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2015年7月

2015年7月31日 (金)

業務用表示の表示該当性に関する緑本の解説の疑問

片桐編著『景品表示法(第3版)』p43に、業務用表示が消費者に対する表示と認められる場合の例として、

「例えば、

飲食店向けの食材の供給業者が飲食店に納入する商品の包装物に行った表示と同内容の表示を飲食店においてメニュー等に行うことを

食材供給業者が認識して、

かつ、

当該表示により一般消費者の誤認が発生したような場合には当該食材の供給業者も景品表示法違反に問われることがありうる」

と解説されています。

しかし、この解説は疑問です。

まず、不当表示が成立するかは表示者の故意過失を問わないのに、なぜここだけ「認識」が出てくるのか、不思議でなりません。

景表法上の「表示」に該当するかどうかは、

顧客を誘引するための手段として、事業者が自己の供給する商品又は役務の内容又は取引条件その他これらの取引に関する事項について行う広告その他の表示」

であるかどうかで判断するのが景表法の建前です。

もし上記の例で食材供給業者が自己の「表示」をしたとみるのであれば、

「顧客」→レストランのお客(食材業者の顧客ではないのでは?)

「自己の供給する商品」→レストランの料理(供給するのはレストランでは?)

「表示」→メニュー(作成主体はレストランでは?)

と考えざるを得ないわけですが、それは無理でしょう。

表示をそのまま使われるという「認識」が必要というのも、上記定義のどこにひっかかってくるのか、さっぱりわかりません。

根本的な原因を作った人に責任を負わせたいという感覚論は理解できますが、解釈論としては無理です。

しかも、食材とメニューでは内容がやや遠いので、要らぬ論点が増えるので、例としてもあまり適切でないように思います。

むしろ緑本のそのあとの「丸紅畜産(株)に対する排除命令」(平成14年4月24日)の方が、まだストレートでましだと思います。

ただこの事件も理屈としておかしいのは、本文の解説と同じです。

同事件は、丸紅畜産が、牛肉の業者向け包装や段ボール箱に「国産鶏」と表示していたところ、実はブラジル産であり、取引先の小売業者はこの表示に基づいて、小分けした商品に「国産鶏」と表示して一般消費者に販売していた、というものです。

そして、丸紅畜産は、自己の段ボール箱等の表示に基づいて小売業者が小分け商品に同じ表示をすると認識していた、と認定されています。

その結果、丸紅畜産に排除命令が出されました。

事実認定としては、

「丸紅畜産は・・・当該小売事業者を通じて一般消費者に販売した鶏肉・・・について〔包装袋または段ボール箱に〕『国産鶏』と記載(した)」

と認定されています。

小分けにしたとはいえ、丸紅畜産自身が、小売業者「を通じて」一般消費者に自己の商品を販売した、という認定は、正しいと思います。メーカーが小売店を通じて商品を販売するのと同じでしょう。(小分けしたからといって、同じ商品とみてよいでしょう。ここが、食材と料理のケースと大きく違います。)

しかし、だからといって小売業者の表示が丸紅畜産の表示になるわけではないでしょう。

事実認定をどう読んでも、排除命令の対象となっている表示は包装袋と段ボール箱の表示であるとしか読めません。

それは消費者向けの表示ではないし、消費者が実際目にすることもなかったわけですから、それ自体は景表法上の「表示」に該当しないことは緑本で解説されているとおりです。

この事件でも、一般消費者向けの表示を問題としたうえで、丸紅畜産自体が小売業者の表示(一般消費者向けの表示)の作成に関与していたことを、(むりやりにでも?)認定する必要があったのではないでしょうか。

なので、私はこの事件も景表法の解釈を誤っていると思います。

それにこの事件の解釈では、緑本p55の、

「メーカー、製造元、売業者等小売業者に商品を供給した者が、小売業者が一般消費者に示した表示の内容決定に関与している場合には、表示主体となる。」

というのと、正面から矛盾するのではないでしょうか。

筋を通すなら、不当表示の直接の原因を作った者を措置命令の対象にして、原因を排除する命令を出せるように法律を改正すべきでしょう。

ただ、実務がこういうことで回っている以上、他人に不当表示をさせないように気を付けるべきことは、いうまでもありません(民事上の損害賠償請求を受けたりする可能性もあります。)

ちなみに、公取委職員の執筆による、

「食肉をめぐる最近の不当表示事件について」(公正取引625号、2002年11月)

のp32では、

「『表示を行う行為』には、厳密には、

①『表示の内容を決定する行為』と、

②『決定された内容を伝達する等現実に人目に触れるようにする行為』に分けられ、

この①及び②の行為がなければ表示を行ったことにはならない。」

と、ここまでは「ふむふむ」と納得しながら読めるのですが、続いて、

「しかし、一事業者がそのすべてを行うとは限らないため、表示に複数の事業者が関連する場合には、どの事業者に対して景品表示法の排除措置を行うかの判断が必要となってくる。」

というあたりから、「あれ、誰の表示かは問題にしないの?「決定」か「伝達」か、どちらかすれば自己の表示になるみたいに読めるけど、他人の表示を「決定」したり(例、コピーライター)、他人の表示を「伝達」したり(例、メーカーのラベルのついた商品をそのまま陳列する小売店)することも、いくらでもあるのでは?」という疑問がわいてきます。

そして、きわめつけは、

「食肉卸業者が原因となる不当表示事件は、雪印、カワイ、丸紅、全農等、スターゼンであり、これらの者が景品表示法の適用を受ける表示主体であることは明らかであって・・・」

と、原因を作っただけで表示主体になることが「明らか」と説明されています!

なぜ「明らか」といえるのか、何の説明もありません。

(まるで、何の根拠もなく、「わが国が戦争に巻き込まれるなどということは決してありません!」と断言するどこかの国の首相みたいですcoldsweats01

この書きぶりだと、事件処理当時の公取委では、緑本のような、「表示は消費者向けの表示に限る」という論点が、まったく意識されていなかった可能性があります。

本当は、不当表示者が行う表示と消費者が目にする表示は異なる表示であってもかまわないと割り切る、つまり、消費者が誤認する限り、消費者が目にした表示のみならず、その原因となった表示も「表示」に含まれる、と解したいところですが、4条1項1号に、「一般消費者に対し・・・示す・・・表示」と明記されている以上、それは無理でしょうね。

2015年7月29日 (水)

アンケートにかかわる緑本の「景品類」の解説の疑問

景表法実務の必須図書、消費者庁の方々による執筆の、

片桐編著『景品表示法(第3版)』(通称、『緑本』)

の、「景品類」の定義に関する運用基準の説明に、ちょっと疑問があります。

同書p162では、

「事業者が市場調査のためのアンケート用紙の回収促進のために謝礼等を提供した場合」

であっても顧客誘引のための手段と認められる場合として、

「③謝礼等の額がアンケートに記入する際の負担からみて過大である」

という場合を挙げています。

しかし、これは疑問です。

まず、これでは、事業者が何らかの「市場調査」のためのアンケートを実施した場合について、「過大」であれば顧客誘引のための手段とみられて景品類に該当する、といっているようにみえます。

しかし定義告示運用基準では、そうはいっていません。

定義告示運用基準1項では、

「・・・自己の供給する商品に関する市場調査のアンケート用紙の回収促進のための金品の提供であっても・・・」

となっており、ここでの市場調査のアンケートは、「自己の供給する商品に関する」ものであると明確に規定されています。

これが、緑本の記載では、何らかの市場調査のためのアンケートであって、過大であれば景品類にあたるといっているように読めてしまいます。

市場調査のアンケートにもいろいろあって、私が以前街角で受けたアンケートは、

「コーヒーのイメージにはどのタレントが似合うと思いますか。

①アーノルド・シュワルツェネッガー

②トミー・リー・ジョーンズ

③渡辺謙」

みたいな感じでした。(ちなみに謝礼はありませんでした。)

これから発売する新商品のための調査だったので、具体的な商品名は未定でした。

最近聞いたのでは、「進学先アンケートに回答したらギフトカード10万円が当たった。」というのがありました。

こういう頭で読んだせいか、同書の上記引用部分では自己の商品との関連性がなくても「過大」なら景品類にあたるといっているようにみえて、ちょっとびっくりしました。

次に、仮に自己の商品に関するアンケート調査であるとしても、「謝礼等の額がアンケートに記入する際の負担からみて過大である」という基準は、私は大いに疑問だと思います。

まず、この基準は総付け景品(アンケート回答者全員がもらえる景品)しか念頭にないのではないでしょうか。

抽選で当たる(懸賞による)景品であれば、回答の手間に比べて過大になるのは当然です。

なので、手間に比べて過大という基準だと、とくに懸賞による景品の場合には、大したことない景品でも景品類に該当してしまう(景品類に該当しない場合がほとんどなくなってしまう)と思います。

あるいは、消費者庁は、

「『過大』かどうかは、当選する確率なども踏まえて総合的に判断するので、必ずしも常に過大となるわけではない。」

などと回答するのかもしれませんが、そんなあいまいな基準では、当局の裁量を増やすだけで何の実益もありません。

次に、そもそも「負担」に比べて過大かどうかを「顧客誘引の手段」の要素とするのは、理屈として間違っています。

あらためて定義告示運用基準の関係個所を引用すると、

「提供者の主観的意図やその企画の名目のいかんを問わず、客観的に顧客誘引のための手段になっているかどうかによって判断する。

したがって、例えば、親ぼく、儀礼、謝恩等のため、自己の供給する商品の容器の回収促進のため

又は

自己の供給する商品に関する市場調査のアンケート用紙の回収促進のため

の金品の提供であっても、『顧客を誘引するための手段として』の提供と認められることがある。」

となっています。

このように、定義告示運用基準には、手間に比べて過大とかは、一言も触れられていません。

『緑本』p162で、上で引用を飛ばした①と②は、

「①その商品を買わなければアンケートに適切に答えられない」

「②販売業者が自己の店舗の入店者のみにアンケート用紙を配布している」

といった例は、オーソドックスな「誘引」の要素であり、これらにくらべて③は、アンケートの文脈でいきなり出てきた基準で、その意味で突出しています。

また、企業にとってはアンケートの情報というのはお金を払ってでも欲しい、ということがあり得るわけで、そうすると、「手間」を基準にしたのでは、お金を払ってでも欲しいアンケートを、企業はすることができなくなってしまいます。

まして今日、インターネットでのアンケートが流行っており、「手間」はますますかからなくなっているのですから、「手間」を基準にすると、ますます謝礼が払いにくくなってしまいそうです。

しかも、具体的に考えてみると、このルールは、論理的に変です。

たとえば1本130円の缶コーヒーでも、その缶コーヒーに関するアンケートの企業にとっての価値は130円を超える、ということは、いくらでもありそうです。

もし企業がこのアンケート回答1件の価値を1000円と考えていた場合に、消費者庁が、

「このアンケートの『手間』は500円が相当だ」

と判断したら、たんに「景品類」に該当してしまうだけでなく、購入を条件としないので、「取引の価格」が100円となってしまい(総付運用基準1(3))、すると景品の限度額は200円(総付告示1項)となってしまいます。

つまり、「手間」として相当なのは500円だから500円までならいい、というのではなく、限度は200円になってしまう、というおかしなことになりそうです。

つまり、『手間』が500円の場合、

500円以下の景品は「過大」でないので景品類に該当せず、500円まで景品を付けてもいい

のに、

501円以上の景品を付けようとすると「過大」といわれて200円までしかつけられない、

ということになってしまい、なんだか変です。

この気持ち悪さは、本来景品類の限度額価値の問題として処理すべき景品類の価格の問題を景品類の定義自体に取り込んでしまったために、論理がねじれてしまっているせいだと思われます。

このような論理的な難点だけでなく、実質的に考えても、過大な景品だから商品に誘引されるということはないのではないでしょうか。

つまり、過大な景品の場合に誘引されるのは、「アンケートに回答すること」だけなのではないでしょうか。

そのようにアンケートに誘引された人が、なぜ、(お店に来るわけでもないのに)商品の購入にまで誘引されるのか、私にはわかりません。

たくさんお礼をもらったから、恩義に感じて商品も買ってくれる、とでもいうのでしょうか?

それとも、多額の謝礼をもらって(あるいは、多額の謝礼が当たるという広告をみて)印象に残るから、お店で手に取るようになる、というのでしょうか?

むしろ、誰でも回答できるアンケートに過大な景品をつけても、それは、誰でも応募できる「オープン懸賞」に近いものなのではないでしょうか。(懸賞による場合。総付けなら、誘引性がないので「景品類」に該当しないとすべき。)

「多額の謝礼をもらって(あるいは多額の謝礼をだすという広告を見て)印象に残る」というのは、オープン懸賞の場合にそっくりです。

「オープン懸賞」が無制限に認められるようになった現在、そのこととのバランスも問題になると思います。

2015年7月28日 (火)

村上他編著『条解独占禁止法』の繰り返し加算(7条の2第7項)の解説について

標記の件について気が付いたことを記しておきます。

まず同書p360では、

「課徴金納付の対象となっている違反行為と、過去の違反行為とで、取引の分野や対象商品や役務が同一である必要はない。」

とされています。

しかしこれだけでは、一番知りたい、不当な取引制限と私的独占との間でも加算されるのか、という点が、明確ではありません。

むしろ、取引分野や対象商品のことにしか触れていないことからすると、(より大きなくくりである)違反行為類型は同一である必要があることが前提になっている、と読むのが自然なような気がします。

実際、同書p359では、

「平成21年改正により排除型私的独占が課徴金の対象とされたことに伴い、排除型私的独占による課徴金納付命令を受け、確定したことも本項の対象とされた。」

と書いてあり、排除型私的独占の前科としてカウントされるのは排除型私的独占の課徴金だけであると理解されているようです。

しかし、もしそのように理解されているとしたら、それは間違いです。

(上記引用部分をよ~く読むと、平成21年改正で排除型私的独占も、2度目の違反行為の類型を問わず1回目の前科としてカウントされることになった、という趣旨であると読めなくもないのですし、厳密に論理的にはそう読むのが正しいのでしょうが、この解説の前後の文脈に照らして(特に、「取引の分野」や「対象商品や役務」に触れながら(←これらが違っても前科にカウントするのは当たり前)、それよりも重要な「違反行為の種類」(←これが違うと前科にカウントするかは議論があり得る)には触れていない点)、おそらくそうではなさそうです。)

立案担当者解説である、諏訪園編著『平成17年改正独占禁止法』p62に、

「入札談合を行った事業者が、例えば、異なる行為類型の違反行為、支配型の私的独占を行った場合も対象となる。」

と明記されています。

ほかには、『注釈独占禁止法』p181(岸井大太郎執筆部分)にも、

違反行為の種類や事業分野の如何は問わない。」

と書いてあります。

立法論としての妥当性は議論の余地があるのかもしれませんが、条文がそうとしか読めないし、立案担当者もそのような解説をしている以上、仕方ないでしょう。

また、改正前の課徴金が加算の対象になるのか、というのも実務ではよく問題になる論点ですが、村上『条解』には、これに関する記述はありません。

これに対して『注釈』p181では、

「過去の違反歴には、改正前に行われた違反行為も含まれる。」

と、明確に書いてあります。

ちなみにその根拠は、平成17年改正前の排除措置命令及び課徴金納付命令も加算事由となるという、独占禁止法平成21年改正附則 (平成21年法律第51号)7条1項 の経過規定です。

17年改正のことが21年改正の附則に書かれているのは、次のような理由です。

平成21年改正附則7条1項は、元々ほぼ同じ内容が平成17年改正附則(平成17年法律第35号)6条に規定されていました。

ところが、平成21年改正で排除型私的独占に対しても課徴金が課されることとなったことに伴い、繰返しの排除型私的独占についても不当な取引制限と同様に改正前の排除措置命令及び課徴金納付命令も課徴金の加算事由となる経過措置を置く必要が生じました。

そこで、排除型私的独占に関する経過措置が平成21年改正附則7条2項に置かれ、それに併せて、平成21年改正前までは平成17年改正附則6条にあった不当な取引制限に関する経過措置が削除されて、平成21年改正附則7条1項に移された、という次第です。

なお、平成21年改正附則7条の内容は以下のとおりです。

「第7条 新独占禁止法〔注:平成21年改正による改正後の独占禁止法〕第7条の2第1項〔注:不当な取引制限に対する課徴金の規定〕・・・により課徴金の納付を命ずる場合において、

当該事業者が、同条第1項・・・に規定する違反行為に係る事件について新独占禁止法第47条第1項第4号に掲げる処分〔注:公正取引委員会による立入検査〕・・・が最初に行われた日からさかのぼり10年以内・・・に、〔平成17年改正前の独占禁止法〕第7条の2第1項の規定による命令を受けたことがあるとき・・・は、

当該命令又は審決を〔平成21年改正独占禁止法〕第7条の2第1項の規定による命令であって確定しているものとみなして、同条第7項・・・の規定を適用する。」

ところで村上『条解』p360には、

「不当な取引制限等」

という言葉が出てきますが、その意味は、

「不当な取引制限または不当な取引制限に該当する事項を内容とする国際的協定もしくは国際的契約」

のことであると、p337に定義されています。逐条解説なのに、遠くてちょっと不便ですね。

なお、同書p360に、

「当該課徴金納付命令を取り消された(63②)事業者が再度不当な取引制限等、支配型私的独占または私的独占について課徴金納付を命じられる場合も同様である。」

という部分の「私的独占」は、「排除型私的独占」の誤記ですね。

あと、同書p360に、諏訪園『平成17年解説』を引用して、

「課徴金納付命令は、事業分野に対してではなく企業に対して行われるものであり、・・・」

という部分があり、「事業分野に課徴金を命じるって、どういうことだろう?」と思って諏訪園『平成17年解説』をみたらやっぱり誤記で、正しくは、「事業部門」でした(諏訪園p64)。

2015年7月27日 (月)

【お知らせ】『会社法務A2Z』に寄稿しました

今月25日発行の、第一法規の『会社法務A2Z』(2015年8月号)に、

「不正競争防止法改正・営業秘密管理指針全面改訂と実務への影響」

という論文を寄稿させていただきました。

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ちょうどゲラが上がってきたあとに国会で改正法が成立して直前に手直ししたりと、慌しい作業でしたが、結果的にとてもタイムリーな論文になりました。

今回の不競法改正と管理指針は、すべての企業が押さえておくべきポイントだと思いますので、ご一読いただけますと幸いです。

2015年7月26日 (日)

村上他編著『条解独占禁止法』の連続して提供する役務の支払期日の起算点に関する説明

下請法運用基準では、

「・ 下請代金の額の支払は、下請事業者と協議の上、月単位で設定される締切対象期間の末日までに提供した役務に対して行われることがあらかじめ合意され、その旨が三条書面に明記されていること。

・ 3条書面において当該期間の下請代金の額が明記されていること、又は下請代金の具体的な金額を定めることとなる算定方式(役務の種類・量当たりの単価があらかじめ定められている場合に限る。)が明記されていること。

・ 下請事業者が連続して提供する役務が同種のものであること。」

という3つの要件が満たされている場合には、月単位で設定した締切対象期間の末日に連続した役務が提供されたと扱ってよい(それを支払期日の起算点にしてよい)と書いてあります。

これに対して、村上他編著『条解独占禁止法』p918では、2つめの要件について、

「②3条書面に当該機関の下請代金の額(算定方法も可)が明記されていること」

と説明されています。

しかし、これは端折りすぎではないでしょうか。

下請法運用指針によれば、下請法上認められている下請代金の額の算定方法は、

「下請代金の額の算定の根拠となる事項が確定すれば、具体的な金額が自動的に確定することとなるものでなければなら(ない)」

ものの、単価が定められている必要は必ずしもなく、たとえば、

「原材料費等が外的な要因により変動し、これに連動して下請代金の額が変動する場合」

でも、算定方法の記載が認められるわけです。

その他の例は、

「プログラム作成委託において、プログラム作成に従事した技術者の技術水準によってあらかじめ定められている時間単価及び実績作業時間に応じて下請代金の総額が支払われる場合」

で、最後がまさに、

「一定期間を定めた役務提供であって、当該期間における提供する役務の種類及び量に応じて下請代金の額が支払われる場合(ただし、提供する役務の種類及び量当たりの単価があらかじめ定められている場合に限る。)」

です。

しかも、2つめの例では単価は「時間単価」であるのに対して、3つめの例では単価は「種類及び量当たりの単価」で、わざわざ書き分けられています。

それなのに、たんに「算定方法も可」と書いたのでは、誤解が生じかねません。

とくに、下請法講習テキストには、労賃単価(役務の単位量当たりの単価ではありません)、原材料単価、為替相場、など様々なパラメーターが例示されており、許される算定方法の記載例がたくさん書いてあるのですから(平成26年11月版ではp25)、下請法を知っている人ほど、これらの多様な算定方法が認められるのだという誤解をしかねないと思います。

たしかに運用指針の例はあくまで例に過ぎないわけで、これ以外はだめだといっているわけではありませんし、そもそも指針に過ぎず法律ではないわけですから、これが絶対的な下請法解釈というわけでもないのですが、実務的には、一定の配慮をしなければならないのが現実です。

実務家向けのコンメンタールが、それを無視するのはいかがなものでしょうか。

もしたんに端折っているだけなら、せめて脚注なりで運用指針の該当箇所に言及するのが親切というものではないかと思います。

反対にもし万が一執筆者が、

「役務の種類・量当たりの単価があらかじめ定められている場合に限らず、あらゆる算定方法が認められるべきだ」

と考えて書いているなら、なおのこと、運用指針に言及したうえで、きちんと自説の根拠を示すべきだと思います。

2015年7月25日 (土)

役務の提供完了報告書と情報成果物作成委託

調査レポートのような報告書は情報成果物の典型で、下請法の適用がありえます。

親事業者が他者から作成を請け負ったレポートを再委託する場合には類型2ですし、親事業者が自己使用するためのレポートの作成を委託する場合には、親事業者自身が同種のレポートを作成しているときに限り、類型3で下請法の適用があります。

ここまでは基本中の基本ですね。

では、役務提供委託に際して、役務の完了報告書を提出させた場合、それ自体独立した情報成果物作成委託になるのでしょうか。

たとえば、分かりやすい自己使用役務の例でいうと、ビルのオーナーがトイレの清掃を清掃業者に委託しているとして、清掃業者が清掃を完了して完了報告書を清掃業者から受け取った場合、常識的に考えて、清掃の委託の部分はオーナーが自己のためにした役務の委託ですから下請法の対象外ですが(自己のためにする役務は下請法の対象外です。これも基本です)、作業の完了報告書の部分だけを取り出して、情報成果物作成委託に該当する、といわれることはないのか(オーナー自身が同種の報告書を業として作成していることが前提ですが)、というのが、ここでの問題です。

やはり、そのような役務提供に付随した報告書は、情報成果物作成委託には該当しないと考えるのが常識的でしょう。

では条文をチェックしてみましょう。

まず、清掃の完了報告書も、「文字・・・により構成されるもの」(下請法2条6項3号)に該当するので、それ自体は情報成果物であるといわざるをえないでしょう。

次に、下請法2条3項では、情報成果物作成委託の類型3を、

「〔親〕事業者が

その使用する情報成果物の作成を業として行う場合に

その情報成果物の作成の行為の全部又は一部を

他の事業者に委託すること」

と定義しています。

1つには、清掃の完了報告書のようなものは、親事業者が「使用する」とはいえない、という解釈が思い浮かびます。

つまり、清掃の完了報告書は、清掃業者が自己の債務の履行を立証するために提出するものであって、親事業者がこれを使用するために受け取るものではない、という解釈です。

しかし、たとえば内閣法制局法令用語研究会編『法律用語辞典』(有斐閣)では、「使用」は、

「普通には、その物の有する機能性質によって定まる用方、すなわち、本来の用方に従って消費し、又はそのまま使うこと」

と説明されており、清掃の完了報告書は清掃が完了したことの記録として用いるのが本来の用法そのものですから、これを「使用」に該当しないというのは無理があるでしょう。

(ちなみに、同書の「用方」というのは、一瞬、「用法」の誤記かと思いましたが、同書では『用方(ようほう)』も、

「物の自然的性格に即した本来の経済的目的に合する使用方法。・・・なお、物の用い方、使用の方法という意味では『用法』が用いられる。」

と、きちんと定義されて載っています。さすが法制局、誤記などするはずがありません!)

なので、たとえば親事業者が自社オフィスの清掃を完了したら社内報告書を作成することを業としていた場合には、その社内報告書は、「その使用する」情報成果物であるといわざるをえないと思います。

次に考えられるのは、「委託」していない、という解釈です。

下請法には、「製造委託」や「役務提供委託」といった用語の定義はあるのですが、「委託」という言葉の定義はありません。

一応、下請法運用基準では、

「なお、この法律で『委託』とは、事業者が、他の事業者に対し、給付に係る仕様、内容等を指定して物品等の製造(加工を含む。)若しくは修理、情報成果物の作成又は役務の提供を依頼することをいう。」

という説明がありますが、「仕様、内容等を指定」しているか否かが「委託」か否か(たとえばたんなる売買か)にかかわってくるのは製造委託くらいで、その他の役務提供委託や情報成果物作成委託は基本的にみな「一品もの」なので、この定義の「仕様、内容等を指定」で清掃の完了報告書の範囲を絞るのはちょっと無理でしょう(清掃の完了報告書とはいえ、内容は「一品もの」なわけですし)。

では、「依頼」していない、という解釈は可能でしょうか。

つまり、清掃の完了報告書は清掃業者が自己の債務の弁済を立証するために作成しているのであって、発注者からは「依頼」していない、という理屈です。

この理屈が成り立つ場合も確かにあるでしょう。

でもそういう、清掃業者が自発的に報告書を提出してくる場合には、完了報告書の発注もないわけですから、下請法の適用がないのは当然で、むしろ問題になるのは、契約書で報告書の提出を義務付けているような場合です。

では、契約書で清掃の完了報告書の提出を義務付けている場合にも、「依頼」に該当しないと解することは可能でしょうか。

そこで再度、前出の『法律用語辞典』を見てみると、「委託」は、

「一般に、法律行為又は事実行為を他人又は他の機関に依頼すること」

と説明されています。

私には、この「委託」の定義は、本来、本人がやるべき、あるいはやってもよいような法律行為や事実行為を、あえて他人にやらせる、というニュアンスを含んでいるようにみえます。

実際、「委託」は、「委ねる」、「託す」ということですから、本来本人がやることが予定されているはずです。

とすると、清掃の完了報告書のようなものは、どう転んでも発注者が作成することは不可能、といいますか、発注者がまったく同じ内容の報告書を作っても意味がないわけで、作業を行った本人である清掃業者が作成してこそ意味がある、と思うのです。

とすると、日本語本来の「委託」の意味を尊重して、また、運用指針の「依頼」にそのような意味も込めることとして、仮に契約書で完了報告書の提出を義務付けていても、それは本来下請事業者がやるべきことであって、本来発注者がやるべきことを「依頼」しているものではない、と考えることにしたいと思います。

ちなみに下請法講習テキストにも作業の完了報告書を単独の役務提供委託とみないことをうかがわせる記載がいくつかあります。

たとえば、p42のQ67では、(情報成果物作成委託関係)というくくりの中で、

「プログラムの作成委託において,給付の内容を確認するため,プログラムの納品に併せて下請事業者に最低限の証拠資料(単体テスト結果報告書等)を提出させることとし,プログラムの納品時に証拠資料の提出がない場合には,証拠資料の提出後にプログラムを受領したこととしたいがよいか。」

という設問に対して、

「あらかじめ親事業者と下請事業者との間で,親事業者が支配下においたプログラムが一定の水準を満たしていることを確認した時点で給付を受領したこととすることを合意しており,プログラムの納品に併せて当該確認を行うための証拠資料の提出を求めている場合において,証拠資料の提出が遅れた場合に,証拠資料の提出後にプログラムを受領したこととしても問題はない(ただし,3条書面に記載した納期日にプログラムが親事業者の支配下にある場合には,内容の確認が終了していなくても3条書面上の納期日が支払期日の起算日となる。)。

なお,この場合には,委託した給付の内容に証拠資料の提出を含むこととし3条書面にその旨記載して発注するとともに,証拠資料の作成の対価を含んだ下請代金の額を下請事業者との十分な協議の上で設定して発注する必要がある。」

と回答されています。

(なお、内容は同じなので上記引用は平成18年11月版のテキストからコピペしました。コピペできない設定のPDF版が多いので、後日の便宜のため、18年版を貼り付けておきます。)

「1811koushuu_text.pdf」をダウンロード

この設問からは、証拠資料としての報告書自体を情報成果物とみていることはうかがわれず、あくまでプログラムの作成が情報成果物作成委託だととらえられているようにみえます。

そうでなければ、報告書自体の納期(?)とか、報告書自体の対価(?)とかが必要になるはずです。

「委託した給付の内容に証拠資料の提出を含むこととし」、とか「証拠資料の作成の対価を含んだ下請代金」を定めろとか、報告書自体、委託の対象といっているようにも読めるのが気持ち悪いですが、そこは、「きっとそこまで深く考えてはいないだろう」ということで、目をつむりましょう。

3条書面に書けというのもとても気持ち悪いですが、これも、報告書自体を発注対象とするなら、報告書自体の納期を書かないといけないはずで、そこまでのことはこの回答からはやはり読み取れないと思います。

他の例としては、p43のQ70では、(役務提供委託関係)のくくりの中で、

「Q69: 運送委託において,下請事業者からの配達報告が届いた時点を『役務を提供した日』としてよいか。

A: 『役務を提供した日』とは,当該役務が完了した日であり,報告書の届いた日ではない。」

というのがあり、ここでも、役務の完了報告書それ自体が情報成果物であるという観点からの分析はありません。

と、いうわけで、役務のたんなる完了報告書を作成させることは、独立した情報成果物作成委託とはみない、ということでかまわないと思います。

2015年7月24日 (金)

供述調書の閲覧拒否事由と懲戒の可能性について

平成25年独禁法改正の立案担当者解説である

岩成他編著『逐条解説・平成25年改正独占禁止法-審判制度の廃止と意見聴取手続の整備』(商事法務)

の73頁では、独禁法52条ただし書の従業員の供述調書の閲覧・謄写拒否事由としての

「第三者の利益を害するおそれがあるとき」

の具体例として、

「当事者が閲覧・謄写した自社従業員の供述調書の内容をもって当該従業員に対して懲戒等の不利益取扱いを行う可能性があるとき」

が挙げられています。

また現在パブコメ中の審査手続指針案にも、同じことが書いてあります。

しかし、私はこの解釈はおかしいと思います。

まず、違反行為を行った従業員を懲戒することは、企業の当然の権利です。

当然の権利の行使の結果懲戒されることがあったとしても、それは仕方のないことです。

米国では、違反行為を行った従業員を雇用し続けると量刑上不利益な扱いを受けたりすることすらあります。

文言解釈としては、52条1項ただし書の

「第三者の利益」

というのは、法的に保護されるべき利益を意味しており、「違反行為を行っても懲戒されない権利」なるものは法的保護に値するはずがありません。

公取の解釈は、これと逆に、「違反行為を行っても懲戒されない権利」を法的保護に値する権利であると考えないと成り立たない解釈であり、誤りであるというほかありません。

一体、公取は、ここでの「第三者の権利」を、どのようなものと考えているのでしょうか?

あえて公取の立場に立って考え、

「第三者の利益」

の内容をもう少し絞って考えてみて、たとえば、

「自己の公取への供述によっては不利益を受けない権利」

というものを、従業員の法的保護に値する権利として考えることができるでしょうか。

私はこれも無理だと思います。

このような、黙秘権や自己帰罪拒否特権的な権利が明文の規定もなく認められるわけがありません。

黙秘権や自己帰罪拒否特権は、刑事手続で憲法38条の明文の規定で認められているものであり、行政手続においてすら認められていません。それを、懲戒という、まったく私的な関係における制裁において明文の根拠なく認める理由は、なんらありません。

まして、「公取に対する供述による不利益」だけに限って従業員を特別に手厚く保護してあげる理由はまったくありません。

そして、「第三者の利益」が侵害されることを理由に閲覧謄写を拒否する場合には、利益の主体である当該第三者の同意があれば、当然、閲覧謄写は認められるべきです。

ところが、公取の解釈では、従業員の同意があっても閲覧謄写できないことになりかねません。

これはなによりも、公取の解釈が、従業員の利益を守ろうとするものではないからです。

みなさん薄々感づいておられると思いますが、このような解釈を公取がとる本当の理由は、なにも従業員の利益を保護したいためではなくて、懲戒をおそれて従業員が正直にしゃべってくれなくなるのではないか、という懸念であることは明らかです。

しかし、それは従業員の利益とは関係ないことであって、条文の文言も、立法趣旨も、明らかに逸脱しています。

実質的に考えても、公取が取った供述調書は、強制力を伴った客観的な証拠との整合性を十分検討したうえで取られているはずです(と、現在パブコメ中の審査手続きに関する指針案の第1-3(4)に書いてあります)。

ということは、公取の取った供述調書は客観的な事実に近いはずで(←これは半分皮肉ですが)、会社の内部調査だけによるよりも、より真実に迫った上で懲戒の内容を決めることができることになるはずです。

もし公取が、供述調書によったのでは従業員に不当に不利益を与えてしまうことになると懸念しているとしたら、そのような調書を取ること自体が間違いです。

むしろ、懲戒処分の根拠となり得ることを肝に銘じたうえで、公取は、真実に近い調書をとるべきではないでしょうか。

懲戒処分に用いられることがわかっていたら、公取も、無理な誘導を少しはしなくなるのではないかということも期待できます。

米国の弁護士が独禁法違反で従業員を事情聴取するときは、必ず、

「私は会社の弁護士であってあなたの弁護士ではないので、ここで話したことは将来あなたに裁判内外を問わず不利益に用いられる可能性がある。」

と断った上でインタビューを始めています。

それでインタビューに何の支障もありません。

同じことを公取ができないはずはありません。

また、上記逐条解説は、自社の従業員の調書を閲覧謄写する場合について述べていますが、理屈の上では自社従業員の供述調書の場合に限らず、他社従業員の場合も同じに扱わないとつじつまが合わないはずです。

そうすると、公取の解釈では、他社従業員の供述調書の中に自社従業員の違反行為への関与が記載されている場合に、その記載をもって自社従業員を懲戒することは許されないことになりそうですが、それだと、公取の立場からしても閲覧禁止の範囲が広すぎないでしょうか?

(この場合は、「他社従業員」が供述者、「自社従業員」が利益を害される第三者、ということなのでしょう。)

このような例を挙げていないことからも、

「他社(A社)の従業員の懲戒処分に用いられることを心配して供述を渋るような(B社の)従業員はいないであろう」

    ↓

「なので、B社の従業員の供述調書をA社がA社従業員の懲戒に用いることは構わないんじゃないか。」

    ↓

「でもB社がB社従業員の調書をB社従業員の懲戒に用いると、B社従業員は供述を渋るだろうな。」

というホンネが、大いに透けて見えるような気がします。

では実務上どうすればいいでしょうか。

もし、閲覧謄写申請書に、

「調書の内容は懲戒処分等には利用しません。」

という誓約文言が入っていても、上述のように、それは独禁法52条の誤った解釈に基づくものですから、無視してかまわないと思います。

もしこの問題を正面きって争いたい場合には、誓約文言があればそれを消して、なければ懲戒に用いることがありうると明示して、閲覧謄写申請し、拒否されたらその不当性を行政訴訟で争う、という選択肢が考えられますが、ふつうはしれっと申請して、こっそり懲戒処分に使うのではないでしょうか。

上述のように、公取の解釈は独禁法52条の解釈を誤っているので、それで何の問題もないと思います。

そのように正面切ってお上に立てつくのははばかられる、という典型的日本人の方は、念のため、閲覧謄写した調書をもとに従業員から聞き取りをし、その聞き取りの結果を懲戒処分の根拠にすればよいのではないでしょうか。

ともあれ、このような恥ずかしいことをガイドラインに書くのは、世界に恥をさらすようなものですから、ぜひやめておいた方がよいと思います。

ちなみに、上述のように、この閲覧謄写拒否の問題を52条の枠内で議論しようとするとあきらかに無理がありますが、政策論として、そういう特権を従業員に与えることは考えられるでしょうか。

私は、そのような政策も望ましくないと思います。

最近特に、カルテルの場合、たいてい企業は被害者で、従業員が加害者です。

一昔前は、カルテルは従業員が私腹を肥やすためにやるのではなくて、会社の利益を考えてやるのだ、という発想で、企業も加害者だ、みたいな発想だったかもしれません。

でも、コンプライアンスが厳しくなった今日、そのようなケースはますます少数になってきています。

一言でいえば、企業は一従業員の暴走によって、とんでもない迷惑を被っているわけです。

にもかかわらず、被害者的立場にある(そして、従業員の行為によって自社が課徴金を支払わされる)企業が、加害者である従業員の調書を見られないとしたら、また、仮に見られたとしても懲戒処分に用いられないとしたら、こんな不正義はないと思います。

従業員の取り調べに会社の弁護士を立ち会わせない理由として、

「会社の弁護士は従業員個人の弁護士ではない」

ということがいわれることがあり、一見もっともらしいですが、従業員が加害者で企業が被害者であるという現実にかんがみれば、このような理由が建前論にすぎないことがよく理解できると思います。

つまり、企業は従業員の行為の責任を必然的に負わされるのであって、公取での取り調べであることないこと言われては(というのは極端な例としても、誘導に乗せられてあいまいな記憶に基づいて断定的なことを言われては)、効率的な防御のしようがありません。

しかも、その結果は、従業員ではなくすべて企業に跳ね返ってくるのです。

さらに、現在の審査指針案では、閲覧することすらできない証拠に基づいて課徴金を課され、にもかかわらず、同じ証拠に基づいて従業員を懲戒することすらできないのです。

たとえば、従業員は会社の社内調査で頑として違反行為への関与を否定しているけれど、公取の調書では違反を認めている、というようなケースを考えると、公取の調書を懲戒処分の根拠に用いることができないのは明らかに不都合なように、私には思えます。

(実際には、①排除措置命令が出たという事実と、②当該従業員しか違反に関与し得る人が社内にいない(タマ違いの可能性がない)、という2点があれば、そしてさらに、③従業員に十分に弁解の機会を与えれば、供述調書まで直接調書として用いなくても、裁判上は懲戒処分は有効であるという認定になるので結論としては問題ないのかもしれませんが、それは結果論であって、望ましいあるべき姿ではないと思います。)

今回は立案担当者解説に従って「第三者の利益」に該当するかという観点から論じましたが、上述のように、政策論としてもこのような理由で閲覧拒否するのは妥当でないので、「その他正当な理由」にひっかけるのも、やっぱり無理だと思います。

もし「その他正当な理由」にひっかけるとしたら、公取の審査に支障がある、ということなのでしょうが、当然懲戒になるべき者が懲戒になっただけで審査に支障があるというのは乱暴すぎるでしょう。

前述のように、①排除措置命令が出て、②タマ違い(=人違い)の可能性がなく、③社内調査で十分な弁解の機会を与えれば、調書はなくても懲戒はできてしまうのですから、調書が懲戒の根拠に用いられてしまうことによる審査への追加的デメリット(=従業員の協力を得られないこと)は、調書を懲戒の根拠とすることによって適正に懲戒制度を運用できるようになる企業の多大なメリットに比べれば、微々たるものではないかと思います。

「正当な理由」は、例示である「第三者の利益」の侵害に匹敵するものでなければならないはずです。

公取の解釈では、「正当な理由」がある場合には拒否できるといっているのではなくて、調書の目的外使用を禁止するといっているに等しいと思います。

しかし、そのようなことは条文からはまったく読み取れません。

(もし、本来の目的(=当該違反行為の有無を確認する目的)以外の使用を一律に禁止したら、たとえば、再発防止に役立てるためというのも目的外使用になりそうですが、さすがに公取も異論なく認めるのでしょう。)

ちなみに、審査手続指針案の(注4)によると、閲覧・謄写申請書には目的外利用はしない旨の一文が置かれることになるようですが、以上のような次第ですので、この誓約文言にも、法的根拠はありません。

独禁法52条には、審判事件記録の謄写に関する平成25年改正前独禁法70条の15第2項(「公正取引委員会は、前項の規定により謄写させる場合において、謄写した事件記録の使用目的を制限し、その他適当と認める条件を付することができる。」)に相当する規定や、刑事訴訟法281条の4の規定のような目的外使用の禁止の規定があるわけではないことにも留意すべきです。

つまり、閲覧記録の目的外使用というのは当然に禁止されるわけではなくて、他の制度でも、明文の規定の下に禁止が認められているに過ぎないのです。

この点でも、目的外使用を一律に禁止する審査手続指針案第2-2(2)エの規定は問題だと思います。

ほかにも、企業がもっぱら懲戒目的で閲覧謄写を申請することは通常ないのであって、ふつうは違反事実の有無の確認だと思うのですが、そのような目的と懲戒目的が併存している場合はどうなのか、とか、事実の確認が主目的で懲戒は従の目的だという場合はどうなるのか(これでも閲覧謄写拒否されるなら、極めて不当でしょう)、とか、疑問は尽きません。

公取にはもう一度、何が正義なのか、よく考えてもらいたいと思います。

2015年7月20日 (月)

総付景品の「取引金額」の認定

公取委の表示担当者が作成した

『景品表示法質疑応答集』(第一法規)

という加除式の、景表法実務必携の本があるのですが、p413に、

「当店(ガソリンスタンド)では、来店した人全員に1箱100円程度のティッシュペーパーを進呈している。この場合取引金額はいくらになるか。

なお、来店した人で何も買わない人はほとんどおらず、最低はオートバイで給油する人で約1000円、平均は2500円程度である。」

という設問があり、回答は要するに、最低で1000円の取引があるならその2割の200円まではOKでしょう、というものです。

なので、設問のなお書きの前提が正しいのであれば回答も正しくなるのですが(その意味で、回答は「正しい」のですが)、前提に少し驚きます。

たとえば、業務用原付バイクのホンダ「スーパーカブ」のタンク容量は4.3リットルらしいですが、すると満タンにしても500円ちょっとですんでしまいます。

なのでこの設問は、厳密にいえば前提がちょっとおかしいわけですが、逆にいうと、この程度のおおざっぱな事実で最低取引金額を認定することも実務では認められているということがうかがわれます。

景品規制のアドバイスはあまり杓子定規になってはいけない、という良い教訓になりそうです。

(なお、自動車の最低給油量が10リットルであると認定され、当時の1リットル当たりの小売価格が約50円であったので、当該ガソリンスタンドで通常取引される最低取引価額は約500円であると認定された事例として、昭和石油(株)に対する排除命令・昭和45年(排)12号・昭和45年3月11日があります。)

2015年7月16日 (木)

転嫁カルテルの公表

消費税転嫁法に基づく転嫁カルテル・表示カルテルは、その届出状況が公取委のホームページで公表されています

しかし、ご覧のとおり公表されているのは届出者名(多くは事業者団体)と、①から④の共同行為のどれを届け出ているか(複数選択可)、だけです。

ちなみに公取委のQ&Aでは、

「Q8 カルテルに参加する事業者の名簿を提出する必要はありますか。

A 事業者の名簿を提出する必要はありません。」

「Q9 届出を行ったことは公表されますか。

A 消費税転嫁・表示カルテルの届出は,原則として,届出を受け付けた月ごとに取りまとめて,翌月,公正取引委員会HPに届出状況として掲載します。

届出状況として掲載する項目は次のとおりです。(以下省略)」

と説明されています。

しかし、以上のような運用は不親切ではないでしょうか。

まず、届出の対象商品についても公表すべきです。

届出書では「共同行為の対象とする商品又は役務」も届出事項となっているので(消費税の転嫁の方法及び消費税についての表示の方法の決定に係る共同行為の届出に関する規則(平成二十五年九月十日公正取引委員会規則第四号)、様式第1号)、対象商品を公表するのは容易なはずです。

届出をした事業者団体の名前をみればだいたい何が届出対象かは想像はつくことも多いですが、そうともいえない場合もあります。

たとえば、「茨城県折込広告協議会」の転嫁カルテルって、何が対象なのでしょうか?(折り込み広告を新聞に挟む手数料でしょうか?折り込み広告の印刷手数料でしょうか?)

「業酒連協同組合」って、何でしょうか?

「奈良県におけるスポーツ施設提供業者」の、「スポーツ施設」って、何でしょうか?

いずれにせよ、事業者団体の名称から想像させるというのでは、とくに取引先にとって不親切だと思います。

それから、事業者団体に加盟している事業者名も公表すべきだと思います。

そうしないと、取引先にしてみれば、自分が取引をしている相手方が転嫁カルテルを結んでいるのか(転嫁カルテルを行っている事業者団体に属しているのか)、すぐには分かりません。

(ただ、加盟事業者団体については届出書では「参加しようとする事業者の数」だけを届け出ることになっており、そもそも参加しようとする事業者名は届け出対象ではないので、公取委にも直ちに分からない、という問題はあります。)

また転嫁カルテルの参加者や内容を具体的に公表しないと、転嫁の内容について思わぬ誤解を招くこともあると思います(たとえば、卸価格のカルテルなのか、小売価格のカルテルなのか、など)。

転嫁カルテルは本体カルテルに結び付く可能性が高いので(というより、理論的には「本体価格」か「消費税分」かを区別することはできない、あるいは無意味)、カルテルの参加者と対象商品を公表することはきわめて重要だと思います。

カルテルが秘密裏に行われるのは、カルテルが取引先に知られると値上げがしにくくなるから、という理由があると思いますが、その意味で公表しているのは正しい方針だと思いますが(ちなみに転嫁法自体では公表は義務付けられていません)、どうせ公表するなら詳細まで公表すべきでしょう。

転嫁カルテルの届け出については、少なくとも届出書の全部の事項、できれば添付書類も含めて、全部公表すべきだと思います。

公表されると届出をためらってしまう、というような転嫁カルテルなら、そもそも認めるべきではないと思います。

公取委にはぜひ、運用の再考をお願いしたいと思います。

2015年7月 2日 (木)

小田切委員の論文

かつて小田切宏之委員が公正取引委員会の委員になられる前、

「特許法と競争法の微妙な関係に関する若干の考察」

という論文を日本経済法学会年報32号(2011年)に発表されています(76頁)。

コンパクトながら非常に内容の濃い論文で、いろいろと得るところが大きいのですが、その中で小田切委員は、

競争市場で1つの企業が発明に成功した場合には、当該企業には、

① ライセンスを拒絶し、自ら発明前の競争数量を発明前の競争価格(をやや下回る価格)で生産・販売しする(発明企業は市場を独占する)、

② すべての希望企業に、発明前の限界費用(c1)と発明後の限界費用(c2)の差額(=c1-c2。つまり発明によるコスト削減分)に等しいロイヤルティ額でライセンスをする(自らは生産してもしなくてもいい)、

③ すべての希望企業にc1-c2に等しいか、それよりも低いロイヤルティ(r)でライセンスすると同時に、ライセンシーにc1〔=発明前の限界費用=発明前の競争価格〕の価格での販売を義務付ける、

という選択肢があるところ、①も②も③も、発明前の競争数量が発明前の競争価格(=限界費用)で販売される(なので、消費者余剰も社会的余剰も同じ)という点で経済的効果としては同じなのに(①②では発明による利潤増は発明者が独り占めし、③では発明者とライセンシーが利潤を分け合う)、どうして③の販売価格の制限だけ違法とされるのか、という疑問を呈されています(p84)。

経済学的にはまことにごもっともです。

よくある疑問に、

「ライセンスを拒絶するのが自由なのに(拒絶してライセンシーにまったく売らせないのも自由なのに)、どうして販売価格を拘束するのは自由でないの?(大は小を兼ねないのか)」

という、これも非常にもっともな疑問がありますが、根っこは同じだと思います。

さらに小田切委員は、③の場合は、

「ライセンシーが複数企業であれば、事業を実施しているのが発明企業1社のみという①より長期的には望ましい可能性すらある。」

と述べられています。(p85)

(ちなみに、「ライセンシーが複数企業であれば」と限定されていますが、ライセンシーは1社でも技術は移転するので、発明企業自身が実施していればなおのこと、実施していなくても、ライセンシーが複数であることは本質的ではないと思います。)

つまり、技術移転による技術の伝搬というメリットを、独禁法の規制が封殺しているのではないか、という疑問です。

これも、まことにごもっともです。

つまり、公正取引委員会の委員までされる経済学者の方ですら、独禁法の規制は理屈で割り切るのは難しい、ということなんだろうと思います。

なので、私も、

「どうしてライセンス拒否の自由があるのに、販売価格の制限はできないのか。」

と正面切って聞かれると、質問者の理解のレベルを見極めながら、

「価格は重要な競争手段だから」

とか、

「ガイドラインにそう書いてあるから」

とかいって、それぞれのレベルで納得してもらえそうな答えを選んでいます。

でも本音のところでは、私も小田切委員と同じで、心底納得しているわけではないので、しつこく質問されるとうまく説明できなかったりします。

でも、それはそんなものなので、ご勘弁ください。

あえて説明をひねり出せば、

経済学ではそうだが、現実には販売価格を指値で指定するのとロイヤリティをc1-c2に設定するのは効果は違うのだ(そもそもc1-c2の計算すら容易でない)、

とか、似たようなことですが、

c1-c2を推定してライセンスして、そのうえで商品価格を市場にゆだねた方が(=市場で揉まれた方が)、商品価格を指定するより価格は不安定になるんだ、

とか、

特定の発明がライセンスされなくても競合品がまったくなくなるわけではないので、ライセンスの拒絶が市場の独占を意味するという想定自体がおかしい、

つまり、

ライセンシーの立場からすると、価格拘束が許されると、

①ライセンスを受けずに自由価格で(ただし劣った品質で)競争するか、

それとも、

②ライセンスを受けて協調価格で販売するか、

という選択になり、①の厚生は正なので、ライセンス拒絶+①の厚生の方が②の厚生よりも大きいこともありうるのではないか、

とか、いろいろ思いつきます。

ただ、いずれも抽象論なので、本当にそうかといわれると確信はありません。

ともあれ、それくらいライセンスと独禁法の関係はむずかしいんだ、ということをご理解いただければと思います。

(しかも本質的には、これは知財のライセンスに限った話ではなく、知財と同じ程度の不可欠性を有するインプットの場合には、常に成り立つ話です。)

むしろ経済学に暗い独禁法弁護士の中には、このような理論的な難しさがあることすら知らないまま、「価格の制限だから違法なのは当たり前」という発想でアドバイスしている人すらいるのではないか、と勘繰っています。

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