2017年1月18日 (水)

ウィンターモデルの均衡条件の導出

柳川・川濱編『競争の戦略と政策』にも紹介されている垂直制限の経済モデルに、「ウィンターモデル」というものがあります。

このモデルは、同一ブランド内の小売店で買いまわる需要者に対してはサービス競争よりも価格競争のほうが有効なため、ブランド間競争が存在するとサービスが過小に提供されてしまうことを示すモデルです。

そしてこのモデルでは、再販拘束がサービスの過小供給への対策として有効であるとされます。

この結論だけでも独禁法弁護士にとってはとても魅力的なのですが、柳川・川濱p247では、モデルのキーポイントである、

「卸価格の操作だけでサービス水準を最適化するには、製造業者と小売業者の価格弾力性の比がサービス弾力性の比に等しいという特殊な条件がある場合に限られる。」

という部分について、

「この条件とその導出の詳細に関してはWinter [1993]を参照されたい。」(注2)

とされていて、やっぱり納得感をもって理解するためにはきちんとモデルを理解する必要があると思いましたので、

Winter, R. A. [1993], "Vertical Control and Price versus Nonprice Competition," Quartely Journal of Economics, 108, p.p. 61-76

にしたがって、この条件を導出しておきます。(この論文はネットで購入可能です。)

一見複雑に見えますが、ほとんどは四則計算で理解可能(ほんの一部、高校レベルのかんたんな微分が必要)です。

前提として、メーカーと、小売店1、小売店2がいる単純な状況を想定し、

c:メーカーの限界費用

w:卸売価格

S1:小売店1のサービス提供費用

S2:小売店2のサービス提供費用

P1:小売店1の小売価格

P2:小売店2の小売価格

s:ある消費者の小売店1からの距離

1-s:ある消費者の小売店2からの距離(小売店1と2の距離は1)

T(S1):小売店1内での探索時間

T(S2):小売店2内での探索時間

R:需要者の留保価格

θ:需要者の時間の機会費用

と置き、需要者は小売店1と2の間およびθの最大値と最小値の間の空間に均等に分散していると仮定します。

すると、当該商品を買うか買わないかぎりぎりの需要者が位置する境界線は、

P1+sθ+T(S1)θ=R

で表され、小売店1と2の境界にいる需要者が位置する境界線は、

P1+sθ+T(S1)θ=P2+(1-s)θ+T(S2)θ

と表されます。

(sθはその需要者の小売店1までの移動コスト、T(S1)θは小売店1内での探索コスト、です。右辺も同様に考えれば理解できます。)

さらに、小売店1の利潤は、

π1(P1,S1;P2,S2)=(P1-w)・q(P1,S1;P2,S2)-S1

と表されます。

((P1-w)は小売店1のマージン、qは小売店1の販売数、S1は、小売店のサービス支出です。)

またメーカーと小売店1,2の結合利潤は、

Π(P1,S1;P2,S2)

=(P1-c)・q(P1,S1;P2,S2)+(P2-c)・q(P2,S2;P1,S1)-S1-S2

と表されます。

以上を前提に、小売価格の小売店利潤への影響を小売店1についてみると(小売店2についても対称)、

∂π1/∂P1

=∂Π/∂P1-(w-c)∂q1/∂P1-(P2-c)∂q2/∂P1

(-(w-c)∂q1/∂P1は、価格の垂直的外部性、-(P2-c)∂q2/∂P1は、価格の水平的外部性であることがわかります。)

となり、サービスの小売店1への影響は、

∂π1/∂S1=∂Π/∂S1-(w-c)∂q1/∂S1-(P2-c)∂q2/∂S1

となります。

ここで、価格の水平的外部性と垂直的外部性が打ち消しあうときに卸売価格は最適(w*)となるので、

-(w-c)∂q1/∂P1-(P2-c)∂q2/∂P1=0

となり、ここから、

w*=c-(P*-c)(∂q2/∂P1)/(∂q1/∂P1)・・・①

が導かれます。

同様に、最適サービス量(S*)の条件は、サービスの垂直的外部性と水平的外部性が打ち消しあうことなので、

-(w-c)∂q1/∂S1-(P2-c)∂q2/∂S1=0

です。

そして、①より、

-(∂q1/∂P1)/(∂q2/∂P1)= (P2-c)/(w-c) ・・・①’

②より、

-(∂q1/∂S1)/(∂q2/∂P1)= (P2-c)/(w-c) ・・・②’

なので、最適価格と最適サービスが提供される条件は、

(∂q1/∂P1)/(∂q2/∂P1)= (∂q1/∂S1)/(∂q2/∂P1)・・・③

となります。

ここで、柳川・川濱の、

「卸価格の操作だけでサービス水準を最適化するには、製造業者と小売業者の価格弾力性の比がサービス弾力性の比に等しいという特殊な条件がある場合に限られる。」

といっているのは、メーカーが単純な従量制卸売価格(w)を設定するだけで(つまり二部料金制を用いずに)小売店の最適なサービス支出(S*)を誘導できるのは、

ξPr/ ξPM= ξSr/ξSM

の場合に限られる、ということです。

(ここでは、

ξPr:価格の小売店需要に対する弾力性

ξPM:価格の市場(メーカー)需要に対する弾力性

ξSr :サービスの小売店需要に対する弾力性

ξSM:サービスの市場(メーカー)需要に対する弾力性

です。)

しかし実際には、小売店間境界上の需要者が商品境界上の需要者よりも時間コストが低い(店舗間を探し回ることを厭わない)ため、

ξPr/ ξPM > ξSr/ξSM

となる、というのがウィンターの帰結です。

つまり、小売店は価格競争を重視し過ぎている(ブランド内競争における価格競争重視がブランド間競争におけるよりも著しい)、ということです。

さて、前述のとおり今回のテーマである、

ξPr/ ξPM= ξSr/ξSM

を、以下で導出しておきます。

まず定義より、

価格の小売店需要に対する弾力性( ξPr )=(P1/q1)(∂p1/∂P1)

価格の市場需要に対する弾力性(ξPM)=(P1/Q)(∂Q/∂P1)

サービスの小売店需要に対する弾力性(ξSr )= (S1/q1)(∂q1/∂S1)

サービスの市場需要に対する弾力性(ξSM)= (S1/Q)(∂Q/∂S1)

です。

ここで、あたりまえですが、

Q=q1+q2

であることがポイントです。

そこで、③がなりたつときにξPr/ ξPMを変形していくと、

ξPr/ ξPM

={(P1/q1)(∂q1/∂P1)}/{(P1/Q)(∂Q/∂P1)}

=(Q/q1){(∂q1/∂P1)/(∂Q/∂P1)}

=(Q/q1) [(∂q1/∂P1)/{(∂q1/∂P1)+(∂q2/∂P1)}] 

(∵ Q=q1+q2より、(∂Q/∂P1)=(∂q1/∂P1)+(∂q2/∂P1))

=(Q/q1)[1/{1+(∂q2/∂P1)/(∂q1/∂P1)}]

=(Q/q1) [1/{1+(∂q2/∂P1)/(∂q1/∂P1)}]

=(Q/q1) [1/{1+(∂q2/∂S1)/(∂q1/∂S1)}]  (③より)

=(Q/q1)[(∂q1/∂S1)/{(∂q1/∂S1)+(∂q2/∂S1)}]

=(Q/q1){(∂q1/∂S1)/(∂Q/∂S1)}

=ξSr/ξSM

となり、ξPr/ ξPM とξSr/ξSMが等しいことが導かれます。

これで、

「卸価格の操作だけでサービス水準を最適化するには、製造業者と小売業者の価格弾力性の比がサービス弾力性の比に等しいという特殊な条件がある場合に限られる。」

とうことが正しいことが分かります。

2017年1月13日 (金)

無償の供給行為は景表法上の「取引」か?

景表法上の「景品類」は、

「顧客を誘引するための手段として、

その方法が直接的であるか間接的であるかを問わず、くじの方法によるかどうかを問わず、

事業者が自己の供給する商品又は役務の取引(不動産に関する取引を含む。以下同じ。)に付随して

相手方に提供する物品、金銭その他の経済上の利益であつて、

内閣総理大臣が指定するもの」

と定義されていますが(2条3項)、ここでの「取引」に、無償の取引は含まれるでしょうか。

そもそも「無償の取引なんて問題になることあるの?」という疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、たとえば平成14年3月29日のtoto特別会員に関する公取委の事前相談回答では、入会金が1000円の場合懸賞で提供できるのは2万円まで、との回答がなされています。

そうすると、入会無料の会員権の場合は、何を基準にするのか(0円だとすると景品はまたっく付けられないのか?)、さらに考えると、そもそも無料でも「取引」なのか?という疑問がわいてくるわけです。

文言上でヒントになりそうなのは、定義告示運用基準3(2)の、

「販売のほか、賃貸、交換も『取引』に含まれる。」

という部分です。

ここでの問題は、

「等」

に何が含まれるか(贈与などの無償行為が含まれるか)ということです。

具体例の、「販売」「賃貸」「交換」はいずれも有償行為なので、そのことからすると、まずは「取引」は無償行為にかぎると考えてよさそうです。

さらにこの点についてはより具体的に、

公正取引委員会取引部長相場照美編『わかりやすい景品表示法』

のp53に、

「民間放送会社とラジオ・テレビの視聴者、広告代理店と新聞・雑誌の読者との間には商品・役務の売買の関係がないので『取引』がありません。」

と説明されています。

まず、ここで「民間放送会社」といっているのは、受信料を取っているNHKをのぞく趣旨でしょう。

そういったことから考えると、

「売買の関係がないので」

というのも、民法上の売買契約かどうかを問題にしているのではなくて(その証拠に対象に「役務」が含まれていますし)、有償かどうかを問題にしていると考えるのが自然でしょう。

(ちなみに同じページでは、指定告示運用基準に明記されている「販売」「賃貸」「交換」「銀行と預金者との関係」「クレジット会社とカードを利用する消費者との関係」のほか、「委託」というのも挙げられていますが、「売買」を有償行為の代名詞として使っている同書の文脈からすれば、「委託」も有償の「委託」に限る趣旨と思われます。)

つまり、「取引」は有償の行為に限られる、ということです。

当たり前のことかもしれませんが、当たり前のことでもちゃんと書いてあると、実務ではとても助かります。

ちなみに、

内閣法制局法令用語研究会『法律用語辞典』

では、「取引」は、

「商人間又は商人と一般人との間において営利目的で行われる売買行為。実質的な意味での商行為と同義に用いられることが多い。例、『不当な対価をもって取引すること』(独禁2⑨2)」

と定義されており、ここでも「売買行為」というのは、商品役務の有償提供行為のことでしょうから、やはり有償行為に限られます。

普通の日本語としても「取引する」といえば、何らかの対価を交換することでしょうから、やはり有償なのでしょう。

たぶんtotoのケースもそうですが、最近は、企業のキャンペーンもどんどん複雑になっていて、直接本体取引に結び付くのかどうか明らかでない(取引付随性があるのか明らかでない)行為に対して、おまけ的なものを提供することが多くなってきているように思います。

そして、本体取引に結び付くのかどうか明らかでない(少なくとも結びつかないという議論も相当説得力のある)行為におまけをつける場面では、そのような行為が無償であればそもそも「取引」に該当しない、と議論できることも、けっこうありがたかったりします。

totoのケースも、ほんらいはtotoを買ってもらうことが目的なのはあきらかですが、公取委回答では、将来購入されるであろうtotoとの取引付随性を問題にするという発想がまったくなく、会員権自体を、スポーツ施設優待などの特典のついた役務であると考えているフシがあり、それでいいのかよくわからないところがあります。

・・・と、通常の(←何をもって「通常」というかはさておき)取引の場合には、取引は有償行為に限る、といっていいと思うのですが、悩ましいのが、定義告示運用基準で、

「銀行と預金者との関係」(つまり預金取引)

も、「取引」に該当する、と明記されていることです。

一部の外国銀行の中には預金額が少ないと手数料を取られるというところも少なくともかつてはありましたが、日本の銀行では、預金者から手数料をとるというところは、おそらくないと思います(もちろん引き出しや振り込みに手数料がかかるのは別で、純粋に預金をするだけの場合の手数料のことです)。

そうすると、預金取引は「無償」ということになってしまわないでしょうか。

この問題については、預金取引については、全国銀行公正取引協議会のホームページのQ&Aで、

「<照会事例20> 普通預金口座開設時の取引価額

 普通預金口座開設者を対象として景品類の提供を行う場合の取引価額はどのように考えればいいのか。

<回答>

 預金残高の条件を設けなければ、基本的には、取引を条件とするが取引価額が確定しない場合にあたるため、取引価額は100円となる。

したがって、クローズド懸賞であれば2,000円までの景品、総付景品であれば、景品規約施行規則第2条により、1回につき1,500円以内の景品を提供することができる。

なお、普通預金取引において通常行われる「最低」の取引額が100円を超えるのであれば、その額を取引価額とすることができるが、既存預金者の「平均」取引額を取引価額とすることはできない。 」

という回答がなされています。

この、

普通預金取引において通常行われる「最低」の取引額が100円を超えるのであれば、その額を取引価額とすることができる

という部分は、預金額を取引額と整理していると考えられます。

たんに預けているだけとはいえ、ともかく100万円預金するなら100万円の現金を銀行に提供しなきゃいけないということです。

(ここでは、厳密には、「取引」の有償性の要件(仮にそのようなものがあるとして)、の問題(景品類の定義の問題)と、景品額算定基準の「取引価額」の問題(提供できる景品額の問題)をごちゃまぜにしている点で理屈のごまかしがあるのですが、両者を分ける積極的な理由もないので、ごちゃまぜにしていいと思います。)

そうすると、100万円の預金取引の取引額は100万円であって、無償ではない、ということになります。

ただ、理屈をこねだすとよくわからなくなるのが、定義告示運用基準3(4)で、

「自己が商品等の供給を受ける取引(例えば、古本の買入れ)は、「取引」に含まれない。」

とされていることからして、

「賃貸」が「取引」に含まれると明記されている(3(2))ことからすれば、その裏返しの「賃借」は「取引」に含まれないのではないか、

そうすると、

銀行が預金者からお金を借りるという点で「賃借」と似たようなところのある預金契約も、「取引」に含まれないと解するのが論理的ではないか、

さらにストレートにいえば、

預金取引は民法上の消費寄託契約(民法666条)なのだから、無償での消費寄託は無償行為であり「取引」には該当しないというのが論理的ではないか、

といった疑問が次々にわいてきます。

運用基準に書いてある以上、どんなに理屈をこねても結論は変わらないのですが、以上のような検討から何が分かるかというと、「取引」にはおそらく、

①消費者が景品類提供者に金銭等を提供する(=有償の)「取引」

と、

②消費者は何ら金銭的負担をさせないけれど、景品提供事業者が何らかの利益(預金取引であれば運用益)を得ることができる取引

の2種類があるのではないか、ということです。

そして、全国銀行公正取引協議会の整理は、預金取引は①だ(預金分の負担をさせているので)、ということと思われますが、前述のような購入取引は「取引」に含まれない問うこととの整合性も説明しやすいように思うのです。

それに、取引の実態をみれば、銀行は預金者から何らかの経済的利益を得ようと思っているのではなくて、預金された金銭をさらに貸し出して利益を得ようとしているのですから、銀行が景品をつけてでも預金を集めたいのは運用益を得るための原資を得たいからにほかならないわけです。

そうすると、②のカテゴリーも「取引」に含まれると整理するのがすっきりすると思われます。

おそらく全国銀行公正取引協議会(と、おそらく消費者庁も)の整理と思われる、預金分の現金を預けておく必要があるのでその分が取引価額なのだ(なので預金額があることを根拠に有償取引とするのだ)、という整理だと、まだ銀行預金の場合には引き出そうとするとATMまで行かなきゃいけないとか、それなりに拘束されている負担感があるので、それほど不都合や違和感はないのかもしれません。

しかし、これがたとえばPASMO(東京の地下鉄用プリペイドカード。今はコンビニとかいろんな場所で使える)へのチャージだったりすると、チャージした分現金を拘束されている、といわれると、かなり違和感があります(感覚的にはPASMOへのチャージは現金の代わりそのものです)。

ただそう考えると、銀行預金の場合には(手数料を取らないので)取引額がゼロになり、運用益を得られるというメリットがあるのに景品をつけて預金を集めることができなくなってしまうので、どちらかというと結論の妥当性から逆算して、預金額を取引額としている、ということなのではないか、という気がします。

たとえば金塊1キロ(時価にして480万円くらい)を1か月1000円で預かってくれるサービスの場合、取引価格は1000円でしょう。

これを、

「480万円の金塊を準備しなけりゃいけないので、取引価格は480万円だ(なので総付なら96万円まで景品をつけていい)」

という人は、きっといないんじゃないでしょうか?

あるいは、赤ちゃんを1日5000円で預かってくれるベビーシッターの場合、取引価格は5000円でしょう。

これを、

「赤ちゃんはプライスレス(値段はつけられない)なので、取引価格は無限大であり、よって総付けは無限につけられる」

という人はいないと思います。

(あんまりいい例ではないですが、頭の体操とお考えください。)

すると預金の場合も、480万円の預金をしたから取引額は480万円だというのは、理屈の上ではちょっとおかしいように思われます。

と、いろいろと考えてみると、景品規制は理屈では一筋縄にはいかない、ということがよくわかります。

この問題にどう理屈上決着をつけるかといえば、結局、一般消費者がどのように認識するか、というところに行きつかざるをえない、と個人的には考えています。

つまり、

480万円の預金をするときには480万円を提供しているので480万円が取引価額と考えるのが一般消費者の感覚だ、

というのに対して、

480万円の金塊を1000円で預けるときには1000円が取引価額と考えるのが一般消費者の感覚だ、

というしか説明のしようがないと思います。

また、景品規制の趣旨からすれば、一般消費者の認識を基準にするのは、それほどおかしなことではない、ともいえます。

なお景品規制は当局の判断も少なく、そのわりに悩むことが多いのですが、最近、大江橋法律事務所の同僚である古川昌平弁護士(元消費者庁)の執筆した、

「景品規制の最新動向(上)(下)――ノーアクションレター制度に基づく照会・回答の紹介と若干の検討」NBL 1087号(2016年12月1日号)・1088号(同月15日号)

で分析されているノーアクションレターなども、なかなか参考になります。

2017年1月12日 (木)

倒産品処分セール(ないし閉店セール)に関する緑本の記述について

真渕博編著『景品表示法〔第4版〕』(通称、緑本)のp295で、

「Q9 倒産処分品、工場渡し価格等の安さを強調する用語を用いた表示は問題があるか。」

という設問に対して、

「・・・実際には倒産品の処分のための販売でなかったり、

倒産品処分ではあるが通常の販売価格で商品が販売されている場合、

・・・このような表示を行い、一般消費者に著しく有利な価格で販売していると誤認あsれるときは、不当表示となるおそれがある。」

と回答されています。

しかし、

倒産品処分ではあるが通常の販売価格で商品が販売されている場合

も不当表示というのはおかしいと思います。

なぜなら、倒産処分品であるという表示自体は事実だからです。

それ以上に、通常より安くなきゃいけないということはないでしょう。

事実をありのままに書いているのに不当表示になるというのは、景表法がぜったいに超えてはいけない一線です。

もちろん、その場合の表示の意味は消費者の視点から考える必要がありますが、事実をありのままに書いたものが不当表示というのはよっぽどの場合でしょう。

たとえば、「倒産処分品!」という表示と併せて「激安!」とか書いていれば、不当表示になるかもしれませんが(それでも私は、抽象的な「激安!」程度の表示では、不当表示とすべきではないと思います)、「倒産処分品」という表示だけで不当表示となるというのはありえないと思います。

以前、消費税増税前は、駆け込み需要のために実は家電は割高だった(税込みでも増税後のほうが安かった)、ということを書きましたが、たとえばそういう場合に、

「消費税増税直前セール」

という表示をしただけで、「セール」という文言のために、不当表示になるのでしょうか?

私はそれは行き過ぎだと考えます。

緑本では上記回答の理由として、

「一般消費者は、倒産品処分という表示から、通常、事業者の倒産に伴い、採算を度外視した安い価格で販売されている商品との認識を・・・持つと考えられる。」

と述べていますが、これも決めつけすぎではないでしょうか。

ちなみに倒産品処分セール(ないしは類似の閉店セール)については消費者庁の考えも揺れていて、たとえば二重価格表示ガイドラインでは、

「・ A寝具店が、「製造業者倒産品処分」と強調して表示しているが、実際には、表示された商品は製造業者が倒産したことによる処分品ではなく、当該小売店が継続的に取引のある製造業者から仕入れたものであり、表示された商品の販売価格は従来と変わっていないとき。」

というように、価格が従来と変わっていないことが要件とされていたり、消費者庁ホームページのQ&Aでは反対に、

「Q42

当店は,販売価格の安さを一般消費者に対してアピールするために,閉店時期は未定ですが,「閉店セール」と称したセールを長期間実施しようと考えていますが問題ないでしょうか。

A. 「閉店」する場合に,「閉店セール」と称して,在庫商品を処分するために通常販売価格(もしくは自店旧価格)よりも安い価格で販売を行うことがあります。

このような処分セールに係る表示は,社会通念上,一般的には閉店までの「一定期間のみ特別に値引きが行われている」という認識を一般消費者に与えます。

しかし,実際には閉店し,廃業する予定がなかったり,閉店する時期が確定していないにもかかわらず,「閉店セール」と称したセールを長期間行っているような場合には,

一般消費者に対し,あたかも「今だけ特別に値引きが行われている(購入価格という取引条件が著しく有利である)のではないか」という誤認を与え,不当表示に該当するおそれがあります。 」

というように、価格が安いか高いかは問題にしていません。

私はホームページのQ&Aの立場が正しいと考えています。

倒産品でなくても実際に格安になっているなら事件化しない、というのはたんに消費者庁の執行方針の問題で、法律解釈論ではありません。

もちろん緑本は建前の上では執筆者の個人的見解であると、4版はしがきにも明記されてはいるのですが、いずれにせよ、これだけ結論が割れるというのはいかがなものかと思います。

ただこれをみても、景表法が「ウソさえ書かなければいいんだろ?」というほど単純な法律ではないことがうかがえます。

2017年1月 5日 (木)

【お知らせ】法律時報に寄稿しました。

法律時報2017年1月号(89巻1号)の

「特集 独占禁止法の現代的課題」

という特集に

「裁量型課徴金制度と確約制度に関する独占禁止法改正について」

という論文を寄稿させていただきました。

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とても歴史のある法律専門誌に執筆させていただけて、たいへん光栄でした。

わたしの論文はタイトルのとおりの内容なのですが、今回は解釈論を論じるでもなく、判例評釈をするでもなく、まして実務のポイントを解説するでもなく、ほとんど純粋な政策論です。

こういうものをわたしに書く資格があるのか(世の中に何か付け加えることができるのか)、われながら心もとないのですが、せっかくの機会ですので、普段感じていることを手掛かりに、頭をひねりながら書き上げました。

おかげさまで編集者の方からは、「脚注まで読みごたえがある」とのお言葉をいただきましたhappy01

論文というのは人に読まれないと意味がないですが、とくにこういう政策論を論じるものは読んでもらえないとさみしいものがあるので(解釈論は「自分は正しいことを言っているのだ」というだけで一種の満足感があるのですが)、このテーマにご関心のある方は、読んでいただけるとうれしいです。

2016年12月28日 (水)

改正下請法運用基準の疑問点

改正下請法運用基準のなかで、5-2の、量産終了後の補給品に関する買いたたきの事例がおかしいんじゃないかということは11月22日の記事で書きましたが、もうひとつ気になる記述があります。

改正運用基準5-3(4)では、

「(4) 親事業者は,原材料費が高騰している状況において,

集中購買に参加できない下請事業者が従来の製品単価のままでは対応できないとして下請事業者の調達した材料費の増加分を製品単価へ反映するよう親事業者に求めたにもかかわらず,

下請事業者と十分な協議をすることなく,

材料費の価格変動は大手メーカーの支給材価格(集中購買価格)の変動と同じ動きにするという条件を一方的に押し付け,

単価を据え置くことにより,通常の対価を大幅に下回る下請代金の額を定めた。」

という例が買いたたきとされています。

しかし、これは競争というものを無視した、非常に問題のある設例だと思います。

このような行為が買いたたきになるなら、集中購買に参加できない中小企業に対してだけ、発注者は高い価格を設定してあげなければならなくなります。

しかし、集中購買に参加できる大企業も参加できない中小企業も同じ市場で競争しているはずであり、両者で区別しなければならない(中小企業に下駄をはかせなければならない)理由は見当たりません。

もし設問での発注者が、たまたま中小企業だけに発注していたとしても、潜在的にはいつでも大企業への発注に切り替えることはできるのですから、同じことです。

この設例が許されるとしたら、当該発注者にとっては、大企業に発注することが何らかの理由で不可能である、という場合だけでしょう。

価格競争力のない企業はたとえ中小企業であっても市場から消えていくのが競争というものであり、この設例は競争の基本を無視しています。

この設例でも、他の買いたたきの設例と同様に、最後のところで、

「通常の対価を大幅に下回る下請代金の額を定めた」

というしばりがかかっていますが、この設例に限って言えば、そもそも「通常の対価」として何をイメージしているのか、さっぱりわかりません。

(ところで、買いたたきの設例ですべて「通常の対価を大幅に下回る下請代金の額を定めた」という一節をこっそり入れて、形式的には法律違反の運用基準でないという体裁を繕いつつ、実は多くの企業がその部分は読み飛ばして「対価を据え置くだけで下請法違反になるんだ」と誤解するように仕向ける、というのは、実に小役人的で、たいへん姑息なやり方だと思います。)

もし「通常の対価」が、

集中購買に参加できない企業が供給できる通常の対価

のようなものをイメージしているとしたら、

集中購買に参加できない企業のみを供給者とする市場

を観念しているということであり、競争の実態を完全に無視しているといわざるをえません。

もしそうではなくて、「通常の価格」が、集中購買に参加できる企業もできない企業も含めた市場を観念しているなら、価格は安い方に収れんしていくでしょうから、集中購買に参加できる企業の水準まで下げることを要求したとしても買いたたきになるはずがありません。

このように、この設例はいったいどのような競争状況をイメージしているのか、まったく見えてきません。

きわめて特殊な前提(例えば前述のように何らかの事情でこの発注者は集中購買に参加している企業からは調達できない、など)を置けば、この設例が正しい場合もあるのかもしれませんが、そのような特殊な場合にしか成り立たない(つまり、実際には適用される場面のない)設例を運用基準に載せるというのは、誤解を招くことはなはだしいと思います。

いったい、この改正を担当した公取委の担当者は、競争というものが分かっているのでしょうか?

ところで、運用基準をこのように批判的に検討しておくことは、とても重要だと思います。

なぜなら、理論的に根拠が薄弱な運用基準は実際には発動されないからです。

そういう観点からみると、同じように羅列されている設例のなかで、どれが本当にやばそうで、どれがリップサービスなのか、濃淡がつけられます。

こんな運用基準が出てしまうのでは、企業の側にも、運用基準を見る目が必要になるでしょう。(運用基準というのは、誰が見ても正しく理解できるものでないといけないと思うのですが・・・)

公取委には、競争政策の担い手としての誇りを持った運用を期待したいと思います。

2016年12月27日 (火)

景品類と本体商品の境目

景表法2条3項では、景品類を、

「顧客を誘引するための手段として、その方法が直接的であるか間接的であるかを問わず、くじの方法によるかどうかを問わず、事業者が自己の供給する商品又は役務の取引(不動産に関する取引を含む。以下同じ。)に付随して相手方に提供する物品、金銭その他の経済上の利益であつて、内閣総理大臣が指定するものをいう。」

と定義しています。

内閣総理大臣の指定はほとんどしばりになっていないので、枝葉末節をはしょると、

「顧客を誘引するための手段として・・・事業者が自己の供給する商品又は役務の取引・・・に付随して相手方に提供する・・・経済上の利益」

です。

ぼーっとよむと何の変哲もない定義ですが、実は、これだけで何が景品類かを語りつくせているかというと、そういうわけでもありません。

よく問題になるわりに案外明確な答えがない(考えてみるとよくわからない)問題に、どこまでが本体商品でどこからが景品類か、という両者の境目に関する問題があります。

条文に即していえば、

本体商品=「自己の供給する商品」

景品類=「(本体商品の取引に付随して相手方に提供する)経済上の利益」

なのですが、どこまでが「商品」で、どこからがそれの取引に付随する「経済上の利益」なのかは、一義的にはあきらかではありません。

まず、景表法には、「商品」の定義はないので、広辞苑で「商品」をひくと、

「商売の品物。売買の目的物たる財貨」

と定義されています。

(ちなみに「役務」のほうは、広辞苑では、

「労働などによるつとめ」

と定義されていて、「商売」の要素がないのは、「役務」という日本語の限界ですね。当然景表法では、「役務」も「商品」とパラレルに、

「商売として提供される労働などによるつとめ」

という意味で使われている、と解されます。)

そこで、

「商品」と「景品類」

の区別は、

「売買の目的物たる財貨」と「売買の目的物たる財貨の取引に付随して提供される経済上の利益」

の区別、ということになります。

しかし、何が「(ほんらいの)売買の目的物」で、何が「付随する経済上の利益」なのかは、景表法の定義をどう眺めても出てこないといわざるをえません。

たとえば、ある衣料品店でカリスマ店員が、売り物の帽子に、ちょっとおしゃれなアクセントとして、バッジをつけて販売したとします。(値段は変わらないとします。)

この場合、「商品」は、「帽子」だけでしょうか、それとも、「帽子+バッジ」でしょうか。

この場合にはなんとなく、バッジも、「売買の目的物たる財貨」のような気がするので、きっと、「帽子+バッジ」で、「商品」なのでしょう。

なので、バッジは景品類ではなく、「帽子の価格の20%まで」なんていうしばりもかかってきません。

これに対して、よくコンビニなどで、ペットボトルのドリンクにミニカーがついていたりするのがありますが、あれは、

「ペットボトル」

が商品なのでしょうか、それとも、

「ペットボトル+ミニカー」

が商品なのでしょうか。

こちらはおそらく、「ペットボトル」が商品で、「ミニカー」がそれに付随する景品類、ということになるのでしょう。

では、帽子のケースとペットボトルのケースのちがいは何でしょう。

これを、売手の側の認識で区別する(売手が、「両者一体で一つの商品だ」と整理すれば全体で一つの商品とあつかう)のは、おそらく間違いでしょう。

そこは、景表法の定義には出てこないのですが、やはり景品規制の趣旨に遡って、消費者の選択をゆがめるかどうか、という観点から、何がほんらいの「商品」で、何が客寄せの「景品類」なのかを区別すべきでしょう。

その際に、消費者は、おまけで判断がゆがんでしまうような不合理な存在なのだ、という視点が重要です(合理的な主体なら、商品と景品類のトータルの価値を合理的に判断して価格と照らして買うかどうかを判断するので、判断がゆがめられず、景品規制の前提と合致しません。)

そうすると、帽子のケースでは、きっとふつうの消費者は、

帽子にめずらしいバッジがついているから判断がゆがめられて帽子を買ってしまう(←不合理な判断)、

というのではなく、

その帽子とバッジの組み合わせなりが全体としておしゃれなので買う(←合理的な判断)、

ということなのでしょう。

というわけで、「帽子+バッジ」で「商品」と判断されます。

「帽子+バッジ」で新たな一つの商品だ、という言い方をしてもかまいませんが、「一つの商品」かどうかは、商品の客観的な効用できまるわけではなく、あくまで世間なみに不合理な(おまけで判断がゆがんでしまう)消費者の目からみて一つに見えるかどうか、という視点が重要です。

この結論は、従来の帽子だけの値段と同じ値段で「帽子+バッジ」を販売しても、基本的には異ならないと思われます(もちろん、限界事例では、バッジ分の価格を上乗せした方が全体で「商品」だといいやすい、ということはあるかもしれませんが)。

これに対してペットボトルのケースでは、ミニカーにひかれるひとは、ミニカーのためにペットボトルの飲料の魅力が増すと考えているわけではなく、ペットボトルはそっちのけで、ミニカー自体にひかれているのでしょう。

(なかには、バッジ付の帽子をかっこいいと思うのと同じように、「ミニカーを眺めながらペットボトルのドリンクを飲むとおいしく感じる」というフェチな人がいるかもしれませんがbleah、きっと少数派でしょう。)

というわけで、ペットボトルのケースでは、ペットボトルが「商品」で、ミニカーがそれに付随する「景品類」だと考えるほかないと思います。

そして、この結論は、ミニカー分の代金を上乗せ(ふつうはしませんが)して販売しても、基本的には変わらないと思います。

・・・と断言するのはちょっとためらわれますが、代金を上乗せしたことによって消費者のとらえ方が変わる(消費者が、おまけも含めて「商品」だと認識し、判断がゆがまなくなる)、という事情でもないかぎり、やはり単純に代金上乗せしたら常にOK(全体で1つの商品になる)、というのは無理じゃないかと思います。

このあたりを定義告示にしたがって説明すれば、

「帽子+バッジ」の「バッジ」は、

「正常な商慣習に照らして当該取引に係る商品〔=帽子〕に附属すると認められる経済上の利益〔=バッジ〕」

ということになります。

ただ、「附属」というのは、広辞苑によると、

「主たるものに付いていること」

という意味で、これだけではバッジもミニカーも区別できないので、やはりポイントは、

「正常な商慣習に照らして」

の部分なのでしょう。

つまり、ペットボトルにミニカーを付けることは、

「正常な商慣習に照らして当該取引に係る商品〔=ペットボトル〕に附属すると認められる経済上の利益」

とは認められない、ということです。

ただ、「正常な商慣習」というと非常に漠然としていて、判断の基準として心もとないので、ここでの実質的な基準は、消費者の判断をゆがめるかどうか、という点に求めるべきだと思うのです。

素直な文言解釈にしたがえば、「正常な商慣習」というのは、商慣習の中でさらに正常なもの、という意味であり(「商慣習」>「正常な商慣習」)、「商慣習」は、

「取引上の慣行。法としての性質を有するに至らないもの。」(広辞苑)

であり、「慣行」とは、

「従来からのならわしとして行われること」(広辞苑)

なので、たとえば、売り物の帽子にカリスマ店員がインスピレーションでシックなバッジを付けて売るような行為は、「正常」かどうか以前の問題として、そもそも「商慣習」といえるほど一般的な(従来からのならわしとして行われている)といえるか、といえば、きっといえないと思います。

なので、定義告示の「正常な商慣習に照らして」という基準はそれを眺めても事案の正しい解決にはつながらないと思われます。

ちなみに定義告示運用基準にしたがって説明しようとすると、この部分は、

「この「商品又は役務に附属すると認められる経済上の利益」に当たるか否かについては、当該商品又は役務の特徴、その経済上の利益の内容等を勘案し、公正な競争秩序の観点から判断する。」

という基準にしたがって判断することになりますが、

「当該商品又は役務の特徴、その経済上の利益の内容等」

というのも、焦点がまったく絞れてませんし、

「公正な競争秩序の観点から判断」

というのもよくわかりません(現在では、「一般消費者による自主的かつ合理的な選択を阻害するおそれの有無の観点から判断」とでも読みかえるのでしょうか?)。

しかも運用基準では、「商品又は役務に附属すると認められる経済上の利益」の説明はしていますが、少なくとも明示的には、「正常な商慣習に照らして」の説明が抜けています(あるいは、運用基準の「この」の部分が「正常な商慣習に照らして」を指しているのかもしれませんが、もしそうだとすると、「正常」とか「商慣習」を「公正な競争秩序」でまとめてしまっていて、かえって内容がぼやけてしまっているように思われます)。

ちなみに定義告示運用基準4(5)では、

「(5) ある取引において二つ以上の商品又は役務が提供される場合であっても、次のアからウまでのいずれかに該当するときは、原則として、「取引に附随」する提供に当たらない。ただし、懸賞により提供する場合(例 「○○が当たる」)及び取引の相手方に景品類であると認識されるような仕方で提供するような場合(例 「○○プレゼント」、「××を買えば○○が付いてくる」、「○○無料」)は、「取引に附随」する提供に当たる。

ア 商品又は役務を二つ以上組み合わせて販売していることが明らかな場合(例 「ハンバーガーとドリンクをセットで○○円」、「ゴルフのクラブ、バッグ等の用品一式で○○円」、美容院の「カット(シャンプー、ブロー付き)○○円」、しょう油とサラダ油の詰め合わせ)

イ 商品又は役務を二つ以上組み合わせて販売することが商慣習となっている場合(例 乗用車とスペアタイヤ)

ウ 商品又は役務が二つ以上組み合わされたことにより独自の機能、効用を持つ一つの商品又は役務になっている場合(例 玩菓、パック旅行)」

とされていますが、「明らか」(ア)とか、「商慣習」(イ)とか、「独自の機能」(ウ)とかいわれても、やっぱりあいまいですし、論理的には、この部分の記述は組み合わされる従たる物品も「商品」(=売買の目的物たる財貨)であることが前提にされているようにも読めるので、帽子のケースはウにあたりそうにみえつつも、そもそもバッジは「商品」(=売買の目的物たる財貨)ではないのでウに該当しない、という解釈すら可能であるように思われます。

(そこであげられている「ゴルフのクラブ」などの具体例をみると、ますます従たる物品も

「商品」(=売買の目的物たる財貨。つまり、「売り物」)

であることを想定している記述のようにみえてきます。)

やっぱり、法律で「商品」と「経済上の利益」という言葉を分けて使っているのに、運用基準で両者をごちゃまぜに使うのは、ちょっと問題があると思います。

とくに、ペットボトルのケースが、

「ア 商品又は役務を二つ以上組み合わせて販売していることが明らかな場合」

に入ってきそうなのは問題で(ペットボトルとミニカーを組み合わせて販売していることは、少なくとも物理的には明らかでしょう)、そうすると、ペットボトルのケースがアに該当しないというためにはやっぱりミニカーはおまけであって「商品」ではないと説明するほかないのではないでしょうか。

でもそんな解釈がとおるなら、運用基準4(5)は、今回検討した景品類と本体商品の境目の判断には何の役にもたたない(適用の前提を欠くため、空振り)、ということになります。(まさに、何が「商品」で、何が「付随する経済上の利益」なのかの区別が問題なので。)

(あるいは、半分以上冗談ですが、ペットボトルの肩にミニカーがぶら下がっていかにもおまけっぽくくっついていることをもって、

「取引の相手方に景品類であると認識されるような仕方で提供するような場合」

にあたる、とでも解釈するのでしょうか?)

ここまでいろいろ考えてみて、おまけに惹かれる消費者は、少なくとも主観的にはきわめて合理的なのではないか(判断がゆがんでいるとか消費者庁がいうのは大きなお世話ではないか)、結局、景品規制は(表示規制と異なり)公正な競争秩序の観点からしか説明できないのではないか、ということをふと思いつきましたが、大きなテーマになりそうなので、またの機会に考えてみたいと思います。

2016年11月28日 (月)

こまったときの取引妨害(その2)

先日、ある欧州競争法の弁護士さんと話をしたときに、

「日本にはトリヒキボウガイというのがあって、競争者の取引を妨害すると独禁法違反になるんだよ」

といったら、

「それって、競争そのものじゃないの?」

という、至極まっとうな反応があって、おかしかったです。

加えて、

「トリヒキボウガイの成立には市場支配力は必要なのか?」

と聞くので、不要だと答えたら、さらに驚いていました。

外国の弁護士と話していると、何の先入観もなくストレートな反応があるので、とても新鮮で楽しいです。

だいぶ前のことですが、消費税転嫁法の買いたたきの説明をアメリカの競争法の弁護士にしたら、

「それって、法律がカルテルを強制しているってこと?」

という、これも何の反論もできないコメントがあっておもしろかったです。

転嫁カルテルは消費税の転嫁だけを合意するもので本体価格については合意できないんだと説明しても、

「消費税分のカルテルと本体価格のカルテルを、どうやって区別するの?」

という、まったく反論の余地のない、鋭い質問をされてしまいました。

こういう反応を受けるにつれ、日本の独禁法はガラパゴス化してるんじゃないか、という懸念をひしひしと感じます。

最近日本国内では優越的地位の濫用を再評価(?)する動きもあるようですが、少なくともEUとアメリカの弁護士と話したときの感じとしては、彼らにとっては日本特殊の規制だという感覚のようです。

トランプ大統領のおかげでTPPは流れてしまいそうですが、確約制度なんかを入れるよりも、優越的地位の濫用規制と下請法を廃止するほうが、ずっと統一市場の形成に役立つのにな、と思います。

2016年11月24日 (木)

こまったときの取引妨害

公取委の実務には、

「こまったときの取引妨害」

という言葉があるそうです。

これは、排他条件付取引や再販売価格拘束など、典型的な違反行為類型にあたりそうなんだけれどもあたるかどうか確信がもてないときに、なんでも違法にできる競争者に対する取引妨害(一般指定14項)を使って違法にしてしまう、という実務をさしています。

つまり一般指定14項では、

「自己・・・と国内において競争関係にある他の事業者とその取引の相手方との取引について、・・・いかなる方法をもつてするかを問わず、その取引を不当に妨害すること。」

が不公正な取引方法だとされており、「不当に妨害」という以外に何のしばりもないのです。

「妨害」という言葉自体に否定的ニュアンスがあるので、「不当に妨害」というのは意味が重複している気さえします(「正当な妨害」なんてあるのでしょうか?)。

たとえば、メーカーが、卸に対して、安売りをしている小売店への出荷の停止を命じたりすると、再販売価格拘束でいくのが筋だと思いますが、取引妨害が使われたりします。

ほかには、ディーエヌエーがゲームメーカーに、「モバゲーと取引するな」と圧力をかけた事件も、排他条件付取引ではなく、取引妨害となりました。

ただ、取引妨害は、競争への影響を考慮することなく、とにかく行為自体が(公取委の目からみて)悪質であれば違法とできる(と少なくとも公取委は信じている)ため、限界がきわめてあいまいであり、慎重に運用されることが要求されます。

(なんでも取引妨害としてしまうことの危険性については、白石忠志先生が以前から指摘されています。)

そのような隠語を思い出させるのが、最近公表された、

(平成28年11月18日)ワン・ブルー・エルエルシーに対する独占禁止法違反事件の処理について

です。

この事件では、ブルーレイディスクの必須特許を有するパテントプールであるワン・ブルー・エルエルシーが、ブルーレイの製造販売業者であるイメーションの取引先に対して、ワン・ブルーの特許権者が当該取引先の特許権侵害行為について差止請求権を有していること等を内容とする通知書を送付したことが取引妨害に該当する(ただし、違反行為はすでに行われていないので措置はとらない)、とされています。

プレスリリースを読むと、この事件の処理では、上記通知書の送付だけが具体的な違反行為と認定されているようです。

ですが、必須特許のライセンスを拒絶していたら、知財ガイドライン上は、私的独占にあたるのであり、そのような処理をすべきだったのではないでしょうか。

プレスリリースでもわざわざ、ワン・ブルーの特許権者であるブルーレイのメーカーが日本で過半の市場シェアを有していることが認定されており、50%以上のシェアの場合に優先的に執行するという排除型私的独占ガイドラインの条件もみたしていたように思われます。

(ただ、必須特許のプールであれば市場シェアにかかあわらず市場支配力があることが明らかなので、過半の市場シェアを有するメーカーが参加していないパテントプールであっても排除型私的独占は成立すると思われます。)

公取委が本件で排除型私的独占を使わなかった理由としては、

「我が国で販売されている記録型BDのほとんど全ての製造販売業者は,ワン・ブルーと記録型BDに係るBD標準規格必須特許のライセンス契約を締結していること」

といった事情があったために(プレスリリース)、競争の実質的制限が認められないと判断されたのかもしれませんが、もしそうだとしたらいたずらに私的独占のハードルを上げているように思います。

そもそも標準必須特許のライセンス拒絶は単独の直接取引拒絶あるいは、(プール参加者の共同行為とみて)共同の直接取引拒絶として処理するのが筋だと思います。

ただこれも公取委の立場にたてば、ワン・ブルーはライセンス拒絶していたわけではなくて、交渉中だったので、「拒絶」とまで認定できなかったのかもしれません。

ですがそれを考慮しても、なんでもかんでも取引妨害で処理してしまうのはいかがなものかと思います。

たしかに民事訴訟では類似の行為が取引妨害に該当するとされることがあります(ドライアイスの事件など)。

しかしそれは、取引妨害が、不正競争防止法2条1項15号(営業上の信用棄損行為)のような、不法行為に毛の生えたような存在なので独禁法の素人である裁判官にもわかりやすいために、当事者が好んで主張するからです。

これに対して一国の競争政策をになう専門家集団である公取委が取引妨害に頼るのでは、話が違います。

また、このような処理をしていると、FRANDでのライセンスを拒絶していても差止請求やライセンシーの取引先への告知さえしていなければ独禁法には違反しない(少なくとも摘発されることはない)という誤ったメッセージを送ることになってしまわないか心配です。

それに、告知書の送付だけをとらえて違反行為とすると、それ以外の事実の違法性がうまく取り込めないおそれがあります。

たとえば本件では、

「〔ライセンス料の〕交渉において,イメーション及び米イメーションは,ワン・ブルーに対し,公正で妥当なライセンス料を支払う意思があることの表明,公正で妥当と考えるライセンス料の提案,ワン・ブルーが提示するライセンス料の設定根拠の説明の要請等を行っていたが,ワン・ブルーは,非差別的な条件を提供するためにライセンス料について交渉はできないとして,当該設定根拠の説明も行わなかった。」

という部分がけっこう重要な意味を持つのではないかと思うのですが(結果的に同率のライセンス率でないと差別的とみなされるというのはわからないではないですが、根拠すら説明しないというのはやや行き過ぎでしょう)、通知書の送付を違反行為ととらえると、このような説明しなかったという事実と最終的な通知行為の妨害行為該当性とのつながりがみえてきません。

ライセンシーの取引先への通知は不競法2条1項15号では典型的な不正競争行為とされていますが、そちらが念頭に置いているのは世の中で普通にある(市場支配力を伴わない)特許侵害の警告書(のライセンシーの取引先への送付)なので、おなじ行為を一般指定14項で処理してしまうことの不都合もあると思います。

何が不都合なのかというと、一般指定14項では、少なくとも、行為者に市場支配力があるかないか(あるいは市場における有力な事業者であるかどうか)で違法かどうかが分かれるという仕組みになっていないので、まったく市場支配力はないけれどたまたま当該特許を侵害していたという、世の中にいくらでもある、およそ競争に無関係なケースにまで一般指定14項が適用されてしまうのではないか、と思うのです。(不正手段型なんだから、警告の内容が虚偽である限りそれでもかまわない、という割り切りもあるかもしれませんが。)

(ただし公取委も、取引妨害でも競争への影響には運用上配慮しているようで、

「座談会 最近の独占禁止法違反事件をめぐって」公正取引790号(2016年8月)790号

のp3~4では、排除措置命令ではなく「注意」をしているケースについて、

「例えば・・・取引妨害などでも競争への影響まで認められないようなケース」

は注意にとどめている、という山本佐和子審査局長の発言があります。

「競争への影響」という言葉の具体的意味が問題ですが、少なくともこれは、競争上の影響がない場合には取引妨害は違法ではないという考え方を示したものといえます。)

公取委としては知財分野での成果をアピールしたくてこのプレスリリースをしたことがみえみえですが、かえって独禁法解釈の稚拙さだけが印象付けられる結果となってしまいました。

ちなみに私は、排除型私的独占が適用されることは、未来永劫ないと予想しています。

なぜなら、どうしても課徴金を課したいという事情が公取委にない限り、ほとんどの場合、私的独占よりもはるかにハードルの低い取引妨害で事足りてしまうからです。

パラマウントベッド事件も、NTT東日本事件も、JASRAC事件も、もし今同じことが行われたら、きっと全部取引妨害で処理されるでしょう。

今回のプレスリリースは、そのような予想が正しいであろうことをますます確信させてくれます。

2016年11月22日 (火)

平成28年下請法講習テキストの変更点

平成28年の下請法講習テキストに、買いたたきの例として、

「自動車部品の製造を下請事業者に委託しているB社は、当該部品の量産が終了し、補修用としてわずかに発注するだけで発注数量が大幅に減少しているにもかかわらず、単価を見直すことなく、一方的に量産時の大量発注を前提とした単価により下請代金の額を定めていた。」

というのが追加されました(p57)。

しかし私は、これは行き過ぎというか、少なくとも買いたたきの典型例としてテキストに載せるのはいかがなものかと思います。

(なお似たような例が、現在パブコメ中の運用基準改正案にもあります。)

テキストのその前の従前からある例で、

「産業用機械の部品の製造を下請事業者に委託しているA社は、下請事業者に2,000個発注することを前提として下請代金の単価について交渉し合意したところ、実際には300個しか発注しなかったのに2000個発注することを前提とした単価を適用した。」

というのがありますが、これならわかります。

というのは、部品を作るには金型の作成やら何やら固定費がかかるわけで、2000個で固定費を回収するつもりだったのに300個しか発注しないとなったら、それは下請が怒るのは当然です。

でも今回追加された設例では、そのようなことが一般的にいえるのでしょうか?

「量産が終了」しているわけですから、いちおう固定費は回収されているはずです。

もし最低生産ロット数にも大幅に満たないような個数を発注する(たとえば一度工場のラインを動かしたら最低でも1000個できてしまうのに10個しか発注しない)、というような場合ならわかりますが、世の中、そのような場合ばかりではないのではないでしょうか。

少なくとも、上記の「2000個発注の予定が300個発注」の例に比べれば、新たに加えられた例は非常に限界があいまいというか、そもそもどのような場合が買いたたきになるのかがきわめてわかりにくくなってしまったといわざるをえません。

それは結局、新たな設例に確固とした理論的裏付けがないためです。

少なくとも新しい設例は、前述のような、最低生産ロット数にもみたない発注の場合を想定していることを明記するなりすべきでしょう。

設例では、たんに従来から「大幅に」発注数量が減っているだけで違法になる、としか読み取れません。

でも大量生産が終わってるならふつうは金型など生産設備の減価償却も終わっているはずで、最低生産ロットの問題さえなければむしろ原価は安くなっている可能性すらあります。

親事業者は下請テキストの場当たり的な修正に振り回されることなく、実質的な違法性がどこにあるのかをよく考えて、最終的には、

「同種又は類似の内容の給付に対し通常支払われる対価に比し著しく低い」

かどうかが買いたたきの要件であることを心にとどめて、事案に応じた適切な判断をしてくことが必要だと思います。

運用基準改正案をみても買いたたきの例が大幅に追加されていますし、どうも、安倍政権のデフレ対策を下請法を通じておこなうというにおいがプンプンします。

下請法はほんらい独禁法の優越的地位の濫用を簡易迅速に処理するための法律で、だからこそ適用対象も資本金額などで割り切っているわけですが、買いたたきにこのような極めて実質的な(ケースバイケースの)判断を要する行為類型にこのような設例が加えられると、同じことを下請事業者以外に対してやったら優越的地位の濫用にもなるのではないかということが当然に問題になるわけです。

もともと買いたたき規制は市場競争への露骨な介入であるわけですから、謙抑的に運用されるべきで、実際、これまではそのようにされていました。

最近の公取の動きを見ていると、ほんとうに、そのようなタガが外れてしまった感じがします。(しかも正式な勧告ではなく注意ですますところが、たちが悪いです。)

競争当局としての誇りはどこにいってしまったのでしょうか。

2016年11月21日 (月)

【お知らせ】不正競争防止法の講座を開きます。

昨年にひきつづき、公益財団法人公正取引協会で、

「不正競争防止法関係法令講座」

を開かせていただくことになりました。

12月5日と19日の2回シリーズです。

不正競争防止法は知的財産権法に関連付けて説明されることが多いですが、競争法的な発想もあり、さらには外国公務員に対する贈賄など、実にさまざまな規定が混在しています。

この不競法の実務のポイントを、コンパクトに2回で解説します。

ご興味のある方はぜひご参加ください。

申込方法については、こちらをご覧ください。

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