下請法と中小企業庁

最近、事情があって(通常は公取に聞くのですが)、とある依頼者のために、中小企業庁に下請法の質問をすることがありました。

依頼者は匿名ではあるものの、具体的な事情(大して複雑なはなしでもありません)も包み隠さず説明したうえでの質問だったのですが、某H.S.下請代金法担当課長補佐(中小企業庁事業環境部取引課)から、回答を拒否されてしまいました。

とくに、2回電話したうちの最初の電話での回答は、

「立入検査で具体的な問題が発生したなどというのでない限り、個別の案件についてはいちいち回答しない」

という、信じられないような回答でした。

そんなことはないだろう、公取でも中企庁でも、いくらでも回答してもらっている、といっても、

「(具体的な案件にいちいち答えないのは)当たり前でしょう」

「そっちのほうがおかしい」

と、まったく取り付く島もない感じでした。

最後には、

「これ以上は業務妨害ですよ!」

といって、一方的に電話を切られてしまいましたcoldsweats01

そこで2度目の電話で、下請法テキストの最後の頁に、

「~ご相談やご質問は、全国の相談窓口までお気軽にどうぞ。~」

と書いたうえで中企庁の窓口の連絡先も載ってるじゃないかといって、再度食い下がったのですが、やっぱり同じような回答でした。

当該課長補佐の論理では、「明確なルールがないというのが回答」だということらしいのですが、同じことだと思います。

あと、

「紙に書いたようなルールがないので、明確な回答はできない」

←(心の声)紙に書いたものがあったらこっちもきかないよcoldsweats01

「ルールが明確でない以上、下請法の適用があるという前提で対応するのが望ましい」

←(同)法律論を聞いているんだよangry

という、お役人様らしい迷言も多々ありました。

さらには、

「どうしても下請法の条件を守れない事情でもあるんですか?」

「支払いが60日超えて90日とかなんて、長すぎますよね?」

「守れない事情がないなら、守ったらいいんじゃないんですか?」

といった具合で、まったく理屈の話になりませんでした。

下請法が適用されると取引記録(5条書類)を2年間保存しないといけないとか、下請事業者の名簿を準備しなくちゃいけないとか、いろいろ面倒なことがあることをご存じないのでしょうか。

当該担当課長補佐が、

「具体的な事実関係がわからないと回答できない」

とおっしゃるので、(それまでかなり詳細に事実関係を説明していましたので)では今まで説明した以上にどんな事情が必要なんですかと尋ねたら、

実際に下請事業者にどのような被害が及んでいるのか、といったような事情です

とおっしゃいました。

そんなのは下請法適用の有無とは何の関係もないのは明らかなのですが、万事こんな具合ですから、「この人、何にもわかってないんだなぁ」と思って、回答をもらうことはあきらめました。

こんなわけのわからないことをいう人が所轄官庁の実質的な責任者をやっているというのが、日本の下請法実務の現状です。

ただ中企庁の名誉のために一言いうと、いろいろ聞くところによれば、どれくらいていねいに回答してくれるのかは担当者によるそうです。

わたしも別の中企庁の担当者に聞いたときは、普通に答えてくれました。

そういう意味で、今の担当課長補佐は、たんに「はずれ」なのかもしれません。

もしどうしても、正式な回答でなくてもいいから、(公取ではなく)中企庁の見解が知りたいんだということがあったら、下請法テキストの最後の頁に載っている最寄りの経済産業局に問い合わせたほうがいいと思います。

そちらのほうが、はるかに下請法のことが分かっている担当者が出てくれるので、少なくとも議論がかみ合います。

ちなみに、私は基本的に、当局に問い合わせるのには消極的で、お客さんにもあまり勧めません。

いろいろ理由はありますが、担当者によって、けっこう言うことが変わるからです。

なので、「聞いてもいいけど、あてにしない」というのが正解かもしれません。

役所によっては配属直後の新米が電話質問の回答をやらされるそうなので、信頼性にも疑問がつくことが少なくありません。

だいぶ昔に、特許庁に質問した時に、質問にいたる前段階のところで、

「ライセンス契約は登録しないと効力がないでしょう?」

といわれ、ひっくり返りそうになったことがあります。

たぶん、通常実施権の登録制度と混同されていたのでしょう(平成23年改正による通常実施権の当然対抗制度の導入前の話でした)。

その点、消費者庁では任期付弁護士の方が回答してくれたりすることがあったのですが(消費税転嫁法関係)、あれはよかったですね。

ほんとうに、法律論として、話がかみ合いました。

もっともっと、弁護士資格者が役所にも増えたらいいのになと思います。

あと、当局に質問する場合は、質問する側も、相当勉強していないと、まちがった回答を引き出してしまいがちなので、自信がない場合は弁護士に頼むべきです。

とくに当局の担当者もよくわかっていない場合、わけのわからないことになります。

今まで公取に下請法の質問をしたときは、きちんと答えてくれていたし、議論してもかみあっていました。

融通が利かない結論には納得いかないことはありましたが、それは下請法がそういう法律なので、ある程度仕方がないです。

今回、中企庁と公取でこうも対応が違うのかと思い知らされ、公取がとても立派で誠実な役所に思えました。

私はこれまで、中小企業保護法である下請法は、競争法当局である公取委から切り離して、中企庁の専管にすべきだと考えていましたが、考えを改めました。

中企庁だけに下請法をまかせきったのでは、えらいことになりそうです。

(ちなみに当該課長補佐にも、「公取には問い合わせたのですか?」と聞かれましたので、あまり中企庁が主体的に下請法を解釈運用していこうという姿勢は今でもあまりないのだなと感じました。)

役所とのクローズなやり取りをオープンにするのは多分これがはじめてですし、あまり好きではないのですが、それでも、これは公益にかかわることだ(納税者たる国民が知っておくべきことだ)と考え、率直に書かせていただきました。

今回のことは、あくまで担当者個人の個性の問題であって(それも困るのですが・・・)、中企庁の組織の問題ではないことを祈りたいと思います。

もし、今回のような対応が中企庁のスタンダードなら、下請法テキストに、

「~ご相談やご質問は、全国の相談窓口までお気軽にどうぞ。~」

なんて書かなればいいし、もし書くなら、中企庁の直通番号は載せなければいいのにと思います。

これでは、明らかに看板倒れです。改善を望みます。

【5月25日追記】

本日、中小企業庁のかたから、上記の不適切な対応へのお詫びと、質問への明確な回答をいただきました。ありがとうございました。

2017年5月26日 (金)

返品による課徴金の減額

景表法の課徴金では(じつは独禁法でも同じなのですが)、返品により課徴金を減らすことができる可能性があります。

というのは、景表法施行令1条では、

「課徴金対象期間において商品が返品された場合」

には

「返品された商品の対価の額」

を課徴金対象の売上額から控除するとされているからです(2号)。

悩ましいのが、その返品が、

「課徴金対象期間において」

なされたものでなければならないとされていることです。

ここでいう、

「課徴金対象期間」

とは、景表法8条2項で、

「課徴金対象行為〔≒不当表示行為〕をした期間

(課徴金対象行為をやめた後そのやめた日から六月を経過する日

(同日前に、当該事業者が当該課徴金対象行為に係る表示が不当に顧客を誘引し、一般消費者による自主的かつ合理的な選択を阻害するおそれを解消するための措置〔誤認解消措置〕として内閣府令で定める措置をとつたときは、その日)

までの間に当該事業者が当該課徴金対象行為に係る商品又は役務の取引をしたときは、当該課徴金対象行為をやめてから最後に当該取引をした日までの期間を加えた期間とし、

当該期間が三年を超えるときは、当該期間の末日から遡つて三年間とする。)」

と定義されています。

要するに、課徴金対象期間は、

①原則(不当表示をやめると同時に販売もやめたとき):不当表示行為をした期間

②例外その1(不当表示行為後も販売を継続したとき):不当表示行為をした期間+最後に販売した日(ただし不当表示終了後の追加期間は最長6か月)

③例外その2(不当表示行為後も販売を継続し、かつ、②の6か月の日よりも前に誤認解消措置をとったとき):不当表示行為をした期間+誤認解消措置の日まで

ということです(最長3年は、はしょりました)。

要約してもややこしいですね。

さて上で、返品を受け付けると課徴金が減る、と書きましたが、ここでジレンマが生じます。

典型的な場合として、メーカーが小売店を使って販売していた場合で、不当表示に気付いたと同時に販売もやめる場合を例に考えてみましょう。

この場合、不当表示をやめるのと同時に販売もやめているので、課徴金対象期間の最終日は不当表示行為をやめた日となります。(①)

(なお当然のことですが、この例でメーカーが不当表示行為をした場合、課徴金がかかるのはメーカーから小売店への売上であり、小売店から消費者への売上ではありません。

したがって、メーカーが不当表示行為をやめたあとでも小売店の棚に商品が残っていて消費者が1000円で買ってしまったとしても、その分に30円の課徴金がかかるわけではありません。

というより、正確には、当該商品がメーカーから当該小売店に課徴金対象期間中に売られたときの売上に課徴金がすでにかかっている、ということです。)

ということは、不当表示行為をやめた日のあとに返品を受け付けても、それは課徴金対象期間中の返品ではないので、課徴金の控除はされないことになります。

そうすると、返品により課徴金からの控除を受けようとすると、(さすがに不当表示を続けるわけにはいきませんので)不当表示をやめたあとに

「取引」(景表法8条2項)

をする必要があります(②)。

そうすると、返品による課徴金額の控除を認めてもらうために(課徴金対象期間を意図的に延長するために)、たとえばその商品を1個だけ(通常の販売を継続していたら課徴金が積みあがってしまうので、それはできません)、不当表示をやめたあとに小売店に販売する必要がある、という、おかしなことになります。

そうすれば、その1個には課徴金がかかっても、小売店から100個返品を受ければ、99個分については課徴金から控除されることになります。

でも、返品による控除をうけるために、1個だけ販売して課徴金対象期間を延ばさなければならないというのも、なんだか変な感じがします。

(ちなみに、「取引」は、あきらかに販売のことであり、返品は含まれないと思われます。)

ほんらいであれば、不当表示であることが分かったあとに受けた返品は控除対象にしない、としておくべきだったのでしょう。

この、課徴金対象売上額の算定方法に関する施行令1条の規定は、独禁法を参考にしたもので、独禁法施行令5条では、

「実行期間において商品が返品された場合」

には、

「返品された商品の対価の額」

を課徴金額の基礎となる売上額から控除するとされています(2号)。

ちなみに、ここでの「実行期間」とは、独禁法7条の2第1項で、

「当該行為の実行としての事業活動を行つた日から当該行為の実行としての事業活動がなくなる日までの期間

(当該期間が三年を超えるときは、当該行為の実行としての事業活動がなくなる日からさかのぼつて三年間とする。」

と定義されています。

つまり独禁法も景表法も、基本的な発想は、返品されているのに課徴金の対象になるのはおかしい、という、素朴な会計的な発想でできているわけです。

両者が違うのは、独禁法(典型的にはカルテル)の場合は、対象商品の販売が継続されても課徴金対象期間が延長されることはないので、違反行為の終了後の返品額が課徴金対象売上から控除されるということが、法文上ありえない、という点です。

これに対して不当表示の場合には、不当表示行為をやめても通常その影響がすぐになくなることはないために、課徴金対象期間を最長6か月延長しました。

逆にいえば、カルテルの場合には、カルテルが終わったら価格への影響はなくなる、という前提で制度ができているのです。

というより、価格への影響が残っていたら、それはカルテルの実行期間が続いているのだと解釈するということが、当然あるいは暗黙の前提になっているのでしょう。

このように、不当表示の場合にはカルテルと違って違反行為のあとにも課徴金対象期間を延ばす必要があるという立法判断は正しかったと思うのですが、控除対象の返品まで(あまり深く考えずに?)独禁法に引きずられて課徴金対象期間(≒実行行為期間)内としてしまったために、おかしなジレンマが生じることになってしまいました。

以上のような問題点を、

松田知丈「景品表示法違反を指摘された場合の企業の争い方(上)」NBL1097号

では、

「不当表示をやめると同時に販売も終了した場合、その後の期間が『課徴金対象期間』に含まれるかがポイントとなる。

この要件との関係で、売上額(課徴金額)の減額が難しい場合も考えられる」

というふうな言い方で指摘されています(9頁)。

では「課徴金対象期間」という返品の要件をなくせばいいかといえば、そうもいきません。

そういうことをすると、いつまでも返品による控除を認めることになり、いつまでたっても課徴金額か確定しないということにもなりかねないからです。

そういう意味では、控除が認められるための返品は「課徴金対象期間」内ではなくて、「不当表示行為期間」でなければならない、としたほうが、おかしなジレンマも生じずすっきりしたのではないか、という気もします。

違反者には不利になりますが、独禁法と同様、景表法の場合も、この控除の規定は、前述のような、素朴な会計的発想でできているだけで、たぶんそれ以上の深い意味はないので、この返品に関する規定を使って違反行為終了後の控除までは認める必要はない気がします。

立法というのは、細かく見ていくといろいろ難しいものですね。

実務的には、どうせ不当表示のあった商品は小売店から回収しないといけないのであれば、不当表示行為終了日から6か月以内にできるだけたくさん回収して、6か月目の日に名目的に1個だけその商品を小売店に販売する、というのが課徴金額を減らすポイントになりそうです。

そして、6か月目の日の販売は有償でないと、やっぱり

「取引」(景表法8条2項)

とは認められない認められないのでしょう。

不当表示の判明したいわばキズモノを通常価格で買ってくれる小売業者もいないでしょうから、1円で売る、ということも考えられます。

でも、日用雑貨とか、単価の小さい商品なら細かいことはいわず、事情を説明して頭を下げて買い取ってもらうのでしょうか。

マンションとか不動産とか、単価の大きな商品の場合には、なかなかシビアな問題になりそうです。

あるいは、あとで買い戻す約束付きで売るということも考えられますが、それでは真正の、

「取引」(景表法8条2項)

とは認められないかもしれません。

あるいは、グループ会社に買わせる、ということが可能なら、それでもいいのでしょう。

いろいろと細かいことを考えると悩みは尽きません。

2017年4月21日 (金)

セット販売(バンドルディスカウント)について

昨日の競争法フォーラムの勉強会でセット販売がテーマだったので、前から読みたいと思っていた、ハーバード大学のEiner Elhauge教授の

TYING, BUNDLED DISCOUNTS, AND THE DEATH OF THE SINGLE MONOPOLY PROFIT THEORY (2009)

という論文を読んで予習してみました。

Elhauge教授らしい、相変わらず切れ味鋭い論説で、私もバンドルディスカウントに対する考え方を改めたい、と思いました(宗旨替え)。

要点をまとめると、抱き合わせおよびバンドルディスカウントの効果には、

①商品内価格差別(Intra-Product Price Discrimination)

②商品間価格差別(Inter-Product Price Discrimination)

③個別消費者余剰の搾取(Extracting Individual Consumer Surplus)

(①~③は、いくらかの市場支配力があれば生じるので「支配力効果」(power effects)と総称)

④従たる商品市場の市場支配力増加(Increased Tied Market Power)

⑤主たる商品市場の市場支配力増加(Increased Tying Market Power)

(④、⑤は、従たる商品市場の相当程度のシェアの排除を要するので「シェア排除効果」(foreclosure share effects)と総称)

があるとされます。

そして、シカゴ学派の抱き合わせに関する「独占の梃子の否定論」(single monopoly profit theory)は、

①需要者は主たる商品に対する従たる商品の使用量を変えないこと、

②主たる商品と従たる商品の需要に強い正の相関性があること、

③主たる商品の使用量が変わらないこと、

④従たる商品市場の競争の程度が固定されていること、

⑤主たる商品市場の競争力の程度が固定されていること、

の5つすべてを前提にしてはじめて成り立つが、実際には、これらの条件がすべて成り立つことはまれであり(というより、そのうち1つでも成り立つ場合も多くない)、しかも前記5つの効果は重畳的に生じるので、バンドルディスカウントはきわめて強い排除効果を持ちうる(なので、抱き合わせを当然違法ないし当然違法類似の法理で処理する米国判例法は正しい)、とされます。

すなわち、

①需要者が主たる商品に対する従たる商品の使用量を変えると、商品内価格差別が生じる、

②主たる商品と従たる商品の需要に強い正の相関性がないと、商品間価格差別が生じる

③需要者が主たる商品の使用量を変える場合(たとえば、2台目、3台目のプリンターを会う場合)には、個別消費者余剰が搾取される、

④従たる商品市場の競争の程度が変わる前提だと、従たる商品市場の市場支配力が強化される、

⑤主たる商品市場の競争力の程度が変わる前提だと、主たる商品市場の市場支配力が強化される、

とされます。

この論文のすごいところの一つは、これまでの経済学の議論を、難しい数式を一切使わずに、単純な数値例を使うことで、きわめてわかりやすく説明しているところです。

たとえば、②の商品間価格差別については、

201人の需要者がいて、

その支払意思額が、商品A(コストはゼロ)について、0ドル、1ドル・・・200ドルと1ドルきざみであり、

逆に商品B(コストはゼロ)については、200ドル、199ドル・・・0ドルだとすると、

抱き合わせがないと商品AとBをそれぞれ100ドルにするのが利益最大化になる(それぞれ101人の需要者が購入して利益は20,200ドル)が、

抱き合わせをするとバンドルで200ドルにするのが利益最大化になる(201人全員がバンドルを購入し、利益は40200ドル)、

ということが示されます。

つまり、商品Aと商品Bへの支払意欲に相関関係がないと(上の例では、商品Aを高く評価する需要者ほど商品Bは低く評価するという負の相関関係があると)、バンドルによって消費者余剰を搾取できる、ということです。

いわば、セット(バンドル)の購入者について、セットでは定額としながら、商品Aと商品Bを個別に(実質的に)みれば、実質的には、個々の需要者ごとに異なる価格を設定している(だけどバンドルでは同じ額)、という理屈です(なので、商品間価格差別)。

またこの論文は、反トラスト法では総余剰基準ではなく消費者余剰基準を採用すべきだと強く主張します。

私などは、基本的にシカゴ学派からスタートしていますから、完全価格差別は総余剰を増やすので効率的だという議論がしっくりくるのですが、この論文は、その考えが甘いことをよくわからせてくれます。

完全価格差別が効率的だと言ってのけられるのは、「しょせん完全価格差別なんてめったに起こるものではないんだから目くじら立てることはないでしょ」という甘えがきっとあるのだろうと思います。(私はありました。)

でも、セット割引というのは世の中にいくらでもあるので、そんな悠長なことは言ってられません。

やはり、ほんとうにシビアな問題が起こっているところで、「本当にそんな、木で鼻をくくったような議論をしていていいの?」ということを、真剣に考える必要があるんだなぁと、いまさらながら考えさせられました。

(ただこの点については逆に、シビアな問題が生じるからこそ、「総余剰基準が正しいんだ」という議論が強まる可能性もあります。)

同論文によると、バンドルディスカウントを不当廉売のようにコストベースで考えるのは間違いで、コスト割れでなくても反競争的な場合は、上記5つの効果を考慮すればいくらでもある、とされます。

また、「ディスカウント」という言葉が値引であるかのような誤解を生むのであって、実際には、バンドルディスカウントというのは、アンバンドル価格とバンドル価格との差額であるにすぎないんだ、ともいいます(しごくもっともです)。

そのうえで、問題にすべきはバンドルあるいは従たる商品の実質価格がコストを下回るかどうかではなく、アンバンドル価格が、抱き合わせがなければついたであろう価格(but-for price.「ナカリセバ価格」)を上回ることなのだ、といいます。

したがって、(公取のバンドルディスカウントに関する検討会報告書でも採用された)Distribution Attributionテストはまちがいだ、それだと、反競争的な行為が合法になって過小規制だ、とはっきりいいます。

公取委の報告書についてはまたの機会に検討するとして、ともあれ、この論文は非常に説得力があります。

同報告書で、

「※注13 本報告書はこのような排除効果に焦点を当てるものではあるが,あるバンドル・ディスカウントが排除効果までは生じない場合であっても,バンドル・ディスカウントを介した価格差別によって消費者厚生が低下する可能性がある点も問題として捉えるべきであるとの指摘も存在することに注意が必要ではある。」

というのが、上記①~③の支配力効果(排除を前提としない効果)のことと思われます。

でも実際にこの論文を読むと、こんな簡単に脚注で触れて済むような問題ではないことがとてもよく理解できます。

というわけで、公取委は排除効果を中心に考えて、しかもDistribution Attribution(DA)テストを採用しているので、この論文ほどセット販売に厳しい立場をとることは考えられませんが、この論文をよむと、セット販売が大きな反競争性をもちうるということがわかります。

しかも、電気とかガスはだれでも購入するので、その広がりがとても大きくなります。

ほかにも、

「同等に効率的な競争者テスト」(排除者と同等に効率的な競争者でも排除されてしまうときには違法とする考え)は、まさにその行為があるために競争者が同等に効率的になれないときには過少規制になる

とか、

「抱き合わせは支払意思額の高い需要者から低い需要者に取引を移転させるので消費者余剰が減少し非効率的だ」

とか、排除行為に関する議論が頭の中でとてもきれいに整理できる記述が盛りだくさんです。

もちろん、実際の市場の競争や需要曲線をみないと反競争効果が生じるかどうかはわからないし、効率性を促進することもありうるので、理屈だけですべてのが片付くわけではないのですが(この論文も、バンドルディスカウントが当然違法といっているわけではなく、あくまで合理の原則で判断すべきと言っているだけです)、価格差別(メーターリング)は総余剰を増やす、というシカゴ流の単純な発想ではいけないんだ、ということはよくわかります。

私はかつて、川濱教授の再販の論文をよんで再販については宗旨替えした(シカゴ流の原則合法ないしは合理の原則から、ほぼ当然違法)のですが、それに匹敵するくらいの衝撃のある論文でした。

セット販売反対派も賛成派も、この論文を読めば何が問題か、よく理解できることでしょう。

そういった意味で、どちらの立場であっても、関係者は必読(という陳腐な決まり文句は好きではないですが、本当に)です。

たとえば、電気は最初の一単位と最後の一単位に対する支払意思額がかなり違いそう(電気がないとさすがに困るけど、最後の一単位を減らすのはたいして苦痛ではない)なので、③の個別消費者余剰の搾取効果はありそうだな、とかいった具合です。

ほかには、電気とガソリンのセット販売の場合、クルマにたくさん乗る人は家にあまりいない、など、個々の需要者ごとに支払意思額が異なりそうなので、②の商品間価格差別効果はけっこう生じそうだな、といったことが思いつきます(競争法フォーラムで出た質問をヒントに思いつきました)。

だけど、本当にそう言えるかどうかは、まさに事実認定の問題で、まったく逆の結論が正しいかもしれません。

それでも、どこに目をつけるべきか、ポイントは見えてきます。

ほかには、バンドル値引きの額(つまり、アンバンドル価格とバンドル価格の差)の大きさ自体は、反競争効果にとって決定的ではない(額が小さくても十分反競争的でありうる)といったこともこの論文では言われていて、けっこう衝撃的です。

(ざっくりいうと、バンドルがない場合の主たる商品の消費者余剰が従たる商品の消費者余剰に比べて十分大きければ、バンドル値引きの額が小さくても反競争効果が生じうる、とされます。)

さらに視点を変えると、公取委がDAテストのようなかなり甘い基準を採用しており、セット販売が事実上野放しの状態であることを前提にすれば、事業者としては、どの商品とどの商品をバンドルすれば利益が上がりそうかを予測してビジネスに生かすことができるかもしれません。

(さらに余談ですが、独禁法をやってると、こういう、ビジネスの目の付け所(=独占利潤の獲得方法)というのが見えてきたりします。最近では、アップルペイのビジネスモデルなんか、「そこに目を付けたかあ」と感心してしまいます。)

そういうわけで、この論文の立論に理屈で反論するのは非常に難しいのではないか、という気がします。

(この論文では、反対説に対する周到な反論も展開されていて、それがこれでもかというくらい説得力があります。)

ただこの論文も万全ではありません(この論文ですべての問題が解決できるわけではない)。

一番の問題は、アンバンドル価格が「ナカリセバ価格」を超えたらだめだといっても、では「ナカリセバ価格」をどうやって算定するのか、ということだと思います。

この論文では、会社の内部文書を調べたり、経済分析を使えばわかる、といっていますが、「本当にそうかなぁ」という気も正直します。

そういうわけで、ますます独禁法解釈に経済学が必須になってきそうです。

ついでにいうと、この論文のすごいところとして、見事に法学と経済学の橋渡しをしているところがあげられます。

たとえば、アンバンドル価格が「ナカリセバ価格」を超えたらだめだというなら、たんなる単品の高価格設定もだめだというのか、という批判に対しても、「バンドル規制は高価格設定を規制しているのではなくて、バンドルにともなう制限を問題にしているのだ」という、説得力のある反論がされています。

「判例はこの効果を問題視したんだ」、という経済理論に基づいた解説も見事です。

経済学の論文のような数式はいっさい使わず、数値例(とグラフ)だけで問題のエッセンスを伝える、という手法は、誰でもできそうで、実は経済学が心底わかっていないと怖くてできない手法なのでしょう。

こんな手法も、日本でまねをする法学研究者の方が出てこないかなぁと期待したりします。(私にはとうてい無理です。)

経済法学畑に経済モデルの数式を読んで理解できる人がとくに日本では少ないことを考えると、この、数式を使わずエッセンスを伝えるという手法はきわめて有効だと思います。

日本でも、セット販売に関する議論がさらに深まることを期待したいと思います。

2017年4月17日 (月)

合理的根拠と統計学の利用についてのある書籍の記述

「いわゆる健康食品に関する景品表示法及び健康増進法上の留意事項について」(平成25 年12 月24 日 消費者庁、一部改定 平成27 年1月13 日)の中に、

「体験者、体験談は存在するものの、一部の都合の良い体験談のみや体験者の都合の良いコメントのみを引用するなどして、誰でも容易に同様の効果が期待できるかのような表示がされている」

という記述がありますが、この点に関連して、

林田学『景品表示法の新制度で課徴金を受けない3つの最新広告戦略』

という本のp56以下ではこの部分を評して、

「つまり、体験談が事実として存在するとしても、都合のよい体験談やコメントばかり引用しているような場合は違反とされる。

従来、『体験談は捏造さえしなければよい」というような考え方もあったが、それだけではなく、『それが例外ではない』ことの証明も必要というわけだ。」

「たとえば、ダイエットサプリで『Aさん、2ヵ月で-10キロ』というような広告をする場合、『Aさんが本当に2ヵ月で10キロ痩せた』ことの証明だけではなく、『それが例外でない』ということの証明も必要になるのである。」

と説明されています。

しかし、ちょっと考えてみるとわかりますが、「留意事項」の、

「誰でも容易に同様の効果が期待できる」(≒誰でも2か月で10キロやせられる)

というのと、同書の、

「2か月で10キロやせられるのが例外でない」

というのとでは、まったく意味が違います。

「留意事項」の、

誰でも容易に同様の効果が期待できる」(誰でも2か月で10キロやせられる)

という基準は、文字どおりに読めば一切の例外を認めないかのようでちょっと厳しすぎますので、そこは、

「たいていの人は容易に2か月で10キロやせられる」(=まれに、2か月で10キロやせられない人がいてもよい)

と読むことにしましょう。

そして、これが事実なら、景表法上もまずは問題ないのでしょう。

しかしそれでも、同書の、

「2か月で10キロやせられるのが例外でない」

というのでOKだ、というのとはまったく違うと思います。

さらに同書の説明で問題なのは、同書は「例外ではない」というのを非常に緩やかに解している(100人中3人が10キロやせれば、10キロやせるのは「例外ではない」といえる)、と考えていることです。

つまり、同書では続けて、

「後者の『例外ではない』ことの証明は、統計学のロジックを用いることで説得力を増す。」

「たとえば、臨床試験を行い、その結果を統計的に処理したところ、図表3-3・・・のような正規分布図・・・が描け、

『-10キロはその中の95%ゾーンに入る』

という説明が可能なら、-10キロは例外とは言えないわけだ。

正規分布を前提とすると、値の95%は平均値±標準偏差×2のゾーンに入るからだ」

と説明されていることです。

ここで、「図表3-3」では、95%信頼区間の上限に-10キロが来ている、以下のような図が示されています。

Img_0939

しかし、このように-10キロが95%信頼区間の上限に来ているということは、(信頼区間から外れる5%は信頼区間の両側に2.5%ずつ存在しますから)、母集団(たとえば日本人の成人全員)のうち、このダイエット食品を食べて10キロやせる人は上位2.5%しかいない、ということです。

逆にいえば、97.5%の人は、10キロもやせない、ということです。

これでは、とうてい、「留意事項」(改)の、

「たいていの人は容易に2か月で10キロやせられる」(=まれに、2か月で10キロやせられない人もいる)

という基準はみたさないでしょう。

同書の議論は正式な医療統計学に基づくものではありませんが、そこはダイエット食品なので大目に見るとしても、ここで統計学の考えを適用するなら、むしろ、-10キロが95%信頼区間の上限に位置するのではなくて、下限に位置する必要があると思います。

そうすれば、10キロ減量できない人は母集団全体の2.5%というきわめて例外的な人として無視することが許され(統計的誤差)、

「たいていの人は容易に2か月で10キロやせられる」(=まれに、2か月で10キロやせられない人もいる)

という「留意事項」(改)の基準も満たし、統計学により説得力を増すことができるといえます。

同書の著者は、

「統計学の書物を読み漁ったり、ハーバード大学メディカルスクールのオンラインコースを受講したりして、統計学や医療統計の知識を得た」(p59)

のだそうですが、ちょっと頼りないですね。

事業者のみなさんは、このようなアドバイスを真に受けないよう、気をつけましょう。

ただ現実には、このようなアドバイスでも、ことダイエット食品に関しては、結論は正しい、ということはあるかもしれません。

というのは、ダイエット食品で10キロもやせることはそもそもありえないので、とてもゆるい同書の基準(-10キロが信頼区間の上限に来る基準)であっても満たさないため、

「統計学のロジックを用いることで説得力を増す」

ことに成功することはまずありえないからです。

でもだからといって、同書の理屈が正しいことになるわけではないことも、明らかでしょう。

2017年4月 4日 (火)

トンネル会社規制の「相当部分」は何の相当部分か

トンネル会社規制に関する下請法2条9項では、

A社(本来の親事業者)→B社(トンネル会社)→C社(下請事業者)

という想定で補足しながら引用すると、

「〔①〕事業者〔=A社〕から役員の任免、業務の執行又は存立について支配を受け、

かつ、

〔②〕その事業者〔=A社〕から製造委託等を受ける法人たる事業者〔=B社〕が、

〔③〕その製造委託等に係る製造、修理、作成又は提供の行為の全部又は相当部分について再委託をする場合・・・において、

再委託を受ける事業者〔=C社〕が、・・・当該事業者〔=A社〕から直接製造委託等を受けるものとすれば前項各号〔=下請事業者の定義規定〕のいずれかに該当することとなる事業者であるときは、

この法律の適用については、再委託をする事業者〔=B社〕は親事業者と、再委託を受ける事業者〔=C社〕は下請事業者とみなす。」

と規定されています。

さて、ここで問題は、③の

「その製造委託等に係る製造、修理、作成又は提供の行為の全部又は相当部分

というのが、何の「全部又は相当部分」なのか、つまり、

「その製造委託等に係る製造、修理、作成又は提供の行為」

とは何なのか、さらに突きつめて言えば、「その製造委託等」の

「そ」

とは何を指すのか、という問題です。

考え方としては、

①A社がB社に委託する製造委託等を、全部まとめて考える

②A社がB社に委託する製造委託等を、商品ごとにまとめて考える

③A社がB社に委託する製造委託等を、個別の発注ごとに考える

というものが考えられそうです。

(①と②は何を基準に「まとめ」るのかが問題となりますが、あとで説明します。)

この問題については下請法講習テキストをみても、

「(イ) 親会社からの下請取引の全部又は相当部分について再委託する場合(例えば,親会社から受けた委託の額又は量の50%以上を再委託」

と説明してあるくらいで(平成28年11月版15頁)、「なんとなく①(全部まとめる)かなあ」と思えるくらいで、決定打に欠けます。

しかも、条文を文字通りに読むと、③(個別の発注ごとに見る)も、ありえなくはないようにもみえます。

ですが、わたしは①(全部まとめる)が正しいと考えています。

というのは、それが、トンネル会社規制の趣旨(脱法行為の禁止)からすれば、いちばん素直だからです。

(というか、当たり前すぎて論点となりうることすら、誰も気づいていないかもしれない、というレベルの問題かもしれません。)

条文の文言上も、そんなに無理はないと思われます。

なのでこの説(①.全部まとめて考える)では、

「そ」=A社がB社に委託したすべて(の製造委託等)

とよむわけです。

たとえば粕渕他編著『下請法の実務(第3版)』p73でも、

「例えば、介在する事業者が、一定期間に部品100個の製造委託を10件受け、そのうち6件について再委託するような場合や、

同一部品1000個の製造委託を受け、そのうち600個を再委託するような場合は、

介在する事業者が受けた製造委託等の6割を再委託しているのであるから、

『相当部分』を再委託したものと評価されることとなる」

というように、「一定期間」でまとめることを想定した説明がなされているので、少なくとも③(個別発注ごとに考える)はありえないことになりそうです。

ちょっと悩ましいのは、それに続けて、

「また、介在する事業者が単価の異なる複数の種類の部品1000個の製造委託を一の発注で受けたような場合は、個数で判断することは困難であるから、金額に見積もって50%に達するか否かを判断することになろう。」

と、「一の発注」ごと、つまり個別の発注ごとに過半数かどうかをみるような説明がされている点です。

しかしこれは、A社とB社の間にその1件の発注しかなかったような場合を想定して説明しているとみるべきで、複数の発注をまとめるべきかどうかというここでの問題とは無関係である、と読むべきでしょう。

なお当たり前ですが、粕渕編ではB社が1000個を受注してそのうち600個を再委託する、というような例で説明されていますが、もちろん、B社が受注した製造委託の工程の一部を再委託するような場合も、トンネル会社規制が及びます。

たとえば、A社がB社に完成品1000個の製造を発注し、B社がC社に、その完成品のためユニット1000個を発注し(完成品1個に1ユニットを使う)、そのユニットの下請代金が完成品の下請代金の過半数であれば、トンネル会社規制にひっかかります。

というのは、条文上、

「その製造委託等に係る製造、修理、作成又は提供の行為の全部又は相当部分」

とされていて、「行為」の相当部分かどうかが問題だからです。

さて、①(全部まとめる)と、②(商品ごとにまとめる)では、どちらを取るべきでしょうか。

この問題については、

池田毅「連載講座 下請法の実務に明るい弁護士による「ケーススタディ下請法」 第3回 下請法の適用範囲②」公正取引788号54頁

という論文が、論点を、

「(ⅰ)A〔=トンネル会社〕は複数の商品を発注しているところ、その全体に対する愛帷幄の割合をみるべきか、それとも個別の商品ごとに再委託の割合が50%以上となるかをみるべきか」(55頁)

という問題と位置づけたうえで、

「たとえばメーカーブランド品(NB品)とプライベートブランド品(PB品)を同一の事業者から購入している場合に、これらが同一発注で注文されることもあるが、

前者については下請法は適用されないが、後者については下請法が適用される。

このように下請法の適否が商品ごとに判断されることからすれば、・・・商品ごとに〔50%以上の再委託の〕基準の該当性を評価すべきように思われる。」

と論じられています。

しかし、この理屈はおかしいと思います。

NB品に下請法が適用されず、PB品に適用されない理由は、たんに、NB品は製造委託に該当せず(と言っていいかどうかも疑問ですが、それは措きます)、PB品は製造委託に該当するからでしょう。

それはいいのですが、このような、

「下請法の適否が商品ごとに判断される」(→あたりまえ)

ということから、

商品ごとに〔50%以上の再委託の〕基準の該当性を評価すべき」

という結論には、論理的にはつながらないと思います。

つまり、

「下請法の適否が商品ごとに判断される」(→あたりまえ)

ということからは、

「下請法の適用される取引であっても、個別に考える」

という結論も、

「下請法の適用される取引は、まとめて考える」

という結論も、まったく同様に導くことが可能です。

別の切り口からいうと、NB商品とPB商品を1つの発注書で発注してもPB商品にだけ下請法が適用されるのは、「下請法の適否が商品ごとに判断される」からであるというよりも、製造委託に該当するところのPB商品に下請法が適用されるから、に過ぎません(あたりまえすぎて、自分でも何を言っているのかわからなくなりそうですが)。

つまり、「下請法の適否が商品ごとに判断される」というルールからは、下請法対象取引はまとめるか、個別に考えるかという問題の答えは出ない(論理的な関係がない)わけです。

下請法上あたりまえ(当然の前提)のことから、特定の結論を導くのは無理があります。

(ちなみに、2条9項の条文も、

「・・・その事業者〔=A社〕から製造委託等を受ける法人たる事業者〔=B社〕が、その製造委託等に係る製造、修理、作成又は提供の行為の全部又は相当部分について再委託をする場合」

とされているので、A社からB社への発注も、B社からC社への発注も、どちらも下請法の対象である製造委託等である必要があります。)

それに、たとえば10種類の商品を再委託しているうちの1種類でも過半数にいくとトンネル会社になるとすれば、1種類でも丸投げすると、(その種類についてだけではありますが)トンネル会社となってしまい、厳しすぎるでしょう。

公取の先例である東陶メンテナンスに対する勧告の担当者解説をみると、

「東陶メンテナンスは、東陶機器から委託を受けた東陶製品に係る無償修理を自社で行うほか、当該修理の約8割を全国各都道府県に所在するサービス代行店・・・に委託している。」(公正取引670号58頁)

ということで、「無償修理」は一種類だったから全体で8割だと判断したともいえますが(ぜんぶまとめて8割であればいいと当然のように考えていた可能性も高いですが)、仮に、修理の内容にいろいろあったとしても、きっとぜんぶまとめて1つと見たのだろうと思います。

というのは、ここでの「東陶機器」には、「温泉洗浄便座、水栓、衛生陶器等」(p57)と、いろいろなものがあったようであり、そうすると、それぞれ別の修理だと評価できた可能性もあったわけで(便座と水栓の修理は別物っぽい)、それを何の断りもなくひとまとめにしている以上、やはり、商品や役務の内容ごとに区々に区切っている考え方はとられていないと思われるのです。

もう一つ例をあげると、

辻吉彦『詳解下請代金支払遅延等防止法(改訂版)』

では、公取委発表資料(平成3年6月6日発表「平成2年度における下請法の運用状況及び下請代金の支払状況」)のなかに、「トンネル会社の支払遅延」として、

「・・・当該子会社〔トンネル会社〕は、・・・E社〔ほんらいの親事業者〕から受けた製造委託の約60パーセントを他の事業者に再委託していることから下請法2条5項〔現行9項〕の規定により親事業者とみなされる、いわゆるトンネル会社に該当する・・・」(p34)

という記述があることが紹介されており、ここでも、委託を受けたすべての製造委託を基準にみている様子がうかがえます。

ところが、さらに悩ましいことをいっているのが、

小倉正夫(公取委事務局取引部下請課長)「わかりやすい下請法(2)-下請法の適用範囲-」公正取引393号15頁

で、そこでは、トンネル会社の判断基準は、

「イ 相当部分を他の事業者に再委託するについての相当部分とは、特定の製造委託又は修理委託の額又は量の50%以上であること」

と解説されていることです。

この、「特定の」というのがまさに商品ごとという意味ではないか?というようにも(見ようと思えば)みえてくるわけですが、この「特定の」には、深い意味はないと割り切るほかないでしょう。

この論文でも「特定の」の意味については何ら深掘りされておらず、言いっぱなしです。

きっと深い考えもなく、筆が滑ったのでしょう。

国会議事録も見てみましたが、あいにく条文の解釈のような細かい話はありませんでした。

トンネル会社規制は昭和40年改正で社会党の提案で入ったものなのですが、そこでの議論は、

昭和40年2月16日の中小企業政策審議会の下請小委員会の中間答申でトンネル会社の問題については、『今後、さらに実態把握につとめ、法改正の必要があるか否かについて検討すべき」とされているが、それでは生ぬるい!

といったものばかりが目立ちます。

唯一、条文の解釈論の参考になりそうなのは、昭和40年5月12日参議院商工委員会(議事録35号)の影山衛司中小企業庁次長の答弁です。

大半は社会党からの「生ぬるい」「実態解明してからとかいうのは勉強不足だ」という突き上げに対する釈明ですが、その中で、

「・・・また〔トンネル会社の〕規定のしかたがやはり非常にむずかしいわけでございます。

社会党のほうの改正案にございますような「資本的又は人的関係において支配を受けており、」というような規定をいたしても、それでは資本的に何%持っておればこれが支配関係にあるかというようなことになりますと、かりに五〇%ときめますと、これは四九%だということになりまして、なかなか脱法を防ぐこともむずかしいというようなことでございます。」

という発言があります。

まあこのくらいしか議論されていないわけですし、全体の議論のトーンとしては、脱法(下請法の資本金要件をかいくぐる)を防ぐという発想は国会の議論でも色濃く出ています。

そうすると、商品ごとにとらえて1個でも過半ならトンネル会社だというのは、やっぱり厳しすぎると思います。

当局もそこまで厳しいことは言っていないようですし、私はそれでいい(①の全部まとめる説が妥当)と思います。

では全部まとめるとして、どの範囲でまとめるか(具体的にはどの期間でまとめるか)という問題があります。

さすがに、トンネル会社ができてからの全部の取引をまとめるというのは、(それでも運用は回っていくのかもしれませんが)法解釈としてかなりためらわれます。

この点について前記池田論文では、

「ある一定の期間(たとえば毎月末締め)には、その当該支払対象期間についての再委託の割合によりトンネル会社規制の適否を判断するのが妥当」(p55)

という考え方が示され、なので、繁忙期だけ5割以上になる場合でも、その繁忙期についてはトンネル会社規制がおよぶ、とされています。

これはこれで一つの考え方ですが、私はこの点についても、そこまで厳しく言わなくてもいいんじゃないかと思います。

あえていえば、過去1年くらいさかのぼって50%以上でなければいいんじゃないでしょうか。

もしそれよりも近い時期に再委託が急に増えたりとか言った事情があるなら、ケースバイケースで柔軟に考えるというのでいいのでしょう。

いずれにせよ、はっきりした基準はありませんし、トンネル会社規制というのはそれくらいおおらかな解釈で回っていくんだと思います。

ともあれ、こういう細かい議論をあえて論文に書いてもらうのは、議論の蓄積のためにはとても貴重なことであり、その意味で池田論文は貴重だと思います。

当たり障りのないことだけ書いてたのでは、本当に知りたいことは何も書かれていない、ということになりかねません。

2017年4月 2日 (日)

日経朝刊「デジタルカルテルの挑戦状」という記事について

今朝(4月2日)の日経朝刊に、

「デジタルカルテルの挑戦状 AIが価格調整 法的責任は」

という記事がありました。

見出しを見たときは、「お~、いよいよ来たかぁ」と思いましたが、中身を読むと「あれれ??」という感じでした。

というのは、そこで紹介されているウーバーの訴訟が、まったく的外れ(見出しとかみ合っていない)だったからです。

ウーバーの事件というのは、この記事によると、ウーバーが同社の価格アルゴリズム(AI?)にしたがってウーバーの運転手(ウーバーの社員ではない)に価格を提示するのが、独立事業者であるウーバーの運転手の価格カルテルを促している、というものだそうです。

でもこの事件の本質は、ウーバーの価格が何らかのアルゴリズムで算定されているかどうかとか、そのアルゴリズムがAIを使ったものなのか、とは何の関係もありません。

ウーバーの価格がアルゴリズムを使ったものでなく、たとえばウーバーの経理部長が鉛筆なめなめ、「この時間帯はこれくらいの料金がいいかなぁ」と決めたものであっても、独禁法の分析の構図はまったく同じです。

「アルゴリズム」や「AI」とは、何の関係もありません。

したがって、

「同社のアルゴリズムは個人事業主間の反競争的な協調行為を促す可能性がある」(池田毅弁護士)

というコメントも、この記事の本来のテーマとの関係では的外れです。

さらに続けて、ちょっと長いですが興味深いので引用すると、

「『在庫量を適正化するために、AIでサプライチェーン全体を最適化するシステムを導入した場合、独禁法上の問題はないでしょうか』。池田弁護士は昨年、ある企業から相談を受けた。

余剰在庫を減らす目的で商品や部品を調達する企業をネットワークで結びAIに発注などを管理させる。するとこれらの企業に在庫を減らすために値下げ販売する誘因が働かなくなり、結果として価格は高止まりする。最終的に消費者への販売価格に転嫁される――こんなメカニズムが働く可能性があるという。」

なんだそうです。

これなんかも、なぜ問題なのか、私には理解できません。

というのは、在庫削減はあきらかに効率性を向上させるからです。

「こんなメカニズムが働く可能性」を問題視するというのは、あたかも、事業者が見込み違いの発注をした結果生じるたたき売りによって消費者が享受するタナボタ的な利益も独禁法上保護すべきであるというかのようですが、それは(競争法の守備範囲である)競争により消費者が享受する利益とは別次元の話です。

それにこのシステムでは、このサプライチェーンに参加する企業の競争的行動を何ら制約していません。

在庫リスクと独禁法といえば、経済学的には、リスク回避的な販売店のリスクを再販売価格拘束などさまざまな垂直制限によりメーカーが引き受けることで、販売店がより多くの量を販売してくれる(十分な在庫を積んでくれる)、という理論が思い出されます(Deneckere, R., Marvel, H.P., Peck, J. ‘Demand Uncertainty and Price Maintenance: Markdowns as Destructive Competition’, The American Economic Review (1997) 87(4): 619-641)。

より一般的に、垂直制限によりリスク回避的な取引当事者からリスク中立的な取引当事者にリスクを移転することが効率的であることは、学部レベルの経済学の教科書にも載っていることであり、いわば経済学の常識です。

また根本的な話として、この例も、AIだからどうのこうのという問題ではありません。

(実際の相談の詳細をそのまま記事にはできないので、実は大事な事実が記事では端折られてるのかもしれませんが。)

AIによるカルテルというので思いつく(おそらく多くの独禁法弁護士が想像する)のは、たとえば、ウーバーのような会社がもう1社あって、いずれもAIで価格設定して、AIがお互いの価格を読みあうために、結果的に協調的な結果が意思の連絡なくできてしまうのではないか、という場面です。

ウーバーのケースは、この記事にもあるように、独立事業者であるドライバー間の協調を促しているという構図でちょっと複雑なので、もっと単純化すれば、タクシー会社が2社あって、AIで価格設定しているために、お互いの価格を読みあって、結果的に協調的な価格になる、というような場合です。

記事も、昨年10月のOECD文書が、

「自ら学習して他の機械と協調するAIが介在する場合は、企業間の価格調整の意図の立証が非常に困難」

と指摘したことに触れていますが、ここでの「企業間」というのが、上の例では「タクシー会社間」ということです。

決してOECD文書は、ウーバー事件の「ドライバー間」の価格調整のような話をしているわけではありません。

記事によると

「ウーバーの価格は混雑時には平時の最大8倍に跳ね上がることもある」

とされていますが、たしかにこれはこれで問題視する向きがあるかもしれませんが(私は、これは単に需給関係を反映しただけなので、競争法上は問題視すべきでないと思います)、カルテルとは何の関係もない問題です。

これに近い話としては、AIを使うと、消費者ごとの支払い意欲をAIが予測して、ぎりぎりまで高い価格を設定できてしまう、という完全価格差別が生じる、ということが現に起こっています。

たとえば(以前もどこかで書きましたが)、あるアメリカの航空会社では、エコノミーからビジネスにアップグレードできる価格を、どうやら過去のその顧客のアップグレード歴に基づいて算定しているらしいです。

そのため繰り返しアップグレードしていると、「こいつはたくさん払うやつだ」(支払い意欲が高い)と思われて、高めの価格が設定される、という仕組みらしいです。

AIとビッグデータが加われば、それこそ、年齢や性別などさまざまな情報を使って価格差別をすることがありえます。

ちょっと違いますが、聞いた話では、JRの駅の自販機は購入客の性別なんかを識別して、たとえば男性ならコーヒー飲料の種類をたくさんならべる、ということができるものがあるらしいです。

これを価格差別に利用することも、やろうと思えばできるはずです。

経済学的な議論としては、価格差別は総余剰を増すので独禁法で禁止するべきではありませんが、一消費者としては、たしかに納得いかないものがあります。

ウーバーの事件は、どちらかというとこの価格差別(顧客ごとではなく時間や場所ごと)に近いともいえますし、時間帯や場所が違うなかで価格に差を設けるのはそもそも市場が違うのだから価格差別(=同じ市場での価格差)の問題ですらなく、たんに需要に合わせて価格が調整されている、しごくまともな市場の話に過ぎないわけです。

それが問題ににされているのは、形式的に、ウーバーの運転手が同社の従業員ではないためです。

アメリカは独立事業者間の合意は当然違法で一気に厳しくなるので、どの範囲で一つの事業者といえるのかはとても大きな問題です。

イメージとしては、コンビニの本部がフランチャイジーに価格の拘束をしたら、フランチャイジー間の協調を促進したといわれかねない、というくらいの話です。

でも日本の場合はそのあたりかなりおおらかなので、たとえば2つのセブンイレブンの店舗の価格を本部が拘束したからといって、当然違法にはならないことはもちろん、ひょっとしたら、「セブンイレブンは全体で一つの競争単位だ」という判断にすらなりかねません(ガイドラインの建前では、そうではありませんので、あくまでホンネレベルでの話ですが)。

「コンビニチェーンは全体で一つの競争単位だ」という発想が色濃く見えたのが、ファミリーマートとサンクスの統合案件です。

あれなども、各店舗が独立の競争単位だという発想から公取がスタートすれば、あそこまで審査が長引くこともなかったはずです。

ともあれ、ウーバーがカルテルだといわれるのは以上のような米国の特殊事情があるわけで、AIとは何の関係もありません。

独禁法は形に見えない競争というものを扱うためか、目新しい事件が起きるとこういう勘違いが起こりがちです。

誰と誰が競争しているのか、どの市場での競争がどのように阻害されているのかを、きちんと見極めることが重要です。

2017年3月31日 (金)

先着順が総付景品である理由

景品を先着順であげるのは、消費者庁の運用基準では、総付景品であるとされています。

このことは懸賞運用基準3項で、

「来店又は申込みの先着順によって定めることは、「懸賞」に該当しない(「一般消費
者に対する景品類の提供に関する事項の制限」その他の告示の規制を受けることがある。)。」

というように明記されています。

明記されてしまっているので結論は動かしようがないのですが、その理由については消費者庁のQ&Aで、

「Q46

商品の購入者や来店者に対し、先着で景品類を提供することは、懸賞に当たるのでしょうか。それとも総付景品の提供に当たるのでしょうか。」

という質問に対して、

「A

来店又は申し込みの先着順によって景品提供の相手方を定めることは、偶然性や優劣で選ぶことには当たらないことから、懸賞には該当しません。したがって、原則として、商品の購入者や来店者に対し、先着で景品類を提供することは、総付景品の提供に該当します。」

というように説明されています。

しかし、先着順は偶然性や優劣ではないというこの説明はおかしいと思います。

(なおここでの「偶然性や優劣」というのは、懸賞告示の1項の、

「一 くじその他偶然性を利用して定める方法

二 特定の行為の優劣又は正誤によつて定める方法」

を受けています。)

なぜなら、

「先着10名様に賞品を差し上げます」

というのと、

「100m走のタイムで上位10名に賞品を差し上げます」(→明らかに「優劣」)

というのと、本質的には何の違いもないからです。

まるで消費者庁は、

「かけっこが速いのは身体的能力の問題なので『優劣』だが、お店に来るのが早いかどうかは能力の問題ではないので『優劣』ではない」

あるいは、

「かけっこが速いかどうかは個人の能力に左右されるが、来店順位は客観的な条件なので『優劣』ではない」

と考えているみたいですが、お店に来るのが早いかどうかだって、立派な「優劣」だと思います。

「優劣」というのは、何か社会通念上の積極または消極的な価値評価を受けるものであることを前提にしているような響きもありますが、そんなところで「優劣」と、価値評価を伴わないたんなる序列(?)を区別できるはずがありません。

もし、価値評価を伴わないたんなる序列を「優劣」に含まないとすると、逆に懸賞に該当すべきものまで大幅に総付になってしまいます。

もともと懸賞告示1項2号の「優劣又は正誤」というのは、以前は偶然性だけだったのが、それだと、「作文を送って優秀なものに賞品を差し上げます」というようないわゆる優等懸賞が脱法的に行われるようになったので、それを規制するために追加されたものです。

なのでもともと「優劣」なんて、社会的に優れているかどうかなんてどうでもよくて、たんなる偶然性にひと手間加えただけのものでよかったわけです。

さらにQ&Aでは続けて、

「しかしながら、例えば、ウェブサイト、電話、ファクシミリ、郵便等による商品等の購入の申込順に商品を提供する場合等に、商品等の購入者が、申込時点において景品類の提供を受けることができるかどうかを知ることができないのであれば、偶然性によって景品類の提供の相手方が決定されることに等しいと考えられますので、この提供の方法は懸賞とみなされることがあります。」

と回答していますが、これも前段の回答と矛盾します。

というのは、前段では、

「来店又は申し込みの先着順によって景品提供の相手方を定めることは、偶然性や優劣で選ぶことには当たらない」

と、先着順が定義上、偶然性や優劣には該当しないといっているのですから、それが購入申し込み時点で順位がわからないというだけで「偶然性や優劣」に該当することになるというのは論理が破たんしています。

まあここは善意に解釈して、前段と後段は併せて読むんだと、つまり、

「先着順は、

購入申し込み時に順位がわかる場合(通常はこちらでしょう)には『偶然性や優劣』ではないので総付

だけれど、

購入申し込み時に順位がわからない場合には『偶然性』によるので懸賞だ」

と読むのかもしれません。

しかしこれも問題です。

なぜなら、これだと来店者に景品をあげる場合など、取引を条件としない景品提供の場合をうまく説明できないからです。

(ちなみにQ&Aの設問では、「来店者」に対して先着順(つまり来店順)で景品をあげる場合も想定しています。)

もし「購入申し込み時に順位がわかっているなら総付」というのを、来店者に対して景品をあげる場合にまで適用すると、明らかに不都合です。

なぜなら、来店者に景品をあげる場合は、お店に来てもらえばお店としては目的達成なわけですから、もし購入申し込み時(正確には申込前)に順位がわかっているかどうかを基準にすると、景品の目的を達成した時点(来店時)では順位がわかっていなくても、来店後、(未来永劫到来しない)申し込み時(正確には、申込前)に順位がわかっていれば、総付だということになってしまうからです。

(なお来店者に提供する経済的利益に取引付随性が認められるのは基本的には小売店が提供する場合に限られますので、小売店を想定してください)

ひょっとしたらQ&Aの「(購入の)申込時点」で順位がわかるかどうかを基準にするというのは、来店者に景品を提供する場合には、「来店時」(正確には、来店前)に順位がわかるかどうかを基準にすると読み替えるのかもしれません。

でもそうすると、来店時(正確には、来店前)に順位がわかることなんて普通ないでしょうから(事前に電話で順位を問い合わせてから来店する人がいるかもしれませんが、それでも、来店時には順位が変わってしまっているかもしれません)、来店者に景品をあげる場合には途端にほぼ100%懸賞となり、前段の、

「来店・・・の先着順によって景品提供の相手方を定めることは、偶然性や優劣で選ぶことには当たらない」

という原則論が適用される場合がほぼない、ということになってしまいます。

ちなみに真渕編著『景品表示法〔第4版〕』(緑本)p191では、

「購入者の一部に先着順で景品類を提供する場合において、購入者が自己の順位をあらかじめ(注・購入前に)知ることができないようなものについては、購入者にとっては『偶然性を利用して定める方法』となるのであり、懸賞に該当することになる。」

と説明されています。

つまり、消費者にわかるかわからないかだけを基準に懸賞か総付かを区別する、ということです。

これはこれで一つの割り切りで、私もこの結論は(理屈はさておき)正しいと思いますが、でもそうすると、Q&Aの、先着順は(定義上)偶然性や優劣にはあたらないという説明とは異なることになります。

それに、緑本の説明でもやはり、(購入者ではなく)来店者に先着順で景品をあげる場合には、どう考えるのかはっきりしません。

話を元に戻してQ&Aについてですが、もし後段のように、

消費者が購入申し込み時(前)に順位がわからないなら懸賞(わかると総付)だ

というルールを一般的に適用すると、たとえば、懸賞運用基準2(3)で懸賞(優劣又は正誤)の例としてあげられている、

「パズル、クイズ等の解答を募集し、その正誤によって定める方法」

の企画を商品パッケージに告知する場合、商品購入は景品提供の条件ではない(場合もある)ので、購入申し込み時が永久に到来しないことになり、永久の未来の先の時点までのどこかの時点では正解はわかるでしょうから、ほとんど常に総付だ、ということになりかねません。

けっきょく、「購入申し込み時に景品がもらえることがわかっていれば総付だ(わからなければ懸賞だ)」というルールは、

先着順を総付と説明するために無理やりひねり出されたルールに過ぎない

と割り切るか、もう少し広く、

購入を条件とする景品提供の場合に限って適用されるルールだ(購入を条件とせずに取引付随性が認められる、来店者に提供する場合やパッケージに告知される場合には適用されない)、

ととらえるほかないのではないか、という気がします。

実は先着順が総付である理由については、青林書院の法律相談シリーズの、

加藤他編『景品表示法の法律相談』

の29頁(内田清人執筆部分)で、(ちょっと長いですが引用すると)

「『先着順』が懸賞にならないのは、例えば、景品の数に限りがあり、商品を購入してくれた方に提供したいが全員には行き渡らない例をイメージすると分かりやすいと思います。

この例は、景品が100個なら100名までは順次提供可能、50個しかなければ50個で終わりになるというように、『景品のある限り購入者全員に提供する』方法、つまり景品数は少ないけれども、提供する方法は『懸賞によらない』ものであるとみることができます。

これらは結果において「先着100名様」「先着50名様」に景品提供するパターンと同じことです。

他方、景品の数が500個、1000個、さらには10億個と増えても、景品数に応じて枠が増えるだけで、『景品のある限り購入者全員に提供する』方法であることには変わりはありません。

つまり、どれだけ大量に景品を用意しても、なくなり次第終了となるのは等しく当てはまりますから、総付景品は、提供数の違いはあっても全てが『先着〇名様』に景品を提供する方法ということができるのです。

少し違和感はありますが、先着順を『懸賞』に当たると考えると、総付景品として規制する対象が存在しないことになってしまうという整理なのでしょう。」

と説明されています。

私は、これは非常に説得力のある説明だと思います。

とくに景品規制でわからなくなったときには、極端に振ってみる(先着10億人とか、1兆円相当の景品とか)、というのは私もよくやる手ですが、そうすると問題の本質がみえてくることが多いです。

たしかに、「先着3名様」と、「先着10億名様」が消費者の目からみて同じなのか(先着3名なら急ぐけれど10億名なら急ぐ必要はない、と感じるのではないか。そこにはやはり差があるのではないか)、という疑問はあるのですが、運用基準が先着順を総付だと言い切ってしまっているのをうまく説明するには、このように説明するのが最も説得力があると思います。

(ちなみにこの本については以前雑誌「公正取引」で書評を書かせていただいたののですが、とても論理的に書かれており、景表法がよく理解できます。)

それを、「先着順は優劣や偶然ではない」とか、「先着順は客観的な条件だ」とか説明しようとするから、いろいろなところで矛盾が出てくるわけです。

客観的な条件か優劣かで区別するのは無理です。区別できない場合がいくらでもあるからです。

たとえば、

①「100m走で上位10名にプレゼント」→懸賞

②「100m走で12秒切った人にもれなくプレゼント」→たぶん懸賞(?)

③「ダイエットで半年以内にマイナス5キロ達成した人にプレゼント」→たぶん懸賞(?)

④「女性に限って、プレゼント」→総付

⑤「浴衣を着てきた人にプレゼント」→たぶん総付

⑥「ピコ太郎の『ペンパイナッポーアッポーペン』の物まねをしてくれた人にプレゼント」→たぶん総付(ちょっと練習したら私でもできそうなので?)

⑦「自動車購入者にカーナビプレゼント」→総付(消費者庁Q&AのQ60。お金さえ出せばクルマは買えるので?)

⑧「ポケモンGOでラプラスをゲットした人にプレゼント」→たぶん懸賞

⑨「入場時にキスしてくれたカップルにプレゼント」→たぶん総付(?)

⑩「バク転してくれた人にプレゼント」→たぶん懸賞(私には一生できそうもないので)

などは、不確実かどうかで決めると上のように(微妙なケースはあるものの)決められますが、客観的な条件かどうかでは決まらないか、全部客観的な条件だと言おうと思えばいえてしまうのではないでしょうか。

たとえば、100mで12秒切るのは客観的な条件のようにみえます。だけど自分が12秒切れるかどうかは必ずしもわからないので、客観的条件ではない、とでも考えるのでしょうか。でもそれって、消費者の目から見て不確実かどうか、という基準そのものです。

あくまで、「消費者一般の目からみて不確実かどうか」で決めるべきでしょう。

そういう基準でいくと、来店順に景品をあげる場合には、来店前に順位がわかることは通常ないでしょうから、基本的には懸賞と考えるのが、ほんらいは正しいのでしょう。

それを運用基準が総付だと言ってしまったものですから、これを総付だと説明するのに苦慮するわけです。

そのなかで、前記書籍の説明は、無理な結論を何とか理屈で説明しようとする試みとして、たいへん優れていると思います。

なお、消費者にとって不確実かどうかできめるとして、次に、いつの時点で不確実性の有無を判断するのかという問題があります。

私は基本的に、消費者が企画を知ったときを基準にすべきだと考えているのですが、すでにとても長くなってきたので、またの機会に考えてみたいと思います。

2017年3月17日 (金)

競争法フォーラムで発表しました。

昨日(3月16日)、競争法フォーラムで、

「プラットフォームビジネスと最恵国待遇条項(MFN)」

というタイトルで発表をさせていただきました。

ご参考までにレジュメを貼り付けておきます。

「170316jclfmfn.pptx」をダウンロード

今まで発表した中ではおそらくRIETI(独立行政法人経済産業研究所)での発表に次ぐくらいのプロの集まりだったので、かなり気合が入りましたcoldsweats01

限られた時間でお伝えしきれなかったことも多かったのですが、発表の中で紹介した、

Boik, A., and Corts, K., 2016, “The Effects of Platform Most-Favored-Nation Clauses on Competition and Entry,” Journal of Law and Economics, vol. 59: 105-134.

という論文は、なかなか読みごたえがあります。

とくに、プラットフォームにおいてMFNがどのように価格や参入に影響を及ぼすのかという論理の筋道を(主に数式ですが)追っていくと、「なるほど」と納得することしきりです。

たとえば、

2つのプラットフォームがMFNを採用した場合のプラットフォームの均衡利潤は、総需要が十分に非弾力的(具体的には、需要をqi=a-bpi+dpjと置いたときに、d>b/2)な場合には、MFNがない場合の均衡利潤より大きい

というところなどは、法律家みたいに「諸般の事情を考慮する」とか「ケースバイケースで判断する」とか適当なことをいわないで、明確な線が(理論上ではありますが)引けてしまうところに、経済学の凄味を感じます。

経済モデルの中にはかなりきつい前提をおいて、「そんなこと実際にどれだけあるのかわからない」というようなものも少なくないですが、このモデルは非常に単純で、かつ、結構有意味な答えが出る点が秀逸だと思います。

正直、自分の能力の限界で全部の論理を終えないところもあるのですが、それでも、簡単な微分と非協力ゲームの基礎を知っていれば8割がたは理解できます。

プラットフォームとMFNについて関心のある方は、ご一読をお勧めします。

数式を一行一行追うごとに、

「なるほど、そういうことか!」

と納得すること請け合いです。

2017年3月16日 (木)

ドイツ証券に対する警告について

3月15日、ドイツ証券に対して、欧州国債の取引に関する不当な取引制限(カルテル)の疑いで警告がなされました

気になったのは、本日(3月16日)の日経朝刊で、

「公取委は実際に受注を分け合ったのは数回だったことなどから明確な独禁法違反とは認定せず、行政指導の警告にとどめた。」

とされていることです。

しかし、ハードコアカルテルについて、数回だけだったから警告というのはいかがなものでしょうか。

アメリカだったら一発で刑務所行きの可能性もあるのに、なんとも甘いといわざるをえません。

ひょっとしたら、外部からはうかがい知れないけれど誰の目から見ても「これで排除措置命令はないんじゃない?」という事情があるのかもしれませんが、公取委の公表文だけみても、なぜ警告にとどまったのか、理由がまったくわかりませんし、報道からも、それはわかりません。

また日経記事によると、

「同じ顧客から複数銘柄の見積もり依頼があった場合、両社が分け合って受注できるように調整していた」

ところ、

「実際に受注を分け合ったのは数回だった」

ということで警告にとどまった、ということらしいのですが、これだとまるで実際に分け合った取引だけが違反のように見えてしまいます。

法的にはそうではなくて、

ドイツ証券:「お前のとこ、○○(クライアント名)から例の件、見積もり依頼あった?」

シティ:「ないよ。」

ドイツ証券:「あっそ。」

というのでも、立派なカルテルです。

きっと課徴金の対象にもなるでしょう。

そのあたり、誤解のないようにしたいものです。

万が一公取委が、ドイツ証券とシティの市場シェアが低いから競争の実質的制限の立証に不安を覚えていたために今回の警告になったのだとしたら、それも大きな問題です。

というのは、たとえ市場シェアが低くても、情報交換の結果両社で均等に割り振ることができたこと自体が、需要者がすべての証券会社に見積もりをとっているわけではないことをうかがわせ、市場シェアの低い会社でもそのような市場の不完全性を利用してカルテルを行うことは十分にありうるからです。

また、カルテルの課徴金は義務的であり公取委に裁量はないことが建前ですが、けっきょく、正式処分をしないことで課徴金も課さずに済んでしまうというのも、なんとなく釈然としないものがあります。

ここでの国債の取引がどれくらいの額だったのかわかりませんが、もし売上の10%の課徴金がかかったら(しかも前述のように、実際に分け合った案件だけでなく情報交換した案件も対象になるとしたら)、けっこうな額になったのではないでしょうか。

それに、警告ですませると、被害者が損害賠償請求をするのにも支障が出てきます。

きちんと調査をやっていれば当然被害者にも事情を聴いているでしょうから、被害者が被害者となっていることすら知らない、ということはきっとないのでしょうけれど、排除措置命令が出ていれば事実上違反の事実が推定されるので、それがないというのは被害者にはつらいものがあります。

日経によれば両社のコメントも、ドイツ証券が、

「警告を受ける以前から既に再発防止策を実施済みだ」

シティグループ証券が、

「警告を受けていないのでコメントする立場にない」

という、なんとも素っ気ないコメントです。

日本企業なら、

「警告を受けたのは遺憾」

とかなんとか、それなりの反省の色を示すのがお約束ですし、仮に「注意」どまりや、何もなしに調査が終わっても、調査を受けただけでまともな日本企業なら過剰反応ともいえるほどにコンプライアンス徹底に取り組むものですが、さすが外資系、そのあたりはとてもドライです。

別に注目を浴びるのが公取委の仕事ではないのでかまわないのですが、ドイツ証券とシティグループが日本の公取委から排除措置命令を受けたらそれなりに海外メディアでも取り上げられたでしょう。

注目されないだけならかまわないのですが、もし、

「日本ではちょっとくらいならカルテルをやっても警告どまり」

なんていう誤ったとらえ方を海外でされたら、よろしくないことだと思います。

それに今回はまだ「警告」なので公表されましたが、日経記事によると、

「シティグループ証券は再発防止策が十分だとして警告は見送った」

ということなので、これまでもハードコアカルテルで警告を逃れた、ひいてはまったく公表されることなく終わった、という案件もあるのではないか?ということが疑われます。

また弁護士的には、シティはどのような再発防止策だったので「十分」と認められたのか、また反対に、なぜドイツ証券は十分と認められなかったのか、というところも、今後のコンプライアンス促進の観点から、明らかにしてほしいところです。

ちなみに去年の5月25日から、リニエンシーの適用事業者は全件公表されることになりましたが、警告どまりだと課徴金納付命令も出ず、リニエンシーが「適用」されることもないので、誰が申請したかも公表されないことになるのですね。

このように、本件の処理にはいろいろと考えさせられるものがあります。

2017年3月10日 (金)

ドイツ証券に対する警告に関する報道について

昨日(3月9日)の日経夕刊に、

「ドイツ証券に警告へ 公取委 欧州国債 利回り調整か」

という記事が出ていました。

驚いたのがその中での「警告」にする理由で、

「この2社の担当者はインターネット上のチャットで〔欧州国債の利回りなどを〕協議していたという。公取委は組織的な行為とは言えないことなども踏まえ、警告が妥当と判断したとみられる。」

とされていたことです。

組織的な行為とはいえないから警告、というのは、どういうことなんでしょうか。

独禁法(なかでも排除措置命令)の目的は公正かつ自由な競争の確保であり、組織的かどうかは本質的ではありません。

日本の独禁法は基本的に企業を名宛人にした行政措置なので、従業員が業務上行った違反行為は当然(あるいはほぼ当然)に企業の行為とみなさないと、排除措置命令が出せない場合が出てきてしまいます。

行政処分という制度を取る以上、従業員の行為は企業の行為とみなす、というのでないと、筋がとおりません。

おそらく、同じく行政処分だけである欧州でも、そういう考え方だろうと思います。

もし欧州の弁護士に、

「日本では、組織的な行為ではない場合には、ハードコアカルテルが警告どまりになる(ことがある)」

といったら、きっと、「なにそれ?」という顔をされると思います。

個人の刑事責任を追及する米国のような制度であれば、企業のまったく知らないところで従業員が違法行為をしていた場合には企業は訴追を免れる、ということはありえます。

反トラスト法ではそういう例は聞いたことがありませんが、米国の外国公務員贈賄(FCPA)では、従業員に対してコンプライアンス教育をしっかりやっていたのに従業員が無視して贈賄をしたというケースで、モルガンスタンレーが法人訴追を免れた、というケースがあります。

日本の刑法の一般論としても、両罰規定があれば必ず法人も起訴されるわけではなく、組織的な関与がなければ起訴されない、ということは普通にあります。

このように、個人や法人の責任を追及することに主眼がある刑事法の場合には、組織的関与がなければ法人は訴追しないというのは、非常に納得感があります。

これに対して排除措置命令は競争回復が目的なわけですから、組織的関与があるかどうかは本来問題とすべきではないのです。

もし組織的関与がない場合には法人には排除措置命令を出さない(出せない)という制度をとるのであれば、個人に対する排除措置命令を導入しないとつじつまが合いません。

ハードコアカルテルは発覚しにくいですから、ほんらい、一罰百戒的に正式処分を打つべきです。

もうすでになくなっている行為だから警告にとどめる(今回の警告の理由がそうかはわかりませんが)、というのも、ハードコアカルテルの場合には妥当ではありません。

今回の件が欧米で摘発されているLIBORやデリバティブなどの金融商品関連の事件とどういう関係にあるのかはよくわかりませんが、少なくとも、海外ではどんどん正式事件として摘発されている(競争法か、市場に対する詐欺罪かは、ともかく)のに、日本では警告どまりというのも、国際的な観点からは見劣りがします。

うがった見方をすれば、外資系企業だから甘い処分ですませたのではないか、とすら疑われてしまいます。

公取委にはあまり英語ができる職員がいませんから、外国企業に対して及び腰になるというのは想像ができます。

かつて知り合いの外国の弁護士が、日本の公取委の幹部の方が海外の会議で配布した資料というのをくれたことがあって、その中での犯則事件についての説明で、

「日本では外国企業を刑事訴追することはない」

と堂々と書いてあるのをみてひっくり返りそうになったことがあります。

「検察庁を巻き込むのは大変だし、ホンネはそうなんだろうけど、何も国際会議で言うことないのに」と思いました。

やっぱり、外国の会社に対して弱腰だとみられるのは、とてもよろしくないと思います。

日経の記事によれば警告に落ちた主な理由は組織的関与の欠如だったようですが(それ自体、妥当な理由でないことは前述のとおりです)、なぜ排除措置命令ではなく警告なのかという理由はふつう警告書には書かれませんし、報道発表でも、ふつうはそのような理由の説明はありません。

しかし、今回のようなケースは警告にとどめた理由の説明が強く求められると思います。

そうでないと、

組織的関与がないと警告どまりになるのでは?

とか、

公取委は外国企業に弱腰なのでは?

という、疑心暗鬼を招きます。

毎年恒例の雑誌「公正取引」の座談会で話題になりそうなテーマではありますが、あれも、建前上は公取委の方のコメントは個人的見解なので、やはりプレスリリースなりで正式に説明してほしいところです。

でもそれはきっと難しいでしょうから、事務総長定例会見でどなたか記者の方が質問していただけないでしょうか

最近の公取は、景表法では富山の家具屋さんの二重価格表示に措置命令を出すのに(3月8日布屋商店に対する措置命令)、ハードコアカルテルが警告というのは、いかにもバランスが悪い。

今年に入ってから、下請法(2月23日ニッド、3月2日プレナス、3月7日あらた)とか、消費税転嫁法(2月22日スーパーホテル、3月9日帝国データバンク)については正式処分が相次いでいますが、本丸の独禁法がこれではさみしいかぎりです。

ちょっと、リソースの振り分け方がおかしいんじゃないでしょうか。

2017年3月 8日 (水)

流通取引慣行ガイドライン改正に関する3月6日日経朝刊記事について

3月6日(月)日経朝刊法務面に、流通取引慣行ガイドライン改正に関する記事が載っていました。

でもこの記事にはいろいろと問題があります。

まず、

「独禁法は・・・正当な理由なく供給先を選別することなどを公正な競争を阻害する『不公正な取引方法』として禁じている。」

というのは、控えめにいって誤解を招きます。

正当な理由がなければ供給先を選別できないなんてことを言い出したら、取引相手の選択の自由と真っ向から衝突してしまいます。

そんなことはありえません。

記事の「図」では、取引先による横流しを

「原則として禁止できない」

とされていますが、これもかなり誤解を招きます。

実際には、横流しの禁止は問題ない場合のほうが多いです。(たとえば市場シェア25%のセーフハーバーにみたない場合)

それどころか、横流しを一切禁止する(つまり消費者にしか売ってはいけないとする)ことすら、問題ない場合の方が多いくらいです。

というわけで、

「実は例外的に、販路を制限できる場合もある。」

として資生堂事件最高裁判決にふれるのも、かなり誤解を招きます。

というのは、同事件は同記事ものべるように対面販売の義務付けが問題になった事例であり、これが(唯一とはいわないまでも)「例外的」に販路を制限できる場合だとすると、対面販売の義務付けのような販売方法の制限ではない制限の場合(たとえば卸売販売を一切禁じるとか、再販売先を指定する一店一帳合制)には、「原則」にもどって原則として禁止されることになってしまいます。

資生堂事件で突如「それなりの合理的な理由」という基準が出てきたようにみえるのは、他の態様の制限とのバランスからも、価格への影響など何らかの反競争的効果があることを前提にした基準であるとみるか、当事者が販売方法の制限の妥当性だけを争ったからそういう判示になったとみるべきです。

なので、資生堂事件の基準をあたかも販路制限一般に適用がある例外であるかのようにいうのは、とても誤解を招きます。

選択的流通制について、

「現行の指針でも『選択的流通』という例外規定があり、①品質の保守(ママ)②適切な使用の確保③消費者利益の確保---の観点から合理的理由があれば、一定基準を満たした流通業者だけに自社商品の取り扱いを認め、他の業者への転売を禁止することが認められている。」

と紹介しているのも問題です。

というのは、もちろん①②③の要件を満たせば転売禁止できるのですが、仮に満たさなくても、取引先制限一般の基準(価格が維持されるおそれ)をクリアすれば問題ないからです。

つまり、選択的流通と取引先制限は二重のスクリーニングになっています。

このように、この記事にはいろいろ問題があるのですが、それがまさに独禁法のわかりにくさであり、流通取引慣行ガイドラインのわかりにくさ、ということなのだと思います。

このような誤解を解くために私はこのブログやいろいろな講演で情報発信をしているのですが、私ごときの情報発信ではいかんともしがたいものがあります。

独禁法が門外漢にわかりにくいのは法律の性質上あるていど仕方がない(文言が抽象的で肝心の考え方はどこにも書いていない)のかもしれませんが、ガイドラインがわかりにくいというのはそれ自体問題だと思います。

だって法律解釈をわかりやすく示すのがガイドラインというものでしょう。

ひとつこの記事をフォローすると、なにもガイドラインをこのように解釈するのは日経だけの話ではなくて、きっと世の中の多くのところでそのように考えられていることの反映ではないか、と思います。

もしそういう間違いを犯すのが弁護士に相談しないためである場合には、「弁護士に相談してくださいね」ということなのですが、困ったことに、独禁法に関しては弁護士のなかにも間違ったアドバイスをする人が多いと思われるのです(セカンドオピニオンをする経験上そう思います)。

というわけで、新しいガイドラインは、

独禁法の体系を理解している人には誤解なく理解できる

というようなものではなくて、

独禁法の門外漢がガイドラインだけをみても、まずは大きな誤解をしない

というものを目指してほしいです。

«不実証広告規制ガイドラインの10・15モードの記載についての疑問