2018年6月10日 (日)

自他共通割引券の「他の事業者の供給する商品又は役務」の意味

総付運用基準4(2)では、
「自己の供給する商品又は役務の取引
 
及び
 
他の事業者の供給する商品又は役務の取引
 
において共通して用いられるものであって、
 
同額の割引を約する証票」
が割引券に該当し、総付の金額規制の適用除外とされています。
 
いわゆる自他共通割引券の総付適用除外です。
 
さて、ここで、
「自己の供給する商品又は役務の取引」
の意味については、総付運用基準には定義はありませんが、定義告示運用基準3(1)で、
「「自己の供給する商品又は役務の取引」には、
 
自己が製造し、又は販売する商品についての、
 
最終需要者に至るまでのすべての流通段階における取引が含まれる。」
と明記されています。
 
つまり、メーカー(自己)にとっての「自己の供給する商品又は役務の取引」には、当該メーカーの商品を販売する小売店と消費者との取引も含まれる、ということです。
 
これは、「自己の販売する」ではなく、「自己の供給する」とされていることからも明らかといえます。
 
(小売店から買った商品もメーカーの「供給」する商品であることに変わりはない、という意味。)
 
では、
「他の事業者の供給する商品又は役務の取引」
についてはどうでしょうか。
 
これについては、定義告示運用基準はもちろん、他の景品関係の告示や運用基準のどこをみても定義はありません。
 
では、
自己の供給する商品又は役務の取引」
自己が製造し、又は販売する商品についての、最終需要者に至るまでのすべての流通段階における取引(も含まれる)」
と定義したのと同様に、
他の事業者の供給する商品又は役務の取引」
他の事業者が製造し、又は販売する商品についての、最終需要者に至るまでのすべての流通段階における取引」
と定義してよいか、というと、ちょっと問題があります。
 
というのは、もしそのように定義してしまうと、メーカーAが製造する商品Aを小売店Bが販売する場合において、メーカーAが商品Aの割引券を(小売店Bから商品Aを購入する消費者に)提供すると、自他共通割引券の定義に該当してしまいかねず、そうすると、一定率の割引券が「割引券」に該当しなくなってしまうからです。
 
つまり、そのような割引券は、
「メーカーAの供給する商品・・・の取引
 
及び
 
小売店Bの供給する商品・・・の取引
 
において共通して用いられるもの」
に該当するので、
「同額の割引を約する証票」
でないかぎり、総付の適用除外にならないことになってしまうのです。
 
ただ、よく考えてみるとこれは
「他の事業者の供給する商品又は役務の取引」
をどう定義しても出てくる不都合であり、この不都合を回避するには、自他共通割引券を、
「自己の供給する商品又は役務の取引
 
及び
 
他の事業者の供給する商品又は役務の取引(自己の供給する商品又は役務の取引を除く)
 
において共通して用いられるものであって、
 
同額の割引を約する証票」
とでも定義するしかないように思われます。
 
ただ、そのような定義は論理的には正しいかもしれませんが、一見しただけではその意図すら測りかねるような、複雑怪奇な定義だと言わざるをえないでしょう。
 
大事なことは、メーカーAが自社製商品Aを小売店Bを通じて購入する消費者に提供する割引券は、自他共通割引券ではなく、たんなる自社割引券である(よって、値引きなので、そもそも景品類に該当しない)、ということです。 
 
なので、一定額だけでなく、一定率の割引券(2割引券など)も、たんなる値引きとして問題なく提供できます。

2018年5月28日 (月)

【お知らせ】ジュリスト事例速報に寄稿しました

ジュリストの6月号(1520号)の独禁法事例速報で、
「国際的事業提携がカルテルに発展した域外適用の一事例」
という題名で解説を書かせていただきました。

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ハードディスクドライブ用サスペンションのカルテルに関する2018年2月9日排除措置命令の解説です。
 
最初に有斐閣さんから依頼を受けたときは、なんかカルテルの事件なんて今さら書くような論点ってあるのかなぁと思ったのですが(失礼!)、命令書をじっくり読んでみるとなかなか味のある事件で、勉強になりました。
 
解説でも触れましたが、域外適用については、ブラウン管事件最高裁判決(平成29年12月12日)が
「価格カルテル(不当な取引制限)が国外で合意されたものであっても、
 
当該カルテルが我が国に所在する者を取引の相手方とする競争を制限するものであるなど、
 
価格カルテルにより競争機能が損なわれることとなる市場に我が国が含まれる場合には、
 
当該カルテルは、我が国の自由競争経済秩序を侵害するものということができ」
日本の独禁法を適用できるとの基準を示しましたが、これをそのとおりにあてはめると(本件での結論は当然だと思いますが)、じつにえらいことになるのではないか、という思いがこの排除措置命令を読んでさらに強くなりました。
 
だいたい、最高裁のいう、「市場に我が国が含まれる」って、どういう意味なのか、よくわかりません。
 
たしかウィトゲンシュタインか誰かが、
時間についての哲学者の混乱は、時間の長さの測定を棒の長さの測定と類比的に考えることから生じる
というようなことを言っていたと思いますが、最高裁の判例も、なんだか「市場」というものを場所的な概念ととらえているような、「時間」の概念の混乱を生じさせるのと同じような(もっといえば、それ以上に無用な)混乱を生じさせそうで、理屈を突き詰めないと納得できないわたしなどは、それだけで拒絶反応を示してしまいます。
 
(最高裁は、あえて意図的に、どうにでも柔軟に解釈できる基準を示した、ということなのでしょうけれど。)
 
域外適用についてはいろんな人がいろんなことを言っていますが、私個人としては、国際法の一般論に競争法が引っ張られるのはあまりよくなくて、競争法独自の考え方があるべきだと考えています。
 
以前、『英米法判例百選』を執筆したときにいろいろ調べたのですが、国際法で域外適用を考える場合って、たとえば、
アメリカとメキシコの国境で、アメリカ側からメキシコ側にいる人を射殺した場合、アメリカ法適用できるか
というような例を用いながら議論するんですね。
 
そして通常は、結果はメキシコで発生しているけれど、行為はアメリカで発生しているので、アメリカ法を適用できる、というわけです。
 
でもそんな理論を競争法にそのまま持ち込むのは、わたしはまちがいだと思います。
 
いくら著名な国際法学者でも、競争法のことまで考えて議論しているわけではないでしょうから、競争法では競争法の専門家がきちんと発信しないといけないと思います。
 
(余談ですが、同じく『英米法判例百選』を書いたときに思ったのですが、アメリカが議論の前提としている域外適用って、カナダとかメキシコなんですね。州の間での「州外適用」と、国家間の「域外適用」を同じだと言い切る裁判例もあったり、感覚の違いに驚かされます。)
 
ブラウン管事件の高裁判決あたりまでは、
「競争法の常識は、法律の非常識、なのかなぁ」
と、なんとなく他人事のように考えていましたが、最高裁判決のよくわからない規範や、それをそのまま採用したかのようなサスペンションカルテルをみると、そんなのんきなことは言ってられない、と認識を改めています。
 
と、域外適用についてもいろいろと論ずべきところはあるのですが、サスペンションカルテルの排除措置命令では、事業提携からカルテルにいたるまでの経緯というのが結構詳しめに認定されていて、おもしろかったです。
 
厳密に言えばそういう背景事情は、命令の結論には関係しない「余事記載」なのでしょうけれど、あまり骨と皮だけの命令ではわけがわからないので、公取委にはぜひ、こういう「余事記載」を積極的にするように期待したいです。
 
というわけで、ご興味がある方は、ジュリスト事例速報をご一読いただけるとうれしいです。

2018年5月17日 (木)

フリーテルへの課徴金の算定方法について

倒産したフリーテルが「業界最速」などと不当表示をしていたことに対して、課徴金納付命令が2018年3月23日に出ています
 
その課徴金の算定方法が、同種事案で参考になると思われるので説明しておきます。
 
課徴金導入前、とある研究会で、携帯電話サービスの不当表示について課徴金を課すときに、算定基礎の売上はどれをとるのかなぁと、考えたことがあって、そのときには、「KDDI(株)に対する件(2013年5月21日)」を題材に考えました。
 
この事件は、KDDIが、「au 4G LTE」なる移動体通信サービスを提供するに当たり、あたかも、iPhone 5を使用した場合、2013年3月末日までに全国のほとんどで受信時の最大通信速度が75Mbpsとなるかのように表示していたが、実際には、75Mbpsで利用できるのは人口カバー率14%の地域であった。」という事件だったのですが、では課徴金額の基礎は、 
①不当表示期間中のiPhone 5の全ての通信料収入か、それとも、不当表示期間中に新規契約した加入者からのiPhone 5の通信料収入か、
 
②iPhone 5(端末)の売上も含まれるのか(そもそも端末は「商品」であり、通信サービス(役務)とは別物か) 
という2つの論点がありうるのかなぁ、という発表をしました。
 
そのときの私見は、①については全通信料収入だろう、②については端末は含まれないのだろう、というものでした。
 
条文をよむとそうとしかよめないと考えたからです。
 
でも実質的に考えると、①については、そうすると不当表示前に契約している人への売上にまで課徴金がかかることになり、売上と不当表示との間に因果関係がないのではないか?というのが問題意識でした。
 
理屈の上では、不当表示のために既存の契約者も他社に乗り換えなかった、ということがありえますが、正直、かなり苦しい理屈だと思います。
 
フリーテルの事件も、全通信料収入でした。
 
条文どおりとはいえ、これはけっこうたいへんなことです。
 
たとえば、不当表示前に既存契約者が10万人いて、不当表示中に不当表示をみて1万人が新規に契約した場合、その1万人分に課徴金がかかるのではなく、11万人分にかかる、というわけですから。
 
②の、端末代にはかからない、というのも、不当表示の対象が通信サービスという役務なのだから、条文からいえば通信サービスだけにかかるのだろう、考えました。
 
でも、フリーテル事件をみると、「本件役務」を、
「「FREETEL SIM」と称する移動体通信役務(スマートフォン端末と一体的に供給する場合は、当該スマートフォン端末を含む。」
と定義しているので、端末も含んでますね。
 
研究会での問題意識はまさに、KDDIでiPhone 5を買った人は表示通りの性能が出ると思ったから買ったわけで、もしそうでなかったらドコモやソフトバンクと契約した可能性があるわけで、それなのに端末には課徴金をかけなくていいのか?ということでした。
 
(KDDI事件の当時はSIMフリーのiPhoneは、まだありませんでした。)
 
なので、フリーテル事件では、この論点については、実質的に、端末と通信役務を一体ととらえる運用がなされたことがわかります。
 
あらためて考えてみると、条文上もそのように解することに大きな問題はないように思われますので、この処理が妥当なのかな、と思います。
 
今後は、どこまでが一体的な商品役務なのか、争いがありうるケースも出てくるかもしれません。
 
たとえば、スキューバダイビングスクールで授業料の二重価格表示があった場合に、一緒に売ったダイビングセット(ほかで買うことも可能)も対象になるのか?とかですね。
 
SIMフリーでは端末は自分で調達できるのにフリーテル事件では一体に評価されているので、ダイビングセットも課徴金の対象になる、という意見もあるかもしれません。
 
でも授業料の二重価格表示はダイビングセットの性能とは何の関係もないのだと考えれば、ダイビングセットには課徴金はかからないのでしょう。
 
それに対して携帯電話の場合には、通信速度はサービス(通信網)の性能でもあり、かつ、端末の性能でもある、といえるかもしれません。
 
でもSIMフリーなんだから端末は関係ないじゃないか、と考えれば、ダイビングセットと同じで、端末には課徴金はかけるべきではなかった、というのも一理あるような気もします。
 
なかなか難しいですねcoldsweats01
 
第一印象では、消費者庁の処理が正しいように感じていますが、もうちょっと考えてみたいです。
 
あと、フリーテルの事件では、課徴金対象行為の期間が2016年11月30日から12月22日までの約1か月間で、誤認解消措置をとったのが2017年5月31日です。
 
そのため課徴金対象期間は約6か月間になっています。
 
この事件で措置命令が出たのが2017年4月21日ですから、措置命令が出たのに誤認解消措置まで約1か月かかっていることになります。
 
もし不当表示をやめた(2016年12月22日)のが、消費者庁の調査を受けたためだったとすると、調査を受けてから誤認解消措置まで5カ月もかかっていることになります。
 
そういうわけで、本件では約6か月の課徴金対象期間で約9000万円の課徴金がかかっているので、もし不当表示をやめてすぐ誤認解消措置をやっていれば、9000÷6=1500万円くらいですんだことになります。
 
というわけで、こういう継続的取引の事件で不当表示をしたときには、さっさと誤認解消措置をしないとどんどん課徴金が積みあがっていく、という見本のような事件です。
 
でも考えてみると、継続的取引の場合には、誤認解消措置をとったらそのあとの売上に課徴金がかからないというのも、なんだか釈然としませんね。
 
不当表示につられて契約した人がそのまま契約し続けることもけっこうあるように思われるからです。
 
理屈としては、不当表示でだまされたと思った人は他社に乗り換えるからそれでいいんだ、ということでしょうか。
 
でもそうすると、今問題になっている、2年縛りとかがあると、そう簡単に乗り換えられない、という問題もありそうです。
 
というように、細かく考えていくと、課徴金の算定はこれでいいのか?という疑問がわいてくるのですが、非裁量型課徴金というのは(独禁法でもそうですが)単純に計算できないと制度として回っていかないところがあるので、やむをえないのでしょう。
 
 

2018年5月11日 (金)

不当な給付内容の変更に関する講習テキスト違反行為事例の疑問

下請法4条2項4号(不当な給付内容の変更及び不当なやり直しの禁止)では、
「下請事業者の責めに帰すべき理由がないのに、
 
下請事業者の給付の内容を変更させ、
 
又は
 
下請事業者の給付を受領した後に(役務提供委託の場合は、下請事業者がその委託を受けた役務の提供をした後に)
 
給付をやり直させること」
が禁止されています。
 
この前段の給付内容の変更について、平成29年11月版の下請法講習テキストp74では、
「「給付内容の変更」とは,
 
給付の受領前に,
 
3条書面に記載されている委託内容を変更し,
 
当初の委託内容とは異なる作業を行わせることである」
と説明されています。
 
そしてその趣旨としてさらに続けて、
「こうした給付内容の変更ややり直しによって,
 
下請事業者がそれまでに行った作業が無駄になり
 
あるいは下請事業者にとって当初の委託内容にはない追加的な作業が必要となった場合に,
 
親事業者がその費用を負担しないことは,下請事業者の利益を不当に害することとなるものである。」
と説明されています。
 
ですがその違反事例としてp79にあげられている、
「親事業者S社は,貨物の運送を下請事業者に委託しているところ,
 
下請事業者が指定された時刻にS社の物流センターに到着したものの,
 
S社が貨物の積込み準備を終えていなかったために下請事業者が長時間の待機を余儀なくされたにもかかわらず,
 
その待ち時間について必要な費用を負担しなかった。」
というのは、わたしはおかしいと思います。
 
というのは、給付内容の変更というのは、前記引用のとおり、
「それまでに行った作業が無駄になった」
とか、
「追加的な作業が必要となった」
場合に成立すべきものだからです。
 
でも、「長時間の待機」をさせた、というのは、
「作業が無駄になった」
わけでも
「追加的な作業が必要になった」
わけでもありません。
 
たんに、段取りが悪くて待たせていただけです。
 
待たせたことを「追加的な作業」というのは、いくらなんでも広げすぎでしょう。
 
テキストのほかの事例は、すべて発注の取消しか、追加作業をさせたものばかりです。
 
追加作業の事例をならべると、
②「当初の発注から設計・仕様を変更した」
 
③「金型について・・・無償でやりなおしを求めた」
 
④a「追加作業を行わせ・・・た」
 
④c「やり直しをさせ・・・た」
 
④d「仕様を変更した」(以上p77)
 
⑤「やり直しを求めた」
 
⑥a「途中で仕様を変更し・・・た」
 
⑥b「修正を行わせ・・・た」
 
⑦a「委託内容が変更されて追加の作業が発生した」
 
⑦b「撮り直しをさせた」
 
⑦c「動画の品質を上げるための作業を行わせ・・・た」
 
⑦d「発注内容の変更を行った」
 
⑧「作業のやり直しをさせた」
 
⑨a「作業のやり直しをさせた」
 
⑩a「発注内容を変更した」
といった具合です。
 
このように、いずれの場合も何らかの意味での追加作業があるのです。
 
もっと端的に別の切り口でいうと、これらの例では、いずれも成果物が変更されています。
 
講習テキストp74では、
「「給付内容の変更」とは,給付の受領前に,3条書面に記載されている委託内容を変更し,当初の委託内容とは異なる作業を行わせることである」 
とされています。
 
これに忠実に、以上の例ではいずれも、3条書面に記載されていたであろう成果物とちがうもの(超えるもの)の納品が命じられているわけです。
 
これは条文上、「給付内容の変更」と書いてあるので、当然のことです。
 
(実はそうすると、発注の取消しは追加作業があったわけではないので、果たして「給付内容の変更」といえるのか疑問がわいてくるのですが、これは長年の運用でそうなっているので、ひとまず措きます。)
 
それに対して、前記引用した「長時間の待機」というのは、まったく異質です。
 
つまり、「長時間の待機」というのは、下請取引で独立の取引対象となるような「追加作業」では、断じてありえません。
 
別の言い方をすれば、待たせただけで、発注内容は何ら変更していないわけです。
 
もちろん、
「3条書面に記載されている委託内容を変更」
ということも、あるはずがありません。
 
というわけで、長時間待たせたことで損害賠償義務が発生することはあるかもしれませんが、下請法違反というのはおかしいと思います。
 
もし「長時間の待機」なんていう、ただ待っているだけのことが、追加の作業だ、というなら、
 
「下請事業者に『損害を負うという作業(?)』を行わせた」
 
といってもいいはずで、そうすると、追加作業だろうがなんだろうが、ぜんぶ下請法違反になってしまいかねません。
 
そうすると、契約上の損害賠償の話がすべて下請法の話になってしまいます。
 
あるいは、納期に受領せず後日の再納入を求めるのは受領拒否と整理されるのが普通ですが、これを、もう1回納入させるという追加作業を行わせたといえば、不当な給付内容の変更にもなってしまいます。
 
(まあ受領拒否は当然違法型の4条1項なので、2項の不当に不利益を負わせる型である不当な給付内容の変更と構成する必要はないのでしょうけれど。ともあれ、2項4号は気を付けないと際限なく広がる可能性があるわけです。)
 
実は前記引用例は平成29年版に追加されたものです。
 
つまり、平成29年版で大きく運用を変えてきた、ということです。
 
(というのはたぶん公取委を買いかぶりすぎで、きっと、あんまり深く考えずに実際にあった指導事例を付け加えただけというのが実態で、意図的な運用変更ではない可能性は大いにありますが。)
 
こういうことが何の事前警告も議論もなしに行われるところが、下請法のおそろしいところです。
 
(ほかにも、少し前から代金減額に別途支払わせるものまで含まれるという大きな運用変更がなされていて、これも大問題なのですが、長くなるのでまた後日論じます。)
 
下請法は勧告という、法的には行政指導でしかない軽い処分であるうえに当事者に争う道がない(たんなる指導なので)、というのが根本的な問題なのですが、そんな中で、こんな大事な運用変更がこっそりなされるというのは、本当にとんでもないことだと思います。
 
ほかにも、ほんとうにひどい運用だなあという事例を見聞きすることはありますが、見聞きするだけでそれだけあるわけですから、きっと誰も知らないところで、従来の運用を外れた運用がなされているのではないかと想像します。
 
(下請法は担当官によってけっこういうことが違っていたりしますし。)
 
というわけで、公取委や中企庁の指導に納得いかないという人は、きちんと専門家に相談した方がいいと思います。
 
そうしないと、やりたい放題にされてしまうでしょう。
 
恣意的な行政の運用に目を光らせるのは、われわれ在野法曹の重要な使命だと考えています。

2018年5月 9日 (水)

値引と割引券の関係

値引と割引券はどのような関係にあるのでしょうか。

(なお、議論を簡単にするために、割引券は取引付随性があるもののみ考慮し(なので、新聞広告でクーポン券を提供するようなものは考慮しない)、一定率を割り引く割引券と一定額を割り引く割引券(金額証ともいいます)とは区別しないことにします。)

背景として、平成8(1996)年4月に定義告示運用基準が改正されています。

(くわしくは、深町正徳「割引券の提供に関する景品表示法の考え方について」公正取引587号40頁をごらんください。)

つまり、改正前の定義告示運用基準では、

「取引通念上妥当と認められる基準に従い、取引の相手方に対し、支払うべき対価を減額し、又は受け取った代金を割り戻すこと」(6(3)ア)

は景品類の提供に当たらないとされる一方で、

「ある取引に付随して、他の取引において用いられる割引券その他割引を約する証票を提供する場合」(6(4)ウ)

は、、景品類の提供に当たるとされていました。

これはどういうことかというと、

「Aの取引に付随して割引券を『提供する行為』と、

Bの取引において割引券を『使用する行為』

を分離して捉え、

後者については景品表示法上の景品類に当たらないが、

前者についてはAの取引に付随した景品類に当たると捉えていた。」

ということだったんだそうです(深町前掲p42)。

つまり、改正前は、

割引券の提供→取引Aに附随する景品類の提供(値引きではない)

割引券の使用→いずれの取引に附随する景品類の提供でもない(取引Bの値引き)

という整理だったわけです。

ただし、これは今も同じですが、総付による割引券の提供については、総付告示で、

「自己の供給する商品又は役務の取引において用いられる割引券その他割引を約する証票であつて、正常な商慣習に照らして適当と認められるもの」

については、

「景品類に該当する場合であつても、前項の規定〔総付の金額規制〕を適用しない。」(総付規制の適用除外)

とされていました。

これに対して定義告示運用基準の改正は、前述の、

「ある取引に付随して、他の取引において用いられる割引券その他割引を約する証票を提供する場合」

は景品類の提供に当たるとの規定(改定前6(4)ウ)が、削除されました。

また併せて、改定後定義告示運用基準で、

「取引通念上妥当と認められる基準に従い、

取引の相手方に対し、

支払うべき対価を減額すること(複数回の取引を条件として対価を減額する場合を含む。)」(6(3)ア

は、

「原則として、

〔景品類にあたらないとされる定義告示1項柱書ただし書の〕「正常な商慣習に照らして値引と認められる経済上の利益」

に当たる。」(6(3)柱書)

とされました。(これは現在もほぼ同じです。)

これはつまり、

「この改正により、複数回の取引を条件として対価を減額する場合でも景品規制の対象とならないと整理された」

ということのようです(p42)。

まとめると、運用基準の改正前は、

割引券の提供→取引Aに附随する景品類の提供(ただし総付規制の適用除外

という整理だったのが、改正後は、

割引券の提供→取引Aの値引(景品類の提供ではない)

と変わった、ということです。

なので、改正後は、割引券の提供と使用を分ける必要もなく、値引であると整理されました。

以上を踏まえて、現行の割引券に関する規定を検討します。

割引券の提供については総付告示2項3号(価額の2割の制限が適用されない場合の1つ)で、

「自己の供給する商品又は役務の取引において用いられる割引券その他割引を約する証票であつて、正常な商慣習に照らして適当と認められるもの」

と言及されており、これを受けて総付運用基準4項では、

「4 告示第二項第三号の「自己の供給する商品又は役務の取引において用いられる割引券その他割引を約する証票」について

(1) 「証票」の提供方法、割引の程度又は方法、関連業種における割引の実態等を勘案し、公正な競争秩序の観点から判断する。

(2) 「証票」には、

金額を示して取引の対価の支払いに充当される金額証(特定の商品又は役務と引き換えることにしか用いることのできないものを除く。)

並びに

自己の供給する商品又は役務の取引及び他の事業者の供給する商品又は役務の取引において共通して用いられるものであって、同額の割引を約する証票

を含む。」

と定められています。

では、世の中で普通にある割引券は、どう考えればいいのでしょうか。そもそも景品類に該当するのでしょうか。

ここでの問題意識は、

割引券というのは要するに、それを持っていると値引きが受けられるということであり、たんなる値引と同じなのではないか、

それが、「券」(証票)が発行されるだけで、純粋な「値引」と違うものと評価されるのはおかしいのではないか、

ということです。

この点について、

大元『景品表示法〔第5版〕』(緑本)

のp209では、総付運用基準4の解説として、

「自己の供給する商品または役務の取引において用いられる割引券その他割引を証する証票については、

それが自己との取引に用いられ、

取引通念上妥当と認められる基準に従っているもの

である場合は、

『正常な商慣習に照らして値引と認められる経済上の利益」となり、

そもそも景品類に該当しない(定義告示運用基準6(3)ア・・・)。」

と、オーソドックスな割引券については、定義上そもそも景品類に該当しない(値引なので)、と整理しています。

わたしも、この整理が正しいと思います。

そして、上記引用の緑本p209でも引用されている定義告示運用基準6(3)アでは、

「原則として、「正常な商慣習に照らして値引と認められる経済上の利益」に当たる」

場合の具体例の1つとして、

「ア 取引通念上妥当と認められる基準に従い、取引の相手方に対し、支払うべき対価を減額すること(複数回の取引を条件として対価を減額する場合を含む。)

(例 「×個以上買う方には、○○円引き」、

「背広を買う方には、その場でコート○○%引き」、

「×××円お買上げごとに、次回の買物で○○円の割引」、

「×回御利用していただいたら、次回○○円割引」)。」

という例があげられていますので、緑本も、ここで挙げられている例、たとえば、

「背広を買う方には、その場でコート○○%引き」

に当たる(複数回取引を条件とする点を除き)と考えてよい、「コート〇〇%引券」を背広購入者に提供するのは、値引に該当し、そもそも景品類には該当しないと考えているものと思われます。

この点も、正しいと思います。

さらに続けて緑本では、自他共通割引券について、

「他方、自己だけでなく他の事業者との取引においても共通して用いることができる割引券等(自他共通割引券等)については、

景品類に該当し得る場合もあるものと考えられるが、

仮に該当する場合場合であっても

自己との取引について値引と同様の効果がもたらされる可能性があることから、それが正常な商慣習に照らして適当と認められるのであれば、総付景品の規制の適用除外とされている」

つまり、自他共通割引券については定義上は景品類に該当しうるけれど、特別に総付景品規制の適用除外にしているんだ、と説明しています。

まとめると、割引券は、

①自社割引券→「値引」に該当する(「景品類」に該当しない)

②自他共通割引券→

A 「値引」に該当するもの(「景品類」に該当しないもの)

 

 

B 「値引」に該当しないもの(「景品類」に該当するもの)

 

があり、

 

A→「景品類」には該当しない(定義告示運用基準6(3))

 

B→総付運用基準4の条件(=自他同額の値引き)をみたせば総付規制が適用されない(総付運用基準4)、

というように整理できます。

とすると、総付告示2項3号の「割引券」には、Aの割引券(「値引」に該当するもの)は、論理的に含まれない(あるいは空振り)ということになります。

具体的には、

①自社割引券→値引(景品規制対象外。総付告示2項3号は空振り)
 
②自他共通割引券
(ア)自他同額のもの→景品類だが総付金額規制適用除外
 
(イ)自他同額でないもの→景品類
③他社割引券→景品類
ということになります。
 
このように、かなりの部分で空振り(①)になるにもかかわらず総付告示の
「自己の供給する商品又は役務の取引において用いられる割引券その他割引を約する証票であつて、正常な商慣習に照らして適当と認められるもの」
については総付金額規制を適用しないという総付告示2項の規定が残された理由については、前記深町p42で、
「この規定〔総付告示2項3号〕を置いておく意味は、
 
指定告示上『正常な商慣習に照らして値引』に該当するとは認められないが、製造な商慣習に照らして提供を認めても価格と品質による競争を阻害しないと認められるもの
 
(自他共通割引券(デパート共通〇〇券のようなもの)
 
 
商品とも引き換えられる可能性のある金額証等)
 
について、総付告示の当該規定〔2項3号〕により提供を認める必要があったためと考えられる。」
と解説されています。
 
つまり、シンプルな割引券は総付告示2項3号を待つまでもなく「値引」なので景品類には該当せず(もちろん、総付規制も適用されない)、総付告示2項3号が必要になるのは自他共通割引券や商品とも引き換えられる可能性のある(つまり、一部減額ではなく)金額証などの場合だ、ということです。

2018年5月 7日 (月)

緑本の資料脱落

いつものように
大元編『景品表示法〔第5版〕』(緑本)
で調べ物をしていて気づいたのですが、なぜか巻末資料に、総付告示(p432)に続けて載っているはずの総付告示運用基準(「『一般消費者に対する景品類の提供に関する事項の制限』の運用基準について 」)が載ってませんね。
 
第4版までは載っていたのに、編集のときに漏れてしまったんでしょうか。。。
 
すごく探してしまいましたbearing
 
ちなみに、第5版にも総付告示と懸賞告示と懸賞運用基準は載っています。

2018年4月14日 (土)

ABA Spring Meeting 2018

今年ひさしぶりにAmerican Bar AssociationのAntitrust Spring MeetingでワシントンDCに来ており、本日全日程が終了しました。
 
やはりアメリカに来るといろんな人に会えて楽しいですね。
 
ランチのときに、FTCの若い女性の職員の方と隣になって話をきいたら、1-800Contactの事件を担当したと聞いて、大いに盛り上がりました。
 
この事件は、1-800Contactというコンタクトレンズのネット販売業者が競合他社と合意して、検索連動型広告のインターネット検索キーワードの入札で談合した、という事件です。
 
当事者の反論としては、商号など一定のキーワードを守ることはフリーライドや消費者の混乱を防ぐために必要だ、ということだったのですが、FTCには認められませんでした。
 
「FTCは、典型的なカルテルばかり扱うDOJよりもinnovativeな事件が多いよね。」というと(本音です)、満足されていました。
 
それと、この事件を見てから疑問だったのですが、
 「日本でAmazonとかのキーワードでGoogleで検索するとほかの会社の広告はでないんだけど、これってAmazonがカルテルしてたり、すごい高い値段でキーワードを買い取ってるのかな?」
という質問すると、
「関連性の低いウェブサイトは表示されないプログラムになっているのよ」
と教えていただきました。なるほど。
 
そのほかには、今話題のフェイスブックのCEOのザッカーバーグの代理人をしている事務所の話が聞けたり(国会での証言はうまくいったと満足そうでした)、マリンホース事件で個人を代理していた弁護士さんに会えておもしろかったです。
 
詳しい内容はもちろんここでは控えますが、カルテルなんかするもんじゃないなぁと改めて思いました。
 
それから、一部では話題なのですが、ビタミンカルテルで中国企業が中国政府に命じられて価格協定をしていた場合に、米国反トラスト法が適用されるのかという争点で近々最高裁で(確か)弁論が開かれるのですが、その中国企業の弁護士さん(アメリカ人)のお話も聞けておもしろかったです(とくに受任の経緯とか、予想される争点とか)。
 
この事件は米国が国際礼状(comity)をどれくらい重視するのか注目されている事件です。今後も注目していきたいとおもいます。
 
あとアメリカ人との雑談の話題としてはエンジェルスの大谷選手の話題が「鉄板」でしたね。
 
アメリカでも大きな話題みたいです。
 
さて最終日午前はまず、FTCの競争局、消費者保護局、経済局の局長のセッションに出てきました。
 
とても興味深かったのは、最近は経済局が消費者保護問題を扱うことが増えているということでした。
 
消費者保護法なんて合理的で客観的な経済学と最も縁遠い法律だと思っていたのですが、そうでもない時代なんですね。
 
それをはじめとして、FTCでは競争法と消費者保護法の一体的運用がなされていることに強い感銘を受けました。
 
こういうFTCや、欧州委員会がデータ保護やプライバシーの問題を扱っているのをみるにつけ、日本の公取も消費者庁と一緒になればいいのにと、改めて感じました。
 
以前は公取が景表法を取り戻すという意味で消費者庁を吸収合併できればいいなと考えていましたが、最近の消費者庁の活躍ぶりや職員数の増加に照らすと、逆に消費者庁が公取を吸収して、オーストラリアの競争消費者委員会(ACCC)のようになる手もあるかもしれません。
 
さて午前最後はSpring MeetingのハイライトのEnforcers' Roundtableに出てきました。
 
予想どおりといいますか、欧州委員会のベステアーさんが光ってましたね。
 
デジタルマーケットで消費者が力を取り戻すこと(power balance)の重要性を訴えており、強い意志を感じました。
 
インターネットを通じて取引が行われる時代になると、消費者問題も競争法も、インターネットという共通のインフラを通じて考えざるを得ない、ということなのだと理解しました。
 
ここでも、競争法と消費者保護法の一体的運用の重要性を感じました。
 
データ保護が欧州であれだけ重視されているのも、そういう背景がきっとあるのでしょうね。
 
ベステアーさんについては、友人の英国の競争法弁護士は批判していましたが、カリスマ性はあるなぁと感じました。
 
新聞によると、ベステアーさんはチームにシナモンロール(さすがヨーロッパ、おしゃれですね)を焼いてあげたりするそうです。
 
きっと部下の心をつかむのもお上手なのでしょう。
 
そのほかも勉強になることがたくさんあったのであとでゆっくり復習したいと思います。
 
なおDOJのデルラヒムさんによると、たしかにカルテルの摘発件数は減っているけれどリニエンシーの申請件数は減っていないということなので、そのうち件数は上向くのではないかと思われます。
 
ほかのセッションでは、Chairs Showcaseで、最近退官したPosner判事の業績を振り返っていたのですが、一人であれだけの業績を残すって(しかも判決を書きながら)すごいなと思います。
 
でもそのセッションでも触れられていて要注意なのが、ポズナー判事が70年代の若いころに書いたものは2000年ころに書いたもので説が変わっていたりする、ということです。
 
知り合いの弁護士でポズナー判事が担当した事件を担当した人がいて、地裁ではビジネスを理解しない判事にとんでもない判決を出されて負けたけれど、控訴審のポズナー判事はビジネスをとてもよく理解していてひっくり返してもらった、と言っていました。
 
頭のよい人はビジネスの飲み込みも早いのでしょうか。
 
それと、競争法をやっている者の立場からいうと、競争法を学ぶとビジネスの実態も(少なくともずぶずぶの弁護士よりは)よく理解できる、ということもあるかもしれません。
 
私も通ったNYUのフォックス教授がパネリストの1人でしたが、フォックス教授によると反トラスト法はポズナー判事の業績のほんの一部に過ぎないらしいです。
 
きっと、競争法の狭い世界にとどまらないところも、広い視野をもつために役立ったんだろうと想像します。
 
というわけで、すごい人なんだと改めて思いました(ABAで取り上げられるのもめったにないことでしょう)。
 
良いきっかけですから、ポズナー判事の本や論文を改めて読んでみたいと思います。
 
久しぶりのDCですが、ずいぶんと変わりましたね。
 
再開発が進んで街が安全になり、わたしが2001年にサマースクールで来た時には立ち寄りがたかったチャイナタウンのあたりも、夜でも大勢の人が出歩いていて、見違えるようです。
 
何人かのDCの弁護士さんに聞きましたが、やはり最近の大規模な再開発の影響は大きいみたいです。
 
その関係か、Shearman SterlingやWeil GotshalやArnold Porterなど、大手事務所のDCオフィスの移転が相次いでいるみたいです。
 
それから、アメリカ軍がシリアの爆撃を開始したというニュースが流れてきました。
 
アサド政権が化学兵器を使用したことが確認できたからというのがトランプ大統領の攻撃の理由だそうですが、自国が攻撃されてもいないのに先制攻撃するというのは、60年以上も専守防衛でいる日本の感覚からすると、理解できません。
 
今ホテルでCNNをつけています。
 
ブッシュ大統領がイラクを空爆した時もちょうどニューオーリンズを旅行中でホテルでCNNを見ていたなぁと思い出しました。
 
安倍首相は日本を戦争ができる国にしたいみたいですが、日本はアメリカのようにはなってほしくないなと思います。
 
(最近、
矢部 宏治 著 『日本はなぜ戦争ができる国になったのか』
という本を読みましたが、前著の、
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』
とともに、全国民必読の書(大げさではなく)と思いました。
 
でも全国民に読ませるのは無理なので、小学校は無理でも、中学校くらいでこの内容を教えたらいいのに、と思います(中学校での前川前次官の講演にまで介入する文科省の態度では到底むりでしょうけれど)。
 
法律家の身としては、やはり司法というのは大事なんだなぁと、責任の重さを感じました。
 
司法試験受験時代にさらっと勉強した砂川事件最高裁判決も、最高裁がこんな売国奴のようなことをしたのかと知らされると、控えめに言って同判決は司法の汚点だと思います。
 
とくに砂川事件について詳しく知りたい方は、
吉田 敏浩ほか著『検証・法治国家崩壊:砂川裁判と日米密約交渉』
がおすすめで、こちらは全法曹必読です。)
 
トランプべったりの安倍さんのことですから(というか、これは安倍さんに限ったことではなく日本政府はいつもそうですが)、きっと爆撃を支持する声明が政府から出るんでしょうね。
 
でも今回は少し、考えてからのほうがいいんじゃないでしょうか。
 
DCから、そんなことを思いました。

2018年4月 9日 (月)

ブラウン管事件高裁判決について

独禁法の域外適用が問題になったブラウン管カルテル事件についての東京高裁平成28年4月13日判決〔MT映像ディスプレイ等〕は、
「自由競争秩序の維持は、供給者と需要者の双方が、それぞれ自由な判断により取引交渉をして意思決定をするという過程が、不当な行為により制限されないことが保証されることによって図られるものであり、自由競争秩序の維持を図る上で保護されるべき需要者の属性として重要なのは、意思決定者としての面と解せられる。」
という理屈で、意思決定者が日本国内にいれば日本の独禁法を適用できる、という立場に立っています。
 
この判決には私は反対です。
 
(審決が出るまえ、一時、わたしもブラウン管カルテル事件に関わっていたので、いろんな国の競争法弁護士に、「日本の公取は意思決定をした親会社が日本にあれば日本の独禁法を適用できるという考えらしい」といったら、みんなびっくりしていました。)
 
基本的には、小田切委員(当時)の審決での補足意見の分類にしたがえば、余剰獲得者の所持在地を基準にすべきだと考えています。
 
これら一連のブラウン管事件判決については、細かいことを言い出すときりがないのですが、ひとつ指摘したいのが、法学と経済学の発想のちがいです。
 
だいぶ以前に、このブログの「独禁法と経済学」という記事で書いたのですが、物の値段はどうきまるのかという点について、法律家は、
「価格は当事者の合意で決まる」
という発想なのに対して、経済学者は、
「価格は市場で決まる」
という発想が強いと思います。
 
法学部で法律を勉強すると、売買契約は当事者の合意により成立する、と教えられます。
 
どうして契約に拘束されるのかといえば、神様がそういったからでも王様が決めたからでもなくて、自由な意思でお互いが合意したから拘束されるのだという、近代市民法の私的自治の発想です。
 
これに対して経済学では、価格は利益を最大化しようとする市場参加者の意思決定の結果として決まる、というように考えます。
 
そして経済学でいうところの「意思決定」は、市場の状況を所与の前提として、利益最大化という規準にしたがって行われる、あくまで受け身のものです。
 
このような基本的な発想の違いが、法学と経済学が交錯するいろいろな場面で出てくるのですが、東京高裁判決もまさにそんな場面の一つに思われます。
 
でも競争法において意思決定の自由を究極的な保護法益として説明しようとすると、いろいろ不都合なことが起こります。
 
たとえば、売手間のカルテルによって買手の意思決定の自由が害されたという場合、暗に想定されているのは、カルテルがあると知っていたらそのような購入意思決定はしなかった、ということなのではないでしょうか。
 
でも極端な例として、売手が独禁法違反で摘発されるリスクをものともせず、カルテルをしていることを公言している場合はどうでしょう。
 
そのような場合でも、買手の意思決定の自由が侵害されているといえるのでしょうか?
 
わたしは、そのような場合の買手の被害を意思決定の侵害に求めるのは難しいと思います。
 
言えるとすれば、買手にはカルテルがない状態で決まる価格で商品を購入する権利があるのだという、まさに余剰獲得者としての視点しかないと思います。
 
もう一つ極端な例として、完全競争市場では、需要者は価格について何ら意思決定をする必要すらありません。
 
経済学では、そういう市場が最も望ましいと考えられていたりします。
 
そこには、意思決定の自由という発想はありません。
 
意思決定の自由を重視する東京高裁の立場は、法学部出身の私からすると、いかにも法律家的というか、それだけに、経済学的な発想がぜんぜんないんだなぁと思わざるを得ません。
 
これと正反対にあるのが、法と経済学で著名なポズナー判事のモトローラ事件における法廷意見で、国外に子会社を設立して現地法に従うのであれば競争法についても現地法に従うべきである、として、米国外で完成品に組み立てられて米国外に売られた商流について米国親会社の損害賠償請求を退けています(白石忠志「ブラウン管事件東京高裁3判決の検討」NBL1075号13頁)。
 
さすが、法律と経済学の両方に通じておられるポズナー判事だといわざるをえません。
 
経済学者である小田切委員があえて補足意見を書かれたのも、きっと、経済学的観点から違和感があったからであろうと推測します。
 
まあ、東京高裁の判断が最高裁でも支持されてしまったので、今となってはどうしようもないのですが、私の見るところでは、この問題は高度な哲学的問題でもなんでもなく、たんに、裁判所に「価格は市場で決まる」とか、余剰という経済学的な発想がなかった(経済学に無知であった)がために起こった誤審だったのではないか、と思っています。

2018年4月 6日 (金)

白石説は少数説か?

独禁法を勉強している学生さんと話をしていると、
「白石先生の説は少数説ですから。」
という発言をよく聞きます。
 
文脈としては、「だから司法試験で白石説は取りにくい」というニュアンスなのだと思います。
 
でも実務にいると、白石説が少数説だなんていう感じはぜんぜんしません。
 
実務の実態を、もっともよく表しているのが、白石説だと思いますし、多くの実務家が賛同してくれるのではないかと思っています。
 
この点について、最近出た『独占禁止法講義〔第8版〕』で、白石先生ご自身の言葉で次のように述べられています。 
「当局が『□□』と言っているのだからそれが『実務』だ、それをコピー&ペーストした文献が多いから『通説』だ、と言ってそれを丸暗記したいのか。それとも、実際に通用している規範を知り、その構造を理解したいのか。どちらが必要であるかは、読者それぞれの判断である。」(p10)

Photo

 
この一節を読んだときは、ほんとうに胸がすく思いがしました。
 
まさかご自身にここまでズバリと言っていただけるとは(笑)。
 
まさに、そういうことなのです。
 
今まで、公取の公式文書や、いわゆる「通説」をみて、どうも実務の実態や感覚とちがう、ともやもやしていたときに、白石先生の解説をみて、まさにそのとおりだとすっきりした経験は数え切れません。
 
自分の頭で考えない人は公取の文書のコピペで満足する(というか、自分の言葉で言い換えるのすらこわくてできない)のでしょう。
 
でも、公取の建前と本音がちがうことなんて、日常茶飯事です。 
 
だから、ガイドラインや相談事例のコピペでは、けっして実務の実態には迫れません。
 
そのことを、白石先生ご自身の言葉で言っていただいたので、とてもすっきりしました。
 
同書の旧版での「狭いサークル」論に匹敵する、ヒットでした。
 
たしかに、白石先生の解説で、しっくりこないなぁというところはいくつかあります。
 
優越的地位の濫用は小さな市場の中での独占だといわれると、「でもそんなふうに本気で考えてる人って、たぶんいないよなぁ」と思います。
 
(とはいえ、そういう視点で優越的地位の濫用を眺めて、優越的地位の濫用が違法であることの根拠や違法要件を突き詰めること、別の言い方をすれば、優越的地位の濫用において「無意識に行われていることを言語化する」(同書p10)ことは、とても大事なことだと思います。)
 
再販売価格拘束なんかは、もう少し厳しくアドバイスしないと、実務ではちょっと怖いかなと、個人的には感じています(個人の感想です)。 
 
企業結合の協調行為の説明は、私自身、ややしっくりしていないものがあります。
 
など、一部例外はあるのですが、それらは些細なことであり、実務の姿をありのままに伝えているという意味では、白石説ほど信頼に足りるものはありません。
 
わたしは経済学から独禁法に切り込んでいくほうで、経済学的に説得力のない議論はすぐに見分けられるつもりですが、経済学的な観点からみても一番違和感がないのが白石説です。(たとえば、単独の取引拒絶と共同の取引拒絶の異同。)
 
問題は、公取の「公式見解」のコピペではないので、白石先生の説を読み解くのには、ある程度独禁法をわかっている必要があることです。
 
それさえわかってしまうと、いったい白石説のどこが少数説なのかが、むしろ理解不能です。
(でも、それじゃ「通説」は独禁法を理解していなくても理解できるのかというと、そんなことはぜんぜんなくて、たんに頭を使わずにコピペで用が足りてしまうだけの話だと思います。)
 
というわけで、白石説を少数説だという人をみるにつけ、「こいつ、全然わかってないなぁ」と思ってしまうのです。
 
・・・というようなことが、昨日たまたまある法務部の方との会話で話題に上ったので、今日はこのようなことを書いてみたくなったのです。
 
今年度はじめて、公正取引協会での白石先生のゼミに参加させていただきます。
 
きっといろいろな発見があるだろうと、今からとても楽しみです。

2018年4月 3日 (火)

従業員派遣の要請と偽装請負

優越的地位の濫用の典型例として、スーパーや家電量販店などの小売店が納入業者に対して従業員を派遣させて商品の陳列などをさせる、というものがあります。
 
でもこれって、優越的地位の濫用だけでなく、偽装請負、あるいはより一般的には、労働者派遣法違反にもなりうるので注意が必要です。
 
偽装請負というのは、形式的には請負契約であることを装いつつ(「請負」を偽装しつつ)、実質的には、労働者を派遣する、というものです。
 
スーパーが納入業者に従業員の派遣を要請する例でいえば、形式的には、
スーパー(業務の「発注者」)と納入業者(「請負業者」)との間で「商品陳列請負契約」のようなものを偽装しつつ、
実質的には、
納入業者の従業員をスーパーの指揮監督のもとで陳列業務に従事させる
というようなパターンです。
 
優越的地位の濫用で「商品陳列請負契約書」をわざわざ作ることもないでしょうから、世の中で言う偽装請負のパターンにはあたらないでしょうが、それでも、納入業者がその従業員をスーパーの指揮監督のもとでスーパーの業務に従事させることは、労働者派遣法になります。
 
条文をみてみましょう。
 
労働者派遣法2条1号は、「労働者派遣」を、
「自己〔=納入業者〕の雇用する労働者を、
 
当該雇用関係の下に、
 
かつ、
 
他人〔=スーパー〕の指揮命令を受けて、
 
当該他人〔=スーパー〕のために労働に従事させることをいい、
 
当該他人に対し当該労働者を当該他人に雇用させることを約してするものを含まないものとする」
と定義しています。
 
そして、労働者派遣を業として行うことが「労働者派遣事業」(2条3号)です。
 
「業として」は、反復継続して、という意味なので、有償か無償かは問いません。
 
スーパーが納入業者に従業員の派遣要請をする場合は、無償で要請するから優越的地位の濫用になるわけですが、無償だからと言って派遣業法違反にならないとはいえないわけです。
 
同様に、スーパーが納入業者に従業員の派遣を要請している場合は、通常は1回だけでなく、反復継続していて、それが常態化しているでしょうから、「業として」にあたることが多いと思われます。
 
そして労働者派遣事業を行うには厚生労働大臣の許可を受けなければならず(5条)、この許可を受けずに労働者派遣事業を行ったものは1年以下の懲役または100万円以下の罰金に処せられます(59条2号)
 
そこで問題は、
「他人〔=スーパー〕の指揮命令を受けて」(派遣法2条1号)
にあたるかどうかです。
 
これは究極的には具体的事情に即して判断するしかないですが、一般的に言って、優越的地位の濫用に当たるような派遣要請の場合は、当該納入業者の商品だけでなく、他の納入業者の商品の陳列や、全く別の作業(新装開店の飾りつけとか)もさせているでえしょうから、「他人の指揮命令を受けて」にあたることが多いのではないでしょうか。
 
というのは、そのような、当該納入業者のあずかり知るはずのない作業を、いったい誰の指揮命令に基づいてやっているのかといえば、通常は、スーパーの指揮命令のもとで行っているといわざるをえないと思われるからです。
 
また優越的地位の濫用(独禁法)と労働者派遣法はまったく別の法律ですから、優越的地位が認められない場合でも、労働者派遣の定義にあたりさえすれば、労働者派遣業法違反は成立します。
 
ですから、納入業者のほうが力が強くって、スーパーが困っているので助けてあげる、というような場合だと、「優越的地位」が認められないので優越的地位の濫用は成立しませんが、それでも、派遣業法違反は成立しえます。
 
しかも、優越的地位の濫用の場合は違反の責任を問われるのはスーパーですが、労働者派遣法の場合に責任を問われるのは納入業者の側です。
 
なので納入業者さんも、自分が法律違反をしてしまわないように、気を付けましょう。
 
あるいは、
「派遣をしたいのはやまやまですけど、派遣業法に違反してしまうのでできません」
というように、派遣要請を断る口実にも使えるかもしれません。
 
相談を受ける法務部員の方や弁護士さんも、両方問題になりうるということは意識されておいた方がよいでしょう。

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