池田毅「標準必須特許のロイヤルティ料率の設定と独占禁止法の役割」(公正取引760号31頁)に、FRAND宣言違反の独禁法違反の判断基準に関する試論として、以下のような考え方が示されています。(p39)
「・・・Innovatio事件のトップダウン・アプローチ〔注:侵害製品の利益率と被侵害特許の重要性から演繹的にロイヤリティ額を算定する方法〕での計算方法を参照すれば、一例として、以下のような場合には単独の取引拒絶に該当する可能性があると考えられる。
たとえば、問題となる標準規格における標準必須特許全体のうち20%の重要性を占める標準必須特許を保有する特許権者Xが3%のロイヤルティを請求したと仮定する。
このとき、当該標準技術の実施に必要な他の全ての標準必須特許権者がXと同等のロイヤルティを請求する場合には、当該標準技術を実施するための累積ロイヤルティは15%(3%×5)になるが、仮に標準を採用した製品の利益率が10%しかないとすれば、ライセンシーは当該製品を製造販売して利益をえることができなくなる(注15)。
このような場合にはXによるライセンスの提供は、FRAND宣言に沿う合理的なものではなく、実質的には取引を拒絶していると評価することができると思われる。」
しかし、私はこの考え方はおかしいと思います。
まず、わざわざハードルの高い単独の取引拒絶のルートに乗せる必要はないように思います(違法な目的達成のための取引拒絶、という抜け道ではなく、まっとうな取引拒絶のことです)。
池田先生自身同論文で、FRAND宣言違反の高額ライセンス料の請求に対して適用可能な我が国の独禁法の規定として私的独占、単独の取引拒絶、差別対価、優越的地位の濫用、取引妨害を挙げていますが、高額ライセンスを単独の取引拒絶で処理するのは「拒絶」という客観面のハードルが高いので、なかなか難しいと思います。
とくに同論文のように、「必須特許権者みんなが同じ料率で請求したら利益がでなくなる料率」を超えると「拒絶」というのは、「拒絶」の文言解釈としても、経済的な実態としても、ちょっと無理だと思います。
文言解釈についてはまだ「言った者勝ち」的なところがあるので深入りしませんが、経済実態に合わないというのはいかんともしがたいです。
つまり、簡単に言うと、利益が10%しか出ない商品について、必須特許権者みんなが合計で10%に相当するロイヤリティを請求したら、商品の値段が上がるだけのことです。
そうすると、上がった値段では利益は出てしまうので(といいますか、メーカーは費用を所与として利益最大化価格を付けますので)、それにもかかわらず即独禁法違反に問うというのは、私的独占でもなかなか難しいと思います。
同論文でもその点には配慮はしていて、注15で、
「もちろん、標準必須特許のライセンス料が、対象製品の販売によって利益が得られないような高い水準となった場合には、対象製品の販売価格自体の引上げが試みられることになると思われる。もっとも、需要者側からの価格引上げ圧力等のため、価格の引上げが容易でないことも多いと思われるから、標準必須特許のライセンスが行われる以前の時点における利益率を一つの基準として用いることには一定の合理性が認められると考える。」
と述べられています。
しかし、これはつまり、価格が1円でも上がると需要者は一切買わなくなる、つまり需要が価格に対して完全に弾力的である((dQ/dP)・(P/Q)=-∞)、あるいは需要曲線が水平、ということを想定しているに等しく、実際にはむしろ極めて例外的なことです。
なので、こういうめったにない事態を想定しないと説明がつかないような基準で取引拒絶というのは、さすがに無理だと思います。
例えばプライススクイーズのような、被害者の残余需要曲線を水平にした張本人が違反者であるような場合にはまだしも、仮にも(10%のライセンス料を払った後で)市場での需要と供給の関係に従って決まる価格で利益が出るという事実は重く受け止めるべきと思います。
むしろ私的独占の方がまだ芽があると思いますが、需要が完全に弾力的である事態をベンチマークにしないといけないという点では同じなので、(私的独占は行為類型はゆるやかで、取引拒絶のような「拒絶」といったかっちりしたものではないとはいえ)やっぱり厳しい気がします。
もう1つの難点は、同論文の考え方では、例えば利益率90%の商品については、最大90%までのロイヤルティを請求しても「拒絶」に該当しないのに対して、利益率1%の商品については1%しかロイヤルティを請求できないことです。
業界により、また特許の重要性によりロイヤルティ率はさまざまですが、おおざっぱに2~5%くらいが相場だとして、利益が出ないからという理由だけでそれよりも低い1%というロイヤルティでも拒絶になる、というのは、やはり理屈として難があります。
同論文の考え方では、ロイヤルティを支払わなくても利益率が1%しか出ないような効率性の悪い商品を格安のロイヤルティで支援することを特許権者は義務付けられることになります。
さらに、ハイテク分野の商品は知的財産権の塊なので固定費(研究開発費など)が大きく限界費用が小さい傾向があります。そうすると、90%の利益率というのがむしろあり得そうな想定であり、そうすると、同論文の考え方では違法になる基準が厳しすぎる(めったに違法にならない)と思われます。
(ただ、こちらの点は、利益率90%の内でFRAND対象特許が貢献した割合をロイヤルティ率の上限にする、ということで結果的に妥当な額に落ち着かせることができるのかもしれませんし、そういう、結論をにらみながら鉛筆なめなめ判決を書く裁判官には使い勝手が良い理屈なのかもしれません。私は反対ですが。)
また理論的には、特許が存在しない場合の利益率をロイヤルティ率の上限とする同論文の考え方だと、特許の本来的な価値がロイヤルティにまったく反映されない、という問題もあります。
なおこれらの誤謬を端的に示すものとして、J. Gregory Sidak, "The Meaning of Frand, PART I: Royalties"のp938に引用されている裁判例(Ericson Inc. v. D-Link Sys., Inc., (E.D. Tex. June 12, 2013)の陪審への説示では、
「An infringer’s net profit margin is not the ceiling by which a reasonable royalty is capped. The infringer’s selling price can be raised, if necessary, to accommodate a higher royalty rate. Requiring the infringer to do so, may be the only way to adequately compensate the patentee for the use of its technology.」
和訳すると、
「侵害者の純利益幅は合理的なロイヤルティの上限ではない。侵害者の販売価格は、もし必要であれば、より高額のロイヤルティ額に対応するために引き上げることが可能である。侵害者にそうすることを要求することが、当該技術の使用について特許権者を十分に補償する唯一の方法かもしれない。」
とされています。
侵害者のマージンはロイヤルティの上限にすらすべきでない(もっと高いロイヤルティが適切なロイヤルティかもしれない)のに、侵害者のマージンを超えたら取引拒絶だというのは、相当無理があります。
ましてや、池田説では侵害者のマージンを超えたら取引拒絶だというのですから、FRANDロイヤルティはそれよりも低いところを想定しているはずで、ますます合理的なロイヤルティ額から外れていいくことになりそうです。
(そうやって考えると、FRANDを独禁法の文脈で論じるために取引拒絶の土俵に乗せること自体が、話をややこしくしている原因なのかもしれません。やっぱり、私的独占で対応する方が、柔軟だし、実態に合う場合が多いのではないでしょうか。)
残る有望株は公取委の伝家の宝刀、優越的地位の濫用ですが、実務的には、公取委がFRAND宣言違反に優越的地位の濫用を適用することは、絶対にないでしょう。
なぜなら、公取委は優越的地位の濫用は中小企業保護のためにしか使う気がないし、FRAND宣言違反に優越的地位の濫用を適用したら、世界の笑いものになること間違いなしだからです。
ロイヤルティ額の高い低いの部分だけを取り出して取引拒絶を論じるから同論文のような無理な解釈をしないといけなくなるので、私は端的に、標準特許の競争というのは標準に採用されるための競争と採用されたあとの競争の2段階があるので、第一段階でFRANDのコミットをした以上、第二段階の競争はそれを前提にすべきと競争法上も評価する、という理屈でいくのが最もしっくりくるように思います。
そもそもFRANDでコミットするは具体的に何なのか、をきちんと考える必要があります。同論文の考え方は、FRANDでコミットするのはあらゆるライセンシーにゼロ以上の利益が出るロイヤルティ額を保証することである、ということにならざるを得ないと思います。
そうではなくて、FRANDでコミットするのは、基本的には、その特許権の次善の技術に対する競争上の優位性に見合った利益以上はもらわない、ということでしょう。(上述の2段階の競争を考える考え方も、同じ発想から出てきます。)
(「では競争上の優位に見合った対価というのは何か?」と問われると答えは一義的に出てこないのですが、だからこそみんないろいろ苦労しているわけです。)
ともあれ、いろいろな意見が出て議論が活発化するのは大変喜ばしいことです。私も、信念を持って、いろいろ考えたことを述べてゆきたいと思います。