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2010年4月 8日 (木)

独禁法の世界と慣性の法則

日頃から「なぜ独禁法は普通の法律家にとって分かりにくいのだろう」と考えることがあります。

その1つの理由が、独禁法の世界には、民法の世界のような「慣性の法則」がないからではないか、というものです。

つまりこういうことです。

我々法律家は、民法を勉強するときに、権利義務という道具を使って紛争(法律問題)を分析します。

つまり、まず権利義務の主体となる「人」(自然人と法人)というものがあり、人と人との間の関係をすべて権利義務として説明します。

イメージとしては、2人の人の絵を描いて、権利を有する人から義務を負う人に、びーーーーーっと権利の矢印を引く図をイメージして下さい。

複雑な事実関係も、すべてこの権利の矢印がどうなるのか(生じるのか、消えるのか、内容が変わるのか)に落とし込みます。

(こういう権利義務思考が独禁法には通じないことが、独禁法が分かりにくい理由の一つでもあります。)

そして、何もないところにいきなり権利は発生しません。さらに、こちらの方が重要ですが、いったん発生した権利が何もないのに消滅することもありません。

これを私は学生の頃、物理の力学の慣性の法則になぞらえて、「民法の世界の慣性の法則」と名付けました。

一度発生した権利は、例えば弁済とか免除とか時効とか、何らかの法律要件事実がないことには、あたかも摩擦抵抗のない世界ではボールが永久に直進し続けるように、永久に存在し続ける、というイメージです。(このイメージが頭に沸いたときは、頭の中のモヤモヤが一気に晴れて、どんな難問でも解けそうな気がしたものです)。

逆に、ボールに力が加わったとき(慣性が途切れたとき)にはボールの運動の向きが変わるように、法律要件事実が発生すると、世界が一変します。これは慣性の法則の裏返しです。

法律家の頭の中には、実は無意識に、この「慣性の法則」があるのではないか、という気がしています。

しかし、独禁法の世界には、このような「慣性の法則」がありません。

まず、何もしなくても状況が変わってしまいます。商品は同じでも、お客さんの好みが変わってシェアが落ちることもありますし、それによって違法だった行為が適法になることもあります。

つまり、独禁法の分析は、こういう移り変わる市場の様子をありのままで分析しなければならないのです。

民法の問題は、現実社会の紛争を分析するときも、頭の中では、純粋培養の「摩擦抵抗のない世界」を観念した上で分析できます。しかし独禁法の分析には、こういうやり方は通用しません。

慣性の法則が支配する民法の世界ではボールに力が加わると世界が一変する、といいましたが、この面でも独禁法の分析は異なるように思われます。

独禁法の世界では、何か事件(法律要件事実)があれば世界が一変するというイメージではなくて、例えば市場に対する影響があるか否かについても、ステップ・バイ・ステップで、ちょっとずつ分析を進めていくイメージです。

例えば不当廉売では、民法の分析のイメージでは、

コスト割れの販売(要件) → 競合他社の損害賠償請求権発生(効果)

というイメージですが、独禁法の分析のイメージは、

①コスト割れの価格の決定→②価格の発表→③需要者への価格の伝達→④店頭での販売開始→⑤1個目の販売→⑥2個目の販売・・・・→⑦競合他社からの客離れ→⑦競合他社の廃業→⑧廉売者による値上げ・・・

という感じです。そして、このうちどこで(しかも、「ここ」、という点ではなくて、「だいたいこの辺」という感じ)公正競争阻害性が発生したといえるのか、という分析の視点が必要な気がしています(ちなみに、recoupment必要説も、⑧の段階で反競争性が生じるというのではなく、⑧が生じそうなときには、④~⑦のどこかで反競争性が生じる、という立場だと理解しています)。

つまり、独禁法の分析は、常に移り変わっていく世界での因果の流れを緻密に追っていく必要があるように思うのです。事実を生のままに近い形で分析することが要求される、といってもいいかもしれません。

実は、このように一歩一歩(というより、1ミリ1ミリ)因果の流れを追ってく発想がないと、なぜ、どのように他社排除が生じるのか、あるいは何をもって反競争性ありとされるのか、よく理解できません。

さらに独禁法では、競争者や需要者を1人1人分析するのではなくて、その集合体である「市場」というものを分析することが要求されます。特に需要者が全体としてどのように行動するかはミクロ経済学を勉強するとイメージしやすいのですが、普通の法律家にはこれも大変で、ほとんど直感に頼った分析になってしまいます。

抽象的過ぎて分かりにくいですね。すみません。でも独禁法の世界の発想が民法をはじめとする普通の法律といかに違うかをあぶり出すために、今回は「慣性の法則」にスポットを当ててみました。

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