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2012年12月

2012年12月28日 (金)

【お知らせ】アメリカ法判例百選に寄稿しました。

この度出版された有斐閣の

『アメリカ法判例百選』

に寄稿しました。

121番の

「シャーマン法(刑事法)の域外適用」

というテーマです。

↓有斐閣さんから1冊頂きました。

Hyakusen_3

学生の頃に勉強に使っていた百選シリーズに自分の文章が載ると思うと、感慨深いものがあります。。。

ところでこの裁判例のなかで、連邦法であるシャーマン法を米国外の行為に適用するのは、州法を別の州での行為に適用するのとさして変わらない、と述べているくだりがあります。

とんでもない理屈だと思いますが、アメリカの裁判所の発想が透けて見えるようで興味深いです。

おそらく、アメリカ人にとっての域外適用というのは、カナダとかメキシコくらいが主にイメージされているからこういう判断になるのではないかと想像します(だからといって、主権国家を属州扱いするのはどうかと思いますが)。

以前、とある研究者の方が、

「アメリカで国際法が教えられるときには、『アメリカの言うことをどうやって他の国に聞かせるか。』という視点しかない。」

とおっしゃっていたのを思い出します。

2012年12月26日 (水)

インターネットでの差別対価

12月24日のウォールストリートジャーナル(WSJ)に、面白い記事が載っていました。

"Websites Vary Prices, Deals Based on Users' Information"

内容は、ある文房具量販店のウェブサイトでは、アクセスする顧客によって異なる価格を提示しているらしい、というのです。

例えば、サイトにアクセスする人のIPアドレスからアクセス場所を特定し、その人の場所の近くに競合他社の店舗がある場合には安い価格を表示し、反対に、田舎で路面店が無いような場所からのアクセスの場合には高い価格を表示する、という具合です。

また別の話ですが、以前ある方が、

「ある外国の航空会社を使ったとき、自動チェックイン機でチェックインする際に『ビジネスクラスにアップグレードしますか?』と聞かれて、差額運賃も安かったのでアップグレードした。

ところが、それ以降何度かアップグレードすると、差額運賃がどんどん高くなっているような気がする。

なんだか、『こいつはいくらまでならアップグレードする』と見込んで機械が価格を調整しているようで、腑に落ちない。」

とおっしゃっていたことがあります。

こられの例は、独禁法上問題があるのでしょうか。

一見すると、差別対価(独禁法2条9項2号、一般指定3項)が問題になりそうですね。(結論としては、差別対価にはあたりません。条文を読めば分かります。)

ところで、同じ商品に市場で異なる値段が付けられる場合としては、

①倉庫から遠くて運送費用が余分にかかるとか、コスト面での理由がある場合、

②競争が激しい地方では安くなるなど、競争が反映された場合、

③需要者の支払い意思に差がある場合、

くらいが考えられます。

①(コストの違い)と②(競争の違い)は納得できますが、③で価格に差がでるのは、需要者としては納得がいかないかもしれません。

しかし、ミクロ経済学の一分野である産業組織論では、需要者の支払い意思(willingness to pay。あるいは留保価格(reservation price)ともいう)に応じて価格を代えるのむしろ好ましいのだ、というのがほとんど常識になっています。

詳しくは産業組織論の入門書(長岡・平尾『産業組織の経済学』p51~など)を見ていただくとよいのですが、かいつまんで言えば、高い値段を払っても良いと思っている人にはより高く、そうで無い人にはより安く売った方が、より多くの商品が売れる(その結果総余剰が増える)ということです。

別の言い方をすれば、もし価格差別を禁じた場合(=統一価格を強制した場合)、供給者は統一価格を前提に利益を最大化しようとするので、当該統一価格は価格差別を許した場合の低い方の価格よりも高くなるのが通常であり、その結果、価格差別が許されていれば商品を買えたであろう比較的支払い意思の低い需要者が、統一価格の下では高すぎて買えなくなる(というか、買おうという気が起きなくなる)ということです。

差別対価によって高く買わされる需要者だけに着目するのではなく、差別対価が許されたからこそ安く買える需要者にも着目すべきなのです

経済学的に割り切れば以上の通りですが、それでも冒頭のWSJの記事の場合、なんだか騙されたような気になるのは、きっと、同じサイトでは同じ値段が提示されているはずだと需要者が期待しているからでしょう。

ところで私は大阪出身なので、大阪の家電量販店では、値札のところに、

「さらに値引きします!」

とか書いてあるのが、30年くらい前は当たり前でした。

「だったら最初から安く売ってよ」と言いたくなりますが、そこは商人の町大阪、買い物は値切って当たり前という文化だったのですね。(いまは大阪でも「掛け値なし」が当たり前でしょうけれど。)

(交渉のための取引費用とか、そんな面倒な交渉するのはいやだという需要者のニーズとかを無視すれば、確かに昔の大阪流は、経済的には合理的だったといえます。)

さて、このように値札に「値引きします!」と書いてあれば、交渉次第で値段が変わり得ることが明らかに分かりますが、冒頭のWSJの記事の例はそうではありません。

経済学的に割り切れば、需要者は、自分が払ってもいいと思う値段より安く買えたのだから文句はないはずですが(払ってもいいと思う値段より高ければ買わなければいいだけです)、そう割り切れるのは、経済的に合理的な人間は他人と自分を比べたりしないからです。

ただ、そういう、いわば「需要者に知られない価格差別」が独禁法上問題か、というと、一般論としては問題とまでは言えないと思います。

少なくとも、競争法の問題ではないような気がします。

問題になるとすれば、むしろ刑法の詐欺罪とかですかね。

欺罔したと言われないためには、ウェブサイトの価格表示のところに、

「この価格は、他のお客様に提示している価格よりも高い可能性があります。」

といった表示をしておけばいいのでしょうが、売れ行きは落ちそうですね(笑)。

しかし、消費者のどのような期待が法的保護に値する期待なのかというのは、とても難しい問題です。

以前景表法で話題になったコンプガチャのケースで、ある方から聞いた話ですが(新聞にも書いてあったような気がします)、コンプガチャ購入者の購入パターンから、当該購入者があと何枚までハズレのガチャを引き続けるかを予測して、もうやめるというギリギリのところでアタリを出すということがプログラム上可能なのだそうです。

もしこういう操作をしたら、おそらく詐欺でしょう。そんな操作をされていると知れば、誰もガチャを引こうとは思わないからです。

・・・という極端な例はありますが、冒頭のWSJの記事や、まして航空会社のケースは、そこまで悪いとは到底言えないでしょう。

限界事例としてどこまで許されるのか、公取委や消費者庁でガイドラインでも作ってみたらどうでしょうか。

あるいは、問題のある事件を公取委や消費者庁が摘発したら、きっと大きな話題になるでしょうし、社会的意義も大きいと思います。

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