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2009年10月

2009年10月31日 (土)

「最終事業年度」の定義にまつわる問題点

平成21年独禁法改正で企業結合の規模要件が国内売上高基準となり、国内売上高は、大まかに言って「最終事業年度」における国内の売上高、ということになりました。

独禁法には「最終事業年度」の定義はありません。なので(計算書類の承認があった事業年度に限る会社法の定義と異なり)、文字通り、最終の事業年度、もう少し丁寧に言えば、既に終了している事業年度の中で一番遅く終了したもの、ということになります。

そうすると、企業結合の届出についてやや奇妙なことが生じます。

例えば、①A社からa事業を新設分割で切り出してaを設立し、②直後にB社がa株式全部を譲り受ける、という場合を考えます。a事業の最終事業年度における国内売上高は50億円超、B社の最終事業年度における国内売上高は200億円超とします。

ここで、①は単独の新設分割なので届出は不要です。

②は、株式取得なので届出の要否を検討する必要がありますが、問題になるのは株式発行会社であるaの国内売上高です。

常識的な感覚では、このようにA社のa事業を切り出してa社を設立した場合には、(A社の一事業部門であった時代の)a事業の国内売上高が(A社の子会社となった後の)a社の国内売上高となるように見えます。

しかし、a社は設立したばかりの会社で、まだ第1事業年度の途中です。よって、最終事業年度は無いことになります。当然、「最終事業年度」における国内売上高もゼロ、となります。

したがって、結局②についても届出を要しないことになります。

しかし、上記①+②は、実態としては、A社がその重要な事業であるa事業をB社に承継させた吸収分割と似ています。

B社がa事業を吸収する吸収分割なら、届出要件を満たします(しかもa事業の売上は50億超でなく30億超で届出要件を満たします)。

このように、吸収分割とのアンバランスということもさりながら、根本的には、届出要件を最終事業年度の国内売上高一本で行くことにしたことに問題がありそうです。

この点、現行法では、株式発行会社側の届出基準は総資産10億超でした。

そして「総資産の額」は「最終の貸借対照表による資産の合計額」と定義されており、設立間もない会社の場合の「最終の貸借対照表」は設立時の開始時貸借対照表であると解されていました。したがって、「設立直後の会社でも事業年度が終わっていないために資産ゼロでとなって届出を免れる」ということはありませんでした。

吸収分割ではなく、上記のような①新設分割+②株式譲渡の手段を取りたい法律上、ビジネス上の理由はいくらでもあります。したがって、①+②が脱法を禁じる独禁法17乗に違反する、というのはちょっと無理な議論だと思われます。

公取はこの点どう解釈するのでしょうか。聞いてみたい気がします。

ただこれは直感ですが、日本の独禁法では届出基準を満たさなくても実体法上違法になることはあるので、もし問題のある企業結合なら実体法上の違法を理由に排除措置命令を出せばよい(しかも届出対象外の企業結合に対しては排除措置命令を出す時期に制限がありません!)ので、届出の抜け穴については余り頓着しない(無理な法律解釈をしてまで届出をさせることはない)、というのが据わりの良い運用であるように思われます。

2009年10月30日 (金)

ハーフィンダール・ハーシュマン・インデックス(HHI)

市場の寡占度を測る指標に、ハーフィンダール・ハーシュマン・インデックス(Herfindahl-Hirschman Index, "HHI")というものがあり、合併ガイドラインでも採用されています。

これは各競争者のシェア(%表示)の2乗を足し合わせたものです。

例えば、市場に3社競争者がおり、各社のシェアが50%、40%、10%だと、50x50+40x40+10x10=4200となります。

HHIについては、HHIの数字そのものも大事ですが、企業結合前後のHHIの増分の方がイメージが持ちやすいですし、また重要です。

具体的には、統合前後のHHIの増分は、統合する2社のシェアを掛けて2倍したものになります。中学校で、

(a+b)^2 = a^2 + 2ab + b^2

というのを習いましたね。これの、2abの部分です。

HHIの増分が大事だという理由は、公取の実際の運用を見ると、HHIの増分が250以下(つまり2社のシェアを乗じた値が250÷2=125以下)の場合には、ほとんど問題是正措置なしに結合が認められているからです。

これによると、例えば10%と10%の会社の合併だとシェアを乗じた値は100となり、125を下回るので、多分大丈夫だろうな、というふうに、一応の目安として判断できます。

このHHI、「どうしてシェアの2乗を合計するの?」とか「どうして3乗ではダメなの?」とか、素朴な疑問が湧いてきます。「シェアを足すだけだと大きな企業が相対的に大きな市場支配力を持つ(例えば、シェア50%の会社はシェア25%の会社の2倍よりも大きな市場支配力を持つ)ことを反映できないから」と言われても、分かったような分からないような気になります。

産業組織論(ミクロ経済学の一分野)の本などには書いてあるのですが、2乗であることには意味があります。

実は、「HHIを需要の価格弾力性(の絶対値)で割った値は、各社のプライス・コスト・マージン(を価格で割った値)をシェアで加重平均した値に等しい」という関係があります。

もう少しかみ砕いて言うと、以下のとおりです。

まず需要の価格弾力性は所与のものなのでひとまず無視すると、上記の関係は、「HHIはプライス・コスト・マージン(を価格で割った値)の加重平均に比例する」、ということです。

そしてプライス・コスト・マージンを価格で割った値というのをラーナー・インデックスといいますが、経済学上のmarket power とは限界費用を超えた価格で販売できる力ですから、ラーナー・インデックスは、まさに企業の市場支配力の指標となるものです。

つまりHHIは、市場の供給者全員の市場支配力の総和を計るものである、ということになります。

ちょっと分かりにくいですが、2乗であることには理論的な裏付けがある、ということです。

それから、HHIを「%で計ったシェアの2乗の和」と定義するとイメージしにくいのですが、「小数点で表したシェアの2乗の和」と定義すると、HHIの値が、「同じ規模の会社何社の競争に相当するのか」を示す値となります。

例えばこの定義では、5つの同じサイズの会社が競争している市場のHHIは、

0.2^2+0.2^2+0.2^2+0.2^2+0.2^2=0.2

となります。その逆数を取ると、「5」となります。これを「5」社の同じサイズの会社が競争している状況、とイメージするのです。

そこで先ほどの、50%、40%、10%の3社が競争する場合だと、

HHI=0.5^2+0.4^2+0.1^2=0.42

となり、その逆数を取ると約「2.38」となります。そこで、この市場は同じサイズの会社「2.38」社が競争しているのと同じくらいの寡占度なんだ、とイメージできるわけです。

このほうが、%の値で2500を超えると高度に寡占的だとか言うよりもイメージが湧きやすいと思うのですが、いかがでしょうか。

ちなみにガイドラインで高度に寡占的といわれるHHI=2500超は、同じ規模の会社4社が競争しているのと等しい寡占度の市場、ということになります。

2009年10月29日 (木)

不当廉売ガイドライン案

平成21年改正法で不当廉売の一部が課徴金の対象となったことに伴い不当廉売ガイドライン(「不当廉売に関する独占禁止法上の考え方」)が改定されることになり改定案が出ましたので、いくつか気になった点を記します。

まず、改定案は、不当廉売規制の「目的」の一つが、廉売行為者自らと同等又はそれ以上に効率的な事業者の事業活動を困難にさせるおそれがあるような廉売を規制することにある、と述べています。

これは欧米のas efficient competitor ruleを参考にしていると思われますが(日本にも同旨の裁判例がありますが)、これが「目的」というのはいかがなものでしょうか。不当な安売りとそうでない安売りを分ける物差しに過ぎないのであって、as efficient competitorを排除するのを禁止することが「目的」だと言われると、違和感があります。

例えば、市場の標準的な競争者より効率性において劣る競争者が、市場で少しでも長生きするために、自己と同等に(非?)効率的な競争者を排除することになる市場の標準的価格で売った場合、同等に効率的な競争者基準が違法適法の振り分けの「基準」に過ぎないなら、「そういう場合は基準には一応該当するけど問題にする必要はないよね」ということになりますが、同等に効率的な競争者基準が「目的」だというと、そのこと自体が自己目的化して、こういう場合も違法になりそうな気がします。

また、総原価を「著しく」下回るか否かの判定について、「廉売対象商品を供給しなければ発生しない費用」を回収できない場合には「著しく」であると推定する、とされています。

これは、略奪的廉売の基準としてavoidable cost(回避可能費用)基準を採用する欧米に倣ったものと思われます。

しかし、これって法律の条文の文言である「著しく」の解釈の範囲を超えているのではないでしょうか。

というのは、「著しく」下回っているかどうかというのは、日本語の意味として、下回っている程度(幅)の大きさを問題にしていると考えられるからです。

しかしガイドライン案の説明はそうではありません。

例えば、総販売原価が1000円、そのうち「商品を供給しなければ発生しない費用」が999円だったとします。この場合、998円で売る行為が、総販売原価(1000円)を2円しか下回っていません。これを総販売原価を「著しく」下回るものであるというのは、「著しく」という日本語の意味からして大いに違和感があります。

つまり、回避可能費用基準を取ろうという結論が先にあって、条文の文言を書き直すような内容のガイドラインになっているのです。

回避可能費用基準を採用するのは正しいと思うので結論として異論はないのですが、略奪的廉売の背景にある費用基準についての議論を知らない人がこのガイドラインを読んだら、どうしてこういう解釈になるのか納得できないのではないでしょうか。

もう一つ難癖をつけると(笑)、「廉売対象商品を供給しなければ発生しない費用」を短くして「可変的性質を持つ費用」と読んでいますが、定義と内容が噛み合っていません。素直に「回避可能費用」と呼んだ方が良いのではないでしょうか。

「可変的性質を持つ費用」というと可変費用(variable cost)をイメージしますが、avoidable cost とvariable costは微妙に違います。具体的には、追加的な生産をするために新たな設備投資(生産量には直接関わらない固定費となります)が必要な場合、かかる設備投資は追加的な生産をしなければ避けられたので回避可能費用であることは明らかですが、(追加的な生産に比例的に生じる)可変費用かというと、そうではありません。つまり、回避可能費用基準では固定費か変動費かを区別する必要がありませんが、変動費基準だと、まさに変動費と固定費の区別が大いに問題になります。

ガイドライン案が「回避可能費用」という用語を用いていないのは一般への分かりやすさを優先したせいかもしれませんが、むしろ素人にも玄人にも分かりにくくなっているように思います。

それからガイドライン案は、①「商品を供給しなければ発生しない費用」を、②「可変的性質を持つ費用」と呼び、「可変的性質を持つ」かどうかは、③商品の供給と「密接な関連性を有する費用か」という観点から決める、としています。

しかし、これは規範として出来が悪いです。究極的な基準(①)を判定するのに用いられる要素(③)のほうが、①より漠然としているからです。

つまり①のほうが、「あれなければこれなし」という形で、言葉の上ではむしろ明確です。ところがそれを判定するのに③「密接な関連性」というよくわからない基準を持ち出すのは、理解に苦しみます。また論理的にも変です。

それから、広告宣伝費も「可変的性質を持つ費用」の例としてあげられていますが、ちょっと驚きます。極めて例外的な場合にはそう考えても良い場合もあるかも知れませんが、もう少し汎用性のある例は無いものでしょうか。

以上、ガイドライン案の言葉尻を捉えていろいろ申しましたが、恐らく実務への影響はさしてない(現状追認である)と予想されます。

しかし一つだけ、実務に影響がありそうな点として、差別対価の成否の要件として、コスト割れであることを一切要求していないという点が挙げられます。

つまり、差別対価の判定において、「供給に要する費用と価格との関係」は判定の一要素に過ぎず、しかも「費用を価格が下回ること」ではなく両者の「関係」が判定要素の一つだと言っています。

これを文字通り読めば、費用を上回る価格でも差別対価は成立するし、一要素に過ぎないので全く考慮されないこともあり得るわけです。

この点は、今後実務がどのように動いていくのか注目です。

2009年10月28日 (水)

不公正な取引方法における違反者は誰か。

不公正な取引方法において誰が違反者かは、一般指定で明確に定められています。

例えば拘束条件付取引(13項)なら、不当な拘束条件をつけた者、つまり他を拘束した者が違反者で、拘束を受けたものは違反者にはなりません。拘束を進んで受けてもしぶしぶ受けても同じです。

再販売価格拘束(12項)なら、再販売価格を拘束して商品を供給した者(典型的にはメーカー)が違反者です。拘束を受けた者(例えば小売店)は違反者にはなりません。

当たり前といえば当たり前なのですが、再販売価格維持の場合などは、実質的には小売店間のカルテルをメーカーが取り持っているようなものが多いことを考慮すると、拘束したものだけを違反者とするのは、一つの割り切りであるといえます。言い換えれば、実質的に悪い人、あるいは経済的不効率の発生に加担した人全部を違反者にすることも立法論としてはあり得るところ、そうはしていない、ということです。

ただ、誰が違反者かはっきりしない場合もあります。例えば、AがBに頼んでCとの取引を拒絶させた場合(いわゆる間接の取引拒絶)、普通は拒絶を依頼したAを違反者と考えます(一般指定2項後段)。

しかし、取引拒絶の場合には直接の取引拒絶も違反なので(2項前段)、Bも直接の取引拒絶者として違反者とすることができそうです。

ではBが違反者になるのかどうかはどこで決まるのでしょうか。

①AがBに取引拒絶を強要し、Bは従わざるを得なかった。

②AがBに取引拒絶を依頼し、拒絶の対価(?)として何らかの利益を得た。

③AがBに取引拒絶を依頼したところ、日頃からCを憎からず思っていたBは喜んで拒絶した。

以上の例だと、①ではBは違反者にならないでしょう。

②は微妙ですね。違反者になることもあるのではないでしょうか。

③は恐らく違反者になるでしょう。

また、Bが違反者になる場合にAも違反者になることはあるのでしょうか。きっと両方違反者になることもあると思います。

以上のように、不公正な取引方法の場合には自社が違反者になるかどうか((正確に言うと、違反の行為要件に該当するか)は明確な場合が多いですが、必ずしも明確でない場合もあります。

行為要件に該当せず違反者ではないという場合(例えば拘束条件付取引の拘束を受ける側の場合)に、「自分は違反者ではないので拘束を受けよう」と判断するか、「間接的に独禁法違反に加担するのはよくないのでそのような拘束は受け入れないでおこう」と判断するかは、各社の判断だと思います。

なお、独禁法の世界には刑法の幇助犯のような考え方はありません。その意味でも拘束を受ける側が違反になるという心配はありません。カルテル・談合が刑事罰に問われる場合には犯行に直接かかわっていない者も幇助犯となる可能性はありますが、不公正な取引方法には刑事罰はないので、この点を心配する必要もありません。

ただ、平成21年の改正で不公正な取引方法に課徴金が導入されたので、誰が違反者か、という点を今までよりもややシビアに見る必要が増すかも知れません。

2009年10月27日 (火)

日本市場への供給拒絶と日本の独禁法

少し前にロシアで、マイクロソフトがウィンドウズ・ビスタの販売を促進するためにウィンドウズXPの供給を意図的に減らしたとして、ロシア競争法当局の調査を受けるという事件がありました。

結果的には違反事実無しということで調査は終了したのですが、この事件についてはいろいろ考えさせられます。

つまり、企業にある商品を供給することを独禁法は命じることができるのでしょうか。

逆に、ある企業が、例えばある国の独禁法が厳しすぎることを理由に、その国の市場に対する商品の供給を止めてしまった場合、そのような供給停止自体を独禁法違反(例えば単独の取引拒絶)と構成して、商品の供給を命じることはできるのでしょうか。

例えば、マイクロソフトがウィンドウズの日本語版の供給を止めてしまった場合、日本の独禁法に違反することになるのでしょうか(なお商品をウィンドウズにしたのは、言語で商品市場と地理的市場がきれいに分かれるのでイメージが湧きやすいと思ったからです)。

おそらく違反とするのは無理だと思います。

例えば、マイクロソフトがアップルと市場分割協定をして、日本語版のOSはアップルしか供給しない、というようなことをやれば、不当な取引制限が成立します。課徴金も課せるでしょう。

しかし、このような談合・カルテルではなく、企業が専ら自己の経営判断に基づいて日本の市場に対しては商品を供給しないことにすると決定した場合には、そもそも日本の独禁法の管轄が及ばないとされる可能性もありそうです。なぜなら、我が国市場に効果が及ぶ限りで独禁法の管轄が及ぶとする効果理論に従えば、そもそも商品を供給しない場合には「効果」がないように思われるからです。マイクロソフトが日本市場を見限ったのに日本市場での競争を保護することが目的の独禁法を適用するのは、おかしな気がします。

仮に管轄が及ぶとしても、単独の取引拒絶の成立は疑問です。なぜなら、単独の取引拒絶というのは取引の相手方である特定の事業者(例えば富士通)の事業活動を困難にして競争を歪める、という場合が想定されますが、日本語のウィンドウズを供給しないとした場合には、困るのは富士通だけでなく、NECも東芝も、同じように困ります。さらに言えば、日本語パソコンを供給できない外国パソコンメーカー(デルやHP)も、平等に困ります。これは単独の取引拒絶が想定しているような事態ではないように思います。

OSというような、ある意味で必須のインフラの場合にはエッセンシャル・ファシリティーの理論が使えそう、という議論もあり得ますが、必ずしも必須のインフラとはいえない商品の場合、単独の取引拒絶の成立はまず無理でしょう。

さらに言えば、仮に単独の取引拒絶が成立するとしても、どのような排除措置命令を出せるのでしょうか。「ウィンドウズ7」の次の「ウィンドウズ8」が英語版で出たときに、日本語版の「ウィンドウズ8」は出さないとマイクロソフトが決定した場合、「ウィンドウズ8日本語版を開発・販売せよ」という命令を出せるのでしょうか。出して実効性があるのでしょうか。また「出さない」といっているのではなく「開発が遅れている」と言われたときに、直ちにこのような排除措置命令を出せるのでしょうか。

要するに、ロシアの事件に接して思うのは、余り独禁法の執行を厳しくすると事業者が「だったらその国から撤退しよう」ということになりはしないか、と心配になります。

EUが莫大な課徴金を課せるのも、自国経済が大きいからでしょうね。同じことを小国がやったら、マイクロソフトは本当にその国から撤退してしまうかもしれません。

業法や消費者保護法はその国の消費者を保護するのが目的で、悪いことをした外国企業が出ていっても何の問題もないのですが、独禁法の場合は、あまり厳しくしすぎると、公正な競争を保護するどころか競争者が国内からいなくなってしまう、という本末転倒の事態が起こるかも知れません。

2009年10月26日 (月)

外国企業に対する報告命令

外国企業に対して独禁法上の報告命令(独禁法47条1項1号)がなされたにもかかわらず外国企業がこれに応じない場合、報告命令違反の罪(94条1号)が成立するのでしょうか。

まずその前提として、報告命令は名宛人に送達しなければならず、外国会社に対する送達手続も独禁法上整備されていますし、どうしても送達できない場合には公示送達といって、公取の掲示板に貼り出す方法による送達も認められます。

国内の企業であれば報告命令に違反した場合に刑罰の適用があるのは当然なのですが、外国企業の場合にはいろいろ問題があります。

まず、報告命令違反罪には国外犯を処罰する刑法2条のような規定がありません。ですので、どうにかして「国内犯」であると言わないと、犯罪は成立しないことになります。

考えられる理論構成としては、「公取が命令を発しており、名宛人は日本にある公取に報告をしなければならないので、『報告をしなかった』という結果は日本(より具体的には公取の所在地)で発生している」と考える、つまり構成要件的結果は日本で発生している、と考える構成です。

しかし、これはかなり無理な理屈だと思います。このような理屈で日本の刑法が外国企業に適用されるとすれば、世の中にたくさんある一定の報告を命じる行政行為に対する違反の罪は、全て当然に国内犯になってしまいます。

これは刑法2条が具体的に国外犯を列挙している趣旨にも反するように思われます。

次に、報告命令違反罪が国外犯である(=不報告の結果が当然に公取所在位置で生じるわけではない)として、違反罪の実行行為はいつまで続くのでしょうか。

ここでの問題意識は、報告の期限が経過したら直ちに既遂になりその後の不報告は犯罪成立とは無関係なのか(状態犯)、それとも、報告期限後も報告義務が継続し、したがって実行行為が継続するのか(継続犯)、という点です。

状態犯説を採ると、報告期限経過後の不報告は犯罪成立とは関係がないので、もし報告期限後に当該外国企業の社長が日本に来ても犯罪の成否には関係ない(日本国内で不報告という不作為を行ったわけではない)ということになりそうです。

これに対して継続犯説を採ると、報告期限経過後の不報告も実行行為なので、報告期限後に社長が日本に来るとその時点で不報告という実行行為が国内で行われたことになり、犯罪が成立するということになりそうです(つまり社長は永久に日本に入国できないことになります!)。

理論的にすっきりするのは、報告期限経過後の不報告行為の継続は実行行為ではないとする考え(状態犯説)です。

しかし、報告期限を過ぎてしまえばたとえ違反者が国内に入国しても何も罪を問えないというのも、何か釈然としない気がします。また、報告義務という法律上の義務が、期限経過とともに消滅してしまうというのも、素朴な感覚に反するように思います。

ただ、やっぱり継続犯説を積極的に支持する理屈も思い当たらないので、ひとまず状態犯説を支持しておきます。

なお、報告期限前に社長が国内に入国した場合には、そこで国内における不報告という実行行為が行われたことになり、報告期限経過で既遂となる、という形で国内犯としての処罰が可能なのだと思います。

2009年10月24日 (土)

外国企業の排除措置命令違反罪

外国企業に対して排除措置命令が出されたのにその外国企業が命令に従わない場合、排除措置命令違反罪(独禁法90条3号)が成立するのでしょうか(外国会社は日本に支店がなく、従業員も日本にいないとします)。

その前提として、国外で行われたカルテルでもその効果が日本国内の市場に及ぶ限り日本の独禁法違反となる、と解されています(効果理論)。

では、国外で行われたカルテルに排除措置命令が出されて、外国事業者がこれに従わなかった場合、常に確定排除措置命令違反罪が成立するのでしょうか。

単純に考えると、実体法上、我が国市場に効果が及ぶ限り我が国の独禁法違反なのだから、そのような我が国市場に効果を及ぼすカルテルに対して排除措置命令がなされた以上、命令に違反すれば当然に確定排除措置命令違反罪が成立する、といえるような気もします。

この場合、確定排除措置命令違反罪には刑法2条のような国外犯の規定がありませんので、処罰するためには構成要件の一部が国内で発生していなければならないと解されます。そこで、違反の効果が国内で発生していると考えるのだろうと思います。

しかし、命令違反の効果が日本で発生していると常にいえるでしょうか。

排除措置命令では、①カルテルの合意の破棄を取締役会で決議すること、②合意破棄を取引先等に周知徹底すること、③今後他の事業者と共同して価格を決定しないこと、といったことが命じられます。場合によっては、④担当者の配置転換、が命じられることもあります。

①については、これに従わなかったからといって、ただちに日本市場に影響が及んでいるとか、その他構成要件的事実の一部としての何らかの結果が日本に生じているとかは、言いにくいように思われます。取締役が日本にいれば日本国内での不作為なので効果云々を論じるまでもなく違反となりますが、取締役全員が外国にいる場合には、やはり排除措置命令違反罪は成立しないのではないでしょうか。

②の取引先への周知徹底も同じように思われます。ただ、「取引先」というのが日本国内にいる場合には、「周知徹底」義務の不履行は日本国内で生じている、とみて国内犯であると解する余地もあるように思われます。

③は、さすがに日本国内への影響がある場合が多いでしょうね。排除措置命令に、「国内向け商品について」とか「我が国顧客に対して」とか特定されていて、その特定行為に違反した場合などは、まさに我が国市場に影響が及んでいることになりそうです。

④はどうでしょうか。国外の会社組織組織における配置転換の有無が日本に効果を及ぼすとか、その他構成要件の一部としての結果が日本に生じているとかいうのは難しいでしょう。そこで、④の違反については、排除措置命令違反罪は成立しないと考えます。

以上のように、外国企業の場合には排除措置命令に違反したら当然に排除措置命令違反罪が成立するというのではなく、どのような内容の命令であったかによる、ということのように思われます。

なお、課徴金納付命令については「課徴金納付命令違反罪」とうのはありません。課徴金納付命令に従わない者に対してはあくまで強制執行して取り立てる、という建前です。外国会社については、日本国内に財産がない限り執行は無理だと思いますが、この点については後日またよく考えてみようと思います。

2009年10月23日 (金)

外国法人の企業再編と独禁法上の届出

日本の独禁法は企業結合の法形式ごとに条文が分かれていますが、外国会社の企業再編の場合には悩ましい問題が生じることがあります。

つまり、外国でやっているその手続は日本の「合併」なの?ということです。

例えば、A社を存続会社としつつもA社株主にB社株式を交付する逆三角合併(reverse triangular merger)というのがあります。

これは15条の「合併」なのでしょうか?

こういう特殊な例だけでなく、split-upが「分割」に当たるのか(spin-offはどうか、split-offはどうか)という問題は、常に生じます。

そういう意味では、企業再編の法形式毎に届出要件を定める日本の独禁法は、日本法人には分かり易いけれど、外国法人にとってはむしろ、企業再編はassetかvoting securitiesの取得と割り切る米国法や、change of controlを基準にするECのほうが、(複雑なルールさえ理解できれば)届出の有無で迷うことは少ないかも知れません。

合併・分割・事業譲渡に伴う株式取得の届出

独禁法の企業結合の条文は、株式取得(10条)、合併(15条)、会社分割(15条の2)、事業譲渡(16条)と、企業結合の法形式ごとに並んでいます。

これに対して、明文のない株式交換、株式移転は、株式取得として扱われる、と説明されることがあります。

確かにそうなのですが、この説明は若干ミスリーディングです。なぜなら、明文のない株式交換、株式移転だけが「株式取得として扱われる」というわけではなく、合併、会社分割、事業譲渡であっても、その中に届出要件を満たす株式取得があれば、その株式取得の部分については、合併、株式分割、事業譲渡と併せて、別途届出が必要だからです。

例えば、A社の100%子会社のB社とC社が合併し、C社が存続会社になるとします。

この場合、15条の要件を満たせば合併当事者であるB社とC社は合併の届出をする必要があることはもちろんです。

しかしさらに、合併によりA社がC社の株式を10%以上取得する場合には、当該株式取得が10条の要件を満たす限り、A社に株式取得の届出義務が生じます。

ただし、B社とC社が提出する合併届出書に、A社の株式取得のことも書いておけば、A社は別途株式取得の届出をしなくても良くなります(企業結合届出規則2条の6第1項但し書き)。

ここでは、合併の場合の届出義務者(合併当事者)と、株式取得の場合の届出義務者(取得者)が違うのに、合併当事者の届出で株式取得の届出が免除される、というのがミソです。

ただし、合併が届出要件を満たさないにもかかわらず株式取得は届出要件を満たすような場合には、株式取得についてだけの届出をせざるを得ないので注意が必要です。

例えば、改正法の場合で説明すると、上の例を少し変えて、A社(国内売上高合計額200億円超)が、B社(国内売上高合計額200億円未満)の株式49%を保有しており、B社がこれらと無関係のC社(国内売上高合計額50億円超)と合併し、C社が存続会社となり、A社がC社の株式の21%を割り当てられる、とします(なおA社のB社に対する持株比率を49%にしたのは、100%だとA社とB社が同一の企業結合集団に属してしまい国内売上高合計額が両者合算されたものになってしまうからです)。

とすると、B社とC社の合併は、B社の国内売上高合計額が200億円未満なので届出要件を満たしませんが、A社によるC社の株式取得は届出要件を満たします。

したがって、B社とC社の合併の届出は不要だけれど、A社のC社株式取得は届出が必要、ということになります。

そこで前述の「明文のない株式交換、株式移転は、株式取得として扱われる」という説明を読み返すと、このは正確ではなくて、株式交換、株式移転自体の届出の規定は、それに対応する規定がないので届出を要しないだけであり、株式交換、株式移転に伴って株式取得が発生する場合には10条に従って株式取得の届出が必要になるのは当然であり、合併の場合でも理屈は全く同じ(合併には明文があるので、株式取得だけでなく合併自体の届出が必要になる)と説明するのが論理的に正しいのだと思います。

要するに、「合併なら15条、分割なら15条の2、事業譲渡なら16条をみればよい」と考えると不十分であり、それにともなって関係当事者(とくに組織変更の当事者の株主)の持株割合の変化にも注意して、株式取得の届出も必要ないかをチェックしておく必要がある、ということです。

2009年10月22日 (木)

「法と経済学」と独禁法

学生さんたちと飲みながら話していて意外に思われることが多いのですが、私は基本的に法と経済学というものを信じていません。

経済学は合理的な人間を想定しますが、世の中合理的な人間ばかりなら法律は要りません。

合理的な選択をする人ばかりなら、銀行金利の10倍近い利息を払って消費者金融からお金を借りようという人は世の中にこんなにたくさんいないはずで、消費者保護法や利息制限法は必要ないはずです。

独禁法を仕事にしている以上経済学は勉強していますが、経済学のモデルを使って法律解釈をしようというのは、一般的には危険です。

その一つの理由は、人間が本来合理的でないこと、もう一つの理由が、経済学は誰にでも納得できる答えを導かないこと、です。

例えばミクロ経済学の教科書を見ると、「企業年金の使用者負担分と従業員負担分を何割ずつにするかという議論は無意味であり、どのような割合で負担することとしても、本当の意味での負担割合は使用者側の労働力に対する需要の弾力性と従業員側の労働力供給の弾力性の比率によって決まる」ということが書いてあって衝撃を受けたことがありますが、経済学を勉強するとこういう理屈は理解できるものの、だからといってそれを理由に企業側の負担をゼロにしようなどと言っても国民は納得しないでしょう。

それから、敵対的買収をできるだけ制限しないほうが、企業をより高く評価する者の手に企業が移り社会全体のためになる、といっても、世の中そんなに単純じゃないよと言うのが普通の感覚ではないでしょうか。

確かに、価値観の多様化した社会ではみんなを納得させるのは難しく、みんなを納得させることよりも経済学モデルのような単純な物差しを重視するのも一つの考え方かもしれません。

しかし、そのような複雑な利害関係の絡み合いのなかから、論理と言葉の力を使ってルールを鍛え上げていく、というのが法律の役割であり醍醐味ではないでしょうか。

だいぶ話がそれましたが、ではなぜ独禁法では経済学が重要なのか、というと、抽象的な要件にならざるを得ない法律であるために、例えば「秩序ある競争が重要」とか「過当競争はいけない」とか、分かったような分からないような表現が使われて、競争法本来の役割である競争(を通じての効率性の向上)ではなくて、中小企業の保護とか消費者保護とか、ある意味で政治的な力によって解釈が大きく影響されてしまうことがあるからです。

それから、文言だけ見ると何でもかんでも違法に見えるのが独禁法です。弁護士のなかにも何でもかんでも違法みたいなアドバイスをする人が独禁法については特に多いように感じますが(セカンドオピニオンを求められるときにそう感じます)、やはり背後にある経済学的な考え方を理解せずに普通の法律の感覚で独禁法の条文を読むと、そのような解釈になるのだと思います。

要するに、独禁法は経済学を物差しにしないと、議論の基盤が成り立たないのです。

では独禁法の解釈は経済学者に任しておけばよいのか、というとそれも違うと思います。

理由はいろいろありますが、一つには、経済学はある程度勉強している人にしか分からないのでみんなを納得させることが難しいです(それは法律でも一緒でしょう?という反論もあるでしょうけれど)。

それから、経済学者や経済のアナリストは言葉の使い方が乱暴です。しっかり概念を定義して、何か困ったときにはその定義に遡れば理屈は分からなくても答えは間違わない、というのでないと、ルールとしては成り立ちません。

なので裁判規範として独禁法が存在する以上、独禁法においても法律家は必要なのだと思います。

要するに、独禁法で経済学を使うのは、独禁法が特殊な法律だからです。何でもかんでも法と経済学に当てはめて考えようとするのは、間違っていると思います。

2009年10月21日 (水)

一橋大学大学院講座(国際M&Aと企業結合規制)

昨日、一橋大学法学部大学院で国際取引と企業結合規制についてお話させていただきました。短い時間で至らぬ点もありましたが、多くの方々に出席いただきありがとうございました。

外国の弁護士に日本の企業結合について説明するときになかなか理解してもらえないことが2つあります。

一つは、日本の独禁法では、手続き上届け出の対象にならないような企業結合でも、実体法上日本市場に影響があれば審査の対象となりうる、という点です。

もう一つが、30日の待機期間を過ぎても排除措置命令を受けることがある、ということです。

とくに、日本政府の独禁法の英訳では、関係する条文のところでwaiting periodという言葉を使っており(日本語の原文には「待機期間」という言葉はありません)、waiting periodといえば、普通はその期間待っておればよく、その後は問題なく取得できる、と考えるようです。ある意味で当然ですね。

ですので、外国の弁護士や依頼者に説明すれば、一応は分かってもらえるのですが、waiting periodという言葉(ラベル)の力は偉大と言うべきか、自国の発想は抜けないというべきか、事あるごとに繰り返し同じ説明をしないといけないことになりがちです。

やはり、法律上は合併してもいいけれど排除措置命令を受けうるという、よく分からない期間は設けるべきではないと思います。

ちなみに、合併契約書のクロージングの前提条件に「30日の待機期間が公取の異議なく経過すること」などと書いてしまうと間違いですし、waiting period がextendされて・・・と書くのも誤解の元です(先ほど述べたように、政府の和訳では、30日の期間だけがwaiting periodと書かれていますので)。

2009年10月20日 (火)

不当廉売の日本的事情

日本では、不当廉売は不公正な取引方法の一つとされ、私的独占に比べて一段格下の違反類型であるかのような印象を持たれています。

しかし、欧米で不当廉売(predatory pricing)といえば、独占化、あるいは市場支配的地位の濫用として、日本で言えば私的独占に該当するものと捉えられています。

安く売るという、競争本来の行為が違法になる場合として、不当廉売は実務的にも理論的にもとても重要だと思いますが、公正競争阻害性という、競争の実質的制限に比べて程度の低い反競争的効果で違法となってしまうために、違法性の限界について突き詰めた議論が行われにくかったのは不幸なことです。

しかし、その背景には日本的な競争の事情というものがあるように思います。

アメリカでは、不当廉売が成立するためには、廉売期間中に被った損失を競争者がいなくなった後に違反者が取り戻すことができること(recoup)が必要であると解されています。

これに対して、日本の場合にはそのようには解されていません。つまり、競争者がいなくなった後に損失を取り戻せるか否かに関わらず、一定の費用を下回る価格で売れば違法になります。

しかし、これは日本で不当廉売が起こる事情にマッチしているように思われます。

アメリカでは確かに、支配的企業がライバルを追い出した後に値段を上げることを目論んで(recoupmentを目指して)不当廉売を行う、というのがあり得るように思います。

というよりむしろ、損を後で取り戻せるという合理的期待があるからこそ廉売をするのだろう、アメリカ人はそういう意味で合理的なのであろう、と想像します。

これに対して日本のガソリンの不当廉売などでは、「値下げ競争に対応していただけだったのに、まさか違反になるとは思わなかった」という違反者の声を耳にします。

つまり、日本人は後で損失を取り戻せると合理的に考えて廉売しているのではないのです。

見方を変えれば、市場から撤退する方が得だから撤退する、という合理的選択が頭になく、何が何でも市場にしがみつかないといけないと考えているから廉売するのです。

たぶん、日本では、市場から撤退すると別の市場でやり直すのがアメリカに比べて容易ではないのでしょう。

なので、競争が過熱するとつい不当廉売をやってしまう、という素地があるように思われます。

そのような素地がある以上、独禁法が介入して、行き過ぎた安売りをたしなめる、ということにも合理性があるように思います。

ただ、私自身の率直な感想をいえば、むしろ市場から撤退すべき時には撤退すべきなのです。

市場から撤退した資源をどのようにスムーズに他の市場で活用できるようにするかは独禁法の取り扱う範疇ではありませんが、撤退を恐れて過度の安売りが起こることに独禁法が介入すると言うことは、見方を変えれば、そのような市場にしがみつく態度をサポートすることになりかねないのではないでしょうか。

2009年10月18日 (日)

株式取得の計画に変更があった場合の取扱い

平成21年改正で株式取得が事前届出化されたために、以下のような問題が生じ得ます。

すなわち、計画を届け出て何事もなく待機期間を過ぎた後、何らかの理由で計画で届け出ていた取得予定数と異なる数を取得したくなった場合、どうすれば良いのでしょうか(現行法では、既に終わった株式取得を報告する事後報告制度なので、このような問題は生じません)。

株式取得の計画届出書(様式4号)案では、議決権保有割合の変動予定内容(何パーセントから何パーセントに変動するか)と変動の予定日を記載することになっています。

そこで、極めて厳密に考えれば、届け出た計画と異なる場合には届出を全部やり直すべきということになりそうですが、そこまで厳密に考える必要は無いでしょう。

具体的には、届け出た取得予定を上回る数を取得する場合には再度届出をやり直す必要がありますが、取得予定を下回る場合には、再度の届出はもちろん、何らかの訂正の届出をすることも必要ない、と考えます。より多くの取得数で届け出た内容でOKをもらっているのですから、それより少ない取得数の場合(=より結合の程度が小さく、したがってより競争への影響が小さい場合)については、既にもらったOKの範囲にとどまっている(大は小を兼ねる)と考えられるからです。

しかし、さらに考えると、例えば51%取得予定ということで届け出て待機期間が経過した場合には、予定が変わって51%でなく一気に100%取得しても、別に問題ないように思います。51%取得した時点で発行会社は取得会社のコントロール下にあるのであり、それ以上の買い増しは競争に与える影響の分析という点からは余り意味がないからです。

では、待機期間後に、何らかの理由で、届け出た予定日と違う日に取得したくなった場合はどうでしょうか。

このような取得日の変更については、届出のやり直しも、何らかの訂正の届出も、原則として必要ないと考えます。何月何日に株式取得するかというのは、競争に与えるインパクトを審査する上で大して重要とは思われないからです。

ただし、取得予定日から余り何年も経った後に取得するというのは考えものです。余り時間が経つと市場の状況が変わってしまうからです。

そうすると、例えば、A社(取得会社)がB社(譲渡会社)からX社(株式発行会社)の株式を取得する場合で、仮にA社のX社に対する持株割合が現在0%で徐々に買い増していき将来的には100%取得する予定の場合に、(20%と50%の届出を1回で済ますべく)取得予定日については「取得予定日は未定」とか「取得予定は1年後から5年後」として、取得予定数については一纏めに「100%」として届け出る、ということも認められないと考えます。

なお、待機期間後に予定からの変更が生じた場合には上のような処理になると考えますが、待機期間中に変更が生じた場合には変更の届出をするべきでしょう。

2009年10月17日 (土)

商品の供給を受けることの拒絶と課徴金

平成21年改正法で、課徴金の対象とするために不公正な取引方法が法律に格上げされ、課徴金の対象にならない不公正な取引方法が一般指定に落とされる形になりました。

例えば、共同の取引拒絶の場合、供給の拒絶だけが課徴金の対象となり(2条9項1号)、購入の拒絶は一般指定1項に規定され、課徴金の対象になりません。

これはこれで明確な切り分けだと思うのですが、疑問がないでもありません。

例えばメーカーが販売店を通じて商品を消費者に販売する、というような場合、通常は、対象商品が、メーカー→販売店→消費者と供給されていく、と考えるでしょう(当たり前すぎて意味が分かりませんね。次をお読み下さい)。

しかし同じ取引を、メーカーが、消費者に商品を販売するための「販売サービス」を販売店から購入している、と構成することもできるように思います。

つまり、メーカーは、商品を製造するためのインプットとして材料や労働力を購入するのと同じ意味で、商品を消費者に販売するためのインプットとして「販売サービス」を販売店から購入する、と考えるのです。

商品の購入拒絶は一般指定1項に該当すると考えるのが通常ですが、以上のように、メーカーが販売店から販売サービスを購入すると考えるなら、販売店による役務の供給の拒絶ということになり、法2条9項1号で課徴金の対象となる、ということになります。

その場合、課徴金対象取引額である、(他のメーカーへ提供した)販売サービスの対価をどう考えるのかは難しい問題ですが、消費者への販売額と仕入額の差額を実質的な販売サービスの対価と考えて課徴金を課す、ということも不可能ではないように思います。

以上は通常の売りきりの場合を前提に説明しましたが、委託販売(所有権は販売店に移転せず消費者に直接移転し、消費者の支払った代金はメーカーに帰属し、販売店はコミッションをメーカーから受け取る)の場合には、コミッションがまさに販売サービスの対価ですから、これを元に課徴金を計算するのは不自然ではないように思います。

翻って考えると、委託販売の場合に販売店が共同してあるメーカーの商品の取扱を拒絶すると、販売サービスという役務の供給拒絶と言うことで、課徴金の対象になることには、それほど違和感がないように思います。

そうすると、経済的実態は委託販売とさほど違わない売りきりの場合だって、以上のような理屈で課徴金を課したって、特に不自然ではないように思います。

以上、私なりのクリエイティブ(?)な解釈論を述べてみましたが、供給だけを敢えて法律に切り出して課徴金対象とした改正法の趣旨からすれば、公取がこのようなクリエイティブな運用をする可能性は低いのだろうなと思います。

2009年10月16日 (金)

事業用の固定資産の「国内売上高」

事業譲渡(昔は「営業譲渡」と言ったもの)の場合に届出が必要なことは一般に理解されていますが、「事業上の固定資産の全部若しくは重要部分」の譲り受けについても、同様に届出が必要です(16条2項2号)。

さて、事業譲渡の対象である「事業」の場合には、当該事業に係る国内売上高というのも比較的イメージしやすいのですが、「事業上の固定資産」に「係る国内売上高」というのは、具体的には一体どのようなものを指すのでしょうか。

ここでの問題意識は、事業譲渡の対象となるような、いわゆる営業活動のために組織された有機的な財産の一体の場合には、その「事業」の売上というのは観念しやすいのですが、「事業上の固定資産」というのは要するに資産であって、資産に「係る国内売上」とはなんぞや、ということです。

実は16条2項2号は旧法と余り変更がない(売上が国内売上高に変わったくらい。あと金額も大きくなった)ので、旧法の解説からこの問題を探ってみます。

公取の鵜瀞(うのとろ)恵子氏が執筆した「合併・株式保有規制の解説」(別冊商事法務209号)p8には、「営業用の固定資産」について以下のように説明されています。

「・・・『営業用の固定資産』とは、営業のために継続使用され得る資産であって、建物、機械設備、車両等をいい、不動産に限らず動産も含まれる。固定資産は、有形固定資産と無形固定資産に分けられるが、例えば、建物であっても福利厚生施設であって営業にかかわらないものは、営業上の固定資産に該当しない。」

ここから分かるのは、固定資産でも「営業のため」使用されないものは届出の対象外、ということです。

では、届出の対象になる「営業のため」の固定資産であれば、常に、それに関する「国内売上」というのを観念出来るのでしょうか。

例えば、福利厚生のための建物は「営業のため」の固定資産でないということの反対解釈で、事務所として使っている建物は、「営業のため」の固定資産ということなのだろうと思います。

しかし、事務所用建物が「売上」を生むでしょうか?「建物」の「売上」って、何でしょうか?

例えば、カスタマーサービス用のコールセンターは「売上」を生まなさそうです。

これに対して、法律事務所の「事務所」は、売上を生んでいる、といえそうな気がちょっとします。

が、その場合も、売上を生んでいるのは中で働いている弁護士や事務員の人たちであって、建物ではないはずです。法律事務所が自社ビル(を持っているリッチな事務所はそうそうないですが)を引き払って賃貸物件に移転するときに、その法律事務所の前年度の売上が当該自社ビル「に係る国内売上」だ、というのは、常識にも文言にも反するように思います。

そうすると結局、事業上の固定資産が「国内売上」を生む場合というのは、工場丸ごと売るような場合しかないのではないでしょうか。

しかし、工場丸ごと売る場合には、むしろ事業譲渡に該当する場合が多いように思います。

工場の建物だけ売って機械や従業員は移らない、というのであれば、「建物が売上を生んでいるわけではない」という先ほどの問題がまた生じます。

建物と機械は売るが従業員は移らない、という場合は、当該工場の生産高を「建物+機械」の「国内売上」と観念しても良さそうですが、やはり、売上を生んでいるのは中で働いている人ではないのか(先ほどの法律事務所の場合と同じ)という疑問が生じます。

例を変えて特許権を譲渡する場合、その特許が稼いだライセンス料が「国内売上高」になるのでしょうか。それも何だかおかしいような気がします。

そうすると、言葉の意味の上では固定資産というのは建物、機械、車両等も含むとしても、それらに「係る国内売上高」が観念出来る場合というのは、ほとんど事業譲渡における事業に近いような、それ自体が売上を生んでいる場合だけではないか、という気がします。

以上はある意味で常識的な結論ですが、現行法では総資産の額が届出基準であるため売上を観念しなくても届出の要否を判断出来た場合もあった(なので上のような議論をする必要がなかった)のに対して、改正法ではすべて国内売上高一本に統一したことから、「資産に係る国内売上とはなんぞや」ということをかんがえないといけない場合が増えることになりそうです。

2009年10月14日 (水)

累積違反課徴金と確定排除措置命令違反罪の関係

平成21年改正法で、一定の不公正な取引方法を繰り返した場合には課徴金が課せられることになりました。

これに対して、最近、課徴金賦課対象になるのは、過去に排除措置命令等を受けたのと全く同一の行為を繰り返した場合でなく、「もし、過去の排除措置命令等を受けたその行為自体を再度行ったとすると、それは、課徴金賦課対象の再犯行為ではなく、むしろ最初の排除措置命令等に違反したものであり」、確定排除措置命令等違反罪である、との見解を見ました(別冊ビジネス法務「改正独禁法」p78)。

なるほど~確かにそうだ、と思ったのですが、よく考えると必ずしもそうとはいえないのではないか、という気がしてきました。

根本的な発想として、刑罰(排除措置命令違反罪)と行政罰(累積課徴金)が課される場合をA or Bで考える(選択的に考える)必要はないのではないか、というのがあります。

つまり、刑罰は刑罰で、行政罰は行政罰で、それぞれ成立の要件を検討し、それぞれ成立要件を満たすなら両方成立したっていいじゃないか、という発想です。

結論としては、全く同じ違反行為をした場合でも(確定排除措置命令違反罪ももちろん成立しますが)累積課徴金の対象となってもいいのではないか、と考えます。どちらを使うかは公取の裁量に委ねられることになります。

全く同一の行為を繰り返した場合には累積課徴金の対象とならないとすると、「ちょっと違う違反行為である」とか、「一端は途切れて社会的に別の違反行為である」とかいうことを公取が立証しないと課徴金を課せないことになり、据わりが悪いように思います。

「全く同一の行為の場合には正々堂々と確定排除措置命令違反罪で行け」、というのも一つの考え方ですが、刑罰はそれなりに重たいものですし、バランス感覚として課徴金で済ませたい、という場合にあくまで刑罰でなきゃならん、というまでの理由はないように思うのです。

累積課徴金に関する20条の2以下の条文を見ても、全く同一の行為では課徴金を課せない、とは書いていませんし。

課徴金と罰金が両方かかるのは、不当な取引制限の場合でもあることであり、別に不自然ではないと思います。

むしろ理論的に気になるのは、「確定排除措置命令違反罪っていつまで成立しうるの?」ということです。理屈の上では、「永久に」ということなのでしょうけれど、それも極端な気がします。

やはり、外形的には同じ行為でも(例えばガソリンの不当廉売とか)、経営者が変わったとか、安売りする事情が変わったとか、前の違反から随分時間が経ったとか、何らかの事情で社会的に別の違反行為と認められる場合には、確定排除措置命令違反罪にはならない、と解するのが据わりがよいように思います。

2009年10月13日 (火)

「警告」の手続の規則化

平成21年改正法に併せて成立予定の「公正取引委員会の審査に関する規則」(審査規則)で、「警告」についての手続が明記されました(審査規則案31条)。

事実上の強制力があるという点で、実際の効果という点では排除措置命令と余り違わない「警告」の手続が明記されたことは、喜ばしいことです。

いくつか気になる点を記します。

まず、警告の手続は基本的に排除措置命令の事前手続を準用していますが(審査規則案32条)、排除措置命令前の説明に関する審査規則25条を準用していません。

つまり、排除措置命令の場合には命令が出る前に公取で事実認定の基礎となる証拠の説明をしてくれるのですが、警告の場合にはこの手続が無い、ということです。

警告でも実務上のインパクトとしては排除措置命令とあまり違わないことからすれば、この事前説明についても準用して欲しかったところです(なお、排除措置命令の事前説明では、事実認定の微妙な事案については公取はかなりきちんと説明してくれます)。

さらに、今回の規則で「警告」の定義が変わったようです。

つまり、公取のホームページのQ&Aには、

「また,排除措置命令等の法的措置を採るに足る証拠が得られなかった場合であっても,違反の疑いがあるときは,関係事業者等に対して「警告」を行い,是正措置を取るよう指導しています。」

という記載があり、現行法上、警告は「法的措置を採るに足りる証拠が得られなかった場合に違反の疑いがあるとき」に採られる措置であるとされています。

これに対して審査規則案31条1項では「警告」の定義が設けられ、

「委員会が、法第3条・・・の規定に違反するおそれがある行為がある又はあったと認める場合」

に採られる措置である、とされています。

違反の証拠が「なく」、疑いに過ぎない場合と、違反する「おそれがある」場合とでは大違いです。「違反するおそれがある」ということは、違反するおそれがあることを立証しなければいけないからです。これに対して、違反の証拠が「ない」場合には、違反の立証をする必要はありません。

「おそれがある」と「証拠がない」を一緒くたにするのはとんでもないことです。例えば、不公正な取引方法は「公正な競争を阻害するおそれがある」行為ですが、これを「公正な競争を阻害する証拠はないがその疑いがある行為」などと解釈するのがおかしいことは一目瞭然でしょう。

先ほどの、証拠の事前説明がないことは、審査規則案で「警告」の定義がこのように変わってしまったこととも考え合わせると、さらに問題です。

なぜなら、現行法では警告は「証拠が無い」という位置づけなので証拠の説明は無くてもよさそうですが、審査規則案では「違反するおそれがある」行為なので、「おそれがある」ことの立証を公取はすべきであり、そのための証拠の説明も違反者に対してすべきだからです。

なぜこのように「警告」の定義が変わってしまったのか、正直よく分かりません。きっと、規則に明文で「法的措置を採るに足る証拠が得られなかった」と書くのがみっともなかったから、というくらいの理由ではないでしょうか。

なので、改正審査規則の下でも、実際には、公取での警告の扱いは現行法と変わらないのではないか、と推測します。

しかし論理的に考えれば、改正審査規則の下では、「違反するおそれはないから警告は違法な行政指導である」という争い方ができてよいはずです。

立案時にどのような議論が公取であったのかは知りませんが、国民はできあがった条文しか見ないのです。もうすこし、「素人が素直に読めばどういう風に解釈できるのか」ということに気を配って規則も起案してほしいものです。

2009年10月 9日 (金)

IBAマドリッド大会

ただ今、International Bar Association (IBA)の総会でマドリッドに来ています。

"New antitrust regimes in emerging markets - trends and challenges"というフォーラムでスピーカーも務めさせて頂きました。

独禁法をやっていて楽しいことの一つが、世界中の弁護士と比較的共通の基盤で話ができることです。法律の国際会議で民法や商法だと「うちの国ではこうだ」、「うちではこうだ」という紹介になりがちですが、独禁法をやっていると、独禁法の考え方の枠組みは世界共通なんだなぁと感じることが多いです。

これからも地道にこつこつ、独禁法を通じての国際交流をして行こうと思います。

2009年10月 5日 (月)

課徴金の要件としての「対価に影響することとなる」の意味

不当な取引制限(カルテル、談合等)に課徴金が課されるためには、その行為が①対価自体に関するものであるか、②対価自体に関するものではなくても供給量(買う競争の場合は購入量)、市場占有率、取引相手方に関するもので、「対価に影響することとなるもの」であることが必要です(7条の2第1項。なお平成21年改正でも変更はありません)。

このような、いわゆる「対価要件」があるために、違反者は「供給量等を合意しても価格には影響がなかった」と反論することが考えられます。

しかし、このような反論は経済学的にはほとんど無意味のように思われます。供給量を減らせば価格が上がることはミクロ経済学の基礎を学べばすぐに分かることだからです。市場占有率や取引の相手方にしても、基本的には同じことです。

ミクロ経済学的に成り立つ理屈としては、供給量を減らしても価格への影響はほとんどない(同じことですが、需要は価格に対して非弾力的である)ということくらいです。まったく影響がないというのは、政府が価格統制している場合くらいしか思い浮かびません。

では政府が価格統制をしていれば課徴金をかけなくても良いのか(ひいては不当な取引制限を野放しにして良いのか)というと、そういうことはありません。価格で争えなくても、品質や付帯サービスで競争すべきだからです。

そう考えると、そもそも課徴金を課すのに対価への影響が必要であるとしていること自体、合理性がないように思われます。

対価への影響がなければいいじゃないかという人は、品質(需要者への満足度という観点から経済学モデル上は供給量へ還元可能)への影響を考えていないのではないでしょうか。少なくとも私には、価格への影響と品質への影響を区別する合理的理由が見いだせません。

この問題も、経済学を通じて独禁法をみると何が本質的な問題で何がそうでないかを見極めるのに役立つ例だと思います。

2009年10月 4日 (日)

不当な取引制限を主導した者とは

平成21年の独占禁止法改正で、不当な取引制限を主導した者の課徴金が5割り増しになりました。

「主導」という言葉をみると(新明解国語辞典では「他の対立者を抑え、その人が主となって指導すること」とあります)、他の参加者を引っ張っていったというような、リーダー的なものが思い浮かびますが、条文の文言はそれより随分と広いようです。

まず改正法7条の2第8項1号は、「企て and (要求 or 依頼 or そそのかし)」です。

「企てる」というのは、「あることを計画する」(新明解国語辞典)ことで、計画さえすればすべて該当します。競合他社の担当者といつどこで会おうとか、値段はいつからいくらぐらい上げようとか、具体的なことを計画したことは必要ではありません。

法令での「企て」の使用例としては、国家公務員法98条(法令及び上司の命令に従う義務並びに争議行為等の禁止)2項に、「職員は、政府が代表する使用者としての公衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をなし、又は政府の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。」というのがありますが、この文脈からすると、細かいことまで決めなくても「企て」には該当するようです。

「要求 or 依頼 or そそのかし」というのは、カルテルの文脈での他社との接触はすべて該当しそうです。業界団体の新年会で、

A:「最近商売あがったりですなぁ」、

B:「値引きの要求も厳しいですしなぁ」、

C:「おたくもですか?」、

D:「なんとかせなあきませんなぁ」、

E:「そうですなぁ」

なんていうやりとりをしても、Dあたりは「そそのかし」くらいにはなるかも知れません。7条の2第8項3号イが重要なものという限定をされていることとの対比から1号は重要でないものでも該当する、ということからすると、なおさらです(なお上記会話が関西弁なのは私が大阪出身で、この方がイメージが湧くからであって、それ以上に深い意味はありません)。

「要求し、依頼し、又は唆す」の法令での使用例としては、暴力団対策法12条1項に「公安委員会は、第十条第一項の規定に違反する行為が行われた場合において、当該行為をした者が更に反復して同項の規定に違反する行為をするおそれがあると認めるときは、当該行為をした者に対し、一年を超えない範囲内で期間を定めて、当該行為に係る指定暴力団員又は当該指定暴力団員の所属する指定暴力団等の他の指定暴力団員に対して暴力的要求行為をすることを要求し、依頼し、又は唆すことを防止するために必要な事項を命ずることができる。」というのがあり、この条文の文脈上、相当広い範囲をカバーすることが念頭にありそうです。

次に2号は、「求められ and 継続的に対価等指定」です。

これは1号に比べて、リーダー的な感じがしますね。他社が「求めて」くるくらいですから、きっと業界の盟主でしょう。また他社が決定を委ねてきて決めてしまう(さらに、他社もそれに従う)のですから、他社ににらみが効くのでしょう。まさに「主導的」です。

ただ、2号だけに該当する(つまり1号には該当せず、他社に要求も依頼もそそのかしもしていない)場合には、何だか周りに担がれてリーダーになってしまったようで、気の毒ではあります。

3号イは、「要求 or 依頼 or そそのかし」で重要なもの、です。1号に比べて「企て」たことは不要です。他社の企画に自分も乗って、さらに他の参加者に参加を呼びかけるような場合でしょうか。

3号ロは、「対価等指定」で重要なもの、です。2号と違って他社からの求めは不要です。しかも「専ら自己の取引について指定することを除く」とされているので、入札談合で落札を希望して他社にそれより高い値段で入札してもらっただけでは、これに該当しません(他社の入札価格は成約の可能性がなく、ダミーに過ぎないからです)。

以上検討すると、「主導的役割」というのはかなり広く解釈される可能性があることが分かります。それも、一見キャッチオール的な3号イよりも、重要性の要件のない1号の方が広く解されそうです。

少なくとも、主導者は必ずしも1社に限らないようです(条文では「単独で又は共同して」とされているので共同して行った場合には2社以上いるのは当然ですが、ここで言っているのはそういうことではなくて、単独で別々に主導者に該当する者が2社以上いることがある、ということです)。

あと、以上のような意味での「主導的役割」を担ってしまうかどうかは、当該企業の業界での地位や力関係もさることながら、担当者の人柄や押しの強さや、どちらが大学の先輩でどちらが後輩か、とかいう事情に影響されるところもあるように思います。そのような担当者の属性で課徴金が5割増しされた企業はある意味気の毒ですが、普段からカルテルを許さない企業文化を作っていくことがより一層求められる、ということでしょうか。

以上、私なりの解釈を述べましたが、感覚的には、5割り増しに相当するような悪質なものだけが「主導者」と認定される、という、ある意味で結論先取りの(また、実務的にはよくありがちな)、常識的な運用に落ち着くのではないか、と予想しています。

2009年10月 3日 (土)

改正法における企業結合の届出の注意点(特に海外子会社)

平成21年改正において、企業結合の当事者の規模の要件が、国内での売上高を基準、かつ、企業結合集団全体で見ることになりました。つまり、「国内売上高合計額」を基準とすることになりました。

当事者の規模要件を企業結合集団全体でみることから、以下のような場合には届出の必要性を見落とさないよう注意が必要です。

例えば、日本の会社(A社)が、その米国子会社(a社)を、他の日本の会社(B社)の米国子会社(b社)と合併させる、という場合を考えます。

そして、いずれの米国子会社(a社、b社)にも、日本での売上は無いものとします。

つまり、感覚的には、完全に米国の会社同士の合併です。

しかし、この場合でも、日本の独禁法上の届出が必要になることがあります。

というのも、合併の当事者規模要件は企業結合集団でみるからです。条文の用語では、a社またはb社の一方の「国内売上高合計額」が200億円超、他方のそれが50億円超であれば、規模要件を満たすことになります。

例えば、A社の国内売上高が200億円超、B社の国内売上高が50億円超、といった場合です。この場合、合併の当事会社であるa社およびb社の国内売上高はゼロであるにもかかわらず、規模要件を満たすことになるのです。

上の例ではB社を日本企業としましたが、B社が米国企業であったりすると、ますます日本の独禁法のことは忘れてしまいがちです。

しかし、米国企業であるB社に、合併当事会社であるb社以外のbb社という日本の子会社(現地法人)が存在することは十分にあり得ます。そして、bb社の国内売上高が50億円超なら、b社の属する企業結合集団の「国内売上高合計額」は50億円を超えるので、日本の独禁法上の届出が必要ということになります。

このような、やや感覚とずれた結果になってしまうのは、企業規模要件を企業結合集団一本やりで見ることにしたためです。合併当事者単体での最低限の国内売上高を定めればこういう事態は避けられたと思いますが、きっと規定が複雑になるのを避けたのでしょう。

いずれにせよ、日本にまったく売上のない海外の子会社の合併の場合にも日本の独禁法の届出が問題になるので、注意して下さい。

2009年10月 2日 (金)

【お知らせ】改正独占禁止法セミナー

10月16日(金)に、金融財務研究会において、平成21年独禁法改正についてのセミナーを行います。

場所は、東京都中央区日本橋茅場町1-10-8「茅場町・グリンヒルビル」、時間は10月16日午後1時30分からです。

ご興味がおありの方は、以下のリンクから申込ができます。どうぞよろしくお願いいたします。

http://www.kinyu.co.jp/seminar.html

合併による株式取得

平成21年改正法とは直接関係ないのですが、よく質問されるので合併により株式を取得した場合の届出について書いておきます。

つまりこういう場合です。A社とB社は合併を計画しています。A社が存続会社となる予定です。消滅会社であるB社の資産に、b社株式があります。B社が所有するb社株式は、b社の発行済み株式総数の21%とします。

A社とB社が合併届出の資産規模要件を満たす場合、合併の届出をすることは誰でも思いつきます。では、それだけで良いのでしょうか。

実は、b社の株式をA社が本件合併により取得することについて、A社が株式取得の届出をする必要があります(b社の資産規模要件を満たすことが前提)。

企業結合の届出に関する公取規則2条(改正後は2条の6)にもb社の株式取得の届出を要することを前提とする規定があり、実際には、合併の届出書にb社株式の取得のことについても記載すれば、別途株式取得の届出は不要である、とされています。

A社もB社もb社の株式を少しずつ持っている場合には、b社に対する持株比率が上がることから、まだ独禁法上の届出について思いつきやすいのですが、上述のように、A社がb社株式をまったく保有していない場合にも届出を要することは見落としがちです。気をつけましょう。

文言解釈としては、株式の「取得」には、売買等の特定承継のみならず、合併等の一般承継も含むので、当然の解釈ではあります。

なお、以上のことが改正法でどのように変わるのかと言えば、合併届出書に株式取得のことも書けば別途株式取得の届出は不要であるという点は変わりません。変わるのは、改正前は株式取得は事後報告だったので、合併した後にb社株式について合併届出書に記載することを忘れいていたことに気づいた場合、b社株式を合併により取得したA社が取得から30日以内に事後報告をすれば事なきを得たのですが、改正後は株式取得も事前届出なので、合併が終わってから(=b社株式を取得してから)気がついても既に手遅れ、ということになります。

2009年10月 1日 (木)

差別対価における課徴金対象取引

平成21年改正で一定の差別対価に対して課徴金が課せられることになりました。

そして、課徴金算定の基礎になる取引(課徴金対象取引)は、「当該行為(=差別対価による供給)において当該事業者(=違反者)が供給した」商品役務の売上額、ということになっています(20条の3柱書き)。

しかし、ここでいう「当該行為において・・・供給した」というのは、具体的に何を指すのでしょうか。

何が問題意識かというと、差別対価の場合の「当該行為において・・・供給した」商品役務というのは、①相対的に高い値段で供給した商品役務なのか、②相対的に低い値段で供給した商品役務なのか、③高い方も低い方も両方含むのか、です。

条文の文言はさておいて、他の違反類型との対比で考えると、特定の需要者に対して高く売ることが問題な差別対価(例えば、家電メーカーが量販店には安く卸し、個人商店には高く卸して、個人商店を困らせるような場合。いわゆる準取引拒絶型差別対価)の場合には、共同の取引拒絶の算定方法に類似するのでそれに倣って、相対的に安く売った方の売上(①)に課徴金を課すのが自然です。

これに対して、これも他の違反類型との対比で考えると、特定の需要者に対して安く売ることが問題な差別対価(例えば、ライバルのいる地域では安く販売してライバルを困らせ、ライバルのいない地域では高く販売して安売りの赤字を補填するような場合。いわゆる略奪廉売型差別対価)の場合には、不当廉売に似ているので、それに倣って、やはり相対的に安く売った方の売上(②)に課徴金を課すのが自然です。

これに対して、文言はさておき常識的な感覚からすれば、「当該行為において・・・供給した」というのを、独禁法上問題のある供給をした、という意味で捉え、相対的に高く売るのが問題の場合(準取引拒絶型)の場合には高く売った方の売上(①)に課徴金を課し、相対的に安く売るのが問題の場合(略奪廉売型)の場合には安く売った方の売上(②)に課徴金を課す、という解釈にも一理あるように思われます。

いずれが正しいのでしょうか。

やはりここは、形式的な文言解釈を重視して、全部の売上に対して課徴金を課する(③)というのが正しいのだろうと思います。準取引拒絶型も略奪的廉売型も安い方の売上と解釈したり、準取引拒絶型の場合は高く売った方、略奪的廉売型の場合は安く売った方、と解釈することは、文言解釈として無理と思われるからです。

しかし、本当にこれで妥当な結論が導けるのでしょうか。とくに略奪型廉売の場合に、ライバルのいる地域に限って安売りをした違反者が、ライバルのいない地域で高く売った方の売上に対してまで課徴金を課されるというのは、ちょっと行き過ぎのように思われます。排除型私的独占の一種のコスト割れ販売の場合にはコスト割れ販売部分に課徴金が課されるのでありコスト割れでない販売には課されないこととのバランスも取れないように思います。

そもそも論ですが、「当該行為において・・・供給した」などというよく分からない日本語に問題があると思います。「において」という文言から、安い方も高い方も全部含むという結論が感覚的にすんなりと出てくる人がどれほどいるでしょうか。

「○○において」とか、「○○に係る」とか言う文言は、条文の趣旨がよく分かっている人には理解できるのかもしれませんが、そうでない人には不親切です。

とくに最近の法律は、言葉を記号としか考えていないようなものが多く、読んですっと頭に入ることは余り重視されていないように思われます。もっと味のある、人間味のある条文にしてもらいたいものです。

【2012年2月20日追記】

この記事を書いた後に出た公取委担当者による解説(『逐条解説平成21年改正独占禁止法』)では、差別対価に、

「競争者排除型」(=競争者の顧客を狙い撃ちして安売り攻勢をかけること)

「取引事業者排除型」(=自分の取引の相手方を不利に扱うこと。自分が売主なら、不当に高く売ること。多くの場合、自分も取引の相手方と競争している)

があるとした上で、

「いずれの場合も、課徴金の算定の基礎となるのは、差別的な対価をもって供給された商品等の売上額である。」

と解説されています(p84)。

これはつまり、

安く売るのが不当な場合(=競争者排除型)には、安く売った方の売上、

高く売るのが不当な場合(=取引事業者排除型)には、高く売った方の売上、

が課徴金対象である、ということです。

というわけで、高く売ったのも安く売ったのも全部課徴金対象売上だ、という上記の記事の見解は採られないことが明確になりました。

常識的な結論になって良かったというべきですが、確かに、

「不当に・・・差別的な対価をもって・・・供給する」(独禁法2条9項2号)

という文言は、

高く売ることが不当な場合は高く売ったほうが「差別的な対価」だ(安い方は「正当な対価」だ)

で、

安く売ることが不当な場合は安く売ったほうが「差別的な対価」(高い方は「正当な対価」だ)

だ、というのも理解できるので、やはり公取の解釈で良いのでしょう。

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