。

それと、馳浩文部科学大臣が、公取委が教科書会社に排除措置を命令した場合、発行者の指定取り消しも含めて検討するとの見解を示したそうですが、これもピントがぼけていて、独禁法違反でなくても指定を取り消す(たとえば贈賄罪なら取り消す)ということも、十分あるはずです。

(これは完全に下衆の勘繰りですが、もし馳大臣が、警告どまりになることを見越して、「排除措置名なら取り消しも」といっているとしたら、つまり、

「警告どまりだったから、取り消しはなしね。」

という幕引きを狙っているとしたら、これはこれで、「よく考えてるなぁ」ということなのかもしれません。)

公取委の杉本委員長が、3月の参院予算委員会で

「教科書会社が教科書の採択に関与する者に経済上の利益を供与し、教科書発行者間の公正な競争が阻害される恐れがある場合は独禁法上問題になる」

と答弁したそうですが、これだとまさに、商業賄賂全般が独禁法違反だといっているに等しいでしょう。

(公正競争阻害性なんていう縛りはあってないようなものです。そのことは今回調査が行われているという事実そのものが物語っているといえるでしょう。)

競争法は、企業は1つの意思決定主体だという前提で競争阻害がみとめられる行為だけを規制対象にしておく、というところで理論的に踏みとどまっておくべきです。

そうでないと、こういう担当者への賄賂みたいな、本人とエージェントのインセンティブのずれによる競争阻害のケースまで規制対象に入ってきて、収拾がつかなくなります。

(同じような発想は、優越的地位の濫用のトイザらス事件での、「乙全体でみれば甲への依存度は低いが、乙の特定部門だけでみれば依存度は高い」という認定にもみられます。こういうことをやりだした瞬間に、競争法は競争法でなくなると思います。)

たしかに、外国公務員贈賄罪が不正競争防止法の一部になっていることからも、賄賂が競争をゆがめるという面はあるのですが、だからといってすべての賄賂(民間の賄賂も含む。)が独禁法違反になるわけではないでしょう。

競争法の本質を理解していればこのような答弁にはならなかったでしょうし、もっと工夫の余地もあったと思います(議事録がまだ出てないようなので、そのうち確認します)。

たしかに、

「正常な商慣習に照らして不当な利益」

という文言の意味次第では、論理的には、どのような規制も可能になるのでしょうけれど、はたしてそれでよいのか、という問題です。

独禁法を文言だけを頼りに(裏付けとなる理論なしに)運用することの恐ろしさを、改めて感じさせる事件です。

2016年4月11日 (月)

トイザらス審決再論

以前、トイザらス審決が濫用から優越的地位を推認しているのはおかしいと書いたことがあるのですが

白石忠志「優越的地位濫用ガイドラインについて」公正取引724号10頁

に、参考になる記述がありました。

それは、優越的地位の判断基準の、

「・・・甲が乙にとって著しく不利益な要請等を行っても、乙がこれを受け入れざるを得ないような場合

という部分が濫用の判断基準(「今後の取引に与える影響(等)を懸念して当該要請を受け入れざるを得ない場合」)と重なって見えるため、要件の重複であるとか循環論法であるといった批判が聞かれることに対して、

「必ずしもその批判は当たらないように思われる。」

とされています。

少し長いですが引用すると、

「まず、優越的地位がある場合でも決して濫用は行わないという清廉な者は、存在する。」

とされます。

× 優越→濫用

ということですね。

続けて、

「逆に、濫用がある場合に、濫用を行えるくらいなのであるから優越的地位はある、ということになるかというと、そうとも限らない。

濫用の基準は、前出6で見たように、抽象的には、

『今後の取引に影響を与える影響(等)を懸念して当該要請を受け入れざるを得ない』か否かである。

それに対し、優越的地位の要件には、

『乙にとって甲との取引の継続が困難になることが事業経営上大きな支障を来す』

が付されている。

つまり、乙から見て、甲との取引が切れてしまったとしても支障はないが、今後の取引に照らして考えれば当面は甲の要請におつきあいしておいたほうが相対的にトクである、という場合があることは、十分に考えられる

これは、濫用は満たすが優越的地位を満たさない、ということになろう・・・」

とされています。ここでは、

× 濫用→優越

とされています。

この分析からもわかるように、トイザらス審決が問題なのは、このように、

「乙から見て、甲との取引が切れてしまったとしても支障はないが、今後の取引に照らして考えれば当面は甲の要請におつきあいしておいたほうが相対的にトクである、という場合があることは、十分に考えられる。」

にもかかわらず、

「乙から見て、甲との取引が切れてしまったとしても支障はない」

場合にまで(つまり、優越的地位が認められない場合にまで)、違反が成立してしまう、ということなのです。

この論文の文脈はあくまで循環論法の批判に応えたもので、推認の是非とはちがいますが、骨太の議論をしていると、どのような場面でも有益な示唆が得られるという、さすが白石先生という視点だと思いました。

蛇足ながら、もう少し白石先生の論述を味わってみると、そもそも、

「今後の取引に照らして考えれば当面は甲の要請におつきあいしておいたほうが相対的にトクである」

というのでも「濫用」となる(直接の利益がないので)、としているガイドラインが、「本当にそれでいいのか?」という感じがしてきます。

さらに、ガイドラインの、

「今後の取引に影響を与える影響(等)を懸念して当該要請を受け入れざるを得ない」

という濫用の基準で、実は大事なのは、

「懸念」

あるいは、

「ざるを得ない」

の部分ではないか、というオソロシイことに気づきます。

つまり、白石先生のおっしゃる、

「今後の取引に照らして考えれば当面は甲の要請におつきあいしておいたほうが相対的にトクである」

というような、ある意味冷静に損得勘定をして判断している場合を「濫用」に該当するという事実を正面切って公取に突き付けられると、たぶん公取は焦って、

「いえいえ、本件では、

『おつきあい』

とか

『トクである』

とかいう冷静な判断に基づいたのではなくて、

『懸念』

させたんですよ。あるいは、

『ざるを得ない』

ように追い込んだんですよ(ね、悪い奴でしょう?)」

という反応を、きっと心の中ではするのではないか、と思うのです。

でも、ガイドラインで「直接の利益」とかいってしまってる手前、

「今後の取引に照らして考えれば当面は甲の要請におつきあいしておいたほうが相対的にトクである」

という場合を、「懸念」あるいは「ざるをえない」に該当しないからOKだ、という立場は公取委は取れないでしょう。

でも心の中では、乙に「懸念」させている(冷静な判断をさせなくしている)、あるいは「ざるを得ない」状態に陥れていることが悪いのだ、と公取委は考えているのではないか、と思われるわけです。

こういう点を一つとっても、優越的地位の濫用がいかに合理性を欠く規制であるのか(少なくとも、問題とすべきでない取引を問題としてしまうfalse positiveが大きい規制であるのか)が透けて見えるようで、たいへん興味深いものがあります。

2016年4月 8日 (金)

加賀見一彰「優越的地位の濫用規制」の濫用の規制:法・法学と経済学との相互対話を目指して」を読んで

掲題の論文が非常におもしろかったので、要点を記しておきます。

同論文ではセブン-イレブン事件(そういえば鈴木会長が辞任されましたね。)を中心に優越的地位の濫用規制の問題点を論じていますが、まず、同事件の排除措置命令はフランチャイズガイドラインを無視していると批判されています。

つまり、フランチャイズガイドラインでは、見切り販売の制限について、

「(見切り販売の制限)

 ○ 廃棄ロス原価を含む売上総利益がロイヤルティの算定の基準となる場合において、本部が加盟者に対して、正当な理由がないのに、品質が急速に低下する商品等の見切り販売を制限し、売れ残りとして廃棄することを余儀なくさせること(注4)。

(注4) コンビニエンスストアのフランチャイズ契約においては、売上総利益をロイヤルティの算定の基準としていることが多く、その大半は、廃棄ロス原価を売上原価に算入せず、その結果、廃棄ロス原価が売上総利益に含まれる方式を採用している。この方式の下では、加盟者が商品を廃棄する場合には、加盟者は、廃棄ロス原価を負担するほか、廃棄ロス原価を含む売上総利益に基づくロイヤルティも負担することとなり、廃棄ロス原価が売上原価に算入され、売上総利益に含まれない方式に比べて、不利益が大きくなりやすい。」

が優越的地位の濫用にあたるとされており、見切り販売の制限が優越的地位の濫用にあたるのは、

「廃棄ロス原価を含む売上総利益がロイヤルティの算定の基準となる場合」

であることが前提とされているところ、最高裁平成19年6月11日判決で、

「本件条項所定の『売上商品原価』は、実際に売り上げた商品の原価を意味し、廃棄ロス原価及び棚卸ロス原価を含まないものと解するのが相当である。」

と認定されて、この前提が成り立たないことが明らかにされた、にもかかわらず、ガイドラインに明示されていることに明らかに該当しない行為を濫用とするのはガイドラインの無視だ、と批判されています。

まったくもっともな批判だと思います。

たしかにガイドラインでは、

例えば、次のような行為等により、正常な商慣習に照らして不当に不利益を与える場合には、本部の取引方法が独占禁止法第二条第九項第五号(優越的地位の濫用)に該当する。」

というふうに、例示ではあるのですが、見切り販売という具体的な行為について具体的な前提を置いて違反だといっている以上、その具体的な前提に該当しない場合には違反ではないと考えるのは当然でしょう。

まあ、公取委のガイドラインなんて所詮この程度のもの、ということかもしれません。

同論文ではそのほか、

①取引外部への影響(例、消費者は濫用により利益を受けること)を考慮しなければ濫用の問題性を認定できないはずである。

②規制対象となる行為の選択・分析が断片的・一面的であり、全体的・総合的な意味や効果を理解できない。

③なぜ特定の行為や仕組みが導入され、どのように機能するのかという視点がなければ、それらの行為や仕組みを評価知ることもできない。

などと批判されています。

①については、竹島前委員長の、

「安く売れれば消費者は喜びますが、”納入業者いじめ”で安くすることは、競争の在り方としてはおかしいと思います。」

「納入業者の足元を見て、不当な値引きや協賛金を要求し、それを値引きの原資の一部にするのは、長い目で見て決して消費者のためにならない。隙あらば利益を搾り取ろうという行為は見過ごせません。」

という発言を引きながら、

「『おかしいと思います』だけなら子供の論理である。

『おかしい』『消費者のためにならない』ことを裏付けるメカニズムを明らかにし、さらに、実際に、規制がネットで社会的利益をもたらすことを定量的に示すべきであろう。」

と、厳しく批判されています。

こちらも、まことにごもっともな批判だと思います。

『おかしいと思います』だけなら子供の論理である」という部分は、たしかに、

「おかしいもん!」

というのは駄々をこねる子供がよく言うので、説明は不要ですね(笑)。

これに対して、

「『おかしい』『消費者のためにならない』ことを裏付けるメカニズムを明らかにし」

というのは、法律家にはなかなか理解できないかもしれません。

私も経済学を勉強して分かってきたのですが、経済学では、一定のルールなど、外生的な(exogenous)要因を所与の前提(assumption)として、利益最大化行動をとるプレイヤーの行動を分析し、その結果どのような市場均衡状態がもたらされるのか、という分析をするので、この「メカニズム」という発想が非常にしっくりきます。

そこで、所与の前提(ルールなど)が変わると市場の結果がどうかわるのか、というメカニズム(因果の流れ、ともいえます)をあきらかにせよ、というのです。

正直言って、法律家は結果しかみないし、ルールがプレイヤーの将来の行動にどのような影響を与えるかという発想に乏しいので(あるいは、そのような発想があっても、分析するツールをもたないので)、「メカニズムを明らかに」というのは、なかなか理解できないのだろうと思います。

その次の、

「規制がネット〔正味〕で社会的利益をもたらすことを定量的に示す」

というのは、経済学の社会厚生(social welfare)あるいは総余剰(total surplus)のことを言っているのは明らかであり、これも法律家にはなかなか理解できない概念です。

このように、この論文を読むと、法律家と経済学者の「相互対話」が進まない理由が、はからずも明らかになります(苦笑)。

最近は公取でも企業結合の分野などで経済分析が用いられるようになったので、経済学が露骨に無視されることは減ったと思いますが、それでも、優越的地位の濫用や下請法の運用においては、経済学は完全に無視されていると思います。

経済学を知ってて意図的に採用しないという判断をするならまだいいのですが、要するに、経済学を知らない、というレベルです。

法律家はもっと経済学の知見に謙虚に耳を傾けるべきだと思います。

 

ちなみに、私なりに①(取引外部への影響)を別の切り口からいえば、

優越的地位濫用規制により消費者の負担で納入業者を保護する

というのは、

高関税をかけて消費者の負担で国内農家を保護する

というのと、構造的には同じわけです。

違いがあるとすれば、

優越的地位の場合には、「濫用は不当だ」という、公正・正義に裏付けられた規制根拠がある(少なくとも公取はあると信じている)

のに対して、

関税の場合には、自由競争の結果をゆがめるものなので(国内農家の保護以外に)規制根拠がない、

という違いがあり、だからこそ競争政策上も優越的地位の濫用には正当性があるが関税にはない、ということになるのでしょうけれど、ほんとうにそのような違いがあるのか(優越的地位の濫用もたんなる中小企業保護ではないか)は、十分に吟味する必要がある問題であり、簡単には答えは出ないでしょう。

少なくとも、「公取が濫用と考えたものが濫用だ」というようなルールでは、規制を正当化するのは難しいでしょう。

さらに同論文では、セブンーイレブンの反論が非常に合理的だったのに公取も独禁法学者もマスコミもまともに取り上げなかった、と憂慮されています。

いずれも非常に説得力があります。

どうして独禁法学者や実務家は、こういったまともな議論をしないのでしょうか。

優越的地位の濫用は弱い者いじめだから、弱い者いじめをする者を擁護すると非難されることをおそれているのでしょうか。

私も依頼者にアドバイスするときは、「公取の規制の現状はこうだから」という話にならざるを得ないのですが、決して現状追認にとどまってはならないと思います。

(ちなみに同論文では、公取の運用に懸念を表明する当事務所の長澤弁護士の座談会での発言がかなり詳細に引用されています。)

私も、おかしいことはおかしいと、主張していきたいと思います(もちろん、「子供の論理」にならないように、きちんと理屈も説明していこうと思いますbleah

2016年4月 6日 (水)

下請法5条書類規則の脱字!

5条書類規則(「下請代金支払遅延等防止法第五条の書類又は電磁的記録の作成及び保存に関する規則(平成十五年十二月十一日公正取引委員会規則第八号)」)の1条1項2号は、政府法令データによると、

「製造委託、修理委託、情報成果物作成委託又は役務提供委託(以下「製造委託等」という。)をした日、下請事業者の給付(役務提供委託の場合は、役務の提供。以下同じ。)の内容及びその給付を受領する期日(役務提供委託の場合は、下請事業者がその委託を受けた役務の提供をする期日(期間を定めて提供を委託するものにあっては、当該期間)、並びに受領した給付の内容及びその給付を受領した日(役務提供委託の場合は、下請事業者からその役務が提供された日(期間を定めて提供されたものにあっては、当該期間))」

となっています。

でもこれ、よ~くみると、括弧閉じ(「 )」)が、一つ抜けているみたいです。わかりますか?

正しくは、

「製造委託、修理委託、情報成果物作成委託又は役務提供委託(以下「製造委託等」という。)をした日、下請事業者の給付(役務提供委託の場合は、役務の提供。以下同じ。)の内容及びその給付を受領する期日(役務提供委託の場合は、下請事業者がその委託を受けた役務の提供をする期日(期間を定めて提供を委託するものにあっては、当該期間)、並びに受領した給付の内容及びその給付を受領した日(役務提供委託の場合は、下請事業者からその役務が提供された日(期間を定めて提供されたものにあっては、当該期間))」

ですね。

見やすく改行をいれると、

「製造委託、修理委託、情報成果物作成委託又は役務提供委託(以下「製造委託等」という。)をした日、

下請事業者の給付(役務提供委託の場合は、役務の提供。以下同じ。)の内容

及び

その給付を受領する期日

(役務提供委託の場合は、下請事業者がその委託を受けた役務の提供をする期日(期間を定めて提供を委託するものにあっては、当該期間)

並びに

受領した給付の内容

及び

その給付を受領した日

(役務提供委託の場合は、下請事業者からその役務が提供された日(期間を定めて提供されたものにあっては、当該期間))」

です。

下請テキストも、黄色い六法も、全部同じでした。

だいぶ以前に企業結合届出規則の誤字を指摘したこともあるのですが、こちらは、一応論理的には成り立つものでした。

でも今回の5条書類規則のは、明らかに脱字です。

こういうことって、あるのですね。

2016年4月 5日 (火)

松村敏弘「優越的地位の濫用の経済分析」を読んで

日本経済法学会年報第27号(2006年)のp90に掲載されている標記論文を読みました。

短い論文ですが非常に勉強になりました。

要点を書き連ねると、まず、

経済学者によって本質的なのは「一定の類型の契約が強行法規的に禁止される」というルール自体の是非である

その理由が「優越的地位の濫用」であろうと「公序良俗違反」であろうと「信義則違反」であろうと、経済学者にとっては重要なことではない

というのがあります。

これは、いわれてみればそのとおりなのですが、法律家にとっては衝撃的ですね。

ひとことでいえば、

キーワードは「優越的地位の濫用」ではなく「強行法規」である(p92)

ということであり、

扱う問題は「特定の類型の契約を禁止すべきか、あるいは無効とすべきか」である。

その理由が「優越的地位の濫用」であるか否かは経済学者にとって関心外である

ということです。

つぎに

「ホールドアップ問題と強行法規」

の問題が論じられ、

伊藤元重=加賀見一彰(1998)「企業間取引と優越的地位の濫用」三輪芳明他編『会社法の経済学』

を引きながら、そこでのホールドアップの議論では、強行法規としての優越的地位濫用規制を正当化することはできず、せいぜい、任意法規としての優越的地位濫用規制(当事者が、「優越的地位濫用規制に基づき公取委が介入することを認める」という契約をした場合に限り、公取委は介入できる、というルール)を正当化しているに過ぎない、と看破されています。

詳しくは原文を参照いただければと思いますが、要は、

①優越規制による介入は、経済厚生を改善することもあれば、損ねることもある

②経済厚生を改善するなら、当事者には、「優越的地位濫用規制に基づき公取委が介入することを認める」という契約を締結する誘引がある

③経済厚生を損なうなら、当事者には、「優越的地位濫用規制に基づき公取委が介入することを認める」という契約を締結しない誘引がある

④よって、任意法規としての優越規制は常に強行法規としての優越規制よりも経済効率性を改善する(か、悪くとも同等である)→weaklyl dominateしている

ということです。

これは、

「強行法規」が一般に契約当事者の厚生を損なうという、経済理論ではしばしば用いられる一般的な原理(p96)

なのだそうです。

たしかに、

優越規制により経済効率性が改善することもあれば損なわれることもある

というのであれば、

優越規制を強行法規としたときには、経済効率性は改善することもあれば損なわれることもある

という結論が導かれるだけなので、ホールドアップを根拠に優越規制を強行法規とすることを正当化することはできなさそうです。

この論文では、前記伊藤他論文が、

「優越的地位の濫用規制」が経済効率性の観点から正当化できる可能性を示した論文と理解している者がいるようである。

がそれは間違いである、と指摘されており、わたしもその1人なので、目から鱗が落ちる思いでした。

ただ、松村論文では優越規制と下請法規制が同列に論じられているのですが、両者の違いの一つは、下請法は下請事業者が合意しても違反は違反である、という点が指摘できると思います。

つまり、純粋な意味での「強行法規」といえるのは、下請法だけなんではないか、そうすると、劣後者の同意により適用が排除される現在の優越規制は、実際には「任意法規としての優越規制」ということになり、実はホールドアップによる効率性改善の論証は伊藤他論文で成功しているのではないか、という気もします。

ただ、松村論文での「任意法規としての優越規制」(←この省略表現は私が勝手に名づけたものです)というのは、取引関係に入る前に事前に契約するという話のようなので、事後的に同意することで優越規制の排除を認める現在の規制とは同列には論じられないのかもしれません。

とくに、関係特殊的投資に起因するホールドアップ問題を論じているのに、事前の契約と事後の同意を(私の上記仮説のように)同列に扱うのは、やっぱりおかしな気がします。

ほかには、

強行法規によって経済効率性が改善する典型的な状況は「第三者効果」が存在している状況である(p96)

という指摘も、同論文で引かれている

Aghion and Bolton (1987), "Contract as a Barrier to Entry"

を読んだ者からするとなるほどと納得できますし、下請が無理をするのは自分が長期的利益を重視する良い下請であるというシグナリングなのだというモデルに関連して、

(シグナリングには費用が伴うので)シグナリングを抑制することは社会全体の経済効率性を改善する可能性がある(p98)

という指摘にも、とても納得感があります。

ほんとうに、経済学者の方というのは、いろいろな角度から、実に厳密な議論をされるのだなあと感心するばかりです。

法律家も負けてはいられません。

とくに優越的地位の濫用については、実務では非常に幼稚な議論が幅を利かせています。

たとえば、

加賀見一彰「『優越的地位の濫用』の濫用の規制:法・法学と経済学との相互対話を目指して」

という論文では、竹島前委員長の、

「安く売れば消費者は喜びますが、”納入業者いじめ”で安くすることは、競争のあり方としてはおかしいと思います。」

という発言を引きながら、

「『おかしいと思います』だけなら子供の論理である。『おかしい』『消費者のためにならない』ことを裏付けるメカニズムを明らかにし、さらに、実際に、規制がネットで社会的利益をもたらすことを定量的に示すべきであろう。」

と批判されています。(p216)

これが現状ですので、少しでも科学的な解釈論が勢いをつけてほしいと感じています。

実は松村先生には経済産業研究所(RIETI)の研究会でよくお目にかかるのですが、この論文を繰り返し熟読して、理解を深めたいと思います。

2016年4月 4日 (月)

雑誌の懸賞の間引きと課徴金

以前、秋田書店の事件について、担当官解説はおかしいのではないか、ということを書きました

要は、担当官解説は、

「本件のような雑誌の誌面上で案内される懸賞企画についてみれば、応募した懸賞企画の当選の有無を確認するために、当選者が発表される号を購入するという契機(取引の継続や再度の取引の誘引)になる。

そのため、一般消費者が購入前に目にすることができない懸賞企画の案内であっても、顧客を誘引するための手段であると考えられる。」

ということだったのですが、私は、特定の号ではなく、その雑誌一般の魅力を増して、その雑誌一般を買わせる効果があるのではないか、ということを申しました。

そこで、この4月1日から施行された課徴金は、このような場合、どの号の売上にかかってくるのか、という問題が思い浮かびます。

担当官解説では、当選発表号の売上だけが課徴金の対象になる、というのが素直な結論のような気がしますが(当選者発表号説)、やっぱりそれはおかしな気がします。

少なくとも、虚偽の懸賞を掲載した号には課徴金をかけないと変でしょう(懸賞掲載号説)。

さらに、私の説のように、当該雑誌全体の魅力を増しているのだという考えからすると、何号かを問わず当該雑誌のすべての売上に課徴金をかけるべきだ、ということになりそうです(全売上説)。

これはなかなかの難問です。

まず、課徴金ガイドラインでは、

「『課徴金対象行為に係る商品又は役務』は、

具体的に『著しく優良』と示された(『著しく有利』と誤認される)商品又は役務

に限られる。」

とされており(第4-2(3)・12頁)、たとえば、「全品半額セール」と表示したときには、半額になってなかった商品の売上のみに課徴金がかかると説明されています。

この考え方でいけば、秋田書店のケースでは、どの商品が

「具体的に『著しく有利』と誤認される」

商品なのでしょうか?

たぶん、虚偽の懸賞を掲載した号が、「著しく有利と誤認される商品」なのではないでしょうか。

極端な話、懸賞掲載号では「10名当選」と掲載しながら実際には3名しか当選させなかった場合を考えると、

当選者発表号に正直に「3名当選」と書いて当選者3名の名前を載せようが、

計画通りうそをついて「10名当選」と書いて当選者10名の名前(もちろん7名は仮名)を載せようが、

当選者発表号の売上には何の影響もないように思われます。

これが、私が担当官解説をおかしいという理由でもあるわけですが、ともかく、課徴金ガイドラインの

「具体的に『著しく有利』と誤認される商品」

という考え方でいくならば、全号に課徴金をかけるというのはやっぱりむずかしいでしょう(懸賞の載ってない号にまで課徴金がかかってしまう)。

さらに、当選者発表号説もおかしいとすると、ここは、懸賞掲載号だけが、

「具体的に『著しく有利』と誤認される商品」

であるといわざるをえないな気がします。

私は、

「具体的に『著しく有利』と誤認される商品」

という基準は、文字どおりに適用すると狭すぎることもあるのではないかと考えているので、まさにこういったケースにあてはめると、なんだか釈然としません。

少なくとも、懸賞掲載号説は担当官解説とは矛盾するような気がします。

ともあれ、雑誌の懸賞の間引きは今後もきっと起こるでしょうから、消費者庁がどのような課徴金のかけ方をするのか、注目です。

2016年4月 1日 (金)

流取ガイドラインのセーフハーバーパブコメについて

流通取引慣行ガイドラインのセーフハーバーを20%とする案が公表されてパブリックコメントにかけられています

順位の基準については、予想通り廃止されました。

市場シェアの基準については、

「欧州なみの30%になるんじゃないか」

とか、

「それだと芸がないから25%じゃないか」

とか、いろいろ憶測を呼んでいたところですが、想定される中では最も上げ幅の小さい改定となりました。

私はこの改正にはとても不満です。

だいたい公取は、独禁法が始まって以来、再販と取引妨害以外は垂直制限をまったく取り締まっていません。(再販とセットでついでに取り締まったものはあります。)

しかも再販は(ほぼ)当然違法ですし(今回のセーフハーバーも対象外)、取引妨害には市場シェアを考慮するという発想自体が希薄です。

つまり、市場シェアが気になるような排他条件付取引やテリトリー制は、実務ではまったく野放しになっているわけです。

また、それで多くの場合は問題もないわけで、だからこそセーフハーバーを上げろという議論が出てくるわけです。

それにもかかわらず、建前(ガイドライン)だけは厳しめにしておく、というのは、行政の裁量を少しでも残しておきたいという役人根性のあらわれだというほかありません。

排除行為の被害者を代理して公取に処分を求めたりしたこともありますが、めったに公取は動いてくれないし、同じような怨嗟の声はほかの弁護士からもしばしば聞くところです。

こんな厳しいガイドラインを置くのなら、本気で取り締まれよといいたいです。

独禁法をきちんと運用するつもりなら、セーフハーバーは30%にして、もし40%の事業者が排除行為を行ったら取り締まる、というようにすべきでしょう。

セーフハーバーを20%にして、80%でも取り締まらない(せいぜい注意ですます)、なんていうのでは、本当にルールとして機能しているのか疑わしくなります。

公取委に20%の根拠を聞いても、

「鉛筆舐め舐め決めました」

とは口が裂けてもいわないでしょうけれど(笑)、執行例もないので、きちんと根拠(立法事実的なもの)を説明できないのではないでしょうか。

日本の公正競争阻害性は世界の競争の実質的制限よりも厳しい基準だから欧州の30%に対して20%なのだ、ということかもしれませんが、実態としては日本の方がはるかにゆるい運用がなされていることは前述のとおりです。

実務的な感覚としては、セーフハーバーは実際には40%くらいのところにあるといっても過言ではないと思います。(30%台で取り締まられたらびっくり、ということです。)

欧州のように、競争者も排他条件付取引を行っている場合にはそれも考慮するとか、きちんと工夫をすればセーフハーバーをもっと上げられたはずなのに、そういう工夫の跡も見られません。

また、20%の意味合いとして、

「この目安を超えたのみで,その事業者の行為が違法とされるものではな(い)」

というのを引き継いでいるのも工夫がありません。

20%を超えただけで違法になるなんて、独禁法をわかった人は誰も思っていないわけで、そんなことをいうだけではルールとして無意味です。

たとえば、

「この目安を超えたのみで,その事業者の行為が違法とされるものではな(い)」

という目的語句にどのあたりの数字まで主語として入れて違和感無いかを考えると、たぶん、50%でも、60%でも、それほど違和感なく意味はとおってしまうし、論理的には100%でもおかしくないとおもいます。それくらい、

「この目安を超えたのみで,その事業者の行為が違法とされるものではな(い)」

という目的語句には、行為規範として意味が乏しいということです。

ここはもっと踏み込んで、

「この目安を超えたからといって違法と推定されるわけではない

とでもすべきでしょう。(もっといい表現があるかもしれません。)

実際、現行ガイドラインでは、とくに独禁法に詳しくない人たちには、

「これをこえたからって違法でないといわれても、ガイドラインに書いてあるんだから、実際には、これがルールなんでしょう?」

という誤解が現にあるわけです。

あくまで20%というのは、片面的な意味しかない(これを下回れば合法だが、上回ることには意味がない)ということを、明記すべきです。

いっそ、違法性を推定する数値(たとえば50%)を入れたらどうでしょう。

正式事件にならない個人的に経験したことも含めて公取委の最近の運用をみていると、本当に、前例があってパターン化されたイージーなケースしか公取は取り上げないのだなぁと感じます。

それで、たまにJASRACのような、正式事件として取り上げたら着地点が見いだせないことが見えている事件を取り上げて、大失敗するわけです。

クアルコムの審判も、2010年からもう6年も続いています(いつ終わるんでしょうね。。。)。

排除行為は型にはまりにくいので、それぞれの事案で頭を使わないといけないわけです。

実質的には排他条件付取引なのに取引妨害や優越的地位の濫用でお茶を濁すというようなことを続けていると、本当に、組織としての力がどんどん落ちていくと思います。

(取引妨害や優越的地位の濫用は、「こいつは悪い奴だ」という感覚論で運用しても、まあまあ妥当な結論がでますが、排他条件付取引ではそれは無理です。)

それに加えて、今回のやる気のないガイドラインの改正です。

ほんとうに残念ですcrying

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