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2010年9月

2010年9月29日 (水)

日本よりも広く市場画定される企業結合の留意点

最近は企業活動の国際化の流れを反映してか、企業結合における地理的市場を、「全世界」とか、「アジア」というふうに、日本よりも広く画定する例も増えてきました。

通常、地理的市場を広く画定すると、結合当事者のシェアは相対的に低くなるので、結合は認められやすくなります。

しかし、必ずしもそういう場合ばかりではありません。

例えば、ある商品について、世界シェアでは40%(1位)を有する外国企業A社が、日本市場にはまだ食い込めておらず、日本ではシェアが0%だとします。

このようなA社が、同じ商品を製造する日本企業B社を買収するとします。

B社は、日本でのシェアは40%(1位)であるものの、国外への輸出はしていないものとします(つまり、日本を除いた世界シェアでは0%)。

このような株式取得の場合、地理的市場を日本と画定すると、A社には日本でのシェアがないため、HHIの増分がゼロで、水平結合のセーフハーバーで救われることになります。

(理屈を言えば、地理的市場を日本と画定すると、日本市場で両社は競争していないので、「混合型企業結合」ということになり、混合結合のセーフハーバーで見る、という理屈もあり得ますが、同業者なのに日本で売っていないというだけで「混合型」と整理するのは無理矢理の感があります。)

ところが、地理的市場を世界市場と画定すると、話が変わってきます。

上述のように、A社の世界シェアは40%です。

B社は、日本以外では売上がありませんが、日本での売上(シェア40%)を世界シェアに換算すると15%であったとします。

そうすると、地理的市場を世界市場と画定すると、40%のA社と15%のB社の企業結合ということになり、セーフハーバーで救われない可能性が大いに出てきます(同じ商品で同じ地理的市場で競合するので、当然、水平結合のセーフハーバーでみることになります)。

つまり、狭い日本市場で画定すれば競合しないのに、広い世界市場で画定すると競合者となる、ということです。

考えてみれば当たり前なのですが、一瞬、「あれ、なんか変だな。」と思ってしまいそうですね。

地理的市場の画定は競争の実質を見ながら行うところがありますし、もし狭い市場を画定した場合にはそこから漏れた市場は隣接市場からの競争圧力として考慮されますから、市場画定によって結論が180度変わるというものでもありません。

しかし、セーフハーバーで救われるかどうかはその後の手続の進めやすさに大きく影響します。

例えば、セーフハーバーに引っかからない場合には、公取委から

「セーフハーバーを満たさないのに競争を実質的に制限することとならない理由を述べて下さい」

というような質問がきて頭を悩ませることになります(ま、それを考えるのが我々弁護士の仕事なのですが)。

なので、実務上セーフハーバーで救われる意義は大きいわけです。

ちょっと脇道にそれましたが、上記の例で、日本市場が画定されると思いこんで問題ないと思っていたら公取委から

「世界市場じゃないですか(だからセーフハーバーを満たしませんね)?」

といわれて焦ることがないように気をつけましょう。

ちなみに、上記のA社とB社のような例では、やはり世界で40%ものシェアをもつ1位のA社と国内1位で40%のシェアを持つB社の結合が、日本で競合してないというだけの理由でセーフハーバーで救われるというのはちょっと違和感があるので、なおさら安易に「セーフハーバーで救われるのでOK」と考えるのは危険だと思います。

2010年9月28日 (火)

【日経法務インサイド9月27日】「営業秘密 守りやすく」

昨日(9月27日)の日経朝刊の「法務インサイド」欄で、私のコメントを引用していただきました。

(昨日はなぜか朝刊が届くのが遅れ、自分が読む前に何人かの方にメールで教えて頂きました(汗)。教えて頂いた方、ありがとうございました。)

記事は今年7月に施行された改正不正競争防止法の要点がコンパクトにまとめられており分かりやすいので、ご興味のある方はご一読下さい。

一般の人には、そもそもなぜ営業秘密侵害罪の成立範囲を細かく定めているのか、少々わかりにくいのも事実ではないかと思います。

素朴な感情からすれば、不正競争の目的(A社の秘密を競合のB社が不正に入手して利用するような場合)であろうと、図利加害目的(A社の顧客名簿を名簿業者に売りつけるような場合)であろうと、悪いものは悪いのだから両方処罰すべき、ということでしょう(だからこそ今回の改正が成立したわけですが)。

ただ、営業秘密に関する罪を不正競争防止法の中に置いている関係上、同法は文字通り不正な競争を防止するための法律なので、改正前は、侵害の目的を不正競争の目的に限っていたわけです。

体系的な整理としては、改正前の方がすっきりしていたとも言えます。

しかし、やはりそれでは実務的に不都合だろうということで、今回の改正となったわけです。

図利加害目的というと、法律家としては、刑法の背任罪を思い浮かべます。

つまり、今回の改正で、営業秘密侵害罪の性質が、不正な競争の防止から、背任罪のような財産犯に性格が近づいたといえます。

(この際、営業秘密侵害罪は、外国公務員贈賄罪とともに、刑法に移してはどうかと思います。でもそうすると、管轄が経産省から法務省に移ってしまうという問題点(?)があるかもしれません。)

また、改正前は、営業秘密を使用・開示して初めて犯罪となったのが、それだと秘密裏になされた使用・開示することが立証できない場合があるので、取得の時点で犯罪となることとされました。

これも、実際上の必要に迫られての改正といえます。

営業秘密というのは目に見えないだけに、その対象についても、侵害行為の態様についても、法律の文言で綿密に規定されています。

法律に馴染みのない人からみると、処罰されるべきものが処罰されないというのは法律の欠陥ではないかという印象を持たれるかもしれません。

しかし、こと今回の改正については、改正前の法律も処罰範囲が広がりすぎないように意図的にそのような内容になっていて、やはり実務の運用でそれでは良くないということで、さらに綿密に文言を練って改正に至った、という印象です。

改正法の文言をじっくり読むと、実務における条文の大切さが改めて身に染みます。

2010年9月27日 (月)

親子会社の定義の誤植

企業結合届出規則(正式名:「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律第九条から第十六条までの規定による認可の申請、報告及び届出等に関する規則」)2条の9の親子会社の定義に誤植があるような気がするので、注意喚起しておきます。

届出規則2条の9(子会社及び親会社)の3項2号ロでは、40%以上の議決権を持つことと加えて、以下の要件を満たす場合に、親子会社関係が生じるとしています。

 他の会社等〔子会社に相当〕の取締役会その他これに準ずる機関の構成員の総数に対する次に掲げる者(当該他の会社等の財務及び事業の方針の決定に関して影響を与えることができるものに限る。)の数の割合が百分の五十を超えていること。

(1) 自己〔親会社に相当〕の役員

(2) 自己の業務を執行する役員

(3) 自己の使用人

(4) (1)から(3)までに掲げる者であつた者」

これに対して、届出規則2条の9が参考にしたと思われる会社法施行規則3条3項2号ロでは、

 他の会社等の取締役会その他これに準ずる機関の構成員の総数に対する次に掲げる者(当該他の会社等の財務及び事業の方針の決定に関して影響を与えることができるものに限る。)の数の割合が百分の五十を超えていること。

(1) 自己の役員

(2) 自己の業務を執行する社員

(3) 自己の使用人

(4) (1)から(3)までに掲げる者であった者」

とされています。

ちなみに、「社員」というのは世の中で言うところの従業員のことではなく(それは、(3)の「使用人」です)、法律上の社員のことで、具体的に「業務を執行する社員」とは、持分会社(合名会社、合資会社、合同会社)の業務執行社員(会社法593条)のことです。

これは、企業結合届出規則のほうが誤植なのではないかと思います。

企業結合届出規則の「(2)自己の業務を執行する役員」というのは、その前の「(1)自己の役員」の概念に含まれるので、意味がないでしょう。

会社法施行規則のように、「社員」なら、業務執行権限のある社員はカウントされるんだな、と了解できます。

このように、届出規則は誤植と思われますが、正式な規則ですし、実務は規則の文言どおり運用して行かざるを得ません。

ですので、例えばP社の業務執行社員がS社の取締役会の過半数を占めていても、P社のS社に対する議決権比率が50%以下(50%を含む)である限り、P社はS社の親会社ではない、ということになります。

持分会社は、日本の事業会社ではあまりメジャーな存在ではないですが、外国では持分会社に相当する事業会社はいくらでもあります。

なので、もし外国会社から質問を受けたら、「規則上は届出は要らないことになっているけど、多分誤字なので、届け出ておいた方が良い」というアドバイスをすべきかもしれません。

「でも法的にはノーリスクなんでしょう?」と突っ込まれたら、「そうですね」としか答えようがありませんね・・・

親子関係が本来より狭くなることで実質的な問題が生じるのはグループ内再編です。

平成21年改正で、グループ内組織再編は届出不要となりました。

ところが、親子関係が本来より狭くしかみとめられないとすると、本来グループ内再編とされるべき再編がそうではないことになり、ひいては余分な届出が必要になる場合が出てくるかも知れません。

困ったものですね。。。

2010年9月26日 (日)

市場支配力の「形成・維持・強化」と市場支配力の「行使」の関係

今日は、「競争の実質的制限」の意味について、とくに市場支配力の行使と区別するという観点から、考えてみたいと思います。

「競争の実質的制限」、条文でいえば、「一定の取引分野における競争を実質的に制限すること」(独禁法2条5項)とは、

「競争自体が減少して,特定の事業者又は事業者集団がその意思で,ある程度自由に,価格,品質,数量,その他各般の条件を左右することによって,市場を支配することが
できる状態を形成・維持・強化することをいう」

とされています(排除型私的独占ガイドラインが引用する東京高判平成21年5月29日,平成19年(行ケ)第13号・NTT東日本FTTH私的独占事件)。

これを短くするために、「競争自体が減少して・・・市場を支配することができる状態」を、短く「市場支配力」と表現することにより、

「市場支配力の形成・維持・強化」

と言ったりします。

でも個人的には、判例が明確に「・・・状態」といっているのを「力」と言い換えるのは素直な言葉の意味として抵抗があるので、判例の文言に忠実に、

「市場支配状態の形成・維持・強化」

と呼んでおきたいと思います。

さて、ここで強調したいのは、競争の実質的制限の定義には、市場支配力の行使は含まれていない、ということです。

「形成・維持・強化」と3つに分かれているのは、

「形成」というのが、市場支配状態が無いところから新たに生み出すこと(0→+)、

「維持」というのが、市場支配状態が競争に晒されて消滅するのを防ぐこと(+→+)、

「強化」というのが、今ある市場支配状態をさらに強くすること(+→++)、

というだけのことで、一言で言い表す適当な言葉が無いので3つに分かれているだけであり、3つの違いを深く論じる意味はありません。

ですので、欧州では市場支配的地位にある事業者が不当に高価に販売することは市場支配的地位の濫用になるという議論がありますが、これは市場支配的力の行使というべきものであり、日本の「競争の実質的制限」の定義には当たってこない、ということになりそうです。

日本で不当高価販売を規制するとしたら優越的地位濫用が思いつきます。

優越的地位濫用はまさに、(当事者間での相対的な優位に過ぎないという意味での相対的な)市場支配力の行使を問題にするものなのです。

「市場支配状態」という用語で括れば、

競争の実質的制限=市場支配状態の形成・維持・強化

なので、

私的独占=排除・支配による市場支配状態の形成・維持・強化

となります。

これに対して優越的地位濫用は、(相対的な)市場支配状態の「形成・維持・強化」の部分が不当になされたか否かには、まったく関心がありません。

むしろ優越的地位濫用の場合には、(相対的な)市場支配状態の「形成・維持・強化」は適法になされたことが当然の前提になっているとすらいえるかもしれません。

(相対的な)市場支配状態の「形成・維持・強化」は適法になされたことを前提に、そのような(相対的な)市場支配状態を利用(あるいは市場支配力を行使)することが違法だ、といっているのです。

これだけ見ても、優越的地位濫用は、私的独占や不当な取引制限とは毛色の違う規制であることが理解できるでしょう。

さて、このように市場支配状態(力)の形成・維持・強化と市場支配力の行使との区別を意識すると、いろいろと面白いことが見えてきます。

例えば、カルテルはいつ既遂になるのかという論点があます。

判例はカルテルの合意が成立した時点としていますが、少なくとも上述の論理から演繹的に考える限り、合意した時点で市場支配状態の「形成」は完了していると思われるので、判例の合意時説が正しいということになりそうです(合意の結果値段を上げることは、市場支配力の「行使」に過ぎず、不当な取引制限の構成要件に該当しない)。

また、不当廉売について、廉売でライバルを排除した後に値上げで廉売分の損を取り戻せることが違法要件か(埋め合わせ要件)、という論点があります。

私的独占としてのコスト割れ販売の場合には競争の実質的制限(=市場支配状態の形成・維持・強化)が違法要件です(市場支配力の行使は違法要件ではない)。

したがって、上述の議論から演繹的に考える限り、ライバルが退出したことにより市場支配状態が維持されるのであれば、値段を上げて損を取り戻すか否か(市場支配力を行使するか否か)にかかわらず、私的独占となると考えるのが素直だと思います(不公正な取引方法としての不当廉売(独禁法2条9項3号)の場合は公正競争阻害性で足りるので、なおさらでしょう)。

ただ、「行使できないような『市場支配力』って、『市場支配力』とは呼べないのでは?(なので埋め合わせができない限り市場支配状態の形成・維持・強化がない、とみなす)」という議論はありうると思います。

この点、排除型私的独占ガイドラインの注22では、

「前記第2の2の「商品を供給しなければ発生しない費用を下回る対価設定」による排除行為については,行為者が取引対象商品の価格を引き上げたとしても,法令等に基づく規制や立地,技術,原材料調達等の諸条件による参入障壁が低いため有効な牽制力のある事業者が短期間のうちに参入することが現実的に見込める場合がある。このような場合には,当該行為が競争を実質的に制限するものであると判断されることはない。」

としています。

これを、「競争の実質的制限」=「市場支配状態の形成・維持・強化」という公式にあてはめると、

「有効な牽制力のある事業者が短期間のうちに参入することが現実的に見込める場合」には、「市場支配状態の形成・維持・強化」は起きていないと考える、

と読めます。

これは、埋め合わせ要件を日本流に言い換えたものとも言えますが、そもそも埋め合わせ要件というのは判例の「競争の実質的制限」の定義には出てこないのですから、無理して埋め合わせが必要か否かという形で議論をする必要は無く、判例の解釈にしたがって議論を整理すればよいのでしょう。

私はどちらかというと経済学から独禁法に入ったほうなので、立法論としては、実質的に消費者厚生を害する行為、状態は独禁法で是正すべきという考えに親近感を覚えるのですが、独禁法も法律である以上、条文の文言や、文言に対する判例の解釈を無視するわけにはいかないと思います。

とりわけ、実務家にはそのような態度が必要であろうと思います。実務家の創造力は、もっと別のところで発揮すべきでしょう。

2010年9月25日 (土)

元理科系のためのロースクール・サバイバル術

ロースクール制度が始まってから、法学部以外から法曹を目指す方も増えたようで、なかでも理科系の学部から知財を専門にしようと弁護士を目指す方も相当数いらっしゃるようです。

しかし、理科系の学部からロースクールに入った方は、優秀であるはずなのに成績が伸び悩むという話も聞きます。

私も大学1年生までは工学部におりましたし、法学部に移ったときには理科系科目と法学との余りの違いに戸惑い、「理科系出身者がロースクールで伸び悩む」という話は痛いほどよく分かります。

そこで、理科系出身者が法律を勉強する場合にはどのような点に気をつけるべきなのか、さらに言えば、理科系に軸足のある人が弁理士資格もついでに取ろうというレベルではなくて、あくまで法律を軸足に、裁判官、弁護士、検察官として将来通用するためにロースクールで生き残っていくためにはどうすればいいかという観点から、自分の体験を振り返りながら記してみたいと思います。

まず、数学・物理と法律は、勉強するときに力を入れるべきところがまったく異なることを理解すべきです。

数学・物理は、基本的に、記憶すべきことがほとんどありません。

数学・物理で難しいのは、解法を理解して、自分で解けるようになることです。

解法を「理解」するのであって、「覚える」のではありません。

これが日々の勉強にどういった違いをもたらすのかと言えば、教科書の読み方からして根本的に違います。

私は数学・物理を勉強するときに、教科書をまともに読んだことがありません。

微分積分とかベクトルとか、基本的な概念を身につけるときも、教科書を読んで理解したということはなく、数式を書いて問題を手の中でいじくり回して身につけていった、という感じです。

理科系出身の方の多くは、同じような勉強の仕方だろうと思います。

しかし、法律を同じやり方で勉強しようとしても無理です。

まず、法律では、基本的な概念は、覚えた上に、身につけなければなりません。

この、「身につける」というのは、ある日神様のお告げがあって突然悟りが開けるというイメージではなくて、毎日座禅を組んで気持ちの中に馴染んでいくイメージです。

この、基本概念を覚えて、身につけるというのが、少なくとも高校レベルの数学・物理に比べると、遙かに大変です。

恐らくその原因は、数学・物理の場合は、解くべき問題が純粋培養の、頭の中で作り上げられたシンプルな問題なので、概念自体がシンプルであり、理解するのにそれほど苦労は要らないのです。

そのためか、数学・物理の概念は、誰が考えても同じものに辿り着きます。

ところが、法律の目的は、あくまで現実の紛争を解決したり、当事者の利害関係を調整したりするところにあります。

そのような複雑な事実関係をうまく説明できるように、先人が長い歴史の中で作り上げてきたのが、法律における様々な概念なのです。

ですので、基礎的な概念自体からして争いがあったりします。

例えば、何をもって「権利」というか、というあたりから、諸説があり得ます。

そもそも、「権利」(その反面としての「義務」)、権利の帰属主体としての「人(法人)」、権利の対象としての「物(ぶつ)」というフレームワークに従って当事者間の利害関係を調整するというのも、全世界で共通のフレームワークでは無いように思われます。

かつて留学前のサマースクールで、アメリカでは、万引きを受けた店の店主は短時間その万引きした人の身柄を留めおくことができるという法理があると聞き、「国によって随分考え方が違うもんだなぁ」という印象を強く受けました。

日本なら、正当業務行為だとか、一般的な概念の中に括らないと納得できないのですが、アメリカでは、そのような極めて個別具体的な場面毎に判例法があって、一つの法概念として成立してしまうのです。

つまり、法律の概念というのは、あくまで当事者間の利害調整をうまく説明するための概念に過ぎないのであって、自然科学の概念と異なり、いくらでも概念の立て方があるのです。

ですので、法律の基礎概念には、多くのノウハウというか、先人の英知が染みこんでいるのです。

したがって、理科系出身の人が法律の本を読んで、「人とは権利義務の帰属主体である」という言葉を日本語として理解できても、それが実際の法律問題を分析する上でどのように使われるのかを理解するまで、本当に理解したことにはなりません。

これが例えばベクトルの積とかなら、行(ヨコ)と列(タテ)の各要素を掛けて足していけばいい、ということはちょっと練習すれば身に付きますし、それを言葉に落として理解する必要など無いのです。

2つのベクトルが垂直な場合、内積の和はゼロである、というのも、覚えておけば問題は解けますし、忘れても証明することは簡単です。二次方程式の階の公式も然りです。

ですが、法律の概念は、こういうわけには行きません。

基礎的な概念を身につけるのに、結構時間が必要です。

最低限のことは記憶する必要もあります(ただ、記憶することは少ないほど良いですし、基本的なフレームワークが理解できていればいるほど記憶することは少なくて済みます)。

このように、法律の概念は、人工的といいますか、少なくとも数学・物理の概念のように自然界に元々あったものを人間が探し出したという感じのものではなく、明らかに人間が工夫をして作り上げたものです。

そうすると、そのような概念は百人いれば百通りできるのではないか、そんなので学問として成り立つのか、と疑問に思われる方もいるかもしれません(理科系の方なら分かって頂けるでしょう。私はそうでした)。

しかし、それで学問としてちゃんと成り立つのです。

なぜなら、法律家は長年、みな、同じ法律の考え方を学び、同じ土俵で議論をしてきたからです。

確かに、既存のフレームワークとまったく異なるフレームワークを生み出すことも、理屈の上では可能でしょう。

物理・数学なら、そういうことができれば革命的な進歩かも知れません。

しかし、法律の世界でそういうことをやっても、何の意味もありません(少なくとも大学やロースクールレベルでは)。他の人と共通の土俵で議論できないと意味がないからです。

このように、法律の概念は人工的なもので、歴史的な意味もあるので、身につけるのが大変です。数学・物理の概念のように甘く見ると、痛い目に遭います。

民法総則の意思表示の理論で、「内心的効果意思」とか「表示上の効果意思」とかいう概念を勉強したときも、最初は心理学の概念かと思いました。

そうすると、他の「ナントカ意思」とかいうのも観念できるのではないか?と、大いに疑問に思いました。

でも、それは意味がないことなのです。

「内心的効果意思」とか「表示上の効果意思」とかいうのは、意思と表示が異なったときに、どのような事案であればどのような責任を意思表示者に負わせることができるかをバランスよく説明するために考えられた、あくまで人工的な概念なのです。

決して、脳をMRIで透視したら「内心的効果意思」を示す脳波をキャッチできる、とかいったものではないのです。

しかも、法律は一つの概念を覚えただけでは実際の問題を解くことができません。

実際には、民法総則に始まって、債権総論、契約総論、契約各論(とくに売買などの有償契約)、ちょっと毛色の変わった不法行為や不当利得・事務管理・・・というふうに、ひととおり勉強しないと問題が解けません。

昔は「社団法人と財団法人の異動について述べよ」といったような、いわゆる一行問題といわれるものが司法試験で出題されましたが、このようなものですら、「一を聞いて十を知る」というふうに答えを導くのは不可能なのです。

今の司法試験や恐らくロースクールの試験では、このような一行問題すら出ないでしょう。

数学・物理の概念の特徴は、素晴らしい概念が発見されれば(例えば数字のゼロとか、微分積分とか、何でも良いです)、そこからどんどん世界が広がっていくことです。

これに対して、法律の概念には、その背後に様々な社会的、学問的背景があって、それらが蓄積されて、一つの概念(例えば所有権とか)に結晶化されるイメージです。

理科系の人は、自分の頭で何でも考えてやろうという癖がありますが、法律でもそれは必要ですが、それだけではダメです。

以上で、数学・物理と法律がいかに違うか、イメージして頂けましたでしょうか?

また以前、法律は論理の学問なので理科系の人に向いている、といわれたことがあります。

確かにそういう面はありますが、学生として勉強していく場合を念頭に置くと、法律と数学・物理が、「論理的」という面で重なるのは、ほんの一部分だけです。

論理という点では、法律は驚くほど単純です。

集合論で出てくるような、補集合とか、対偶とか、必要条件とか十分条件とか、複雑な論理操作は、法律ではほとんど不要です。

使うのは、三段論法くらいです。

ですので、「自分は数学ができて頭が良いから法律なんて楽勝だ」という発想は捨てて下さい。

数学では、頭のいい人はほおっておいても難問を解いていきます。

今まで見たこともない解法で解いても、解ければ100点です。むしろ見たこともない解法で解く方がすごいです。

法律はそうではありません。まず、既存の概念、フレームワークを充分に理解する必要があります。

なぜそのようなフレームワークを用いるのか、疑問に持ってもらっても良いのですが、少なくともロースクールで生き残るというレベルであれば、とにかく早く既存のフレームワークに馴染むことが大事です。

理科系の人は他人に合わせることが苦手ですが、法律の勉強では他人(の既存のフレームワーク)に自分の思考を合わせることが必要なのです。

またまた話は飛びますが、教科書を読むときの姿勢も大いに異なります。

私は理科系の時は400ページを超えるような教科書を読むことはなかったし、もしそんな教科書があっても、内容を理解しさえすれば隅から隅まで読む必要はないことが明らかだったのですが(隅から隅まで読まなくても問題は解けるので)、同じ発想で法律の教科書を読んではいけません。

どこを理解すれば問題が解けるようになるのか、法律の教科書は、数学・物理の教科書ほど自明ではありません。

なので私は最初、民法の教科書の判例の日付や判例集のページ数まで、ほとんど音読するように読んでいたのですが、それは不要です。

その辺のバランスは、ある程度慣れれば身に付きます。

少なくとも言えることは、数学・物理の教科書を読むような感覚(つまり、実際にはほとんど読まない。読んでもせいぜい1回)で法律の教科書を読んではいけない、ということです。

私は以上のようなことに気がつくのに、大学2年で法律の勉強を始めてから1年以上かかりました。

でも、ロースクールのカリキュラムは3年あるとはいえハードなので、入り口で躓いて最初の1年間を無駄にすると、取り返しのつかないことになりかねません。

今回は随分長くなってしまいました。しかも思いつくまま書いたのでまとまりもありません。

ただ、理科系出身者がロースクールで苦労することが多いと聞いて、少しでも早く、正しい勉強法を身につけて欲しいと思ったのです。

2010年9月24日 (金)

連産品(れんさんひん)の競争評価

1つの商品を生産するときに、ついでに他の製品も生産されることがあります。

例えば、「ガソリンの流通実態に関する調査報告書」(公取委平成16年9月)では、

「・・・石油製品は,原油を精製すると他の油種まで自動的に生産される連産品であり,特定の油種だけを必要なだけ生産することはできないという性質を有している。」

とされており、ガソリンは、重油などとともに生産される連産品であると位置付けられています。

その他には、平成21年度企業結合事例集の事例2(新日本石油と新日鉱ホールディングス)では、

「ニードルコークスを含む石油製品は,同一原料(原油)から同時に生産される連産品であり,当事会社の石油製品全体の生産計画に基づいて生産されている・・・」

という記述があります。

その他、「牛肉と牛革」という例も、以前教科書で読んだ記憶があります(Hovenkamp, "Federal Antitrust Policy"だったかな)。

このように、別の製品と一緒についでにできてしまう商品について、独禁法上、通常の商品とは異なる評価をすべき点があるでしょうか。

まず考えられるのは、このような連産品の場合、市場支配力を有する事業者が当該商品の供給量を意図的に減らして価格をつり上げることにより利益を増やすということが、通常は困難である、ということです。

つまり、ついでにできてしまうので、その商品の需要を睨みながら生産量を調整するということができないのです。

ただ、この議論には前提があって、まず、当該製品を廃棄するコストが高くて廃棄できない、ということが必要です。

同様に、保管コストも高い(あるいは、無視できない、という程度でも良いかも)ことが必要です。保管という行為は当期の供給量を減らして来期以降に回すということなので、廃棄と似たようなところがあります。

もし廃棄コストが充分に安いなら、キャベツが豊作で値崩れを防止するために畑で廃棄される例のように、連産品でも廃棄されるでしょう。

保管コストには、生鮮品の品質が時間とともに下がるというコストも含まれるでしょう。

以上のような考慮を踏まえ、連産品の廃棄コストまたは保管コストが無視できないほど高い場合には、生産量を減らすという典型的な市場支配力の行使ができない、ということになります。

とすると、通常の商品に比べれば、シェアがかなり高くなっても、競争の実質的制限は生じない、ということが言えそうです。

前述のガソリン流通報告書で、

「元売が、生産されたガソリンを自社の系列特約店等に対して販売しきれない場合があり、,このような系列特約店等に販売しきれないガソリン等を元売は商社等に販売している。」

とされているのも、ガソリンの生産量を調整する(市場支配力のある企業が行えば、価格の調整につながる)ことの難しさを物語っていると言えるでしょう。

ちなみに、連産品であるからといって、連産品相互が同一の商品市場に入るわけではありません。

それは、牛肉と牛革の例を見れば分かるでしょう。

石油製品の場合には、連産品がたまたま相互に競争圧力となっているということはあり得ますが、それは、連産品相互の機能・効用が偶然類似しているためであって、連産品であるからではありません。

2010年9月22日 (水)

優越的地位の濫用の位置付け

独禁法に馴染みのない人(つまり、世の中の大部分の人々)には案外知られていないことのようですが、優越的地位の濫用というのは、独禁法の中でも特殊な規制です。

「優越的地位の濫用みたいな規制が独禁法にあるのは日本だけだ」と断言する学者さんもいらっしゃいます。

(ただし、だからといって「優越的地位の濫用を独禁法から無くしてしまえ」というまでの意見は聞いたことはありません。)

「れっきとした条文が法律にあるのに特殊な規制とはどういうことか」といぶかる方もいらっしゃるかも知れませんので、少し説明したいと思います。

独禁法というのは、競争を保護するための法律です。

競争というのは、事業者が、より良い商品をより安くお客さんに提供することにより、お客さんを奪い合うことです。

ですので、競争者が結託して、「一緒に値段をつり上げましょう」と合意したりすると、カルテル(不当な取引制限)で独禁法違反になります。

また、メーカーが代理店に対して、「うちの商品だけを扱ってね」とお願いすることも、他のメーカーが流通網を開拓できないような市場でやると、他のメーカーがより良い商品をより安くお客さんに提供できない(競争できない)ことになり、排他条件付き取引(不公正な取引方法)で、独禁法違反となります。

では、優越的地位の濫用の場合はどうでしょうか。

優越的地位の濫用は、競争の保護とは関係がないと言われますが、確かにその通りなのです。

優越的地位の濫用は、一言で言えば、弱者保護(中小企業の保護)なのです。

より良い商品をよりやすく提供するのが競争です。

とすれば、小売店が商品をより安く売るために、より安く商品を仕入れようとするのは、本来当然のこと、ということになります。

なのに、余り安く仕入れようとすると、買い叩きなどといわれて、優越的地位濫用(あるいは、その特別法である下請法違反)ということになってしまいます。

より良い商品をより安く提供するためには、取引先との関係で、できるだけ有利な取引条件を引き出そうとするのは当然のことであって、むしろ競争の当然の前提というべきものです。

それを敢えて、弱者を保護してあげましょうというのが、優越的地位の濫用です。

このように、本来の競争保護とは関係がないのです。

むしろ、競争が激しくなりすぎるのにブレーキをかけるような側面があります。

労働法と対比してみましょう。

企業がより良い商品をより安く提供するには、できるだけ安い賃金で、できるだけ長時間、労働者を使えた方が良いわけです。しかも、不景気の時には簡単に解雇できた方が、より良い商品をより安く提供するには好都合なのです。

独禁法的な発想では、そのような過酷な労働条件を課す企業では誰も働きたがらないので、他のライバル企業に「雇い入れ競争」で負けてしまうので、自由競争に任せておけば足りる、ということになります。

しかし、現実の世の中はそんなに単純ではありません。

ただ自由競争に任せていたのでは、労働者の人権が侵害されることは、誰の目にも明らかです。

そこで労働法が、自由競争に介入して、労働者の権利を保護しているのです。

この意味で、労働法は、独禁法とは相対立する利益を保護しようとしていると言えます。

どちらの方が大事というものではありません。両方大事です。

しかし、労働法の場合は、労働者保護という考え方がはっきりしているし、独禁法とは別の法律なので、理屈が見えやすいです。

これに対して優越的地位の濫用は、独禁法の中に入ってしまっているために、一応競争の保護を目的としていると考えざるを得ないけれども、「独禁法vs労働法」のような、対立構造が見えにくいのです。

本来、優越的地位の濫用は、独禁法とは別に、「中小企業保護法」みたいなものをつくって規制するのが、分かりやすさという意味では優れているといえます。

一部には、優越的地位濫用によって取引先から搾取した企業は他の競争者に対して競争上有利な立場に立つから、競争を歪めてしまい、競争法上も問題なのだ、という意見もありますが、かなりのこじつけです。

この考えだと、みんなが優越的地位濫用を行えば、競争はゆがまず、独禁法上は問題なしとなりかねません。

多くの見解は、より良い商品をより安く提供する営み(=競争)は、事業者の自由な意思決定に基づき行われるべきもので、優越的地位により事業者の意思決定を抑圧するというのは競争の根幹を揺るがすものだ、というものです(「競争の基盤を保護すべきだ」といわれたりします)。

しかし、これを文字通り捉えると、自由な意思決定が抑圧される程度に至ってはじめて優越的地位濫用になるはずですが、実際の事案から受ける印象では、「お得意さんだし、仕方ないかぁ・・・」という程度の、「しぶしぶ応じた」という程度でも、優越的地位濫用とされている感じがします。

つまり、競争基盤の保護とか言いながら、実際には、取引から生じる余剰の分配を、当事者の合意に代わって独禁法が行っているように思え、これはまさに中小企業保護そのものだ、という印象を受けるのです。

少なくとも、骨太な方針が見えないために、いくら細かく分析しても統一的なルールが導き出せないようなところがあります。

このように、良いか悪いかは別にして、優越的地位の濫用は独禁法の中では特殊な位置付けだと言わざるを得ません。

ただ、少し話題は飛びますが、優越的地位濫用が独禁法の中にあるのは、メリットもあるような気がします。

つまり、そのおかげで、優越的地位濫用を執行するのが、競争を所管する公正取引委員会であるために、自ずと、競争という観点が入ってくると思うのです。

これがもし、中小企業庁だけが所管する法律に優越的地位濫用が入っていたら、競争保護や資源の効率的分配に配慮せず、中小企業保護に偏りすぎてしまう可能性があるように思われるのです。

景表法は消費者庁に持って行かれてしまいましたが、優越的地位濫用はぜひ、適正な執行を通じて国民の理解を得ることにより、中小企業庁に持って行かれないようにして頂きたいものです。

(もし優越的地位濫用が独禁法典とは別の法律の中にあったら、景表法のように、簡単に他の省庁に持って行かれるかもしれません。一つの法典に書き込むかどうかは、こういった、省庁間の権限分配にも影響を与えると言えそうです。)

2010年9月17日 (金)

優越的地位濫用と特殊指定との関係(再論)

平成21年改正で、大規模小売業告示のような特殊指定と優越的地位濫用(独禁法2条9項5号)の関係がどうなるのかについて、このブログでも何度か書きましたが、今改めて考え方を整理してみます。

以下、話が具体的な方が分かり易いので、大規模小売業告示を念頭に置きつつお読み下さい。

改正後の特殊指定は、独禁法2条9項6号に基づいて公取委が指定するものという位置付けです。

そして、2条9項6号では、

「前各号に掲げるもののほか」

とされています。

つまり、2条9項6号により公取委が指定できるのは、2条9項1号~5号に掲げる行為に該当しないものに限られます。

もし、2条9項1号~5号に該当する行為(最も問題になるのは優越的地位濫用の5号)を特殊指定として指定した場合、その指定は2条9項6号の授権の範囲を超えて無効、ということにならざるを得ないと思われます。

あるいは、特殊指定の解釈として、2条9項1号~5号に該当する行為は特殊指定で指定されていないと縮小解釈する、ということにならざるを得ないと思われます。

つまり、大規模小売業告示は、法律上の優越的地位濫用(独禁法2条9項5号)に該当しない部分だけが効力を有する、ということになります。

この点、公取委の優越的地位ガイドライン案の(注2)では、

「独占禁止法第2条第9項第5号に該当する優越的地位の濫用に対しては,同号の規定だけを適用すれば足りるので,当該行為に独占禁止法第2条第9項第6号の規定により指定する優越的地位の濫用の規定が適用されることはない」

とされていますが、これだと、5号の優越的地位濫用と特殊指定は、論理的には重畳的に適用され得るけれど、両方に該当する場合には5号だけを適用すれば足りるといっているように読めますが、厳密に言うと、これは不正確です。

正確には、5号に該当する優越的地位濫用は、6号に基づく特殊指定に該当することは論理的にあり得ないのであって、5号に該当する行為はそもそも特殊指定には該当しない、特殊指定を適用することは論理的に不可能である、というべきです。

条文解釈としては、これ以外に解釈のしようは無いように思われます。

とすると、平成21年改正後の特殊指定には、どのような意味があるのでしょうか。

結論としては、99.9%、特殊指定は無意味になった、といわざるを得ないような気がします。

残りの0.1%は、5号の優越的地位濫用には該当しないけれども特殊指定には該当する、という行為ですが、実際にはなかなかイメージしにくいですね。

というのは、例えば大規模小売業告示の違反類型を見ると、優越的地位濫用を具体化するような書きぶりであり、これを広げるものでは無いように思われるからです。

もう少し細かく見ると、2条9項5号は、ざっくりまとめれば、

イ 購入強制(押し付け販売)

ロ 金銭・役務等提供強制

ハ 受領拒否、不当返品、支払遅延、不当減額、その他

で、注目すべきは、最後の「その他」(条文では、「その他取引の相手方に不利益となるように取引の条件を設定し、若しくは変更し、又は取引を実施すること」)です。

この「その他」にも該当しないような行為を特殊指定の中に見つけるのは、かなり困難に思われます。

現状の特殊指定は、一般論である優越的地位濫用を具体化したものであるにもかかわらず、そもそも一般論の優越的地位濫用に該当するものは除外される、ということになってしまっています。

その論理的帰結として、公取委が特殊指定を根拠に違法とする場合には、「5号に該当するのだから特殊指定には該当しない」という違反者の反論を許さざるを得ないように思われます。

というより、特殊指定に該当する行為のほとんどが優越的地位の濫用にも該当しそうなことは一見して明らかですから、むしろ公取委の側が、優越的地位濫用には該当しないことの立証責任を事実上負うことになり、むしろ特殊指定は非常に使い勝手の悪いものになったといわざるを得ないように思われます(改正前は、特殊指定はとても使い勝手が良かったはずなのですが)。

そうすると、「優越的地位の濫用でも行けそうだけど、一部立証に不安があるから、大規模小売店特殊指定で行くか。」というふうに特殊指定を使うこともできなくなります。

なぜなら、優越的地位濫用は要件が曖昧なのでその存在を立証することが容易でないことがあり得ますが、それと同じくらい、優越的地位濫用の不存在を立証することも容易でないのではないか、と思われるからです。

このように、現在の特殊指定は、体系的にも実務的にも、非常に据わりの悪いものになっていると言わざるを得ません。

要件の明確性による執行の容易さ、認定の容易さ、という特殊指定のメリットを生かすのであれば、2条9項6号に「前各号に掲げるもののほか」などという文言を入れず、1号~5号と重複するものも6号で指定できるようにしておくべきだったのです。

それを律儀に6号から除外したものですから、このような問題が生じてしまいました。

別に1号~5号と重複する行為を6号で指定する法律の建て付けにしても良かったのです。

重複指定を認めた上で、1号~5号のみ課徴金の対象とする、という行き方もあり得たはずです(それはそれで問題あるかも。ここは余り深く考えていません)。

恐らくそうすると、課徴金が裁量の余地のない処分であることとの整合性が問題になったので、1号~5号と6号を切り分けたのだと想像されますが、その結果、特殊指定は実務上ほとんど意味のないものになってしまった、といわざるを得ません。

また、そもそも論を言えば、平成21年改正で一般指定を法律上の不公正な取引方法から切り分ける形で改正したように、特殊指定も、法律上の優越的地位濫用から切り分ける改正をすべきだったのではないでしょうか(そうすると、特殊指定が99.9%意味のないものとなることがよりはっきりしてしまったかも知れませんが・・・)。

2010年9月16日 (木)

【閑話休題】Honesty is the best policy.

先日、いつも通勤時にアイポッドで聴いている「Wallstreet Journal This Morning」というポッドキャスト番組(←これ、英語の勉強にお勧めです。こういうのが無料で聴けるなんて、良い時代になったものです)で、14歳の少年がジュニアのゴルフトーナメントに優勝した後に、規定よりも1本多いクラブがバッグに入っていたことに気付いて、正直に申告して金メダルを辞退した、という話題を取り上げていました。

男性アナウンサーが、

「14歳か。大統領に立候補するにはあと10何年かかるな。でもこの国が求めているのはこういうリーダーシップだ。よくやった、少年!」

といったコメントをしていて、「やっぱりアメリカ人はしゃれたこと言うなぁ」思うとともに、どうして日本のニュースではしょうもない話題や暗い話題が多いのだろう、と少し暗くなっていました。

と、思ったところに、今日、

「『ひもほどけた』勇気ある申告、ギネス申請せず」

という記事が、読売新聞のサイトに出ていました。

滋賀県の小学校で「270人271脚」で50メートル歩くのに成功したのでギネスブックに世界記録として申請する予定にしていたのが、1人の生徒から、足首のひもがほどけていたと申告があったため、ギネス申請を取りやめた、という内容です。

この生徒さん、本当に偉いと思います。

やっぱり正直が一番です。

「270人271脚成功」の記事は、少し前にネットで紹介されていたので、終わった直後はこの生徒さんもすぐには言えなかったんでしょうね。

きっと大いに悩んだんだと想像します。

こういう勇気を大いに称えたいと思います。

また、こういう話題が日本でも取り上げられるんだなぁと、ちょっと嬉しくなりました。

今回のタイトルは、ポッドキャストの女性アナウンサーが言っていた言葉ですが、私の尊敬する先輩弁護士も、困った問題に直面したときには、

「Honesty is the best policy よねぇ~」

と言っていました。

私も同感です。これからも、正直に仕事をしていこうと思います。

2010年9月15日 (水)

独禁法における価格競争の重要性

独禁法においては、価格競争が特に重要であるといわれます。

例えば、

価格を決めることは事業者の基本的な権利なのだから、再販売価格維持は違法性が強いと考えられる、

とか、

価格競争は重要なので不当廉売を過剰に規制するのはよくない、

というように使われます。

価格競争が品質などによる競争に比べて重要だというのは、直感に適っていますし、一般論としては正しいと私も思うのですが、なぜ価格競争が重要なのかは、少し突っ込んで考えておく価値があると思います。

そうすることによって、価格競争至上主義の疑問点も浮かぶかも知れませんし、商品の性質によって価格競争が特に重要なものとそうでないものの違いが見えてくるかも知れません。

では、なぜ価格競争が重要なのか、といえば、究極的には、価格は安いほどよい、という、極めて分かりやすい性質を持った競争変数だから、ということではないか、と思います。

品質の場合には、例えば牛丼を例に取ると、Aさんは吉野家の味が好きだけれど、Bさんはすき家の方が好き、ということがあります。

どういう品質が需要者にとって最も望ましいのかは、需要者次第です。いわゆる差別化です。

さらに言えば、同じAさんでも、気分次第では吉野家の方が食べたいけれど、たまにはすき家を食べたくなることもある、ということもあるかも知れませんし、どっちの味が好きかと言われても即答できないこともあり得ると思います。

人間、品質については合理的な選好を有するとは限らない、ということでしょう。

(もちろん、品質にも、例えばパソコンの処理速度のような、(消費電力などとのトレード・オフを考えなければ)速ければ速いほどよい、という品質もありますが。)

これに対して価格というのは、差別化のしようがありません。誰だって、同じものなら安い方が良いに決まってます。

(ただし、あんまり安いと品質に問題があるのではないかと疑われる、という問題はひとまず置いておきます。)

価格は分かりやすい競争変数であるということと多分関係しますが、やはり、値段が安いということは、とくに一般の消費者にとって強烈にアピールすることが多いのだと思います。

価格というのは、要するに、財の交換手段である貨幣との交換比率を意味するのであり、ある商品Aと、その他のあらゆる商品・サービスとの相対的な価値が、価格によって明らかになってしまうのです。

これに対して、品質というのは、代替品どうしですら客観的にどっちがいいのか比較するのは難しく(吉野家vsすき家、とか、コカ・コーラvsペプシ)、まして代替品でない場合(吉野家vsペプシ??)には、比較するのが大変です。

また、価格は品質に比べて、変えるのが簡単です(特に価格を下げる場合)。

コカ・コーラの味を変えるのは大変ですが(余談ですが、マルコルム・グラッドウェルの「第1感『最初の2秒』の『なんとなく』が正しい」(原題「Blink」)に、コカ・コーラが味を変えて大失敗した話が書いてあって面白かったです)、値段を変えるのは、社長が決断すれば簡単です。

そういったことも、価格が重要な競争手段であるとされる理由なのでしょう。

さらに、価格は競争者間でも比較しやすいだけに、価格で協調するのは比較的容易なので、独禁法上は逆に注意してみないといけない、ということがあるかもしれません(品質の暗黙の協調なんて、相当難しそうです)。

あと、商売人の道徳として、品質は、こちらがお客様に差し上げるものであるのに対して、価格は、こちらがお客様から頂くものである、というのも、何か影響しているかも知れません。

・・・と、思いつくままに書いてみましたが、価格競争が重要であることには合理的な理由があるはずであり、盲目的に価格競争を重視するのはいかがなものかと思います。

例えば、「価格決定権は事業者の重要な権利なのだから最高再販売価格維持も最低再販売価格維持と同様に違法性が強いのだ」などという見解を聞くと、「何も考えてないな、この人」と思ってしまいます。

もし価格設定が事業者の基本的な権利だというなら、だれにいくらで売ったって構わないはずで、差別対価を違法とするのは価格設定権の侵害だ、なんて言う議論になりはしないでしょうか。

垂直的制限についても、再販売価格維持よりもむしろテリトリー制のほうが、テリトリー内では同じブランドについて競争が無くなってしまうのでより競争制限的だ、という議論もありますし。

だんだんまとまりが無くなってきました(笑)。時間をかけて整理したいと思います。

2010年9月11日 (土)

損益共通契約(16条1項5号)の留意点

独禁法の企業結合の規定の中で見過ごされがちなものの1つに、損益共通契約があります(独禁法16条1項5号)。

損益共通契約というのは便宜上簡略化した言い方で、条文上は、

「他の会社と事業上の損益全部を共通にする契約」

とされています。

ただ、具体的にどのようなものがこれに該当するのかは、分かったような分からないようなところがあります。

企業結合ガイドラインでは、やや言葉を足して、

「2社以上の会社間において、一定の期間内の事業上の損益全部を共通にすることを約定する契約」

と説明されています。

注釈独占禁止法p325では、

「各会社は、あらかじめ約定した一定率に従って利益を取得し損益(ママ)を負担する。」

と説明されています(なお、「損益」となっているのは、「損失」という趣旨でしょう)。

さらに、鵜瀞編「新しい合併・株式保有規制の解説」(別冊商事法務209号p10)では、

「『営業上の損益全部の共通契約』は、営業の全部の損益全部を共通にする契約、営業の一部の損益全部を共通にする契約の双方を含むが、損益の一部しか共通にしない契約は含まない。」

とされています(なお、「営業」とあるのは、現行法では「事業」と同じ意味です)。

例えば、A社のa事業とB社のb事業で、「営業の全部の損益全部を共通にする契約」を締結するとします。

分配率はA社とB社で50:50と決めていたとします。

そこで、ある年にa事業では10億円の純利益が出て、b事業では4億円の純損失が出たとします。

その場合には、a事業とb事業の純利益差し引き合計6億円を50:50でA社とB社に分配する結果、A社は3億円、B社も3億円を得る、ということになるのでしょう。

日々の収入と支出から共通化(共通の口座に資金をプールして決済するなど)してもいいですし、年度末に差額を精算するのでも構わないでしょう。

「一定期間」は1年には限らないので、数年単位とか、鉱脈が尽きるまで、とかいうのでも良いでしょう。

「営業の一部の損益全部を共通にする契約」というのは、ちょっとイメージが沸きませんが、例えばa事業とb事業が共に製造から販売まで行っている場合に、製造部門だけの損益を共通にして、販売部門の損益は共通化しない、というようなパターンでしょうか。

このような場合を想定すると、営業の一部の損益を共通にする場合には、当該「営業の一部」の「損益」が計算できるような内部的な会計をする必要がありますが、それは可能なのでしょう。

ただ、もし「営業の一部」の損益全部を共通にする契約がこのようなものを想定しているとすると、a事業の製造部門とb事業の製造部門を一体として運営するような場合でないとビジネス上の合理性が無いでしょうから、実際には、損益を共通化された「営業の一部」は一体的に運営されることが多いのでしょう。

以上に対して、損益の一部しか共通化しない契約は文言上含まれないので、例えば、共同購入により調達費用だけを共通化するような場合は含まれないと解されます。

その他16条1項について留意点を記しておくと、5号(事業上の損益全部を共通にする契約の締結)だけ、契約の締結自体で16条1項違反になり得ることが明らかです。

つまり、共同で事業を実際に運営する必要もなければ、年度末に損益の差額を精算することも必要ではありません。

もちろんその前提として、競争の実質的制限が生じることが必要なのですが(16条1項柱書き)、不当な取引制限でも合意だけで競争の実質的制限が生じることがあり得るとするのが判例なので、損益全部の共通契約でも契約締結だけで違反になる可能性は否定できないでしょう。

これに対して、1号は「事業・・・の譲受け」、2号は「固定資産・・・の譲受け」と、譲り受けたことが違反要件なので、譲渡契約の締結だけでは違反にはならないと解されます。

「譲受け」という用語は16条2項の届出規定でも使われていますが、届出規定では「譲受け」は契約の締結の意味ではなくて実際に譲り受けることであることは明らかなので、16条1項も同様に解すべきでしょう。

若干微妙なのは3号と4号です。3号は「事業・・・の賃借」、4号は「事業・・・の経営の受任」となっており、それぞれ賃貸借契約の締結、委任契約の締結と読むことも不可能ではなさそうですが、やはり5号に「契約の締結」とはっきり書いてあることとの対比からいって、はっきりとは書いていない3号と4号については契約締結では足りず、実際に賃借し、あるいは受任すること、平たく言えば、事業の運営を実際に開始することが必要と考えるべきでしょう。

最後に、1号の事業譲受けと2号の固定資産の譲受けについては、一定の要件を満たせば事前届出が必要になる場合がありますが(16条2項)、3号~5号には届出義務はありません。

実体法上の違反と手続上の届出義務がずれている、珍しい例です。

2010年9月10日 (金)

「警告」と「注意」の違い

独禁法や景表法に触れるような事案で正式な法的処分(独禁法では、排除措置命令。景表法では、排除命令)にまで至らないときに、「警告」や「注意」といった処分がなされることがあります。

それでは、「警告」と「注意」は、どのような点が異なるのでしょうか。

平成21年度の公取委年次報告p26では(毎年同じ内容ですが)、

「また、法的措置を採るに足る証拠が得られなかった場合であっても、違反の疑いがあるときは、関係事業者等に対して警告を行い、是正措置を採るよう指導している。

さらに、違反行為の存在を疑うに足る証拠は得られなかったが、違反につながるおそれのある行為がみられた場合には、未然防止を図る観点から注意を行っている。」

と説明されています。

敢えて要約すると、

①警告は、違反を認定するには証拠不充分だが違反の疑いがある場合、

②注意は、違反の存在を疑う証拠すら無いが、違反につながるおそれがある場合、

になされる、ということになります。

警告になるか注意にとどまるかは程度問題とはいえますが、実際に注意された例などを聞くと、違反で立件するには相当無理があるなぁと思われるようなものもある印象です。

また警告は全件公表されます(独禁白書にも載ります)。

これに対して注意は、

「競争政策上公表することが望ましいと考えられる事案であり、かつ、関係事業者から公表する旨の了解を得た場合又は違反被疑の対象となった事業者が公表を望む場合」

には公表しているそうです(平成21年度独占禁止白書p26)。

ですが、当事者が公表に同意して注意が公取委から公表されるか否かにかかわらず、あるいは公表される前に、新聞に載ってしまう可能性は否定できないところです。

あと、警告は文書で行われますが(審査規則31条1項)、注意は口頭で行われます。

注意は口頭なので、公取委から法務部などに電話がかかってきて、「今から注意をします」という感じで、注意の内容が読み上げられます。

注意を受けた企業は記録に残す必要があるでしょうから、口頭で読み上げられる内容を聞き取って書き留める必要があります。

一度で聞き取れなければ、もう一度言ってもらえます。

あくまで注意は口頭、つまり音声でなされるものなので、「その○○は、漢字ですか、平仮名ですか」と聞いても、

「口頭なので漢字も平仮名もありません。」

と、冷たく言われるかも知れません(半分冗談です)。

2010年9月 9日 (木)

公取委「情報公開法に基づく処分に係る基準について」

公取委が、「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」(以下「情報公開法」)に基づく情報公開請求に対してどのように対応するかを定めた基準(根拠は行政手続法5条1項)として、

情報公開法に基づく処分に係る基準について」(平成13年4月1日)

というものがあります。

いくつか気が付いた点を記しておきます。

独禁法、下請法に関する相談者、事件についての申告者等の氏名等は、情報公開法5条1号(個人に関する情報)により、不開示情報にあたる可能性があるとされています(基準p6)。

これにより、下請いじめにあった下請業者の社長が個人名で申告しても、情報公開の対象にはならないことになります。

法人や個人事業者の情報(情報公開法5条2号)についても、同様の情報が不開示情報にあたる可能性があるとされています(基準p9)。

文言上はあくまで不開示文書に該当する「可能性」ですが、これらの情報が公開されることはまずあり得ないと思われます。

法人の不開示情報のうち、情報公開法5条2号ロ(公取委の要請で非公開条件付きで任意に提供した情報)の不開示情報の例として、

「独占禁止法等に関する事業者等からの相談、事件についての申告等に関する情報であって、事業者等から公にしないことを条件として任意に提出をうけたもの」

というのがあります(基準p9)。

注意すべきなのは、ここでいう「条件」については、

「条件を設ける方法としては、黙示的なものも含まれる。」

とされていることです(基準p8)。

ただ、私人間では阿吽の呼吸で黙示的な合意がなされることはしばしばだと思いますが、役所というのは何でも書面に残したがるものであるという経験則(?)からすれば、仮にも公取委という役所が、口頭の合意すらなく、「黙示的」にそのような合意をするというのは、ちょっと考えにくいような気がします。

少なくとも、「黙示の合意」を幅広く認めるような解釈は、慎むべきと思われます。

ですので、公取委から要請を受けて取引先の違反事実を申告しようとする会社は、口頭ででも良いので、「公にはしません」という約束を公取委から取り付けておくのが望ましいと思います。

あるいは、公取委からの情報提供要請文書に、「提供して頂いた情報の秘密は厳守いたします」とでも書いてあれば、明示的に、非開示の条件が付されているということができます。

なお、情報公開法5条2号ロ(公取委の要請で非公開条件付きで任意に提供した情報)の非開示情報に該当しなくても直ちに公開されるわけではなく、同法5条2号イ(正当な利益を害するおそれ)の不開示情報に該当して非公開となる、ということもあり得ます。

この例に限らず、情報公開法5条各号の不開示情報は、各号が相互に排他的であるわけではないので、ある号に該当しなくても別の号に該当するから非開示、ということは、いくらでも起こりえます。

ですので、情報を提供する側としては、一つでも多くの号の不開示情報に該当するような工夫をしておく方が安心、ということになります。

検査等の事務について正確な事実の把握を困難にするおそれ等がある場合(情報公開法5条6号イ)については、

「これらの事務に関する情報の中には、例えば、監査等の対象、実施時期、調査事項等の詳細な情報等のように、事前に公にすると、適正かつ公正な評価又は判断の前提となる事実の把握が困難となるもの、行政客体における法令違反行為又は法令違反に至らないまでも妥当性を欠く行為を助長し、又はこれらの行為を巧妙に行うことにより隠ぺいをすることを容易にするおそれがあるものがあり、このような情報は、不開示とする。また、検査等の終了後であっても、例えば、違反事例等の詳細を公にすることにより、他の行政客体に法規制を免れる方法を示唆することになるものは、法第5条第6号イに該当する。」

とされています(基準p13)。

この書き振りからすると、審査中の案件についても、事実の把握が困難になるとか、法令違反を助長するとか、隠蔽が容易になるとかいった事情がない限りは、公開の対象になるようです(情報公開法5条6号イにそのように書いてありますから当然ですが)。

逆に、公開されてしまうと将来類似の案件で関係者の協力を得られなくなって困る、というような場合は、情報公開法5条6号イの不開示情報にはあたらないと思われます。

そのような場合は、非公開とする条件を付ければ情報公開法5条2号ロで不開示情報となるので、実際上も不都合はないのでしょう。

まして、公取委が情報提供を受ける際に、「この情報は公開されることがありますよ」と提供者に告げて提供を受けた場合には、なおさら情報公開法5条6号イの不開示情報には該当しないであろうと思われます。

ただ、情報公開法5条6号のイ~ホはあくまで例示であり、「その他当該事務又は事業の性質上、当該事務又は事業の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるもの」(情報公開法5条6号柱書き)は不開示となります。

基準p14では、違反被疑事件の審査活動で作成・取得される調書等が情報公開法5条6号の不開示文書に該当する可能性のある例として挙げられています。

ただ、これらの調書等がなぜ情報公開法5条6号の不開示文書に該当するのかの理屈は、今ひとつよく分かりません。

法律の条文上は、事務(審査等)の「適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるもの」(情報公開法5条6号)に該当するから、という理由しかあり得ませんが、例えばカルテルの審査で集めた証拠であっても、支障が及ぶものと及ばないものがあるはずです。

その際、「公開してしまうと将来類似の事案で関係者の協力を得にくくなるから」という理由で一律に非公開とすることは、前述のようにそのような懸念は非公開の条件を付ければ回避できることからすれば(情報公開法5条2号ロ)、審査中であるからという理由だけで一律に開示を拒否するのは妥当ではないと思われます。

というわけで、公取委には、情報公開法の趣旨に照らして、実質的に、ケースバイケースで柔軟に対応して欲しいものです(もしかしたら、既にそうしているのかもしれませんが)。

2010年9月 8日 (水)

独禁法における「ベンチマーク」の取り方

独禁法の実務をする上で、「どのような状態を基準と考えるか」という、基準点の取り方の問題といいますか、ベンチマークといいますか、そういう問題が重要な場合が多いように感じています。

例えば、カルテルが行われていたことが発覚して、顧客から損害賠償請求がなされたような場合、通常の民法的な発想では、カルテルがあった場合と無かった場合の価格差を基準に損害額を算定するという、差額説の考え方が採られると思われます。

それ自体は正しいのですが、問題は、「カルテルがなかりせば成立したであろう価格」というのを、カルテル開始前またはカルテル終了後の価格と単純に考えて良いのか、ということです。

カルテルが終了した直後は、みんな気合いが入りすぎて(?)、競争状態における均衡価格よりも値段が下がりがちです。

場合によっては、コスト割れ覚悟で入札する業者もいるかも知れません。

そのような状態で成立した価格をベンチマークとして、本当によいのでしょうか。

そもそもカルテルで価格が維持されていたからこそ、収支トントンで何とか市場が成り立っていた、というような市場の場合、カルテルが無くなれば、中長期的には市場自体が成り立たなくなる(売買が成立しなくなる)、ということは、充分に考えられます。

もしそのような市場においてカルテルが無かったとしたら、需要者はそもそも取引をすることすらなかったはずで、そうすると、需要者には損害はなくて、むしろカルテルがあったからこそ多少値段は高くても商品を手に入れることはできた、という場合があり得るはずです。

(少し毛色の違う関連する例で、ミクロ経済学を勉強すると分かりますが、需要者の損害を需要者が得たであろう消費者余剰であると考えると、カルテルで値段が高かったために取引をしなかった限界的需要者にも損害があることになります。損害賠償請求ができる前提として、高い値段で「買った」ことを要求するのは、一つの法的フィクションといいますか、割り切りといえます。)

また別の例では、ある外国メーカーが、日本で代理店を任命する場合、日本全土で独占権を与えたり、地域ごとに独占権を与えたりすると、テリトリー制ということで、独禁法上の問題が生じ得ます。

この場合に、テリトリー制で独占権を与えるよりも、独占的でない代理店がたくさんあった方が、小売レベルでの競争が促進されるから、独占権は非競争的だという議論がありえますが、それは短絡的です。

代理店にしてみれば、売れるかどうかも分からない外国製品を販売するときには、最低限独占権がないとやってられない(そもそも代理店にならない)ということがあり得ます。

そうすると、外国メーカーが自分で販売するしか参入の方法がなくなるわけですが、もし外国メーカーがそのようなリスクを負いたくないと考えれば、参入は生じないことになります。

つまり、この場合のベンチマークは、

「小売段階で自由競争がなされている状態(=理想状態)」

ではなくて、

「独占権を与えることを独禁法で禁止したら生じる状態(=反事実的仮想状態)」

であるべきです。

そうすると、この例では、独占権を与えることを許したからこそ参入が生じた(より競争的になった)ということなので、独占権を独禁法上許容する方が、より競争促進的である、ということが言えると思います。

また別の例で、企業結合の場合に、例えば競合会社2社で製造合弁会社を作って販売は別に行う、ということがあります。

この場合、ベンチマークになるのは、製造合弁を作らずに別個に製造を続けた場合であると考えるのが自然だと思います。

つまり、別個に製造を続けた場合と比べて、より競争制限的か否か、を議論すべきです。

これを例えば、より競争制限的でない他のあらゆる提携方法と比べて競争制限的でないといけない、とするのは、理屈としておかしいと思います。

そうすると、企業は最も競争的な提携方法を取ることを独禁法によって強制されることになってしまいます。

別の文脈での似た例ですが、独禁法の解釈論として、企業に利益を最大化させるように命じるような解釈論が展開されることがあります。

しかし、これは法律の解釈としておかしいです。

確かに企業が利益を最大化しているとき(=限界収入と限界費用が等しいレベルで生産量を決定しているとき)が最も効率的であるとは言えます。

しかし、独禁法はあくまで法律である以上、そのような理想状態にならないと違法、というのは厳しすぎます。

あくまで、ベンチマークは、問題となっている行為が無かったとしたら生じたであろう競争状態であるべきはずです。

このように、何を基準にするのかによって、結論が大きく違ってくる、さらに言えば、何を基準にしたらいいのかが案外難しい、ということが、独禁法の世界ではよくあるように思うのです。

ベンチマークの状態(=反事実的仮想状態)をどう取るかが難しい理由はきっと、独禁法が、ダイナミックで、かつ、当事者間だけの利害調整にとどまらない「競争」というものを扱うからではないか、と思います。

これも一つの、独禁法の発想が他の法律と毛色が違う例ではないでしょうか。

2010年9月 7日 (火)

事業者団体によるCDの値引き販売(平成21年度相談事例集10)

公取委の平成21年度相談事例集の10番目の事例に、

「CD及びDVDの小売業者を会員とする団体が,不良在庫となっているCD等を会員から集め,バーゲンセールを実施することは,独占禁止法上問題となるものではないと回答した事例」

というのがあります。

詳しくは公取HPから相談事例集をご覧いただくとして、簡単に言うと、売れ残ったCDやDVDを、レコード屋さんの業界団体が、定価の3~5割引でバーゲンセールをするのがカルテルに当たらないのか、が問題になった事例です。

公取委の結論はカルテルにはあたらないということで、私もそれで良いと思うのですが、なぜカルテルにあたらないといって良いのかは、よく考えてみるべきだと思います。

本件では明らかに水平的な合意がありますから、カルテル(不当な取引制限)に該当するか否かの決め手は、競争が実質的に制限されるか否かです。

競争が実質的に制限される場合というのは、有名な東宝・新東宝事件東京高裁判決の定義では、

「競争自体が減少して、特定の事業者又は事業者団体がその意思で、ある程度自由に、価格、品質、数量、その他各般の条件を左右することによって、市場を支配することができる状態をもたらすこと」

とされています。

このような、「競争の実質的制限」の定義に照らせば、本件は、不当な取引制限には該当しないといって良さそうに見えます。

しかし、ちょっと気になるのは、「ではこの事業者団体によるバーゲンセールをやらなかったら、CDやDVDの値段はどうなるのか」ということです。

東京高裁の判例の「競争の実質的制限」の定義は、明らかに経済学上の市場支配力の定義を意識しています。

そこで、「ある程度自由に価格・・・を左右する」というのは、他の競争者の値段を気にすることなく、完全競争状態に比べて価格を上げる(単に値段を上げるだけではなく、値段を上げたことで利益も増やす)ことを意味しています。

そこで問題は、本件バーゲンセールをすることで、各レコード店が個別に販売した場合(つまり、より完全競争に近い状態)に比べて、値段が上がった可能性はないのか?ということです。

その可能性はあると思います。

なぜレコード店がこういうバーゲンセールに参加するのかを考えてみたら、自分の店に置いておくよりも高く売れる、あるいは早く売れる、あるいは少なくともそのような見通しがあるからでしょう。

中小のレコード店では、陳列スペースも限られていますから、早く売れて棚が空くということも大切なことです(棚に置いておくだけで、そのスペースの機会費用が失われるということです)。

自分の店に置いておくよりも安くしか売れないのであれば、普通は出品しないでしょう。

というわけで、各店が個別に競争している場合に比べて、本件バーゲンセールはより値段が高くなる可能性があると思われます。

それでも不当な取引制限に該当しないのはなぜか。

1つの理由は、需要者の探索費用を著しく削減できる、という意味での効率性が認められるからではないか、と思われます。

CDやDVDというのは、どんなCDやDVDでも良いというわけではなく、特定タイトルの指名買いが多いのではないか、と想像します。

「CD屋さんにケツメイシのCDを買いに行ったけど、無かったので代わりにクレイジーケンバンドのCDを買った」という人は、余りいないでしょう(いるかもしれませんが)。

それから、こういうバーゲンセールをやると、「そうかバーゲンか、ならちょっと掘り出し物がないか探しに行ってみよう」という人もいるかも知れません。

私なども、東京駅前のオアゾの丸善で本のセールをやってたりすると、つい覗いてしまうほうです。

つまり、こういうバーゲンセールでは、「バーゲンだし、とにかく行ってみるか」というお客さんを狙って、品揃えを充実させることも大事なのだと思います。

要するに、本件バーゲンセールでは、特定のタイトルが見つかりやすいという点(こちらはどちらかというとマイナーな理由か)と、「面白そうだし覗いてみるか」という需要喚起(?)をする点(こちらがメジャーな理由か)で、個々のレコード店では不可能な効率性の実現が可能である、というのが「競争の実質的制限」に該当しない、大きな理由なのではないかという気がします。

その結果、もしかしたら個々の店で売っている場合に比べてバーゲンでは結果的に高い値段が付くかも知れませんが、探す手間暇を考えたら、多少高くてもお客さんにとっては安上がり、ということになります(ちょっと経済学的に言えば、探索コストを含めた実効価格はむしろ下がる、ということかと思います)。

こういうのは、名目上値段が上がっても「競争の実質的制限」とはいわないでしょう。

以上のような配慮が、公取委の判断の背景にもあるのではないかと想像します。

ただ、こういうややこしい議論を公取委ですると身構えられてしまいそうなので、もし私がこの事例の相談を受任したとしても、事例集に書いてあるような、バーゲンの期間は短いとか、参加は任意であるとか、差別的でないとか、費用を公平に分担するとか言った、オーソドックスな議論を展開するのだと思います。

(実はCDやDVDの場合には、市場をどう画定するのかが結構悩ましいのですが(極端に言えば、「ケツノポリス4」で1つの市場か?)、今回の分析の本題ではないので端折らさせて頂きました。)

2010年9月 6日 (月)

アジレントによるバリアンの買収(分析機器)

平成22年6月9日付で公取委から、アジレント・テクノロジーズ・インク(Agilent Technologies, Inc.)によるバリアン・インク(Varian, Inc.)の株式取得に関するプレスリリースが出ています。

この件は、実体面は余り詳しいことが書かれていないのですが、手続的にはなかなか興味深いので、まず時系列で追ってみます。

2009年7月26日 株式取得の契約締結(日付は欧州委決定より)。

10月16日 豪ACCCへ届出(日付はACCCウェブサイトより)。

11月23日 欧州委員会に届出(日付は欧州委決定より)。

2010年1月1日 2009年改正独占禁止法施行(株式取得の事前届出化)

1月20日 欧州委員会が条件付きで承認。

1月22日 Agilentが公取委へ株式取得の届出。

(日付不明・2月中?) 公取委がAgilentに対して報告要請(独禁法10条9項)、詳細審査。

5月14日 米FTCが本件株式取得を条件付きで承認(FTCプレスリリースより)。

同日  株式取得実行。

5月20日まで 問題解消措置の事業譲渡実行。

6月9日 公取委プレスリリース。

以上をみると、事前相談はなされていないようです。

また、欧州委への届出は2009年にしているのに、日本では新法施行前であったため、届出が2010年になってしまっています。

日本の公取委の決定がいつなされたのか、プレスリリースからは明らかではありませんが、最終決定をするまえに株式取得を実行するというのは(法律上は可能ですが)やや考えにくいので、5月14日よりは前に決定していたのでしょう。

【2010年9月28日追記:「公正取引」719号p64の公取委担当官解説によると、調査が終了したの6月9日だったそうです。つまり、調査終了前に株式取得が実行されたことになります。なお、30日間の待機期間経過後であれば、調査中であっても株式取得を実行してかまわないことは、同担当官解説でも述べられているとおりです(p66)。】

さて、欧州委員会の決定に、

「On 26 July 2009, Agilent, Varian and Cobalt Acquisition Corp ('Cobalt') (a special purpose vehicle newly established by Agilent) entered into an Agreement and Plan of Merger whereby Cobalt will merge with and into Varian. As a result, Varian will, following the proposed transaction, exist as a wholly-owned subsidiary of Agilent.」

というくだりがあります。

要するに、

①アジレントが、コバルトという、合併のための特別目的会社をつくる、

②コバルトがバリアンに吸収合併される

③バリアンがアジレントの100%子会社として存続する

というスキームだったようです。

詳しいスキームは当事者の開示資料等をみれば分かるのかも知れませんが調べるのも手間なので省略しますが(笑)、少なくとも、②で「吸収合併」があります。

ということは、株式取得の届出とは別に、吸収合併の届出(独禁法15条2項)が必要だったのではないでしょうか。

この点、外国の会社のmergerという場合には、日本の伝統的な合併よりも範囲が広い可能性があります。

このケースでも、いわゆる逆三角合併がなされた可能性があります。

つまり、

①コバルトが、(日本で言うところの)株式交換によってバリアンを100%子会社にする(株式交換の対価はアジレントの株式)

②バリアンを存続会社として、コバルトとバリアンが吸収合併する

ということです。

もし逆三角合併がなされたのであれば、②の吸収合併は100%親子間の合併なので、届出義務の対象になりません(独禁法15条2項但し書き)。

そうすると、結論としては、①の株式交換のところの、コバルトがバリアンの株式100%を取得する部分を、株式取得として届出させる、ということになりそうです。

(ちなみに、株式交換については旧法でも改正法でもそれ自体としては企業結合の届出の対象になっておらず、株式交換に必然的に伴う子会社(本件ではバリアン)株式の取得の部分を取り出して、株式取得として届出させることになります。)

では結局株式取得の届出がなされているのだからいいではないか、といえそうですが、そうとも言えません。

もし上述のように逆三角合併がなされたのであれば、①の株式交換に伴いバリアンの株式100%を取得したのはコバルトですので、届出義務者はコバルトになります(独禁法10条2項)。アジレントではありません。

ですが、公取委のプレスリリースでは、届出をしたのがコバルトであることを仄めかすような記述はありません。

むしろプレスリリースでは、「Agilentに対し、独禁法10条9項の規定に基づく報告等要請を行い・・・」と書かれているので、アジレントが届出者であったと思われます。

なぜなら、独禁法10条9項かっこ書きでは、

「公正取引委員会が株式取得会社に対して・・・報告・・を求めた場合においては、」

と、報告等を求められるのは株式取得会社に対してだけであるとされているからです。

ここまで書いて思いつきましたが、このように株式取得会社に対してしか報告を求められないのは不都合ではないかという気がします。本件でコバルトが株式取得者であったとしても、アジレントに報告を求めることができるように法改正すべきでしょう(親会社が子会社SPCへの報告要求を無視することもないので気にしなくてもよいのかもしれませんが)。

このように、とくに外国会社の場合には、誰が、何条に基づいて届け出なければならないのか、頭を悩ますことがあります。

プレスリリースでは、以上に検討したようなことが触れられておらず、単純な株式取得として処理されていますが、今後の参考のためにも、手続面についてどういう考えでどのように処理されたのか、どこかで説明して頂きたいと思います。

2010年9月 4日 (土)

平成21年度企業結合事例3(三井金属・住友金属・伸銅品事業)

平成21年度の企業結合相談事例集の事例3に、三井金属鉱業(「三井」)と住友金属鉱山(「住友」)の伸銅品(銅を伸ばして作る素材一般の名称)事業統合のケースがあります。

このケースで面白いのは、統合の対象になっている伸銅品事業ではなく、その原材料である電気銅地金の市場における競争制限が問題とされたことです。

登場する会社の関係がややこしいので詳しくは事例集を読んで頂くとして、簡単に言うと以下のとおりです。

- 三井が、その伸銅品事業を、住友の子会社である住友金属鉱山伸銅株式会社(以下「共同出資会社」といいます)に、吸収分割により統合する。

- 住友の電気銅地金のシェアは20%。

- 三井が34%の株式を保有するパンパシフィック・カッパー(株)(「PPC」)の電気銅地金のシェアは35%。

- 当事会社の伸銅品のシェアは、統合後のシェアがセーフハーバーに該当するためか、具体的に記載されていない(つまり、共同出資会社の伸銅品のシェアはあまり高くない)。

- 相談事例集には記載されていないが、当事会社のプレスリリースによると、本件統合後の共同出資会社に対する三井と住友の持株比率は、50:50。

以上のような事実関係において公取委は、本件伸銅品事業の統合により、三井と住友の間で電気銅地金について情報が共有されることにより、電気銅地金市場の競争が制限されるおそれがあると判断しました。

さて、この相談事例からどのようなことが言えるでしょうか。

まず、A商品(電気銅地金)とB商品(伸銅品)が密接な関係にあるときは、B商品について共同出資会社により間接的な結合関係が生じると、A商品市場での競争制限が問題になることがある、といえそうです。

ただ、A商品とB商品がまったく無関係な商品なら、その心配はなさそうです。

相談事例でも、

「電気銅については、電気銅が伸銅品にとって不可欠の原材料であること、及び、電気銅の約40%は伸銅品に使用され、電気銅メーカーにとって伸銅品メーカーは重要な顧客となっていることから、電気銅と伸銅品は密接に関連する商品であると認められる。」

とされています。

では、共同出資会社を通じての情報共有によるA商品市場での競争制限が問題になるときに、統合対象であるB商品のシェアは問題になるのでしょうか。

相談事例集ではB商品(伸銅品)のシェアが明示されていないことからすると、B商品のシェアは無関係と公取委は考えていると読むのが自然でしょう。

しかし、これは理屈として少々乱暴に思います。もしB商品のシェアが無関係というなら、なぜA商品とB商品が密接に関連する商品であることを要求するのか、よく分からなくなってしまいます(例えば、B商品のシェアがほとんとゼロの場合とか)。

やはり、B商品についてもある程度のシェアがあることを要求するべきではないでしょうか。

しかしこれにはまったく逆の議論もあり得て、そもそも当事会社がB商品(伸銅品)で間接的につながる以上、B商品とA商品が密接に関連している必要はない、という考え方です。

しかしこれもやはり乱暴で、単に(商品は何でも良いから)間接的につながっているのでA商品の情報が交換されるのではなくて(その可能性も否定できませんが)、A商品と密接に関連するB商品の統合だからこそ、A商品の情報が交換されやすくなるのだ、ということなのでしょう。

次に、共同出資会社に対する当事会社の持株比率は、情報交換のおそれと関係あるでしょうか。

常識的に考えると、大いに関係あるように思います。

本件で例えば住友の持分が99%で三井の持分が1%だとしたら、情報交換のおそれがあるとは言いにくいのではないでしょうか。

本件では前述のように持分比率は50:50なのですが、そのことが公取委の回答に触れられていない以上、持分比率は関係ないと公取委は判断していると読むのが論理的ですが、それはやはりおかしいでしょう。

公取委も、50:50だということは当然分かっていて、つい相談事例集に書きそびれただけだと考えておきましょう。

また本件で気になるのは、三井側の電気銅地金事業を営むPPCは、三井の子会社ではなく、三井のPPCに対する持分は34%に過ぎないことです。

34%に過ぎないのに、PPCの電気銅地金に関する情報が住友と共有される(しかも共同出資会社を通じて間接的に!)というのは、ちょっと乱暴ではないでしょうか。

確かに、企業結合ガイドラインでは、共同出資会社を通じての間接的な結合関係により情報共有が起こる危険性について述べられており、一般論としてはおかしいとも言いづらいところですが、三井の子会社でもないPPCと、三井のジョイント・ベンチャーの相手方の住友との間で情報交換が行われるというのは、一般論としては緩やかに過ぎるように思われます。

このように、本当に情報共有が生じるのか微妙な案件であるにもかかわらず、

「三井のPPCへの持分は34%に過ぎないけれど電気銅地金と伸銅品は密接に関係してるから」とか(合わせ技一本?)、

「共同出資会社の伸銅品のシェア(存在感)も無視できないから」とか、

「三井と住友の出資割合が50:50だから」とかいったような、

本来すべき丁寧な理屈の説明を端折っているように思われてなりません。

本事例は、見方によっては非常に適用範囲の広がるケースなので、どの辺りに限界があるのか分かるように、もう少し丁寧に事実認定を書くべきではなかったでしょうか。

ちなみに本件で当事者が申し出た情報遮断措置は、相談事例集に載るものとしてはかなり詳しくて興味深いですが、門外漢からみるとなぜそうなっているのかよく分からないところもあります。

まず、「秘密情報」の定義が、

「電気銅の研究、開発、製造、販売及びマーケティングに係る非公知の情報」

と、非公知=秘密というふうに、かなり広く定義されています。

ふつう秘密情報といえば、①非公知の事実であって、②当事者が秘密にすることを望み、③客観的にみても秘密にすることに合理的理由があると認められるもの、というふうに、限定的に考えるものだと思います(エポキシ樹脂秘密漏洩事件・東京地判昭和53.7.28)。

非公知の情報の中には、秘密にするつもりはないけれどたまたま公知になっていない雑多な情報も含まれるわけで、相談事例集の定義では、そのような情報まで「秘密情報」になってしまいそうです。

それから、情報遮断措置を採る義務を負うのが、三井と共同出資会社だけになっています(住友は負わない)。これは何らかの事情があったのでしょう。

また、「一方の会社のアクセス者〔=「秘密情報に接する必要性のある者」と定義〕のうち電気銅に係る秘密情報を知得した者は、他方に出向又は転籍させないこと」とされていますが、これを文字通りに読めば、秘密情報に接する必要性のない者が(情報遮断措置をかいくぐって?)秘密情報を知得した場合には、出向できることになりそうです。

それから最後に、本事例では、電気銅地金の当事者の合算シェアやHHIが計算されています。

そもそも統合対象でもない電気銅地金のHHIを計算して「セーフハーバー基準に該当しない」と言う表現を使うのも、ちょっと違和感の残るところではあります。

2010年9月 3日 (金)

インターネットと店舗の両方で受け付ける懸賞

小売業者が、インターネットで懸賞の申込ができる場合に、同じ懸賞の申込を店舗に懸賞申込用紙を置くなどして店舗でも行えるようにした場合、景表法の適用はあるでしょうか。

景表法が適用されると景品の額がかなり制限されるので問題となります。

景表法が適用されるためには、提供される物品が「景品類」(景表法2条3項)に該当するのか、とりわけ、「取引・・・に付随して」(取引付随性)に該当するのか否かが、分かれ目になります。

さて、インターネットを通じて行う懸賞については、公取委の平成13年4月26日付通知により、以下のようになっています。

「インターネット上のホームページは,誰に対しても開かれているというその特徴から,いわゆるオープン懸賞・・・の告知及び当該懸賞への応募の受付の手段として利用可能なものであり,既に広く利用されてきている。

また,消費者はホームページ内のサイト間を自由に移動することができることから,懸賞サイトが商取引サイト上にあったり,商取引サイトを見なければ懸賞サイトを見ることができないようなホームページの構造であったとしても,懸賞に応募しようとする者が商品やサービスを購入することに直ちにつながるものではない。

したがって,ホームページ上で実施される懸賞企画は,当該ホームページの構造が上記のようなものであったとしても,取引に付随する経済上の利益の提供に該当せず,景品表示法に基づく規制の対象とはならない(いわゆるオープン懸賞として取り扱われる。)・・・。」

つまり、インターネットで申し込む懸賞は、取引付随性が無いので、懸賞の賞品は「景品類」に当たらない、なので景表法は適用されない、ということです。

問題は、インターネットでも申し込めるし、店舗でも申し込める(申込書を置いたりして)、という場合です。

似たパターンとして、インターネットでも告知するし、懸賞の告知を商品のパッケージにも印刷する、というのもあります。

取引付随性の意味については、昭和52年4月1日の公取委事務局長通達の「景品類等の指定の告示の運用基準について」というのがあり、そこでは、

「小売業者又はサービス業者が、自己の店舗への入店者に対し経済上の利益を提供する場合」

は、取引付随性ありとされています。

(なお、「小売業者又はサービス業者が」というのが1つの大きなポイントで、もしメーカーが景品類を提供する場合には、当該小売業者の資本の過半が当該メーカーであるとか、当該小売店の大半の商品が当該メーカーのものであるといった例外的な場合でない限り、応募用紙や応募箱が店舗に置かれているだけでは当該メーカーの商品を購入する意思に結び付く可能性が高まるとは考えられないので、取引付随性はない、と考えられています。片桐『景品表示法』p167

なので以下でも、小売業者またはサービス業者が店舗の入店者に経済上の利益を提供することが前提です。)

ですので、店舗に入店しないと賞品を受け取れない場合には、「景品類」に該当することになり、ひいては、店舗に入店しないと申し込めない場合にも、「景品類」に該当することになります。

さらに同運用基準4(2)では、

「取引に付随しない提供方法を併用していても同様である〔=取引付随性ありとなる〕。」

とされています。

ですので、この運用基準に従う限り、インターネットで申し込む懸賞は取引付随性なしとなるものの、取引付随性のある方法と併用する場合には、全体として、取引付随性ありとされることになります。

しかし、インターネットでの懸賞の場合にこれをそのまま適用すると、どうも厳しすぎるような気がします。

確かに、商品の包装に企画を告知するような場合(運用基準4(2)ア)だと、それだけでかなりのインパクトがありますので、インターネットでの申込(=取引付随性なし)と併用しても、取引付随性が全体として認められるのも、やむを得ない気がします。

しかし、例えば小売店が、1つの店舗に懸賞申込用紙を1枚こっそり置いておくだけで、インターネット申込分も含めて全体として取引付随性ありとするのは、なんだか納得がいきません。

例えば小売店が、店舗では企画を告知するだけ(申込は受け付けない)で、告知の内容は、「当社インターネットサイトから申し込んで下さい」というだけでも、取引付随性ありとなるのでしょうか。

懸賞を企画する企業としては、できるだけ多くの人に企画の存在を知って欲しいでしょうから、インターネットという媒体が企画を知らせるのに優れた媒体であるとしても、さらに、新聞でも告知したくなるでしょう。それに加えて店舗で告知するだけで、突如取引付随性が生じるというのもおかしな気がします。

運用基準では、「入店者」に経済上の利益を提供する場合には取引付随性ありとなっていますが、店頭で告知する場合も、例えば告知のポスターが店舗に入店して初めて目に触れる場合には「入店者」(の中で懸賞に当選した人)に賞品を提供することになりそうです。

これに対して、店の外にポスターを貼り出した場合には、店の前を通り過ぎただけの人も懸賞に応募することがあるはずで、店に賞品を取りに来なければならないとかいった事情でもない限り、「入店者」に経済上の利益を提供していることにはならないような気がします(「入店」したかどうかで区別するのは形式的すぎて、余り説得力のある議論ではないと思いますが)。

そもそも運用基準はたんなる通達であって法的拘束力は無いので、取引付随性の有無はもっぱら景表法の解釈によって判断されるべきです。

そう考えると、運用基準のように、取引付随性がある方法と無い方法を併用した場合には一律取引付随性ありと考えるのは、法律の解釈として少し厳しすぎるような気がします。

例えば、応募方法に主従の有意な区別があって、主たる応募方法に取引付随性が無い場合(インターネットサイトを通じての申込)には、従たる応募方法(店舗での応募受付)に取引付随性があっても、全体として取引付随性なしという解釈が取れないものでしょうか。

例えば、インターネットでの申込と1店舗の申込用紙での申込を併用する場合のように、圧倒的に取引付随性のない申込の方が多いと見込まれるような場合には、もう少し柔軟に考えられないものでしょうか。

インターネットの場合には各ページを自由に行き来できるから取引付随性なしとされることとのバランスから考えても、店舗に申込用紙を置いただけで全体として取引付随性ありとなるのは、バランスが悪いように感じます。

景表法の管轄が公取委から消費者庁に移ったことですし、消費者庁のみなさんには、ぜひ運用基準の見直しを検討して頂きたいと思います。

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