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2015年1月

2015年1月29日 (木)

労働契約への独禁法の適用

アップルやグーグルが従業員の非勧誘協定について司法省と和解をしましたが、日本では、労働契約に独禁法が適用されるのか、実務上の微妙な議論があります。

例えば今回のアップルのケースが仮に日本で問題になった場合、金井・川濱・泉水『独占禁止法(第3版)』23頁では、

「〔スポーツ選手等に対する報酬カルテルが独禁法違反であることは〕使用者が共同して、事業者にはあたらない労働者の賃金について協定(最高賃金カルテル)を結べば独禁法違反であることと同じである。」

と、労働契約にも独禁法が適用される(賃金カルテルは違法である)ことが、当然のこととして記載されています。

ところが公取委の立場はこれとはことなっていて、例えば、平成24年3月28日事務総長会見では、

「(問) プロ野球の新人契約の関連の話で,読売新聞の報道では,公正取引委員会が平成6年に,契約金に上限を設けると12球団がカルテルを組んで入り口を閉めたことになる,それは認められないとの考えを示したとされていますが,当時,このような考え方が示されたのかどうか確認させてください。要は,独占禁止法に抵触するおそれがあると示したのかどうか教えてください。

 (事務総長) 今の御質問の点に関しましては,公正取引委員会は,平成6年に,プロ野球球団の団体から新人選手の契約金に上限を設けることについて相談を受けております。これに対しては,平成6年10月ですが,プロ野球選手の契約関係については,労働契約ないしは労働関係としての性格を備えているものとみられる点などを踏まえますと,独占禁止法に直ちに違反するものとの認識は現在有していない,契約金の性格等に関して当事者において確立した理解がされていない面があることから判断は困難であるものの,基本的な認識としては,今申し上げたとおり,労働契約としての性格を備えているものとみられる点などを踏まえますと,独占禁止法に直ちに違反するものとの認識は現在有していないということを口頭で回答しております。」

と、プロ野球選手の契約は労働契約なので独禁法は適用されないという見解が示されています。

この問題について、明示的に問題意識を持って論じたものとして、『論点体系独占禁止法』p7(滝澤執筆部分)で、

「独禁法の制定当初は労働者や労働組合を規制対象から外すために事業者要件を置く意図があったとされる。その影響からか、現在でも労働問題については独禁法の適用が除外されるかのような記述がみられることがある(一例として、公取委『東日本大震災に関するQ&A問5)。

しかし、被用者の賃金や労働時間を調整しあう雇用者について事業者性が否定される理由は、条文上も判例上も存在しない。」

として、事業者の定義に関してではありますが、労働契約に独禁法が適用されるべきと述べられています。

(『論点体系』は私も執筆者の1人なので何ですが、こういう論点にも触れているところが渋いですね。ちなみに、『注釈』にも、『条解』(新版・旧版)にも、この論点の記述は見当たりませんでした。)

上記で引用されている震災Q&Aの問5は、

「問5(4月5日追加)

仕事を失った被災者を地域でなるべく多く従業員として受け入れたい。その際,関係事業者が共同して,又は事業者団体が,賃金,労働時間等について調整したり決定することは,独占禁止法上問題となりますか。

答 被災者をどのような条件で雇用するかという雇用契約上の問題ですので,労働関係法令上の考慮の必要性は別として,独占禁止法上は問題となるものではありません。」

というものです。とてもはっきりしていますね。

ちなみに泉水先生のブログの「プロ野球報酬協定と独禁法」という記事では、

「江川騒動のときに、公取委の委員長が、プロ野球選手契約は「雇用契約」であり、「雇用契約」には独禁法は適用されないと発言した」

と述べられています。そうだったんですね。

以上の通り、通説は労働契約に独禁法適用あり、公取委は適用なし、ということです。

しかし、これはどう考えても公取委の解釈がおかしいです。

たぶん根本にあるのは、労働契約には労働法の適用があって、労働法は厚労省の所管だから、公取委はタッチしない、という、お役所的な発想なのでしょうけれど、明文の適用除外規定がないのに適用除外するのは無理があります。

それに、役務を提供する側が労働者(従業員)か事業者かは、それぞれの契約関係ごとに、ある意味偶然で決まることであって、役務提供市場では両者が競争していることも十分あり得るのに、労働者に対してだけ独禁法の保護が及ばない(賃金カルテルが許される)というのは、どう考えてもバランスが悪いです。

あるいは、労働法の保護が及んでいるのだから独禁法の保護は不要である、ということかもしれませんが、役務購入競争の利益(→競争法の守備範囲)は、個別労働関係の規制(→労働法の守備範囲)で代替できるものでも、代替すべきものでもないでしょう。

例えば、競争法の発想では優秀な労働者はどんどん高賃金を得てしかるべきですが、労働法の発想では、優秀でない労働者でも最低限の賃金は補償されるべきであり、両者の規制原理はまったく異なるからです。

なので競争法と労働法が補完するということはあっても、相互に代替するということはないはずです。

労働組合がカルテルになるかという文脈では、労働者の保護のために労働組合に独禁法が適用されては困るわけですが、だからといって、労働者が使用者らのカルテルの被害者になってよいということにはならないでしょう。(と、私は思います。喧嘩両成敗、あるいは「良いとこ取り」は許さない、という発想もあるかもしれませんが。)

江川問題にせよ、震災Q&Aにせよ、良きにつけ悪しきにつけ政治的な匂いのする素材でこの論点が論じられることが多いのは、歴史の偶然とはいえ、独禁法の解釈論にとってあまり幸福なことではないと思います。

2015年1月21日 (水)

下請法講習テキストの誤字?

最新版(平成26年11月版)の下請法講習テキストp18の、

「Q9: 小売業者が納入業者からの商品の企画に関する申出に応じて商品の企画・仕様等について意見を述べた場合、これは製造委託に該当するか。」

は、

「Q9: 小売業者が納入業者からの商品の企画に関する申出に応じて商品の規格・仕様等について意見を述べた場合、これは製造委託に該当するか。」

の誤字ではないですかね。

ただ、回答でも、

「小売業者が納入業者からの商品の企画に関する申出に応じて商品の企画・仕様等について意見を述べた場合であっても、小売業者が仕様等を指定したとは認められない場合には、製造委託には該当しない。」

と、質問とまったく同じ漢字を(意図的に?)使っているし、一応意味も通るので、明らかに誤字ともいえないのですが。。。

でも、「企画」か、「規格」かで、事案の結論が異なることもあり得るので(「企画」に対する意見って、かなり大雑把なものをイメージしてしまいます)、悩ましいですね。。。

来年度の改訂版に注目です。(あるいは、もし背景を知っている方がいらしたら教えてください。)

2015年1月15日 (木)

不当高価購入と下請法に関する村上他編著『条解独占禁止法』の記述

弘文堂・村上他編著『条解独占禁止法』の不当高価購入の「判審決例の展開」のところに、

「これまで不当高価購入が適用された事例は存在しない。しかも、仮に将来的に不当高価購入にあたる行為が生じても、排除型私的独占に該当するとして処理できる。」(p214)

と解説されています。

果たしてそうでしょうか?

一般的な理解では、私的独占の「競争の実質的制限」と不公正な取引方法の公正競争阻害性では、競争の実質的制限の方が競争制限の程度が高いと考えられています。

つまり、不公正な取引方法の方が、より低い競争制限のレベルで違法になるということです。

なのに、私的独占で処理できると言い切ってしまってよいのでしょうか?

この解説の理屈を私なりに忖度すると、裏返しの(安く売る)廉売では、排除型私的独占と不公正な取引方法としての不当廉売で、ガイドライン上、コスト基準が同じになっているので、裏返しの不当高価購入も事実上同じ基準で処理できるはずだ、という理屈が考えられます。

しかし、不当廉売もコストだけで違法性を判断するわけではありません。

そうすると、不当高価購入も購入価格だけで判断するのではないはずで、やはり不当廉売の場合と同様(あるいはそれ以上に)、私的独占の方がハードルが高いのではないかと思います。

もう少し現実的に、おそらく執筆者がこの部分の根拠と考えていると想像されるのは、欧州では不当高価購入はTFEU102条で処理される、という点です。

ただ、あくまで想像なので、何とも言えません。

上記該当箇所にも、根拠の説明はありません。

不当高価購入なんて実務上問題になることはないだろうということで端折って書かれているのかもしれませんが(不当高価購入の解説全部を合わせても全部で実質8行しかありません・・・)、クライアントから意見を求められることはあるので、そのときに根拠として引用できる参考文献がないと本当に困ります。

コンメンタールは、そういう、誰も論文を書かなそうなマイナー論点でも、多少なりとも触れているところがありがたかったりするのですが。。。

(もちろん、意見書に引用するには、安心して引用できる権威ある文献であることが大前提ではあります。)

ちなみに、旧版に相当する厚谷他『条解独占禁止法』p146以下では、私もファンで、鋭くかつ納得感のある(しかも実務のツボを突いている!)論文を多数発表されている、山形大学教授の藤田稔先生が、これぞ携帯版コンメンタールというかんじの、重みがあり明確かつ簡潔で、かつ行き届いた解説をされています。

あと、新版『条解』で下請法の買いたたきの部分を調べてて、「なんだか根拠になる文献が全然引用されてないなぁ」と思ったら、総論部分に、

「本章における各条の解説も特段の記載のない限り、下請法テキストの内容および図表をその出典としている。」(p893)

と書いてありました。

う~ん、そういう手があったか(笑)。

でも、下請法テキストは毎年ちょくちょく変わるし、そもそもコンメンタールは頭から全部読むものではないので、ちょっと不親切ですね。

しかも実際の内容は、「公取委は○○と回答している」という記述が結構あって、この部分は下請法テキストには書いてないようなのですが、こういうところなんかは、やっぱり出典を書いてもらったほうが便利だし、安心して引用できます(まさか執筆者が個人的に知っているということではないでしょうし)。

コンメンタールは実務で重視されることが多いし、私が個人的にコンメンタールというものを愛しているので、今回も辛口になってしまいましたが、改訂版を出される際にはぜひご検討ください!

2015年1月14日 (水)

届出が必要な事業上の固定資産の譲受か否か微妙なケース

日本の企業結合の基準は、ある意味とても割り切って作ってあるので、届出の要否についてあまり悩むことはありません。

でも時々、届出が必要かどうか微妙なケースもあります。

たとえば、特許権だけを譲り受ける場合、通常は、特許権にかかる国内売上高というのは、当該特許権のロイヤルティ収入のことを指します。

このことは、公取委のホームページのQ&Aでも、

「特許等の知的財産権を有している会社が,他社とライセンス契約を締結し,ライセンスフィーを得ている場合,当該ライセンスフィーは国内売上高に入るのですか。」

「国内売上高に入ります。

なお,外国の会社からライセンスフィーを得ている場合,当該ライセンスフィーは海外売上高となり,国内売上高には入りません。」

という形で明らかにされています。

なので、通常は、特許権を譲り受ける場合にはロイヤルティ収入が30億円を超えていない限り届出は要りません。

しかし、世の中には単純に割り切れないケースもあって、たとえば、医薬品に関する特許権の譲受けの場合だったりすると、生産設備や従業員は一切移転しなくても、特許権の譲渡だけで、医薬品の売上自体が譲受人に移転する(また当事者も、売上を移転するつもりでいる)ということがあります。

このような場合、事業譲受のようにもみえるわけです。

そうすると、形式的には固定資産の譲受のようであり、そうすると売上はロイヤルティ収入だけ(通常の医薬品ならゼロ)、となりそうなものですが、見方を変えれば、当該医薬品の事業の譲渡のようにもみえるわけで、そうなると、国内売上高がロイヤルティ収入ではなく医薬品そのものの売上であるとみなされることがあります。

なので、常に、固定資産の譲受の側面と、事業譲受の側面の、両方を検討しないといけません。

その他に微妙な事例としては、当事者間に明確な事業譲渡契約はないけれど、お互い話し合ったうえで、

①A社(譲渡人に相当)は、当該事業から任意に撤退する、

②B社(譲受人に相当)は、A社の撤退に伴い、A社の顧客にはたらきかけて、自社(B社)と取引してもらうようにする、

③A社はB社に顧客情報は提供するが、事業譲渡契約は結ばないし、競業避止義務も負わない、

というアレンジにすることがあります。

これなんかも、確かに事業譲渡の合意は形式的にはないので、届出不要と考えられることもあるのでしょうけれど、「実態は事業譲渡とどこが違うの?」と問われると答えに窮する面もあり、微妙なところです。

事実関係によりますが、私は、届出が必要なんじゃないかという気がします。

とくに、③の顧客情報の提供があるのは重要なポイントでしょう。

また、A社が顧客の移転に協力するという合意があったら、なおさら事業譲渡っぽいです。

逆にいえば、顧客情報の提供もA社の協力もない場合には、届出不要の可能性が高いかも、です(しかしこれも事実関係次第)。

ただ、顧客情報の提供もA社の協力もないとすると、B社がA社に支払うお金は一体何の対価なんだ?ということになり、実際には、そんなケースは少ないんではないかという気もします。

顧客情報自体を、のれん的なものとして、「事業上の固定資産」と考える余地がないのか、ちょっと考えましたが、公取では貸借対照表に載るものを「固定資産」と考えているフシがあるので、たぶん顧客情報は「固定資産」には該当しないでしょう。

それに、顧客情報だけで売上が上がるわけではないので(この点が、医薬品における特許と違うところです)、「対象部分に係る」売上とはいえないのでしょう。

ところで、顧客情報が「事業上の固定資産」に当たり得るのか、厚谷他『条解独占禁止法』(事実上の旧版)をみたら、

「営業上の固定資産とは、営業のために継続使用されうる資産であって、建物、機械設備、車両、営業権、特許権等をいい、不動産に限らず動産も含まれる。」(p381)

とあります。

特許権は財産権(物権)ですから当然として、営業権も含まれるのですね。でも、さすがに貸借対照表に載るレベルの営業権のことを指しているのではないでしょうか。

これに対して村上他『条解独占禁止法』(事実上の新版)をみたら、

「本号の『事業上の固定資産』とは、事業のために継続使用され得る資産であって、建物、機械設備、車両等をいい、不動産に限らず動産も含まれる。固定資産は、有形固定資産と無形固定資産とに分けられる・・・」(p535)

となっており、「営業権、特許権」の例示が落ちています。

一番悩ましい、誤解の生じそうな、「営業権、特許権」を例示から外したのは、実務用コンメンタールとして、いかにも残念です。

それとも、新版の著者は「営業権、特許権」は事業上の固定資産に該当しないと考えたのでしょうか?(そんなことはないと思いますが・・・)

今でも私が新版に完全に乗り換えられない理由が、このあたりにもあります。

2015年1月11日 (日)

ハブアンドスポークに関する英国の判例

池田毅「直接の連絡によらない『非典型カルテル』の近時の発展と求められるコンプライアンス」(NBL1039号36頁)で紹介されていた、ハブアンドスポークに関する英国の裁判例が、なかなかよく練られていて興味深いので、ちょっと検討してみます。

CAT 31, Case No. 1188/1/1/11 Tesco Stores Ltd. etc v. OFT (20 Dec. 2012)

同判決では、

B (supplier)

↗       ↘

A (retailer)          C (retailer)

と価格情報が伝達されたという事実関係のもとでハブアンドスポークのカルテルが成立する十分条件として、次の5つを挙げています(57段落)。

(a) retailer A discloses to supplier B its future pricing intentions;

(b) A may be taken to intend that B will make use of that information to influence market conditions by passing that information to other retailers (of whom C is, or may be, one);

(c) B does, in fact, pass that information to C;

(d) C may be taken to know the circumstances in which the information was disclosed by A to B; and

(e) C does, in fact, use the information in determining its own future pricing intentions.

さて前記論文では、

① 小売店AがサプライヤーBに将来の価格の意向を伝達した。

② Aは、Bが、その情報を他の小売店に伝えることによって、市場の状況に影響を与えようとするであろうことを意図していた。

③ Bが実際に当該情報を別の小売店Cに伝達した。

④ Cは、AがBに情報を開示したという状況を認識していた。

⑤ Cが実際に当該情報を自己の将来価格の意向を決定するのに用いた。

と翻訳されていますので、これを取っ掛かりに検討してみましょう。

まず最初に細かいことですが、同論文では、

「CATは過去の先例と同様に、以下の要件が満たされる場合に違法な協調行為になるとの規範を示した。」

とされていますが、厳密にいえば、同判決57段落では、

「The parties agreed that, if the propositions set out by Lloyd LJ at paragraph 141 of Toys and Kits (set out in full at paragraph 67 below) were met, that would be sufficient to establish an infringement of the Chapter I prohibition.」

といっています。

つまり、「要件」というよりも、「十分条件」なのですね。(つまり、以上の5つの事実が満たされれば必ず違法だけれど、それ以外にも違法になる場合がある、ということです。)

たとえば判決353段落では、AやCの主観的要件が、もっと程度の低いもので足りるのかについては、先例は意図的に明言していないのだ、と述べています(つまり、5つの事実を満たさない場合にでも違法になり得るということです。)

日本の法律で「要件」という場合には、必要十分条件の意味で使うことが多いですし、通常の日本語としても、

「以下の要件が満たされる場合に違法な協調行為になる」

といえば、

「以下の要件が満たされない場合に違法な協調行為にならない

んだな、と理解しがちなので、前記論文の「以下の要件が満たされる場合には」という記述には若干の注意が必要です。

さて、上に引用した前記論文の翻訳は、だいたいそのとおりなのですが、判決のこの部分は縦の関係の情報伝達がカルテルになるか否かを分ける基準として練りに練られた上でドラフトされているので、実は読み込むにはかなりの集中力が必要です。

まず、①はとくに問題ないでしょう。

問題は次の

② Aは、Bが、その情報を他の小売店に伝えることによって、市場の状況に影響を与えようとするであろうことを意図していた。

です。

原文の(b)では、

(b) A may be taken to intend that B will make use of that information to influence market conditions by passing that information to other retailers (of whom C is, or may be, one);

となっていて、直訳すると、

Bが当該情報を他の小売店ら(Cがそのうちの1つであるか、あるいは、1つであり得る)に伝えることによって市場の諸条件に影響を与えるために利用するであろうことを、Aが意図しているとみなされ得る

となります。

まず、前記論文翻訳の「与えようとする」というのは、「try to influence」的なニュアンスがありますが、原文は端的に、「Bが・・・与えるためにその情報を利用する」となっており、直接的です。

もっと根本的なことをいえば、原文では「B will make use of...」となっていて、この「will」というのは、英語のニュアンスでは、ほぼ確実にそうするであろうという感じで、mayと明確に対置されます。

実は判決の71段落ではこの点がまさに争点になっていて、Aの将来価格の意図がCに伝達される「かもしれない」(might)ことを予期していたこと(foresight)だけでもAの主観的要件としては十分であるというOFTの主張が裁判所により排斥されています。

なので、伝達されるであろう(would)と、伝達されるかもしれない(might)というのでは意味が異なるわけで、「与えようとするであろう」では、この辺りがあいまいになってしまいます。

それから、「may be taken to」(~とみなされ得る)というのもけっこうポイントで、(Aが)現に意図していた場合に限られない、という含みがあります。つまり、「意図していた」というのより幅広くカルテルの成立が認められることになります。

この点も判決では明確に意識されていて、66段落では、先例を引用しながら、Aの主観的要件は、

「retailer A may be taken to have intended, or actually foresaw, that its future intentions would be conveyed to its competitor, retainer C」

であると述べられていて、実際に予期していた場合以外に、「意図していたとみなされ得る」場合があると考えられていることがわかります。

次の③はよいでしょう。

問題は次の、

④ Cは、AがBに情報を開示したという状況を認識していた。

です。

「情報を開示したという状況」って何かと思って原文をみたら、

(d) C may be taken to know the circumstances in which the information was disclosed by A to B;

なんですね。

直訳すると、

当該情報がAからBに開示された状況をCが知っているとみなされ得る(こと)

ですね。

「may be taken」(みなされ得る)は、前述のとおりです。

そして、前記論文の「Cは、AがBに情報を開示したという状況を認識していた」というのでは、AからBへの情報開示があったことをCが知っていればこの要件は満たされそうに見えますが、その状況(the circumstances)を知ってないといけないのですね。

ただ、状況の詳細まで知らないといけないわけではもちろんないでしょうから、結果的には、

「④’ Cは、AがBに当該情報を開示したことを認識している」

でも良さそうなものです。

そうだとしたら、前記論文の翻訳も、細かい文法的なことはさておいて、結論的には大過ないということになるのでしょう。

しかし、私はこの部分を、

「④’ Cは、AがBに当該情報を開示したことを認識している」

と解釈するのは問題だと思います。

ポイントは、

(d) C may be taken to know the circumstances in which the information was disclosed by A to B;

の中の、

「the circumstances」

です。

「circumstance」をOxford Advanced Lerners' Dictionaryで調べると、

「the conditions and facts that are connected with and affect a situation, an event or an action.」

(ある状況、出来事または行為に関係し、かつ影響を与える諸条件および諸事実)

と説明されています。

そして、今の文脈で大事なのは、

the circumstances in which the information was disclosed by A to B」

の「the circumstances」に、AがBに価格情報を伝えたという外形上の事実(要件(a))のみならず、開示したときの意図(要件(b))も含まれるのか、という問題です。

実質論からいえば、これは明らかに含まれるべきです。

なぜなら、CがAの意図を知らない場合にカルテルが成立するというのは、どう考えても無理だからです。

そして、circumstancesの、

「ある状況、出来事または行為に関係し、かつ影響を与える諸条件および諸事実

という意味からすれば、その「諸条件および諸事実」に、Aの意図が含まれないと考えるのは、言葉の意味からして無理でしょう。

というのは、主観的意図が何かの「条件」になることはいくらでもありますし、主観的意図も「事実」であることには変わらないからです。

実際、判決の85段落では、

「The key point is, in our view, that C must be shown to have appreciated the basis on which A provided the information to B, so that A, B and C can all be regarded as parties to a concerted practice.」

(当裁判所の見解によれば、キーポイントは、A、BおよびCが協調行為の当事者とみなされ得るためには、Aが当該情報をBに提供した理由をCが理解していたことが示されなければならない、ということである。)

と判示されており、Aの意図をCが理解していることが要件(d)のcircumstancesに読み込まれていることが明らかです。

というわけで、前記論文の、

④ Cは、AがBに情報を開示したという状況を認識していた。

という翻訳では、あたかも開示したという事実を認識していたと読める点で、問題があるわけです。

まして、

「④’ Cは、AがBに当該情報を開示したことを認識している」

と省略してしまうのは、もっと問題です。これでは開示という客観的事実を認識していたとしか読めません。

やっぱり日本語に直すなら、

当該情報がAからBに開示された状況をCが知っている(とみなされ得ること)

というのしかなく、その「状況」の中に、Aの開示の意図や理由も含まれると読んでもらうことを期待するしかないでしょう(「状況」に意図が含まれるというのは、そんなに不自然な解釈ではないでしょう)。

ところで(d)の要件で

(d) C may be taken to know the circumstances in which the information was disclosed by A to B;

と、情報の開示者がAであることをCが認識している必要があると思われること、いいかえれば、

C may be taken to know the circumstances in which the information was disclosed by a competitor [of C] to B;

では足りない、というのは結構重要なポイントではないかと思います。(深読みかもしれませんが。)

というのは、ハブアンドスポークのような間接的な情報のやり取りでは、情報の受領者が情報の発信者を特定できていることがぜひとも必要だと思われるからです。

あと興味深いのは、

(b) A may be taken to intend that B will make use of that information to influence market conditions by passing that information to other retailers (of whom C is, or may be, one);

の要件で、(Cへの情報伝達により)市場の諸条件に影響を与えるために当該情報を利用する主体はBである、と読めることですね。

この点について判決をよく読むと、

「The next limb of an infringement is that supplier B must be shown, as a matter of fact, to have transmitted retailer A’s future pricing intentions to retailer C.」

とされていて(75段落)、Bが市場競争に影響を与えるために情報を意図的に利用したことなどはまったく想定されておらず、たんに客観的に、「伝達」(transmit)したかどうかだけが問題にされているように見えるところもあります。

Bが藁人形でもAとCにカルテルが成立することは何ら問題ないわけですから、この判決の解釈で基本的には正しいのでしょう。

一見、AとCのカルテル成立の要件としてBの主体的関与が必要であるかのように見えますが、そうではありません。外国語って、やっぱり難しいですね。

ただし、Bの立場というのは、要件事実としてはさておき、事実認定の上での間接事実としては通常とても重要で、BがCに情報を伝達する何らかのインセンティブを有しない場合にはAとCの間のカルテルも否定されることが多いでしょう。

というのは、BがCに正確な情報を伝達するのにはそれなりにコストがかかるはずですし、何の理由もなくBがそのような伝達に協力することは通常考えにくいからです。(BがCと価格交渉するためには、Aの価格をあえて不正確にブラフで伝えることもあるので、通常の価格交渉があるだけの状況では、Bに十分な情報伝達のインセンティブがあるとはいいにくいと思います。)このあたりの考慮は判決の237段落にも表れています。

そういうことを考えると、

(b) A may be taken to intend that B will make use of...

と、あえて情報利用の主体としてBを登場させていることは、このあたりのBの立場の重要性を意識しているのかもしれません。

また、別の観点から見ると、

"... B will make use of that information to influence market conditions"

といっているのは、市場の諸条件に反競争的な影響を与えることが当然に含意されているとみることもできます。

なので、本件はハブが上に来ているので成り立ちませんが、ハブが下に来ている場合だと、たとえばBがAから伝達を受けた情報をCに伝えたけれど、それはCから値引きを引き出すためだった、というような場合ならこの要件を満たさないことになりそうです。

被害者になる需要者たるハブが競争制限目的で自分の首を絞めるようなことは通常そもそもないはずですが、官製談合とかだと現実的な想定なので、競わせるための情報伝達が官製談合だと言われないためにはこの要件は役立つかもしれません。

その他にも、Bが競争制限以外の目的でCに伝達するのであれば、この要件を満たさないということになりそうです。

そういうことも考えると、この部分は実に奥行きが深いことを言っているのかもしれません。

ともあれ、判決の英語というのは、冠詞とか助動詞とか、ちょっとしたところに実は深い意味が込められていて、わかりやすく誤解のないように翻訳するのは実はけっこう大変です。(紙面の制限もありますし。)

私もパワポのときとかは、けっこうはっしょってしまったりもします。

論文を書くときも、想定読者によって厳密さのレベル感を変えることもあるかもしれません(笑)。

なので、やっぱり法律の英語は、原文に当たるのが一番なのですね。

別の見方をすると、正確を期すなら逐語訳をするのが最も無難なわけで、わかりやすさを重視してはしょるのは、実はそちらのほうがずいぶん手間がかかりますし、気も遣います。

なので、上記論文の執筆者の名誉のために申し上げれば、きっと執筆者の方はわかりやすさを重視されたのだと思います。

なお蛇足ですが、同論文では、

「CATが用いた規範の下では必ずしも双方向の情報の授受が違法認定に必要となるわけではないと解される。」

との「見解」が示されており、それは正しいのですが、この点は判決の第70段落に、

「We note also that in Toys and Kits, Lloyd LJ said that a finding of an infringement would be all the stronger where there is reciprocity, in the sense that C, having already received A’s future pricing intentions, discloses to supplier B its future pricing intentions in circumstances where C may be taken to intend that B will make use of that information to influence market conditions by passing that information to (amongst others) A, and B does so (paragraph 141). This, however, is not a necessary ingredient of an infringement.」

と、明示的に判断が示されています。

さて、以上を振り返って同判決の規範がハブアンドスポークの規範として適切でしょうか。

例えば、小売店がメーカーに働きかけて行う再販売価格維持とハブアンドスポークのカルテルを区別できるのでしょうか。

判決では、

(a) retailer A discloses to supplier B its future pricing intentions;

ということなので、再販の場合はBからAに小売価格を伝えるので向きが逆だ、というので区別するのでしょうか?

でも実際には、どっちが決めた価格なのか、微妙なこともあるのではないでしょうか。

ただ、結論の妥当性からさかのぼって考えると、この(a)の事実には、CではなくAが小売価格を決定することを当然の前提としているということを読み込む必要がありそうです。

もしそうだとすると、もっとも何気なさそうな(a)の事実が、実はこの規範の中で最も(あるいは案外)重要、ということになりそうです。

次の、

(b) A may be taken to intend that B will make use of that information to influence market conditions by passing that information to other retailers (of whom C is, or may be, one);

は、(a)を前提としないとそもそも成り立たないので、これ単体では検討してもあまり意味がありませんが、それでも(b)だけ単体でみた場合、再販の場合はまさにBが反競争的目的で他の小売店に価格情報を伝えるので、(b)の要件では再販とハブアンドスポークは区別できなさそうです。

次の、

(c) B does, in fact, pass that information to C;

も、やっぱり再販と区別できませんね。

次の、

(d) C may be taken to know the circumstances in which the information was disclosed by A to B;

は、再販と区別するのに役立ちそうですが、それでも、AとBが協議してAの小売価格を決めたような場合には、そのような状況も「the circumstances」に該当すると解するのであれば、再販と区別するのは難しそうです。

なお上述のように、「by A」の部分に着目して、Cが漠然と「他の小売店もこの価格に従うんだな」と認識しているのでは足りない、と考えると、再販と区別する重要な基準になりそうです。

「でも、再販の場合でも小売店にお互いの顔が見えているようなケースもあるのではないか。」といわれると確かにそうなのですが、再販は小売店多数の場合を想定していて、ハブアンドスポークは小売店が比較的少数であることを想定していることが多いのかもしれません。

最後の、

(e) C does, in fact, use the information in determining its own future pricing intentions.

も、再販の場合にはCはBに言われた小売価格に従うだけであって自ら「determine」していないのだ、と解釈すれば、再販と区別する基準になりそうです。

目の前にいかにもハブアンドスポークっぽい事実がある場合にそれをカルテルだといえるというだけでは規範として不適切で、ハブアンドスポークっぽくない(たとえば再販の)事例をカルテルにしてしまわない規範でもある必要があるわけです。

そういうことを考えてみると、英国の判例の基準は、細かいことを言い出すときりがないけれど、大きなところでは、やっぱりうまく練られているんだなあ、という気もします。

今回、この判例をやや詳しく検討するきっかけを与えていただいた各方面の方々と、前記論文とのご縁に感謝したいと思います。

2015年1月 9日 (金)

50:50のJVとの取引と再販売価格拘束

平成12年度の相談事例集(平成13年公表)の事例7で、「大手家電メーカーの共同出資会社による再販売価格の指示」という事例があります。

A社とB社がJV(C社)をつくり、JV(C社)がA社の100%子会社であるD社に再販売価格拘束をする、というものです。

この事例は、実務上よくありがちな、50:50のJVに対して両親が再販拘束してよいか、という問題を考えるのに役立ちそうです(本相談事例では、拘束する側がJVで、拘束される側がJVパートナー(の100%子会社)なので上下が逆ですが。)

公取委の回答は以下のように述べています。

「本件相談について,C社〔JV〕とD社〔Aの子会社〕は親子会社の関係にはないところ,

C社がA社の生産した新製品を全量買い取り,

D社に転売するとともに,

D社の小売店向けの販売価格を指示することは,

再販売価格の拘束に該当するおそれがあるともいえる。

しかしながら,

(1)C社〔JV〕はA社〔JV親〕とB社〔JV親〕が各50%を出資して,新製品を我が国で販売するために設立した共同出資会社であること,

(2)D社〔Aの子〕はA社の100%出資の子会社であること,

(3)さらにC社〔JV〕の意思決定はA社〔JV親〕とB社〔JV親〕の合意に基づくものであること

から総合的に判断すると,

新製品の販売に関するC社〔JV〕の意思決定とA社〔JV親〕の意思決定の間に実質的な差はなく

A社〔JV親〕,C社〔JV〕及びD社〔Aの子〕間の取引は実質的に同一企業内の行為に準ずるものと認められる。

したがって,C社〔JV〕がD社〔Aの子〕の販売価格を指示することは独占禁止法上問題ない。」

とされています。

理由づけを細かく見ていくと、(3)の、

「C社の意思決定はA社とB社の合意に基づくものであること」

という事実は、A、C、Dの取引が実質的に同一企業内の行為であることを否定する方向にはたらくんではないかという気がします。

というのは、むしろCの意思をA単独では決められない(Bの同意が必要である)ということであるととらえる方が素直に思われるからです。

このように理屈はともあれ、公取委はともかくも常識的な結論に落ち着かせようとしたのでしょう。

50:50の合弁を独禁法上独立の競争主体とみるべきかというのは実務でしょっちゅう起こる問題で、少なくとも法律の一般論としては、50:50では親と一体とは見られない(つまり独立の競争主体である)、よって再販に形式的には該当すると言わざるを得ない、というのが通常の理解ではないかと思います。

しかも親子間取引については「実質的に同一企業内の行為に準ずる」という、一見大変厳しい基準が採られているため、説明に難儀します。

ですが、たとえばJVの両親がJVに対して再販拘束するというのはよくある話であり、それを違法だというのはいかにも納まりが悪いでしょう。

そこで、本相談事例は、上述のように説明にやや難があるものの、50:50のJVをめぐる再販は基本的に問題視されないということを示す有力な根拠となっているといえるでしょう。

さらに、再販という日本では非常に厳しい行為類型ですら同一企業内の取引として処理されているわけですから、その他の取引類型ではなおさら、50:50のJVとの間の取引は同一企業内の取引として問題視されないといってよいと思います。

(穿った見方をすれば、本来救いようのない再販を同一企業内の行為として救っただけであって、他の行為類型の場合にはもっと実態をみて同一企業内の行為かどうかを判断するという見方もあり得ますが、それは本当に「穿った見方」というものでしょう。)

このように、本相談事例は、50:50のJVとの取引に一般的に影響しうる、実務上は非常に重要な事例であると思われます。

私などは、経験上、50:50のJVでも結構独立性があったり、場合によっては60:40のJVがむしろ40の親に支配されているというケースも見ますので、この相談事例ほど割り切った意見書を出すのはかなり躊躇しますが(なので、競争上も本当に問題ないか根掘り葉掘り聞きますが)、少なくとも、入り口レベルの(=形式論の)「50%超でない限り一体とはみられない」という形式論に対しては、この相談事例を頼りに、「そこまで神経質になることはないんじゃないの?」とは言ってあげられそうです。

2015年1月 5日 (月)

下請法の「業として」の反復継続性に関する講習テキストの解釈変更

これまで下請法講習テキストでは、製造委託などの要件である「業として」の解説として、「反復継続的に」ということが明示的に要求されていたのですが、昨年(平成26(2014)年)11月の改訂版では、いくつかの重要な部分でこの記載がなくなっています。

たとえば、修理委託の類型2についての旧版の説明では、

「・・・自家使用する物品の修理を反復継続的に社会通念上、事業の遂行とみることができる程度に行っている場合に・・・」(p9)

という説明だったのが、新版では、

「・・・自家使用する物品の修理を、社内に修理部門を設けるなど業務の遂行と見ることができる程度に行っている場合に・・・」(p8)

というふうに変更されています。

この解釈変更の実務上の意義はとても大きいと思います。

そのことは、新版p8の続きの部分をみるとあきらかです。

つまり新版p8では、続けて、

「自社の工場で使用している機械類や、設備機械に付属する配線・配管等の修理を社内部門で行っている場合であって、その修理の一部を他の事業者に委託する場合がこれに当たる。

他方、修理に必要な技術を持った作業員が必要に応じ修理に当たるような場合や、修理を行う設備はあるが修理業務の全てを他に委託しているような場合は該当しない。」

とされています。

「修理に必要な技術を持った作業員が必要に応じ修理に当たるような場合」が「業として」に該当しないというのは、かなり驚きです。

というのは、社内で修理をするためには

「修理に必要な技術を持った従業員」

が必要なのは当然ですし、修理というのは

「必要に応じ」

て行うことも当然だからです(必要もないのに修理するはずがない)。

(善意に解釈すれば、「必要に応じ」というのは、「アドホックに」というニュアンスなのでしょうけれど。)

ですから、社内に「修理部門」と名付けた部門(あるいは、修理をもっぱらまたは主に行う部門?)がない限りは、およそ「業として」に該当することはなさそうにみえます。

以上と同様の解釈変更は、情報成果物の類型3でもなされています(新版p12)。

そもそも旧版までの反復継続性の要件は、下請法運用基準第2-1(2)の、

「『業として』とは、事業者が、ある行為を反復継続的に行っており、社会通念上、事業の遂行とみることができる場合を指す」

という部分から来ていました。

新版でも、総論的な説明としては、例えば製造委託の説明で、

「『業として』とは、事業者が、ある行為を反復継続的に行っており、社会通念上、事業の遂行とみることができる場合を指す。」

という記述は残されています(p5)。

(なお念のためですが、この「業として」は、類型1から3の「業として」と、類型4(自己使用)の「業として」に共通の説明です。)

しかし、具体例の説明として「反復継続して」の要件が意図的に外された意義はとても大きいと思います。

もし公取委に正面からきけば、「解釈を明確化しただけで変更したわけではない。」という答弁でしょうけれど。(「事業の遂行と見ることができる場合」に、「社内部門で・・・」以下を読み込むのでしょうかね。)

いままで、講習テキストの記述をもとに、幅広に「業として」を認識していた企業は、もう一度、下請取引該当性を見直してみる必要があるでしょう。

また、これまでは「業として」に該当せざるを得ないと考えていた取引を、「業として」に該当しないと公取委と議論できる余地がかなり広がったと思われます。

次の改訂ではこの記述がまた元に戻されるかもしれませんので、平成26年11月版の講習テキストは永久保存版でしょう。

【2015年1月20日追記】

ちなみに、今や同僚なので以前ほど褒めづらくなった(笑)、長澤『優越的地位濫用規制と下請法の解説と分析』p35で引用されている、辻・生駒『詳解下請代金支払遅延等防止法(改訂版)』p40では、修理委託の説明ですが、

「一定の施設を持っていわゆる自家修理を行っている場合には『業として』修理を行っていることがはっきりしているね。

問題は、小道具程度で済む簡単な修理の場合だが、ふだんは自社内で処理しているような作業でも、日常繰り返し行われているようなものであって、それを担当者が不在のために外注に出すとすれば、修理委託とみられるだろうね。」

と解説されています(この本は、解説が問答形式の部分があって、おもしろいです)。

要するに、「業として」のためには、反復継続か否かが決めてで、「一定の施設」を有することは不要という立場ですね。

辻・生駒では、「部門」の有無ではなく「施設」の有無を論じていますが、法的観点からは同様の分析になじみそうです。

今回の講習テキストの改正で、結論が逆になってしまったわけですが、それでも私は、辻・生駒の反復継続性を決め手とする発想のほうが、しっくりときます。

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