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2014年7月31日 (木)

Bowman, Patent and Antitrust, A Legal and Economic Appraisal

という本の前書きに、我が意を得たりという感じの解説がありましたので、紹介しておきます。

「この〔事情が許す限り最大限の請求を認めるという〕利益最大化テストは、一定の契約条項が特許権の保護を与えられた特定のイノベーションの利用を制限するか拡大するかに依存しない。それは、適法に与えられた独占権が存在しない場合に適切なテストである。有効な特許権に帰せられる収益の最大化を許すためには、報酬が(生産量の拡大につながる)効率性から生じたのか、(生産量の縮小につながる)取引の制限から生じたのかを評価する必要はない。」

要するに、期間などどの程度の独占権を技術に認めるかは特許法で政策判断をしているのだから、その範囲内では利益の最大化を認めるべきであって、さらに独禁法で生産量が増えるか減るかという基準で判断すべきではない、という主張です。

この本は、ロバートボークをして、Antitrust Paradoxの前書きで、「ボウマンのこの本があまりによく書けているので、自分の本では知財については全く触れなかった」と言わしめたという、すごい本です。

これで思い出すのは、日本の知的財産ガイドラインの、最高生産量の制限に関する次の記述です。

「製造数量又は使用回数の上限を定めることは、市場全体の供給量を制限する効果がある場合には権利の行使とは認められず、公正競争阻害性を有する場合には、不公正な取引方法に該当する(一般指定第12項)。」

これはまさに、特許法で認められたはずの独占権に、さらに、生産量を増やすか減らすかという点から絞りをかけようとしているのです。

私も何となく、「生産量が増えるのは一般的に競争的だから、ガイドラインの考え方にも一理あるのかな」と漠然と考えていましたが、ボウマンのいうとおり、生産量が増えるか減るかのテストは、法律上認められた独占権が存在しない場合のテストなわけです。

なので、このガイドラインの定めは、おかしいと言わざるをえません。

(後述のように、結果オーライの場合もあるので、実務的には結果的におかしくない、ということもあるかもしれませんが、理論的にはやはりおかしいです。)

またガイドラインの、「市場全体の供給量を制限する効果がある場合」というのも、意味がわかりません。

おそらくこういう意味ではないかと推測すると、たぶん次のようになるのでしょう。

まず、「市場全体の供給量を制限する」という以上、何を基準に減ったのか、というベンチマークをはっきりさせる必要があるでしょう。

このときに、単純に「最高数量制限の取り決めがない場合」をベンチマークにするのは、明らかに間違いです。

なぜなら、数量制限をしたほうが当該ライセンサーの技術を用いた製品の数量は、制限をしない場合に比べて減るに決まっているので、当該ライセンサーの商品も市場の供給量の一部をなす以上、

①当該数量制限が競争者の供給量を増やしてトータルでトントンにする効果がある場合か(そんなのあるのか?)、あるいは、

②競争者の供給能力や新規参入に制限がない、という場合

に限られることになり、そこそこ強い特許権だとまず間違いなく違法になってしまうからです。

これはまさに、ボウマンが冒頭に引用した前書きで戒めている間違いです。

とすると、考えられるベンチマークは、「具体的な事実関係に照らして本来あるべき供給量」から減ったかどうか、でしょう。

具体的にいえば、日之出水道事件では、本来は無償かつ無制限のライセンスをするという条件付きで入札使用に技術が採用されたのだから(当該事案でそう認定できたかはさておき、単純化のための説明です)、そのコミットにしたがった供給量がベンチマークになります。

アップル対サムスン事件のようなFRAND宣言をした標準特許の事案では、「ライセンサーがFRAND宣言に従った場合の供給量」がベンチマークになるでしょう。

ただ、この考え方は、何をもって「本来あるべき」というのかが非常に規範的というか、価値判断が入ってくるので、FRANDのようなわかりやすい例でないと、実際の適用に非常に苦労しそうです。

しかも、サムスンも日之出も同じですが、このようなベンチマークを考える場合には、単純にライセンス契約上の制限条項の競争効果を見ればいいのではなくて、その前の段階の、「標準に採用されるための競争」とか、「入札仕様に採用されるための競争」といった、2段階の競争の第1段階に目を向けなければなりません。

しかも、その第1段階の競争は、ふつう、知的財産権とは何の関係もありません。(限界費用がゼロに近いとか、固定費を回収させないと技術開発のインセンティブが削がれるとか、そういった知財独特の事情は、まったく考慮する必要がありません。)

なので、上記ガイドラインの最高数量制限の定めは、知財ガイドラインの中にありながら、本質的には(情報に独占権を与えるという)知財の本質とは何の関係もなく、知財の文脈で問題になることが多いから知財ガイドラインに書いてあるだけ、ということになります。

というわけで、だいぶ話が広がってしまいましたが、特許権で適法な独占権を認めておきながら、さらに生産量が増えるか減るかのテストを持ち出すのは、たぶん理論的に誤りなのでしょう。

ボウマンはバリバリのシカゴ学派のなので具体的な適用には慎重である必要があるかもしれませんが、私は非常に説得力があると思います。

少なくとも知財と独禁の議論は、ここからスタートすべきでしょう。

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