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2015年9月23日 (水)

不当な取引制限の定義

不当な取引制限の定義を整理しておきます。

不当な取引制限とは、

「事業者が・・・

①他の事業者と共同〔≒合意〕して・・・相互にその事業活動を拘束し、

又は

②〔他の事業者と共同〔≒合意〕して〕〔その事業活動を〕遂行する

ことにより、

公共の利益に反して、一定の取引分野における競争を実質的に制限すること」

と定義されています。

(ちなみに政府の英訳では、

「such business activities, by which any enterprise ...

in concert with other enterprises,

mutually restrict [their business activities]

or

[mutually] conduct their business activities ...

thereby causing, contrary to the public interest, a substantial restraint of competition in any particular field of trade.」

となっています。)

論理的に整理すると、

不当な取引制限とは、

「事業者が・・・

他の事業者と共同〔≒合意〕して・・・

相互にその事業活動を拘束し、

又は

②〔その事業活動を遂行する

ことにより、

公共の利益に反して、一定の取引分野における競争を実質的に制限すること」

ということでしょう。

「共同」というのは、「合意」のこと、つまり、意を通じていること、であると説明されます。

(ちなみに英訳では

「他の事業者と共同して

の部分は、

in concert with other enterprises」

と英訳されていて(EU競争法で「concerted practice」(共同行為)という用語があります)、

「in concert with」

というのは、

「working together with」

という意味なので(Oxford Learner's Dictionary)、まさに「共同」あるいは「共働」というのにぴったりの翻訳です。)

ここで、「事業活動を拘束」(restrict their business activities)というのは、具体的には、拘束を受ける側からすれば、積極的に競争することを控える、ということです(拘束する側からすれば、相手方に積極的に競争することを控えさせる、ということです)。

典型的には、値引きを控える、ということですね。

それを、「相互に」やるので、お互いに値引きを控える、ということになります。

「相互に」は、よくいわれるように、一方が他方を従属させている「一方的拘束」は含まないという意味だ、というのが伝統的な考え方です(白石『独占禁止法(第2版)』p133)。独禁法制定直後には「相互」とは「対等」という意味であるという解説もあったそうです(同書同頁)。

「相互に」は英訳では「mutually」ですが、mutualは、

「used to describe feelings that two or more people have for each other equally, or actions that affect two or more people equally

ということなので、一方的な拘束は含まないという伝統的な考えからすると、これもぴったりの訳です。

法律用語で「相互」といえば、「相互主義」(外国が日本国民に対等な保護を与える限り、日本も当該外国国民に保護を与える。英語ではreciprocity)が思いつきますが、これも、対等の精神です。

「相互保険」、「相互会社」なんかも、加入者は対等である、という対等、あるいは互助の精神が表れている言葉だと思います。

「共同して」というのと、「相互に」というのが、言葉の上で何となく似ていて、両者の関係が分かりにくいですが、「共同して」が修飾するのは、「他の事業者と」です。

これに対して、「相互に」が修飾するのは、「拘束する」です。

なので、「共同して」というのは、他の事業者と一体となって行動していることを表しており、「相互に」というのは、各当事者が受け入れた拘束がお互い様の関係になっていることを表している、といえるでしょう。

でも、論理的には、「相互に事業活動を拘束する」ことは、「他の事業者と共同」していることが前提になっている、というべきでしょう。

というのは、「相互の拘束」というのは、「他の事業者と共同」していない限り、およそあり得ないからです。

いいかえると、各社が独自の判断で(=「共同」でなく)値引きを控えよう、というのは、(そういうのを「拘束」と呼ぶのかという問題もありますが(自己拘束?))、「相互」の拘束とはいわない、ということです。

シャーマン法1条では、複数性(plurality)の問題として、一言で片づけられてしまうところです。

このように考えてみると、

「事業者が・・・他の事業者と共同して・・・相互にその事業活動を拘束し」

といわず、

「事業者が、他の事業者と相互にその事業活動を拘束し」

でも十分に意味は通ったと思うのですが、合意を要するということを明示するために、「共同して」と入れた、と考えると分かりやすいかもしれません。

このように、「他の事業者と共同」でない、「相互の拘束」というのは、論理的にあり得なさそうですが、逆に、「他の事業者と共同」だけれど、「相互の拘束」ではない、という場合はありそうです。

たとえば、AとBが結託してCの事業を物理的に妨害する、というようなケースでは、(とくに、AとBが単独でもCを妨害することが自己の利益になると考えていた場合には)お互いに、という意味での「相互に」でもないし、そもそも自己の行為をしばる、あるいは抑制する、という意味での「拘束」もないような気がします。

(「Cを妨害しないことを控える」という構成もあるかもしれませんが、そういうのを「拘束」というのは、日本語としてちょっと無理な気がしますし、そもそもCを物理的に妨害するというのが「事業活動」の拘束といえるのか、という問題もありそうです。)

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