2021年7月27日 (火)

7月26日日経「EU競争政策新領域に 『技術カルテル』摘発、企業ショック」という記事について

掲題の記事は、排ガス浄化技術に関する競争を阻害したフォルクスワーゲン等のカルテル事件はEU競争政策が新領域に入ったものだ、という論評なのですが、個人的には(法解釈論としては)、そこまで大騒ぎするほどのことなのか、という気がしています。

たとえば日本の独禁法では、不当な取引制限は、

「事業者が、契約、協定その他何らの名義をもつてするかを問わず、他の事業者と共同して対価を決定し、維持し、若しくは引き上げ、又は数量、技術、製品、設備若しくは取引の相手方を制限する等相互にその事業活動を拘束し、又は遂行することにより、公共の利益に反して、一定の取引分野における競争を実質的に制限すること」(2条6項)

と定義されており、「技術」に関する相互制限がカルテルにあたることが明文で規定されています。

欧州機能条約101条(共同行為)1項でも、

「1. The following shall be prohibited as incompatible with the internal market: all agreements between undertakings, decisions by associations of undertakings and concerted practices which may affect trade between Member States and which have as their object or effect the prevention, restriction or distortion of competition within the internal market, and in particular those which:

(a) directly or indirectly fix purchase or selling prices or any other trading conditions;

(b) limit or control production, markets, technical development, or investment;

(c) share markets or sources of supply;

(d) apply dissimilar conditions to equivalent transactions with other trading parties, thereby placing them at a competitive disadvantage;

(e) make the conclusion of contracts subject to acceptance by the other parties of supplementary obligations which, by their nature or according to commercial usage, have no connection with the subject of such contracts.」

とされており、技術開発制限がカルテルにあたることは明文で定められています。

たぶん今回のフォルクスワーゲン等の技術カルテルについても、競争法の弁護士に聞けば誰でも違法だと言ったでしょう。

私もかつてあるクライアントから技術カルテルにあたりそうな事案の相談を受けて、違法だと答えたことがあります。

弁護士に相談にくるということは、法務の方は「まずい」と思ってこられているわけで、なかなかよく分かっておられるなぁと思いました。

なので、「技術カルテルの摘発は初!」といえば確かにそうなのかも知れませんが、私の目には、たとえば景表法の世界でことあるごとに、「目のサプリで初摘発!」、「置き換えダイエットを初摘発!」、といって騒いでいるのとどっこいどっこいに映ります。

独禁法の世界ではかつて、溶融メタルの購入カルテルが摘発されたときに、「これからは購入カルテルにも注意」みたいな論調が一部の実務家に見られましたが、今回のVWの技術カルテルもせいぜいそれと同じくらいのインパクトかな、と思います。

つまり、目新しい事例なのでセミナーなどでは紹介しますが、「こういう事件もありました」というくらいの扱いです。

というわけで、価格カルテルも技術カルテルも本質的な(法解釈上の)違いはなく、あまり大騒ぎするのもどうかと思います。

とはいえ、技術カルテルがどういう場合に起きがちなのかは、予防法務的な観点から考えてみる価値があると思います。

私の見るところ、今回のVWのケースもそうですが、規制に絡む技術の場合に技術カルテルがなされやすいのではないか、という気がします。

同日経記事では、

「欧州委は、フォルクスワーゲン(VW)やBMW、ダイムラーなど5社が定期的に会合を持ち、有害な排ガスを浄化する法令基準以上の技術があるにもかかわらず、競争の激化を避けるために利用を控えるよう合意した」

と説明されていますが、背後の力学として2つ想像できます。

1つは、優れた技術を用いるとコストアップにつながるのでそれを避けたい、ということです。

もう1つは、優れた技術を用いてしまうと将来規制がさらに強化されてしまい、さらにコストアップになるのでそれを避けたい、ということです。

1つめの力学は、優れた技術でもコストアップを正当化するだけの需要がなければ落ち着くところに落ち着くので、あまりカルテルをする必要性がないような気がします。

それでも、排ガス規制というのは、各国政府が自動車メーカーのお尻を叩いて消費者の望んでいないもの(あるいは追加的対価を払ってでも購入したいと望まないもの)を作らせる、という面があるので、自動車メーカーにしてみたら、ほんとうはやりたくないことを無理矢理やらされている、という感じは強く、規制がらみであることが背景として無視できないと言うことはあると思います。

(余談ですが、二酸化炭素による温暖化に科学的根拠が乏しい(近時の温暖化の原因は宇宙線の可能性が高い)ことは、深井有『気候変動とエネルギー問題』という本に簡潔にまとめられています。)

これに対して2つめのほうは、もろに規制の絡む技術であることの影響といえそうです。

常識的に考えて、技術に関する政府規制がなく、市場力学だけがはたらいて、企業が消費者のより強く望むものを供給するという素朴な競争の場合には、どの企業もコストの許す範囲で他よりできるだけよい技術を開発すべく競争するでしょうから、あまり協調の要因がないような気がします。

これに対して、消費者が望んでもいないような技術開発を政府規制によって強いられると、コストに見合った利益が得られないことも多く、「お互いそこまでやらなくてもほどほどに」と言いたくなるのもうなずけます。

別の言い方をすると、規制が競争を歪めている(資源の最適な分配を阻害している)可能性があるのではないか、ということです。

私が以前相談を受けたのも、今思えば、そんな感じでした。

というわけで、予防のためには、そういう観点から網を張っておくのがよいかと思います。

2021年7月25日 (日)

アフィリエイターとテレビショッピングとの違い?

アフィリエイト広告について、西川編『景品表示法〔第6版〕』(緑本)p54では、

「アフィリエイト広告であっても、広告主〔=「広告される商品等を供給する事業者」〕の商品を販売するための広告であることに変わりはない。」

「広告主〔の〕・・・表示主体性についても・・・他の事業者に〔表示の内容〕の決定を委ねた場合等においては、表示内容の決定に関与しているものとして表示主体性が肯定される。」

と解説されています。

確かにアフィリエイト広告は、その仕組みや関係者の認識を含む実態からして広告主の商品等の広告というべきだと思うのですが、その判断基準として、(表示主体が他者に)表示内容の決定を委ねたことという漠然とした基準を用いると、表示主体が責任を負う表示の範囲が広くなりすぎるのではないかという気がします。

たとえば、ある掃除機メーカーが、テレビショッピングの会社に掃除機を売らせる場合、テレビショッピング番組での台詞や実演等の説明がメーカーの表示だということになってしまわないでしょうか。

実際にそういうことがあるのかどうかわかりませんが、分析の便宜上、アフィリエイトに近づけた想定にすると、テレビショッピング会社は、売れた掃除機の台数に応じてコミッションを受け取り、しかも、売買契約はメーカーと購入者との間に直接成立する、というのがわかりやすいかもしれません。

こういうケースだと、掃除機メーカーがテレビショッピング番組会社に「表示内容(例、テレビショッピング番組での台詞や実演)の決定を委ねた」ということで、表示内容(テレビショッピング番組での台詞や実演)には何ら具体的な指示や協議をしていない場合でも、表示内容の決定に関与しているものとして、掃除機メーカーがテレビショッピング番組での台詞や実演の表示主体になるのでしょうか?

上で引用した緑本の解説だと、

テレビショッピング番組であっても、広告主〔=「広告される商品等を供給する事業者」〕の商品を販売するための広告であることに変わりはない。」

といわれると確かにそのとおりなので、結論としては、

「〔テレビショッピングの〕広告主〔の〕・・・表示主体性についても・・・他の事業者に〔表示の内容〕の決定を委ねた場合等においては、表示内容の決定に関与しているものとして表示主体性が肯定される。」

なる、ということにならざるをえないような気がします。

でも、それってちょっと行き過ぎではないでしょうか。

アフィリエイトから少し遠ざけて、やや実態に近づけた想定としては、テレビショッピング番組会社は掃除機メーカーから掃除機を仕入れて、それを自己の番組で販売する、というパターンも考えられます。

しかし、上記のコミッションベースの委託販売の場合と、テレビショッピング番組会社による通常の買取の場合とで、掃除機メーカーの表示主体性に違いが出る、という理屈も立ちにくいように思われます。

そして、もしテレビショッピング番組での台詞や実演が掃除機メーカーの表示だ(∵掃除機メーカーがテレビショッピング会社に表示内容の決定を委ねているので)ということになると、スーパーのPOP表示や実演も、仕入れ先メーカーや卸の表示だ(∵仕入れ先はスーパーに表示内容の決定を委ねているので)、というところまで行ってしまうのではないでしょうか。

そうなると、商品を棚に並べただけではパッケージに不当表示があっても小売店は表示主体にならないのに、商品について小売店が行った表示(POP表示や実演)についてはメーカーは責任を負う、みたいなことになって、いかにもアンバランスなような気がします。

直感的には、

アフィリエイト広告は、広告内容に広告主が口を挟んでいようといまいと広告主の表示だ

けれど(この、「広告主の表示」における「の」がどういう意味なのかが実はとても重要なように思うのですが、ひとまず措きます。「広告主の表示」であって、「商品の表示」ではない、という点にも要注意です)、

テレビショッピング番組の台詞は、商品供給者(掃除機メーカー)が台詞の内容に口を挟んでいない限りテレビショッピング会社の表示だ

というのが何となく常識的な気がします。

この違いはどこからくるのでしょうか?

困ったときは条文です。

景表法2条4項は、「表示」を、

「顧客を誘引するための手段として、事業者が自己の供給する商品又は役務の内容又は取引条件その他これらの取引に関する事項について行う広告その他の表示であつて、内閣総理大臣が指定するもの」

と定義しています。

内閣総理大臣の指定は縛りになっていないので、表示は、

①誘引手段性

②供給主体性

③取引関連性

の3つからなる、といえます。

しかし、この3つの要素では、アフィリエイトとテレビショッピング番組を区別することはできなさそうです。

そこで、景表法5条柱書をみると、

「事業者は、自己の供給する商品又は役務の取引について、次の各号のいずれかに該当する表示をしてはならない。」

と規定されており、誰が「表示をし」たのか(表示主体性)の問題なのだ、ということが理解できます。

そして、緑本p55では、

「表示主体性が認められるか否かは、

過去から違反行為発生時点までの表示のやり方の状況、

当該表示の成立の経緯

表示についての経費の負担

表示の掲示・配布の状況など

の具体的事情を勘案して、「表示内容の決定に関与した事業者」に当たるか否かによって判断すべき」

とされています。

つまり、「表示内容の決定に関与した」かどうかは、文字どおり内容決定に関わったかどうかというだけではなくて、表示にまつわる様々な事情を総合的に考慮して決めるのだ、といっているようです。

でもよく考えてみると、これって、「表示内容の決定に関与した」という日本語の意味を超えていると思います。

たとえば、「表示のやり方」の決定に関与したのなら、まさに「表示内容の決定に関与した」ことになるのでしょうけれど、たぶんここで緑本がいいたいのはそういうことではなく、文字どおり、「やり方の状況」(たとえば、問題の表示がどのウェブサイトのどの部分にどのような形、見え方で表示されるのか、といった状況)を表示主体性の判断において考慮する、といいたいのだと思われます。

「表示の成立の経緯」というのは何を想定しているのかよくわかりませんが、表示の内容がどのように確定したのかの経緯において表示者が関与した事実という意味であれば、「表示内容の決定に関与した」そのものですが、それを超えることを想定しているように見えます(そうでないとあえて挙げるほどの事情ではないでしょう)。

「経費の負担」はかなり重要で、アフィリエイト広告に対して広告主が報酬を払う仕組みであった以上、広告主の表示主体性は当然に認められるべきだと思いますが、報酬の支払いを「表示内容決定への関与」と言っていいのか、言葉の問題として大いに疑問のありうるところです。

それに、今問題にしているアフィリエイターとテレビショッピングの区別として、この「経費の負担」の基準が使えるのかというと、これもなかなか微妙です。

アフィリエイト広告の場合は、前述のように、成功報酬型なので、広告主が表示についての経費を負担しているといいやすいでしょう。

これに対して、テレビショッピングの場合には、もし、掃除機メーカーがテレビショッピング会社に商品を販売するだけで番組作成のための経費を負担しないなら、確かに、表示についての経費を掃除機メーカーが負担しているとは言えず、テレビショッピング番組での台詞等は、掃除機メーカーの表示ではなく、テレビショッピング会社の表示である、ということになりそうです。

このように、経費負担を基準にするとアフィリエイトとテレビショッピングを常識的に区別することができそうですが、これを「表示内容の決定に関与した」に読み込むのは、やはりかなり無理がありそうです。

それに、もしテレビショッピングの場合に掃除機メーカーが番組放送の経費を負担していたら表示者になり、負担していなかったら表示者にならない、というのも、なんだかおかしな気がします。

掃除機メーカーからテレビショッピング会社への経済的利益の移転が、番組制作費用という名目でなされれば掃除機メーカーが表示者となり、通常より掃除機を安く仕入れることができる利益(値引き)という形でなされれば(掃除機メーカーは表示の経費は負担していないので)掃除機メーカーは表示者とはならない、というのも、ありうる解釈かもしれませんが、それなりの割り切りと合理的な説明が必要な気がします。

いずれにせよ、掃除機メーカーが番組制作費用を負担したら番組での台詞等の内容の決定に関与したことになり、掃除機を値引きで販売しただけなら台詞等の内容に決定に関与したことになる、というのは「関与」という日本語の意味からしてかなり無理な解釈だと思います。

「表示の掲示・配布の状況」については、むしろアフィリエイトの広告主のほうがテレビショッピングでの掃除機メーカーよりも「関与」が認められにくくなってしまいそうです。

というのは、アフィリエイトの場合、広告主とは無関係にみえるウェブサイトに表示が掲示されるのが通常であり、表示の掲示の状況からすると、広告主の広告っぽくないのに対して、テレビショッピング番組は(だれの広告かはさておき)誰がどう見てもその商品の広告だからです。

なので、ここでももし「表示の掲示・配布の状況」というのが、「表示の掲示・配布」の内容(どう掲示し、どう配布するか)の決定に関与したかどうかを考慮するという趣旨なら、場合によっては、表示内容の決定への関与そのものだということもありうるでしょう。

これに対して、ほんとうに、当該表示をどう掲示し、どう配布するかの決定だけに関与しただけなのだから表示内容の決定には関与していない、という場合もあるかもしれません。

ともあれ、緑本が挙げている「表示の掲示・配布の状況」というのは、文字どおり、表示がどのように掲示され、どのように配布されているのか、という客観的事実のことを意味しているのだと考えるのが、自然な読み方でしょう。

ここでも、掲示の状況だけをみれば、テレビショッピング番組のほうがいかにも宣伝っぽいので、掃除機メーカーの表示主体性は肯定される可能性がアフィリエイトの場合よりも高いように思われます。

ちなみに、興味があったので「もしもアフィリエイト」というアフィリエイトサービスプロバイダーのメディア(=アフィリエイトサイトのこと)登録ガイドラインを見てみたら、

「⾃然にアフィリエイトリンクに誘導するのではなく、アフィリエイトリンクをクリックするよう促す⾏為や表記」

は禁止事項とされていました。

たしかに、多くのアフィリエイト記事は、商品レビュー風の感想文であったり、類似商品のランキング形式であったりして、自然にアフィリエイトリンクに誘導する形のものが大半で、いかにも宣伝的なものとか、「ぜひこちをクリックして購入して下さい」といったような標記は、あまり見かけません。

もしそういう表記をしたら、このガイドラインに反するのでしょう。

つまり、善し悪しはひとまず措いて(ちなみに米国FTCのガイドラインでは、アフィリエイトは広告主との利害関係を明示せよとされています。)、日本では、アフィリエイトというのはむしろ広告主とは独立したように見せることが当然のこととされているみたいです。

このように考えると、「表示の掲示・配布の状況」という観点からは、アフィリエイトにおける広告主は、少なくともテレビショッピングにおける掃除機メーカーよりは、「関与」が認められにくい、ということになりそうです。

・・・というように、いろいろと考えてみると、表示の費用を負担している場合(アフィリエイト広告における広告主や、テレビショッピング番組制作費を負担している掃除機メーカー)には、表示内容の決定に関与していなくても、表示主体性が認められる、とするのが妥当な解釈のように思われます。

ただ、アフィリエイトのことを考えるといつも思うのですが、どうも、アフィリエイターは商品を販売していない(商品供給主体ではない)のでアフィリエイターに対しては措置命令が出せない、ということが、表示主体性の解釈をゆがめる原因になっているような気がします。

その例がここで議論したテレビショッピングの例で、たぶん、テレビショッピングの台詞等に不当表示があっても、よっぽどのことがない限り、掃除機メーカーの責任を問おうという発想にはならないのではないかと思われます。

なぜなら、テレビショッピング番組会社が商品を販売しているので、テレビショッピング会社に対して措置命令を出せるし、それで十分だからです。

これに対してアフィリエイトの場合には、アフィリエイターは商品を販売していないのでアフィリエイターには措置命令を出せない可能性が高いです。

(ただ、アフィリエイターも広告主と共同して商品を販売しているという構成も不可能ではないと思います。緑本p50では、金融商品販売代理店Aが金融商品販売業者Bの販売代理店となって金融商品選びについて消費者に無料でアドバイスをする場合、一般消費者と事業者A(販売代理店)との間に、金融商品の選び方のアドバイスという役務の「取引」が存在するとしているので、ここまでいえるなら、アフィリエイターも広告主と共同して商品を販売しているというところまであと一歩のような気がします。)

このように、アフィリエイターの責任を問えないので、広告主の責任を広く認める必要がある、という実務上の要請があるために、アフィリエイトにおいては表示主体性の認定がおおらかになりやすいように思います。

2021年7月23日 (金)

アフィリエイト・プログラムの表示主体と他の表示形態の比較

前回に引き続いて、アフィリエイト・プログラムの表示主体性について考えてみたいと思います。

(なお、「アフィリエイト広告」というと、すでにアフィリエイターの記事が広告主の広告であることを前提にしておりバイアスが入ると思ったので、「アフィリエイト・プログラム」、あるいは短く「アフィリエイト」と呼ぶことにします。)

アフィリエイト・プログラムにおいてアフィリエイターが書いた記事が広告主の広告なのか、というのは、一見するとあたりまえ(広告に決まってる)ようにも見えながら、なぜそう言えるのか考えてみると、なかなか難しいところがあります。

もし、ベイクルーズ判決の「表示内容の決定を委ねた」ので広告主が表示主体だ、と説明すると、いろいろ問題が出てきそうです。

たとえば、ネットで商品を買うと販売者から「ぜひレビューの記載をお願いします」というお願いメールが来たりします。

このお願いメールを受け取って、購入者が販売者のサイト(や販売者が出店するECサイト)のレビュー欄にレビューを書いたら、このレビューは販売者の広告になるのでしょうか?

当たり前ですが、ただのレビューのお願いなので、販売者からレビューアーへの謝礼等はないものとします(ふつう、ないでしょう)。

普通の人は、「そんなのレビューなんだから、広告のわけないじゃん」と思うように思いますし、私もそう思います。

でも、表示内容の決定を委ねたかどうか、という切り口だと、レビューとアフィリエイトは区別できないように思います。

むしろ、レビューのほうが、販売者のサイトに表示されるぶん、広告っぽい、とすらいえます。

ただこれには異論もありえて、レビューとして書かれているほうが販売者とは独立した人が記入していると認識される、ということもあるかもしれません。

実際、多くのECサイトでは、出品者自らが自己の商品についてレビューを書き込むことは禁止されているでしょうから(守られているかどうかはさておき)、「レビューは出品者とは独立した購入者が記入しているのだ」とみられやすい、ということはあるかもしれません。

それに対してアフィリエイターのサイトは、販売者のサイトとは完全に独立して見えますので、レビューよりもむしろ独立性は担保されていない(実際、アフィリエイトが認められているのだから、独立性の担保などあるはずがない)、とも言えます。

アマゾンの二重価格表示に関する東京地裁令和元年11月15日判決も、アマゾンが自社のサイトに、「いつ,何を,どこに,どのように表示をするのかという仕組みを自由に決定することができること」を、アマゾンが表示主体であることを裏付ける事情として重視しているように見えます。

同判決の要点は、具体的に決定していなくても「仕組み」を作れば表示主体だ、というところになるのですが、自己のサイトに「いつ,何を,どこに,どのように表示をするのか」を具体的に決定できるのであれば、表示主体性を認めるさらに強い根拠になりそうです。

・・・というように、いろいろと考えてみると、もしベイクルーズ判決の「表示内容の決定を委ねた」という基準でアフィリエイトは広告であってレビューは広告でないという結論を導こうとすると、

アフィリエイトは契約関係(広告主とアフィリエイトサービスプロバイダー(ASP)との契約と、ASPとアフィリエイターとの契約)があり、報酬も支払われるので「表示内容の決定を委ねた」にあたるが、

レビューは契約関係がなく、報酬も支払われず、たんなるお願いに過ぎないので、「表示内容の決定を委ねた」とはいえない、

と区別するのかな、と思います。

でも、契約関係と報酬の有無(さらに突き詰めれば、報酬の有無だけ)で、「委ねた」のか「お願い」なのか、を区別するというのは、「委ねた」という言葉の日本語の意味からして、ちょっと苦しいのではないかと思います。

「委ねた」は言葉の意味からして、報酬の有無とは関係ないはずなので、有償で委ねる場合と無償で委ねる場合があっておかしくないからです。

むしろ、「委ねた」とか「任せた」という言葉からは、無償でまかせた場合も当然含まれるし、むしろ有償の場合のほうが例外、というニュアンスすら感じます。

あとは、表示主体性とはまったく別の切り口として、アフィリエイトには取引を誘引する目的があるのに対して、レビューにはその目的はない(あくまでユーザーの立場からの客観的な情報提供が目的)、というところで区別することも考えられるかもしれません。

この考えだと、レビューを依頼するときに、たんに(正直に)「レビューを書いて下さい」というだけなら取引誘引目的があるけれども、「星5つのレビューをお願いします」とか「高評価のレビューをお願いします」だと、誘引目的がある、ということになるかも知れません。

と考えると、表示主体性については、「表示内容の決定を委ねる」という基準ではアフィリエイトとレビューは区別できない(する必要がない)けれど、取引誘引目的で区別できるので、それでいいのだ、というのも1つの考え方かな、と思います。

では次に、少し前に話題になった、女子アナのステマ疑惑はどうでしょうか。

ステマ(表示主体を偽る、ないしは隠す)自体は景表法違反とは言いにくい(商品の内容を偽っているわけでは必ずしもない)、というのが標準的な解釈だと思いますので、仮に、ステマで書いたブログ記事等に、商品役務の内容を優良と誤認させるような虚偽の内容が含まれていたとします。

このような女子アナのステマを販売者の「表示」だ、と一概にいうのは、私にはちょっとためらわれます。

もし販売店から女子アナに対して多額の報酬が支払われていれば販売店の「表示」だ、といっていいような気もしますが、もし報酬もなく、友達づきあいの中で依頼を受けたのでちょっとtweetしてあげた、という場合だと、さすがに販売店の「表示」だ、とはいいにくいように思います。

またアフィリエイトとの比較でいえば、アフィリエイトの場合にはどの記事がアフィリエイト・プログラムの対象になっているかは仕組み上明らか(対象記事には広告主サイトへのリンクがありクリックすると報酬が発生する)であるのに対して、ちょっとtweetしてあげる、というような場合だと、果たしてどのtweetが依頼の対象だったのか、よくわからないということもあり得ます。

表示内容のチェックという観点からも、アフィリエイトの場合は、手間さえ厭わなければ、アフィリエイトに紐付いたアフィリエイトサイトの内容さえチェックすればいいので、理屈の上では管理可能ですが、女子アナのステマの場合には、いつどこでtweetするかもわからないし、どのサイトかもたぶん特定しにくいでしょうし、内容の管理は大変だろうと思います(そもそも販売者も内容を管理するつもりなど、はなからないでしょう)。

・・・と考えると、アフィリエイトと女子アナのステマの違いは、アフィリエイトが広告前提のシステムである(関係者もそういうものとわかっている)のに対して、女子アナのステマはそのようなシステムがない、という違いが大きいように思われます。

これに対して、先ほどのレビューの依頼と女子アナのステマの違いは、レビューの場合、レビューアーの認識としては、販売者の販売促進に協力したいからという理由でレビューを書いているという意識はたぶん希薄なのでしょう。

つまり、気に入った商品だった場合は、この商品の良さをほかの人にも知ってほしいという気持ちで書くのでしょうし、気に入らなかった商品の場合は、他の人に同じ思いをしてほしくない(あるいは、もし買うとしても、商品の悪さも覚悟した上で買ってほしい)という気持ちで書くのでしょう。

いずれにせよ、販売者に協力したいという気持ちで書く人はあまりいないと思います。

これに対して、女子アナのステマは、たぶん、販売者に協力したい、という気持ちなのでしょう。(その理由が報酬であれ、友達づきあいであれ。)

結論としては、女子アナのステマはお店の広告(表示)であり、虚偽の内容があればお店が景表法違反に問われる、ということでよいと思います。

では次に、モータージャーナリストが自動車サイトに書く試乗記はどうでしょう。

もちろん、自動車サイトに普通に記事として載っている試乗記は、サイト運営者の企画として行われているので、自動車メーカーの広告ではありませんが、中には「特別企画」「特集」などと称して、そのメーカーがスポンサーになっているんだなぁと分かる形で試乗記が掲載されていたりします。

これは、やっぱりメーカーの広告(表示)でしょう。

こういう「特集」試乗記などを読むと、通常の試乗記に比べて試乗車をヨイショするものが多くてあまり参考にならないのですが、それを読んで買いたくなる人もいるでしょうから、誘引手段性もあるでしょう。

ここでは、自動車メーカーがサイトのスペースを買い取っている、という事情が表示該当性を認める上で重要なのではないかと思われます。

新聞広告で、広告スペースを広告主が買い取るようなものですね。

広告スペースを買い取った以上、広告主はその広告内容に関心を持つし、責任を持つのでしょう。

考えてみると、アフィリエイトの場合には、この、広告スペースを買い取る、という行為がありません。

むしろ、広告スペースはアフィリエイトサイトのスペースを無料で使わせてもらって、そのかわり売れた(あるいは自社サイトに来てくれた)ときだけお金を払う、ということなので、広告主には、「広告スペースをできるだけ有効に活用する」というインセンティブがはたらきません。

アフィリエイトは基本的に内容をアフィリエイターにまかせるところに意味がある(いちいち広告文言を考えなくていい)し、スペースはアフィリエイターのサイトのスペースなので、スペースの有効活用のインセンティブも、内容の監視のインセンティブも乏しいわけです。

スペースを買い取らなくていい(所有しなくていい)というのは、まさにプラットフォームビジネス(あるいは、シェア・エコノミー)的で、何かの本で、ホテルが新規開業するためには多額の投資が必要なのに対して、AirBnBは一切不動産を所有せずにホテルと競争できるし、しかも短期間で客室数を増やせるので、競争上有利なのは当たり前だ、みたいな話を読みましたが、スペースを買わなくていいというところが、アフィリエイトもちょっと似てますね。

また、単体ではほとんど広告価値がないようなサイトスペースをかき集めてマネタイズできるところにアフィリエイトの存在価値があるのでしょうし、反面、零細サイトの内容までいちいちチェックできないので不当表示が起きやすい、ということもあるのでしょう。

さて、話をウェブサイト上の試乗記に戻すと、通常の試乗記はやはりメーカーの広告(表示)ではないでしょう。

もしそのサイトにそのメーカーが広告を出してスポンサーになっていたりしても、だからといって、そのサイトの当該メーカーの自動車に関する試乗記がすべてそのメーカーの広告になるわけではありません。

では次に、アマゾンの二重価格表示の事件(前掲東京地裁)とアフィリエイトを比べたらどうでしょう。

まずアマゾンの判決では、アマゾンが二重価格を表示できる仕組みを構築したことが、アマゾンの表示主体性を肯定する上で決定的な事情となっています。

では、アフィリエイトも同じように考えて良いのでしょうか。

1つの考え方としては、

「広告主はアフィリエイトの仕組みをわかって利用しているのだから、自ら仕組みを構築したアマゾンと同じであり、表示主体として責任を負うのだ。」

という考え方です。

ただ、このように割り切るのはちょっと気が引けます。

というのは、アマゾンの事件では二重価格表示ができるような仕組みになっていて、それが不当な二重価格表示につながったという面があります。

たとえば、「参考価格」を記入するかどうかは出品者の任意なのですが、

「本件ウェブサイトの商品情報登録画面に参考価格を入力したのは,当該入力がないとセールを実施したときに割引率が表示されず,通常時より割引しているにもかかわらず,特に単価の安い文房具は,お得感が訴求できないためである」(公開版判決p96)

という出品者もおり、アマゾンの構築した仕組みが不当な二重価格表示につながっていた、という面があります。

このような事件でよく言われるのは、

「二重価格が表示できるようにする以上は内容に責任をもつべきであって、二重価格を表示させないような仕組みにできるにもかかわらずあえて表示される仕組みにしたのだから、内容には責任を持つべきだ」

ということですし、私もそう思います。

アマゾンは訴訟で、楽天(判決公開版では明示されていないですが、誰が見ても楽天です)の二重価格表示の事件では楽天に対しては要請にとどまったのに、アマゾンに対して措置命令はおかしいじゃないか、という主張をしています。

しかし、楽天市場のサイトでは、個々の出店者の店舗の表示内容・形式はかなり自由に出店者が決められ、楽天が二重価格を表示しろとかするなとか口を出せる感じではないので、出店者の二重価格表示を楽天の表示だというのは、かなり違和感があります。

(あと、楽天は商品供給主体ではないのに対してアマゾンの事件で問題になった商品はいずれもアマゾン自身が供給していたものである、という違いもありますが、それはひとまず措きます。)

なので、楽天には命令を出さずアマゾンには命令を出したという処理は妥当だと思うのですが(ただし判決は、楽天にも命令を出そうと思えば出せたのであって、出さなかっただけだ、といっています。判決p87)、そうすると、アフィリエイトはアマゾン型よりも楽天型に近いのではないか、という疑問が湧いてきます。

というのは、アフィリエイトの場合には、アフィリエイターが作成する記事には何のフォーマットもなく、どのようにでも書けるからです。

もちろん、判決は、

「いつ,何を,どこに,どのように表示をするのかという仕組みを自由に決定することができること」(p82)

がアマゾンの表示主体性を肯定する事情として考慮しているだけであり、

「いつ,何を,どこに,どのように表示をするのか」

を自由に決定できなければ表示主体にはならないのだ、とはいっていないのですが、もし同じ裁判所にアフィリエイトの不当表示の事件が係属したときに、

「いつ,何を,どこに,どのように表示をするのかを決定できなくても表示主体となることに支障はないのだ」

と判示したら、さすがに「どの口がいうねん」という突っ込みが入りそうです。

このように考えると、さすがにアフィリエイトにおいて、アフィリエイトという仕組みを分かりながら利用した以上、広告主はアフィリエイターの記事に全責任を負うのだ、と割り切るのはかなりはばかられます。

そこで、アマゾンで二重価格表示をする仕組みの構築が不当な二重価格につながったという事情がアマゾンの表示主体性を肯定する上で重視されたように、広告主の何らかの行為が不当表示の発生に寄与したのだといえる事情が、表示主体性を認めるために必要なのではないでしょうか。

たとえば、広告主がアフィリエイターに示す商品内容の基礎情報(たとえば原材料)に虚偽の事実があれば、広告主が責任を負うのは当然でしょう。

でも、広告主が訴求を依頼した部分(例、痩身効果)とぜんぜん違うところでアフィリエイト記事に不当表示があった場合(例、製法や原産地)は、その部分は広告主の表示ではない、といえるのではないでしょうか。

ベイクルーズ判決の「表示内容の決定を委ねた」という基準に照らせば、この「委ねた」部分が不当表示になったことが必要である、と絞りをかけるイメージです。

まあこのように絞りをかけても、広告主が訴求を依頼した部分ではないところでアフィリエイターが不当表示をするとはちょっと考えにくい(かりにあっても、事件化するほどのものにはならない)ので、結果的には、広告主がアフィリエイト記事の内容にはほぼ全責任を負うことになるのでしょう。

ただ、やはり一言いっておきたいのは、このような解釈をベイクルーズ判決から「論理的に」導くのは、やはり問題だろうと思います。

前回も書きましたが、ベイクルーズ判決は、その事例からも、判示内容からも、ベイクルーズが問題の表示を自己の表示とするつもりであったことは争いようのない事例(タグが商品にくっついていた)であったように思います。

これに対してアフィリエイトは、そもそも広告主が「自己の表示」と認識しているのかもかなり怪しく、むしろ、組織的な口コミ(「コミ」の主体は消費者ないしアフィリエイター)、くらいの認識なのではないかと思います。

それでも私は、アフィリエイトにおける広告主の責任は広く認めて然るべきだと思いますし、そのような解釈は現行法でも十分可能だと考えますが、その結論を、ぜんぜん違う地平で議論されていたベイクルーズから何の疑問もなく引っ張ってくるのは問題だ、と思うのです。

いわばベイクルーズ判決の基準を、同じ文言でも換骨奪胎して明確化するか、よりアフィリエイトの実態に即した基準を立てる必要があると思います。

「委ねた」という文言だけで押し通すのがあたりまえと考えてしまうと、商品販売者が購入者にレビューのお願いメールを送っただけで(あるいは、自己のサイトに「レビューをお願いします!」と表示しただけで)レビュー内容について販売者が責任を負わされかねません。

(なお、「レビューには販売者のコントロールが及ばないので、販売者の表示とはいえないのではないか」、という疑問もありえますが、レビューであっても内容が虚偽であれば販売者は自己に有利であれ不利であれECサイト運営者に申し出て訂正を求めることは可能でしょうから、コントロールは及んでいる、と考えておきます。)

2021年7月18日 (日)

アフィリエイト広告における表示主体

アフィリエイト・プログラムにおいて、商品役務提供者(いわゆる広告主)が、アフィリエイターの作成した記事(アフィリエイト広告)の表示主体になるのかが問題になり、消費者庁の「アフィリエイト広告等に関する検討会」でも議論されています。

この問題について西川編『景品表示法〔第6版〕』(緑本)p54では、

「広告主について、当該商品等の供給主体性が認められることは当然であるが、

表示主体性についても、

自らもしくは他の者と共同して積極的に表示の内容を決定した場合だけでなく、

他の事業者にその決定を委ねた場合等においては、

表示内容の決定に関与しているものとして表示主体性が肯定される。」

と説明されています。

しかし、(どのような場合に表示内容の決定を「委ねた」ことになると考えるか、にもよりますが、「委ねた」を常識的な意味で理解する限り)私はこの解説は問題があると思っています。

この、「その〔=表示内容の〕決定を委ねた場合」というのは、いうまでもなく、ベイクルーズ判決からきています。

同判決では、

「「表示内容の決定に関与した事業者」が法4条1項の「事業者」(不当表示を行った者)に当たるものと解すべきであり,

そして,「表示内容の決定に関与した事業者」とは,

「自ら若しくは他の者と共同して積極的に表示の内容を決定した事業者」

のみならず,

「他の者の表示内容に関する説明に基づきその内容を定めた事業者」

「他の事業者にその決定を委ねた事業者」

も含まれるものと解するのが相当である。

そして,上記の「他の者の表示内容に関する説明に基づきその内容を定めた事業者」とは,

他の事業者が決定したあるいは決定する表示内容についてその事業者から説明を受けてこれを了承し

その表示を自己の表示とすることを了承した事業者

をいい,

また,上記の「他の事業者にその決定を委ねた事業者」とは,

自己が表示内容を決定することができるにもかかわらず

他の事業者に表示内容の決定を任せた事業者

をいうものと解せられる。」

と判示しました。

そこで緑本は、アフィリエイト・プログラムにおいては、商品役務提供者(広告主)が、「他の事業者にその決定を委ねた事業者」にあたる場合には、商品役務提供者(広告主)の表示主体性が肯定される、としているのです。

しかしそもそも、ベイクルーズ判決は、アフィリエイト・プログラムのような、アフィリエイターが自分自身の表示として(記事風広告を)表示するようなケースを想定していないと思われます。

ベイクルーズ判決は、

①自ら若しくは他の者と共同して積極的に表示の内容を決定した事業者(=表示内容を自分で考えて決めた人)

②他の者の表示内容に関する説明に基づき表示の内容を定めた事業者(=表示内容の説明を受けて、自分で表示内容を決めた人)

③他の事業者に表示の内容の決定を委ねた事業者(=表示内容を他人に決定させた人)

の3つが表示主体になるとしています(厳密には、この3つは表示内容の決定の関与の例示なので、そのほかの関与形態もありえますが、ひとまず無視しておきます)。

緑本は、アフィリエイト・プログラムを使う商品役務提供事業者(広告主)は、

③他の事業者に表示の内容の決定を委ねた事業者

にあたるとしており、これはベイクルーズ判決によれば、

自己が表示内容を決定することができるにもかかわらず

他の事業者に表示内容の決定を任せた事業者

ということになります。

しかしながら、前述のとおり、ベイクルーズ判決は、アフィリエイト・プログラムのような場合を想定していません。

つまり、ベイクルーズ判決の①②③の基準はいずれも、商品役務提供者(広告主)が、問題となる表示を、自己の表示として表示することを当然の前提にしていると考えられます。

そのことは、基準②の具体的な説明のところで、

「他の事業者が決定したあるいは決定する表示内容についてその事業者から説明を受けてこれを了承し

その表示を自己の表示とすることを了承した事業者」

というところに偶然現れていますが、①③の基準でも、②と区別する理由はなく、「自己の表示とする」ことは当然の前提であると考えられます。

とくに、③の「他の事業者に表示の内容の決定を委ねた事業者」でも、表示は商品役務提供者(広告主)自身の表示であること(つまり、③は、「他の事業者に、広告主自身の表示の内容の決定を委ねた事業者、であること)が重要です。

アフィリエイト・プログラムでは、アフィリエイターが書く日記風記事は、アフィリエイター自身も自分が責任を持って作成した表示であると認識しているでしょうし、商品役務提供者(広告主)も、アフィリエイターの書く日記風記事を広告主自身の表示であるとは認識していないでしょうし、一般消費者も、アフィリエイターの書く日記風記事を広告主の表示であるとは認識していないでしょう(むしろ、アフィリエイターが広告主から報酬をもらっているという関係にあることすら、一般消費者は認識できないのが通常でしょう)。

というわけで、関係者のいずれの認識に照らしても、日記風記事をアフィリエイター自身の創作能力に基づき作成する通常のアフィリエイト広告においては、アフィリエイターが作成した日記風広告は商品役務提供者(広告主)の表示ではない、と考えざるを得ないと思われます。

もちろん、商品役務提供者(広告主)が、「こういう内容で書いてね」とアフィリエイターに指示して、その指示の内容が虚偽であり、その指示に従ってアフィリエイターが記事を書いたためにアフィリエイト広告(日記風記事)も不当表示になった、という場合には、アフィリエイターはいわば広告主の手足となって表示を作成しているだけですし、広告主もその記事は「自己の表示」という認識でしょうから、広告主が表示主体になるということでよいと思います。

しかしながら、世の中で今問題になっているアフィリエイト広告の大部分は、アフィリエイターが好き勝手やって広告主のチェックが及ばない、というパターンでしょうから、アフィリエイト広告(アフィリエイターの作成した日記風記事)を広告主自身の表示だというのは、とうてい無理があります。

もし、消費者庁が、「広告主は、(明示または黙示の契約あるいは条理(?)により)アフィリエイターの記事の内容をチェックできたのだから、表示内容の決定に『関与』しているのだ」というとすれば、「関与」の有無にだけ目が行っていて、その前提として、委ねるのは(アフィリエイターの広告内容の決定ではなく)広告主自身の表示の内容の決定でなければならないことを見落としていると言わざるを得ません。

このように、ベイクルーズ判決の③は、商品役務提供者(広告主)自身の表示の内容の決定を委ねている(より一般的には、表示内容の決定に「関与」している)という前提があるからこそ、「委ねる」、「関与」、の意味を緩やかに解しても常識的な結論に落ち着くのであり、この前提を外してしまうと、とんでもなく商品役務提供者の責任が広がってしまいます。

つまり、「自分の表示には責任を持て」ということです。

たとえば、メーカーが小売店を通じて商品を供給している場合に、もし、(メーカー自身の表示ではなく)小売店の表示(例、POP表示)の内容の決定を小売店に「委ねた」というだけで、メーカーが小売店の表示についてまで不当表示の責任を負わなければならないとしたら、責任範囲が広すぎます。

ここでの「委ねた」の意義は、ベイクルーズ判決によれば、

「自己が表示内容を決定することができるにもかかわらず他の事業者に表示内容の決定を任せた事業者」

なので、メーカーが小売店の表示内容を決定できる必要がありますが、緑本の、

「広告主〔の〕・・・表示主体性についても、・・・他の事業者にその決定を委ねた場合等においては、

表示内容の決定に関与しているものとして表示主体性が肯定される。」

という書きぶりからは、アフィリエイト・プログラムにおいては広告主がアフィリエイト広告の内容まで具体的に決定する権限を有していた(けれどアフィリエイターに任せた)場合にだけ「委ねた」にあたると考えている様子はうかがえません。

もし具体的な決定権限まで有していないと「委ねた」にあたらないとすると、アフィリエイト広告の内容はアフィリエイターが作成する通常のアフィリエイト・プログラムでは広告主の責任はまず認められないことになってしまいます。

むしろ、緑本の記載は、アフィリエイト広告の内容をチェックする権限すらなくてもいい(「委ねた」にあたりうる)、という意味であると解釈するほうが自然なくらいです(チェック権限には何ら触れていないので)。

かえって緑本p54では、

「この点、広告主がアフィリエイターに対して「虚偽・誇大な内容を記載しないこと」「関係法令を遵守すること」等の一般的・抽象的な指示文書等を交付していたとしても、そのことによって広告主の表示主体性が否定されることにはならない。」

とされており、このような指示文書を交付しているだけで実際にはチェックしていない場合やチェック権限が明確に定められていない場合でも、広告主の表示主体性は肯定されると読めます。

このように、「委ねた」を緩やかに解すると、つまり、

「自己が表示内容を決定することができるにもかかわらず他の事業者に表示内容の決定を任せた事業者」

の意味を緩やかに解すると、メーカーが小売店に「虚偽・誇大な表示をしないこと」という指示をしていただけで、メーカーの表示主体性が認められることになりかねません。

アフィリエイト・プログラムは、インターネット独特な広告手法ではありますが(アフィリエイト・プログラムの仕組みについては、消費者庁の検討会の事務局資料がわかりやすいです)、同じような構造はインターネット以外の、通常のメーカーと小売店の間でも生じるのですから、そこまで影響がおよぶことを考慮して議論しないといけません。

あるいは、メーカーが、(社員ではなく)外部の会社にプロモーション業務を委託したら(消費者への販売はメーカー自身が行う)、その委託先がメーカーの知らないところで不当表示をやっていた、というのがイメージとしては近いかも知れません。

それから、消費者庁の立場は、景表法では商品役務提供者しか不当表示の主体にはなれないことから、妥当な結論を導くために、多少無理筋でも商品役務提供者自身が表示をしていることにしてしまおう、という発想が透けて見えるように思えます(価値判断としては理解できなくはないですが)。

しかしながら、アフィリエイターの責任を追及できないからといって、商品役務提供者(広告主)の責任を広く認めようというのは、筋違いというか、発想が安直というか、少なくともいろいろなところで綻びが出てくるように思います。

たぶん、メーカーと小売店の場合に、小売店が自己の表示について不当表示を行ったからといって、「小売店の広告はメーカーの広告でもあるのだからメーカーも表示主体にすべきだ」という議論は起こらないでしょう。

これは、誰が考えてもこの場合は小売店の責任を問えば足りるからです。

でも、根本的な構造は小売店もアフィリエイトも同じだと思います。(とくに緑本の解説を前提にすると。)

まとめると、ベイクルーズ判決の①②③の基準は広告主自身の広告であることが前提であり(実際の事案がそうです)、広告主自身の広告とはいいがたいアフィリエイトの場合には、少なくとも直接的には適用されないと思われます。

適用されるとすれば、広告主がアフィリエイト広告の記載内容をアフィリエイターに指示して、アフィリエイターを自己の手足として使った場合くらいでしょう。

これなら、商品役務提供者が口コミサイトへのレビューを業者に委託する場合と同じように考えられます。

ですが、そこから、アフィリエイト広告(アフィリエイターが作成する記事風広告)が一般的に商品役務提供者自身の広告であるということまで導くのは相当無理があります。

(ところで、ここまで書いていて何ですが、緑本p54では、「広告される商品等を供給する事業者」を「広告主」と呼んでおり、私もその用例に従っているのですが、これだと、アフィリエイト広告(アフィリエイターが作成する記事風広告)の「主」のような印象を与えかねないので、あまりいい用語法ではないですね。業界で「広告主」と呼び習わされているので、業界の人にはわかりやすいのでしょうけれど。)

私の考えるところでは、表示行為というのは、表示内容の決定と、実際の表示行為(狭義の表示行為、あるいは、事実行為としての表示行為)からなります。

模式的に表せば、

広義の表示行為=表示内容の決定+狭義の表示行為

です。

ベイクルーズ判決が言っているのは、「表示内容の決定」に、広告主自身が頭をひねって考えて決める場合(①)と、他人の説明を聞いて自分で決める場合(②)と、他人に決めさせる場合(③)の3つがある、ということでしょう。

そして、表示は自己の表示(いわば表示の責任主体が自己であること)であることが前提となっている、というのは、この「表示内容の決定」が、「自己の表示の内容の決定」でなければならない、ということです。

これに対して、「狭義の表示行為」については、たとえば新聞等の媒体が行う場合には、「自己の表示の表示行為」ではないですが、「狭義の表示行為」にはあたる、と考えられます。

つまり、「狭義の表示行為」については、「自己の表示の表示行為」に限らない、ということです。

このように、表示内容の決定と、事実行為としての表示行為(狭義の表示行為)を分けて議論したほうが、混乱がなくていよいと思います。

そして、ベイクルーズ判決はあくまで商品役務提供者自身の表示(下げ札)であることには争いのない事案において、表示内容の決定が3パターンあるといっているだけであり、「他人であるアフィリエイターの表示行為について、商品役務提供者はどこまで責任を負うのか」という問題は、ベイクルーズ判決とは次元の異なる問題だと思います。

もちろん、隅々まで管理が及ばないことも含め、アフィリエイト・プログラムのそのような仕組みを知りながらアフィリエイト・プログラムを利用する以上、アフィリエイト・プログラム利用者(商品役務提供者)が全責任を負うべきだ、という議論はあってもおかしくないと思いますが、ベイクルーズ判決から論理必然に結論を導く緑本の解説は、やはり問題があると思います。

2021年7月17日 (土)

消費税のインボイス制度非登録事業者に対する値下げ要求と下請法

2023年10月に消費税法のインボイス制度が導入されますが、導入に際してインボイス制度の非登録事業者である下請事業者に対して値下げ要求することは、下請法上の買いたたきにあたるでしょうか。

(なお消費税転嫁法は既に2021年3月31日に失効しているので問題になりません。)

たとえば、導入前にある下請事業者から税込110円で購入していた場合に、その下請事業者がインボイス制度の登録をしないため、親事業者が108円に値引きすることを要求することが、買いたたきにあたるか、という問題です。

(「108円」としているのは、経過措置で2026年9月末までは80%を控除できるなどとされているからです。)

また前提として、インボイス制度導入前の110円という価格は通常の価格であり、それ自体は買いたたきにはあたらないものとします。

結論としては、108円に値下げ要求しても買いたたきにはあたらないと考えます。

買いたたきは、

「下請事業者の給付の内容と同種又は類似の内容の給付に対し通常支払われる対価に比し著しく低い下請代金の額を不当に定めること」(下請法4条1項5号)

です。

そして、インボイス制度導入前の110円が「通常支払われる対価」なのであれば、導入後に非登録事業者に「通常支払われる対価」は108円と考えざるを得ません。

というのは、親事業者は登録事業者である下請事業者から同じ物を110円で購入した場合には消費税相当額10円を丸々親事業者が納める消費税額から控除できるのに、非登録事業者から110円で購入したら8円しか控除できない(経過措置が完全に終わったあとはまったく控除できない)ために、親事業者の立場からすると非登録事業者の商品は2円割高になってしまうからです。

つまり、非登録事業者の商品は2円安くてはじめて登録事業者の商品と実質的には同価格になる、ということです。

これは、競争上当然のことであり、下請法も競争法の一部である以上、この当然の前提を無視するわけにはいきません。

下請法4条1項5号の条文に照らして言えば、インボイス制度導入後は、登録事業者に「通常支払われる対価」は110円、非登録事業者に「通常支払われる対価」は108円、ということになるので、非登録事業者に108円支払っている限りは買いたたきにはあたりません。

また、インボイス制度の登録をできるだけすべきというのが消費税法の建前であり、下請法で非登録事業者に110円支払わなければならないとすると登録が進まなくなり、消費税法と下請法が矛盾抵触することになり問題だ、とも言えます。

また、こういう値下げ要求が予想されるからこそインボイス制度の経過措置が設けられているのであって、経過措置に沿った2%の値下げを求めることが下請法違反になるというのでは、やはりインボイス制度(の経過措置)と下請法が矛盾抵触することになってしまうといえます。

本来できるだけ登録させて益税を吐き出させるのがインボイス制度の趣旨に適うのであり、親事業者が下請事業者に登録を要請することが不当だともいえません。

登録することで下請事業者に何か不利益があるのかといえば、免税事業者は今まで顧客から預かった消費税を納めなくてよかったのが納めないといけなくなる、ということですが、これは本来納めるべきものを納めているだけで、むしろ今まで納めなくてもよかったのが法の不備だったのであって、正常に戻っただけのことです。

正常な姿にさせることが下請法上問題とされるべきではありません。

そして、108円だと非登録事業者である下請事業者が赤字になってしまう場合であっても、以上の結論は変わらず、買いたたきにはあたらないと言うべきでしょう。

そのような薄いマージンで商売をしているのであれば、なおさら登録事業者になるべきでしょうし、実際なるでしょう。

2021年7月16日 (金)

ティム・ウー『巨大企業の呪い』(The Curse of Bigness)を読んで

バイデン米大統領の特別補佐官に任命されたティム・ウーの掲題の書籍を(原書で)読みました。

第二次大戦からの歴史を振り返りながら、ナチスへの批判ないし反省から欧州で生まれたオルド自由主義がシカゴ学派をはじめとする新自由主義(ネオ・リベラリズム)に置き換わったために、いかにイノベーションが阻害されてきたかが、コンパクト(※本文はコンパクトですが(原書では)脚注の参考文献がすごい量です。)かつ説得的に論じられており、とても勉強になりました。

印象に残ったことはいくつもあるのですが、たとえば、IBMがマイクロソフトのMS-DOSを採用する際に排他条件を付けなかったのは当時IBMが司法省から反トラスト法の調査を受けており、排他条件を付けると反トラスト法違反とされるのではないかとおそれたからだった、というのが積極的な競争法適用がいかにイノベーションを促進してきたかを示すものとして、とても興味深かったです。

もしIBMが排他条件を付けてMS-DOSをIBM製のパソコンにしか搭載できないようにしていたら、今のようなパソコンの時代や、インターネットの時代も来なかったでしょう。

反トラスト法の執行というのは、未来を書き換えてしまうことがよくわかります。

同書によると、同じくIBMがパソコンを発売するときに、ハードウェアとソフトウェアを別々に売ることにしたのも、反トラスト法調査が原因で、そのおかげでソフトウェア産業が生まれたということです。

有名なアルコア事件も、独占を解体することでイノベーションを促進する背後の意図があり、そのほかのスタンダードオイルやAT&Tやマイクロソフトなんかも同様で、そのおかげでどれだけイノベーションが促進されたかが鮮やかに描かれています。

ただ、マイクロソフトについては共和党のレーガン政権になってから同社の解体までには至らず中途半端に終わり、そのため、イノベーションが阻害された、とされています。

世界中の国がナショナルチャンピオンを育てようとしている時代にAT&Tなどを解体しようとするなんて、一見常識に反するようですが、結果的には、それがさまざまなイノベーションを生んだことは歴史が示している、というのが著者の主張です。

日本の財閥のことも紹介されていて、もちろん著者は財閥には批判的で、財閥はイノベーションを阻害し労働者を搾取していた、としています。

また、戦後の財閥解体は、結局朝鮮戦争と、日本を中ソの対抗軸にしようという米国政府の占領政策の変更によって中途半端におわった、とされています。

私は、同書で批判されているRobert BorkのAntitrust Paradoxも読みましたし、シカゴ学派やポストシカゴ学派のエレガントな経済学のモデルには強く惹かれるのですが、同書のいうように、結局大企業の独占によって貧富の差は拡大したし、イノベーションは阻害されたし、そのことは歴史が示しているじゃないか、といわれると、確かにそうかなと思います。

シカゴ学派は効率性が競争法の唯一の目的だといい、Antitrust Paradoxでボークはシャーマン法の立法過程がそれを裏付けている、というのですが、シカゴ学派に好意的な私でもこの部分はさすがに無理矢理だなあと思いましたが(川濵先生は「反トラストポピュリズムに関する覚え書き」という論文で、このようなボークの主張を、独占的高価格への批判についての片言隻句を寄せ集めたものだと評されていますが、まさにそんな感じです)、むしろ本書(『巨大企業の呪い』)のいうように、効率性が目的だなんてシャーマン法の立法過程ではまったく意図されておらず、大企業への力の集中が民主主義や個人の自己実現を脅かすのだという点を問題視してシャーマン法は立法されたのだ、というほうが史実に合っていると思います。

同書では、ブランダイス派の始祖(?)であるブランダイス判事にとって、人生の目的とは自己の人格を発展させることであり、同判事は理想的な民主主義とはそのような目的に適うものでなければならないと述べていた(原書46頁)、とされており、このような骨太な主張の前では、効率性を上げて大企業ばかりが儲かって結局個人の自由が奪われるような社会に何の意味があるだろう、という素朴な疑問が湧いてきます。

このあたり、経済学者の方はどのように考えているのかぜひうかがってみたいところです。

それから、この本を読んで思うのは、特に日本のような経済が成熟した国の経済的な面での未来を決めるのは経産省の産業政策ではなく公取委による競争政策なんだろうな、ということです。

(ちなみに個人的には、経済面ではない国の未来を決めるのは、文部科学省の教育行政だと思います。)

20年から30年くらい先のことは経産省の産業政策が大事かも知れませんが、50年後、100年後の国の姿を決めるのはむしろ競争政策なのではないか、ということです。

32歳のリナ・カーンをFTCの委員長に抜擢するような国なら、そういう思い切った政策も実際に可能なのかもしれません。

委員長が財務官僚の指定ポストになっている日本でそこまで思い切ったことができるのか(ちなみに同書はNTTは完全に分割すべきだったという立場です)、さだかではありませんが、競争政策が大事なのだということはこの本を読むとよく理解できます。

というわけで、この本はとくに公取職員の方々にお勧めです。使命の重要さに身震いすることでしょう。

2021年7月10日 (土)

巨大ITによる買収は認められるべきか?(Kill Zone)

巨大IT規制が話題になっていますが、

Raghuram Rajan, Sai Krishna Kamepalli & Luigi Zingales,

Kill Zone

(Becker Friedman Inst. Working Paper No. 2020-19), https://ssrn.com/abstract=3555915.

という論文を読みました。

かなり衝撃的な内容でした。

冒頭の要約(abstruct)に、

「We study why acquisitions of entrant firms by an incumbent can deter innovation and entry in the digital platform industry, where there are strong network externalities and some customers face switching costs.

A high probability of an acquisition induces some potential early adopters to wait for the entrant's product to be integrated into the incumbent's product instead of switching to the entrant.

Because of this, the incumbent is able to acquire the entrant for a lower price. Even if the incumbent platform does not undertake any traditional anti-competitive action, the reduction in prospective payoffs to entrants creates a “kill zone” in the space of startups, as described by venture capitalists, where entry is hard to finance.

The drop-off in venture capital investment in startups in sectors where Facebook and Google make major acquisitions suggests this is more than just a theoretical possibility.」

と書いてあるように、巨大ITによる買収を認めるには慎重でなければならない、という内容です。

オーソドックスな経済学では、スタートアップが巨大ITに買収されることを認めるのは必ずしも悪いことではない、といいます。

なぜなら、高額に買収されることを見越して活発な参入が起こり、ベンチャーキャピタルによるスタートアップへの投資も活発になるから、といわれます。

むしろ競争法を理由に買収を認めないと、参入が不活発になり、投資も起きない、といわれます。

つまり、既存の巨大ITにより買収されることが投資の出口戦略(exit strategy)になる、という理屈です。

でもこの論文は、ネットワーク効果が強いサービスでは、この理屈は成り立たない、といいます。

その理屈は、

→①もし新規参入プラットフォーム(PF)がすぐに巨大PFに買収されると予測すると、アプリ開発者は、開発コストをかけてまで新規参入PFに適合するアプリを開発しようとしない

→②アプリが開発されないので、消費者は新規参入PFに移行しない(間接ネットワーク効果)

→③消費者が新規参入PFに移行しないので、新規参入PFの価値は本来的価値よりも下がる

→④新規参入PFは、巨大PFに割安で買収されるほかなくなる

→⑤ベンチャーキャピタルは、巨大ITと競合する新規参入PFに投資しなくなる

というものです。

排除行為の場合も企業結合と理屈は基本的に同じで、強力な間接ネットワーク効果があるために、巨大ITがスタートアップをちょっと締め上げるだけで(たとえば、スイッチング費用を上昇させるような行動を採ることで)抜群の排除効果が生じる、とされます。

論文では、比較的単純な経済学のモデルを用いて上記の論理を説明し、同時に、スタートアップへの投資は減っていることを実際のデータを用いて裏付けています。

同論文のFigure 1では、ソーシャルメディア分野でのベンチャーキャピタル投資案件数が、FacebookによるWhatsAppの買収が認められた2104年にピークを迎え、投資額は2016年にピークを迎えていることが示されており、これは、同買収が認められたことの影響であるとされています。

2020年に公表された米国議会下院司法委員会の調査報告書でも、巨大ITと直接競合するスタートアップには投資しない、というベンチャーキャピタリストの証言が引用されています(p18ほか)。

昔ニューヨーク大学(NYU)に留学していたときにStern Business Schoolで受けたヤーマック教授の講義で、敵対的買収はターゲットの会社をその価値をより高く評価する者の手に渡らせるのでより効率的な経営が期待でき、社会的に望ましいのだ、という話を堂々とされていて、「さすが資本主義のアメリカ、映画の『ウォール街』のゴードン・ゲッコーそのものだな」と大いに感銘を受けたのを覚えていますが、オーソドックスな経済学が、巨大ITによる買収がスタートアップの出口戦略になるのだという議論も、これに似ています。

と同時に、敵対的買収が必ずしも企業価値向上につながらない(実際には、企業側の準備不足につけ込んで企業を恫喝するような濫用的買収者もいる)、という、理屈と実態は異なることがありうる、という点も、似ていると思います。

(なおヤーマック教授の名誉のためにも付け加えると、講義では、敵対的買収により企業価値が上がるようにみえるのは従業員などのステークホールダーとの暗黙の契約を破棄することにより価値がステークホールダーから買収者に移転しているだけで、価値が増えているわけではないのだ、といった議論など、敵対的買収が必ずしも社会的に望ましいわけではない、という議論もバランスよく紹介されていました。)

法律家の議論だと、「そういうこともあるかもね(でもないかもね)」といった感じで、どっちつかずの議論になることが多いのですが、このように、データと理論モデルに基づいた圧倒的説得力のある議論は、さすが経済学だなぁと思いました。

(ただし、同論文でも、巨大ITによる買収は全て禁止すべきだとはされていません。)

この論文の考え方はベンチャーキャピタリストの肌感覚とも合っているようで、そういうところも見事だし、それを経済モデルで理論的に裏付けているのも見事だと思います。

細かいことはさておき、巨大ITによる買収を考える際の基本的視座としては、これで決まりではないでしょうか。

巨大ITの規制を考える上では必読の論文だと思いました。一読をお勧めします。

2021年7月 9日 (金)

西村担当大臣の"金融機関発言"と優越的地位の濫用

西村担当大臣が、コロナの緊急事態宣言に伴い、休業要請に従わない飲食店に関する情報を金融機関に提供すると発言しました(翌日撤回)。

これに従って金融機関が融資先の飲食店に圧力をかけたら優越的地位の濫用になるのではないかが問題視されましたが、確かに、なると思います。

優越的地位の濫用は、条文上は、

「五 自己の取引上の地位が相手方に優越していることを利用して、正常な商慣習に照らして不当に、次のいずれかに該当する行為をすること。

イ 継続して取引する相手方(新たに継続して取引しようとする相手方を含む。ロにおいて同じ。)に対して、当該取引に係る商品又は役務以外の商品又は役務を購入させること。

ロ 継続して取引する相手方に対して、自己のために金銭、役務その他の経済上の利益を提供させること。

ハ 取引の相手方からの取引に係る商品の受領を拒み、取引の相手方から取引に係る商品を受領した後当該商品を当該取引の相手方に引き取らせ、取引の相手方に対して取引の対価の支払を遅らせ、若しくはその額を減じ、その他取引の相手方に不利益となるように取引の条件を設定し、若しくは変更し、又は取引を実施すること

ということになっていますが、国の休業要請に応じないと融資を引き上げるなどといえば、「その他取引の相手方に不利益となるように・・・取引を実施すること 」に該当すると考えられます。

現在の公取は、甲(優越者)が乙(被優越者)と乙の取引先との間の取引条件に介入すること自体が濫用行為にあたりうるという解釈に立っているので、乙(飲食店)が営業するかしないかに甲(金融機関)が介入するのは、明らかに濫用行為だと思います。

国の休業要請に応じさせることが「正常な商慣習に照らして」正当だ、という理屈もありえなくはないですが、休業要請はあくまで要請であり、営業しないと潰れてしまうお店もあるでしょうから、とうてい、「正常な商慣習に照らして」正当だとはいえない、と思われます。

もう1つの独禁法上の論点としては、行政指導に従った行為には公正競争阻害性が認められないのではないか、というのがありますが、本件では公正競争阻害性が認められないというのは無理でしょう。

かえって、「行政指導に関する独占禁止法上の考え方」では、

「法令に具体的な規定がない行政指導の場合、行政機関は、当該行政指導の中には、その目的、内容、方法等によっては、公正かつ自由な競争を制限し、又は阻害するとともに、独占禁止法違反行為を誘発する場合さえあることに、十分留意する必要がある

行政指導によって誘発された行為であっても独占禁止法違反行為の要件に該当する場合には、当該行為に対する同法の適用が妨げられるものではないことは言うまでもない。」

と書かれており、違反を誘発するような行政指導は慎むべきであると述べられています。

という具合に、本件は、独禁法上はイージーケースですが、それはともかくとして、こういうやりかたは本当に卑劣だと思います。

行政指導としても、そもそも違法でしょう。

昭和の時代にもいろいろと根拠不明な行政指導はありましたが、こんなふうに、第三者(=金融機関)の影響力を利用して言うことを聞かせようなんていうのは、さすがになかったと思います。

とくに若いみなさん、今の政府が当たり前だと思わないで下さい

今の政権は、法律の観点からは、もう、「何でもあり」の感じですが、独禁法も絡みましたし、「基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命」とする(弁護士法1条)弁護士として、何か言わないといけないと思いましたので、コメントいたしました。

2021年7月 2日 (金)

1年を超えてやり直しをさせることができるための下請事業者との合意

令和2年版下請法講習テキストp84では、

「(エ) 通常の検査で瑕疵等のあること又は委託内容と異なることを直ちに発見できない下請事業者からの給付について,受領後1年を経過した場合」

には、(下請事業者に過失があっても)親事業者は下請事業者にやり直しをさせることができず、ただし、

「親事業者が顧客等(一般消費者に限られない。)に対して1年を超えた瑕疵担保期間を契約している場合に,親事業者と下請事業者がそれに応じた瑕疵担保期間をあらかじめ定めている場合」

は、「それに応じた瑕疵担保期間」についてはやり直しをさせることができる、とされています。

「1年を超えた」であり、上限はないので、下請法上は、たとえば、

「親事業者が顧客・・・に対して永久保証瑕疵担保期間を契約している場合に,親事業者と下請事業者が永久保証の瑕疵担保期間をあらかじめ定めている場合」

には、親事業者は下請事業者に対して永久にやり直しをさせることができます。

なお、改正前民法570条、566条の瑕疵担保責任は同167条1項の10年の消滅時効にかかるとする最高裁判例(最判平成13年11月27日)がありますが、これは法廷の瑕疵担保責任について引渡しから10年で時効にかかるといっているだけであって、契約でそれを超える期間の保証をした場合には、もちろんその保証契約は有効であり、「永久保証」であっても有効であると考えられます。

ちなみに改正民法566条では、

「(目的物の種類又は品質に関する担保責任の期間の制限)

第五百六十六条 

売主が種類又は品質に関して契約の内容に適合しない目的物を買主に引き渡した場合において、

買主がその不適合を知った時から1年以内にその旨を売主に通知しないときは、

買主は、その不適合を理由として、履行の追完の請求、代金の減額の請求、損害賠償の請求及び契約の解除をすることができない。

ただし、売主が引渡しの時にその不適合を知り、又は重大な過失によって知らなかったときは、この限りでない。」

と規定されていますが、これは、知ったときから1年以内に通知しないと契約不適合責任(瑕疵担保責任)を追及する権利を失う(権利保全の要件)といっているだけですので、時効については、上記最高裁判例に従えば、

①知ったとき→1年以内に通知する必要があり、かつ、知ってから5年で時効(民法166条1項1号)

②知らなかったとき→引渡しから10年で時効(民法166条1項2号)

となると考えられます。

もちろん、当事者間の契約で民法566条をなぞったような条項、たとえば、

「甲が種類又は品質に関して契約の内容に適合しない目的物を乙に引き渡した場合において、

乙がその不適合を知った時から1年以内にその旨を甲に通知しないときは、

乙は、その不適合を理由として、履行の追完の請求、代金の減額の請求、損害賠償の請求及び契約の解除をすることができない。

ただし、甲が引渡しの時にその不適合を知り、又は重大な過失によって知らなかったときは、この限りでない。」

というような条項を設けていても、これは権利保全の条件を定めたものにすぎず、1年以内に通知すれば売主は永久に保証責任を負うことまで合意したものではないと解されるでしょう。

ちょっとややこしいのは、上記のような条項を合意している場合に、商法526条、つまり、

「(買主による目的物の検査及び通知)

第五百二十六条 商人間の売買において、買主は、その売買の目的物を受領したときは、遅滞なく、その物を検査しなければならない。

2 前項に規定する場合において、買主は、同項の規定による検査により売買の目的物が種類、品質又は数量に関して契約の内容に適合しないことを発見したときは、直ちに売主に対してその旨の通知を発しなければ、その不適合を理由とする履行の追完の請求、代金の減額の請求、損害賠償の請求及び契約の解除をすることができない。

売買の目的物が種類又は品質に関して契約の内容に適合しないことを直ちに発見することができない場合において、買主が六箇月以内にその不適合を発見したときも、同様とする。

3 前項の規定は、売買の目的物が種類、品質又は数量に関して契約の内容に適合しないことにつき売主が悪意であった場合には、適用しない。」

という規定を排除したことになるのか、という問題があります。

あくまで当事者の意思解釈の問題なので一概には言えないですが、たとえ民法566条と実質的に同じ内容であれ、ともかく当事者が明示的に合意しているわけですから、商法526条は排除される、と考えておきます。

つまり、前述のとおり、

①知ったとき→1年以内に通知する必要があり、かつ、知ってから5年で時効(民法166条1項1号)

②知らなかったとき→引渡しから10年で時効(民法166条1項2号)

となる、ということです。

ちなみに、もし商法526条が適用されるとすると、

①知ったとき→直ちに通知する必要があり、かつ、知ってから5年で時効(民法166条1項1号)

②知らなかったとき→6か月以内に発見して通知する必要があり、かつ、知ってから5年で時効(民法166条1項1号)

となる、と考えられます。

では、下請事業者に1年を超えてやり直しをさせるための、

「親事業者が顧客等(一般消費者に限られない。)に対して1年を超えた瑕疵担保期間を契約している場合に,親事業者と下請事業者がそれに応じた瑕疵担保期間をあらかじめ定めている場合」

における、

「親事業者と下請事業者がそれに応じた瑕疵担保期間をあらかじめ定めている場合」

に該当するためには、どのような合意を下請事業者としておけばいいでしょうか。

まず、下請法テキストp86のQ99では、

「最終顧客への保証期間が5年であれば,受領から5年後にやり直しを要求することは問題ないか。」

との設問に対して、

「最終顧客への保証期間が5年であり,

下請事業者との間でも事前に受領から5年の瑕疵担保期間を定めているのであれば,

その期間内に下請事業者の給付に直ちに発見できない瑕疵があることが判明した場合に,費用を負担せずにやり直しを要求しても

不当なやり直しには該当しない。」

と回答されています。

なので、「受領から5年」のように、具体的に年数を特定しておけば問題ない(5年間はやり直しをさせられる)、ということになります。

ただ、「受領から5年」でなければならないというわけではないと考えられます。

もし「受領から5年」に限られるとすると、下請事業者から部品を受領して、1か月後に製品を完成させて最終顧客に納品したような場合(しかも、最終顧客に対する保証期間は納品から5年と合意されている場合)、最終顧客に対して保証義務を負う期間よりも、下請事業者に対して保証を請求できる期間のほうが、1ヶ月間早く終わってしまいます。

これでは、テキストp84の、

「親事業者が顧客等(一般消費者に限られない。)に対して1年を超えた瑕疵担保期間を契約している場合に,親事業者と下請事業者がそれに応じた瑕疵担保期間をあらかじめ定めている場合」

というのがまっとうできなくなってしまいます。

つまり、「それに応じた」期間のやりなおしなら認めるということは、親事業者が顧客に対して保証義務を負っている期間中はミラーで下請事業者に保証をつけ回すことができるべきでしょう。

というわけで、「受領から5年」である必要はなく、最も抽象化していえば、

「親事業者がその顧客に対して瑕疵担保責任を負っている期間は、下請事業者は瑕疵担保責任を負う。」

というような条項があれば、下請法上はやり直しをさせられる、と考えられます。

この点、具体的な期間を定めないのは下請事業者に不利益ではないか(なので下請事業者とは特定の期間を合意すべき)、という意見もあるかもしれませんが、前述のとおり、下請法テキスト上はやり直しをさせられる期間の上限はなく、つまり、「永久」という合意でも認められるわけですから、具体的な期間を定める必要があると考える必要はないと思います。

そのような解釈を受け入れたくないと公取委が言うなら、

「親事業者が顧客等・・・に対して1年を超えた瑕疵担保期間を契約している場合に,親事業者と下請事業者がそれに応じた瑕疵担保期間をあらかじめ定めている場合」

というテキストの記述を修正すべきでしょう。

さらにいえば、下請事業者が親事業者がその顧客に提供している保証期間を知っている必要もないと考えられます。

上記テキストの記述からは、下請事業者が親事業者とその顧客との間の保証期間を知っている必要があるとの解釈は読み取れず、むしろ、下請事業者との間の瑕疵担保保証期間が結果的に親事業者のその顧客に対する保証期間内におさまっていればいい(「それに応じた」にあたる)、としか読めないからです。

実際、前述のように、親事業者が下請事業者から部品の納入を受けてから顧客に完成品を引き渡すまでにタイムラグがありうることを考慮すると、具体的な期間を定めないといけないとすると何かと不都合なように思われます。

つまり、起算点を(たとえば、納入後と)書いてしまうと、どうしてもタイムラグにより下請の保証期間のほうが早く終わってしまう、という問題が生じますし、それを嫌って余裕を見て、たとえば顧客への保証が5年のときに、下請の保証義務の期間は6年、としたりすると、かえって、たとえば3年後に明らかになった瑕疵だとしても、合意が「それに応じた」といえないのでだめだ、と解釈されるリスクすらあると思われます。

これを、結果的に顧客に対する保証期間内であれば(またその旨合意があれば)問題ない、と解するのであれば(そう解するしかないと思いますが)、突き詰めれば、具体的な期間を定める必要はない(結果的に親事業者が顧客に負っている保証期間内であればいい)と解さざるをえないと思われます。

またこのように解しないと、下請事業者が納めた部品を使って完成品を完成させ、複数の顧客に販売する場合、顧客ごとに保証期間が異なることは当然あり得るので、下請事業者との契約に規定しようとするとたいへん面倒なことになりそうです。

これに対して、保証期間について何も定めないのはさすがに

「親事業者が顧客等・・・に対して1年を超えた瑕疵担保期間を契約している場合に,親事業者と下請事業者がそれに応じた瑕疵担保期間をあらかじめ定めている場合」

にはあたらない、というべきでしょう。

何も定めていない場合には、前述のとおり、商法526条が適用されて、

①知ったとき→直ちに通知する必要があり、かつ、知ってから5年で時効(民法166条1項1号)

②知らなかったとき→6か月以内に発見して通知する必要があり、かつ、知ってから5年で時効(民法166条1項1号)

となるので、②の場合ですら、6か月以内に発見しないと請求できませんし、仮に前述の民法566条をなぞったような、

「甲が種類又は品質に関して契約の内容に適合しない目的物を乙に引き渡した場合において、

乙がその不適合を知った時から1年以内にその旨を甲に通知しないときは、

乙は、その不適合を理由として、履行の追完の請求、代金の減額の請求、損害賠償の請求及び契約の解除をすることができない。

ただし、甲が引渡しの時にその不適合を知り、又は重大な過失によって知らなかったときは、この限りでない。」

という条項を合意していた場合には、前述のとおり、

①知ったとき→1年以内に通知する必要があり、かつ、知ってから5年で時効(民法166条1項1号)

②知らなかったとき→引渡しから10年で時効(民法166条1項2号)

となるので、契約上は10年間は請求できるのですが(②)、それでも、このような条項では、権利保全要件の1年以内の通知については定めているものの、下請法テキストに言うところの、

「親事業者と下請事業者がそれに応じた瑕疵担保期間をあらかじめ定めている場合」

にあたるとはいえないと思われます(「瑕疵担保期間」については何も定めていないので)。

というわけで、下請法テキストの、

「親事業者が顧客等(一般消費者に限られない。)に対して1年を超えた瑕疵担保期間を契約している場合に,親事業者と下請事業者がそれに応じた瑕疵担保期間をあらかじめ定めている場合」

は、「それに応じた瑕疵担保期間」についてはやり直しをさせることができる、という記述は、うまくつかえばかなり使い勝手がよいですが、いろいろと細かいところで気をつかわないといけなさそうです。

2021年7月 1日 (木)

下請法の製造委託と商法526条

下請法上の製造委託にも商法526条の適用はあるのでしょうか。

商法526条は、

「(買主による目的物の検査及び通知)

第五百二十六条 商人間の売買において、買主は、その売買の目的物を受領したときは、遅滞なく、その物を検査しなければならない。

2 前項に規定する場合において、

買主は、

同項の規定による検査により売買の目的物が種類、品質又は数量に関して契約の内容に適合しないことを発見したときは、

直ちに売主に対してその旨の通知を発しなければ、

その不適合を理由とする履行の追完の請求、代金の減額の請求、損害賠償の請求及び契約の解除をすることができない。

売買の目的物が種類又は品質に関して契約の内容に適合しないことを直ちに発見することができない場合において、

買主が六箇月以内にその不適合を発見したときも、同様とする。

3 前項の規定は、売買の目的物が種類、品質又は数量に関して契約の内容に適合しないことにつき売主が悪意であった場合には、適用しない。」

と規定しています。

つまり、商人間の売買では、直ちに発見できない瑕疵(契約不適合)であっても、受領後6か月以内に売主に通知しなければ、契約不適合責任(瑕疵担保責任)を請求できないことになります。

では、商法526条1項は「売買」としていますが、同条は下請法の製造委託にも適用されるのでしょうか。

まず、江頭『商取引法〔第4版〕』p27には、

「いわゆる製作物供給契約にも〔商法527条は〕適用がある」

として、東京地判昭和52年4月22日を引用しています。

この事例は日本とアメリカの商人間におけるテレビキヤビネツトの製作物供給契約につき、買主たるアメリカの商事会社が商法526条1項所定の通知を直ちにしたものとは認められなかつた事例ですが、判決では商法526条適用の理由につき、とくに理由を述べることなく、

「本件の如き製作物供給契約についても商法五二六条の適用があるものと解すべきである」

と、結論だけを述べています。

ほかにも製作物供給契約について商法526条の適用を認めた判決はいくつかあります。

東京高判昭和48年8月30日の事案では、製作物供給契約について買主(注文者)は請負であると主張したものの、裁判所は、

「控訴人〔買主〕は、本件ラッチ納入契約が民法上の請負であって、商法五二六条の規定の適用を受ける商事売買ではないという。

前認定したところによると、係争の契約は、

付属品である各種金具一式の大口取引を業とする被控訴会社〔売主〕が

雑貨の販売を業とする控訴会社〔買主〕の注文に応じて、

外国向けにあてるものであることを知って、キヤビネット・ラッチの見本を示され、材料の全部をととのえ、これによって見本に適合する品物を少なくとも差当り一五、〇〇〇個製作したうえ、一個当りの約定単価を乗じた金額を代金としてこれを譲り渡す

という内容であったというのである。

思うに、このような契約は、一般に製作物供給契約と称されるものであるが、前掲検甲及び乙号各証ならびに弁論の全趣旨をあわせ考えれば、

被控訴会社〔売主〕自らが目的物を製作するわけではなく、

被控訴会社〔売主〕とかねて取引のある町工場で製作して供給するものであることが認められ、

控訴会社〔買主〕は被控訴会社〔売主〕に目的物の見本を示したものの、

その規格・形態等の点において特殊の用途にだけ用いられる性質のものであるという別段の事情の存したことの主張立証がないことにかんがみて、

ラッチ一般の性状のものの代替的かつ大量の取引であることが窺われるから

係争の契約は、不特定物の売買に関する民商法の規定の適用を免れなものと解することが相当である。」

と判示しています。

つまり、特殊なものではない一般的かつ代替的な製品を大量に発注するものであることから商法526条の適用を認めているといえます。

逆に言えば、一品物の製造委託のような場合には、むしろ請負に近く、ひょっとしたら商法526条の適用はないとされるかもしれません。

東京地判平成2年2月23日は、暖房機の放熱器に取り付けるスイッチの供給契約が売買か請負かが争われた事案(当該スイッチの瑕疵による火災に起因する損害賠償請求事件)において、

「ニッシンエンジニアリングと原告〔発注者〕との契約は売買契約と解されるが、

被告〔製造者〕とニッシンエンジニアリングとの契約の性格をどのように解すべきか検討する。

まず、スイッチ仕様図面に記載されているシャフト切替用の角度の点また原告は本件スイッチ仕様図面に基づくスイッチをファンベクターに取り付けていたことを考え合わせると、

本件スイッチ仕様図面どおりに被告が承認図を作成していたら被告は原告からスリーブの角度について修正を指示されるということはなかったと考えられる。

また、ニッシンエンジニアリングが被告に交付した本件スイッチ仕様図面と被告が昭和四八年五月三〇日に原告に提出した承認図は、スイッチの型が丸型から角型に変わっており、スイッチの外部の寸法なども多少異なっている。

さらに、ニッシンエンジニアリングからの依頼のわずか二日後に被告は原告に対し承認図の原案というべきものと試作品を提供している。

加えて、ファンベクター用のスイッチとしてはC端子は不要である。

これらを総合考慮すれば、被告の作成した承認図及びこれに基づく試作品は、

少なくとも本件ファンベクター専用のためのものではなく

原告から交付された本件スイッチ仕様図面に最も近似した被告の有する既製品あるいは既製品に簡単な修正を加えたものであったことが推認される。

したがって、原告は、本件ファンベクターのスイッチとして機能する種類、品質を有するものであれば、スイッチの外形如何、部品の寸法の多少の差異、端子の数などについてはさして重要なものとは考えていなかったと解するのが相当で、

その取引の客体は、スイッチの個性によって定まるのではなく、

スイッチの種類、品質、数量によって定められたというべく、代替物としての性格を有していたとみるべきである。

また、原告が被告に対し、スイッチのスリーブについての角度の修正を指示しているが、

これも一日で試作品を作成し原告から承認図に押印を受けていることからすれば、ごく簡単にできる修正であったといえ、

また、前記認定のとおり山口電気はスリーブについて一五度の角度のついたスイッチを標準品として販売していたことを考え合わせると、

なお同様に、取引の客体としてのスイッチは代替物としての性格を有していたとみるべきである。

以上よりすれば、被告とニッシンエンジニアリングとの間の契約は、契約当事者の一方が、もっぱら、または主として自己の供する材料により、契約の相手方の注文する物を製作し供給する契約すなわち製作物供給契約であると解されるが、

被告がニッシンエンジニアリングに供給することとなった取引の対象たるスイッチは、その種類、品質、数量によって定められ、同種、同等、同量の物をもって置き換えられるという代替物としての性質を有しているものと解され、

したがって、被告とニッシンエンジニアリングの契約は基本的には売買の性格を有する製作物供給契約とみるべきである。」

と判示して商法526条の適用の余地を認めました(ただし同条を排除する黙示の合意を認定し、同条の適用を結論において否定)。

この判決を見ると、ここでも、製作物供給契約は代替物の供給なので売買の性質を有し、ひいては商法526条の適用もある、と考えられていることがうかがえます。

つまり、代替物ではない、一品物のの製造委託では、むしろ請負的性質と解されて、商法526条の適用はない、と解されるのではないか、と思われます。

東京地判昭和35年6月9日では、製作物供給契約に請負に関する規定と売買に関する規定の両方を適宜複合的に適用すべきとされ、商法526条の適用が肯定されました。

判決は、

「本件のようないわゆる製作物供給契約にあつては、如何なる法規を適用すべきかの問題があるが、

具体的事案によつて、或面においては請負に関する規定を適用し或面においては売買に関する規定を適用するということもあり得るものといわなければならない。

本件契約にあたつては、コアーツナギの製作は被告〔買主〕の設計に基くものであるから、

目的物にかしがあつて被告〔買主〕が契約を解除する場合においてそのかしが被告の指図によつて生じたものであるときは、請負に関する民法第六百三十六条が適用されるとともに、

その他の面では、むしろ売買と同視すべく

特に被告〔買主〕が供給を受けた目的物のかしを理由に契約を解除する際の要件については、売買に関する民法第五百七十条、第五百六十六条、商法第五百二十六条の規定が適用されるものと解する。

〔中略〕

被告は、契約解除の他の理由として、送付されたコアーツナギにかしがあることを挙げているが、本件におけるように個々の目的物については直ちに発見することができるかしであつても、目的物が多量であるために、その全体については、直ちにそのかしを発見することができない場合にはそのかしは民法第五百七十条にいう隠れたるかしに該当し、

商人間の売買たる本件においては、商法第五百二十六条の規定により、被告〔買主〕は六ケ月内にかしを発見し、かつ、直ちに原告に対してその通知をしなければ、そのかしを理由に契約を解除することはできない」

と判示しました。

この判決は製作物供給契約には基本的に売買の規定(商法526条を含む)が適用されると考えているといえるでしょう。

以上のような裁判例の傾向からすると、大量生産の代替物の製造委託(下請法の製造委託ではこちらが多いでしょう)には商法526条が適用され、一品物の製造委託の場合には商法526条は適用されない、といえそうです。

では、製造委託に原則として商法526条が適用されるとすると、下請法上の返品ややりなおしに関する規定はどのように適用されることになるのでしょうか。

まず返品についてみると、令和2年版下請法テキストp61では、

「(イ) 下請事業者の給付に瑕疵等がある場合」

には返品ができるものの、

「給付に係る検査を省略する場合,又は,

給付に係る検査を親事業者が行わず,かつ,当該検査を下請事業者に文書で委任していない場合」

には返品ができないとされています。

つまり、商法526条2項では、

①瑕疵を見つけたら直ちに通知しなければならず、

②隠れたる瑕疵でも6か月以内に通知しないと瑕疵担保責任を追及できない、

逆に言えば、

①隠れていない瑕疵は直ちに通知すれば(検査を省略しても)瑕疵担保責任を追及でき、

②隠れた瑕疵は6か月以内に通知すれば瑕疵担保責任を追及できる、

のに対して、下請法では、

①検査を省略すると(隠れたる瑕疵を6か月以内に通知しても)返品は一切できず、

②検査を下請事業者に口頭で委託しているに過ぎない場合には、(隠れたる瑕疵を6か月以内に通知しても)返品は一切できない、

ということになり、下請法のほうがずいぶん発注者に厳しくなっています。

逆に言えば、返品するためには、

①親事業者自ら検査するか、

②下請事業者に検査を文書で委託するか、

する必要があります。

そのうえで、返品が認められる期間については、下請法テキストp62で、

(ア)直ちに発見することができる瑕疵がある場合は、

受領後速やかに返品することは認められ、

親事業者がロット単位で抜取検査を行っているときに合格ロット中の不良品についても、①継続的な下請取引の場合において,②あらかじめ返品することが合意・書面化されており,かつ,③当該書面と3条書面との関連付けがなされていれば、返品が認められ、

下請事業者に検査を文書で委任している場合(商法526条の規定を排除する合意と解されます)には、下請事業者の検査に明らかな過失があれば,受領後6か月以内に返品することは認められ、

(イ) 直ちに発見することができない瑕疵がある場合は,

給付の受領後6か月以内に返品することは認められ、また、

下請事業者の給付を使用した親事業者の製品について一般消費者に対して6か月を超えて保証期間を定めている場合には,その保証期間に応じて最長1年以内であれば返品することが認められる、

とされています。

次に、やり直し(代替品納入を含む)については、下請法テキストp84では、

「下請事業者の給付の受領後,下請事業者の給付の内容が3条書面に明記された委託内容と異なるため又は下請事業者の給付に瑕疵等があるため,やり直しをさせる」

ことは、原則として認められるものの、やり直しの期間に制限があり、

①「通常の検査で直ちに発見できる瑕疵の場合,発見次第速やかにやり直しをさせる必要」があり、

②「通常の検査で瑕疵等のあること又は委託内容と異なることを直ちに発見できない下請事業者からの給付について」は,「受領後1年」に限りやり直しをさせることができ、さらに、

③「親事業者が顧客等(一般消費者に限られない。)に対して1年を超えた瑕疵担保期間を契約している場合に,親事業者と下請事業者がそれに応じた瑕疵担保期間をあらかじめ定めている場合」は、当該瑕疵担保期間中はやり直しをさせることができる、

とされています。

ここで問題になるのは商法526条2項との関係です。

というのは、商法526条2項では、隠れた瑕疵でも受領後6か月を超えると瑕疵担保責任を追及することはできません。

これに対して、下請法上は、隠れた瑕疵については受領後1年間はやり直しをさせることができます。

これはどのように考えればいいのでしょうか。

まず、当事者間の契約内容は商法526条2項で決まるので、別段の特約のない限り、発注者は下請事業者に対して6か月を超えて瑕疵担保責任を追及することができません。

なので、いくら下請法では1年間はやり直しをさせることができるといっても、それは、1年間はやり直しをさせても下請法には違反しないというだけのことで、下請事業者がいやだといえば、契約上の根拠もないのにやり直しをさせることはできません。

つまり、1年間はやり直しをさせることができるといっても、それは下請事業者の合意があることが前提です。

そしてこの下請事業者の合意は、契約後の事後的な合意でもよいと考えられます。

これに対して、顧客等に1年を超える保証をしている場合は、「親事業者と下請事業者がそれに応じた瑕疵担保期間をあらかじめ定めている場合」、つまり事前の合意があることが前提なので、事後的な合意では(民事上は問題ないものの)下請法違反になってしまいます。

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