100%兄弟会社間のカルテル
「公正取引」2011年5月号(727号)p64で、東大名誉教授の松下満雄先生が、兄弟会社間でカルテルが成立しうるのか、という点に関して、興味深いことを述べておられます(「結合企業間共謀に関する米最高裁判例動向」)。
論文は米国のアメリカンニードル事件(2010年)という連邦最高裁判決の評釈なのですが(ちなみに、この事件はABAの年次総会でも取り上げられたり、米国でも非常に興味を持って迎えられているようです)、関連部分を、ちょっと長いですが引用すると、
「・・・競争関係にある二社の株式が共通株主によって取得されるが・・・この共通株主の判断として、この二社には相互に競争をさせる方が企業活力や配当も多くなるとの見通しに基づいて、相互に競争させる方針を採ることもあり得るであろう。このような場合には、この子会社間には競争があり得るのであり、その競争が両社の共謀によって制限されれば、シャーマン法1条に違反するとの結果が生ずることが考えられる。」
と述べられています。
確かに、それに続けて、
「もっとも親会社と完全子会社間において、子会社が親会社から独立して意思決定を行い、両者が競争に従事する可能性は実際上殆どないといってよいであろう。」
とも述べられているのですが、要するに、親会社が、営業戦略上、あえて子会社同士(兄弟会社)を競争させることもあるじゃないか、そういうのも独禁法の競争として保護されるべきじゃないか、という趣旨と思われます。
しかし、そもそも、上記で下線を引いた、
「この共通株主の判断として、この二社には相互に競争をさせる方が企業活力や配当も多くなるとの見通しに基づいて、相互に競争させる方針を採ることもあり得るであろう」
ということを理由に、100%兄弟会社間の共謀がカルテルになりうるというのは、私はおかしいと思います。
まず、松下先生の考え方によれば、
①親会社が子会社同士を競争させるという営業政策を採っている場合には、(そのような親会社の営業政策に反して?)子会社間で共謀が行われた場合はカルテルが成立する、
のに対して、
②親会社が始めから子会社同士を競争させない営業活動を採っていた場合には、子会社間で共謀が行われてもカルテルが成立しない、
ということになり、いかにもバランスが悪いです。
つまり、親会社が子会社同士を競争させようとすればするほど(←これは、松下先生の上記の考え方によれば競争法上望ましいことのはず)、カルテルリスクが高くなる、ということになってしまい、本末転倒です。
①の方針(競争させる)を採っていた親会社が、そのためにカルテルで子会社が摘発されたとしたら、びっくりするのではないでしょうか。
またその裏返しですが、松下先生の考え方に従うと、親会社は、表だって「グループ間を競争させる」という方針を打ち出しにくくなるのではないでしょうか。
それに実際には、子会社を「競争させている」か、「競争させていない」かの線引きは微妙で、
「お互い、グループ会社間でも切磋琢磨し、でもグループの利益を損ねるような無茶な競争はしないで、他社との競争に勝ち抜こう」
というのが、仮に①の方針(競争させる)を採った場合でも、常識的な方針なのではないでしょうか。
さらに、
「相互に競争させる方針を採ることもあり得るであろう」
というような、「あり得る」のレベルで子会社同士にカルテルが成立しうるとしたら、殆どの場合で子会社間の共謀はカルテルになりうる、ということになりかねません。
また、お互い切磋琢磨する、あるいは、ライバル心を燃やす、ということは、同じ法人の異なる部署の間、あるいは「社内カンパニー制」を採っている場合の「カンパニー」間でも起こりうることです。
そうすると、なぜ同じ法人の内部の協調ならカルテルにならない(←これは争いないでしょう)のに、異なる法人間の協調であれば(100%親子間でも)カルテルになるのか、実質的な説明できないように思います。
(会社は「事業者」にあたるけれど、会社内の部署は「事業者」ではない、という解釈はあり得ますが、本質的な問題から目を背けて形式的な文言解釈でお茶を濁しているような気がします。)
それと、より根本的には、「子会社を競争させる方が企業活力が増す」とか、「親会社への配当が多くなる」とかいうのは、競争法が保護すべき競争とは関係のない、全く別次元の話だと思います。
単純な経済モデルで頭の中を整理すると分かりやすいと思うのですが、親会社が企業活力増進とか配当増加とかを目指して一定の(子会社を競争させるという)政策を採る場合、親会社はあくまで自己の利益の最大化を目指しているわけです。
親会社が自己の利益の最大化を目指している中で、子会社同士を競争しているように振る舞わせるのがその目的に資すると考えて、子会社を競争させる政策を採ったとしても、あくまでそれは親会社の利益の最大化のために行われているに過ぎないのであり、それが結果的に子会社が「競争」しているような様相を呈しているだけのことで、本当の「競争」というのとは全然違うと思います。
本当の競争というのは、ある事業主体(ここでは、子会社)が、自己の利益の最大化を目指して、価格を設定したり、生産数量を決めたり、設備投資をしたり、ということだと思います。
もし子会社が、本当に自社だけの利益の最大化を目指したら、それはかなりイレギュラーなことです。
もちろん、経済合理性だけを考えれば起こりえないことも現実の世の中では起こりえますし、従業員や、カンパニー制の事業部長が、会社全体の利益ではなくて、(将来の出世のため、とかの理由で)自分の事業部だけの利益を図ることもあるかもしれません。
でもそれは、市場における競争を保護すべき競争法とは関係のない話だと思うのです。
グループ内の「競争」を親会社が奨励している場合でも、やはりグループ全体の利益を損ねるような行き過ぎた「競争」があれば親会社が介入するのは(経済合理性からすれば)目に見えており、そのような箱庭の中での「競争みたいなもの」を、独禁法で保護する必要性も妥当性も無いと思います。
さらに、標準的なミクロ経済学の競争モデル(静的競争)では、子会社同士を競争させた方が、「配当も多くなる」というのは、相当イレギュラーです(というより、あり得ないです)。
独占と完全競争を比べれば、完全競争の方が利益が少ないに決まっています。
実際の世の中でも、子会社同士が競争したら、普通は配当(や配当可能原資)は少なくなるでしょう。
例えば、100%兄弟会社間の協調が談合だと言われたエコステーションのようなケースで、子会社同士が真剣勝負で入札する場合が最も利益が少なくなるのは明らかでしょう。
仮に競争した方がイノベーションも進んで長い目で見れば利益も増える、という場合があったとしても、それは当該複数の兄弟会社が市場で(他の事業者と)競争しているからであって、兄弟会社同士で競争しているからではないでしょう。
やはり、理屈の上でも、実務上も、グループ会社(100%親子はもちろん、たぶん50%超でも)は、まとめて1つの競争主体と考えるべきです。
(ちなみに日本では、上述のような、エコ・ステーションの談合の排除措置命令という先例があるのですが、これは入札談合という特殊な文脈だったので違反にされた、とみるべきでしょう。私自身は、エコ・ステーションの公取委の判断自体、おかしいと考えていますが。)
松下先生のような考え方が、無制限に一般化されるような形で実務に広がらないことを望みたいです。





