【お知らせ】日比谷総合法律事務所に移籍しました

わたくし、このたび大江橋法律事務所を退所し、2018年1月1日付で、日比谷総合法律事務所に移籍しました。

国内外の独禁法実務において、このキラ星のように輝く事務所の猛者たちに、仲間として迎えてもらえたことを心から嬉しく思います。

これからも、日本の独禁法実務の発展と社会正義の実現のために努力してまいりますので、一層のご支援よろしくお願いいたします。

2018年2月22日 (木)

「打消し表示に関する実態調査報告書」について

消費者庁が昨年7月に出した掲題報告書についてコメントしておきます。
 
この報告書でびっくりしたのは、体験談についての以下の記述です(84頁)。
「今回の調査結果から、実際に商品を摂取した者の体験談を見た一般消費者は「『大体の人』が効果、性能を得られる」という認識を抱き、「個人の感想です。効果には個人差があります」、「個人の感想です。効果を保証するものではありません」といった打消し表示に気付いたとしても、体験談から受ける「『大体の人』が効果、性能を得られる」という認識が変容することはほとんどないと考えられる。
 
また、広告物は一般に商品の効果、性能等を訴求することを目的として用いられており、広告物で商品の効果、性能等を標ぼうしているにもかかわらず、「効果、効能を表すものではありません」等と、あたかも体験談が効果、性能等を示すものではないかのように記載する表示は、商品の効果、性能等を標ぼうしていることと矛盾しており、意味をなしていないと考えられる。
 
このため、例えば、実際には、商品を使用しても効果、性能等を全く得られない者が相当数存在するにもかかわらず、商品の効果、性能等があったという体験談を表示した場合打消し表示が明瞭に記載されていたとしても一般消費者は大体の人が何らかの効果、性能等を得られるという認識を抱くと考えられるので、商品・サービスの内容について実際のもの等よりも著しく優良であると一般消費者に誤認されるときは、景品表示法上問題となるおそれがある。」
つまり、体験談を見た人は、仮に「個人の感想です」という打消し表示をみても効果があると認識するので、打消し表示には意味がない、不当表示だ、というのです。
 
その根拠として報告書では、打消し表示を見る前と見た後で「『大体の人』が効果が得られると思う」とした人が42.8%から36.6%に変化し、数値としては下がっているが依然としてかなりの人が効果があると認識しているという事実が確認できた、ということをあげています。
 
こういう、実験をして具体的なデータを示されるととても説得力があり、この報告書のハイライトといえるでしょう。
 
わたしはあまり体験談が広告で使われるようなダイエット食品とかを買わないので実感がわかないのですが、たしかに、体験談というのはインパクトが強いんだろうなあという気がします。
 
そうすると、報告書が述べるところはたしかにそのとおりなのですが、体験談がこれだけ世の中に氾濫していることからすると、報告書の立場は注目に値します。
 
もちろん体験談自体がねつ造ややらせであったら不当表示なのは当然で、世の中にはこの手のものが少なくないと想像します。
 
一般消費者のようなふりをして実は役者が演技していた、というのも完全なやらせです。
 
わたしが以前経験した中にも、八百屋さんかなにか(と思われる)人物が顔写真入りの新聞広告で、「効果抜群で驚いています」みたいなコメントをしていたのを、とある役所か広告媒体から問題があると指摘されて、その会社は次の日には別のコメントに差し替えてきた、というのがありました。
 
一日で本人に取材したわけではないので明らかに会社が勝手にコメントを差し替えていたのですが(そうすると、最初にそもそも本当に取材したのかも怪しいもんですが)、世の中の広告なんてしょせんこんなものなんだなあと思いました。
 
個人の体験談なんて、たまたまその人だけに効いたのかどうかもわからないし、その人だって別の理由で効いた(食事や、運動や、プラシーボ効果)のかもしれません。
 
現に医薬品では、
「(5)使用体験談等について 愛用者の感謝状、感謝の言葉等の例示及び「私も使っています。」等使用経験又は体験談的広告は、客観的裏付けとはなりえず、かえって消費者 に対し効能効果等又は安全性について誤解を与えるおそれがあるため以 下の場合を除き行ってはならない。
 
なお、いずれの場合も過度な表現や保証的な表現とならないよう注意すること。
 
①目薬、外皮用剤及び化粧品等の広告で使用感を説明する場合
 
ただし、使用感のみを特に強調する広告は、消費者に当該製品の使用目的を誤らせるおそれがあるため行わないこと。
 
②タレントが単に製品の説明や呈示を行う場合 」
と、体験談を広告で使うことが原則禁止されています(薬生監麻発0929第5号別紙)。 
 
報告書を出すだけでは「言いっぱなし」なので、ぜひ消費者庁には、実際の事件で体験談を取り上げていただきたいところです。
 
ところで、この報告書は、どれくらいの人がふだんから打消し表示を読むかもアンケートで調べていて、それはそれでおもしろいのですが、この点はちょっと視点がずれているように思います。

というのは、広告を目にする人の中にも、まったくその商品に関心のない人もたくさんいるわけで、そういう人が打消し表示まで読まないのはあたりまえだし、不当表示ということでもないと思います。

まずは目を惹いて、興味を持ってもらえたひとに打消し表示を読んでもらえたらいいのであって、一般的に打消し表示を見る人が少ないからといって、それ自体を問題視する必要はないでしょう。

要は、購入する意思決定をするまでの間にきちんと商品の内容や取引条件がわかればいいのであって、広告を見た瞬間に細かいところまですべて理解させるのは無理でしょう。

なので、広告を目にした人や、広告に興味をひかれた人を分母にするのはちょっとずれていて、実際に買った人(と、買おうと思ったけど打消し表示をみてやめた人)を分母にするのが正しいのではないかと思います。

2018年2月21日 (水)

医療機器と雑貨のちがい

薬機法では、医療機器と、いわゆる健康雑貨の区別がよく問題になります。
 
ある商品が医療機器に該当するなら承認をえないと製造できないし、広告もできません。
 
これに対して雑貨ならそのような規制はありません。
 
そこで医療機器と雑貨のちがいは大きな問題です。
 
では、薬機法の規制がおよぶ医療機器とは何でしょうか。
 
薬機法2条4項では、医療機器は、
「人若しくは動物の疾病の診断、治療若しくは予防に使用されること、
 
又は
 
人若しくは動物の身体の構造若しくは機能に影響を及ぼすこと
 
目的とされている機械器具等(再生医療等製品を除く。)であつて、
 
政令で定めるもの」 
と定義されています。
 
ここでポイントは、医療機器の場合は医薬品とちがって、「政令で定めるもの」という明確な限定があることです。
 
つまり、いくら医療機器っぽい効果をうたっていても、政令で定めるものにあたらないのであれば、定義上、医療機器には該当するはずがありません。
 
これに対して医薬品の場合には、たとえば薬機法2条1項2号では、 
「人又は動物の疾病の診断、治療又は予防に使用されることが目的とされている物であつて、
 
機械器具等
(機械器具、歯科材料、医療用品、衛生用品並びにプログラム
(電子計算機に対する指令であつて、一の結果を得ることができるように組み合わされたものをいう。以下同じ。)
及びこれを記録した記録媒体をいう。以下同じ。)
でないもの
 
(医薬部外品及び再生医療等製品を除く。)」
というように、基本的に目的で定義される形になっているので、治療目的をうたう健康食品は定義上医薬品に該当してしまうわけです。
 
ところが前述のように、医療機器の場合には、「目的」も要件にはなっていますが、治療目的があるからといってそれだけで医療機器になるわけではなく、さらに、「政令で定めるもの」に該当する必要があるのです。
 
この、医療機器と医薬品の定義の構造のちがいは非常に重要で、しばしば誤解されているところです。
 
たとえばこちらのサイトでは、 
「例えば、サポーターのような健康用品において、「着用するだけで、自然と骨格が改善され、筋力もアップします」と広告表記した例で考えてみます。
 
薬機法上、医療機器とは、「人若しくは動物の疾病の診断、治療若しくは予防に使用されること、又は人若しくは動物の身体の構造若しくは機能に影響を及ぼすことが目的とされている機械器具等(再生医療等製品を除く。)であって、政令で定めるものをいう。」と規定されており(法第2条第4項)、上記商品の効能効果を読んでいると、「人の身体の構造若しくは機能に影響を及ぼすことが目的とされている機械器具」に該当するように思えます。「機械器具」ってなんやねんっていう解釈上の問題もありますが、実務的に言うと、もろに該当しています。
 
そのように、薬機法上の「医療機器」に該当するにもかかわらず、広告宣伝を行う際に、「健康雑貨」と標ぼうするだけで、薬機法の広告規制が及ばないとすることは、無承認無許可医療機器の広告を禁止した法の趣旨を没却させることになりかねず、妥当ではありません。
 
要するに、「健康雑貨(または美容器具類)」と標ぼうして広告を行ったとしても、上記定義に照らして、「医療機器」に該当する場合には、法第68条に違反していることになります。十分にご注意ください。
 
※ なお、「医療機器」と「健康雑貨類」との区別基準については、「医薬品」と「食品」との区別のように、通達によって明確な区別基準が示されているわけではありません。」
と説明されています。
 
しかしこれでは、
「人若しくは動物の疾病の診断、治療若しくは予防に使用されること、又は人若しくは動物の身体の構造若しくは機能に影響を及ぼすことが目的とされている機械器具等(再生医療等製品を除く。)」
の部分は説明していますが、
「政令で定めるもの」
の部分の説明はすっぽり落ちています。
 
そしてここでの「政令」というのは薬機法施行令1条で、同条では、
「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(以下「法」という。)第二条第四項の医療機器は、別表第一のとおりとする。」
と規定されており、別表第一をみると医療機器が、「手術台及び治療台」など限定列挙されているのがわかります。
 
そしてそれぞれの項目の具体的な内容は、昭和36年2月8日薬発第44号別表2に詳しく書かれています。
 
たとえば、 
「八三 医療用物質生成器」
については、
「オゾン治療器、医療用電解水(放射能含有水を含む。)製造装置医療用物質を生成する器械(その製造した医療用物質の販売を主な目的とする器械類を除く。)をいう。」
といった具合です。
 
しかし前記サイトの「サポーターのような健康用品」にあたりそうなものは、政令のどこをみても出てきません。
 
したがって「サポーターのような健康用品」については、医学的な治療効果を標榜しても、定義上、医療機器には該当しないことになります(政令に載ってないので)。
 
またこちらのサイトでは、
「電動のもみ玉を内蔵したクッションの販売を考えています。医療機器として販売するか、雑貨として販売するか迷っていますが、違いなどあれば教えてください。」
という質問に対して、 
「医療機器の該当性は、機器の構造と標榜する効能の2側面から決まります。
 
電動式のもみ玉を使ってマッサージする構造のもので、コリや血行促進を標榜する場合は、クラスⅡの家庭用管理医療機器に該当します。
 
医療機器のクラス分類の考え方はリスクに基づいた分類方法と考えてください。
 
クラスⅠは不具合が生じても人体への影響がほとんどないもの、クラスⅡは影響が軽微なものです。
 
Ⅰは例えば体温計や聴診器ですが、Ⅱは家庭用のマッサージ器などが該当します。
 
人体に埋め込むもの等さらにリスクの高いものはクラスⅢやⅣに区分されます。
 
次は雑貨について考えてみましょう。
 
上述したものと同じような、電動のもみ玉を使った構造のものであっても、コリや血行など医療機器的な効能を標榜しなければ、医療機器には該当せず、雑貨で販売することが可能です。
 
例えば、もみ玉による効果が「リフレッシュする」や「気持ちよくなる」「活き活きする」等の抽象的な変化なら医療機器の効能とはいえません。
 
雑貨の場合は販売に当たって許可などは不要ですが、クラスⅡの医療機器は第2種の医療機器製造販売業許可が必要になります。」
と説明されています。
 
この説明も、政令への明示的な言及がなく、機器の構造と標ぼうする効能の2点だけから医療機器かどうかが決まるかのように説明しており、字面だけみると誤解をまねきそうな説明ですが、質問の「電動のもみ玉を内蔵したクッション」は政令別表5の
「79 指圧代用器(指圧の原理を応用して治療する器具類)」
に該当しうるという前提なのでしょう。
 
そうであれば、まあ結論としては間違ってはいないのかな、と思います。
 
反面、
「医療機器的な効能を標榜しなければ、医療機器には該当せず」
と断言するのは疑問です。
 
薬機法上、医療機器の定義は治療等目的と政令という2つの要件からなるのであり、目的さえあれば1つめの要件は満たすわけです。
 
あくまで、医療的な効果の標ぼうは、機器の構造と同じく、治療等目的の判断の一要素である、と考えるべきでしょう。
 
その意味で、同じ構造の機器でも、治療等目的を標榜すれば医療機器にあたり、標ぼうしなければあたらない、ということはありえるでしょう。
 
ちなみに、治療等目的があるからといって当然に医療機器にあたるわけではない(政令で列挙されているどれかにあたらないといけない)ということは、厚労省の通達にもあらわれています。
 
つまり、
「医薬品等の広告について(平成10年3月31日医薬監第60号)」
では、医療機器と雑貨を同一紙面で広告する場合についてですが、
「医薬品等薬事法で規制されるものと、いわゆる雑貨等薬事法で規制されないものを同一紙に掲載する場合であって、雑貨等があたかも医薬品等的な効能効果があるごとく一般消費者に認識させる場合には、薬事法第68条に基づき指導する
とされています。
 
もし、雑貨が医療的効果を標ぼうするだけで医療機器に該当するなら、薬機法68条(未承認医薬品等の広告禁止)違反なのですから、「指導する」だけですむわけはなく、「68条違反である」とされたはずです。
 
そうされなかったのは、ほかでもなく、雑貨について医療的効果を標ぼうするだけでは68条違反にはならないからです。
 
なので、行政指導も法律と同じくらい大事だという事業者の方は、雑貨について治療等効果を標ぼうするのは控えるべきでしょうし、わたしも雑貨に治療等効果を標ぼうするのは望ましくない(場合によっては景表法違反にもなる)と思いますが、少なくとも薬機法の解釈論としては、政令でまったく指定されていない物(サポーターなど)が治療等効果を標ぼうするだけで医療機器に該当するということはありえません。
 
ちなみに、広告媒体によっては、治療等効果を標ぼうする雑貨は医療機器に該当するかどうかにかかわらず広告に載せない、という基準を採用しているところもあるようです。

2018年2月20日 (火)

【お知らせ】雑誌「公正取引」に執筆しました。

「公正取引」2018年2月号(808号)の
 
「特集 公正取引委員会における国際的な取組及び米国・EUにおける競争政策の動向」
 
という特集に、
 
「米国反トラスト法の最近の運用状況」
 
という論文を執筆させていただきました。

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こういう、最近の状況をまとめます、というたぐいの原稿はまずトピックを絞り込むのがたいへんで苦労するのですが、最近は欧米の法律事務所が要領よくまとめたものがインターネットでも入手できるので助かります。

たとえば、米国大手事務所のWilson Sonsiniのレポートは、大いに参考にさせていただきました。

正直、ありきたりな「おまとめ」的な記事は性に合わないので、この手の特集に一般的に期待されている客観性(あるいは資料的価値)からすると、トピックの選択にも記述のバランスにもわたしの個性がかなり色濃く反映されていますが、反トラスト法の運用の理解が深まりそうな事件(というより、私の理解が深まった事件)をできるだけ盛り込んだつもりです。

今回執筆のためにいろいろ調べてみて、あらためてアメリカは事件が質、量とも豊富で、たくさんの議論の材料を提供してくれるなぁと実感しました。

それに比べると日本では、たとえば入札に参加しないメーカーの売り上げに課徴金がかかるかとか(防護服の談合事件)、競争法の本質とは何の関係もな議論ばかりで、こんな議論ばかりしてると頭にカビが生えてきそうですcoldsweats01

日本も最近はLNGの報告書とか、ビッグデータの報告書とか、バンドルディスカウントの報告書とか、フリーランスの報告書とか、報告書のレベルではいろいろと面白いものがあり、それはそれで実務にかなりのインパクトがあって重要なのですが、なにぶん、正式事件のような高揚感を感じることがありません。

と、いったような問題意識を下敷きに書いているんだなぁと思っていただきながら読んでいただけると、筆者としてはとてもうれしいです。

2018年1月18日 (木)

下請法パラドックス

下請法では、当事者双方ともハッピーな取引条件なのに、下請法に違反すると公取委から指摘されて、やめないといけなくなる、ということがときどき起こります。
 
最近聞いた話では、販促費名目で代金から差し引いていたのが減額にあたると公取委の検査で指摘を受けたのでやめた、という例がありました。
 
当事者は、ほんとうに販促に役立っているんだと説明したそうですが、公取委には認められず、販促費を支払わせることはやめることにしました。
 
それで何が起こったかというと、下請事業者の売上が落ちてしまい、下請事業者の側が困ってしまったそうです。
 
でも、指摘を受けた親事業者の側は、販促費の徴収をやめてもたいして困っていないそうです。
 
さらに、販促費が必要なのは、全国的なブランドイメージの強くない中小メーカーだったりするので、販促費を支払わせるのをやめたことで困ったのは中小メーカーだった、というきそわめて皮肉な結果となりました。
 
もともと下請事業者は資本金が最大でも3億円なので中小企業が多いわけですが、その中でもとくに小さいところが割を食ったわけです。
 
さらに根本的には、下請法の適用のない事業者との関係では販促費を差し引いても何の問題もないわけですから、下請法の適用のある事業者がそうでない競合事業者よりも競争上不利に立つ、ということにもなります。
 
これって、大きな問題ではないでしょうか。
 
中小企業を守るべき下請法が、中小企業の首を絞めているわけです。
 
下請法は競争法の一部という建前ですが、中小企業の保護を目的とするものなので、中小企業保護のために経済効率性が害されることは予定されていることといえます。
 
ところが、下請法があるために下請の首を絞めるのはまさに下請法の自殺であり、「下請法パラドックス」といえるでしょう。
 
(これはRobert Borkの"Antitrust Paradox"のもじりです。)
 
こういうことが一度でもあると、たとえ注意であっても、親事業者としては、下請事業者のほうから、「販促費を受け取ってほしい」といってきても断らざるを得なくなり、ほんとうに不幸なことです。
 
(これは、下請法では下請事業者の同意があっても違反は違反だという、一般論から出てくる問題です。)
 
代金から差し引くから問題なので別途支払わせればいいじゃないかという人がいるかもしれませんが、別途支払わせても不当な経済上の利益の提供要請にあたる可能性はあります。
 
また最近は、別途支払わせても代金減額だというふうに公取委の運用が変わってきたので、別途支払わせればリスクが低い(勧告になりにくい)とも言い切れません。
 
それに、似たようなタイミングで販促費を支払わせるのに代金から差し引くか別途支払わせるかという小手先の違いで結論が変わるのも法律としておかしいです。
 
もし実質的に違いが出るくらいに、負担のタイミングを変えなきゃいけないとすると、それこそキャッシュフロー的に問題だったりします。
 
企業にとって資金繰りというのは大事な問題なのです。
 
資金繰りの観点からは、代金から差し引くのが下請事業者にとって最も合理的なこともあります。
 
それに対して、一時的であっても、親事業者にキャッシュアウトを要求するというのは、非常に実務上のハードルが高かったりします。
 
そういうところにまで気を配って、勧告や注意をするかどうか決めないといけません。
 
双方ハッピーな取引条件を下請法を理由にやめないといけなくなった場合に困るのは、多くの場合、下請事業者の側です。
 
一番極端な例は取引がなくなることですが、多くの場合、親事業者には代わりの下請はたくさんいるけれど、下請事業者には代わりの(取引がなくなったときにその穴を埋める)発注者というのはすぐには見つかりません。
 
そういうわけなので、自分はあまり困らないので、親事業者の側には、公取委が違反だというなら強く争うインセンティブがなかったりします。
 
こういう、注意なり勧告なりの影響が第三者に強く及ぶ(いわば外部性がある)場合には、公取委と違反者の二当事者対立構造の中で処理することに、そもそもあまり合理性がありません。
 
もし違反者に十分争うインセンティブがあるなら、下請事業者の嘆願書を取りまとめて公取委に提出したりもするのでしょうが、インセンティブがないなら、そこまで手間をかけるきにもならない、ということになってしまいます。
 
だいぶ昔の企業結合の文脈ですが、ある当事会社が、取引先の「この結合を歓迎する」という意見書をたくさんまとめて企業結合課に出したら、担当者に、
 
「こんな意見書を出させることができるなんて、おたくはずいぶんと取引先に対して強い立場にあるんですねぇ」
 
と嫌味を言われた、というケースがありました。
 
下請法なら、なおさらそんな事態になりかねません。
 
なので、当事者が争おうが争うまいが、公取委のほうが、公益の代表者として、市場の隅々までおよぶ影響を考慮して処分をするかどうかをきめないといけないと思います。
 
販促費を負担させるというケースについては、中小企業庁の調査なら問題なしとされたのに公取委ではダメと言われることもあるとも聞きます。
 
下請法は形式的な法律といわれますが、形式的には減額にならざるをえなくても、実質的に問題ない場合には、ぐっととどまることが大事で、それこそ、処分官庁の裁量が発揮されるべきところでしょう。
 
心当たりのある公取委の方は、大いに反省していただきたいと思います。

2018年1月 8日 (月)

企業結合における市場支配力の意味

企業結合の案件でお客さんに独禁法の説明をするときに、
「企業結合で市場支配力が生じて価格が引き上げられるときに独禁法上問題になるのですよ」
ということを簡単に説明することが多いです。
 
ただ、「市場支配力」という、経済学や独禁法をやらない人にはよくわからないはず(だけど、なんとなくわかったような気にさせる)用語を使ってしまうところに、自分でもごまかしがあるような気がしています。
 
そこで、わたしが「市場支配力」という言葉を使って説明しているときに、実は頭の中ではどのようなことをイメージしながら説明しているのかを、少し説明してみたいと思います。
まず、わたしが「市場支配力」という言葉を使う場合、オーソドックスな経済学での「市場支配力」をイメージしています。
 
それは何かと一言でいえば、市場支配力のある供給者の直面する需要曲線は右下がりである、ということです。
 
つまり、供給量を減らす(横軸に沿って左に移動する)ことで価格を引き上げることができる力が市場支配力です。
 
さらに付け加えれば、市場支配力の意味はこれ(右下がりの需要曲線)しかありえないのであって、そのほかの力、たとえば、相手方に思うがままの契約条件をのませることができる力とかではけっしてない、ということも大事だと思います。
 
このことだけでも経済学をまったくしらないと理解しにくいところなのですが、さらに付け加えると、このような市場支配力があるかどうかは供給者(企業結合なら合併後の合併当事者)に価格を引き上げるつもりがあるかどうかとは、まったく関係がありません。
 
当事者に価格を引き上げるつもりがなくても、引き上げることが利益の最大化になるのであれば引き上げるだろう、というのが経済学の基本的な発想です。
 
つまり、プレイヤーはあくまであたえられた需要(関数)に消極的に対応するだけの存在にすぎない、と考えられているのです。
 
この、「消極的に対応するだけの存在であること」というのは、法律だけをやっていると、ちょっとピンとこないかもしれませんが、市場支配力の意味を誤解しないために重要な点だと思います。
 
(ビジネスをやっている方からすると、価格設定というのは事業運営のキモであり、消極的に対応しているだけなんていうのはとんでもないことかもしれませんが、経済学的な発想としてはこういうことになります。)
 
したがって、たとえば企業結合の問題解消措置として合併当事者が、「合併後も価格は引き上げません」と約束しても、基本的には何の意味もありません。
 
以前、JALとJASの合併の時に運賃を引き上げないことを当事者が約束したのを公取委が受け入れて合併が認められたことがありましたが、このような約束はほんらい無意味です。
(実際、当事者は原油価格の高騰を理由に、間もなく運賃を上げました。)
 
これについては、以前わたしがモデレーターをつとめた国際会議にパネリストとして出席していただいた公取委の企業結合課のF氏(とても信頼できる方です)が、
「値上げしない約束については、当事者が言ったので発表文に載っているだけで、合併の是非の考慮要素にはしていない」
と断言されていて、非常に納得しました。
 
とくに関東周辺の経済法の研究者の方々の中には、正田先生の影響なのか、独禁法の本質は力の行使だと考えている方々がかなりいらっしゃるように感じますが(これに対して関西では京大の川濱先生をはじめ経済学的な発想が強い方が多いように思います)、そういう「力」と、私がイメージする(経済学的な)「市場支配力」は、相当意味が異なります。
 
どちらが正しいかは立場の違いですからどちらでもいいのかもしれませんが、少なくとも実務でぶれない判断をするためには、市場支配力(一定の取引分野における競争を実質的に制限できる地位)は、経済学的に理解しておいたほうがよいと考えています。
 
このように、独禁法をすっきり理解するためには、どうしても経済学が必要なんですね。
依頼者との会議で需要曲線のグラフを書きながら説明したらふつうはドン引きされるので(笑)、まずそのような説明はすることがありませんが、私の頭の中では需要関数(と、多くの場合費用関数)が引かれています。
 
それをいかに経済学の用語を使わずに、しかも、正確性を失わないように、かつ、その事案に照らして納得感が高い説明をするかに、いつも気を砕いています。
 
「たくさん独禁法の文献を読んだけどどうもすっきりしない」「かなり独禁法を理解したつもりだけれど専門家と議論すると勝つ自信がない」という弁護士の方で、さらに上を目指したい方は、ちょっと法律はお休みにして、経済学を学んでみることをおすすめします。
 
独学だと基本的な(=抽象的な)概念をなかなか理解できなかったり、思わぬところで誤解することもあるのですが(昨年末の公正取引協会での小田切先生のゼミではそのことを何度も痛感させられました)、それでも、独禁法実務に役立つ程度の比較的ゆるい厳密さを身につけるためには、独学でも十分役に立つと思っています。

2017年12月26日 (火)

 【お知らせ】『ビジネス法務』2月号にAIとカルテルについての記事を寄稿しました

『ビジネス法務』2月号の

「特別企画 AIで変わる法規制」

という特集の中で、

「デジタル・カルテルが問う『合意』要件」

という記事を寄稿させていただきました。

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いわゆるデジタル・カルテルについては、世間の耳目を惹くためか、何も目新しい問題がないのにさも目新しいかのように「煽る」感じの論考が一部にみられ、わたしはそういうのが性に合わないので、この記事では、冷静かつ簡潔に、AIとカルテルの問題をまとめてみたつもりです。

ご興味のある方はご一読いただけるとうれしいです。

少しつけ加えさせていただくなら、デジタルカルテルの難しさは、これに対して過剰な規制をすると、むしろ独禁法の目的の正反対の方向に向かってしまいかねないところではないか、と考えています。

(これはなにも「デジタル」なカルテルにかぎりませんが。)

たとえば道路交通法は、単純にいえば、交通事故をなくすのが目的です。

なので、交通違反を取り締まる警察は、ホンネのところでは、自動車なんて運転してほしくないと考えているかもしれません。

警察は、物流の円滑化や国民の移動の便宜をはかることを使命にする役所ではないからです。

なので、交通事故を減らすことと国民の移動の便宜をはかることのバランスをとるという発想がなく、たとえば高速道路の最高速度引き上げにしても、警察が役所としての使命に基づいてやっているというより、政治家なり、国土交通省なり、外からの圧力で行っているのであり、その際の判断基準はあくまで「交通事故が増えないか」ということです。

(以上は説明の便宜のためにかなり単純化していおり、いわば物の譬えのたぐいであることをご了承ください。)

これに対して公正取引委員会の指名は公正かつ自由な競争を確保することです。

それなのに、合意とはいえない協調行動をあまりきびしく取り締まると、かえって企業を委縮させて競争をさまたげてしまい、公取自らの目的に反することになりかねないのです。

というように、本質的に競争当局というのは、目的ははっきりしているけれどそのための最善の策がはっきりしない、というところに、その権限行使の難しさがあるように思われます。

もちろん、他の役所でも、自らの目的のための最適解がはっきりしないことはあるでしょう。

でも、公取のように、たとえその目的が公正かつ自由な競争の確保の一点にかぎられると考えた場合ですら、何をすれば最善なのかわからない(良かれと思ってやったことが、かえって行政目的自体に反することがある)、という問題に頻繁に出くわす役所もめずらしいのではないかと思います。

このように、デジタルカルテルという視点からながめると、公取委というのは、なんといいますか、超然としている(べき?)というか、他の役所のように「省益」というものを観念しにくい役所のように思います。

役所でもロビーストでもそうですが、使命が決まっている(外から与えられている)のって、頭を使わなくていいから楽ですよね。

極論すれば、一つの方向にめいいっぱい振れていけば、あとは、他の利害関係人からの対抗力で、落ち着くところに落ち着く、という態度が許されるからです。

公取はそうはいきません。

あんまり独禁法の規制強化ばかりいっていると、かえって自らの存在意義を否定しかねないからです。

デジタルカルテルの規制も、一つ間違うと、イノベーションを阻害しかねないわけです。

と、いろいろ考えると、競争当局というのもいろいろ大変だなぁ、と思います。

余談が続いたうえにさらに余談ですが、以前読んだ

Jerry Kaplan, Artificial Intelligence

という本に、Artificial Intelligence(人工知能)というのはネーミングが秀逸(あるいは問題の元凶?)だったのであって、もし、

symbolic processing (記号処理)

とか

analytical computing (分析的コンピュータ処理)

とか呼んでたら、今のようなヒートアップした議論にはならなかっただろうし、もし飛行機をArtificial Bird(人工鳥)と呼んでいたら、(人工知能と人間との関係についての議論の混乱と同じように)飛行機と鳥との関係の議論が混乱したかもしれない、ということが書いてあって、なるほどなあと思いました。

言葉が妄想を生むという好例です。

2017年12月10日 (日)

「予想を上回る注文をいただいています」という表示

機能性表示食品について措置命令が出たことで注目された葛の花由来イソフラボンですが、この事件では地味ですがもう一つ重要な判断が示されています(2017年11月7日措置命令)。

違反者の一つのCDグローバルに対する命令で、

「CDグローバルは、本件商品を一般消費者に販売するに当たり・・・

自社ウェブサイトにおいて、

「先日販売を開始しました『葛の花イソフラボン青汁』につきまして、弊社の予想を大きく上回るご注文を頂いており、生産が間に合わない状態が続いております。」

と記載するなど・・・表示することにより、

あたかも、本件商品の販売数量に関する具体的な予想を立て、当該予想販売数量を上回るほどの相当程度多数の注文を受けているかのように示す表示をしていた」

けれど、

「実際には、具体的な数値予想を立てておらず、前記(ア)記載の表示期間中における注文数は僅少であった」

というのが、優良誤認表示とされているのです。

つまり、

「予想を大きく上回るご注文を頂いています」

というような表示をする場合には、具体的な数値予想を立てないとそれだけで不当表示になる、ということです。

これはかなり実務的にインパクトがあるのではないでしょうか。

というのは、こういう広告は、なんとなく「ノリ」で書いていて、まじめに数値目標まで立てていないことのほうが多いように思われるからです。

予想もしてないのに予想を超えたというのは不当表示だと言われればそのとおりなので、反論のしようもないですが、今までは、これくらいの誇張は広告として許される範囲内だと考えていた事業者も多いのではないでしょうか。

こういうのがダメだとなると、

「大変ご好評をいただいています」

というのも、きちんと好評を得ていることの根拠を示せないといけないでしょうし、

「絶賛発売中」

というのも、絶賛されていることの根拠を示せないといけないでしょう。

「ご好評」も「絶賛」も、顧客からの評価だととられる表現だからです。

ほかには、

「若い女性に人気」

というのもよく見かけるコピーですが、ひょっとすると、購入者に占める女性の数のデータを年齢別に取っておくようにいわれかねないような気がします。

(まあ「絶賛発売中」くらいは、世の中であまりにありふれているので、措置命令まではいかないんじゃないかという気がしますが。)

これに対して、似ていますが、食品で、

「絶品〇〇」

なんていうのは、事業者が絶品だと自信を持っているという主観的評価ととられる表現なので、「絶品」であることの根拠をしめせとかは、さすがに言われないでしょう。

もちろん、

「予想を超えた」

と、「予想」という言葉を広告で使ったからダメで、そう書かなかったらOKだったというわけではなく、たんに品薄であることを強調するのも、実際に品薄でなかったのなら、不当表示になるのでしょう。

この事件でたんに「予想」という言葉を使ってたのでそれに引っ掛けて命令を出すのが手堅いと思われたから、こういう命令の出し方になったのでしょう。

これを、「言葉尻をとらえて」などと非難しても始まりません。

くれぐれも、言葉尻をとらえられない広告をこころがけましょう。

あとこの命令もそうですが、最近、売上のような調べればすぐわかることについても不実証広告規制を使うことが続いていますね。

不実証広告規制ガイドラインでは商品の性能や効果に関する優良誤認表示だけに同規制が適用されるかのような書きぶりだったので、消費者庁の運用が大きくかわったといえます。

2017年11月27日 (月)

複数の懸賞企画が競合する場合の景品総額

同一の取引について複数の懸賞企画が競合する場合の「懸賞に係る取引の価額」については、懸賞運用基準5(2)が、

「(2) 同一の取引に附随して二以上の懸賞による景品類提供が行われる場合については、次による。

ア 同一の事業者が行う場合は、別々の企画によるときであっても、これらを合算した額の景品類を提供したことになる。

イ 他の事業者と共同して行う場合は、別々の企画によるときであっても、それぞれ、共同した事業者がこれらの額を合算した額の景品類を提供したことになる。

ウ 他の事業者と共同しないで、その懸賞の当選者に対して更に懸賞によつて景品類を追加した場合は、追加した事業者がこれらを合算した額の景品類を提供したことになる。」

と定めています。

しかし、運用基準5項の表題は

「告示2号〔=景品類の最高額の制限〕の『懸賞に係る取引の価額』について」

となっているので、論理的には、景品総額の制限(懸賞告示3号)については何も述べていないことになりそうです。

しかし、ひとまず表題は無視して、5(2)の

「・・・合算した額の景品類を提供したことになる。」

という表現だけを取り出せば、この部分は最高額だけでなく総額についても合算して制限の範囲内でなければならない趣旨だ、と読むことができるように思います。

そして、それが結論としても妥当でしょう。

しょせん、運用基準は運用基準にすぎないので、一部に論理的なもれがあってもとやかくいう必要はない(解釈で補う場合に越えるべきハードルは何もない)のかもしれませんが、法令並みに論理的な美しさを重視するなら、5(2)は、今の5項ではなく、告示3項に関する運用基準7項あたりに置くのがよかったのでしょう。

論理的にきれいに整理されていないと、「総額については合算しなくてもいいのか?」といった疑問がわくかもしれません。

2017年11月26日 (日)

ダイレクトメールでの来店者への景品提供と、緑本の売場を分ける対応について

総付告示運用基準1(3)は、来店者へ景品を提供する場合の取引の価額を原則100円とすると述べたあと、

「〔来店者に景品を提供する〕場合において、

特定の種類の商品又は役務についてダイレクトメールを送り、

それに応じて来店した顧客に対して景品類を提供する等の方法によるため、

景品類提供に係る対象商品をその特定の種類の商品又は役務に限定していると認められるときは

その商品又は役務の価額を「取引の価額」として取り扱う。」

としています。

このことに関して、

大元編著『景品表示法〔第5版〕』(緑本)

の194頁では、懸賞の場合について上記運用基準(懸賞告示運用基準5(1)で準用)を淡々と説明したあと、

「もっとも、例えば、

家具類の展示即売会を行うに当たってダイレクトメールを送り、

来店者に景品類を提供する場合、

一般の売り場と展示会場を区別するなどの配慮をしない限り、

店舗への入店者一般を対象に景品類を提供しているものとして取り扱われる。」

と説明されています。

ですが、わたしにはこの部分が何をいいたいのか、よくわかりません。

説明の便宜上、一般の売り場と展示即売会場が、

①たんに仕切り一枚で仕切られているだけの場合と、

②数百メートル離れている場合

に分けて考えてみましょう(緑本が想定しているのは①なのでしょうけれど)。

そして、一般の売り場では3000円のいすが最低価額の商品で、展示即売会場では10万円のソファーが最低価額の商品だとしましょう。

第1. 仕切り一枚で仕切られている場合

この場合、ダイレクトメールを見てきた人は、最低でも10万円のソファーを見てきているので、懸賞による景品額は10万円まで出してよさそうな気がします。

これに対して、ふらっとその家具屋さんに立ち寄った人は、3000円のいすを買うかもしれないので、懸賞による景品の限度額は3000円の20倍で6万円となりそうです。

どうして売場を仕切るだけで、ふらっと立ち寄った人まで10万円の景品をだしてよいことになるのでしょう??

わたしは、売場を仕切っても、一般客に提供できる景品は6万円だと思います。

第2.数百メートル離れている場合

この場合、ダイレクトメールを見てきた人は、1.とおなじく、10万円までだしてよさそうです。

次に、ふらっと展示即売会場に立ち寄った人も、展示即売会場では10万円のソファーが最低ですから、やはり、10万円まで出してよさそうです。

ふらっと一般の売り場に立ち寄った人は、一般の売り場では懸賞はやってないので、何ももらえません。

・・・と考えると、緑本の

「一般の売り場と展示会場を区別する」

というのは、「第1」のように、同じお店の中を仕切るのでは足りなくて、ダイレクトメールをみてくる人と一般客が混じらないくらいに(=一般の売り場と展示即売会場が別の店舗といえるくらいに)離れていないといけない(第2の場合)、ということになりそうです。

しかし、そこまでしないと使えない例外なんて、実際には使えないと思います。

そんなこと(売場を仕切る)をするより、単純に、ダイレクトメールを持参した人にだけ懸賞への参加資格をあたえればすむ話ではないでしょうか?

緑本の書きぶりでは、下手をすると、ダイレクトメールを持参した人にだけ懸賞への参加資格をあたえたうえで、さらに売場を分けないと、誰に対しても6万円までの景品しか提供できない、とすら読めてしまいます。

売場をわけるとなぜ一般客にも10万円の景品を提供してよいのか、

あるいは、

売場をわけないとなぜダイレクトメールを見てきた客にも6万円の景品しか提供できないのか、

そのあたりのきちんとした理由の説明がないと、結論だけ「こうしなさい」といわれても、よくわかりません。

以前、消費者庁に電話で質問たときに、答えに納得いかなかったので理由を尋ねたところ、

「運用は、そうなってますので」

といわれたことがあります。

ドクターXの大門未知子が、

「私、失敗しないので」

というのは、決めゼリフとしてかっこいいですが、行政庁が、

「運用、そうなってますので」

というのは、あまりかっこうよくないと思います。

それはともかく、もし緑本のこの部分の説明の意味がわかる人がいたら、ぜひ教えてください。

きっと、具体的な質問があって、そのイメージを前提にすると、売場を分けたら解決できそうに思えたんだろうなぁと想像しますが、こういうルールは、いったん事案を抽象化したうえで、どれくらい普遍的になりたつ理屈なのかをよく考えないといけません。

それが法律家の思考というものでしょうし、わたしはどんな場合でも、そのように考えています。

景品規制では、告示であれ運用基準であれ、ホームページのQ&Aであれ、この抽象化というスクリーニングを通していないために、やたらと行き当たりばったりなルールが多いような気がします。

2017年11月20日 (月)

おとり広告告示運用基準の在庫一括管理に関する規定について

おとり広告告示運用基準では、

「高額な耐久財等について全店舗における販売数量が一括管理されており、全店舗における総販売数量に達するまではいずれの店舗においても取引する場合には、その旨の表示がなされていれば足りる〔おとり広告とはみなさない〕(運用基準第2-2(3))

とされています。

しかし、わたしはこれはおとり広告告示の解釈としておかしいと思います。

これにしたがうと、たとえば冷蔵庫などを他の店舗から取り寄せる体制が整っている場合でも、そのような体制をとっているという事実(「その旨」)を明示しなければならないことになってしまいます。

ですが、在庫の一括管理体制をとっている場合に、そのことをいちいち明示しなければ不当表示になるというのは、あきらかに行き過ぎです。

現にそのような体制がとられているのであれば、消費者には何の不利益もないし、社内でどんな体制をとっているかなんて消費者は関心ないし、ある意味営業秘密でもありうるわけですから、知らせる必要もありません。

もし違いがあるとすれば、冷蔵庫をその日のうちに持って帰りたいという顧客もいるじゃないか、ということかもしれませんが、そんな顧客はかなり少数派のはずです。

運用基準があえて、

「高額な耐久財等」

と例示しているのも、その場で自分が持ち帰ることがあまり考えられない、テレビとか冷蔵庫とか家具のようなものを想定しているのでしょう。

それに、「その日のうちに持って帰りたい客が持って帰れない」から、「おとり広告だ」というのは無茶です。

もし広告で「その日のうちにお持ち帰りできます!」と強調していたのに持ち帰れなかった場合には有利誤認表示になるかもしれませんが、それはおとり広告とは別の話です。

と、実質論をいろいろと述べてみましたが、それだけでは法解釈として心もとないので、おとり広告告示の文言をみてみましょう。

おとり広告告示では、

「一般消費者に商品を販売し、又は役務を提供することを業とする者が、

自己の供給する商品又は役務の取引(不動産に関する取引を除く。)に顧客を誘引する手段として行う

次の各号の一に掲げる表示

一 取引の申出に係る商品又は役務について、取引を行うための準備がなされていない場合その他実際には取引に応じることができない場合のその商品又は役務についての表示

二 取引の申出に係る商品又は役務の供給量が著しく限定されているにもかかわらず、その限定の内容が明瞭に記載されていない場合のその商品又は役務についての表示

三 取引の申出に係る商品又は役務の供給期間、供給の相手方又は顧客一人当たりの供給量が限定されているにもかかわらず、その限定の内容が明瞭に記載されていない場合のその商品又は役務についての表示

四 取引の申出に係る商品又は役務について、合理的理由がないのに取引の成立を妨げる行為が行われる場合その他実際には取引する意思がない場合のその商品又は役務についての表示」

が、おとり広告であると定義されています。

ぼーっとながめてみただけでも、在庫一括管理している場合は、「取引に応じることができない」(1号)とか、「供給量が著しく限定されている」(2号)とか、「取引の成立を妨げる行為」(4号)とかにはあたらなそうです。

3号の「供給期間」「相手方」「一人当たりの供給量」は、限定列挙なので、在庫一括管理はこれにもあたりようがありません。

というわけで、在庫一括管理に関する前記運用基準の記載は、告示にまったく根拠がありません。

さらに理論的に重要なのは、告示の柱書で、

「自己の供給する商品又は役務の取引(不動産に関する取引を除く。)に顧客を誘引する手段として行う」

ということが、おとり広告の要件になっていることです(手段性の要件)。

在庫一括管理の場合に、

「冷蔵庫を買いにきたお客さんに、冷蔵庫をあきらめさせて、テレビを買わせてやろう」

なんて考えているはずはないので、この手段性の要件は満たしません。

というわけで、運用基準を作った人は、告示の条文を読んでいなかったのではないか?と疑われます。

きっと、なんとなく筆が滑っちゃったんでしょうね。

あるいは、手段性の要件を忘れてしまって、その店に在庫が足りない場合がすべておとり広告になる、と勘違いしていたのかもしれません。

景表法関係の運用基準や当局の古い解説には、このような、「条文読んでない」というレベルのものがちらほらみられるので、注意が必要です。

行政というのは、条文を忠実に執行しようというだけではなくて、条文ではグレーなところでも、解釈や運用で(行政効率も含めた意味での)妥当な執行を実現していこうとすることが、ままあるように思われます。

もちろん、それが一概に悪いわけでもないと思います。

ですので、今回取り上げた運用基準も、条文を読んでないのではなくて、わかっていながら確信犯でやった、という可能性も、ないではありません。

でもやっぱり、在庫一括管理していること(店には在庫がないかもしれないこと)を積極的に表示させることで実現される行政目的なんて何もないと思われます。

なので、やっぱり、私は「条文読んでなかった」のではないか、とニラんでいます。

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