「法と経済学」と独禁法
学生さんたちと飲みながら話していて意外に思われることが多いのですが、私は基本的に法と経済学というものを信じていません。
経済学は合理的な人間を想定しますが、世の中合理的な人間ばかりなら法律は要りません。
合理的な選択をする人ばかりなら、銀行金利の10倍近い利息を払って消費者金融からお金を借りようという人は世の中にこんなにたくさんいないはずで、消費者保護法や利息制限法は必要ないはずです。
独禁法を仕事にしている以上経済学は勉強していますが、経済学のモデルを使って法律解釈をしようというのは、一般的には危険です。
その一つの理由は、人間が本来合理的でないこと、もう一つの理由が、経済学は誰にでも納得できる答えを導かないこと、です。
例えばミクロ経済学の教科書を見ると、「企業年金の使用者負担分と従業員負担分を何割ずつにするかという議論は無意味であり、どのような割合で負担することとしても、本当の意味での負担割合は使用者側の労働力に対する需要の弾力性と従業員側の労働力供給の弾力性の比率によって決まる」ということが書いてあって衝撃を受けたことがありますが、経済学を勉強するとこういう理屈は理解できるものの、だからといってそれを理由に企業側の負担をゼロにしようなどと言っても国民は納得しないでしょう。
それから、敵対的買収をできるだけ制限しないほうが、企業をより高く評価する者の手に企業が移り社会全体のためになる、といっても、世の中そんなに単純じゃないよと言うのが普通の感覚ではないでしょうか。
確かに、価値観の多様化した社会ではみんなを納得させるのは難しく、みんなを納得させることよりも経済学モデルのような単純な物差しを重視するのも一つの考え方かもしれません。
しかし、そのような複雑な利害関係の絡み合いのなかから、論理と言葉の力を使ってルールを鍛え上げていく、というのが法律の役割であり醍醐味ではないでしょうか。
だいぶ話がそれましたが、ではなぜ独禁法では経済学が重要なのか、というと、抽象的な要件にならざるを得ない法律であるために、例えば「秩序ある競争が重要」とか「過当競争はいけない」とか、分かったような分からないような表現が使われて、競争法本来の役割である競争(を通じての効率性の向上)ではなくて、中小企業の保護とか消費者保護とか、ある意味で政治的な力によって解釈が大きく影響されてしまうことがあるからです。
それから、文言だけ見ると何でもかんでも違法に見えるのが独禁法です。弁護士のなかにも何でもかんでも違法みたいなアドバイスをする人が独禁法については特に多いように感じますが(セカンドオピニオンを求められるときにそう感じます)、やはり背後にある経済学的な考え方を理解せずに普通の法律の感覚で独禁法の条文を読むと、そのような解釈になるのだと思います。
要するに、独禁法は経済学を物差しにしないと、議論の基盤が成り立たないのです。
では独禁法の解釈は経済学者に任しておけばよいのか、というとそれも違うと思います。
理由はいろいろありますが、一つには、経済学はある程度勉強している人にしか分からないのでみんなを納得させることが難しいです(それは法律でも一緒でしょう?という反論もあるでしょうけれど)。
それから、経済学者や経済のアナリストは言葉の使い方が乱暴です。しっかり概念を定義して、何か困ったときにはその定義に遡れば理屈は分からなくても答えは間違わない、というのでないと、ルールとしては成り立ちません。
なので裁判規範として独禁法が存在する以上、独禁法においても法律家は必要なのだと思います。
要するに、独禁法で経済学を使うのは、独禁法が特殊な法律だからです。何でもかんでも法と経済学に当てはめて考えようとするのは、間違っていると思います。
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