独禁法弁護士が経済学を学ぶ意味
最近、アメリカで経済分析に基づく立証が盛んなことを若干批判的にみて、独禁法訴訟において経済学が立証に役立つ場合は限られているのではないか、という論調を目にすることがあります。
たしかに、アメリカでも専門家によってまったく正反対の経済分析の結果が出たりすることがあると聞きますし、
「経済学者は、自由に経済モデルを編み出して、どのような結論でも自分に都合の良い結論を導くことができるんだ」
という、やや極端な意見も目にしたりします。
私も、経済分析を使っての立証はどこまで有効なのか、正直、はっきりとしたことは分かりません。
しかし、それでも独禁法を専門とする弁護士(実務法曹)が経済学を学び、経済学的発想を身につける意味は大いにあると思うのです。
ひょっとしたら、独禁法の研究者以上に意味があるかもしれません。
なぜなら、研究者の場合は「自分は経済学者じゃないので」といって、法律論だけを研究していればいいのかもしれませんが、弁護士は、現実の事案を解決しなければならず、「自分は経済学者じゃないから」では済まされないからです。
特許侵害訴訟の弁護士が技術のことも理解できる必要があるのと似ています。
このように具体的な事案を解決するためには、目の前の事案のどのようなところに問題があるのかといったところに気が付く必要があり、そのために経済学的発想はとても重要だと思うのです。
たとえば、生産合弁を計画している2社の間で生産量を50%ずつに分けるという取り決めにした場合、「販売価格についてはお互い拘束しないのだからいいじゃないか」というのは甘い分析で、生産量の調整は価格の調整と経済学的には等価であるという発想があれば、このような取り決めに問題があり得ることを見抜けます。
JASRACのケースは、JASRACから購入した場合の顧客の限界支出をゼロにしている(裏返せば、JASRACの限界収入はゼロである)点が問題の本質である、ということが分かります。
さらに、たとえば最終的な化合物を生成する前段階の中間品については、市場をどう画定するのかは難しい問題です。
このような場合、中間品には代替性のある競合品が無くても、もし完成品市場で類似の機能を有する競合品があれば、当該中間品の値段を上げると完成品市場で当該購入者が競争できないために、中間品の値段を上げることができないのではないか、経済学的にいえば、当該中間品の需要の弾力性が極めて大きいのではないか、よって、市場支配力は無いのではないか、という発想が生まれます。
このような判断は、長年の実務経験を積めば勘のいい人は身に付くのかも知れませんが、経済学を勉強していれば、わりと簡単に整理できることが多いです。
一般的な企業結合における市場画定でも、産業組織論の商品差別化や価格差別のモデルが頭の中にあれば、どれか特定の需要者を狙い撃ちして値上げすることが可能でないか?という発想が出てきます。
それから、日本ではまだ実務がそのレベルにまで達していないので現実に問題になることは少ないかもしれませんが、「経済学に騙されない」ために、経済学を学ぶ必要が出てくるということも、将来的にはあるかもしれません。
逆に、経済学を学ぶことによるデメリット(というほど大げさなものではないかもしれませんが・・・)もあるように思います。
具体的には、経済学的に見て意味のない主張は、あまり力を入れて検討する気力が沸きません(笑)。
例えば、経済学では供給量が増えれば価格は下がり、供給量が減れば価格は上がるというのは常識なので(弾力性が大きければ供給量減少による価格情報幅が小さいとはいえますが、価格が上昇しないとはいえないでしょう)、「数量の調整はしたが価格には影響がない」なんていう主張は、最初から諦めてしまいがちです。
でも弁護士なので、そういう主張もアイディアとして思いつくことは必要なことがあるのかもしれません。
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