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2010年7月 2日 (金)

経済的な利益の意味

大学生の頃、教養部で経済学を勉強していたときに、「完全競争下では企業の利益はゼロになる」という話を聞いて、競争とは恐ろしいものだと衝撃を受けた記憶があります。

「どんなにがんばっても利益が出ないなんて、誰も働く気が起きないじゃないか」、「それでどうやって経済が回っていくの?」という疑問が沸いたのを覚えています。

その後、これは誤解であることが分かりました。

つまり、経済学でいうところの費用には、機会費用(財を他の次善の用途に用いたら得られたであろう利益)も含まれるので、「利益がゼロ」といっても、機会費用分の利益は得られる、ということです。

投資に見合った適切な利益は得られる、と言い換えても良いかも知れません。

学生の当時も「経済学上の費用と会計上の費用は違う」と聞いたような気はするのですが、ピンと来ませんでした。

独禁法経済学の世界でも、独占者は超過利潤を得るというように言ったりしますが、「超過」というのは何を「超過」しているのかというと、機会費用分の利益も含んだ、経済学上の利潤を超過している、ということです。

しかし、このような経済学上の費用概念(利益概念)をそのもま独禁法の解釈に持ち込むべきという考え方は、あまり聞いたことがありません。

例えばコスト割れ廉売です。

コスト割れ廉売の費用基準は平均総費用か、平均変動費か、平均回避可能費用か、限界費用か、という議論は活発になされていますが、そもそも「費用」に機会費用を含めるべきか否かという議論は聞いたことがありません。

というよりも、機会費用は含まれない(=経済学上の費用概念ではなく、会計上の費用概念を使う)ことが当然の前提にされているように思われます。

例えば、排除型私的独占ガイドラインにも、機会費用についての言及は特にありません。

なぜコスト割れ販売の費用基準の「費用」に機会費用(≒適切な利益)が含まれないことを前提に議論がなされているのか、その理由を考えてみると、機会費用というのは測定が難しく、安易に認めると容易にコスト割れが認定されてしまい、競争をむしろ萎縮させてしまうから、ということではないかと想像します。

(それと、もしかしたら、法律の世界では経済学を知らない人が議論することが多いからかもしれません。)

私も、コスト割れ基準の費用に機会費用を含めるというのでは、競争を萎縮させるし、何が適切な利益かなんて立場によってそれぞれなので収拾がつかなくなる気がするので、結論的には、機会費用は費用に含めない方がよいと思います。

しかし、経済学で商品がどのように供給されていくのか(供給曲線はどのように描かれるのか)を学ぶと納得がいくのですが、機会費用分の収入も得られないような場合、その商品は、市場に供給されるのが消費者にも望ましい場合であっても、供給されないことになります。だれもボランティアで商品を作ろうとは思わないからです。

こういう経済学的発想からすると、どうしてコスト割れ販売の場合に、費用基準に機会費用を含めないのか、疑問が沸いてきます。

例えばガソリンの不当廉売のケースを考えてみれば、不当廉売で被害を被った競合スタンドの立場からすれば、まさに適切な利潤(機会費用)が上乗せさせるか否かが死活問題でしょう。

このように、独禁法実務の世界には、理屈(あるいは経済合理性)の上では疑問に思われることが、議論もされずに通用していることが時々あるように思われます。

しかし、こういう議論の大前提はとても大事なことだと思うので、正面切って議論をするべきではないかと考える次第です。

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