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2011年7月 6日 (水)

再販と販売方法の拘束の理由付けの矛盾(価格決定権と販売方法決定権は誰のものか?)

再販売価格維持は原則違法だといわれます。

その理由として、流通取引慣行ガイドラインでは、

「事業者〔主に小売店です。〕が市場の状況に応じて自己の販売価格を自主的に決定することは、事業者の事業活動において最も基本的な事項であり、かつ、これによって事業者間の競争と消費者の選択が確保される。」

と説明されたりします。

つまり、小売価格は小売店が自主的に決定できるべきである、ということです。

粉ミルク事件最高裁判決(昭和50年7月10日)でも、

「・・・取引の対価や取引先の選択等は、当該取引当事者〔小売店です。〕において経済効率を考慮し自由な判断によって個別的に決定すべきものである・・・」

としています。

これに対して、メーカーが小売店に販売方法を指定する場合については、資生堂事件最高裁判決(平成10年12月18日)では、

①販売方法にそれなりの合理性があり、

②他の取引先にも平等に課されている限り、

メーカーが対面販売を小売店に強制することは拘束条件付取引とはならないとし、その理由として、

「・・・メーカーや卸売業者が販売政策や販売方法について有する選択の自由は原則として尊重されるべきである」

という理由を述べています。

つまり、販売方法を決めるのはメーカーの自由だ、ということです。

(ちなみに流通ガイドラインでは、「合理的な理由」の例がかなり厳格に解されるかのような書きぶりになっていますが、上記最高裁判例があるので、ガイドラインは実務上無視していいです。)

このように、再販売価格維持の場合と販売方法の拘束の場合を比べると、

①小売価格を決めるのは、小売店の自由である、

②販売方法を決めるのは、メーカーの自由である、

ということになります。

これって、合理的な理由付けなのでしょうか。

私は、疑問に思います。

素朴な感情としては、

「価格は、いったん小売店に売り切ったのだから(所有権が移転したのだから?)、小売店が自由に決めるべきというのは確かにそうだよな。」

とか、

「でも販売方法は、メーカーのそのブランドの信用に関わる話だから、メーカーが決めるべきというもの一理あるよな。」

という感想を持たれる方もいらっしゃるかも知れません。

しかし、それはたんなる生の価値判断であって、

・小売価格も販売方法も、小売店が決めるべき、

・小売価格も販売方法も、メーカーが決めるべき、

という価値判断があっても、何らおかしくないように思います。

私は、上記①②は、あくまでリップサービスで、要は競争制限が起きる危険が、再販のほうが高いから、というのが本当の、かつ唯一の理由だと考えています。

ただ、そういう、対市場効果だけを理由として述べると、経済学に馴染んだ人には受け入れられても、法学者や一般の人の心には響かないので、リップサービスで(=それらしい理由付けに見せるために)、小売店の基本的権利だとか、メーカーの自由だとかいっているに過ぎないと捉えるべきです。

(経済効率性だけを考えるなら、小売店に市場支配力がある場合には、最高再販売価格維持を認めた方が(つまり、メーカーに価格決定権を認めた方が)効率性は改善するというのは、二重限界化の問題としてよく知られているところです。)

なので、「なぜ価格を決めるのは小売店の自由なのか?」とか、「なぜ販売方法を決めるのはメーカーの自由なのか?」とかを、一生懸命考えても、何ら有効な独禁法のルールは導けません。

ではなぜ、再販は原則違法で、販売方法の拘束はむしろ原則合法なのでしょうか。

理由は端的に、価格競争のほうが、その他の競争(サービス競争など)よりも、激烈な競争になりやすいからです。

これを裏返して言えば、価格競争を制限した方が、サービス競争を制限するよりも、競争制限の効果が絶大である、ということです(当該競争手段をまったく制限しない場合をベンチマークにした場合の、ベンチマークからの隔たりが、価格競争の制限の方が圧倒的に大きい)。

安売りが激しくなり過ぎて(価格競争)小売店が淘汰されることは、世の中で充分にあり得ることに思われます。

これに対して、過剰なサービスを提供し過ぎて(コストアップになって?)小売店が淘汰される(サービス競争?)ということは、あり得なくはないでしょうが、価格競争の場合に比べれば遙かに少ないと言えます。

なので、小売店としては、価格競争は、本音のところでは避けたいのです。

小売店の意向を無視できないメーカーの本音も同じでしょう。

では、違法かどうかは競争制限効果一本で説明できるとして、販売方法の拘束はどのように競争制限に繋がるのでしょうか。

例えば対面販売の場合だと、ほとんど競争制限にはつながらないと思います。

一般論として、競争制限の生じるパターンとしては、

①競争者で手を組むこと(競争停止)

と、

②競争者を市場から駆逐すること(競争者排除)

があります。

対面販売は、このいずれにもあたりません。

(再販は、競争停止ですね。同じ非価格制限でも、テリトリー制は、小売店間の競争が緩むのが問題なので競争停止であり、排他取引は、ライバルメーカーが流通網へアクセスできなくなるのが問題なので、競争者排除です。)

なので、対面販売には競争制限効果はほとんどないのです。

中には、「対面販売を強制するとコストアップにつながるので、競争が制限されるじゃないか」という説もありますが、コストアップといってもたかが知れています。

それに、対面販売や専用カウンターの設置は固定費なので、小売店の限界費用には影響ないはずであり、卸価格を値上げするほうが遙かに競争制限効果があるはずです。

その程度の競争制限効果に過ぎないのに、とやかく言う必要はないはずです。

「卸価格を上げるか下げるかは自由な競争に任せるべきだから、そのために価格が上がるのは仕方ないけれど、対面販売とか専用カウンターの設置のような余計なもののために価格が維持・安定するのは許せない」

というのは、生の価値判断としては分からないではありませんが、合理的な独禁法解釈としては、いかがなものかと思います。

「カウンセリングなんて必要としていない消費者にとっては、余分なコストを負担させられて不当だ」

という議論もありますが、そんなものは市場の競争に任せておけばいいのです。

再販売価格維持のフリーライダー論では、メーカーが提供を希望するサービスが消費者も希望するものか否かはフリーパスなのに(つまり、消費者にそっぽを向かれるサービスを提供させようとしたメーカーは市場から淘汰されるのだから構わないという立場に思えるのに)、販売方法の拘束の文脈では、にわかに消費者にとって必要かを議論し出すのも、バランスが悪いと思います。

(ちなみに、市場支配力のあるメーカーの場合に限って、対面販売の強制で価格安定効果がある場合には違法とすべきだとの議論もありますが、対面販売が固定費であることは市場支配力のあるメーカーでも同じなのですから、やはり、価格安定効果は微々たるものなのではないでしょうか。市場支配力があるメーカーでも卸価格を上げることは自由なのですから、単に卸価格を上げる以上の独占利潤を対面販売の強制により得られるなら問題かも知れませんが、そのような超過利潤が得られる可能性は低いように思います。)

それに、消費者が必要としてるかしていないかとか、販売方法として合理的かという議論をやり出すと、裁判所には判断しかねる問題だと思います。

(この点、女性の裁判官のほうが化粧品につては販売方法の合理性の判断を正確にできると思いますが、むしろ合理性は判断すべきではないので、そうすると男性裁判官のほうが変なバイアスがなくてよいように思います。)

判断の順序としては、販売方法の拘束については、まず競争制限効果があるのかどうかを判断し(無ければその時点で合法)、競争制限効果が認められて初めて、それなりの合理性と、他の小売店にも平等に適用しているか(平等性)を判断する、というのが、本当は論理的なのでしょう。

でも、競争制限効果があれば、「それなりの合理性」があっても、やはり違法とすべきではないでしょうか。

そうしないと、それなりに合理的に見える販売方法の拘束だけれど、極めて競争制限効果が大きい販売方法の拘束の場合、どうするのでしょうか(現実にはそんな制限はあまり無いから、資生堂最高裁判決の立場で結論は妥当なのでしょうけれど)。

これに対して、平等性については、再販の隠れ蓑である可能性をチェックするために、それ自体としては競争制限効果のない販売方法の強制であっても、有用な要件でしょう。

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