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2009年11月 4日 (水)

NTT東日本FTTH事件について考える

NTT東日本FTTH事件という事件があります(東京高裁平成21年5月29日)。

事案を一言で言えば、NTT東が光ファイバーサービスを始めた当時、ライバル他社に対して課していた自社光ファイバー網への接続料(ライバル各社はNTTの光ファイバー回線を使わせてもらってエンドユーザーにサービスを提供していた)よりも安いユーザー料金を設定していたことが、私的独占であるとされたものです。

東京高裁は、「接続料金を下回るようなユーザー料金を設定されては、合理的な競争者は市場に参入できない」として私的独占の成立を認めました。

こういう判断はいかにも法律家的だと思います。「仕入価格(=接続料)より小売価格(=ユーザー料金)のほうが安いなんて普通の競争ではありえない」という発想です。「仕入価格」と「小売価格」という、はっきり数字で出て大小が比較できる、というものに、法律家は説得力を感じるのです。

しかし、ことはそれ程単純ではないと思います。

光ファイバー網のような莫大な初期投資がかかるサービスの場合、短期的には赤字であるのはむしろ当然で、長期的に利益が出ればよいと考えて競争者は市場に参入するのではないでしょうか。

別の言い方をすれば、こういうサービスにおいては、短期的に赤字になることを嫌う企業はもともと市場に参入するはずがない(あるいは参入すべきでない)、長期的な視点に立って投資できる企業のみが参入できる市場である、ということです。

さらに別の見方をすれば、ライバルにしてみれば自ら光ファイバー網を敷いてサービスを提供しようとしたら、NTTに接続料を払った場合とは比べものにならないくらいの赤字を被ったはずです。それと比べれば割高な接続料は、「まだまし」といえます。

経済学を学んでいると、こういう発想が自然に出てきます。少なくとも、「仕入価格が小売価格より高いのは通常の競争ではない」というような、単純に大小の比較で結論が出るような問題ではないことは容易に理解できます。

それから、独禁法の場合にやっかいなのは、訴訟で争う当事者と真の意味での被害者が異なることが多いことです。

NTT東日本の事件は公取の審決取消訴訟ですから、公取という公益の代表者が訴訟当事者であるわけですが、それでも主張の重点は、どうしても「ライバルが排除されてしまう」という「NTT対そのライバル」という構図になってしまいます。

しかし、独禁法において真に問題とすべきはユーザーの利益です。にもかかわらず、裁判所、あるいは法律家というのは、利益衡量で妥当な結論を導く発想が強いので、紛争の当事者間の利益衡量に走りがちであり、紛争の当事者でない者の利益を考えることが苦手です。

これに対して経済学の発想は、社会全体の消費者厚生がいかなる場合に最大化するか、という発想であり、紛争の当事者の利害関係はむしろ副次的な問題です。

こういう経済学的な発想が裁判所にあれば、違った結論が出たのではないかと思います。

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