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2015年8月

2015年8月31日 (月)

平成25年度相談事例集事例4(店舗販売業者のみへのリベート)

平成25年度の相談事例に、

有力な福祉用具メーカー(シェア30%、1位)が,

① 来店した顧客に直接適切な商品説明を行うための販売員教育を行うこと

② 種類ごとに一定の在庫を常時確保すること

の両方を条件に、インターネット販売業者を対象とせずに,店舗販売業者のみを対象とするリベートを新たに設けることは,独占禁止法上問題とならない

と回答したものがあります。

結論はこれでよいと思いますが、理由づけに問題があります。

というのは、この事例では、

X社(相談者)はインターネット販売業者に対する卸売価格を引き上げるものではない

というのが理由としてあげられています。

しかし、こんなことをいうと、インターネット販売業者に対する卸売価格を上げられなくなってしまわないでしょうか?

それとも、リベート導入と時間をずらして、ほとぼりが冷めたころに上げるのなら、かまわないのでしょうか?

もし時間をずらしても問題なら(公取は「問題だ」というのでしょうけれど)、インターネット販売業者と店舗販売業者で、卸価格を同一にしなければならなくなりそうです。

反対に、店舗販売業者に対する卸売価格のみを下げると、だめなのでしょうか?

私は、インターネット販売業者に対する卸売価格を上げるのも、店舗販売業者に対する卸売価格を下げるのも、基本的には問題ないと考えています。

メーカーが、販売チャンネルごとに、当該販売チャンネルにおける小売レベルでの市場支配力や、小売のマージンや、需要の弾力性(販売チャンネルごとに需要の弾力性が異なるということは十分あり得ると思います)をにらみながら、また、各販売チャンネルごとの需要の交叉弾力性をみながら、各販売チャンネルごとに卸売価格を別々に設定するのは、当然に許されるべきことです。

もし特定の販売チャンネル(たとえばインターネット)の販売コストが低いために小売マージンが大きい場合、そのマージンにあずかろうとしてメーカーが卸売価格を上げるのは、利益最大化のための合理的な行動です。

再販拘束やその他のブランド内競争制限行為がない前提で(=ブランド内競争は従前を維持する前提で)卸価格を上げても、ブランド間競争も残余需要曲線も従前と変わらないなら、価格も上がらないはずです。

つまり、卸売価格を上げても利益が小売からメーカーに移転するだけであり、消費者には害はないはずです。

それに、もしネット販売業者と店舗販売業者で卸売価格に差をつけてはいけないということになると、論理的には、ネット販売業者の間でも同じ卸売価格にしなければならなくなり、かつ、店舗販売業者の間でも同じ卸売価格にしなければならないことになり、メーカーの自由な価格設定を阻害するとともに、効率性も害します。

販売業者への卸売価格を上げること自体が再販売価格の拘束になるという人はいないでしょう。

その理屈は、ネット販売業者と店舗販売業者の間に卸価格の差が従前からあってもなくても同じはずです。

以上のような理由で、インターネット販売業者に対してだけ卸売価格を上げるのは何ら問題なく、インターネット販売業者に対する卸売価格を引き上げるものではないことを適法の理由とする相談事例は問題だと思います。

もちろん、インターネット販売業者が安売りをしたことを理由に卸売価格を上げると、再販の「拘束」にあたるおそれがあるので、それは避けないといけません。

なので、安売りをしたインターネット販売業者にだけ、「あなた、安売りしたから、罰として卸売価格を上げるよ」なんてことをいうと、違法になります。

なので、そうならないように、やり方に気を付ける必要はあると思います。

それと、相談事例では1つめの理由は、

当該リベートは,店舗販売に要する販売コストを支援するためのものである

というのを挙げていますが、これもちょっと消化不良です。

理屈の上では正しいのですが、「支援するためのものである」ということを理由にすると、主観的意図が問題であるかのような誤解を招きかねません。

それも無関係ではないのでしょうけれど、本質的には、相談事例集でも認定されているように、本件リベートは、「販売量によって変動・増減しない固定額」である、という点が重要です。

固定額であることによって、従業員の教育コスト(→販売量とは関係なさそう)と在庫コスト(→販売量に多少は関係しそうですが、間接的っぽい)の補償であるという性格が明確になるということも重要な点ではありますが、固定額のリベートは販売店にとって(マイナスの)固定費なので、販売店の限界費用には関係なく、小売価格への影響が限定的だからです。

相談事例が「固定額」であることを認定している理由も同じであろうと信じたいですが、それならそうと、きちんと説明すべきです。

まして、インターネット販売業者に対する卸売価格を引き上げるものではない、なんていう的外れな理由があげられていると、公取委は経済学を分かっているのか(どういう垂直制限をすると、関係者の行動がどのように変わって、それが消費者厚生にどのような影響を及ぼすのか)、疑問を持たれかねません。

こういうことをやっていると、中国とかインドとか、後発組の当局にすら馬鹿にされやしないかと、日本人としてちょっと心配になります。

2015年8月29日 (土)

垂直的制限の5つの判断基準

流取ガイドラインが改正されて、垂直的制限行為の判断基準が「明確化」されました。

本当に「明確」になったのか?というのは議論のあり得るところですが、それはともかく、ガイドラインの5つの要素というのは、

① ブランド間競争の状況(市場集中度、商品特性、製品差別化の程度、流通経路、新規参入の難易性等)〔ブランド間競争〕

② ブランド内競争の状況(価格のバラツキの状況、当該商品を取り扱っている流通業者の業態等)〔ブランド内競争〕

③ 垂直的制限行為を行うメーカーの市場における地位(市場シェア、順位、ブランド力等)〔拘束者の地位〕

④ 垂直的制限行為の対象となる流通業者の事業活動に及ぼす影響(制限の程度・態様等)〔被拘束者が受ける影響〕

⑤ 垂直的制限行為の対象となる流通業者の数及び市場における地位〔被拘束者の地位〕

の5つです。

優先順位もなくただ羅列されても、なかなかビジネスの指針にはなりにくいのですが、私の感覚に基づいてあえて順位をつけてみます(排除型は別の要素があるので後で別に考慮し、ひとまず競争停止型を想定します)。

①から⑤の中では、①(ブランド間競争)が最も大事、そのなかでも、差別化の程度が、飛びぬけて重要です。

なぜかというと、ブランド内競争の制限が問題になるのは事実上差別化されていない商品(石油とか)の場合だけであって、差別化がないと分かった瞬間にブランド内競争は事実上考慮する必要がなくなるからです。

なので、①(ブランド間競争)の中身を重要な方がから並べると、

差別化→集中度→商品特性→流通経路→参入の難易度

です。

ただしこれにはトリックがあって、以上の順序の中で、差別化と集中度は事実上セットで考慮されていて、差別化の程度が高ければ集中度が低くても十分問題になります(ドレッシングとかウィンナーとか)。

商品特性というのは、たとえば耐久財か(耐久財だと乗り換えが起きにくくブランド間競争が働きにくい)、使用方法が複雑か(複雑だと乗り換えが起きにくい)、事前説明やアフターサービスが重要か(重要だと、販売方法の制限が合理的と認められやすい)、品質が重要か(品質が重要だと価格競争が起きにくい)、といったことかと思います。

技術開発が活発(活発な方が垂直的制限は問題が少ない)か、とか、モデルサイクルが短いか(短い方が問題は少ない)、というのも、「商品特性」に入ってくるでしょう。

流通経路を知るのは競争の実態を知るのに不可欠です。たとえば代理店が数社か多数か、二段階か多段階かで、競争の実態や、需要者の特性が見えてきたりします。

参入の難易度は、理論的には最も重要なのですが(参入障壁が低ければ市場支配力は生じ得ない)、日本の産業、しかも垂直的制限がなされるような産業は成熟していることが多く、参入障壁が低いから垂直制限が許される、というような、参入障壁が決定打あるいは重要な要素になる場合は、実際には少ないように思います。

次に重要なのはおそらく、

② ブランド内競争の状況(価格のバラツキの状況、当該商品を取り扱っている流通業者の業態等)〔ブランド内競争〕

ですが、これもややトリッキーです。

「価格のバラツキ」というのは、同一ブランド内で価格がばらついているほうがブランド内競争が働いているということなのですが、これは、価格がほぼ斉一化している場合には再販が疑われるというようにしか使えないのではないかと思います。

たとえていえば、「価格のバラツキの状況」というより、「価格のバラツキの有無」というのがホンネでしょう。

しかも、再販以外の垂直的制限では使えない基準のような気もします。

たとえばテリトリー制の場合には、むしろ価格のバラツキがないことはテリトリー間での競争が働いているのではないかというプラスの可能性があるわけですが、ガイドラインはおそらくそういうつもりで「価格のバラツキ」に言及しているのではないと思います。

その他、(再販ではない純粋な)販売方法の制限では、価格のバラツキはプラスにもマイナスにも働かないのではないかという気がします。つまり、同じ販売方法の制限が、価格のバラツキが大きいから適法になったり違法になったりすることはないと思います。

そもそも理論的なことを言えば、「価格のバラツキ」(price dispersion)は、それ自体、協調の証拠とはならず、たんに情報が不完全であるだけだ、という可能性はあります(ブランド間のバラツキにこのことはもっとも当てはまりますが、理屈の上ではブランド内のバラツキも同じはずです)。

流通業者の業態というのは、スーパーか、専売店(ブティック)か、安売り業者か、ネット業者か、とかいうことが考えられますが、いろんな業態があった方が競争制限は生じにくいのでしょう。

また、専売店の場合、多品種を扱う総合店舗に比べて、メーカーと販売店の利害が一致しやすいので(たとえば総合店舗では特定メーカーの商品をおとり廉売につかったりするインセンティブがある)、同じ垂直的制限でも競争制限をもたらす可能性が相対的に高いかもしれません。

次に重要なのはおそらく、

③ 垂直的制限行為を行うメーカーの市場における地位(市場シェア、順位、ブランド力等)〔拘束者の地位〕

ですが、市場シェアと順位は、差別化の大きな市場ではあまり意味がありません。差別化の小さい市場では、逆に決定的に重要な気がします。

差別化が強い市場では、市場シェアや順位よりむしろ、ブランド力が重要でしょう。

拘束者の地位の例示に、総合的事業能力を入れなかったのは、垂直的制限と優越的地位の濫用を明確に区別する意図がみえて、大変好ましいと思います。

次は、

④ 垂直的制限行為の対象となる流通業者の事業活動に及ぼす影響(制限の程度・態様等)〔被拘束者が受ける影響〕

でしょう。

ただ、実際のケースでは、制限の程度や態様が緩やかだから問題ないという場合はまずなくて(それではそもそも制限する意味がないことが多い)、どちらかというと消極的要件です。

最後の、

⑤ 垂直的制限行為の対象となる流通業者の数及び市場における地位〔被拘束者の地位〕

も、被拘束者の数が少ないからOKという場合は、少なくとも、典型的に垂直的制限が問題になる差別化された市場ではまず考えられません。

もし被拘束者の数や市場シェアが小さいからOKという場合があるとすれば、排他条件付取引のような排除型の場合でしょう。

でも、①から⑤の基準は、そもそも排除型をあまり想定していないような気もします。

垂直的制限についていえば、実務的には公取委は再販にしか興味がありませんので(というか、再販と取引妨害くらいしか摘発する能力がなく、たまに(取引妨害ではない純粋な)排除型を摘発しようとすると、JASRACのようなとんでもないことになり、世界中で調査されているグーグルにはまったく関心がない)、流通分野のガイドラインでもありますし、これはこれでよいのかなと思います。

それでもあえて排除型の場合の①から⑤の優先順位をつけると、まずは、

① ブランド間競争の状況(市場集中度、商品特性、製品差別化の程度、流通経路、新規参入の難易性等)〔ブランド間競争〕

が重要で、中でも流通経路が重要でしょう。

次に、

③ 垂直的制限行為を行うメーカーの市場における地位(市場シェア、順位、ブランド力等)〔拘束者の地位〕

が重要でしょう。メジャーなメーカーが制限を加えるから流通業者はいうことを聞くわけです。

それと並んで、

⑤ 垂直的制限行為の対象となる流通業者の数及び市場における地位〔被拘束者の地位〕

も重要でしょう。拘束される流通業者の数が多い方が競争メーカーは排除されやすいわけです。

ただ実際には、拘束者の市場シェアが高ければ(③)拘束される流通業者の数も多い(⑤)という関係にあることが多いと思います。

次に、

④ 垂直的制限行為の対象となる流通業者の事業活動に及ぼす影響(制限の程度・態様等)〔被拘束者が受ける影響〕

が大事といえば大事かもしれませんが、排除型の場合には拘束される流通業者も満足している可能性があるので(特に不確実性が高く新規参入者の商品を積極的に売るインセンティブがない場合)、あまり決定打ではないと思います。

逆にいうと、ゆるやかな拘束でも違法となるようにしないと具合が悪いことが出てきそうです。

最後の、

② ブランド内競争の状況(価格のバラツキの状況、当該商品を取り扱っている流通業者の業態等)〔ブランド内競争〕

は、まさにブランド内競争のことなので排除型には関係ありません。

こういうことを見ても、以上の①から⑤の要素は再販などの競争停止型を想定していることがよくわかります。

でも、今回の改正の背景には流通業者の力が強くなってきたということがあったわけですから、流通業者がメーカーを拘束して他の流通業者を排除する、というような思考もあってよかったのではないかと思います。

以上、わたしなりにまとめてみましたが、垂直的制限の厳密な評価はやはり産業組織論の基礎知識がないと難しく、①~⑤の要素を見てもただの羅列に見えてしまうのは、ある程度仕方ないのでしょう。

産業組織論を勉強すると、①から⑤もすっきりと整理できるし(たとえば、ある垂直制限行為で、行為者の残余需要曲線が垂直方向に動くのか、競争者の費用曲線が上方シフトするのか、差別化の程度により需要者の行動がどう変わるのか、それによる厚生への効果はどうなのか、など)、例示されていない要素に出くわしたときにそれが競争上どのような意味を有するのかもおおよそ想像できます。(これは、クライアントに有利な事情を引き出す競争法弁護士としては、重要なことだと思います。)

裏からいえば、経済学を知らないと、ある行為に対して、経済学からみれば明らかに反対の、誤った判断をしてしまう、という可能性があります。

なので、産業組織論を勉強するのがおすすめですが、その時間のない人には、私がここで書いたことが少しでも参考になればと思います。

2015年8月28日 (金)

選択的流通と仲間取引

改正流取ガイドライン第2部第2-5(いわゆる「選択的流通」)では、

「商品を取り扱う流通業者に関して設定される基準が、当該商品の品質の保持、適切な使用の確保等、消費者の利益の観点からそれなりの合理的な理由に基づくものと認められ、かつ、当該商品の取扱いを希望する他の流通業者に対しても同等の基準が適用される場合には、

たとえメーカーが選択的流通を採用した結果として、特定の安売り業者等が基準を満たさず、当該商品を取り扱うことができなかったとしても、通常、問題とはならない。」

とされています。

今回のガイドライン改正についての公取の公式見解は、従来の考え方を明確化したものであって変更するものではない、ということなので、選択的流通についても、従来から考えが変わったわけではない、ととらえるのが正しいのだとは思います。

ただ、選択的流通について、

「たとえメーカーが選択的流通を採用した結果として、特定の安売り業者等が基準を満たさず、当該商品を取り扱うことができなかったとしても、通常、問題とはならない。」

と明言したことの意義はそれなりに大きいのではないかと思います。

(ちなみに、「特定の」と限定したのは、すべての安売り業者が排除できてしまう基準というのは認められない、ということを言いたいのではないかと想像します。)

というのは、選択的流通の本場の欧州では、選択的流通は当然に価格競争を阻害するものであると考えられており、価格競争を阻害してもなおそれを上回る価格以外での要素の関する競争が実現できるから許されるのだ、という考え方を採っているからです。(Case 107/82, AEG v Commission, [1983] ECR 3151, para 33)

ところが、従来の流取ガイドライン(今も変わりませんが)では、選択的流通が共通して有する要素である取引先の制限(※選択的流通は、承認された流通業者以外への転売を禁止するので取引先制限の要素が必然的に伴います)の中の、選択的流通に比較的近そうな「仲間取引の禁止」について、

「仲間取引の禁止が、

安売りを行っている流通業者に対して自己の商品が販売されないようにするために行われる場合など

これによって当該商品の価格が維持されるおそれがある場合には、不公正な取引方法に該当し、違法となる(一般指定一二項)。」(第2部第2-4(3))

とされており、このうち、

「安売りを行っている流通業者に対して自己の商品が販売されないようにするために行われる場合など

の部分がは「など」なので例示と解するほかなく、要は、仲間取引の禁止により価格維持の恐れが生じれば違法である、と読むほかなかったわけです。

そうすると、欧州では価格維持効果があると考えられている選択的流通は、日本では認められないのではないか?という疑問が生じたとしても不思議ではなかったわけです。

ただ、論理的には、これは選択的流通に限った話ではなく、特定の販売方法を流通業者に義務付けるために正規販売店以外への「横流し」を禁じる場合も、上記の仲間取引の禁止のところだけを見ると、禁止されているように読めなくもなかったわけです。

でも実際には、販売方法の義務付けを確保するために正規販売店以外への横流しを禁止することは、販売方法の制限が「それなりに合理的」であれば適法、というのが資生堂最高裁の考え方であったわけです。

なので、それをと併せてガイドラインを読めば、

①販売方法の制限確保のための転売禁止は、当該方法に「それなりの合理性」があれば許される

②販売方法の制限確保を超える転売禁止は、価格維持の恐れがあれば許されない

というルールが読み取れたわけです。

そして、たいていの場合は①なので、従来から「それなり」でOKだったわけです。

ただ資生堂事件では、一律に転売が禁止されていたので、選択的流通(承認ディーラー間では転売制限できない)よりも厳しい制限を課していたことになり、厳密にいえば②だったのではないか、という理解も可能です。

そう考えると、②に当たりそうな場合でも、日本では実は「それなり」の基準で判断していたことになるので、実際には、欧州よりも緩やかなルールだったわけです。

しかし、ガイドラインだけを見ると、仲間取引の禁止は価格維持の恐れがあれば違法としか読めないので、選択的流通は許されないのではないかという疑問ももっともであったわけであり、そのような次第で今回の改正に至った、ということなのだと思います。

このような、ちょっと複雑な背景で改正されているので、今回の選択的流通のガイドラインへの追加は、かなり異質なものを追加した感がありますし、仲間取引の禁止の規定はそのまま残っているので、異質な上にますます整合性のなさが目立ちます。

ともあれ、ガイドラインが選択的流通のところで安売り業者の排除に言及したということは、選択的流通では価格維持効果があっても適法という立場が採られたと考えざるを得ないと思います。

そうすると、ガイドラインの明確化という点では意味があるのではないかと思います。

ただできれば、仲間取引の禁止も整合性を持たせるような改正をすべきだったと思います。

これもひとえに、公取が今回の改正をやる気がなく、規制改革会議に押し付けられたことの表れ(なので、言われた部分しか改正していない)なのではないかと思います。

2015年8月27日 (木)

流取ガイドラインの原案からのとある変更点

流通取引慣行ガイドラインの原案から成案への変更箇所の1つに、原案第2部の2では、

「流通分野において公正かつ自由な競争が促進されるためには,各流通段階において公正かつ自由な競争が確保されていることが必要であり,

流通業者間の競争とメーカー間の競争のいずれか一方が確保されていれば他方が減少・消滅したとしても実現できるというものではない。」

となっていたのが、成案では、

「流通分野において公正かつ自由な競争が促進されるためには,各流通段階において公正かつ自由な競争が確保されていることが必要であり,

流通業者間の競争とメーカー間の競争のいずれか一方が確保されていれば他方が失われたとしても実現できるというものではない。」

となった。というものがあります。

これは、パブコメ6番で、

「流通業者間の競争が減少・消滅したとしても、垂直的制限行為にメーカー間の競争を促進する効果が認められ、最終的に一般消費者の利益が増加する場合も考えられる。このような場合においては適法とすべきである。」

なので、上記部分は削除するか、あるいは、

「ただし、3(3)に記載のとおり、非価格制限行為については、流通業者間の競争が多少制限されたとしても、メーカー間の競争が確保されていれば、通常問題となるものではない。」

と加えるべきである、というコメントが出て、それに対して、削除は適切でないと回答するとともに、

「なお、ご指摘を踏まえて、明確化の観点から、次のとおり修正しました。」

と回答されて、成案への修正となったものです。

この部分は、案外重要ではないかと思います。

つまり原案では、

「・・・流通業者間の競争とメーカー間の競争のいずれか一方が確保されていれば他方が減少・消滅したとしても実現できるというものではない。」

となっていたので、どちらかが「減少」または「消滅」したらだめだ、と読めたわけです。

ポイントはもちろん、「減少」のほうにあり、原案では、一方が減少したら、即アウトだ、と読めたわけです。

これが成案では、

「・・・流通業者間の競争とメーカー間の競争のいずれか一方が確保されていれば他方が失われたとしても実現できるというものではない。」

と、「減少」が落ちたので、一方が減少するだけなら(つまり失われていなければ)OKの余地がある、と読めるようになったわけです。

このように、変更の経緯を見れば望ましい方向への変更であったように見えるのですが、それでも私は、ガイドラインの考え方は正しくないと思います。

まず、成案で修正された後段はさておき、そもそも、前段の、

「流通分野において公正かつ自由な競争が促進されるためには,各流通段階において公正かつ自由な競争が確保されていることが必要であり,」

という部分が問題です。

この、

流通段階」

という文言からは、たとえば、1次卸、2次卸、3次卸・・・といた場合には、それぞれ(「各」)段階で競争が確保されている必要がある、と読めます。

しかしそれは厳しすぎるでしょう。

多段階的な流通制度の場合には、途中を素っ飛ばした方が競争的だ、ということはよくあることです。

なのに各段階の競争を確保する必要があると断言すると、ある流通段階を素っ飛ばす(取引拒絶する)ことが独禁法違反だと誤解されないか心配になります。

あるいは、各段階での競争を強調すると、メーカーが流通業者を1社に絞ると、少なくとも流通段階でのブランド内競争はなくなるのですから、そういうことまで違法となるのか?という誤解を生むのではないかという気もします。

公取委にしてみれば、

「ある流通段階を素っ飛ばすことも競争の1つだ」

あるいは、

「素っ飛ばされた流通業者は競争に負けたので、競争の当然の結果だ」

ということなのかもしれませんが、そういうことは競争法の考え方が分かっている人のいえることで、世の中の99%以上の競争法をよく知らない人たちに対して誤解のないようにすることも、この手のガイドラインでは大切なことではないかと思うのです。

この、「各流通段階」という表現に象徴されていますが、公取委の頭の中には、

メーカー

  ↓

一次卸

  ↓

二次卸

  ↓

三次卸

  ↓

小売

  ↓

消費者

といったような、多段階的流通網の図ががっちり頭の中にあって、それぞれの段階で横の競争が必要、というイメージが強すぎるのではないでしょうか。

そういう固定化したイメージでは、競争の実態(とくに、ブランド内競争の制限によるブランド間競争の促進)をつかむことは困難ではないかという気がします。

次に、後段の解釈に入ると、そもそも後段の主語がよくわかりません。

つまり、後段は、

「流通業者間の競争とメーカー間の競争のいずれか一方が確保されていれば他方が失われたとしても実現できるというものではない。」

といっていますが、主語を、

「流通分野における公正かつ自由な競争の促進」

と考えて、

「流通分野における公正かつ自由な競争の促進は、流通業者間の競争とメーカー間の競争のいずれか一方が確保されていれば他方が失われたとしても実現できるというものではない」・・・①

と読むのか、それとも、主語を、

「流通分野における公正かつ自由な競争」

と考えて、

「流通分野における公正かつ自由な競争は、流通業者間の競争とメーカー間の競争のいずれか一方が確保されていれば他方が失われたとしても実現できるというものではない。」・・・②

と読むのか、ということです。

日本語の文章としては②がしっくりくるのでおそらく②が正しいのではないかと思いますが、そうすると、前段と異なり、後段はにわかに違法適法の基準を言っていることになりそうです。

とうのは、前段は競争が「促進」されるかどうかをいっているので、独禁法上違法かどうかとは直接関係がない(「促進」されなくても、現状維持なら適法のはずなので)といえますが、もし後段を②のように読むと、

「流通分野における公正かつ自由な競争は、・・・実現できるというものではない。」

ということになり、公正かつ自由な競争が実現できないなら違法の可能性がかなり高いからです。

なのでむしろ、日本語としてのしっくりさ加減は措いて、論理的に、①と読むのが正しいのかもしれません。

そうすると、後段も、適法違法とは一応関係ないことになります。

「この部分は総論部分で直接違法性の判断基準を述べたところではないのだから、こんなにギリギリ考えなくてもよいではないか」との見方もあるかもしれませんが、ガイドラインはこういう細かいところも気を遣うべきだと思います。

ちなみに、こういう主語がよくわからないのは日本語のあいまいさのなせるわざで、英語では起こらないだろうな、と思って、気になって公取委のガイドライン英訳をみてみると、この部分は、

「Promoting free and fair competition in the distribution sector will be attained though assuring free and fair competition in each level of distribution;

it cannot be accomplished simply by securing either competition among distributors or manufacturers as long as the other one is eliminated.」

となっていました。この、「it」が何を指すのか、英語でもあいまいですねcoldsweats01

でも、「日本語だとこちらがしっくりくる」というソフトな面での考慮が外れるので、英文を素直に読むと、私の目には、「it」はpromotingを指しているように見えます。

2015年8月24日 (月)

事業者向けの懸賞

古典的な景表法上の論点ですが、総付景品が一般消費者に対するものに限られているのに対して、懸賞による景品はそのような限定がありません。

つまり、「一般消費者に対する景品類の提供に関する事項の制限」(総付制限告示)では、

一般消費者に対して懸賞(「懸賞による景品類の提供に関する事項の制限」(昭和52年公正取引委員会告示第3号)第1項に規定する懸賞をいう。)によらないで提供する景品類の価額は・・・」

とされているので、対象は一般消費者なのですが、「懸賞による景品類の提供に関する事項の制限」(懸賞制限告示)では、

「この告示において『懸賞』とは、次に掲げる方法によつて景品類の提供の相手方又は提供する景品類の価額を定めることをいう」

と定義されており、相手方を一般消費者に限定する規定はないので、事業者も相手方になりうるわけです。

これは、そもそも景表法が「景品類」を、

「顧客を誘引するための手段として・・・事業者が自己の供給する商品又は役務の取引・・・に付随して相手方に提供する物品、金銭その他の経済上の利益であつて、内閣総理大臣が指定するものをいう。 」

と定義して、たんに「相手方」として、一般消費者に限定していないことから、こういうことができるわけで、懸賞制限告示が法律違反というわけでもありません。

(それに対して表示規制のほうは、表示の定義こそ、

「顧客を誘引するための手段として、事業者が自己の供給する商品又は役務の内容又は取引条件その他これらの取引に関する事項について行う広告その他の表示であつて、内閣総理大臣が指定するものをいう」

というように、相手方を事業者に限るようにはなっていませんが、4条1項各号に、

「一般消費者に対し」

という文言が入っているので、一般消費者に対する物に限られています。)

このように、形式的には事業者向けの懸賞による景品も規制の対象なのですが、景表法が消費者庁に移管された今、このような解釈を続けるのはバランスが悪いと思います。

そこで、事業者向けの懸賞は景表法の対象外という解釈を導く根拠として、1条の、

「この法律は、商品及び役務の取引に関連する不当な景品類及び表示による顧客の誘引を防止するため、一般消費者による自主的かつ合理的な選択を阻害するおそれのある行為の制限及び禁止について定めることにより、一般消費者の利益を保護することを目的とする。」

というのを持ってくることが考えられると思います。

「一般消費者の利益」という究極の目的の部分は、事業者向けの懸賞でも関係する場合があるかもしれないという反論があるかもしれませんが、

「一般消費者による自主的かつ合理的な選択を阻害するおそれのある行為の制限及び禁止について定めることにより」

という手段の部分は、どう見ても、事業者向けの懸賞にはあてはまらないと思います。

ただ、目的規定でこれほど実体規定を絞り込むというのは、少なくとも実務家の感覚からするとかなり抵抗があるのも事実です。(緑本にも事業者向け懸賞に関する記述が相当ありますし。)

そこで、以前、拙著『実務解説消費税転嫁特別措置法』p138で示した考えを応用して、以下のように考えてみたいと思います。

消費者庁の所掌事務は、消費者庁及び消費者委員会設置法4条により、

「第四条  消費者庁は、

前条の任務〔注・消費者の利益の擁護及び増進、商品及び役務の消費者による自主的かつ合理的な選択の確保並びに消費生活に密接に関連する物資の品質に関する表示に関する事務を行うこと〕を達成するため、

次に掲げる事務(第六条第二項に規定する事務〔注・消費者委員会の事務〕を除く。)をつかさどる。

一  消費者の利益の擁護及び増進に関する基本的な政策の企画及び立案並びに推進に関すること。

二  消費者の利益の擁護及び増進に関する関係行政機関の事務の調整に関すること。

三  消費者の利益の擁護及び増進を図る上で必要な環境の整備に関する基本的な政策の企画及び立案並びに推進に関すること。

〔四号から13号の2省略〕

十四  不当景品類及び不当表示防止法 (昭和三十七年法律第百三十四号)第二条第三項 又は第四項 に規定する景品類又は表示(第六条第二項第一号ハにおいて「景品類等」という。)の適正化による商品及び役務の消費者による自主的かつ合理的な選択の確保に関すること。 」

とされています。

なので、「消費者の利益の擁護」や、「消費者による自主的かつ合理的な選択の確保」に関係しないことは消費者庁の所掌事務ではないので、消費者庁は所掌することはできません。

したがって、事業者に対する懸賞による景品類の提供については消費者庁の権限外であり、これに対して消費者庁が措置命令を出すことはできない、と考えます。

この点、消費税転嫁法18条3項では、

「内閣総理大臣は、この法律による権限(消費者庁の所掌に係るものに限り、政令で定めるものを除く。)を消費者庁長官に委任する。 」

と、委任されるのが消費者庁の所掌に係るものに限ることが明文で規定されているのに対して景表法12条1項では、

「内閣総理大臣は、この法律による権限(政令で定めるものを除く。)を消費者庁長官に委任する。 」

と、消費者庁の所掌事務に限るとの明文の規定がないのが痛いのですがcoldsweats01、消費税転嫁法の場合は転嫁拒否行為など消費者庁の所管に属しない行為も対象なので上記のような限定文言を入れる必要があっただけであって、消費者庁の所掌事務に属しないものを内閣総理大臣が消費者庁に委任することができないのは当然のことです。

なので、景表法12条1項に「消費者庁の所掌に係るものに限る」との文言がないことは、消費者庁の所掌に属しない事務(事業者に対する景品類の提供)が消費者庁に委任されていないことを否定する理由にはならないと考えます。

したがって、事業者に対する景品類の提供に対する措置命令は、景表法6条の原則どおり内閣総理大臣が行使すべき(実際には、内閣総理大臣には措置命令を出すスタッフや仕組みがないので、措置命令は出されない)ということになるのだと考えます。

ただこの考え方の難点は、行政実体法と行政組織法で組織法の方が優先するという理屈は一般的には存在しないことです。

そうすると、あくまで「後法は前法を破る」の原則に従わざるをえません。

ところが、消費者庁設置法の施行日は平成21年9月1日であり(消費者庁及び消費者委員会設置法の施行期日を定める政令(平成二十一年八月十四日号外政令第二百十四号)、当然ですが、平成21年改正景表法12条の施行日も消費者庁設置法の施行の日とされています(平成21年改正景表法附則1条)。

つまり、理屈の上では両者に優劣はつけられないということです。

こういう、前法も後法もない、「同時法」の場合には、やはり個別に理屈で優劣をつけるほかなく、今回の場合は、消費者庁設置法を優先するのが筋が通っていると思います。

以上、可能な解釈論を展開してみましたが、そもそも、平成21年の消費者庁設立と景表法の移管のときに、事業者向けの景品を景表法の規制対象から除外すべきだったのではないでしょうか。

あるいは今からでも消費者庁は、懸賞制限告示を改正して、事業者向けの懸賞は制限の対象から外すべきだと思います。

2015年8月19日 (水)

定義告示運用基準の学校法人の事業者性に関する記述の疑問

景表法の定義告示(「景品類等の指定の告示の運用基準について」)に、景表法の「事業者」についての説明があり、

「(2) 学校法人、宗教法人等であっても、収益事業(私立学校法第二十六条等に定める収益事業をいう。)を行う場合は、その収益事業については、事業者に当たる。」

という記述があります。

しかし、これはおかしいのではないでしょうか。

(なお、同運用基準は景品類に関する説明が多いですが、定義告示全般の運用基準であることは冒頭に明記されていますし、「事業者」は表示にも共通する要件なので、この説明も、表示に関してもあてはまります。)

そもそも、まともな法律論としては、独禁法の事業者性について白石忠志『独占禁止法(第2版)』p117に述べられているように、

「2条1項は・・・結局のところ、事業者とは事業をおこなう者であるという以上のことを述べてはいない。事例その他を総合して基準を打ち立てるしかない。」

「(事業者性は)現在では・・・消費者以外は事業者に該当し得る、という程度の意味しか持たない要件となっている。」

などと整理されているところにほぼ尽きているといえます。

裁判所がまともな法律論として受けいれるのは、芝浦屠場最高裁判決(平成元年12月14日)の、

「〔2条1項にいう〕事業はなんらかの経済的利益の供給に対応し反対給付を反復継続して受ける経済活動を指し、その主体の法的性格は問うところではない」

というものくらいであり(これが今の判例です)、独禁法(景表法)とはまったく関係のない私立学校法の条文を基準に独禁法(景表法)の事業者性を判断するなどというのは、まともな裁判官であれば思いつくことすらない基準だと思います。

このように、上記運用基準は確立した最高裁判例と異なる上、法律論として議論するにも値しないのですが、それ自体の内容としても、以下のように、筋が通っていないと思います。

まず、私立学校法26条では、

(収益事業)

第二十六条  学校法人は、その設置する私立学校の教育に支障のない限り、その収益を私立学校の経営に充てるため、収益を目的とする事業を行うことができる。

 前項の事業の種類は、私立学校審議会又は学校教育法第九十五条 に規定する審議会等(以下「私立学校審議会等」という。)の意見を聴いて、所轄庁が定める。所轄庁は、その事業の種類を公告しなければならない。

 第一項の事業に関する会計は、当該学校法人の設置する私立学校の経営に関する会計から区分し、特別の会計として経理しなければならない。」

とされています。

これを受けて、「平成二十年文部科学省告示第百四十一号(文部科学大臣の所轄に属する学校法人の行うことのできる収益事業の種類)」の1条は、

「第一条 私立学校法第二十六条第一項の規定により文部科学大臣の所轄に属する学校法人の行うことのできる収益事業(当該学校法人の設置する学校の教育の一部として又はこれに付随して行われる事業を除く。以下「収益事業」という。)は、次条に掲げるものであって、次の各号のいずれにも該当しないものでなければならない。

  一 経営が投機的に行われるもの

  二 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(昭和二十三年法律第百二十二号)第二条各項(第二項及び第三項を除く。)に規定する営業及びこれらに類似する方法によって経営されるもの

  三 規模が当該学校法人の設置する学校の状態に照らして不適当なもの

  四 自己の名義をもって他人に行わせるもの

  五 当該学校法人の設置する学校の教育に支障のあるもの

  六 その他学校法人としてふさわしくない方法によって経営されるもの」

としたうえで、2条では、

「第二条 収益事業の種類は、日本標準産業分類(平成十九年総務省告示第六百十八号)に定めるもののうち、次に掲げるものとする。

  一 農業、林業

  二 漁業

  三 鉱業、採石業、砂利採取業

  四 建設業

  五 製造業(「武器製造業」に関するものを除く。)

  六 電気・ガス・熱供給・水道業

  七 情報通信業

  八 運輸業、郵便業

  九 卸売業、小売業

  十 保険業(「保険媒介代理業」及び「保険サービス業」に関するものに限る。)

  十一 不動産業(「建物売買業、土地売買業」に関するものを除く。)、物品賃貸業

  十二 学術研究、専門・技術サービス業

  十三 宿泊業、飲食サービス業(「料亭」、「酒場、ビヤホール」及び「バー、キャバレー、ナイトクラブ」に関するものを除く。)

  十四 生活関連サービス業、娯楽業(「遊戯場」に関するものを除く。)

  十五 教育、学習支援業

  十六 医療、福祉

  十七 複合サービス事業

  十八 サービス業(他に分類されないもの)」

とされています。

このように、とくに「収益事業」が積極的に定義されているわけではなく、投機的であるなど一定の消極要件(1条)に該当しない事業で収益を上げるものは幅広く収益事業になり、ただ、

「当該学校法人の設置する学校の教育の一部として又はこれに付随して行われる事業」

は除かれる、ということなのでしょう。

つまり、ここで明らかなのは、「学校教育の一部」として行われる事業は、収益事業には該当しないとされていることです。(もちろん、学校教育そのものも、収益事業ではないのでしょう。)

でもそうすると、定義告示運用基準によれば、学校教育については私立学校は事業者ではないので、景表法の適用がないことになってしまいます。

そうすると、私立学校が生徒募集のチラシに、

「東大合格100人!」

とか書いてあるのが虚偽だったとしても、不当表示には該当しないことになるのでしょうか?

それとも、定義告示運用基準には、続けて、

「(3) 学校法人、宗教法人等又は地方公共団体その他の公的機関等が一般の事業者の私的な経済活動に類似する事業を行う場合は、その事業については、一般の事業者に準じて扱う。」

と説明されているので、そこでの、「一般の事業者の私的な経済活動に類似する事業」に該当するとでもするのでしょうか?

でも学校教育が「一般の事業者の私的な経済活動に類似する事業」に該当するというのは、たぶん定義告示運用基準の意図するところではなさそうです。(そんなこといったら、(2)が、完全に空振りになってしまいます。)

なお宗教法人法では、

「(公益事業その他の事業)

第六条  宗教法人は、公益事業を行うことができる。

2  宗教法人は、その目的に反しない限り、公益事業以外の事業を行うことができる。この場合において、収益を生じたときは、これを当該宗教法人、当該宗教法人を包括する宗教団体又は当該宗教法人が援助する宗教法人若しくは公益事業のために使用しなければならない。 」

と定められていますが、「収益事業」の定義はとくになく、もっぱら税法の関係で収益事業か否かが論じられているだけのようです。

この、景表法上の事業者性の問題が深刻なところは、景表法の事業者は独禁法の事業者と同じ意味なので(片桐編著『景品表示法(第3版)』p37)、そうすると、独禁法でも学校教育については適用除外ということになってしまわないか、ということです。

(ちなみに、緑本p37でも、事業者性は、「営利を目的としているかどうか」は問わない、と明記されているので、運用基準も、営利性を問題にしているのではないのでしょう(あやしいですが)。そうするとたぶん運用基準は、営利性ではなく、公共性を問題にしている、ということなのでしょう(これも、無理矢理合理的に説明しようとするとそうなるということで、運用基準の起草者がそこまで考えていたかはあやしいと思いますが)。)

ともあれ、もし運用基準の事業者性の定義が独禁法にもそのままあてはまるとすると、最近京都の私立学校がお互いの間で転校生を受け入れないよう合意したことがカルテルにあたるとしておそれがあるとして公取委から警告がなされた事件がありましたが、それと矛盾するのではないでしょうか?

この点に関して、根岸編著『注釈独占禁止法』p7では、教育事業についても独禁法や景表法が適用されてきた数々の事例を挙げたうえで、

「このような先例に従えば、私立大学や国立大学法人も経済事業を行う範囲においては独禁法や景表法の適用を受ける事業者に含まれるものと解される」

と結ばれています。

つまり、私立学校の教育事業にも全面的に独禁法や景表法が適用されている事例がいくらでもあるわけです。

(でも、上記『注釈』も、「経済事業を行う範囲においては」とまとめているので、私立学校間の転校制限協定が警告された事件でも、「経済事業ではないので事業者ではない」と反論したら公取委はどう判断したのか、たいへん興味深いものがあります。)

結局、私立学校は収益事業に限って事業者にあたるとする運用基準1(2)の規定は、無視するほかないでしょう。

こういう運用基準を何十年も放置してきた公取委の罪は重いと思います。

ひょっとしたら学校法人と宗教法人を所管する文部省に気を遣う事情がその当時あったのかもしれませんが、明らかな誤りや、明らかに誤解を招くような基準を放置すると、実務への影響は無視できません。

今からでも遅くないので、消費者庁は運用基準を改正すべきと思います。

2015年8月17日 (月)

紹介者キャンペーンに関する消費者庁Q&Aの疑問

消費者庁のQ&Aに、

「Q19

紹介者キャンペーンとして,新規顧客を紹介してくれた人に提供する謝礼は,景品類に該当しますか。

A.

自己の供給する商品・サービスの購入者を紹介してくれた人(紹介者)に対する謝礼は,『取引に付随』する提供に当たらず,景品類には該当しません。

ただし,紹介者を自己の供給する商品・サービスの購入者に限定する場合には,『取引に付随』する提供となり,景品類に該当し,景品規制の対象となります。」

というのがあります。

しかし、この回答は疑問です。

(ちなみに、定義告示運用基準4(7)も同じ内容です。)

まず、ただし書では、

「紹介者を自己の供給する商品・サービスの購入者に限定」

すると、景品類に該当するとしていますが、これは、定義告示運用基準(「景品類等の指定の告示の運用基準について」)4(2)ウの、

「小売業者又はサービス業者が、自己の店舗への入店者に対し経済上の利益を提供する場合・・・。」

というように、取引を条件としなくても、サービス業者(たとえばスポーツジム)が自己の店舗への入店者に対して提供するだけでも取引付随性ありとしていることと矛盾するように思います。

私は、景表法の取引付随性の解釈としては定義告示運用基準の方が正しいと思いますが(なので、紹介者キャンペーンは店舗への入店者に対して謝礼を払う場合にも取引付随性はある)、消費者庁がわざわざQ&Aで、

購入者に限定する場合」

に限って取引付随性ありとしているのですから、実務上は、購入者に限定しない限り(たとえば入店者に限定して謝礼を支払っても)、景品類には該当しないと扱って問題ないのでしょう。

(他のありうる解釈としては、運用基準のほうは主体が「小売業者又はサービス業者」に限定されているので、小売業者またはサービス業者が行う場合には運用基準がQ&Aに優先する、ということが考えられます。

しかし、紹介キャンペーンというのはスポーツジムなどのサービス提供業者が行うのが典型的ですから、そんな典型例を無視したQ&Aであるというのは深読みのし過ぎなのでしょう。)

また、そもそも論ですが、上記Q&Aは、次の20番のQ&Aと矛盾しているように思います。

つまり、20番では、

「Q20

商品の購入者の中からモニターを募集し,当該商品の使用感について報告をしてくれた人にもれなく提供する謝礼は,景品類に該当するのでしょうか。

A.

事業者が,自己の供給する商品・サービスの購入者の中から募集したモニターに対して提供する謝礼については,モニターとしての作業内容が相応の労力を要するなど,その仕事の報酬などと認められる程度のものであれば,景品類には該当しません。」

とされており、モニターに対する謝礼は、購入者に限定しても、仕事の報酬と認められる程度であれば景品類には該当しません。

とすれば、紹介キャンペーンも、紹介の報酬と認められる程度であれば景品類に該当しない、というのが一貫するのではないでしょうか(私は、景表法の解釈としてはこちらの方が正しいと思います)。

紹介だってそれなりの労力を要するでしょうし、むしろ、紹介に対する「報酬」と考える方が、実態に合うことが多いような気がします。

今回の話に限らず、景表法の解釈は、細かいことを見ていくとこのように矛盾に満ちた変なものが多いです。

最近の牛脂注入肉事件やメニュー表示ガイドラインなどをみていて本当にそう思うのですが、法律解釈の基本を知らない官僚の場当たり的な解釈に唯々諾々としたがうのではなく、筋を通すべきところは筋を通すべきです。

私も、あるべき景表法の解釈を目指して、微力ながら情報発信して行きたいと思います。

2015年8月13日 (木)

色、香り、味は「表示」か

「無果汁の清涼飲料水等についての表示」(昭和48年公取告示4号)

の1項3号では、

「1 原材料に果汁又は果肉が使用されていない清涼飲料水、乳飲料、はつ酵乳、乳酸菌飲料、粉末飲料、アイスクリーム類又は氷菓(以下「清涼飲料水等」といい、容器に入つているもの又は包装されているものに限る。)についての

次の各号の一に該当する表示であつて、

当該清涼飲料水等の原材料に果汁又は果肉が使用されていない旨が明瞭に記載されていないもの

(1号、2号省略)

三 当該清涼飲料水等又はその容器若しくは包装が、果汁、果皮又は果肉と同一又は類似の色、又は味に着色着香又は味付けがされている場合のその表示」

が、景表法4条3号(指定告示)の不当表示に該当すると指定されています。

ここで、「着色」が「表示」に該当するというのはいいとしても、「着香」や「味付け」が「表示」であるというのは、ちょっといかがなものでしょうか。

(なお、

「~がされている場合のその表示」

というのは、日本語がぎこちないですが、「その表示」というのが意味するところは、「着色」、「着香」、「味付け」自体を「表示」とみているというべきであって、「こういう色が付いています」、「こういう香りがします」、「こういう味がします」ということを文章なりで表示していることではない、ということは争いはないでしょう。

緑本(第3版)p129でも、僅少果汁清涼飲料水等に関する説明のなかに、

「原材料として果汁が5%未満の量しか使われていないにもかかわらず、清涼飲料水等の容器に果汁の色を着けた場合には、使用されている果汁の割合を『果汁○%』と明瞭に表示しないと不当表示となる。」

と、色を着けたこと自体が表示であることを前提にした解説がなされています。

唯一の排除命令事案である国分(株)でも、着香または着色が「表示」と認定されています。緑本p129)

というのは、定義告示では、「表示」の定義を、いろいろな言葉を駆使してできるだけ広くしようとしていますが、要は、

「広告その他の表示」

ということに落ち着くのであって(「表示」の定義の中に「表示」という言葉が出てきて定義が循環しているじゃないか、という問題はひとまず措きます)、要は、常識的な意味での「表示」はすべて「表示」(景表法2条4項)に該当する、とはいえそうです。

しかしそれでもなお、色はともかく、香りや味そのものを「表示」というのは、日本語の通常の意味を超えているのではないでしょうか。

そこで、定義告示と無果汁飲料告示が矛盾するのではないかが問題となりますが、どちらも同じ「告示」なので、法的な効力としては優劣はありません。

とすると、

「後法は前法を破る」

ということで、後にできた無果汁飲料告示が、「表示」の定義も含め、昭和37年にできた定義告示に優先する、と考えるのが素直な解釈かもしれません。

ところが、法解釈としては、それは成り立ちません。

というのは、景表法2条4項の定義の中自体に、

「広告その他の表示であって」

と書き込まれているからです。

つまり、内閣総理大臣は「広告その他の表示」の中から景表法上の「表示」を指定できるのであって、「広告その他の表示」を超えるものを景表法上の「表示」に指定することはできないわけです。

この点について、

内閣法制局法令用語研究会編『法律用語辞典』(有斐閣)

では、「表示」の語義について、

「ある事項を外部に分かるように、言語、動作、文字、図形その他の手段によって表すこと、又はその表された事柄。例、『意思表示』、『不当表示』等。」

と説明されています。

なので、無果汁飲料告示は、

「ある事項〔=果汁入りであること〕」

を、

「その他の手段〔=色、香り、味〕」

で表しているのだ、ということなのでしょう。

しかし、これもかなり無理矢理な解釈だと思います。

少なくとも、定義告示の、

「一 商品、容器又は包装による広告その他の表示及びこれらに添付した物による広告その他の表示

見本、チラシ、パンフレット、説明書面その他これらに類似する物による広告その他の表示(ダイレクトメール、ファクシミリ等によるものを含む。)及び口頭による広告その他の表示(電話によるものを含む。)

ポスター、看板(プラカード及び建物又は電車、自動車等に記載されたものを含む。)、ネオン・サイン、アドバルーン、その他これらに類似する物による広告及び陳列物又は実演による広告

新聞紙、雑誌その他の出版物、放送(有線電気通信設備又は拡声機による放送を含む。)、映写、演劇又は電光による広告

情報処理の用に供する機器による広告その他の表示(インターネット、パソコン通信等によるものを含む。)」

という定義ぶりをつぶさに見たときに受ける「表示」のイメージからは、かなりかけ離れているように思います。

とくに、すべての定義が、

「~による」

という縛りをかけており、いわば媒体や手段に着目した定義振りになっていることから考えると、商品の色や香りや味はどこに読み込むのか、という疑問もわきます(1号の「商品・・・による広告その他の表示」に読み込むのでしょうか?)。

何より、色はともかく香りや味は、商品の内容そのものであって、商品の「表示」というのは相当違和感があります。

このように考えると、香りや味を「表示」に指定する無果汁飲料告示は、景表法2条4項に違反している、という主張にもそれなりに説得力があるような気がします。

ともあれ実務上は、無果汁飲料告示が色や香りや味も「表示」であるとしている以上、実務上はそれに従うしかありません。

ただやっかいなのは、この問題が、無果汁飲料だけにとどまらない可能性がある、ということです。

つまり、上述のように、定義告示と無果汁飲料告示を「前法と後法」のように考えることはできず、2条4項の「表示」の定義は同項の、

「広告その他の表示」

の中の

「表示」

の意義しだい、となります。

そしてもし、

「(広告その他の)表示」

に、色や香りや味も含まれると考えると、必然的に、優良誤認表示における「表示」にも、色や香りや味が含まれることになるわけです。

そうすると、極端な話、本物に似せて作った、カニかまぼことか、合成みりん風調味料とかは、その色や香りや味自体が優良誤認表示であり、打消し表示をしないと優良誤認表示になってしまう、ということに、理屈の上ではならざるを得ないように思います。

しかし現実にはそこまで極端な態度を公取も消費者庁も取っているわけではありません。

たとえば、かつて世間を騒がせた牛脂注入肉問題でも、

「○○ステーキ」

「霜降り」

といったメニュー表示の記載を不当表示としているのであって、霜降りの外観自体が不当表示といっているわけではありません。

このように考えると、色、香り、味自体を「表示」とする無果汁飲料告示の考え方は、かなり異色なものであるということが分かります。

昔留学していたころに読んだ本に、

「Fast Food Nation」

という、ファーストフードの裏側に迫ったベストセラーがありました。

その中に、直火でこんがり焼いたハンバーガーの臭いを目隠しをして嗅がされた後に、目隠しを外したら目の前には化学薬品を染み込ませたガーゼがあった、という話がありました。臭いも薬品で着けているわけです。

「香り」も「表示」だというなら、こんなのも不当表示になりそうです。

立法論としてはそういうのを規制する(欺瞞的顧客誘引?)というのもありうるとは思いますが、表示規制として規制するのはどうなんでしょうか。

理屈の上では、色、香り、味も、

「その他の手段」

に含まれるということなのでしょうけれど、そんな解釈に納得するのは官僚と一部の頭の固い弁護士くらいであり、とうてい一般国民の納得は得られないと思います。

先日も、国会で防衛大臣が、他国軍への後方支援で提供可能な「弾薬」の定義にはミサイルも含まれると答弁して物議をかもしていましたが、つうづく、法律は言葉が大事だと思い知らされます。

でも、法律学が言葉遊びになってはいけません。

安保法案は明らかに違憲ですが(私は京大で佐藤幸治教授に憲法を習いましたが、

「いつまでぐだぐだいいつづけるのか」

というのは名言だったと思います)、景表法でも安保法案でも、国民の常識にかなった解釈が重要なのは同じだと思います。

2015年8月12日 (水)

購入取引に関する不当表示と指定告示に関する緑本の解説の疑問

片桐編著『景品表示法(第3版)』p123に、指定告示の、

「商品又は役務の取引に関する事項」

の文言の解説で、

「『取引に関する事項』であるので、商品や役務の『内容』も『取引条件』も含み、これら以外のものも『取引に関する事項』である限り、規制対象となる。

他方、表示者が供給する商品または役務の取引に関係のないもの、例えば、従業員募集のためのお知らせは、対象とならない。」

と説明されています。

しかし、従業員募集のためのお知らせが表示ではないことの根拠は、「取引」の定義ではなく、「表示」の定義(景表法2条4項)の、

「顧客を誘引するための手段として、

事業者が自己の供給する商品又は役務の内容又は取引条件その他これらの取引に関する事項について行う

広告その他の表示であつて、

内閣総理大臣が指定するものをいう」

の、「供給」に求めるべきではないでしょうか。

(景品類の場合も同様に、2条3項の「自己の供給する」が根拠となります。)

つまり、不当表示は「供給」取引についてのものに限り、「購入」取引は対象外、と読むわけです。

(買い取りサービスというサービスを「供給」している、と解釈できなくもないですし、経済実態としてはそれが正しいと思いますが、それを言い出すと独禁法にもあえて供給取引に限定している条文(支配型私的独占の課徴金に関する7条の2第2項や、共同の供給取引拒絶に関する2条9項1号アなど)がある手前、収拾がつかないことになりそうなので、きっと無理でしょう。)

あるいは、上記定義か、4条1項3号の、

「顧客を誘引」

に求める、というのでもよいと思います。

つまり、指定告示は、商品役務の買い手を誘引(しかも買い手は一般消費者に限る)するものに限る、と読み取れるので、労働力の売手である従業員候補者は対象ではない、とみるわけです。

これを「取引」という文言に読み込もうとすると、取引には売る取引も買う取引もあるわけで、にもかかわらず売る取引だけに限定して解釈するというのは、ちょっと苦しいと思います。

2015年8月11日 (火)

選択的流通の位置づけ論

池田毅著「流通・取引慣行ガイドライン~改正の意義と実務への影響~」(ビジネス法務2015年6月号p142)

という論文に、選択的流通に関して、

「・・・選択的流通といっても、日本法上はこれまで販売方法の制限として評価されてきた行為の一部であり、何か新しいことができるようになるわけではない。」

という記述があります(p148)。

このうち後半の、「何か新しいことができるようになるわけではない。」というのはそのとおりですが、前半の、選択的流通が、

「販売方法の制限として評価されてきた行為の一部であ(る)」

という部分は不正確です。

まず、選択的流通では流通業者にさまざまな義務が課せられ、その義務は販売方法に関するものに限られません。

たしかに販売方法に関するもの(中でも、資生堂事件のような対面販売義務)が目立つのは事実ですが、本場の欧州で問題になった義務にはほかにも、

最低量の購入義務

在庫の保持義務

販売促進義務

地域制限

顧客制限

事前の一括注文・一括受取義務

販売目標の設定

品揃え義務

など、さまざまなものがあり、必ずしも「販売方法」の制限とはいえないものもたくさんあります。

なので、選択的流通を販売方法の制限の一種というのは違うと思います。

ちなみに、

川濱昇「改正『流通・取引慣行ガイドライン』の位置づけ」(公正取引776号10頁)

では、

「ところで、選択的流通という名称の取引形態は〔日本では〕知られていないが、法的な規制対象としては販売方法の制限と取引先制限の組み合わせで理解可能ではないかという感想もあるかもしれない。

花王化粧品販売最高裁判決・・・は選択的流通の基準を示しているように見えるかもしれないが、この判決は選択的流通のような強固で閉鎖的なシステムの競争阻害効果の評価を明らかにするものではない。

選択的流通は販売方法の遵守だけではなく、販売をする上での適格性の基準を作り有資格の者に限定するというシステムも含めて考察する必要がある。」

と述べられており、選択的流通をたんなる販売方法の制限の一種とみる姿勢を戒めいています。

なので、理屈の上では選択的流通は既存の規制のどれかに無理に当てはめるのではなく、独立した規制対象と位置付けるのが正しいのかもしれません。

しかし、それでは過去の議論の蓄積とのつながりが失われてしまいます。

そこで、選択的流通に必ず伴う未承認販売業者への転売禁止という形式面に着目して、ガイドラインおよびパブコメ回答131番(池田論文p146の注6で批判されています)のように、取引先の制限と整理する方が、池田論文の整理よりは正しいと思います。

この、選択的流通の位置づけ論をまさに論じているのがパブコメ130番で、そこでは、

「選択的流通は、販売地域の制限、取引先の制限、販売方法の制限など他の非価格制限行為が伴うことが想定されるため、『3 流通業者の販売地域に関する制限』の前に記載されるべきである。」

との質問に対して、公取は、流通業者の取引先に関する制限の後に記載するのが適当だと回答しています(ただし、その理由は選択的流通の定義をコピペしただけで、真意ははかりかねますが、取引先制限という共通する形式面に着目したということなのでしょう)。

なので、

いろいろな制限があるという実質面に着目して総論部分に位置付けるか、

あるいは、

取引先制限が共通するという形式面に着目して最後に持ってくるか

は、いわば好みの問題かもしれません。

これに対して、販売方法の制限と位置付けるのは、形式面からも実質面からも正当化は困難だと思います。

何より、池田論文の立場では、選択的流通では販売方法の制限しかできないのではないかという誤解が生じかねません。

(ひょっとしたら、選択的流通っぽい唯一の事件が資生堂・花王事件で、これが販売方法の事件だったので、それに引きずられてしまったのでしょうか?)

選択的流通についてはこれからもいろいろな人がいろいろなことをいうでしょうけれど、だからこそ、位置づけ論のような基礎がしっかりしていないと、議論が混乱するおそれがあると思います。

ともあれ、いろんな人がいろんなことをいうことで議論が深まるのは、大変結構なことだと思います。

少なくとも、当たり障りのないことばかりいう論者や外国文献を翻訳するだけの論者よりは、自分の考えをはっきりいう論者のほうが、私は社会的に大いに意味があると思います。

私も今回いろんな意見に触れて理解が深まりましたので、このご縁に感謝したいと思います。

ところで、池田論文p147に、

「これ〔注・選択的流通の要件〕を満たさない制限についても販売方法の制限として許容される限りにおいて、独占禁止法上の問題にはならない余地があると考えられる。」

という「考え」が述べられていますが(ここでも、「販売方法の制限」に限定しているのは問題ですが・・・)、この点についてはパブコメ142番で、

「いわゆる選択的流通が問題ない場合の基準を示しているが、基準に該当しない場合には、第2部の3(1)〔=垂直的制限行為に係る適法・違法性判断基準についての考え方〕の判断基準に照らして個別に検討されることを明示すべきではないか。」

という質問に対して、

「・・・通常問題とならない場合に該当しない場合には、他の垂直的制限行為と同様、第2部の3(1)の適法・違法性判断基準に従って判断されることになります。」

と、はっきり回答されているので、こちらを引用した方が親切であったと思います。(131番を引用するならなおさら。)

そして、この点(選択的流通で救われなくても一般論で救われること)を考えるにつけ、選択的流通を販売方法制限の一種と位置付けることの問題点が浮き彫りになるように思います。

というのは、もともと販売方法の制限は、

「当該商品の適切な販売のためのそれなりの合理的な理由」

という、とてもゆるやかな基準で判断されているので、販売方法の制限に該当する選択的流通を、わざわざ選択的流通という狭い穴(「針の穴」とはいいませんが)を通して適法と主張するメリットがないからです。

「狭い穴」という理由は、1つには、

「消費者の利益の観点から〔の〕それなりの合理的な理由」

がかなり狭そうであることと、何よりも、

「他の流通業者に対しても同等の基準が適用される」

ことを要求しているために、基準を満たす流通業者とは取引を強いられる(取引義務がある)、ということです。

(厳密にいうと取引義務があるというのは正確ではなく、取引をしないと選択的流通の、ほぼ例外なく適法という基準で判断されるのではなく、非価格的垂直制限の一般論で判断されてしまう、ということなのですが。)

オーソドックスに販売方法の制限でいくなら、取引義務などは問題にすらならないでしょうから、これはメーカーにとってはそれなりの負担なのではないかという気がします。

これが、取引先制限や地理的制限なら、販売方法の制限よりも基準が厳しいので、選択的流通の狭い穴を通す意味も、ひょっとしたらあるかもしれません(ただ、日本では垂直的非価格制限はもともと「ゆるゆる」なので、この意義も大してないとは思いますが)。

しかしそれでも、取引義務が生じてしまうという問題は残ります。

2015年8月10日 (月)

選択的流通に関するガイドラインとパブコメ回答の矛盾

改正流・取ガイドライン第2部の3〔=「垂直的制限行為に係る適法・違法性判断基準」〕(2)〔=「垂直的制限行為によって生じる競争促進効果」〕エでは、

「メーカーが、自社商品に対する顧客の信頼(いわゆるブランドイメージ)を高めるために、当該商品の販売に係るサービスの統一性やサービスの質の標準化を図ろうとする場合がある。

このような場合において、当該メーカーが,取引先流通業者の販売先を一定の水準を満たしている者に限定したり、小売業者の販売方法等を制限したりすることが、当該商品の顧客に対する信頼を高める上で有効となり得る。」

と規定されています。

この、

「当該メーカーが,取引先流通業者の販売先を一定の水準を満たしている者に限定したり」

という部分は、選択的流通を意味していることは明らかと思われます。

つまりガイドラインでは、ブランドイメージの向上を選択的流通による競争促進効果と認めていることになります。

ところがパブコメ128番では、

「ブランドイメージの維持・向上についても、消費者の満足を高めるという広い意味での消費者の『利益』を高めることになるから、『それなりの合理的な理由』として〔第2部第2の5の「選択的流通」のところに〕例示すべきである。」

というコメントに対して、

「いわゆる『選択的流通』が、通常問題とならないためには、当該選択的流通が消費者の利益の観点からそれなりの合理的な理由に基づいている必要があります。

ブランドイメージの維持・向上については、メーカーの商品の競争力の向上にはつながると考えられますが、消費者の利益とは一概にはいえないものと考えます。」

との回答がなされています。

つまりパブコメ回答では、ブランドイメージの維持・向上が認められても選択的流通は必ずしも適法にならない、といっています。

まず、ブランドイメージの維持向上は欧州の選択的流通では競争促進効果の代表格なのにこれを選択的流通のルールで考慮しないというのはいかがなものかという気がしますが、それは措くとしても、この回答は、上記で引用したガイドライン本文と矛盾するのではないでしょうか。

1つの考えられる説明は、ガイドラインの選択的流通の

「消費者の利益の観点から〔の〕それなりの合理的な理由」

というのは、これを満たせば選択的流通が(ほぼ)適法になるための、いわば「当然適法」の要件なので、「それなり」という言葉が連想させるよりも非常にハードルが高い要件である(あるいは、狭い概念である)、ということです。

しかも、ガイドラインが「それなり」という、かなりゆるやかな文言になってしまっているために、パブコメ回答では、「消費者の利益の観点から」という文言で絞り込んでいこう、という意識がはたらいた、ということです。

このように考えると、ブランドイメージの向上は、選択的流通が当然に適法になるための

「消費者の利益の観点から〔の〕それなりの合理的な理由」

には該当しないけれど、だからといって違法と決まるわけではなく、パブコメ回答142番に回答されているように、

「通常問題とならない場合に該当しな場合には、他の垂直的制限行為と同様、第2部の3(1)〔垂直的制限行為に係る適法・違法性判断基準についての考え方〕の適法・違法性判断基準に従って判断されることになります。」

ということで、垂直制限の一般論に照らして再度判定され、そこではブランドイメージの向上は競争促進効果として考慮される、という理屈です。

理屈としては筋が通っていますが、非常に分かりにくいと思います。

やはり、普通の人の目には、ガイドラインとパブコメ回答は矛盾しているように見えるのではないでしょうか。

このような無理な解釈を招いている最大の原因は、選択流通の適法性の判断基準を、

「消費者の利益の観点から〔の〕それなりの合理的な理由」

という、抽象的で、かつ、よく分からない、しかも、欧州のガイドラインに照らしても唐突感のある要件にかからしめているからではないかと思います。

私は、

「消費者の利益の観点から〔の〕それなりの合理的な理由」

なんていう要件を、聞いたことがありません。

よく似ているのに、販売方法に関する制限の場合の、

「当該商品の適切な販売のためのそれなりの合理的な理由」

というのがありますが、枕詞が

「消費者の利益の観点から〔の〕」

か、

「当該商品の適切な販売のための」

かで、ご覧のように、結果は大違いです。(「消費者の利益の観点」を狭く解するパブコメ回答のような解釈だと、こんなアクロバティックな解釈ができてしまうわけです。)

しかもパブコメ回答のように「消費者の利益の観点」を文字通り律儀に解釈する立場だと、なぜ販売方法の制限の場合には純粋な消費者の利益以外も考慮されるのか、両者の違いは何なのか、疑問がわいてこざるをえません。

ひょっとしたら、販売方法はメーカーの自由であるのが原則であるのに対して選択的流通はそこまでメーカーの自由を認めるべきではない、という理屈かもしれませんが、もしそうなら、競争制限効果を厳しめに見るとかで対応すべきであって、消費者利益を純粋培養することで的を小さくするというのは、手段と目的がかみ合っていないと思います。

欧州の選択流通は、その経済的合理性はさておき、長い歴史の下で積み上げられた詳細なルールにより運用されています。

それを、「消費者の利益の観点から〔の〕それなりの合理的な理由」なんていう一言で片付けようとするのは、そもそも無理な話だと思います。

もし、「消費者の利益の観点から〔の〕それなりの合理的な理由」の意味をパブコメ回答128番のようにブランドイメージの維持向上を含まないと解するとすると、欧州では高度なアフターサービスを要する消費財とともに選択的流通の主要な対象である高級ブランド品は、日本では選択的流通の対象ではない、(少なくとも、入口審査の当然適法のところでは救われず、一般論に回されてしまう)ということになりそうです。

たしかに、ブランドイメージの向上といえば当然適法になってしまうというのが緩すぎるという常識論は理解できますが、もしそうなら、選択的流通のルールをもう少していねいに作りこむべきだったのではないでしょうか。

欧州と違って日本ではタテの制限は「ゆるゆる」なので、それでも結論としては大過ないのかもしれませんが(←これを言い出すと、なぜ選択的流通をわざわざガイドラインに入れたのか?という話になってしまいますが、周知の通り、規制改革実施計画のせいです)、いかにも不格好なルールだと思います。

以上のように、ガイドラインの選択的流通の規定にも、パブコメ回答の内容にも問題があると思いますが、一応つじつまは合っている以上、両方とも、無視するわけにはいかないのでしょう。

この点に限らず、改正ガイドラインをみていると、公取委は本当に選択的流通の意味がわかっているのか、疑問に思われてきます。(この点は、追々、このブログでも書いていきたいと思います。)

規制改革実施計画でむりやりやらされたからこういうことになってしまったのでしょうけれど、付け焼刃で改正されては実務が混乱します。

でも、できてしまったものは仕方ないので、在野法曹としては、今後も改正ガイドラインには厳しい目を向けていくとともに、実務に無用な混乱が起きないように正しい情報を発信していきたいと思います。

(ここまで書いてきて、

「パブコメ回答128番の担当者は、ガイドラインの総論部分を読まずに、質問に筋肉反射してしまったのではないか??」

という、恐ろしい考えがたった今浮かんできました。公取さん、まさか、そこまで堕ちてないですよね???)

2015年8月 6日 (木)

再販と「より競争阻害的でない他の方法」

今年3月に改正された流通取引慣行ガイドラインでは、再販の「正当な理由」について、

「 『正当な理由』は、メーカーによる自社商品の再販売価格の拘束によって実際に競争促進効果が生じてブランド間競争が促進され、それによって当該商品の需要が増大し,消費者の利益の増進が図られ、当該競争促進効果が、再販売価格の拘束以外のより競争阻害的でない他の方法によっては生じ得ないものである場合において、必要な範囲及び必要な期間に限り、認められる」

という規定が入りました。

憲法で習った、より制限的でない他の方法(less restrictive alternative、LRA)の基準を思い起こさせます。

私は、この改正ガイドラインが出てから、どうして再販にLRAの基準が適用されるのか、納得がいっていません。

一番の理由は、「正当な理由」というものが保護しようとしている価値が競争なのであれば、競争促進効果と競争阻害効果を天秤にかける、という基準一本で行けばいいはずで、わざわざLRAの基準で二重に縛りをかける理由が分からない、ということです。

以前、弁護士会の勉強会でも、

「LRAの基準というのは、たとえば薬の安全供給と薬局の営業の自由というような、2つの価値を考慮する必要がある場合には意味があるが、競争という1つの価値を実現しようとする場合には意味がないのではないか。」

という問題提起をしました。

つまり、

①薬の安全性

②営業の自由

という2つの価値があって初めて(しかもその両者が相反する場合に初めて)、①薬の安全性を実現する政策の中で、最も②営業の自由の侵害が少ない方法を採る、という考え方が意味を有するのではないか、ということです。

なお、LRAの基準が独禁法に登場するのは今度の流・取ガイドラインがはじめてではなく、たとえばSCE事件審決では、横流し禁止は、その目的の合理性が認められ、かつ、当該目的を達成する手段として競争制限効果の小さい他の代替的手段が存在しない場合に正当化される、としています。

具体的には、

「仮に被審人が主張する横流し禁止の目的〔注・流通の効率化等〕に合理性が認められるとしても,

こうした目的競争制限効果の小さい他の代替的手段によっても達成できるものであって,

被審人が横流しを禁止すべき必要性・合理性の程度は低いものというべきである。」

なので、ガイドラインにLRAの基準が登場したときも、「なんとなくそういうもの」という空気が漂っていたのではないかと思います。

しかしSCE事件も、よく見ると、流通の効率化という「目的」に合理性が認められる場合に、「手段」として許されるか、という議論の中でLRAが出てきているのであって、競争阻害効果が生じない上に重ねてより競争制限的な代替手段の不存在を適法性の要件にしているわけでは決してありません。

それに、「必要性・合理性の程度は低い」といっており、あくまで程度問題として、あるいは合理的理由判定の一要素としてLRAを考慮しているに過ぎず、流・取ガイドラインのように、LRAの不存在を適法性の要件にしているわけではありません。

もう1つ、マイクロソフト事件審決でも、

「さらに,被審人が主張するようなウィンドウズシリーズの安定性は,

IBMやソニーが指摘するように,

本件非係争条項を,特許権による差止請求のみを禁止する内容に変更するという方法(査第53号証,第65号証)や,

富士通等と締結したクロスライセンス契約等の他の契約を締結する方法など,

本件非係争条項に比べより競争制限的ではない他の方法でも達成することが可能であったこと

及び,

被審人が主張する上記安定性は,主にウィンドウズシリーズのパソコン用OS機能において求められるものであるから,「Windows Media Player」等のAV機能を実現するアプリケーションソフトウェアをウィンドウズシリーズから分離してパソコン用OSのみを販売するという方法・・・によって図ることも可能であったこと

を考慮すると,被審人の主張する競争促進効果は,本件非係争条項のパソコンAV技術取引市場における悪影響を覆すに足りるものとはなり得ない。」

と、LRAらしきことが述べられていますが、ここでも、ウィンドウシリーズの安定性という別の目的があって、それを実現するためにLRAが存在するかどうかが論じられているのであって、NAP条項が競争制限的でない上に、さらに、LRAが存在しないことが求められているわけではありません。

またここでも、LRAの不存在はあくまで反競争性判定の一要素となっているに過ぎず、LRAの不存在が適法性の要件になっているわけではありません。

もう一つ加えると、遊戯銃事件・東京地裁平成9年4月9日判決でも、自主基準の実施方法が自主基準の合理的な目的のための方法として相当であること、という要件を立てたうえで、

「本件92Fの流通により、消費者及びその周辺社会の安全という法益に重大な危険性が認められ、右危険を未然に防止するため他に適当な方法が存在しない場合には・・・」

と、LRAっぽいことををいっていますが、これも、安全性という別の法益があるからこそ成り立つ議論です。

つまり、流・取ガイドラインの、

① 再販売価格の拘束によって実際に競争促進効果が生じてブランド間競争が促進されること

② それによって当該商品の需要が増大し,消費者の利益の増進が図られること

③ 当該競争促進効果が、再販売価格の拘束以外のより競争阻害的でない他の方法によっては生じ得ないものであること

④ 必要な範囲及び必要な期間に限ること、

のうち、③を独立に抜き出すのは余分であって、せいぜい①の判断の一要素に過ぎないと考えるべきであり、現に、SCE事件もマイクロソフト事件もそのような立場になっていると思われるのです(ただし、①の内容は問題の行為類型により異なりうるでしょう)。

LRAと一括りにするから議論が混乱するので、何が主語で、何が目的語なのか、きちんと見ていけば足りる話だと思います。

そもそもLRAがあったら常に違法だという理屈は、独禁法の一般論としてはありえません。

そんなことを、たとえば企業結合で言い出したら、先日のスカイマークの債権者集会のスポンサー決定でも、デルタがスポンサーになった方が競争制限的でないのだから(LRAの存在)、ANAがスポンサーになるのは常に違法だ、ということになってしまいます。

実際にはそうではなくて、ANAがスポンサーになっても競争の実質的制限が生じない、という判断が先にあるはずで、かつ、それで終わり、ピリオドです。

議論する価値があるとすれば、ANAがスポンサーになると競争の実質的制限が生じるが、他のありうるいかなる手段よりもまし、というような場合にどうするか、でしょう。

もしガイドラインのように、再販に限ってLRAの不存在が適法性の要件だというなら、なぜそうなのか、説得的に説明すべきです(そして、そのような説明は不可能です)。

ここで、再販は競争制限効果がとくに強い、というのは理由になりません。なぜなら、それは①と②の判断で終わっているはずだからです。

このように、論理的に考えればガイドラインに私のような疑問がわくのは当然だと思います。

なので、どうしてこんな当たり前のことを誰も言わないのか疑問でしたが、このたび、

Gabriel A. Feldman, "Misuse of the Less Restrictive Alternative Inquiry in Rule of Reason Analysis" (2009)

という論文に、私とまったく同じ意見が述べられているのを見つけました。

同論文p587には、

「合理の原則の付加的な決定的要件(dispositive prong)としてより制限的でない代替的手段を用いることの基本的な欠点は、それが[シャーマン法]1条の基本的な目的を変更してしまい、当該制約後の(あるいは当該制約の存在する)競争状態と、代替的制約の存在する競争状況と、を比較することにより、それ[=合理の原則]自身をシカゴ取引所事件のミッション(注・正味の競争効果の判定)から逸脱させてしまうことである。

この[より制限的でない代替的手段の存在に関する]質問は、異議を申し立てられた制約がその代替的制約よりも効率的か非効率的かをわれわれに教えてくれるかもしれない。しかし、それは、当該制約の正味の効果を測るものではなく、したがって、シカゴ取引所事件最高裁判決が提起した根本的な質問(注・正味の競争効果)を避けるものなのである。

利用可能な他の選択肢ほど効率的ではない制約は、悪いビジネス判断の直接的証拠かもしれないが、正味の反競争的効果の証拠ではない。」

「The basic flaw of the use of the less restrictive alternative as an additional dispositive prong of the rule of reason is that it changes the fundamental purpose of the Section 1 analysis and divorces itself from the mission of Chicago Board of Trade by comparing the state of competition after (or with) the restraint with the state of competition with alternative restraints. This inquiry may tell us if the challenged restraint is more or less efficient than its alternatives, but it does not measure the net effect of the restraint and therefore avoids the fundamental question raised by the Supreme Court in Chicago Board of Trade.130 A restraint that is not as effective as available alternatives may be direct evidence of a bad business decision, but it is not evidence of net anticompetitive effect.」

と論じられています。

その他にも、

反トラスト法上違法かどうかは、正味で競争促進的なのか競争制限的なのかで判断すべきであって、「適法か」、それとも、「もっと適法か」、を問題にすべきでない、

とか、

最も効率的な方法を選ぶことを強制するべきではない、

とか、

反トラスト法では、問題となる行為がある場合とない場合を比べるべきなのに、より制限的でない代替手段のテストは、問題となる行為がある場合と、代替的手段がある場合を比べている、

など、言葉を変えて繰り返しLRAの基準が批判されています。

憲法でLRAの基準が用いられることについても、

「もし法律およびその法律が保護する権利が、その他の目標を達成するために侵害されなければならないのであれば、かかる侵害の程度は最大限最小化されなければならない。

異議を申し立てられた手段が当該目標を達成することや、達成された目標の利益が公衆への害を上回ること、を示すだけでは不十分である。

そうではななくて、言論、宗教その他の基本的人権が問題になっている場合には、法は『及第点』あるいは『合理的な』結果以上のものを要求するのである。

すなわち、用いられた手段は最適なものであり、なくてはならないものであり、または、最も制限的でない(注・人権等を最も制約しない)ものでなければならないのである。」

「If a law, and the rights protected by that law, must be violated to achieve some other goal, the extent of the violation should be minimized to the greatest possible extent. It is not enough to show that the challenged measure achieves the stated goal, or that the benefits of the achieved goal outweigh the harm to the public. Instead, when speech, religion, or some other fundamental right is at stake, the law demands more than a “satisfactory” or “reasonable” result; the means used must be optimal, necessary, or the least restrictive.」

と論じられています(p594)。

まったくその通りだと思います。

ちなみにこの論文によると、米国の少なくとも下級審ではLRAの基準が合理の原則にたびたび用いられているそうですが、再販に限ってLRAの基準を用いているのではなさそうでした。

また、最高裁で合理の原則にLRAの基準を用いるものはなく、また、ジョイントベンチャーに付随的な制約(ancillary restraint)といえるか、という形でLRAが使われる、ということでした。

(なおこの論文でも、LRAが無意味と言っているのではなくて、反競争的な意図の立証には使える、といっています。)

そこで日本の議論に戻りますと、再販にLRAの基準を用いるとすれば、独禁法の目的には、

①競争制限の禁止あるいは競争の促進(→薬の安全性に相当)

とともに、

②小売店の価格決定の自由(→営業の自由に相当)

というものがあって、(あるいは、②が別の法律で保護されていて)②のほうが①よりも大事だ、という理屈でないと現行ガイドラインは説明がつかないと思うのです。(②は、ブランド内競争とか、別のものかもしれません。)

実際、上述のガイドラインでは、再販の「正当な理由」は、

「メーカーによる自社商品の再販売価格の拘束によって実際に競争促進効果が生じてブランド間競争が促進され」

「それによって当該商品の需要が増大し,消費者の利益の増進が図られ」

てもそれだけでは足りず、

「当該競争促進効果〔=ブランド間競争の促進〕が、再販売価格の拘束以外のより競争阻害的でない他の方法によっては生じ得ないものである場合」

でなければ認められないといっているのですから、競争促進が認められても、他のもっと良い方法があったらだめといっているわけです。

(ちなみにこの点については、パブコメ回答112番で、

「消費者の利益の増進が図られ、当該競争促進効果」が維持されている場合であっても、その他の要件(「競争制限的でない他の方法」、「必要な範囲内及び必要な期間」)が必要となるのか。(弁護士)」

という質問に対して、

「独占禁止法の趣旨・目的からすると『正当な理由』とは消費者利益の確保に資する場合に認められるものであり、こうした観点から、本指針では『正当な理由』は『再販売価格の拘束によって実際に競争促進効果が生じてブランド間競争が促進され、それによって当該商品の需要が増大し、消費者の利益の増進が図られ、当該競争促進効果が、再販売価格の拘束以外のより競争制限的でない他の方法によっては生じえないものである場合において、必要な範囲及び必要な期間に限り、認められる』と明確化しました。」

という、ガイドラインをコピペしただけの、なんとも木で鼻をくくったような回答がなされています。(なお質問者の「弁護士」は、私ではありませんcoldsweats01。)

文言上明らかなのですから、「貴見のとおりです。」といえばよいのにと思います。

パブコメ回答では、けっこう公取の考え方が明確化されたりすることが多いのですが、今回のパブコメ回答はそういうのがなく、公取のやる気のなさばかりが目立ちます。)

憲法の例では、薬の安全性の保護と薬局の営業の自由という、異なる利益を天秤にかけるのでまだわかりやすいのですが、独禁法の場合には、

「競争促進効果」が生じる、

といいながら、

「より競争阻害的でない他の方法」があってはいけない、

と、同じ利益を並べているのですから、たいへん分かりにくいです。

再販はそれでなくても競争促進効果が認められにくいのに、その高いハードルを越えてさらに、「もっと良い方法があるからダメ」と言ってるも同然で、再販は競争制限効果以外の理由で独禁法上望ましくないのだといっているように思います。

しかも、ガイドラインの文言では、代替的手段の方がコストがかからない、という主張は認められないように思います。

つまり、ガイドラインで、

「メーカーによる自社商品の再販売価格の拘束によって実際に競争促進効果が生じてブランド間競争が促進され、それによって当該商品の需要が増大し,消費者の利益の増進が図られ」

という部分は要するに再販によって自社の販売数量(quantity, q)が伸びる(「当該商品の需要の増大」)ことを言っているのですが(「消費者の利益の増進」は、ほぼ消費者厚生(Consumer Surplus, CS)と同じ意味と思われるので、販売数量が伸びれば普通は満たす)、その上で、

「当該競争促進効果〔=ブランド間競争の促進による自社ブランドの需要増〕が、

再販売価格の拘束以外のより競争阻害的でない他の方法によっては生じ得ないものである場合において、

必要な範囲及び必要な期間に限り、認められる」

ということであり、

「より競争阻害的でない他の方法によっては〔自社ブランドの販売数量増が〕生じ得ないものである」

必要がある、ということなので、たとえば、

小売店にサービス提供義務を課しても同じくらい販売数量は増えるが、モニタリングコストがかかって大変だ、

というのでは、それはたんなるコスト上の問題(事業上の必要性)なので、「正当な理由」とは認められない、というのがガイドラインの論理的な読み方のように思われます。

(なおここで、需要(demand, D)、つまり販売数量(q)が伸びる必要があるといっており、売上(価格×販売数量=pq)が伸びればいいとは言っていないことは、注意が必要だと思います。このあたりは、ミクロ経済学の基礎が分かっていればよく理解できます。)

つまり、

「小売店にサービス提供義務を課しても同じくらい販売数量は増える

という時点で、

「より競争阻害的でない他の方法によっては〔自社ブランドの販売数量増が〕生じ得ない

という要件を満たさないことが確定するので、

「モニタリングコストがかかって大変だ」

という言いわけをしても意味がない、ということです。

ガイドラインの基準がもし、

「より競争阻害的でない他の方法によっては〔再販と同程度の自社ブランドの販売数量増が〕生じ得ない」

という基準ではなくて、メーカーの利益も考慮した、

「より効率的な他の方法によっても、再販と同程度の自社ブランドの販売数量増が生じ得ない」

(これなら、サービス提供の義務付けは、「より効率的な方法」には該当しないので、再販と同等の需要増が生じても、この要件には反しなさそう)

とか、

「より競争阻害的でない他の方法によっては、メーカーに再販と同程度の利益増が生じ得ないものである」

(サービス提供の義務付けはコストがかかるので、利益が減るといえ、この要件は満たす)

とでもすれば、結論が違ったかもしれません。

メーカーが、代替案(=サービス義務付け)と再販を比べて同じ販売数量が見込めるのであれば、当然、より単価を高く、よりコストのかからない方をとるのが合理的であるわけですが、ガイドラインは、それはだめだといっているように読めます。

(メーカーの販売コストが(サービス義務付けにより再販よりも)上がることは競争阻害的なのだ、といえば、この要件は認められそうでし、実際、経済学の世界では、コストが下がることはprocompetitiveだという言い方をするので、不可能な解釈ではないのかもしれませんが、独禁法の解釈で1メーカーのコストが上がることを「競争阻害的」という、という言葉遣いは聞いたことがありませんし、公取もそんなつもりは鼻からないでしょう。)

再販と代替手段とでコストが異なる場合には、同じコストをかけることを前提に(=再販をするのと同程度のモニタリングコストしかかけないことを前提に)、代替手段でも同等の需要増が生じるか、を判断する、というのがガイドラインの読み方なのかもしれません。

(「より競争制限的でない他の方法」というのを、

「より競争制限的でなく、かつ、同等に効率的(as efficient)な他の方法」

とか、

「より制限的でなく、かつ、同等のコスト(at comparable cost)を要する方法」

とでも読み替えるのですかね。)

しかし私の目には、ガイドラインの文言上からは、そのようなことは読み取れません。

というか、そんな大事なことをガイドラインに書かなくてどうするんだ、と思います。

(「当然だから書かない」というのは、一般論として正しくないスタンスですし、本件の場合には、最悪のスタンスだと思います。)

パブコメだしときゃ良かったかなぁと反省しますが(出してもたぶん原案から変わらなかったでしょうけれど。。。)、いくらプロでも、問題点がすぐには見えてこない、ということはあるわけです。

ともあれ、少なくとも文言上は、今回の改正で公取が再販を認める余地は、ほとんどないことが、今までと同じか、今まで以上にはっきりしたのではないかと思われます。

今後は、ガイドラインの文言の欠点をカバーするような運用(相談事例を含む)がされることを望みます。

2015年8月 5日 (水)

『独占禁止法関係法令集(平成27年版)』が届きました

公正取引委員会事務総局編『独占禁止法関係法令集(平成27年版)』(公正取引協会)

が手元に届きました。

Img_0697

平成22年版から、実に5年ぶりの改訂です。

平成22年版までは2年に1回のペースで出ていたと記憶していますが、しばらく間が空いており、待ちに待った改訂でした。

さすがに最近、22年版はボロボロになってきて、セロテープで補修をしたり、優越ガイドラインはコピーを挟んだりしながら使っていたりしたので、新版が出たのはとてもうれしいです。

Img_0698

改正で審判手続がなくなりましたが、しばらくは経過規定で審判が残るので、旧法(抄)が残っているのも便利です。

あと細かいところでは、平成22年版には景表法が載っていなかったのですが、平成27年版には復活しています。しかも未施行の11月改正も載っています。

法律は、何はなくとも、条文です。独禁法も例外ではありません。

もちろん、形式的な解釈が必ずしもよいというわけではありませんが、条文を読まずに解釈論を展開するなどは論外です。

エンフォースメントに関する規定についてはとくに、「この人、条文読んでないんじゃないか?」と思われるような見解も、ときどき耳にします。

独禁法は実体規定がとくに抽象的なので、条文が軽視される傾向があるような気がします。

でも、それでは厳密な解釈論はおぼつかないと思います。

見たことがないような問題に出会ったとき、条文を読むとヒントが隠れていたりすることはよくあります。

(なお、この法令集にはガイドラインも収載されていますが、ガイドラインは法律ではないので、そこまで目を皿のようにして読む意味はないと思います。あくまで、背後にある考え方が大事です。)

27年版、これからも大事に使ってゆきたいと思います。(次は29年ですかね?)

それと、22年版は、ほとんどこいつとともにこのブログも歩んできたようなものなので、大事にとっておきたいと思います。

2015年8月 4日 (火)

管理措置と二重価格表示の根拠資料の保存

「事業者が講ずべき景品類の提供及び表示の管理上の措置についての指針」では、表示等の根拠となる情報として記録し、保存しておくべきものの例として、

「価格に関する表示であれば、必要とされる期間の売上伝票、帳簿類、製造業者による希望小売価格・参考小売価格の記載のあるカタログ等」

があげられています。

これは、消費者庁の使い方によっては、二重価格表示を防止する強力な手段になるように思われます。

つまり、これまで二重価格表示については、継続的に当該事業者の価格をモニターしていないと違反を立証できないため、手間暇がかかって大変でした。

ところが、管理指針で記録の保存が義務付けられたため、二重価格表示の疑いがある事業者に対しては、とりあえず検査を行って、最近相当期間価格の根拠資料が出てこなかったら、それだけで勧告を打てることになります。

ちょっと荒っぽいやり方かもしれませんが、これくらいのことをしないと、不当な二重価格表示はなくならないのではないでしょうか。

管理措置違反の勧告でも(もっといえば、立入検査を行ったというだけでも)、十分に抑止効果はあるように思います。

そして、勧告に従ったかどうかもきちんとフォローして、もし従っていないと判断されたら公表すべきです(景表法8条の2第2項)。

楽天やグルーポンが出店者に不当な二重価格表示を持ちかけていたのではないかということが報じられていましたが、とくに、こういう何らかの首謀者的な第三者を通じてシステマチックに不当表示が行われる場合には、管理措置に対する勧告を検討する余地があるのではないかと思います。

2015年8月 3日 (月)

緑本の二重価格表示に関する解説の疑問

片桐編著『景品表示法(第3版)』のp85に、「不当な価格表示についての景品表示法上の考え方」(価格表示ガイドライン)第4-1(1)アの、

「同一ではない商品の価格との二重価格表示が行われる場合には,

販売価格と比較対照価格との価格差については,商品の品質等の違いも反映されているため,

二重価格表示で示された価格差のみをもって販売価格の安さを評価することが難しく,

一般消費者に販売価格が安いとの誤認を与え,不当表示に該当するおそれがある。」

という部分の解説として、

「これは、商品等の販売価格には、

商品の品質、

販売価格の性格(セール価格か通常価格か)、

小売業者の業態(ディスカウンターか百貨店かなど)

アフターサービスの有無など、

種々の事情が反映されているのであるが、

一般消費者はそのような隠された事情を正確に認識できるものではなく、

これらの要素の差異を明らかにすることなく販売価格のみを比較表示した場合には、一般消費者は、価格に影響する要素は同一であることを前提に、単純に表示された価格の差だけで販売価格が安いと誤認してしまう恐れがあるからである。」

と解説されています。

しかし、ディスカウンターの価格か百貨店の価格かを明らかにしないと不当表示になるというのは、おかしいのではないでしょうか。

(前提として、二重価格表示の比較対照価格として用いるのは自己の価格であることが多いですが、他社の価格を比較対照価格とするものも含まれます。

このことは価格表示ガイドラインで二重価格表示を、

「事業者が自己の販売価格に当該販売価格よりも高い他の価格(以下「比較対照価格」という。)を併記して表示するもの」

とだけ定義して、比較対象価格が自己の価格か他社の価格かを問うていないことから明らかです。

また、緑本p86にも、

「比較対象(ママ)価格に用いられる価格」

には、

「競争業者の販売価格」

が含まれると明記されています。)

実際には、むしろ比較対照価格がどういう業態の者による価格なのかを明示した方が、自社の安さをアピールできてよいことが多いでしょう。

たとえば、アウトレットは、たんに

「他店では1万円のところ、当店では5000円」

と漠然と書くよりは、

「阪急百貨店では1万円のところ、当店では5000円」

と書いた方が、消費者は当該商品のみならず当該アウトレットの安売り店としてのイメージアップにつながりそうです。お客さんも納得でしょう。

これに対して、

「御殿場アウトレットでは5000円のところ、当店では3000円」

という表示をしたいアウトレットはあまりいなさそうですし、そこまでやると、「本当に大丈夫か(安すぎやしないか)?」と心配になりそうです。

なので、アウトレットには比較対照価格が百貨店の価格であることを隠す動機はないのかもしれません。

しかし、百貨店での価格であることを明示しないと消費者が誤認する、と目くじらを立てるほどのことでしょうか。

もし消費者が誤認するとすれば、

「何も業態について明示がないので、同じ業態、つまり別のアウトレットでの価格と誤認する。」

という誤認なのでしょうけれど、アウトレットに来ている人は百貨店よりも安いから来ているのであって、他のアウトレットよりも安いから来ているのではないのではないでしょうか。

つまり、百貨店の価格よりも安ければお客さんは誤認していないのではないでしょうか。

もっといえば、緑本p85に上がっている、

「販売価格の性格(セール価格か通常価格か)」

というのも、同じように、目くじら立てるほどのことはないと思います。

つまりここでの起こり得る消費者の誤認は、

「このお店の(ありきたりの)セール価格よりもさらに安いと思ったのに、実は、通常価格に比べて安いだけだった。」

という誤認でしょうが、(ありきたりの)セール価格よりも安いという誤認をする人がいるのでしょうか。

なにも説明がなかったら、むしろ、通常価格が比較対照価格になっていると思うのではないでしょうか。

前述のように、アウトレットには百貨店と明示しない動機もないわけですが、それでも、緑本は解釈論としていかがなものかと思います。

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